戦国時代は食材とも戦わないといけない件
永禄12年4月11日今井宗久宅
俺は、饗応役を仰せつかった丹羽長秀殿とともに堺の商人今井宗久の屋敷に来ている。食材を探すためだ。
何か目新しいことをするといってもイベントで新しいことというのは難しい。下手なことをして滑っては信長さまの顔をまる潰ししかねないからだ。
簡単に目新しさを求めるなら料理であろう。―ズバリ、西洋の要素を取り入れた料理。
ただし、全てを西洋式にするのもアウトかな?テーブルマナーなども全く違うし、フォークやナイフを使う習慣も日本にはないのだから。
目指すは日本的でありながら西洋の影響を受けた料理。戦国時代の人間が「こんなの初めて」と驚嘆する料理である。
まず、日本の格式に則るべく今井宗久殿と丹羽殿からそれを学んだ。丹羽殿も宗久殿も親切に教えてくださった。
宴会の時の料理は〝本膳料理〟というらしい。
その様式に則って洋風のものを出そうという趣向なのだが…。これがなかなか難しい。
コンソメスープを出そうと思ったら玉ねぎがない。
(ポルトガルと言ったらカステーラ〝カステラ〟だろ)と思ったら、カステラに入れる牛乳が日本では悪魔のごとく忌み嫌われていた。と、ルイス・フロイスの記憶にあった。蘇っていうチーズみたいな食べ物もあったように思うのだが…。
(テンプーラ〝天ぷら〟はどうか?)と思った。できることはできる。けど、考えてみたら2日つづきの宴会である。天ぷらは重かろう。
天ぷらの出汁に入れる醤油もない。(正確に言えばたまりと呼ばれる醤油の原型ならある)
そして、出席者の出身地がバラバラであること。これが最大の難関だ。浅井長政は近江、徳川家康は三河などと味付けが異なる地域の大名が参加するのだ。
明智光秀は徳川家康の接待を任され、贅を極めた京風の味の薄い料理を出したら二つの点で信長さまに激怒されたという。
一つ目は味が薄いこと。徳川家康は中部地方出身で濃い味付けが好み。京風の薄い味付けは馴染まない。
二つ目は、贅を極めすぎだということ。官位や領土が下の徳川家康をこんなに接待するならもっと官位が上の人や天皇陛下はどう接待するのかと
味付けの問題をどうするか…。これは、旨味を生かそうか。宴会2日目という問題もある。宴会疲れの体に染み渡るような旨味のある料理を出してやろう。
「西洋風の料理を本膳料理にしたてて出したいと思いますがどうですか?」
丹羽殿と、今井殿にはかる。
「それは結構ですな」
丹羽殿は当たり障りのない笑顔で答えてくださった。
「ふーむ…。どんな料理でっか?」
今井殿は、慎重な面持ちで尋ねた。慎重なのは自分も関わっているためか。取引先の面目を潰すわけにはいかないものな。
俺はこれに答えるために仮のメニューを考える。例えば
…。
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本膳
・汁物―宴会疲れに飲むものとしてはしじみの味噌汁と行きたいところだが…。しじみは旬を外している。では、アサリはどうか?知識の神オモイカネの出番だ。検索した結果…アサリにも2日酔いに効くタウリンが豊富にあるようだ。そして、今が旬。だが、味噌汁にしたらおもしろみがない。洋風にしたてよう。〝アサリとネギのコンソメ風スープ〟
ただし付き人など身分の低いものたちにはアサリの味噌汁を出す。付き人の分までコンソメ風に仕立てるには手間がかかりすぎる。
・膾―これも、健康の為にきゅうり揉みのような形で出したいが…。きゅうりがない。食用の瓜で代用しよう。そして魚だが、今が旬で京都で手に入りやすい魚…鱒はどうだ?
〝鱒と瓜の酢の物〟
・香の物―これは京漬物でよかろう。大根、こんぶ、赤カブあたりの漬物。
・ご飯
・煮物―鯉の角煮。
二の膳
・汁物―鯛のすまし汁
・平―季節野菜の炊合せ
・猪口―ほうれん草のお浸し
三の善
・汁物―ポートワイン
・坪―チキンの香草焼き。味噌仕立てのタレをお好みで。ハーブは宣教師が持ってる薬草の扱い。宣教師から入手。
・小付―枇杷シロップの寒天、枇杷のコンフォート添え。江戸時代にできるはずの寒天料理を白ワインで甘さ控え目で大人びた味に仕立てる。
与の善
・スモークチキン。桜チップでスモークしたチキン。お持ち帰り用。
五の善
・枇杷餡で作った羊羹。お持ち帰り用。季節の花を添えて
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「こんな感じなのですが…」
俺がそういうと
「いい感じですな。作ってみましょう。材料集めが大変そうでございますが…。」
宗久殿はそう答えた。
なるべく戦国時代でも手に入りやすい食材を吟味したつもりだが…。胡椒、ハーブ、砂糖は高くつきそう。ポートワインや白ワインもか。あとは新鮮な魚の手配と管理。大変すぎる!
