表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルイス・フロイス天道記〜Historia de Japon  作者: アサシン
領地経営から始める戦国攻略
71/77

長篠・設楽ヶ原の戦い3

♠️天正3年5月初旬 早朝 断上山本陣


 設楽ヶ原にかかっていた濃霧は日が昇って暖かくなるとにつれて晴れつつある。


 ここ最近、降り続いた雨で湿地帯である設楽ヶ原のコンディションはいつも以上にぬかるんでいて最悪。馬も気持ち良くは走れないだろう。


 見えてくるのは馬防柵の前で倒れてうめく騎馬武者と馬。倒れた仲間をかえりみることもなく突進してくる武田兵の姿であろうか。


 倒れた仲間をかえりみない武田兵は鬼か!その鬼気迫る突進は、まさに鬼のそれである。


 それを迎え撃つ我らは◯殺隊か?いや……魔王軍だったか。



 …。




 ここで、いくつか注釈を加えなくてはならないだろう。


 (この構図、本当?)ってね。


 近年、なぜか、織田方の鉄砲の3段撃ちはなかった。

武田方にも騎馬隊はなかったという話が有力になりつつある。


 

 その責任の一端は、転生する前のルイス・フロイスにあるだろう。


 彼の著書である『日本史』には〝日本兵は我々と違い、馬から降りて戦う〟とある。


 まぁ、これも嘘ではない。足軽による集団戦法が発達し槍衾という戦法が編み出されたことによって、騎馬による突撃は廃れたのだ。近年は鉄砲も広まり、騎馬兵の肩身はより狭くなっている。


 しかしながら…ルイス・フロイスが巡ったのは西国が中心であり、東国の見聞が十分でなかった点は考慮しなくてはならない。


 甲斐源氏を出自とする武田兵。騎馬で戦うことを誇りにした鎌倉武士の流れをくんでいる。


 そして、武田氏の本拠地である甲斐は木曽馬の名産地。


 木曽馬が全長140センチくらいのポニーサイズだからといって、鎧武者を乗せて突撃できなかっただろうなんて言われたら、鎌倉武士が泣くぞ!


 木曽馬と同じようなサイズの汗血馬と呼ばれる馬の集団突撃で世界を席捲したモンゴル出身の元兵も泣く。


 俺達・織田軍も武田に騎馬隊がなければ、馬で突撃しにくい湿地帯を決戦場に設定し2kmにもわたって()()()と空堀をもった野戦陣地を築き、何重もの策でそこに武田軍を誘い込むなんて手間のかかることはやらないわけである。


 もっとも…武田の騎馬隊の規模が数千騎であり、それらが一斉に突撃するのをイメージしていたかといえば…そうでもないのだが。


 武田の軍役という資料をもとにするならば、今回の戦における武田の騎兵の数はせいぜい1800騎ほど。それらが一斉に突撃してくることもない。一度にかかってくるのは10〜30騎ほどだ。



 その数十騎の騎兵による突撃の威力が凄まじい。


 永禄3年におこった唐沢山城の戦いにおいては、越後の上杉謙信が唐沢城を包囲していた3万5千の北条軍を数十騎の騎兵による突撃で蹴散らして入城を果たしている。


 まぁ、(さすがは、俺と同じ神憑き!!)ということもできるが…、。


 騎兵による突撃が廃れた西国の兵に対して、騎兵の突撃はより効果を発揮する。




 (文字通りの命懸けの戦場において…相手がこちらの慣れていないことを仕掛けてくるのは、純粋にとても怖い!!)のである


 その恐怖を緩和するのが、馬防柵というわけだ。


 例を挙げるとするならば…動くボールが主流の野球のメジャーリーグにおいて、綺麗な回転のフォーシームと呼ばれる速球と途中まで速球と見分けがつかないフォークボールを主体とする日本人投手が大活躍するようなものか?


 動くボールを正確に捉えようとギリギリまでボールを引きつけようとするから、フォーシームの手元の伸びやフォークボールの大きな縦の変化に対応できない。


 戦いの場において、廃れた技術や戦術だからこそより脅威となる現象は、たびたびおこりえる。




 ドドドーン!!!


