望まぬ再会、望まぬ誤解
「……何か御用でしょうか」
またかと思いつつ一応聞いてみると、トビアスは笑顔を向けてきた。
「前回は邪魔が入ってお話しできませんでしたから。是非、御一緒したいと思いまして」
どうやら今日もララによる偽装女子力は絶好調らしく、トビアスはすっかり騙されているようだ。
無視してもいいが、トビアスは侯爵令息だし、できれば穏便に済ませたい。
「それは光栄ですが、連れがおりますので」
やんわりと断りながら手を外そうとするが、びくともしない。
思わず睨みつけると、何故かトビアスは嬉しそうに笑っている。
「ああ、やはり美しい髪ですね。王城の魔道具に魔力を補給した話は伺っていますよ。光る魔力の玉に照らされて薄紫色の髪も輝き、あなたはとても美しかったと」
王城で魔力を補給というのは、ロヴィーに連れられて行ったローク三兄弟のいた現場のことだろう。
だが、あの場にいたのはローク関係者と王城の担当者くらいだったと思うのだが。
どうして侯爵令息のトビアスにまで、話が届いているのだろう。
それに、相当割増ししたお世辞が混ざっているのが気になる。
「何故、その話をご存知なのですか」
「あなたのことですから」
「……はあ」
これは恐らく、前回に引き続き言い寄っていると思っていいのだろう。
ディアナの何かが都合がいいのかもしれないし、物珍しいからちょっかいを出しているのかもしれない。
あるいは本当に好意があるという可能性もゼロではないだろうが、何にしても同じことだ。
こうして手を握られ、好意をほのめかすかのようなことを至近距離で囁かれても、男除指輪は無反応。
つまり、欠片もときめかない。
ディアナが好きなのはユリウスで、トビアスに何を言われても心に響かず、言い寄られたとしてもうっとうしいだけである。
――これは、間違いなく無駄な時間。
ディアナの中で結論が出ると、この場から離れるべく手をぶんぶんと振るが、一向に離れない。
「お話することはありません。もう戻るので、手を放してください」
「つれないですね。……ではせめて、この手に口づけることをお許しください」
「え?」
何を言われたのかわからずにいると、ずっと握られていた左手にトビアスがさっと唇を寄せた。
「――な、何をするんですか」
思わず左手を引くと、今度は簡単に振り払う事ができた。
指に残る感触が気持ち悪くて、思わず右手で左手を擦りながらトビアスを睨みつける。
すると、何故かディアナの背後に向かって笑みを浮かべた。
「こんばんは、ユリウス・ローク。いい夜ですね」
弾かれるようにディアナが振り向くと、そこには若草色の瞳の美少年が眉を顰めて立っていた。
「……帰るぞ、ディアナ」
「え? あ、うん」
「またお会いしましょう、ディアナ嬢」
ユリウスに手を引かれ歩き出すと、背後から声がする。
歩きながらちらりと振り返ると、トビアスは笑顔のままこちらを見ていた。
そのまま馬車に乗り込むと、出発する。
ユリウスは歩いている間も、馬車に乗ってからも一言も話さないし、目を合わせない。
よくわからないが、御機嫌が斜めなのはわかる。
またトビアスにつかまっていたディアナに、呆れているのだろうか。
今回は庭に一人で出たわけではないし、そんなに問題はないと思うのだが。
「……あの」
「ディアナは、あいつが好きなのか?」
話を遮るように問われ、何のことかわからずにディアナは数回瞬いた。
「あいつ?」
「トビアス・テイセン」
フルネームを出されて、ようやく何を訊ねられているのかを理解し、慌てて首を振った。
「まさか。全然」
だが否定したのに、ユリウスの眉間には皺が寄ったままだ。
トビアスなんて好きどころか、うっとうしいに分類される人物である。
ディアナが好きなのはユリウスだけだ。
自分の中で出た結論に何だか恥ずかしくなってきた。
ユリウスと二人きりで馬車の中にいるのだから、ときめいてはいけない。
左手の指輪を撫でると、自身の心を落ち着けようと深呼吸をする。
「……その指輪」
「え?」
ユリウスの視線の先にあるのは、ディアナの左手小指に嵌められた男除指輪だ。
「あいつに貰ったんだろう?」
「え? これは違うわ」
「さっきも、トビアスはその指輪にキスしてたしな。……悪かったな、邪魔をして」
トビアスがキスしたのは左手の甲であって、指輪ではない。
だがユリウスは、この指輪の送り主がトビアスだと思っているようだ。
そして口振りからすると、ディアナが好意を持っていると思っているらしい。
「私は」
「今日もずっと、その指輪を見てはため息をついていたもんな。……無理に誘って悪かった」
「ち、違う……」
指輪はロヴィーの作った魔道具だし、半ば呪い状態だし、トビアスは無関係で、ユリウスに誘ってもらって嬉しかった。
そう伝えたかったが、ユリウスの硬い表情を見て言葉がしぼんでいく。
説明をするのなら、ディアナの好意を伝えるべきだろう。
しかし、それをすれば間違いなく男除指輪が作動するし、この密室ではユリウスへの被害は免れない。
そして、そんな実害以上にディアナの心が揺れたのは、ユリウスの態度だ。
ディアナはユリウスに好意を伝えられていない。
だが、ユリウスの気持ちを聞いたうえで、ずっと一緒に過ごしている。
少なくとも、嫌いならそんなことはしない。
それなのに、トビアスに指輪を貰って、彼のことが好きなのだろうとユリウスは言った。
怪しく見えるような素振りを取ってしまったのなら、ディアナが悪いのかもしれない。
だが、ユリウスはディアナのことを信用していない、ということでもある。
好意を伝えもせずに何を信用しろと言うのだろう、と心の中で反論する自分がいる。
だが、それ以上にユリウスに疑われたという事実、信用されていないという事実に、心が凍り付きそうだった。
涙が溢れてきそうになるのを、唇を噛んでじっとこらえる。
今、口を開いたら、間違いなく泣いてしまう。
互いに無言のまま馬車はレーメル邸に到着し、御者が扉を開ける。
何か言わなければと思いユリウスを見たが、視線どころか顔ごと背けられているのを見て、心が挫けた。
結局何も言わぬままに馬車を降りると、ディアナはそのまま屋敷に戻った。







