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ルイス・フロイス天道記〜Historia de Japon  作者: アサシン
領地経営から始める戦国攻略
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長篠・設楽ヶ原の戦い6

♠️天正3年5月初旬・断上山


 武田の左翼部隊が敗走したことで、織田・徳川連合軍は攻勢に出た。


 こちらの左翼部隊は、すでに柴田隊・羽柴隊など8千人の兵が武田軍の中央の部隊の側面を突いている。


 中央の部隊はミニエー銃で相手の正面から猛射を加えていたが、7千人の兵を抽出して直接攻撃を加えることに転じた。


 武田軍は、馬場隊、真田隊・土屋隊・甘利隊などを中心によく耐えていたが…



 そこに、織田・徳川連合軍の右翼の部隊・7千人が側面をついたことで、やっと武田の中央の陣形が崩れ始める。


♠️武田本陣(式神視点)


 お互いに血まみれ・泥まみれになりながらの乱戦の中、武田の本陣には山県昌景・武田信廉・小幡貞政らが戦況報告に来ている。


 総覆輪の星兜をつけた武将・山縣昌景が口を開く。


「敵の右翼を突破できず味方を壊滅させたこと、誠に申し訳ございませぬ。残兵を率いてむざむざと戻って来て参りました…」


 ……。


 それを黙って聞いていた、武田勝頼は…


「百戦錬磨のそなたから、そんな口上を聞く日が来るとはな…」


 と、絶句した。


「「「誠に申し訳ございませぬ!!!」」」



 …


 ……


 ………。


「いや…、皆が反対するなか、強引に開戦に踏みきった儂の責任じゃ。皆、申し訳ない。穴山や小山田などの一門衆達は、儂の責任じゃとなじって、そうそうに引きあげた!」



「な、なんと…!!穴山殿は、〝この戦に負けたら四郎殿を引きずってでも連れて帰る〟などと申されながら、戦況が不利となるや、自分だけさっさと逃げ帰えられたのでござるか…」



「…そうじゃ!」

 武田勝頼は、いまいましそうに唇を噛みしめた。



 (しかしながら…)


 と、俺は考える。


 最初からことの経緯を式神を通して見ていた俺には、穴山信君を〝卑怯者〟と断言できない。


 武田勝頼は穴山信君のもっともな意見を「臆病で不愉快」と切り捨てた。


 そして、【御旗】【盾なし】などという伝家の宝刀のような物を持ち出して、強引に開戦した。


 まあ、武田勝頼だけが織田・徳川連合軍による経済封鎖を深刻に受け止めていたからだという見方もできるが…


 問題は…武田勝頼に【御旗】【盾なし】を振りかざす権利が無かったことにあるだろう。


 武田勝頼は武田の家督を正式には継いでいない。実際に継ぐことになっているのは彼の息子であって、勝頼本人ではないのだ。


 そして、勝頼の出自は武田が滅した諏訪家出身の側室の子というもの。


 武田の一門衆たる穴山信君からしたら、(武田の当主でもないものが【御旗】【盾なし】を振りかざして、偉そうにするでないわ!この、傍流が!!)

 という気持ちだったはず。


 それはなんとなく理解できるし、穴山信君に同情もする。

 穴山・小山田などの武田の一門衆達の離反は、武田勝頼に否があるのだ。


 そして…


(この対立構造、何かに使えるな)



 俺がそういう、悪いことを考え始めた…その時、




 伝令がバタバタとかけこんできた。



 その伝令が伝えたのは…



 武田の武将達の討ち死に!



 それも、一人や二人ではない。


 討ち死にしたのは…



 土屋昌次、原昌胤、真田信綱、真田昌輝、甘利信廉、高坂昌澄、馬場信春、内藤昌豊など歴戦の名だたる武将ばかり。


 戦死者の数は計り知れず、武田の兵はほぼ玉砕状態。


 戦闘時間は、午前6時から正午まで6時間に及んでいた。


 織田・徳川連合軍の死者の数も6千人に迫る。


 まさに、死闘である。


「この戦、もはやこれまでですな。それがしがしんがりを引き受けます。四郎殿は、はやくおたちのきくだされ!この敗戦、それがしがあの世で信玄公にお詫びしてきましょう!!」



「まて!…なら……儂も逝く!!」

 武田勝頼が抗弁する。


 …。


 山縣昌景は、静かにゆっくりと首をふった。


 そして…


「逍遥軒殿…甲斐源氏の名門・武田家をここで終わらせてはなりませぬ。四郎殿をよろしく頼みます」


 と、武田信玄の異母弟である武田信廉に声をかけた。


「…おう」


 武田信廉は、武田勝頼を後ろからはがいじめにして、ひきづっていく。



「山縣〜っつつつつ!!」



♠️

 歴戦の将である山縣昌景は、敗残の兵達を率いて一歩も引かずに奮戦。


 チーズのような無数の銃創をおい、ハリネズミのように身体中に矢をはやしながら、壮絶な討ち死にを遂げた。


 武蔵坊弁慶さながらの立ち往生である。


〝ここから先は一歩たりとも通さぬ!!〟


 との、強い意志の現れか?


 その立ち姿は天晴れの一言である。


 (山縣昌景。敵ながら、義を体現したような漢だ)


 俺はその死を悼んで、感涙した。


 本来、俺は多感な人間。こういうのに大変、弱い。



 信長公記を記した太田牛一がもし、武田方の人間であったならば、〝天道、照覧あれ!〟と快哉するところであろう。


 山縣昌景の必死の奮戦もあって、武田勝頼はたったの数騎になりながらも命からがら本国へ引きあげた。



 一方…


 死闘の最中に、断上山の真後ろで〝敵は断上山にあり!〟


 と、叫んだやつがいたな。



(佐久間信盛!お前はダメだ!!)



 太田牛一風に言うならば…〝天道、あるまじきこと〟と、いったところ。



 天道に叶う生き方とは、どういう物か?それは、筆者の主観によるところが大きいのである。


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