武田方の軍議
♠️天正3年5月初旬 武田軍本陣(式神視点)
長篠城攻略のための本陣に武田の重臣達が集まった。
織田・徳川連合軍がこの地に援軍にくるという報告が入ったためだ。
「さて、織田・徳川連合軍と戦うべきか、戦いを避けるべきか?戦うならどんな作戦でいくか?存念があるならもうせ」
四郎こと、武田勝頼が口火をきった。
「申し上げます」
穴山信君が発言する。
穴山信君は武田家の親類だが…武田勝頼のやり方には何かと口を挟みたがるようで、武田勝頼と不仲だったようだ。
穴山信君は勝頼の代になってから勝頼と頻繁に意見が対立することが多く、武田から独立したがってもいるらしい。
「ふむ」
武田勝頼は何を言われるかわからないと警戒している様子だ。
「ここは…即時撤退を進言いたします」
「ほう…。相変わらず、叔父上の意見は慎重というか…臆病で不愉快だな。他のものの意見は?」
「むっ」
穴山信君はムッとした表情。
「「「それがしも、即時撤退を進言いたします」」」
こう声を揃えたのは、馬場信春・内藤昌豊・山県昌景の3名。勝頼の父・信玄のころから仕える重臣たちである。
「歴戦の勇者であるそなたらまでもが、即時撤退を進言するのか?根拠は??」
「は。報告によりますと、敵の援軍は4万人を超える大軍とか。一方、味方は1万9千人。まともにやり合って、勝てる兵力差ではありますまい」
馬場信春が意見を述べた。
「なるほど。兵力差だけを考えると、その意見はもっともだな。しかし…その4万をこえる兵達、士気は高くないようだぞ?むしろ、三方ヶ原の戦いで大敗した恐怖を未だに引きずっている烏合の衆であるという。その話は、三ツ者たちや武田に心を寄せる三河の国人衆たちや織田家の重臣からも聞いておる。そんな烏合の衆など我らならひともみにできそうなのだが…のう、甘利」
武田勝頼は呆れたように言う。
三ツ者というのは、武田方の諜報員である。忍者みたいなものだ。
「は」
三ツ者を総括している甘利信恒が短く答えた。
「それから、徳川方に揺さぶりをかけたら、重臣である大賀弥四郎なるものは謀反を起こしたしな。武田と徳川が戦えば、武田が勝つと信じて疑わぬものも徳川方に多いときく。ひとおししてやれば裏切るものも出てくるのではないか?」
「大賀弥四郎の件は、まぁそうかも知れませぬが…」
大賀弥四郎というのは三河の代官であり、岡崎城の城門をあける役目をもったものである。
この大賀弥四郎は、武田軍が三河に侵攻する前に武田方に寝返って、岡崎城の門を開けて武田の兵士を誘引しようと企てた。その目論見は弥四郎の仲間がうらぎって露見し、弥四郎の計画は頓挫。弥四郎は磔の刑に処されたのだが。
徳川方の将兵が武田軍をこの上もなく恐れているというのは事実。
「それに、佐久間なにがしとかいう織田方の重臣も裏切っておるぞ?のう長坂?」
「は。武田方が優勢になったら信長の本陣を背後から襲うと言ってきておりますな。なんでも、金ヶ崎の戦いでは、即時撤退の命をどういうことかと反問しただけで殴られたとか。小谷の戦いでは、恩賞が新参者たちより少なかったとか恨みつらみのこもった書状を送ってまいりました。かねてから織田方に潜入させているの三ツ者達もこれらのことは本当だと証言しております。それに、確かに此度の戦では、佐久間なにがしは織田信長と徳川家康の本陣である断上山の真後ろに陣取るようです。それと佐久間なにがしとやらの報告では、こたびの決戦場は八束穂とのこと。これも、三ツ者達の報告と一致します」
長坂と呼ばれたのは、武田勝頼の側近である長坂長閑である。
「「「ふーむ…」」」
他の重臣達が意見を決めかねている様子で唸った。その時…
「申し上げます」
伝令の兵がガシャガシャと武田の本陣に駆け込んできて、ひざまづいて言った。
「なんじゃ?」
「は。八束穂に織田方の陣地ができつつあります。」
「ふ。聞いたか?皆のもの。佐久間なにがしの情報どおりぞ。4万もの大軍が一度に決戦場に着くなどありえぬ。そのもの達は先遣隊であろう。そのもの達の兵数はいかほどじゃ?」
