一か八か、やってみます
「お帰りなさい、姉様! どうでした……」
飛び出してきたララの顔が、どんどん曇っていく。
恐らく今、ディアナは泣きそうな顔をしているだろうから、ララからすればわけがわからないはずだ。
「……姉様、どうしたのですか?」
「例のアレ、言わなくていいわ」
「え?」
「……自分で言う」
「え? ちょ、ちょっと、姉様?」
ララが何か言っていたが、答えることなく通り過ぎる。
そのままドレスを脱ぐと、真っ白な陶器のバスタブにお湯を張り、体を沈めた。
温かいお湯に入っているはずなのに、体が全然温まらない。
「十年越しの二度目の初恋が、二度目の失恋……か」
誤解が発端とはいえ、ユリウスはディアナのことを信じられないのだから、どうしようもない。
好きな人に嫌な思いをさせたいわけではないから、きっと諦めるべきなのだろう。
だが、その前にやらなければいけないことがある。
今のユリウスは、もうディアナのことなどどうでもいいのだとしても、十年前のユリウスに真実を伝えたい。
そうして、きっぱりとユリウスのことを忘れて、領地に帰ろう。
『レーメルの魔女』として、一生を魔道具に捧げて生きる。
それでいい。
……それで、いいのだ。
「全然、温まらないわ……」
ずるずると体をずらして、頭までお湯に沈める。
顔が濡れているのは潜ったからで、目が赤いのは石鹸がしみたから。
だから、大丈夫。
自分にそう言い聞かせると、ディアナはバスタブからゆっくりと出た。
あまり眠れないまま朝を迎えると、まだ暗いうちにロヴィーの部屋を訪ねる。
ロヴィーは魔道具研究馬鹿だが、夜更かし型ではなくて早朝型だ。
扉をノックしてみると、予想通り既に起きて作業をしていたロヴィーが出迎えてくれた。
「朝早くからどうしたんだい? まだ指輪を外す効果的な方法は見つからないんだ」
「それは、いいの。……王都で一番多くの魔道具を設置しているのは、王城よね?」
「ん? まあ、そうだね」
ディアナのためにお茶を用意しながら、ロヴィーはうなずく。
「魔力補給作業をしたいの。手配してもらえる?」
「それは簡単だし、寧ろ喜ばれるだろうが。……急にどうしたんだ?」
「けじめをつけようと思って」
ロヴィーは紅茶を差し出すと、自身もソファーに腰かけ、小さく息をついた。
「……指輪のこと?」
「ええ。魔力を枯渇させれば外せるのなら、魔力補給作業をするのが効率がいいわ」
魔力を枯渇させるなら、放出させて減らせばいい。
理屈では簡単なことだが、実はそう単純な話でもない。
何の目的もなくただ魔力を出し続けるということはかえって難しく、少なくともディアナにはできないのだ。
となれば魔力補給作業をするのが確実なのだが、ディアナは仮にも『レーメルの魔女』と呼ばれる魔力の持ち主。
そこらの屋敷の魔道具では、到底魔力の枯渇に至らないであろうことは予測できた。
「ごめん、ディアナ。俺のせいだ。ディアナを守ろうと思って作ったのに……苦しめてばかりだな」
ロヴィーがしょんぼりと頭を下げるのを見て、思わず苦笑する。
「そうね、兄様の指輪のせいだわ。……でも、遅かれ早かれ同じようなことは起きたのよ、きっと。だから、いいの。ちゃんとけじめをつけて、それで終わりにするから」
「でも、ディアナ」
「お願い、兄様」
じっと藍色の瞳を見つめると、ロヴィーは暫しの逡巡の後にうなずいた。
「……わかったよ。それでディアナの気が済むのなら、王城に話は通しておく。でも、体調に変化が出るようなら、すぐにやめるんだよ? 俺は午前中に手が離せない仕事が入っているけれど……できるだけ早く、迎えをやるよ」
「うん。ありがとう」
ロヴィーならばディアナの魔力を理解しているし、『レーメルの奇才』でありレーメル子爵の代理として王城に出入りしているので、話が早いだろう。
安心してソファーを立つディアナに対して、ロヴィーの表情は浮かない。
「無理はしないで、ディアナ。方法は他にもあるかもしれない」
「うん。……行ってきます」
そう告げて、ディアナは王城へと向かった。
ユリウスに好意を伝えるにしても、現状では静電気と火花と爆発をお見舞いして負傷させるだけだ。
――魔力補給作業で魔力を枯渇させ、男除指輪を外す。
これが成功すれば、ユリウスを危険な目に遭わせることはないし、ディアナがときめこうとも迷惑をかけない。
上手くいく保証はないが、もうこれにかけるしかない。
王城の設備を担当する役人二人に案内されながら、ディアナは腹を括った。
役人の説明を聞きながら、魔道具の設置位置がわかる図面に目を通す。
今日は魔力補給作業をし続けると決めて家を出たので、もとより作業用眼鏡もしていない。
あとは、魔力を飛ばすだけだ。
左手を握りしめて胸に当て、目を閉じて細く息を吐き、集中する。
魔力を、ぐるぐると巻いていくつかの塊にするイメージを浮かべた。
魔道具と同じ数の光の玉を作り上げると、ゆっくりと目を開け、図面を思い浮かべながらそれらを飛ばす。
魔力の玉は光の尾を引いて移動して、箒星のように美しい。
一連の作業を流れるようにこなすと、役人からため息が漏れた。
初めて見たらしく、一人は拍手までしている。
一般的な魔力補給は直接手をかざしてひとつひとつ行なうものだから、珍しいのだろう。
今、魔力補給をした魔道具は、十。
深呼吸ひとつで落ち着く程度の疲労だ。
ディアナは役人二人と共に、王城を歩き回って魔力補給を続ける。
何か所か回っている内に、二人だった役人がいつの間にか五人になり、気が付けば野次馬が覗くようになっていた。
レーメルの人間は魔力が豊富だが、こうして魔力の遠隔補給をするのはディアナの他に数名だけ。
しかも、ここまで連続で行なうことはないので、ちょっとした見世物の様な扱いらしい。
最初の内は役人に頼んで人を遠ざけてもらったが、何せ王城には沢山の人が働いているし、やって来る貴族だって多い。
とてもさばききれないので、諦めて放置することにした。
一部屋終わるごとにぞろぞろと見物客を引き連れて移動するのには違和感があるが、もうどうしようもない。
いくつかの広間の魔力補給を終わらせると、さすがに足元がふらついてきた。
少しの期待を込めて指輪に触れてみるが、びくともしない。
どうやら、まだまだ魔力の枯渇には程遠いらしい。
最悪、魔力が枯渇しても指輪がとれないという可能性もゼロではない。
だが、一か八か、今はやってみるしかなかった。







