論功行賞4
天正元年11月末 岐阜フロイス屋敷書斎
西洋式のランプに照らされた和式の部屋の中、俺は机を前になにを書くか思案していた。
考えをまとめる為に何かを書き記すという習慣はいつからついたのか?あるいはこのルイス•フロイスの身体がそうさせているのかもしれない。
考えるのは、アマテラス様におしつけられた難題――織田信長を本能寺の変から救い、織田信長を世界の覇者にするという無理ゲーに関する進捗状況と今後の課題についてである。
西洋式の羽ペンを手に取って、書くことを推敲しつつ紙に文字を記していく。
〝今回の論功行賞にて浅井•朝倉攻略はやっと終結したと言える。朝倉義景は自害。浅井長政•久政はタイのパタニ王国へ追放となった。両者を分けたのは格当主たちの了見の差であったであろう。
朝倉義景にあったのは、新興勢力である織田信長への嘲りと嫉妬•拒否感であったか?
浅井長政にあったのは、世界のことや織田信長に対する興味•関心と父親や家臣に対する遠慮の間での逡巡だろう。
嘲りや嫉妬という感情は如何ともし難く、朝倉義景には何度も上洛を促しても無駄であった。信長様の天下布武の目的の為に朝倉義景には死んでもらうしかなかった。
一方、浅井長政の中の世界や織田信長に対する興味は、救いようがあった。俺は、浅井長政が世界に興味があるのならば活躍の場を世界に移せば良いのではないか?と考えたのである。
この試みがうまくいくかどうかは長い目で見守らないとわからないが、私は戦国時代の日本兵の強さは世界屈指であると考えているし、日本人の傭兵としてのニーズも高いのではないか?とも考えている。この傭兵の輸出並びに海外におけるお家再興の支援は、反織田勢力を処断する一つの方法となるのではないかと期待している。
問題はどういった人間を生かして国外につれていくか、だが……それは当人の才覚や度量•人間性に依存するのではないだろうか?
では、傭兵の受け入れ先である林道乾はどうなっているだろう?
明の大学を出て、世界を股にかける大海賊の頭にまでなったあの男はやはり俊英だった。
天照女神像を使って朝輝教をあっという間にパタニ王国全土からインドネシアの半分にまで広めて炭鉱を開き、良質な石炭を堺まで輸出してくれるようになった。
おかげで今では反射炉2•3個なら2•3年は稼働し続けられる量の石炭が堺に備蓄されている。
反射炉を二個建設するための1万2千両。つまり2万4千貫は信長様に頼らなくてもこれまでの醤油や酒の特許料と朝輝教の信者からの寄進で賄える。
醤油の特許料としては売り上げの1割が毎年入ってくる。醤油は一升(1.8リットル)70文で売っており、醤油を売り出している地域にすむ人達が毎年一人あたり平均一升消費しているから特許料は毎年、合計約2万5千200貫にのぼる。
清酒も特許料を売り上げの1割に設定しており、売り出している地域の成人男性が毎年一人あたり平均3升くらい消費する。
値段は一升250文に設定。特許料は毎年、合計約7万5千貫にのぼる。
信者からの寄進は毎年合計約8万2千貫ほど。
それらの収入を足すと総額18万2千200貫。石高に換算すると91万1千石相当の収入。これに今回いただいた所領の79万石をたせば俺の収入は毎年170万石相当ということになる。
これだけの収入があれば反射炉だけでなく、たいていのものが作れる。
製鉄関連でいえば堺に備蓄している石炭を持ってくるのに馬車がいる。
馬車を作ろうと思ったらまず馬の去勢技術を伝えなくてはならない。日本の馬は去勢してないから気性が荒く、二頭たて以上の馬車が作れなかったのだ。
そして、馬車を速く走らせるためには衝撃を吸収するためのサスペンションがいる。サスペンションも開発しないといけない。
堺から京都までの道路も整備しないといけない。
京都から北近江までは水運を使いたいから船も作らないといけない。その船は明式のジャンク船でいいか。
鉄鋼石は美濃でとれる。美濃から北近江までの道路も整備しないといけない。
反射炉で錬鉄が作れるのならば夢が広がる。まず鉄甲船に貼るための鉄板を量産することが容易となる。防錆剤としては石炭を蒸し焼きにしてコークスにした時にでるコールタールを用いる。
