長篠・設楽ヶ原の戦い4
♠️天正3年5月初旬 早朝 断上山本陣
「「「えんか」」」
「「「ほいさ」」」
「「「えんか」」」
「「「ほいさ」」」
初夏の蒸し暑い設楽ヶ原に、不気味な掛け声が響く。
視覚的に描くと…整然とした赤い進撃。
一糸乱れぬその進軍は一つの部隊というより、もはや一個の生き物かのようである。
例えるならーーー致死の劇毒を持ったサソリ型の巨大モンスターが(どのくらい巨大なのかは、想像に任せるが…)その尻尾と鋏を誇示しながらカサカサとこちらに近づいてきている感じか。
そんなことを考えていると…
「全軍、止まれー!!」
裂帛の気合とともに怒号を発したのは、総覆輪の星兜を装着した武将ーーー山県昌景であろう。
それを聴いた真紅のモンスター(武田の赤備え)は…
竹束を前面に連ねてピタッと動きを止める。
俺たち織田・徳川連合軍の陣の50mほど手前。互いの火縄銃が当たる距離である。
(見事な統制だ)
統制がとれている軍は強い。
俺はその武田の赤備えの練度に戦慄を覚えた。
しかしながら…
互いの鉄砲が当たるこの距離で止まるのはどうかとも考える。
相手はこちらがしかけた経済封鎖によって銃弾や火薬が不足しているはず。対して、織田・徳川連合軍の鉄砲・銃弾・火薬の量は圧倒的。
単純な鉄砲の撃ち合いは武田方の絶対的不利。そんなことを百戦錬磨の山県昌景が理解していないとは到底、考えられない。
(どう来るつもりだ?)
そう訝しんで見ていると。
ズガガーン!!!!
互いの鉄砲隊が激しい銃撃戦をはじめた。
織田・徳川連合軍の鉄砲の三段撃ちによる連撃に対して武田の軍の銃撃は単発的。
(このままでは、当方が相手を一方的に削り倒してしまうではないか!)
そう考えたーーー刹那。
「弓隊!前へ!!」
竹束を持った兵達が前身し、その後ろに弓隊がピタッとついて前進してくる。
射撃を終えた鉄砲隊を追い越す形で。
これはまさか…
(車懸かり?)
車懸かりの陣ーーー越後の上杉謙信が得意とする戦法である。
この車懸りの陣。一般的には…円形の楔型陣形で全ての兵がグルグルと走り周りながら進軍し、フレッシュな部隊を絶え間なく相手にぶつけていく戦法だと認識されていると思うが…。
(それだと、走り回る兵士達は疲れるし…一度に相手に当たる人数が大分少なくなる。各個撃破されるだけのような…)
ブッブー!
大間違い!!
車懸りの陣の正体。
それは…
部隊別編成である。
部隊ごとに使用するメイン武器を統一して、射程の長い武器から一斉掃射する。
それから、次に射程の長い武器を持った部隊が射撃を終えた部隊を追い越す。
そうすることで軍全体が相手を攻撃しながら前に進んでいくという、攻撃的な戦法。
擬似的なカウンター・マーチといったところか?
特異的なのは、鉄砲隊が弾を込めながら前に進んで行ける点である。
そうするとで、相手に肉薄するまでに最初の一発だけでなく、数発、鉄砲を撃てる。
この戦法を考案したのは…上杉謙信…ではなく、信濃の豪族・村上義清だと言われている。
村上義清は画期的な部隊別編成という戦法で、絶対不敗を誇っていた武田信玄の軍を2度も打ち破ったのだ!!
その戦法を、今は武田軍が使っている。
武田の車懸りは、なかなか特徴的である。
竹束を持った兵士が常に最前線にいる。
そして、鉄砲隊→弓隊と射程の長い順に前に出てくるまでは、まぁ一般的なのだが…
その次が投石部隊。
鋭く削られた石を投げる部隊が存在するのだ。
(近所の悪ガキみたいな攻撃!)
石を投げられて相手が怯んだ所に槍隊、騎馬隊が突撃。
それから、鉄砲隊→弓隊と相手に肉薄するまで各部隊で統一された武器を持った部隊が入れ替わりながら断続的に攻撃を繰り返す。
このままでは…
(3段の陣に設置した3重の馬防柵のうち、1重目の柵が突破されるかも…)
俺がそう危惧した一一一刹那。
ズガガーン
竹束を持った武田兵達がバタバタと倒れていく。
織田方の右翼でここまで温存していたミニエー銃隊が一斉掃射をしたのである。
それから、徳川方の兵達が柵の外にうってでた。
その兵士達の旗指物は、金のアゲハ蝶や浅黄の石持ち。
徳川家康殿配下の大久保兄弟一一一兄の大久保忠世と弟の大久保忠佐の部隊である。
一一一精強な武田方の兵士達に柵に取りつかれては一大事。
と、赤備え隊を後方におし返そうとしてくれているらしい。
(ありがとう!素晴らしい判断だ!!)
♠️
大久保兄弟の部隊と武田の赤備えの死闘。
それに、武田信廉の部隊が参戦。
さらに…
武田方の3番手・小幡貞政の部隊が加わると、大久保兄弟の部隊は総崩れとなった。
それに追撃される形で織田・徳川連合軍の3重の馬防柵の1重目は今にも突破されそうになる。
一一一刹那!
〔たった今、松尾山で佐久間信盛が命令を下したぞ!〕
フツヌシノオオカミ様が俺の脳内て叫ぶ。
…。
(なんて?)
俺も脳内で答える。
〔〝敵は(俺達の本陣である)断上山にあり!〟と〕