15.聖女祭り
ルームサービスの一環でユカタをそれぞれ着せてもらい、フィリアとリュカは微笑み合う。
揃いの竹の模様のユカタに、互いの絹織りの帯が静かな光沢を放っている。
宿から窓を見下ろす。夜とは思えぬ、光に溢れた露店の数々。人のざわめき。
「行こう、フィリア」
二人が宿を出ると、朝にも増して兎族が大挙して待ち構えていた。歩き出すと、やんやと歓声が飛ぶ。
「聖女祭りだから、何か緊張する」
「大丈夫。フィリアの仕事は聖女のお務めではなく、癒されることだから」
フィリアは周囲を見渡し、興味の持てそうなものを探す。
「あの、バナナにチョコがかかったの、何かしら」
「バナナチョコだよ。おじさん、一本ちょうだい」
フィリアはバナナチョコを手に入れ、がぶりと噛んだ。パリパリチョコの中に、ねっとりとしたバナナ。予想通りの味で大満足だ。
「ふわー、美味しい!」
「フィリアはそういう甘ったるいの、ほんと好きだな」
「だって、甘いものなんか、ほとんど食べたことがなかったんですもの!」
リュカはそんなフィリアを、思い詰めたようにじっと見つめる。
「どうしたの?リュカ。難しい顔して」
「いや……」
「あっ、あれは何かしら」
彼女の差し示した指の先には、おもちゃの屋台がある。
兎族の子どもたちがたむろする中に、大人げなくフィリアは分け入った。
「わあ、変わり種のカチューシャがたくさん!」
「あ、聖女様だ」
子どもらがやんややんやと騒ぐ。フィリアはにこにこしながら、子どもに次々渡されるカチューシャを次々頭につけた。
「兎耳カチューシャね。これどう?」
「わあ、姐さんにそっくりだ」
「ホントね!ん?これは何?」
「光るカチューシャだよ。真っ赤な角で、悪魔になれる」
「本当だ。ガオー!」
「聖女様が悪魔になったぞ!」
子どもたちははしゃぎ立てた。
その様子を、リュカは遠巻きにじっと眺めている。
フィリアは棚を入念に眺めてから、最後にひょいとあるカチューシャを手に取った。
「おじさん、これは?」
「それは狼の耳つきカチューシャだぜ!」
「素敵!……リュカ?」
ようやくリュカは彼女に近づいた。
「何?」
「これ買いたい!狼の耳なんですって」
「……へぇ」
「これがあれば、リュカと耳までお揃いになるね!」
フィリアはカチューシャをつけると、にこにこと笑う。
リュカは聖女の気が変わらない内に、すぐに代金を支払った。
歩きながら、彼女は言う。
「このカチューシャをつけていると、私、より狼族みたいだね」
「……そうだな」
祭りの人出が増えて来ている。肩にぶつかるようにしてすれ違う人々の波に、フィリアの旅慣れない足はどうしても遅くなる。
リュカはふと立ち止まると、振り返った。
「フィリア」
フィリアもどきりとして、立ち止まる。するとリュカは、意を決したように彼女へ手を差し伸べた。
「手を繋ごう」
少しの沈黙が場を支配する。
フィリアは少したじろいだが、手を差し伸べられたのがとても嬉しくて、つい彼の手を取ってしまった。
その瞬間。
フィリアの体の中に、言い知れぬ感情がどっと押し寄せた。握り返された手から、じっとりとした湿度、熱量、切ない思いが、何の遠慮もなしに伝わって来る。
フィリアはどきどきと胸を鳴らす。
そうっと目の前の狼を見上げると、彼もまた緊張の面持ちでこちらを見下ろしていた。
フィリアは急にこんなことを思った。
(男の人だ)
今そこに立っていたのは、ふわふわの白い獣でも、従者でもない。
男の人だった。
「行こう」
フィリアは顔を真っ赤にしたまま、無言でリュカに手を引かれて歩く。
彼女は急に、手を繋いでしまったことを恥ずかしく思う。
けれど、放してしまったらのちのち悔いてしまうだろうという予感もあって、手を放せない。
「ど、どこへ行くの……?」
「聞いてなかったのか?祭りの終わりに、花火を上げるんだって」
「花火……」
フィリアが見たことのないものだ。
「花火って何?」
「空で破裂させる火薬のことだ。花の形をしているから、とてもきれいなんだ。王宮の近くから打ち上げるらしい」
「へー、そんないいものが」
王宮前は、露店街から流れ来る人々で混雑していた。
聖女と神官。互いの手が、妙に汗ばんで来ている。
だけど、お互いに同じことを考えているのか、やはり手を放せない。
王宮のバルコニーからニナが現れる。
すると市民の熱狂的な歓声が上がった。ニナはバルコニーから寄り添うフィリアとリュカを見つけると、バチっとウィンクをして見せた。
二人はただただ静かに赤くなった。
ニナは手を高々と上げると、パチンと指を鳴らす。
その刹那。
ヒューっという笛のような音と共に、夜空に色とりどりの光が舞った。
遅れて、巨大な破裂音。市民はそれを合図に一斉に沸いた。
フィリアは初めて見る花火の輝きに目を奪われ、あんぐりと口を開けている。
それからは何発もの花火が打ち上げられ、祭りは最高潮に達して行く。聖女祭りは華々しく、その夜を終えようとしていた。
二人のつないだ手は、宿に帰るまでそのままだった。
いつ放そうかとフィリアは戸惑うものの、リュカの手はそんな彼女の戸惑いを見透かしたように、頑なに放そうとしなかった。
我を通そうとする彼の手の力強さに心打たれる反面、フィリアの脳内は沸騰するように、ぐらぐらと混乱し始める──




