待たせて悪かった
「ディアナ嬢、ここで何をしているのですか?」
トビアスの一言で、ディアナは自身の失態に気付いた。
ここは侯爵邸で、夜会の最中だ。
ドレスを着た普通の淑女は、庭の木に顔を突っ込んで魔道具を品定めなんてしない。
つまり、不審者だと思われているのだ。
とはいえ、腐ってもレーメル。
侯爵邸の様子からして魔道具には理解がありそうだし、何とかまともな不審者だと伝えなくては。
「ローク製の最新型の照明魔道具を拝見していました。普段レーメル製ばかり見ているので大変興味深いです。特にこの光源が二つあるところが素晴らしく、魔鉱石の加工が――」
「――あ、あの。魔道具については、結構です」
慌てた様子で話を止める様子を見るに、どうやら若干引いているらしい。
ディアナの周囲は魔道具関係者ばかりだったので、加減がいまいちわからない。
何をしているのか尋ねられたとはいえ、一般貴族の男性に振る話題ではなかった。
何にしても、もっと貴族的なお話をしなければいけない。
……貴族的なお話って、何だろう。
魔道具に浸りきっていたディアナには、結構な難関だ。
とりあえず、淑女は庭に座り込まない気がしてきた。
勢いよく立ち上がってドレスについた葉を叩き落とそうとすると、立ち眩んで足元がふらついてしまう。
ふらりと傾いだところにトビアスの手が伸び、肩を支えられた。
「すみません、失礼致しました」
礼を言って離れようとするが、トビアスがディアナの腕を掴んだせいで動けない。
「手を放していただけませんか?」
「ようやく二人きりになれましたね」
「はい?」
よくわからないまま腕を引っ張るが、トビアスは笑顔のまま手を放さない。
「はじめてお会いした瞬間から、その美しい薄紫色の髪が忘れられません」
「ああ。レーメルの一族は、カラフルな髪色が多いのです。兄の紅の髪も印象的ですよね」
確かに、一般貴族からするとディアナの髪色は珍しいだろう。
そう思って説明しながら腕を引っ張るが、やはり放してくれない。
「そうやって私を焦らしているのですか? 酷い人ですね」
「焦らし……?」
「もう少しご一緒してもよろしいですか?」
謎の言葉にトビアスを見ると、やはり笑顔でこちらを見つめている。
これは、あれか。
もしかして、言い寄られているというやつだろうか。
ララのおかげで上がった女子力の効果、恐るべしである。
だが、結果がこれではあまり嬉しくない。
トビアスは侯爵令息ではあるが、ディアナからすれば兄の仕事先の御子息で、魔道具屋敷の住人というだけだ。
魔道具の案内をしてくれるというのならともかく、この様子では一緒にいるとよろしくないことになりそうだ。
さて、どうしたものか。
腕を振り払うなり、ひっぱたくなりすれば、逃げられる気もするが、侯爵令息にそれはまずいだろう。
かといって、このままではさらにまずい気がする。
ここは穏便かつ確実な逃げ道が必要だ。
「私、人を待っていますので」
先程挨拶したので、ロヴィーが一緒にいることは知っているだろう。
暗にもうすぐロヴィーが来るとほのめかしたつもりだったのだが、やはり腕を掴む力は緩まない。
「『レーメルの奇才』殿は、離れの魔道具を確認しに行ったので、暫くは戻りませんよ」
離れというからにはそれなりの距離なのだろうが、それにしたって失礼な話だ。
「兄の腕は一流です。そんなに時間はかかりません」
ロヴィーの腕を過小評価されたことに少し怒りを見せると、トビアスは目を丸くし、次いで笑った。
「そういう意味ではありませんよ。あなたとの時間は確保したということです」
「……兄をわざと連れ出したのですか?」
自身の眉間に皺が寄るのがわかる。
無言で笑みを返すトビアスを見て、更に眉間の皺が深まった。
すぐに腕を振り払おうとするが、今度は反対の手も押さえられてしまう。
「放してください」
完全に身動きを封じられてしまい、さすがに怖くなってきた。
だがそれを悟られるのも癪なので、精一杯トビアスを睨みつける。
「そんなに怖がらなくても。少しお話をしたいだけですよ」
「――嫌がる女性の手を掴んで放さないなんて、紳士の行動じゃないな」
突然の第三者の声に驚いて視線を動かすと、そこには黒髪の美少年が立っていた。
「君には関係ないでしょう。何の用ですか」
トビアスが少年に向き直ったせいで、腕を掴まれているディアナは引っ張られて危うく転びそうになる。
ここで転んだらドレスは汚れ、ララのお説教待ったなしだ。
ディアナは腹筋と背筋を総動員して、どうにか転倒を回避する。
「待ち合わせだよ。彼女と。――待たせたね」
若草色の瞳と目が合うと、ディアナに向けてウィンクをしてきた。
よく見てみれば、さっき女性を侍らせていた美少年ではないか。
知人でもないし、もちろん待ち合わせなどしていないが、これはもしかして助けようとしているのだろうか。
「ま、待ちくたびれました」
ディアナの必死な様子に気付いているのかいないのか、少年は口元を綻ばせている。
「座り込んで魔道具を見るほどだからね。……待たせて悪かった」
まるで本当に待ち合わせをした親しい間柄かのように、優しく微笑む。
その笑顔に、ディアナの鼓動が跳ねた。
――恐ろしい。
こうやって女性達を侍らせているのか。
領地にはいなかったタイプだ。
王都って、恐ろしい。
ディアナが感心しつつ恐れている間に、少年はトビアスの手を外し、ディアナを背に庇う形になっていた。
「それで。彼女に何の話があるんだ?」
少年が尋ねると、トビアスは忌々しそうにひと睨みし、やがて屋敷の中に戻って行った。







