武田勝頼の足音
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天正3年4月(西暦1575年)
俺が明智光秀殿と稲葉一鉄殿の諍いに介入してから一年と3ヶ月が経過した。
その件がどうなったかというと…。
端的に言えば、那波殿を明智殿と稲葉殿というか、俺との間をとりもつ外交官というか連絡役のような役目につかせることで事態の解決を図ったのだ。
織田家中の勢力圏は急拡大した。それに伴って各地区に散らばった重臣達と連携するのに連絡役が必要になったのである。明智殿と当家の連絡役として、稲葉家と明智家の両方に縁がある那波殿を推薦したのである。
那波殿が苦しんでいたのは命がけの戦場において、他のものより働かなくてはいけないのに報酬が少ないというブラックな環境であろう。
まぁ、これまでの戦においては、一門衆をそんなふうにこき使うのも仕方のないことだったのがしれない。
自分や一門衆が先頭に立たないと誰もついてこないだろうし。
俺が稲葉殿にいいにいったことは、これからの戦が俺が考案、改良した鉄砲や大砲、船などによって劇的に変わるということと、それによって俺たちの働き方も変わらざるを得ないということ。
これからの人材にもとめられるのは個人の武力ではなく、何が儲かるかとか、どこの戦場に何が必要なのかという情報収集力なのである。
各地の重臣たちの政策やその土地でとれる特産物についてや、その地で何が豊富にあってなにが不足しているのか?何が需要があるのか?そういう情報をいち早く得て、行商人に売ってやれば行商人達が儲かるのである。情報料である。朝輝教には行商人部隊もあるし。収益は情報料だけではない。行商人達が儲けたらそれらの行商人達からの税収も上がる。
そうした儲けの額に応じて外交官やその主に報酬を与えれば、そのもの達の懐も温まるし、面目もたつだろう。
問題は、そのような時代の変化に指導者達が即座に対応できるかどうかなのである。
ま、頑固一徹の語源となった稲葉一鉄殿の説得には苦労したわけだが…。最終的には一鉄殿の寄親という俺の立場が勝った。個人の武勇より情報収集力や兵站などを揃える実務能力などを重んじるのは信長様が率いている織田家の家風とも一致するしな。
この問題に関与することでプライドが高い明智光秀殿や頑固一徹な稲葉一鉄殿と俺との仲も深まった。
明智殿と稲葉殿の間の直接的な関係は微妙だが…。
明智殿の働きで前関白・近衛前久卿と信長様の縁も深まった。
近衛卿の息子の烏帽子親に信長様がなったのである。
そんな感じでなかなか市殿の話を聞けなかったのだが…
市殿の話は、おれが引っ越す横山城は不便なので市殿と義娘たちは新しい城ができるまで岐阜にとどまるということだった。
ま、それだけなら俺の単身赴任てことで、寂しいけど仕方ないかって話なのだが…。
それでは俺が寂しいだろう。俺にお世話役をつけようというのが市殿の話の核心部なのだった。
つまりは側室である。
(前も思ったけど…正妻に側室を勧められるとは…変な世の中)
かねてから、俺の侍女長4人を順次、側室にという話があった。
この機会に侍女長である恭と綾を側室にしたのである。
今は、長浜城の工事の1段階目が終わり、居住可能になったので、そちらに引っ越し、市殿達も呼び寄せている。
それからしばらくして、市殿が懐妊。その後、恭と綾も懐妊した。
俺の妻達が全員、懐妊したタイミングで澤と里も側室になったのである。
ちなみに…市殿が産んだのは男子。その子は目が鮮やかな瑠璃色で癖毛も俺似。
名前は瑠市太とした。
恭が産んだ子は女子だった。名前は礼とした。この子もハーフ的な感じだが、目の色や髪のいろは茶色っぽいな。
綾の産んだ子は男子である。まぁ、この子ももちろんハーフ的な見た目だな。名は綾次。
澤と里には俺との間にまだ子供がいないが…、そのうちできるだろう。
もうすでに俺の子を産んだ妻達も、また懐妊するかもしれない。5人の妻達とは争うこともなく仲良くやっているからだ。正妻たる市殿と側室の筆頭である恭が奥向きのことをうまくまとめて統率してくれているし。
(妻にすべきは賢くて包容力のある女性に限るね)
茶々、初、江ら3人の義娘達や、4人の側室達の連れ子達との関係もまぁまぁと言ったところ。
茶々と初には約束通り、顕微鏡で酵母を見せてやったし。
抗生剤の研究も進んでいるが…量産には苦労しそうである。作れることと、量産できることはまた話が別なんだよなぁ。まぁ、工夫と技術力の発展しだいといったところだ。
長浜城に梅をたくさん植えて、梅干しもみんなで一緒に作った。茶々達の父親である浅井長政殿に送ると伝えて。
さらに、茶々と初には勉学に励むことで将来、実の父親である浅井長政殿の役に立つことも可能になるだろうからしっかり勉強するように言ってある。
まぁ、この義娘たちの師匠は俺だ。茶々のやつ、俺のことを義父上と断固として呼ばないが師匠とならよんでくださるそうだ(苦笑)
