10.兎の女王とガールズ・トーク
街の中心部に、兎の里の王宮はあった。
小さな銀鼠色のタイルで壁一面を埋め尽くした、輝くような玉ねぎ頭の王宮だ。
内部は石造りの柱が等間隔にそびえ立つ静かな神殿で、その重々しさは街の喧噪を全て吸収してしまうかのようだった。
「素敵……」
小さく呟いたフィリアを見て、兵士はこらえきれないように破顔する。
「聖女様にそう言っていただけると、千年前の女王も天国でさぞお喜びでしょう!」
「千年前の女王様?」
「千年前の聖女様もここを歩き、女王に謁見したのです」
「そうなのね。私たち、まるで千年前の行動をそのままなぞっているみたい……」
「まあ、そうですが、その……なぞらないようにして行きたいですね。ね?」
兵士の言葉に、リュカもうんうんと頷く。
「そうだな……千年前の聖女様は、今も人間の城塞都市に結界を張っているのだから」
女王の玉座は、石造りの巨大な柱に挟まれた中央にあった。
フィリアは兎の女王を見てぽかんと口を開ける。
女王は、フィリアにそっくりだったのだ。
年の頃も同じくらいであろう。とはいえ、兎族らしく金髪で兎耳を生やしていた。背格好までフィリアとほぼ一緒で、少し恐怖すら覚える。彼女は生き別れた姉妹か、親戚ではないだろうか。
女王は玉座に頬杖をつくと、フィリアを眺め、不敵に笑って呟く。
「ふーむ……そっくりだな」
フィリアはごくりと喉を鳴らし、余りの似通いぶりに、まるで鏡を見ているようだと思った。
「挨拶が遅れたな、聖女様。私はニナ。この兎の里を統べる女王である」
ニナはそう言って、金色の髪をふわりと掻き上げた。
「余りに似ているので驚いたであろう。これはいざという時、女王が聖女様の身代わりになるためなのだ。千年前、伝説の聖女様に一番似ている兎族の女が女王になってからの風習だと言い伝えられておる」
フィリアは次々襲い来る衝撃に、頭がついて行かない。
「昨日、ようやく人間界を追放されたと聞き、楽しみに待っておった。いよいよ癒しの力を得る時が参ったのだからな。我々は、手ぐすねを引いて待っておったのだぞ」
女王ニナはそう言うと、リュカに目で合図する。
「小宴を──と言いたいところだが、幸い明日は聖女祭りだ。祭りに出て、飲食した方が癒されるだろう。そういうわけで、まずは聖女様──温泉に入られてはいかがかな?」
「温泉!」
フィリアは声を上げた。リュカは納得の表情で頷いている。
「入るわ。入ってみたい!」
「ではすぐに入ろう。温泉は王宮内にある。リュカ殿も男湯にて旅の疲れを癒すがいい」
「ありがとうございます」
「では、ここで男湯と女湯に分かれることにしよう」
言いながら、兎耳女王も立ち上がる。フィリアは目が点になった。
「え!?女王様……?」
「私も聖女様と一緒に温泉に入る」
「え、えー!」
「聖女様……知らないのか。温泉に入るだけではだめだ。温泉で更なる癒しの効果を得るには──」
ニナはカッと目を見開いた。
「ガールズ・トークだ!」
「……へっ!?」
フィリアは面食らう。
「ガ……ガールズ・トークって何ですか!?」
「ほう、知らぬのか。女子同士で温泉と言えば、ガールズ・トークと相場が決まっとる!」
「へ、へーえ?」
「まあよい。実際に私と温泉に入ったら分かる……」
「そ、そーなの?リュカ」
リュカは首を横に振った。
「ちょっとそれは……俺にも分かりかねる」
「リュカも知らない癒しのガールズ・トーク……気になるわ……」
ニナはにやにやと狼頭の二人を眺める。
フィリアは温泉の作法を事前にリュカから説明された。
脱衣所で服を脱いだら、お湯で体を流すこと。
先に頭や体を洗っておいた方が、なお良いこと。
温泉は広いが、泳がないこと。
フィリアはその言いつけを守って、全てのミッションを終えた。
フィリアたちが入っているのは、王宮の裏庭に設置された露天風呂だ。源泉かけ流しの湯が石膏の獅子の口から流れ、大理石の湯船から常時溢れ返っている。空を見ながら入れる風呂というものに、フィリアは驚きつつも胸を高鳴らせた。
女王は、既に温泉に浸かっている。
兎耳どうしを結んでいるのが、リボンみたいで可愛い。
「お、ようやく来たか聖女よ」
ニナは裸で嬉しそうに笑った。
フィリアも温泉に浸かると、ニナが背中に回り込んで来る。
「ふーむ。これが、かの紋様か……」
フィリアは空気を読んでじっとする。女王は聖女の背中を見つめると、自身の背中を向けてこう言った。
「聖女様、私の背中も見てくれ」
フィリアはニナの背中を見つめ、ぎょっとする。
そこにはびっしりと紋様が描かれていたのである。
「……これは刺青。にせものの紋様だ。女王になる子女は即位が決まると、これを入れられる決まりがある」
フィリアはどきどきと胸を鳴らす。
「……これとそっくりなものが、私の背中にも?」
「ああ」
「凄い……私、自分の背中を見た事がないの」
「それはまことか?湯から上がったら、合わせ鏡を見るといい」
「私の身代わりをするからとはいえ、まさかこんなことまで……何だか、悪いわ」
「いいや、こっちは好きでやっているからいいんだ。獣人界の更なる発展のためなら、これぐらいは朝飯前だ」
フィリアは感じ入る。
「こんなことまでして……私を守ってくれるのは、なぜ?」
するとニナは恐ろしい言葉を口にした。
「なぜって……人間は、獣人族を滅ぼすために、毎年細菌を撒いておるだろう。それに対抗出来るのは、聖女様の力しかないのだ」
フィリアの息が止まる。
「おや?リュカから聞いていなかったか。人間は手を変え品を変え、獣人族を滅ぼすために細菌を撒いている。去年撒かれた新種の細菌で、我が両親は揃って死んだ。兎に特に効く細菌兵器だったのだ。これでも人口は去年、いつもの半分まで減ったんだ。人間からすると害獣駆除なのだろうが、こっちはたまったものではない」
フィリアは湯に浸かっているのに、心の芯から冷え切って行くような気がしていた。




