ちょっと待って
「……寝たふりどころか、熟睡したわ」
ディアナが目を覚ますと、既にロヴィーの姿はなかった。
窓の外はまだ薄暗く、夜明けまでは時間があるだろう。
時間としてはそれほど経っていないのだろうが、深い睡眠でかなり体が軽くなっていた。
湯を使って体を清め、いつもの簡素な恰好に着替え、作業用の眼鏡をかける。
身支度を整えると、ベッドの後ろから引っ張り出した鞄に荷物を詰め込む。
まだ多少目が回るが、激しい動きをしなければ問題ない。
もう少しで夜が明けて空も明るくなるだろうから、そうしたら馬車で領地に出発しよう。
荷造りを終えて鞄を閉じると、扉をノックする音が聞こえた。
さすがに湯を用意したり動き回ったので、起きているのがわかったのだろう。
使用人に何か手伝うことはないか聞かれたので特にないと断ると、それなら応接室に来て欲しいと告げられた。
「……兄様ったら、まだ引き留めるつもりかしら」
無視して準備を続けてもいいのだが、当主の代理を務めているロヴィーに本気で邪魔をされると面倒だ。
ここは、先に話をつけた方がいいだろう。
そう思って応接室の扉を開けると、ソファーには黒髪に若草色の髪の美少年が座っていた。
……よくわからない。
よくわからないが、これは――駄目なやつだ。
一瞬で判断を下したディアナは、素早く扉を引っ張ってを閉めようとした。
「――ち、ちょっと待て!」
慌てた声と共にユリウスが扉にたどり着き、ディアナとは反対に部屋側に引っ張って扉を開けようとする。
「待たない!」
「だから、待てって!」
必死に扉の取っ手を引っ張ったが力の差は歴然で、競り負けたディアナは扉と共に勢いよく部屋の中に飛び込む形になった。
あまりの勢いにつんのめって転びそうになるが、横から伸びた腕にすくい取られるようにして支えられた。
抱きかかえられていると言ってもいい状況に気付いて慌てて離れようとすると、今度は腕を掴まれる。
「放して!」
「座って話をするなら、放してやる」
「座らなかったら?」
「攫う」
とんでもない二択に、腕を引っ張るのも忘れてユリウスを見返す。
一体、どんな選択肢なのだ。
――鼻血が出そうではないか。
固まるディアナを見ると、ユリウスは若草色の瞳を細めてにやりと笑った。
からかわれたのだと気付き、頬がカッと熱くなるのを感じる。
「大体、何でここにいるのよ。それも、こんな時間に」
ライバル関係のロークの人間がレーメルの屋敷にいること自体が、ありえない。
しかも、まだ夜明け前という非常識にもほどがある時間だ。
「ロヴィーさんに聞いた。『ディアナは朝一番に領地に出発するつもりだ。何なら、夜明けと共にどころか、夜中に出掛けかねない』とな」
「何で、兄様が?」
ロークを特にライバル視しているロヴィーが、わざわざユリウスに連絡して屋敷に呼んだということだろうか。
俄かには信じがたい。
考え込んでいると、ユリウスがディアナの腕をそっと放した。
「とりあえず、一発ぶん殴っておいた」
「――何で?」
突然の兄への暴力宣言に混乱するディアナに、ユリウスは不満そうに眉を顰める。
「指輪のことは聞いた。ロヴィーさんにも、何度も謝られたよ。俺のことはどうでもいいが、ディアナが危険な目に遭ったんだ。それくらい当然だ。……本人も、それを望んでいたしな」
そう言えば、ロヴィーはディアナにも殴っていいと言っていた。
ディアナが寝た後に行くところがあると言っていたのは、ユリウスのところだったのか。
「さすが『レーメルの奇才』はおかしなものを作ると思ったが……『レーメルの魔女』の魔力のせいで、更におかしなことになっていたみたいだな」
「うん……うん?」
――ちょっと待て。
それを知っているということは。
嫌な予感に、血の気が引いていくのを感じる。
「俺にときめくと、静電気と火花を放って爆発するんだって?」
――はい、終了。
すぐさま扉に向かって取っ手に手をかけると、同時にユリウスの手が取っ手に伸びた。
手前に引っ張って扉を開けようとするディアナと、扉を押して開かないようにするユリウス。
力の差がある上に、押すよりも引く方が不利だ。
あっという間に力尽きたディアナは、ソファーまで後退させられてしまう。
扉攻防戦のせいでくらくらと目が回ってしまい、ソファーに座るとそのまま倒れこんだ。
「……ちょっと待って。休憩」
そう言えば、魔力を枯渇させたのだった。
少しは寝て回復したとはいえ、さすがに普段通りとはいかない。
眩暈のせいで気分が悪くなり、目を閉じたまま荒く息を吐いた。
「大丈夫か? まだ魔力が戻っていないだろう?」
ユリウスの労わるような声を聞いただけで、少し回復した気がするのだから、我ながら現金なものだ。
「横になればとりあえずは落ち着くわ。……だから、帰って」
「馬鹿を言うな。今帰ったら、ディアナは領地に行くだろう」
「行くわよ。それが何?」
ゆっくりと目を開けて見ると、若草色の瞳がディアナを見下ろしていた。
「前にも言っただろう、待っていられないって」
「そこは待ってよ。十日でいいから」
「十日で何をするんだよ」
「心穏やかに、気持ちを漬け込むの」
すると、答えを聞いたユリウスがため息をついて、ディアナが倒れこんだソファーの足元に座った。
「漬け込まれて、しまわれたらかなわないから。駄目」
「……だって、そうしないとユリウスに迷惑じゃない。私のこと、嫌いでしょう?」
「――はあ? 何でそうなるんだよ」
声を荒げると同時にユリウスの体が動き、ソファーに伝わる振動のおかげでまた少し眩暈がする。
「だって、指輪をトビアス様に貰っただろうって。違うって言っても話を聞いてくれなかったし。目も合わせてくれなかったし。……私のこと、信じられないんでしょう? 話もしたくないくらい、嫌なんでしょう?」







