1-10 入部希望です
「え、何? 私聞き間違えた……?」
ゆり姉、忍野先輩の表情は凍り付いていた。無論、俺も動揺を隠せずにいる。
どうやら当事者を除いた全員がこの有り様なので、聞き間違いではないのだろう。瑞垣はゆり姉の身体を触りたいらしい。
「そんな驚かないでくださいよ。優しくしますから」
「だ、駄目よ! 私の初めては鰍沢くんに捧げるって決めてるんだもん!」
さりげなく恥ずかしい秘密を暴露したゆり姉だが、瑞垣の暴走は止まらない。
「大丈夫です。女の子同士ならノーカンです」
「そういう問題じゃないの!」
「なら一部だけでも構いません。その平らな部分とか……」
「胸は駄目に決まってるでしょ。こんなの触って誰が得をするのよ」
「えー可愛いじゃないですかぁ。貧乳は希少価値なのですよ?」
ゆり姉はまるで猛獣に目をつけられたかのように怯えた表情をしている。そろそろ止めに入るか……。
「あの、瑞垣……さん? 姉も怖がってるんで少し引いて――」
「男は黙ってなさい!」
瑞垣に近付いた直後、グーパンチで追い返された。なんで俺が怒られるの……?
「ちょっと! 颯くんに何するのよ!」
「せめた頭だけでも撫でさせてください。なんならぷにぷにの手のひらだけでも」
「人の話を聞きなさいよぉ!」
今だけはゆり姉が正論だ。何一つ間違ったことは言っていない。
「焦らしプレイって私嫌いなんですよ。もう我慢できない……」
「い、いや、やめて…………ひゃぁぁ!」
尻餅をついて逃げるゆり姉に瑞垣は飛びかかった。ゆり姉よ、お達者で。
「うひひ、先輩可愛すぎますよぉ。全身がマシュマロみたいに柔らかいですぅ。ほっぺも弾力があってぷにぷに……おぉ、髪もさらさらで良い匂いだぁ。肌のツヤも凄いですね。羨ましいです……。おっと二の腕の柔らかさも子供みたいだなあ」
ゆり姉のあらゆる箇所を撫で回す瑞垣。
そういえば瑞垣って人見知りだったはずなのでは……? 初対面の相手なのにべらべら喋りすぎだろ。俺には事務的な会話しかしなかったというのに。
「ねえ、弟くん……。事情は聞かないけど、なんか凄い子を連れてきたわね……」
「そうですね。というかヤバい子ですね」
第三者視点で見守っていた忍野先輩は既にドン引き状態。
俺達は棒立ちになって事の行く末をただひたすら待つのだった。
◆
「ありがとうごさいました。優里奈ちゃん先輩~」
約二十分後。そこには全身から輝くオーラを放つ瑞垣ともぬけの殻のような姿のゆり姉がいた。
「そ、颯くん……。晩御飯はビーフストロガノフが食べたいわ……」
「おぅ分かった分かった。今日はゆり姉の好きな物を何でも作ってやるからな」
ぐったりと倒れるゆり姉を見れば嫌でも同情したくなってしまう。今日の食事当番は俺ではないけれど、特別に代わってやるとしよう。
「ところで恋愛研究部ってまだ部員足りてないんですか?」
瑞垣は変わらずのマイペースっぷりで忍野先輩に質問していた。
「ええ、確かにあと二人足りないけど……。なんで貴方が知ってるのかしら」
「そ、それは……」
言葉を詰まらせる瑞垣に対し、疑問が浮かぶ。
現在の恋愛研究部は部として未成立の状態。尚且つ部員募集の活動もしていないらしいので存在を知ってる方がおかしいのだ。
「そういえば瑞垣はここにゆり姉がいる事も知ってたみたいだけど……やっぱり何か隠してないか?」
「えっと……その……」
もはや言い逃れできない所まで追い込まれたのか、瑞垣は観念したように答えた。
「……前に北杜くんがこの部室にいた時、廊下から盗み聞きをしていたの。優里奈ちゃん先輩がどんな人なのか気になっちゃってね」
「マジかよ、怖いな」
それって一歩間違えばストーカーじゃね? と思うのは俺だけでしょうか。
「先輩は可愛くて素直で羨ましいと思ったの。だから少しでも先輩に触る……じゃなくて力になれたらと思って……。つまり入部希望です。優里奈ちゃん先輩、私を恋愛研究部に入れてくれませんか?」
な、なにぃぃぃ!?
まさかの展開である。こうなると状況はより複雑になりそうだ……。
「駄目よ。まずはその「優里奈ちゃん先輩」とかいうふざけた呼び名を変えて頂戴」
「えぇ可愛いのに……。では優里奈先輩、私を恋愛研究部に――」
「駄目よ! 貴方みたいなおぞましい人間を近くに置いておきたくないわ」
結局駄目なのかよ。しかしゆり姉は断固拒否といった態度だな。先程のスキンシップが余程応えたのだろう。
「でもゆりっち。瑞垣さんを入部させれば実質四人になるから部の申請も通るよ?」
「待ってください! 俺は入るなんて一言も――」
言いかけて止まる。待てよ? これは瑞垣と同じ部活に入れるチャンスなのでは?
ゆり姉は俺を引き込みたがっているし、利害は一致する。瑞垣の本性が気になるところだが、一緒の部活になれば関係が近付くかもしれない。
「やっぱ俺も入部しようかな……」
「ちょ、颯くん!?」
「ふふ、これで部員は揃いますよ先輩。さあどうします? 私を入れてくれますか?」
もはや脅迫である。瑞垣に詰め寄られるゆり姉は再び怯えた目をしていたが「うーん」と悩みに悩んだ末――
「分かったわ。颯くんと瑞垣彩愛の入部を認める。これからよろしくね」