1-6 何も聞いてないです
「あの瑞垣が人見知り……!?」
まさかの事実である。あの博識天才美少女にも弱点があったなんて……。
というか、彼女が天才だと勝手に決め付けていたのは俺なんだけど。
「そうだよ。初対面の相手――特に男の子にはかなり抵抗があるらしくて、話し掛けられただけでも驚いて逃げちゃうんだ」
「うわ、そりゃ重症だな……」
まともなコミュニケーションが取れないとあらば彼氏ができないのも当然か。
人付き合いが苦手なら俺も無理にアプローチをしてはいけないだろう。瑞垣に負担を掛けるだけになってしまうからな。
だが……。俺は一つの疑問が浮かんだ。
「でもさ、瑞垣は人と話すのが苦手なのに何で新入生代表なんか引き受けたんだ?」
「それは彩愛ちゃんが断れない性格だからだよ。本当はやりたくなかったんだろうけどね」
なるほど……。長身の黒髪ロングという見た目だけでクールビューティーなイメージを抱いていたけど、実際は優しくてシャイな子だったのか。寧ろ高ポイントだな。
「前途多難だな、これは」
「あれ? 颯太くんまだ諦めないの? 彩愛ちゃんは手強いよぉ~」
大月は人差し指をぐるぐると回しながら俺を煽ってきた。しかし仕草がいちいち可愛いな。うっかり惚れてしまいそうだぞ。
「俺は中途半端が嫌いな男だからな。何もせずに身を引くなんてできねぇよ」
どんなに険しい壁だとしても全力を尽くすのが俺のポリシーなのだ。瑞垣と仲良くなるのはかなり難しいかもしれないけれど、行動せずには何も始まらない。チョコレートのように甘い青春を送るきっかけを今は探そう。
「颯太くんは格好良いなあ。ボクも見習いたいよ」
うっとりとした眼差しでこちらを見つめる大月。だから惚れてしまいそうになるだろうが。
◆
放課後。
俺は鞄に荷物を詰めて帰り仕度をしていた。すると教室の出入口の辺りから何やら大声が聞こえてきた。
「颯くーん! 早く来てちょうだーい!」
声の方向を見やると手を大きく振りながらぴょんぴょんと飛び跳ねるゆり姉がいた。あの馬鹿姉め……。俺がA組になった事は伝えてなかったのによく嗅ぎ付けてきたな。
それに「颯くん」という呼び名をクラスメイトの前で言い放つのは恥ずかしいからやめてくれ。俺が幼女に変なプレイをさせている風に見えたらどうするんだ。
「あの子は……颯太くんの知り合い?」
隣の席に座る大月が聞いてきた。まあ、いきなり大声で呼ばれたのだから気になるのも無理はないか。
「あれは俺の姉だ。言っとくがああ見えて二年生なんだぜ?」
どう見ても俺達の先輩には見えないため釘を刺しておく。
「へぇー。颯太くんにお姉さんがいたんだ。とっても美人さんだね」
「どこがだよ。口を開いたらうるさいだけのガキだぞ?」
こう言ってはなんだが、大月の方がよっぽど美人である。愛嬌もあるし女子だったら完璧だよな。
「誰がガキよ! さっさとこっちに来なさい!」
「うわ、聞こえてたのかよ」
痺れを切らしたゆり姉が声を上げる。やれやれ、面倒な事になりそうだな。
「じゃあな大月。また明日」
「うん。また明日ね!」
大月は無邪気な笑顔でこちらに手を振ってくれた。あぁ癒される……。大月は俺の心の支えになってくれそうだ。
◆
俺はゆり姉の後ろを付きながら校舎内を黙々と歩かされていた。恐らく俺に何かを見せたいのだろうけど、聞いても「着けば分かるわ」としか答えてくれなかった。
はぁ……。さっさと家に帰って休みたいのに何故俺は姉の言いなりになっているのか。別に逆らってもいいのだが、ゆり姉を前にすると不思議とその気にはならないのである。
きっと姉と弟という絶対的な主従関係が俺の潜在意識に刷り込まれているのだろう。くそったれが。
