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ルイス・フロイス天道記〜Historia de Japon  作者: アサシン
領地経営から始める戦国攻略
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楓炉家中の論功行賞

天正元年12月末 フロイス屋敷


 結婚式の翌日、俺は上機嫌で家中の者たちや支配領域の有力者達を集めた。


 家臣達のこれまでの働きに対する論功行賞とここ2週間ほどの領内の様子などを報告させるためだ。


 俺の隣には昨日から俺の正妻となった市殿が座っている。


 市殿は小谷城が落城してから、政治に興味を持ったようなので俺の秘書的な役割をお願いしてみたのである。


 明智殿と稲葉殿の一件には相変わらず悩まされているが…今は、おれの支配領域に関する内政をしっかりしなければ。


 岐阜から小谷に引っ越さないといけなくもあるし



♠️

「みな、昨日の結婚式の為に集まってもらいありがとう。これより、俺の婚前旅行の為に延期されていた論功行賞と、ここ二週間ほどのみなの働きについて報告してもらいたい。まず、堀太郎左衛門と神田長門。両名ともにこれまでの兵たちの指揮や物資の着実な運用実績から家老職に任じ、三千貫の俸禄を与える」



「「ははっー。ありがたき幸せにございまする」」


 堀太郎左衛門、神子田長門の両名が共に平伏。



「して…代官を任せておいた伊賀の様子はどうじゃ?」


「は。伊賀の地は土地が痩せており国人領主達が割拠しあい争いあって、おさめにくい土地かと考えておりましたが…。朝輝教の影響か、皆、当家に恭順を示しておりまする。今のところよくおさまっているかと。検地もすすめていっております」


 堀太郎左衛門が答える。




「ふむ。伊賀の土地が痩せていることは気にかけておる。九州にて、痩せている土地でもよく育つ作物を仕入れて参ったゆえ育てさせよ。それから伊賀の地における人材登用に関しては太郎左衛門と長門の推挙を許す」



「ははっ」


 俺が訪れた豊後の地では、大友宗麟殿が南蛮渡来のカボチャの栽培を奨励しており、宗麟南瓜の名で親しまれていた。



 他の作物も伝来してるかもしれないと思い、ダメ元で聞いてみたところ…、かぼちゃだけでなく、さつまいも、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、キャベツ、トマト、ビート、とうもろこし、小麦、ライ麦なども手に入れることができた。



 京を追われた危機感から、オルガティーノ師が豊後におけるそれらの作物の普及に力を入れたようだ。


 伊賀では、かぼちゃ、さつまいも、にんじん、玉ねぎ、トマト、キャベツなどを栽培させよう。



 じゃがいも、ビート、とうもろこし、小麦、ライ麦などは、蝦夷地で栽培させるために種や種芋を越冬させておく。


 蝦夷地の開発を進めるわけは、こうである。東北へ赴かせた前田慶次が蝦夷地(北海道)に渡って、そこで気に入られ族長の娘と結婚したのである。


(慶次め。破天荒なやつ。作物だけでなく結婚祝いも送ってやらないとな。それから暖かくなったら北海道を訪れてみるか?)


 蝦夷地の食糧事情がなんとかなったら、炭鉱も開かせよう。石狩炭鉱だったか?