鉄砲も刀鍛冶が鉄を鍛えることをしなくてもよくなり、量産が容易になる。よく考えたら鉄の加工がしやすくなるので大砲や鉄砲は考えていたより進化させられる。ミニエー銃や青銅砲じゃなくてボルトアクション式の村田銃や鉄製のカノン砲が作れるかも。
鉄砲や大砲の大量生産には工作機械が不可欠。
水車動力の工作機械も作るか。
となれば、水車も改良しないと。
錬鉄と工作機械が揃えば蒸気機関が作れる。
これらの兵器を開発出来たら、もうこの国に織田家にかなうものがいなくなってしまうだろう。
となれば、織田家の敵は織田家の内部にこそいるのかもしれない。
本能寺の変――織田信長が毛利攻めの救援に駆けつける途上に先行するはずの明智光秀が謀反を起こして織田信長とその後継者たる織田信忠をうった事変。
この事変が起きる兆候がいつからあったのかはわからない。もしかしたら明智光秀が目の前にいきなりチャンスが現れたと発作的に起こしたのかもしれない。それなら話は簡単。そんな隙を作らなければ良い。
あるいは、今年の7月に行われた将軍の追放がきっかけか?明智光秀は細川藤孝の食客となり、若い頃から足利義昭を将軍にするために奮闘してきた。足利義昭が将軍になってからは少数の兵で三好一党の包囲攻撃を耐え忍んだこともあった。
その将軍が追放された時は複雑な気分だったことだろう。その将軍家との繋がりはその時にきれたのかつづいていたのか…どちらにせよ、明智光秀を見張っておく必要がある。
まぁ、現在はむしろ、明智光秀が将軍・足利義昭に愛想をつかして離反し、足利幕府の幕臣達を自分の家臣に引き込んで信長様の信頼を勝ちとっているのだが。
幕臣達が織田信長についた明智光秀の下につくことは幕臣達が足利義昭に愛想を尽かしたことを天下に知らしめることになるからだ。それだけ、足利義昭の素行が悪いからであり、義昭公を追放した信長様は悪くないという世間の評判を得れる。
この光秀殿の働きを信長様はたいそうお喜びになられた。
その功績が近江坂本の領地と城を作る許可に繋がっている訳で。
俺の北近江の地と明智光秀殿の坂本の地が他の家臣とちがって領有を許されたのも、城を築くことを許されたのも、俺たち2人の忠誠心が評価されている証。
信長様は近江の安土に城を築くことを計画しているから、安土城を守る両翼の城として光秀殿に坂本城を、俺に長浜城を作らせるつもりなのだ。
坂本といえば、俺が朝輝教を広めたことで比叡山の焼き討ちも起きなかった。天照女神像には不思議な力があり、天照女神像を毎日拝むことで比叡山の僧兵達も品行方正となり、乱暴狼藉を働かなくなった。
それは一向宗の門徒も同様であり、長島一向一揆のほしごろしなども起きなかった。
これらの戦いは織田家中のものの心を擦り減らし、疲れ果てさせるものだったはずで…これらの戦闘が起きなかったことで織田家の武将たちの心労もだいぶ軽減されただろう。
俺の呼びかけに丹波の国人領主達が応じたのも大きい。
丹波を平定するにあたって丹波の国人領主の1人であった波多野氏に明智光秀が母親を人質にだして、殺されるという事件も起こらなかったし。
これらの点から、信長様と光秀殿の間にある葛藤もだいぶ軽減されているはずなのである。
まだ、油断はできないが…。
荒木村重や松永久秀など他の大名や家臣の織田信長に対する裏切りもつづいた。これの発端は佐久間信盛や林秀貞ら長年仕えてきた重臣を無慈悲にも身一つで追放したことだろう。佐久間信盛に関しては信長様から信盛どのへあてた折檻状がのこっており何で追放されたのか明確なのだが、林秀貞殿の追放は根拠がわからない。明確な根拠のない追放が信長様の家臣達の不安を煽ったのかもしれない。
これに関しては与える所領の位置を工夫してある。信長様は論功行賞の前、俺に家臣に与える所領の位置と多寡についての草案をみせてどう思うか意見を求めてきていた。
まず、摂津は下克上をおこして主の池田勝正を追放し摂津を乗っ取った荒木村重のものではなく、信長様の乳兄弟で信長様からの信任のあつい池田恒興に変えた。信長様は荒木村重のことも気に入ったとして荒木村重も信長様の旗本として召し抱えたので、このことが争いの種にはならないだろう。
まぁ、一度下克上を起こした荒木村重のどこを信長様が気にいったのはわからないが。
荒木村重という男は、摂津を任しておいたらまた裏切る。この、謀反野郎が!