「んで、どこまで行くんだよ」
「あと少しで着くわ」
俺達の教室がある校舎から渡り廊下を渡って特別教室が集まる校舎へと移動している。放課後という事もあり、この辺りの人通りはまばらだ。ゆり姉のやつ、一体どこへ連れていく気だろうか。まさか怪しい取引に俺を――って有り得ないか。
「……着いたわ。ここよ」
ゆり姉が立ち止まったのはごく普通の教室の前だった。プレートには『第二講義室』と書かれている。
「俺を連れてきた理由って結局何だったんだよ」
「ふふ、それは中に入れば分かるわよ」
ゆり姉はそう言って教室の引き戸をゆっくり開けた。その先には何があるのだろうか。俺は生唾をゴクリと飲む。
それから恐る恐る部屋の中を覗く。すると一人の女子生徒が並べられた椅子に座っているのを見つけた。
「つづらちゃーん! 期待の新人を連れてきたよ!」
「あら、意外と早かったのね」
女子生徒は立ち上がるとほんのりとした笑みを浮かべながらこちらに駆け寄ってきた。ゆり姉の友達なのだろうか。
「紹介するわ。こちら、弟の颯くん。こんなダメそうな見た目だけど私の可愛い弟だから、よろしくね!」
「おい、ダメとはなんだ失礼じゃないか」
少なくともゆり姉には言われたくない。
「なによ。成績はいつも私より悪い癖に」
「平均超えてるから別に良いだろ。それに野菜嫌いのお子様よりはマシだし」
「なんですってぇ!」
ぷっくりと頬を膨らまして反抗するゆり姉。そういう所がお子様だと思うんだけどな。
「あらあら。二人とも仲が良いわね」
一方、女子生徒はまるで達観したかのような目でこちらを見ていた。その風貌は大人の視点というか母親に似た絶対感がある。あくまで想像だけど。
更にふんわりと巻かれたパーマ髪やおっとりとした口調にも惹かれてしまう。
そして何より! 上半身に位置する豊満なソレに母性の全てを感じる。ゆり姉には米粒程度しかないソレがたわわに実るとこうも魅力的になるのか。素晴らしいぞ、おっp――
「コホン。では話を戻すけど、颯くん。この子は私の部員のつづらちゃんよ」
「はい、私は忍野つづらと言いますー。ゆりっちとはいつも仲良くさせてもらってるよ。これからよろしくねぇ」
米粒同然の我が姉に俺の妄想を遮られ、勝手に話が進んでいく。しかしながら、未だにゆり姉の意図が分からない。部員という単語が出てきている辺り、雲行きが怪しくなっている気はするが……。
「えっと……。こちらこそ、いつも姉がお世話になっております。迷惑をかけていたら叱っておきますので何なりと言ってください」
ゆり姉の友人と思われる忍野先輩が丁寧に挨拶をしてきたので、こちらも相応の作法に従って返事をした。姉の保護監督者としては十分な対応ではないだろうか。
「ちょっと! なんで颯くんが上から目線なのよ。私の方が年上なのよ!」
「はいはい分かりましたすみませんねはい」
「全然反省する気が無い!?」
ゆり姉は怒りを通り越して驚いた顔をしている。しかし表情が豊かな奴だな。疲れないのだろうか。
「それでゆりっち。弟くんには説明したの? 部活のこと」
「あ、そういえばまだだったわ」
部活……? 俺に説明……?
あぁ不思議だな。既に嫌な予感しかしないけど。
「颯くん。ここは私が作った部活の部室なの」
「ということは部長は……」
「私よ!」
「マジっすか」
ゆり姉が部長とか大丈夫なのかこの部活。しかもこの流れって――
「それでね、恋愛研究部っていう部活なんだけど颯くんには是非、というかお姉ちゃんの特権で……」
何やらゆり姉らしい乙女なワードが聞こえた。そして彼女はビシッと俺の顔に向けて指差しながら強く言い放った。
「私の部活に入りなさい!」