 ヒヒーン!!!




 そんなことを考えているうちに突進してくる武田の騎兵達がバタバタと倒れていく。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 鉄砲の三段撃ち?


 一般にイメージされているのは鉄砲隊を三列並べて、交互に入れ替えながら次々と鉄砲を撃っていくというものだろうか?


 ノンノン!!


 それでは、三列入れ変え撃ちである。()()()()って言ってるのに…。


 まず、火縄式では列を入れ替える時に互いの火縄がぶつかって火が消えたり、逆に変なところに飛び火して暴発しやすい


 じゃあ、鉄砲を火打ち石で着火するフリントロック式や雷汞を用いるパーカッションロック式にすればいいかと言うと…。それはまぁ、可能である。


 可能であるが…。その場合でも、三列で間断なく次々に撃てるかといえばそうでもない。近世ヨーロッパにおいて同じ戦術をとった例があるが…間断なく撃ち続けるには少なくとも6列必要だったようである。

スウェーデン式だったかな?ちなみに…オランダ式はたしか10列で入れ替わりながら撃つ。

 そうしながら前進していき、最後は銃剣で突撃するという戦法。


 10kg以上の重さの鎧を着て、次々に列を入れ替えるなんてことをしていたらそれだけでタイムロスするし、体力も消耗する。やるなら鎧は外すべきだろうが…。それは、作戦を実行する兵士達が怖いだろうな。



 なら、武田の騎馬による突進をどう防ぐか?



 …。



 三段撃ちだ!


 この戦法の秘訣は、設楽ヶ原の地形にある。河岸段丘である。


 三段の段差状の陣地に3人1組の鉄砲隊を縦並び状に並べる。


 そして、鉄砲を撃つ位置を入れ替えることなく撃ち手の位置を固定し、最初の一発以外は撃ち手それぞれが弾を込め終わった段階で撃つ。


 名付けて三段固定独断撃ち戦法。


 実験によると、日本の火縄銃の50mからの命中率は7割ほどだったそうだ。


 そして、槍を持った鎧武者を乗せ、ぬかるんだコンディションの悪い設楽ヶ原を50mはしる木曽馬のタイムは8秒〜9秒。


 三列入れ替わり一斉掃射戦法では一列目が撃ち終わった時点で柵に取りつかれるが、三段固定独断撃ちではほとんど柵に近づけない。


 例え、柵にたどり着けたとしても、弓と槍の餌食となるだけといった寸法。


 これを大真面目に検証した番組を見たことがある。現代人の歴史好き度をなめるな!



 ましてや、俺が受けもった本陣の鉄砲隊はその全てが新式のミニエー銃を持っている。200メートルからの命中率がほぼ10割(飛距離だけなら500〜600m)という、旧来の火縄銃に比べたら化け物のような代物だ。旧来の火縄銃や弓矢と撃ちあっても、アウトレンジからめった撃ちできる!!


 武田兵が、俺達のいる本陣にたどりつくことなどほぼ無理。


 この戦いは、軍師兼鉄砲奉行たる俺の面目躍如たる一戦なのだ。


♠️

「ふむ。あの精強な武田兵がばたばたと倒れていくな。スペインの将軍…ゴンサロ…なんとやら?の策。見事じゃ」


 断上山の頂上から信長様が眼下を見下ろしながら言った。


「は。ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ、でございます」


 俺は大真面目に答える。


「ゴンサロ…これが、南蛮流の戦い方でござるか。敵を策でこちらに有利な陣地に誘い込んで、鉄砲で一網打尽にしようとは…なんと豪快な戦法であることか…。しかし…このまま当方の圧勝といくかどうか?」


 信長様や俺と共に観戦というか…督戦?している三河守こと、徳川家康殿が感嘆の声をあげる。


 その疑問…もっともである。


「ここに誘い込まれたのは武田勝頼の若気のいたりとはいえ、勝頼もなかなかの戦上手と見受けます。今はひとあてして、こちらの陣容をうかがっているだけにございましょう。そのうち、戦い方を変えてくるでありましょうな」