「およそ3千から4千」
「そらみろ。あとのもの達は自然と行軍の早い部隊・遅い部隊に分かれていって八束穂へ向けての縦に長い行列となり、集結しようとしているはずじゃと思う。我らはそれらを順番に各個撃破にしていけば良い。そしてそのままの勢いで断上山に陣取った信長と家康を討ち果たす。肝要なのはこちらの速さじゃ。風の如く進軍し、火の如く敵を攻め散らす。軍議はやめじゃ。八束穂を急襲するぞ!よいか?」
「お、お待ちくだされ…。各個撃破ともうして…後続の軍が縦に長い列をつらねて進軍しているという確証はありますまい!そこの伝令!!」
こういって、伝令に声をかけたのは、穴山信君。
「は」
「織田・徳川連合軍は確かに四郎殿の言われた通りの動きをしておるのか?」
「いえ…ここ当面の雨が上がって八束穂のあたりは深い霧がでておりまして…一寸先も見えませぬ。敵が確かにそのように動いているとは申せませぬ。それがしは敵軍の先遣隊の到着を知らせに参ったまででして…」
「ふむ…ここは慎重に他の者の知らせを待つべきなのでは??」
穴山信君は慎重な意見をいった。
「ええい。うるさい。もたもたしておっては好機をのがすわ。三ツ者の報告では、徳川家康は大軍に奇策なしと言ったきいた。奇策がないとなれば…織田・徳川連合軍は儂がいった通りの動きを相手はしているはずじゃ!!長篠城のおさえに4千ほどを残し、全軍、八束穂へ進撃せよ!御旗、盾なし照覧あれ!」
止めたのが、普段から折り合いのわるい穴山信君だったことが勝頼の神経を逆撫でしたのだろう。
勝頼は最悪な決議の仕方をした。
(穴山とやらがいってることは、もっともだと思うけどな)
奇策を用いないと家康殿に言わせたのは嘘だし。
っていうか、武田方の忍びが紛れ込んでいたのも、佐久間殿が本当に裏切っているのも百も承知で一芝居うったんだし。
(まぁ、おれたちの作戦会議における各武将達の細かい発言内容まで内偵されているのは、びっくり。武田の諜報能力、すごいなー!それらの情報を統合してこちらの動きを推察する武田勝頼の戦術眼も、かなりな物ではある。まぁ、集めた情報そのものが、俺たちが意図して掴ませた偽りであるという可能性を疑ってなさすぎだけど)
孫子いわく、〝兵は詭道なり〟である。
ともかく、武田家の家宝である御旗と盾なしの鎧の前で当主が決めたことは、誰も反対してはいけないという決まりが武田の家中にはある。
この一言で、俺が提言したというか…塹壕戦の父とよばれるスペイン王国の将軍、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバが考案した、野戦陣地を構築するという戦術と、敵兵を自軍が待ち伏せているポイントへ誘引して撃滅するという九州の島津家が得意とする必殺戦術・釣り野伏せを組み合わせた戦術は8割がた成功しただろう。
これは史実通りの展開なのだが…。スペインの将軍が1503年に考案した野戦陣地と火力を組み合わせるという本来のルイス・フロイスが信長様に伝えたであろう戦術を、ルイス・フロイスに転生した俺が信長様に提案したというわけだ。
江戸時代末期に書かれた〝三洲長篠合戦記〟という怪しげな戦記物を元に、佐久間殿を裏切らせてもみたのだが…
火のないところに煙はたたない。佐久間殿はいろいろやらかしてくれているので、武田方の人達もガッツリ信じてくれたようだ。佐久間殿の裏切りを。
「「「ぐ…」」」
そこにいた家臣たちは勝頼の「御旗、盾なし照覧あれ」の言葉に口をつぐんだ。
そして
「「「……御旗……盾なし…照覧あれ!!」」」
武田の重臣たちはためらいがちに勝頼の強引な決定を復唱したのだった。
確か、武田勝頼はこの会議のあと、側室の一人に〝此度の戦で織田信長と徳川家康の首をとって帰るから、体に気をつけて待っててね❤️〟みたいな手紙を送るんだよなー。俺たちを舐めきってやがる(怒)