戦国時代、饗応もまた、戦かな。
♠️ 永禄12年4月16日本能寺
この日二条城にて、二条城の完成式典が行われた。
どこの馬の骨ともわからない異国人たる俺は、当然出席できない。
集まったのは、細川藤孝や畠山招高、赤松政秀、一色藤長などの室町時代からの名門守護大名家の者たちや足利氏とゆかりのある公家衆たち。そして、織田信長、浅井長政、徳川家康などの戦国大名たちだ。
注意しないといけないのは、席次。浅井長政の席次を京極家の陪臣として格下の扱いをしていたから、浅井家中の者達が怒ってこの祝宴に浅井長政を出席させなかったという経緯がある。
そこから浅井との仲が悪化するんだよなぁ。
そのことは信長様に伝えておいた。そのため、今回はその不手際もなく浅井長政もきちんと出席している。
招待されたにもかかわらず参加しなかったのは、六角義賢、朝倉義景など。
これだけの面子で行われる宴がどんなものなのかは想像もつかないが、義昭公が催した宴では能が披露されていたという記述が信長公記に記されている。
「能を13番までやりたい」と義昭公が要望したら、信長様は「まだ、機内も平定してないのに13番もやってる暇はない。5番で十分です」と諌めたという。
またある時の宴では、義昭公は自分の父として敬うと誓った信長様に敦盛の幸若舞を踊るよう命じたという。
これらのエピソードを見るだけでも、15代将軍足利義昭公主催の宴は信長様にとって愉快なものではないと察してあまりある。
もう一つ信長様にとって今回の宴が不愉快な点は、朝倉義景等の不参加であろう。
将軍家の招待に応じないというのは不敬。将軍家にだけでなく将軍家を後見している織田信長に対する反抗に等しいからだ。
再三の上洛要求をあーだこうだ理由をつけて断っている大名達は、いずれ討伐の対象となろう。それまでに鉄砲の改良を済ましておきたいところなのだが…。
今は、明日行われる身内相手の宴会を成功させないと…。
しかしながら、食材集めは難航している。
一番の誤算は白ワインであった。戦国時代といえば赤ワインで、白ワインのイメージがないということは気になっていた。
白ワインを手に入れてみるとその理由がわかる。ボトリングの技術が悪く、アルコールがすぐに酢に変質してしまうのだ。
白ワインだと思って開けてみたら酢の匂いがして、舐めてみたら酸っぱいワインビネガーになってるとわかった時は焦った。大笑いである。
ワインビネガーはまた、何かの機会のための料理研究に使おう。健康に良さそうだし。
枇杷のコンフォートには日本の米の酒を使う。(日本酒と言えるほど澄んでない奴。)
赤ワインなら大丈夫な理由は、この時代に日本で流通してるのはただの赤ワインではなく、赤ワインの発酵途中にブランデーを加えたアルコール分のしっかりしたブレンドワイン―ポートワインだからだ。アルコール分がしっかりしてるので、変質しにくいというわけ。
決まっていなかった季節の花や、季節の野菜は菜の花を使うこととする。
寒天は季節柄、作れなかったのでところてんに変更。
よって正式なメニューは以下の通りとなった。
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本膳
・汁物―〝アサリとネギのコンソメ風スープ〟
・膾―〝鱒と瓜の酢の物〟
・香の物―京漬物。大根、赤カブの漬物。
・ご飯
・煮物―鯉の角煮
二の膳
・汁物―鯛のすまし汁
・平―たけのこと菜の花の炊き合わせ
・猪口―菜の花のお浸し
三の善
・汁物―ポートワイン
・坪―チキンの香草焼き。味噌仕立てのタレをお好みで。
・小付―枇杷シロップのところてん、枇杷のコンフォート添え。
与の善
・スモークチキン。桜チップでスモークしたチキン。お持ち帰り用。
五の善
・枇杷餡で作った羊羹。お持ち帰り用。菜の花を添えて
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不機嫌で帰ってくるであろう信長様にデザートを味見して頂こう。信長様は甘党だとの噂なので甘いものを出したら機嫌が治るかも。ハーブティもいれようか…八つ当たりは勘弁してほしいですけど。それはしない約束ですし。
三の善は汁物にポートワイン、小付にデザートを持ってくるあたり相当ぶっ飛んでる気がします。伝統を重んじる方、ごめんなさい。他のメニューは三角食べが基本ですが、三の善は三角食べできませんので小付は最後にお召し上がりください。