結婚式
天正元年12月末吉日 岐阜・フロイス屋敷
九州から帰って信長様に会ったあと、結婚式の準備に奔走しなければならなかった。
今日が結婚式当日である。
出席者には、信長様と帰蝶様、今井宗久殿、斎藤新五殿、不破市之丞殿、稲葉一鉄殿、氏家卜全殿など。
それから、もちろん俺の家臣達や支配領域の有力者なども出席する。
稲葉一鉄殿といえば…明智殿に3年ほど前――俺が信長様に仕える前のことであるが……一鉄殿の家臣であり娘婿でもある斎藤利三を一鉄殿に話を通すこともなく奪われたと、信長様に訴え出たことがあったな。
その訴えに信長様は〝十兵衛、斎藤利三を一鉄に返せ〟と命じられた。
引き抜く相手の主人に話も通さずに奪うのは、マナー違反であるから当然である。
俺も信長様から家臣や小性を引き抜いたことがあるが…ちゃんと信長様に話を通したし。信長様に難色を示されたらすんなり引き下がるつもりだったし。
信長様の裁定に対し、光秀殿の答えは〝その裁定には従えませぬ。優秀な家臣を持つことは、それがしの働きにも影響することですし、弾正忠様のためにもなることです〟といって逆らうもの。
俺はこのやりとりを見ていたわけではないので、真偽のほどはわからないが……信長様はこの返答に大激怒。光秀殿の服の襟をつかんで引きずり回し、光秀殿の頭を何度も欄干に打ちつけたという。
刀が信長様の手元になかったため怒りをそれで収めたけども、手元に刀があったら光秀殿は間違いなく斬られていただろう。
これでこの話が終わっていれば良かったのだが…最近、領国経営と毛利攻めの準備のために家臣が足りなくなったのだろう。光秀殿は、また、一鉄殿の家臣――しかも一鉄殿の娘婿を断りもなく引き抜こうとしている。那波直治だったか?
(斎藤利三も那波直治も一鉄殿の娘婿。一鉄殿はよほど娘婿の扱いが酷かったのかもしれない。だが……)
信長様は、家臣の過去の失態を忘れない。同じことを繰り返せば、今度こそ斬られてもおかしくはない。
明智光秀の重臣となった斎藤利三も四国の長宗我部氏と血縁関係があるため、信長様に長宗我部氏の四国切り取り次第を許させようと動いている。
こちら側も、丹羽殿と滝川殿が四国出兵に向けて動いているのだ。長宗我部氏にも四国討伐に協力すればわけ前を渡す。だが、切り取り次第というわけには行かない。
この件で斎藤利三はよほど強引に動いたのか、信長様から切腹を命じられることになるのだが…
まあ、いずれの動きも始まったばかりの段階だ。
問題が表面化するまでには時間がかかるだろう。
(まったく四方八方が敵だらけの中、次から次へと問題を引き起こしてくれる)
本能寺の変を防ぐことは俺の使命の一つであるし、光秀殿のことは帰蝶様からも信長様との間を取り持つようにお願いされている。
俺は金ヶ崎の戦いにおいて光秀殿に救援に来てもらった借りもある。
そして、一鉄殿は俺の与力でもある。
織田家の法度の発案者兼評定衆の一員として、俺は信長様からこの争いをどう解決するか意見も求められるだろう。
幾重にも因縁があるが故に、俺はこれらの件に介入せざるを得ない。
今回は、「介入するにも機を見なければ」などと呑気なことを言っていられないのだ。
俺が、これらの難題に頭を抱えそうになった時。
「式の準備が整いましてございます」
俺の侍女長の筆頭である恭が、うやうやしく告げた。
俺は紋付袴姿で、すでに新郎の席に座っている。
参列者も皆、席に座っている。
式の準備が整ったとは、俺の隣に座るべきお市様の準備が整ったということである。
白むく姿のスタイルのよい長身の美女がしずしずと部屋に入ってきて、俺の隣に座った。
「綺麗だ」
俺がそう感想を漏らすと、お市様が
「ありがとうございます」
と頬を染める。
いつもお市様のことを綺麗な人だと見惚れてしまうが、白むく姿に化粧と口紅という嫁入り衣装姿は格別なものがある。
俺は先ほどまで難題に頭を悩ませていたのが嘘のように、幸せな気分になった。
お市様が席に着くと、まず、酒盃に酒が注がれた。
俺たちの目前には大中小の3つの酒杯が並べられている。
その酒杯で新郎が三度、新婦が三度、また新郎が三度酒を飲む。
日本の共食信仰に基づく固めの儀式――三三九度である。
「おー!!」
パチパチパチ
俺とお市様が交互に杯を飲み、俺が最後の三献を飲み干すと周囲から拍手が起こった。
「これにて、婚儀が成立した。2人とも結婚おめでとう」
信長様が厳かにそう言った。
「「ありがとうございます」」
信長様からは結婚祝いとして、嫁入り道具一式と馬と鷹と刀と茶道具一式を頂いた。
まだ、どんなものか確認していないが、信長様には名品を収集する癖がある。どれも、信長様の審美眼にかなった超一級品だろう。
「ここからは、2人の結婚を祝う酒宴となるが…その前に…フロイス師に姓名を与えることにする。儂の一門衆となったのだ。日本の姓名を与えないとな。これじゃ」
そういって、信長様は何かが書かれている和紙を広げて見せる。
そこには、楓炉瑠偉須長と大書されている。
(かえでろ・るい・すなが??)
