長篠・設楽ヶ原の戦い5
♠️天正3年5月初旬 断上山本陣
織田・徳川連合軍の右翼では、一段目の柵をめぐる攻防で武田兵に出血を強いている。
柵にとりついた武田兵は三段撃ちの弾幕で死屍累々のていをなしながら、必死に柵を押し倒す。
そして、押し倒した部分から、騎馬隊がわっとなだれこんだ。
鉄砲隊は近接戦闘に弱い。一段目の兵達は槍隊が応戦している隙に三段目まで退避する。
鉄砲隊がひいたのをみはからって、槍隊も2段目までひく。
そして、鉄砲を猛射。
音に聞こえる猛者の集まりである赤備えも、この弾幕には流石に抗しきれなかったようで、一旦引くことにしたようだ。
代わりに、武田信廉の部隊が2段目の柵にとりつく。
湿地帯に頼りなく刺さった柵は容易に傾いた。
だが…
当方の独断撃ち戦法による弾幕はその間も途切れない。
弓矢も絶え間なく降り注がせている。
武田信廉の部隊は、2段目の柵を傾かせたのみなのだった。
♠️
武田の3番手・小幡貞政の隊は精強な武田の部隊の中でも騎馬隊による突撃戦法が特に得意な部隊である。
その機動力で素早く武田信廉の部隊と入れ替わって2段目の柵にとりついた。
傾いていた柵は容易に倒された。
2段目にいた織田・徳川連合軍の鉄砲兵達も三段目に退避。
(3段の柵が2段まで突破されるとは…武田の精強ぶりはやはり異常!!)
八束穂で観戦している武田勝頼も、「鉄砲の三段撃ち、破れたり!」とでも快哉していることであろう。
しかし…
そんなことは、想定済み。
俺はこの状況での戦い方も、右翼の兵達にあらかじめ指示してあるのだ!
ズガガーン!!
3段独断撃ち戦法とほぼほぼ遜色ない鉄砲の連射が小幡貞政の部隊に浴びせかけられる。
この戦法の秘訣は、俺が右翼に丹羽長秀殿や滝川一益殿が率いている紀州勢を配置したことにある。
つまり、右翼には鉄砲を運用することに長けていることで有名な、雑賀衆と根来衆を集中的に配置してあったのだ。
宗教対立からか二つに分裂して決して一つに纏まらなかった雑賀衆がここに集結している点も特筆すべきだろう。
鉄砲の運用が得意な傭兵集団を完璧に参加におさめたことで、こちらの思惑通りの鉄砲の戦術に関する訓練を施すことができるようになったのだ。
訓練したのは、三段撃ちから雑賀撃ちへのスムーズな戦術の切り替え。
雑賀撃ちとは、3人1組で役割分担をして鉄砲を連射する方法である。
具体的には、二人が鉄砲の火薬や弾を込めて射手に渡していく。
射手は次々に鉄砲を撃つ。これも部隊ごとの一斉掃射ではなく、射手の独断で撃つのだが。
この絶え間ない弾幕によって、小幡隊もついには、撤退。
3部隊で7千人ほどいた武田の左翼は、千人ほどになって敗走したのだった。
♠️
武田の左翼の敗走を断上山から眺めていた信長様は、即座に決断する。
「今が好機ぞ!瑠偉、この本陣から武田の中央の部隊に追撃をかける部隊を抽出せよ!!」
「は」
その部隊の抽出も、すでに終わっている。
「伊右衛門と一鉄殿に3500ずつ計7000の兵を向かわせるべく、準備しております!」
「ふむ!」
「お、おまちを!!」
焦ったように声をあけたのは家康殿である。
「ふむ?」
「7000といえば、この本陣を守る兵の半数。佐久間殿が裏切る可能性がある中で、それだけの人数を割いて大丈夫なのですか?」
…
……
………
「その説明は、それがしからいたします。確かに佐久間殿は先程、〝敵は断上山にあり!〟と、叫んだようにございますが…。佐久間殿はここを攻めることが、断じて出来ませぬ!」
俺がそう明言すると…
「……ほ?」
家康殿は鳩がまめ鉄砲をくらったような顔をした。
佐久間殿を背後に配置させたのは、武田方に佐久間殿の裏切りを信じ込ませると同時に、佐久間殿がいざという時にどう動くか試すためでもあったのだが…
俺が背後から攻撃をくらうような事態を、放置しておくわけがあるまい。