初恋の記憶が曖昧です
「綺麗だよ、ディアナ」
夜会に参加するべく馬車で移動中から、満面の笑みを浮かべたロヴィーが、何度も何度も賛辞を贈ってくる。
「ララのおかげよ。女子力って恐ろしいわ」
ディアナを磨くと宣言したララは、その日からすぐに動き出した。
髪を梳く、香油を塗るのはもちろん、肌の手入れから化粧、食事に至るまで事細かに手を加えたララは、締めくくりとばかりにこのドレスを用意した。
ミントグリーンのドレスは明るく華やかで、フリルやレースは控えめだがその分たっぷりと使った布のドレープが美しい。
手袋と真珠のネックレスの白も爽やかで、実に清楚な印象だ。
髪は緩く結い上げ、数粒の真珠を散りばめてある。
華美な装飾が苦手なディアナの好みを考慮した、非の打ちどころのない装いだ。
「このドレスは好きだけれど、せっかくならララが着た方が可愛いのに」
「ララももちろん可愛いけれど、このドレスはディアナによく似合っているよ。この会場で一番綺麗なのはディアナだ。自信を持って」
「そういう言葉は、他の女性に言ってよ」
「言うべき対象が見つからない」
「少しは探そうとしてよ」
姉妹への愛が深すぎる兄の様子にため息をつくと、ディアナは周囲を見渡した。
テイセン侯爵邸には既に多くの人が集まっており、賑やかだ。
領地とは規模の違う集まりに既に少し疲れ気味だが、最新型の魔道具を見るまでは帰れないので気合を入れる。
「テイセン侯爵は屋敷に照明の魔道具を取り入れていてね。魔力の補給によく来るんだ」
魔道具は魔力を込めた魔鉱石を動力にするので、魔力の補給が必須。
一族皆カラフルな髪色の通り魔力量に恵まれていることもあり、この魔力の補給がレーメルの得意技だ。
たいしてロークの方はシンプルで機能的な魔道具の量産に長けている。
同じ魔道具製作の一族とはいえ、そのあたりの住み分けができているのだ。
「お初にお目にかかります。ディアナ・レーメルと申します」
テイセン侯爵夫妻とその子息に礼をすると、三人は何やら感嘆の息を漏らした。
「妹と言うからあの栗色の髪の子かと思ったら……まさか、『レーメルの魔女』に会えるとは思わなかったよ。しかも、こんなに美しいお嬢さんだとは」
さすがは魔道具を取り入れているだけあって、『レーメルの魔女』の名を知っているらしい。
それにお世辞だとしても、ララが全力で着飾ってくれたのを褒められるのは嬉しい。
侯爵に笑みを返すと、何故か隣の侯爵令息がしきりに話しかけてきた。
ただ、すべての質問にロヴィーが先に答えるので、一言も話す機会はない。
恐らくロヴィーのシスコンが暴走しているのだろうが、侯爵令息と親睦を深める気もないのでちょうどいい。
笑みを浮かべつつ時々うなずくことでその場を乗り切ると、ディアナはため息をついた。
侯爵への挨拶を終えてお腹が空いたが、久しぶり過ぎてコルセットがつらい。
仕方ないので飲み物で我慢するしかない、と林檎のジュースでのどを潤すが、お腹は満たされない。
目の前に美味しそうな食事があるというのに、何て切ないのだろう。
もう、早く帰ってコルセットから解放されたい。
世の女性は、この苦しさの中笑顔を振りまいているのだから凄すぎる。
会場を見渡し、華やかな女性達に尊敬の眼差しを送っていると、ふと女性達に囲まれている少年が目に入った。
黒髪の長身で、遠目にもなかなか整った容姿なのがわかる。
そう言えば、初恋のユリウスもそんな色合いだったような気がするが。
……駄目だ、記憶が曖昧だ。
黒髪で……確か若草色の瞳だった気がするが、もう顔は朧気にしか思い出せない。
初恋が聞いて呆れるが、十年も経っているのだからこんなものだろう。
「ロヴィー様、失礼します」
ディアナと並んでジュースを飲んでいたロヴィーに、侯爵家の使用人と思しき男性が何やら耳打ちしている。
「わかりました、伺いましょう」
返答を聞いた男性が礼をして下がると、ロヴィーは手にしていたジュースを飲みほした。
「ディアナ。どうやら魔道具の調子が悪いみたいなんだ。少し見てくるよ」
「なら、私も行くわ。暇だし」
「いや、ドレスを汚したらララに怒られる。この会場内で待っているんだよ?」
「……はあい」
せっかくの魔道具チャンスだったのに残念だが、確かにこれでドレスを汚して帰ったらララが怖い。
仕方なくロヴィーを見送ると、会場を見渡す。
「あ! ローク製の照明魔道具がどこにあるのか聞けば良かった……」
会場の煌びやかなシャンデリアはレーメル製の物なので、特に見る必要はない。
玄関アプローチの照明も違ったし、後は庭だろうか。
グラスをテーブルに置くと、庭へ出るべく会場を横切った。
「わあ、綺麗なお庭」
さすがは侯爵家、色とりどりの花が咲き乱れ、それを優しい光が照らしている。
「夜の庭のライトアップだなんて、素敵ね。どれどれ、どんな魔道具かしら」
ドレスの裾が汚れないように気を付けながら、庭木の前にしゃがみこむ。
木の根元に隠されるように設置されていたそれは、確かにディアナの見たことのない魔道具だった。
「私が知らないんだから、やっぱりローク製よね。この無駄のないシンプルな長方形は、ロークっぽいわ」
さすがに勝手に取り出して見るわけにもいかず、庭木の間に顔を突っ込む形になってしまうが、ためらいはない。
「ガラス面が滑らかね。それに、光源が中に二つあるわ。なるほど、これで色の微調整をしているのね」
「……あの」
「ということは、魔鉱石は二つ使用しているのかしら。あるいは、二種類の魔力を込めているのかもしれないわね」
「あのー」
「となると、魔鉱石の基本の加工から考え直した方がいいわね。これは試してみる価値ありだわ」
「――あの!」
大声に気付いたディアナが庭木から顔を引っこ抜くと、葉っぱが数枚あたりに散らばる。
そこには先程挨拶をしたトビアス・テイセン侯爵令息が立っていた。
次話、噂のあの人が登場予定です。