「ふうろ・るい・すなが、じゃ!!」
俺の心の声でも聞こえたのか、信長様が心外そうに叫ぶ。
(ふうろ・るい・すなが…か。なるほど)
頑張ってルイス・フロイスの語感を残してくださったようで、俺は感動する。
(しかし…よかった。風呂椅子とかじゃなくて)
名前を与えると信長様がおっしゃった時、一抹の不安があったのだ。
信長様は自分の子供に身の回りで使用する物の名前をつける癖がある。
五徳とか、茶筌とか、酌とか。
五徳って鍋置きのことだったかな?母親は、さしずめお鍋の方か?
嫡男である信忠様の幼名は奇妙丸だったな。
こちらの母親は吉乃の方だったか?
「長の字は信長の長じゃ。本当は信の字のほうを与えたかったのじゃが…ルイスの語感を残したくてな。そなたを軽んじておるわけではない故、許せよ?須長とは、長く用いるという意味でもあるしな」
「許す、などめっそうもない。楓炉という語感も大変、美しく、須長という名前の意味にも感動いたしました。本当にありがとうございます」
「うむ。2人で楓炉の家を盛り立てよ」
「「はいっ」」
俺たちは大きな声で返事をした。
この時、俺は28歳、お市は26歳なのだった。2歳差の夫婦の誕生だ。そして、俺は織田一門の仲間入りを果たしたわけだ。
このあと、盛大な酒宴となった。
俺は新郎として、祝杯を何杯も受けなければならなかった。
まあ、こういうときは昔も下に木桶が置いてあって、口をつけるだけでいいのだが。
♠️
夜遅くまでつづいた宴会もようやく終わり、俺達は入浴を済ませてから寝室に入った。
寝室にはもちろん布団が一組にマクラが二つ置いてある。
このシュチエーションはなんだか緊張する。
「ふう。祝宴もやっと終わりましたね」
「はい。みな、楽しそうに祝ってくださり、何よりでございました」
「今日から、夫婦になるわけですが…市って呼んで良いですか??」
俺がそう言うと…
お市様いや、市殿はキョトンとした顔をした。
「当然でございます。私達は夫婦なのですから。わらわは、瑠偉様のことを殿っておよびしますねっ」
(殿って……なんか照れるな)
でも、夫婦の最初の作業として名前を呼び合うのも一興か
「…市」
「なんですか?…殿?」
市殿は、恥ずかしげに答える。
「市殿のことも家族のことも大切にします。備前殿の家族や配下の兵達にも鉄砲や梅干し、米などを毎年送ります。だから、末永くよろしくお願いします」
そういうと…。
市殿も佇まいを直して、三つ指をついた。
「こちらこそ末永くよろしくお願い申し上げます。前の婚家では、実家との仲をとりもつという役目を果たせずに悲しい思いも致しましたが…前の婚家の主従の食事のことまで気をまわしてくださる優しいお方と結婚できて、大変ありがたく、嬉しく思っております。今度は、わらわもこの家を盛り立てるためにいろいろと瑠偉様に教えていただきたいと考えております」
「教えるなんてそんな。プロポーズの時ももうしましたが、婚前旅行を通して市殿はとても聡明な方だと感心し、頼りにしてます。物事の本質を一瞬にして把握しているというか。私が間違ったことをしてると思ったときは遠慮なく指摘してください」
「はい」
「それと…」
「それと?」
「……少し体裁の悪いお願いなのですが…茶々姫との和解にも協力していただけないでしょうか??」
俺がそういうと
「ほほほ」
と市殿が笑い出した。
「たしかに瑠偉様は、茶々が苦手そうですものねっ。茶々は性格もわらわと似ていて、癇の強いところがありますから」
「笑いごとでは、ありませんよ。あの市殿にそっくりな目で睨まれると…身がすくむのです」
「へー…ということは…殿はわらわにも睨まれると身がすくむのですか?」
市殿はいたずらっぽく俺に身を寄せて、俺の顔をまじまじと覗き込んだ。
(ぐっ。可愛いな。もうっ)
俺は、内心たじろぎつつ、平静を装う。
「ええ」
「戦場でのお働きにも定評のある殿が意外ですこと。覚えて置きますねっ。茶々とのことも努力致します」
「お願いします。あと、弾正忠様に楓炉の家を盛り立てよと言われましたから、子供も作りたいですね」
と囁く。
少し、旗色が悪いかったので、先ほど市殿が身を寄せてきたのを逆用して、市殿の艶やかな髪を優しくかき分けてから、お市殿の頬を両手で優しく挟み、おでこ同士をくっつけながら反撃に出ることにしたのである。
そして、顔を離して市殿の顔を覗きこむ、
そうすると、案の定、市殿は顔を真っ赤に染めて恥ずかしがった。
4人も子供を産んでいるのに可愛いことだ。
「…そうですねっ。では……灯りを消してくださいませ」
「ええ」
おれはふっと灯りを消しにいき
市殿のところへ戻って口づけを交わす。
熱い口づけを交わし続けながら床に横になっていく…
中略
こうして、2人は初夜を迎えたのだった。