茶々も初も好奇心が強く、勉強熱心であるし、俺に質問も良くするようになったな。目を輝かせて。最近はそれを江が興味深くみてる。誰よりも好奇心旺盛に質問してくるのは、この義娘たちの母親である市殿なのだが…
他の連れ子達も一緒に勉強しているし、将来は俺の実子たちもこの子たちを見倣うだろう。将来が楽しみだ。
ちなみに、俺の一門衆としては俺の実子達や浅井三姉妹以外には、恭の連れ子である平太、綾の連れ子であるしめ太、澤の連れ子である小りん、里の連れ子である鬼若がいる。
仕事の方はというと…。
領地経営のほうは順調そのもの。一年間、税を免除したことで荒れていた北近江の田畑もすっかり元の姿を取り戻している。
治水や灌漑、さつまいもやカボチャや小麦などの生産も軌道にのってきている。兵農分離も進んで、働き手を戦争に奪われることがなくなったこともあって、俺の領民達はおおいに喜んでいる。
絹や綿の生産も順調であり、蒸気機関を用いた製糸工場も稼働しつつある。
前田慶次に任せている東北と北海道は、寒さに強い品種改良された米を広めた。それと同時にジャガイモ、ビート、ライ麦、大豆の4輪作を広めさせたおかげで食料事情が大きく改善した。ビートから砂糖をつくることにも成功し、俺の大きな財源の一つになっている。
北海道では、馬や牛や羊の畜産も広めていってるところだ。北海道や沖縄では4つ足や牛乳の接種に抵抗感がないからな。ビートや大豆は飼料にもなるし。
そのうち、東北勢を動員して、北海道の石狩炭鉱も開かせよう。
沖縄と台湾に朝輝教を広めに行った堯俊は、沖縄と台湾に大きな影響力を持つに至った。今は、沖縄で豚や鴨などの家畜の飼育を指導している。沖縄と台湾では、柑橘類の栽培も奨励中で、柑橘類や魚介類や豚などの缶詰も試行中である。
東南アジアでは、林道乾殿がタイのパタニ王国の実権を完全掌握した上で、インドネシア攻略を進めていてインドネシアをほぼその手中に収めつつある。
林道乾殿の配下となった浅井長政は、パタニ王国の宗主国であるアユタヤとの国境付近に配備されている。
そこで実力を発揮しつつあるらしい。
(属国という立場が嫌いな長政殿には国境警備の仕事があっているのかもしれないな。パタニ王国がアユタヤとことを構える際には、長政殿が大活躍するだろう)
鉄砲や大砲もそれらにつかう弾丸なども反射炉や工作機械ができたことにより生産効率が大幅に上がった。鉄甲船の実用化もできており、鉄甲船を6隻、建造中。
蒸気機関を持った船も試行錯誤しているが…実用化に苦労しているな。蒸気船は鉄甲船とはまた違った構造の船なのだ。西洋と中国の折衷案の形の船というか。蒸気船は竜骨を用いない。その形をつくるのに職人たちが苦労している。
長宗我部との折り合いもついたし、四国攻めの準備も整った。
その他の戦線は…
中国攻めの前に中国地方の国人領主達の調略を明智殿と秀吉殿が行っているが、なかなか難航しているな。
中国地方の国人領主達は利害関係から、こっちについたかと思えば毛利方にまた寝返るなど、どっちつかずな態度を崩さないらしい。断固としてこちらにつかない者たちには、そろそろ鉄槌をくらわさなくてはならないだろう。
九州ではスペイン艦隊の招聘はやはり失敗。千々石ミゲルが様々な慈善活動を行なって、キリスト教徒が急速に増えつつある。大友氏の家中にもキリスト教徒が増えて、寺社仏閣などを壊して回るようになったらしい。宗麟殿もそれらの家臣達の統制に苦労しているだろうな。
大友氏と当家の交易は順調そのものだが…。
北陸地方では、柴田勝家殿が越後の上杉謙信に睨みを効かせている。上杉は今のところ、なんの動きも見せていない。不気味な沈黙を保っているのである。
中部地方では、武田氏を統率している武田勝頼が三河進出を訴えて家臣と対立している。
武田信玄は死に際して、自分の死を3年隠せと言ったのにな。勝頼は信玄以来の旧臣たちを統制するには自分の力を誇示しなくてはならないと思いつめたのかもしれない。
(信忠殿と松姫の婚約延長で稼げた時間は結局、一年半たらずだったか)
ま、長篠・設楽ヶ原の戦いにおける誘引撃滅戦法の軍備と軍略の準備はほぼ終わっている。
その策を、仕上げにかかるか。
「密かに水野殿を、呼んでくれ」
俺は側に控えている忍者にそう命じた。
「は」
水野殿とは、三河と尾張の国境付近を治る領主で徳川家康殿の親類。水野信元殿のこと。
水野殿は、桶狭間の戦いにおいては今川方についたものの、今は織田方についており、佐久間殿の与力である。
史実においては、一年後に謀反の疑いをかけられて謀殺されることになる人物だが…。(しかも、水野殿に謀反の疑いをかけて糾弾したのが佐久間殿だったというのが有力な説だったりする)
昨今、熱烈な朝輝教信者となった水野殿には、朝輝教の教主の立場からある重要な任務を任せている。
策は上々、あとは結果をごろうじろってね。