「さて、次は…大島甚八、山内伊右衛門」



「「は」」



「これまでの部隊の指揮に加え、戦場での数々の武功を賞して当家の中老格に任じ、俸禄2000貫を与える」


「「ははー」」


 大島甚八は強弓の使い手であり、乱戦の最中でも弓で敵の大将格を狙い撃つことを得意としている。


 そうやって敵の指揮系統を撹乱できるため、重宝する。


 特筆すべきは、姉川の戦いにおける浅井方の先陣の大将、磯野員昌を合戦の初期段階で討ち取ったことであろう。


 姉川の戦いは、浅井の織田本陣への奇襲から始まるはずだった。


 その作戦を式神で偵知していた俺は、あらかじめ信長様のいる本陣の位置を偽装しておいた。


 目立つ場所には、偽の本陣を敷き、馬廻り衆にまもらせ、影武者をおいておいたのである。


 そして物陰から甚八に磯部員昌を狙撃させた。


 先陣の大将である磯野員昌を討たれた浅井方は大混乱に陥った。


 そこを鉄砲隊と弓隊で狙いうった。


 まぁ…浅井長政はその混乱を立て直して反撃してきたのであるが。


 姉川の合戦は浅井方の3倍の兵を準備し、浅井方の作戦を偵知し、待ち伏せして敵方の先陣の大将まで討ち取ったのに、結構な辛勝なのだった。


 全く、近江兵の強さと尾張兵と美濃兵の弱さは折り紙つきである。



 逆に徳川家康殿が率いる三河兵は倍の兵数の越前兵を相手に圧勝したのもすごかった。

 …勝ってもまけても得るものがない越前兵達の士気が、驚くほど低かったのを差し引いても。



 この戦いに決着がついた後も、信長様の暗殺に執念を燃やしていたものがいた。――遠藤直経である。


 遠藤直経は、〝織田の越前侵攻に際しては浅井に相談してからにすべし〟という約定を信長様が破ったことを憂慮していた。


 そして、織田と浅井の会見の場で信長様を討たなかったことを後悔もしていた。


〝織田信長を討たなければ浅井の禍根になる〟として姉川の戦いに決着がついた後も味方の首を持って信長様の本物の本陣を探し当て、首実験の際に信長様を討とうと本陣に潜入していたのだった。



 直経が本陣に入った時に、見咎めたのは伊右衛門こと、山内一豊だった。


 織田と浅井の会食の時に直経が案内役を務めていたので、顔を見知っていたのだ。


 押し問答の末、伊右衛門と直経は刀を抜きあって戦闘になった。


 伊右衛門はこの一対一の戦闘に勝って武勲を上げ、信長様から直々に感謝状を賜った。



 伊右衛門のその他の武功として際立ったものは、小谷城の戦いにおける朝倉追討戦におけるものだろう。


 朝倉追討戦においては佐久間殿が朝倉方の撤退を見過ごしたという失態があり、俺たちの部隊と信長様の親衛隊である馬廻衆が先陣をきることとなった。


 まあ、俺は佐久間殿が朝倉の撤退を見過ごすのを知っていたので、甚八と伊右衛門の部隊に監視させておいたのだが



 戦うことになったのは、もちろん敵のしんがり隊である。


 しんがり隊の大将は朝倉一門の三段崎為之だった。


 三段崎為之は強弓の使い手として音に聞こえた猛将。


 そして、金ヶ崎の戦いで俺たちが苦戦をしいらされた武将だ。


 追撃戦の最中、伊右衛門はその強弓を頬に受けた。


 矢は伊右衛門の頬を貫いて奥歯の深くまで刺さった。

伊右衛門は頬に刺さった矢を真ん中からへし折って、射手である三段崎の元へ突進。


 その間も数本の矢が放たれたが、避けたり、刀でふり払いつつ、三段崎のもとへたどりつき、三段崎を馬から引きずり下ろして取っ組みあい、討ち取ったのである。


 伊右衛門に刺さっていた矢は家臣の五島吉兵衛が引き抜いて家宝にしている。



 大島甚八と山内伊右衛門には、俺の留守中に六角の残党を掃討するように命じておいたが、それも瞬く間に終わらせてしまった。


(頼もしい奴らだ)




 伊右衛門の妻である千代にも仙見万千代や堀菊千代らとともに検地や、人材の発掘、北近江に適した産業を調べることなどを命じてある。


 俺が婚前旅行に出発する前に、千代が俺の生徒達に地元の農民達の手伝いをさせることを許可して欲しいと申しでていたが…。


 さてさて、どんな面白い提案が聞けることやら…。


史実では磯野員昌は姉川の合戦を生き残り、織田方へ寝帰ります。

遠藤直経は討たれますが、討ったのは伊右衛門ではなく竹中半兵衛の弟である竹中久作です。

織田と浅井の会食で色々と歴史が変わったようです。


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