謀反野郎といえば…松永久秀が謀反を起こした理由は信長様が切り取り次第を許した大和の地を久秀に与えずに筒井順慶に与えたことに端を発していたようなので、大和の地を筒井順慶にではなく松永久秀に与えるよう進言した。
ただし、今度は大和を切り取られた側である筒井順慶が不満を持って反乱を起こすだろう。
こうなった場合はどう裁くのか?――反乱を起こした方も起こされた方も詮議の上、喧嘩両成敗することを基本とした法度を作る。これも進言した。
国を2等分から4等分して与えられた家臣たちも細かい分配で揉めそうなので、その判断は信長様に委ねるように法度に記す。もし、信長様の判断を仰ぐことなく刃傷沙汰を起こしたら詮議の上、喧嘩両成敗を基本とする。
その手の争いをあらかじめ防ぐという意味では、柴田勝家と中川清秀の領地の位置にも気を使った。この二人は実際に領地をめぐる争いをおこし、家臣同士が刃傷沙汰をおこして中川清秀が処罰された。だから柴田勝家と中川清秀の所領はだいぶ離した上、中川清秀を柴田勝家ではなく丹羽長秀の与力とした。
法度には織田家に対する上納金に関する事項も盛り込む。あとは動員兵力に関することや検地に関すること、軍規に関することなども。
これらの法度の草案は既に信長様に献上してある。
佐久間信盛や林秀貞の5万石という恩賞の多寡に関しては信長様の草案に口だししなかった。が、所領の位置に関しては口を出した。所領の位置を武田の勢力圏である信濃に寄せたのである。
武田と織田が争ったとき、国境の人間は調略を受けることとなる。織田につくのか武田につくのか選択を迫られるわけだ。信長様の弟である信行が謀反を起こした時に信行方についた信盛殿と秀貞殿達にはいざというときどちらにつくのか選択の自由を与えてみようと考えたのである。もちろん監視をつけた上で。
戦国の雄・武田信玄は昨年、俺が北近江の横山城という敵地のど真ん中で神経を擦り減らしながら調略に勤しんでいて忙殺されてた間に亡くなった。今、武田は実質的にその息子の勝頼が仕切っている。
武田の兵は強力であり、三方ヶ原の戦いでは三河の徳川殿とともに佐久間殿も林殿も手痛い敗戦を味わっている。
さて、林殿と佐久間殿はどう動くだろうか??
本能寺の変を防ぐための今打てる手は以上であろうか?変化があったらまた考えることにする。
ちなみに俺は、これまでの働きによって領地と嫁をもらうこととなった。いきなり広大な土地を所領にもらったことで人手が足りなくなることは必定である。
俺も人材登用を考えなければならない。さしあたっては山内一豊の妻•千代を約束通り登用しよう。
ただし、勘定奉行という高い地位にいきなりつけることはできない。何か功績を立てさせなければ。
俺の生徒である菊千代や仙千代とともに検地を行わせて俺の所領をくまなく回らせてみるか?
その上で、その地にふさわしい産業などを見つけさせ提案させてみる。さらには、めぼしい人材を推挙させてみてはどうか?
人材に関しては、すでに北近江から俺の授業を受けたいという若者達――石田三成、大谷吉継、藤堂高虎、蒲生氏郷など近江出身の優秀な生徒が集まりつつある。
蒲生氏郷に関しては信長様がいたく気に入り、「こいつは儂の家臣にして娘婿にするので、絶対にお前にはやらんぞ」と念を押されているので、俺がもらうのはあきらめるが。
この者たちを登用しつつ、不便な小谷城を解体して琵琶湖湖畔に城を築かせておきますか。城下町には楽市楽座も設けさせて商人を呼び込もう。
城が完成するまでに最低でも3か月はかかるだろう。それまで何をしようかな??
大島光義と山内一豊に命じて六角の残党を討伐させておこうか。
国友村と関では、長篠の戦いに備えて鉄砲用の工作機械を作らせて、雷汞を使って着火する方式のパーカーションロック式の小銃を大量生産させておこう。
九鬼嘉隆には、西洋式のキャラック船を数船作らせておく。
この船は西洋式艦としては一世代前の型となるが、最新式のガレオン船と比べて喫水が深く、重心が安定しているのが特徴である。つまり、ガレオン船より速度は出ないが、後から鉄板を貼っても重心が安定している分、転覆しにくいだろうということ。
それらの指示を出した上で、俺は結婚する前に還俗しないといけないから、長崎にあるイエズス会の日本本部に行かないといけない。
(多分、悪魔に魂を売ったのか?とでも罵られるのだろうけど…。)
ついでにキリスト教に好意を持っている大友宗麟でも調略してこよう。
海外戦略としては、堯俊を琉球へ向かわせ、朝輝教を広めさせておこう。琉球のあとは、台湾。そのあとは、満州の女真族へ朝輝教を広める。中国の王朝、明を攻略するために〟




