金ヶ崎ののきぐち1
♠️元亀元年4月25日深夜
織田軍の強さの一端は軍の神速の進退にあるのではないだろうか?
今回の戦においても撤退するとなったら2万人以上の将兵が一気に去っていった。
お市様からの使者は皆が撤退してからしばらくして訪れた。届けられたのは小豆色で両端をひもでしばったふくろ。香もたきしめられているらしく、かいだことのあるいい匂いがする。浅井殿との会食の時にお市様がつけていた香であっただろう。
(これは、生きて帰ったらオレの家宝にしよう)
死地において、いい匂いのする小豆色の袋をみつめながらオレはそんな益体もないことを考えている。
3千の兵は3つに分けた。金ヶ崎は隣にある天筒山と1・1kmにおよぶ長大な丘陵で繋がっており、出入り口も多く守るべき箇所も多いからだ。
1つ目の隊は金ヶ崎城の入り口部分―金ヶ崎口で木下藤吉郎殿が1000の兵を率いる。
2つ目の隊は金ヶ崎城の本陣で俺が1000の兵を率いる。
3つ目の隊は、本陣から10町南へ離れた所―撤退路の出口にあたる所を斎藤新五郎殿や前田又左衛門殿らが1000の兵で守っている。
金ヶ崎城の前面にある平野部や金ヶ崎城の主な出入り口は、罠で封鎖してある。
格陣には10門ずつの木砲を設置。木砲は330年後の日露戦争にまで使われた兵器であり、軽くて材料に困らず簡単に作れる上に兵器としての質も侮れない。
物をこわすための威力はそれほどではないものの、棒火矢(日露戦争で使われたのは迫撃砲弾だが)を用いた場合、その飛距離は2キロにも達する。木像建築を燃やす焼却力も着弾時に飛び散る破片が人を殺傷する力も高い。
オレが開発した新式銃も格陣が100丁ずつ装備している。美濃でとれた鉛や硫黄、そして俺たちの交渉で値段を8分の1にした硝石のおかげで火薬も矢弾も十分にある。
鉄砲の値段は4分の1、火薬の値段も4分の1以下に抑えたとはいえ、開発費用は3千貫(1億5千万円)ではとてもおさまらず、信長様に1万貫(5億円)ほど追加で出してもらったが…。
俺が信長様からいただいた1万3千貫もの開発資金も3000貫もの俸禄も鉄砲奉行としての力量を期待されているからこその物。その成果をこの撤退戦で十分以上に示さなければならない。
撤退した各隊が旧式の火縄銃や旗指物を置いて行ってくれたおかげで旧式銃は600丁にいたり、格陣には大軍が控えているが如くの旗指物が揺らめいている。
史実においての兵数は1200人、鉄砲の数は旧式銃が300丁であったという。
今の俺たちの兵数は史実の2・5倍。火力に至っては3倍以上。新式銃の性能も旧式の火縄銃に比べて、飛距離、精度、威力、充填速度など全てにおいて段違いである。
そして、金ヶ崎城の前面及び撤退路以外の出入り口や山の斜面は罠だらけ。
俺たちが立てこもる金ヶ崎城の防御力は史実より飛躍的に向上しているわけだ。
だが…これらの変化が果たしていい方向にはたらくのかどうかはわからない。防御力が飛躍的に上がったことで過信が生じ撤退の判断を間違えれば、率いる兵達や俺自身の命も危ない。
兵達はこのしんがりの役目が死戦となることを十分にわかっており、みな決死の表情で隊列を組んでいる。
俺は重苦しい雰囲気の中、撤退した重臣達の兵団を案内した忍び達が周囲を物見してから帰ってくるのをまつ。
耳に聞こえるのは、鎧が立てるガシャガシャという音やセミの鳴き声や鳥たちの囀りのみ。
初夏の蒸し暑さに鎧姿の俺はじっとりと汗をかきながら報告を待っていると…
「申し上げます。一ノ谷へ向かっていた朝倉中務の軍が織田軍の撤退を察知したようで、6千ほどの兵を率いてこちらに戻ってきつつあります。さらに増援も刻一刻と集まっている模様です」
忍びの一人がそう報告してきた。
(6千か)
この陣を力攻めしてくる分には少ないが…こちらから突破するにはちと多い。
俺達がしんがりの役目を果たすには2刻(4時間)ほどこの城で持ち堪えた後に、俺達自身が撤退するために朝倉の兵達を突破しないといけない。それまでに相手の兵を出来るだけ消耗させたいところだ。
そう考えつつ全軍に声をかける。
「織田家の興亡はこの一戦にあり。ここで生きのこれば弾正忠様から感謝状と褒賞金が出るだろう。全軍、生き残って帰ってから弾正忠様からの褒賞金で祝杯を上げようぞ」
俺がそう声をかけると…
「「おー!!」」
とみなが震いたった。
俺の目前に整然と隊列を組んでいるている火砲隊、弓隊、槍隊らはここ一年の訓練の成果もあって、頼もしい限りだ。
史上屈指の撤退戦―金ヶ崎ののきぐちが今、始まる。