 俺が答える。


「ふむ。瑠偉。そなたはこの後、武田方の兵がどうくると考える?」


 信長様が俺に問う。



「は。この地の地形と戦況をかんがみますに…。敵は、この本陣に新式銃が集中していることに気づいたでありましょう。この陣地の右翼と左翼には新式銃が少なく、旧来の火縄銃であることもひとあてして気づいたはず。ならば、攻め所は右翼か左翼。左翼は山がちで攻めにくいとくれば…。敵の狙いは主に我らの右翼でございましょう。武田方の中央に兵を集め、中央の部隊は徹底的に防御に努めます。攻めるのは我らの右翼。そこから、こちらの本陣の後ろに周りこむかと。片翼包囲という戦法ですね」



「それで、右翼に二郎三郎殿の三河勢を配置しているわけか。この地は二郎三郎殿の本拠地の最前線。最も重要な地であるが故に長篠城の守将である奥平氏と二郎三郎殿との間に血縁関係を結ばせてある。三河勢は奮戦せざるを得ないな」



「はは…三河武士の意地、とくとご覧にいれましょう。しかしながら…万が一、右翼を突破されたらどうするのです?」



「ふむ。そのための予備隊であろうに。そこを半介に任せるとはな…」


 家康殿と信長様がそれぞれに不安を述べた。


「佐久間殿がいざという時にどう動くか、試したいのでございますよ。何、本陣には我が隊が控えております。万が一の場合には我々がここを死守いたしますよ。どうぞご安心ください」


 俺がそう言ったとき、戦場に法螺貝の音が鳴りひびいた。


 武田方の兵は軍容を変えるつもりであろう。



「ふ。武田兵は、瑠偉の言った通りに動くようであるな。左翼の権六や藤吉郎達に触れを出せ。武田兵の動きに合わせて側面をつけ…とな」

 信長様はそう伝令兵に命じた。


「は」


「我らは数の利で武田の側面をつける。そして、片翼包囲をするまでもなく武田方の背後に兵を周りこませておる。この状況で半介が裏切るなどありえるかの?」



「武田兵はありえぬほど精強。戦況が武田のほうに有利に傾けば、万が一のことが起こり得るかと」


 俺は慎重にそう答えた。


「…。瑠偉殿が言うと、妙な説得力がありまするな」


 家康殿が不安げにそう言う。


「たしかに…」


 信長様も同意する。


 そう言っている間に武田の歩兵が竹束を連ねて俺達の右翼に向かって進軍を始めた。


 その歩兵達の旗印は紺地に白の桔梗紋。武田の最強部隊、山県昌景の赤備え隊である。



(騎馬による突撃は諦めたか…。この戦法の柔軟性…武田勝頼はやはり凡庸な将ではないな)


 


 竹束は旧来の火縄銃の弾丸はある程度防げるが…新式銃のミニエー弾は簡単に貫通する。俺達の右翼に新式銃が少ないと見積もったからこその攻め方であろう。


 そして、武田の兵は歩兵部隊の機動力も高い。


 武田の赤備えといえば騎馬隊のイメージが強いが、歩兵も強い。武田の最精鋭部隊だ。武田家中の次男坊以下の者たちばかりを集めているから、死んでも問題になりにくく、命知らずでもある。恐るべき戦闘マシーンのような集団。


 強い軍団は槍が短い傾向にある。

槍が長い織田兵よりも動きが早い。


 正面戦闘においては兵の質で劣っていても槍の長い方が勝つが、敵にこちらの側面…とくに右側面に周りこまれては、大惨事である。長槍兵の集団は急には旋回できないのだ。


 馬防策は、動きの機敏な武田の槍兵達に側面に周りこまれることを防ぐためにも作用する。


 こうして、設楽ヶ原・長篠の戦いは序盤戦を終えて、中盤戦に移行したのだった。


----------------------------------------------------------------------

〈参考文献〉

NHK「風雲!大歴史実験」日本史ミステリーの科学


→鉄砲の三段撃ちや長篠での騎馬の速さ、織田・武田の槍の長さの有利・不利などを検証していたので参考にしました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