プロローグ 貧乳姉は食わず嫌いな子供です
俺の唯一のきょうだいである姉の北杜優里奈は、この春から高校二年生になる。俺より一つ年上だ。
成績は進学校を推薦入試で合格する程度には優秀。掃除、洗濯は申し分無し。料理は定番メニューしか作れないが、おふくろの味と呼べるような安心感がある。
しかし姉には致命的な欠点がある。人によっては長所と感じるかもしれないが、俺は決してそう思わない。
◆
「ねぇ颯くん、ティッシュが無いんだけど。持ってきてくれるとお姉ちゃん嬉しいな」
姉はリビングに置かれたテレビでベタな恋愛ドラマを視聴していた。ちょうど見終わったようで、感動したためか涙目になっている。
「何回同じ話を見させれば気が済むんだよ……。ほれティッシュ」
「ありがとう。お姉ちゃん、感激の余りで前が見えないよ」
「そうか。でもお礼なら俺じゃなくてテレビの向こうにいるお兄さんお姉さん達に言うといいぞ」
俺、北杜颯太は泣きじゃくる子供を宥めるように優しく答えてあげた。
しかし相手は高校二年生の姉。それでも俺は彼女を子供のように扱ってしまう。だが理由は簡単。
何故なら……姉の見た目は完全に小学生だから。更には思考回路までエレメンタリーなスクールだから困り者である。
身長は百三十九センチらしい。因みに小学五年生の頃から高さは変わらない。言うなれば五年連続保持記録達成。某モ〇ドセレクションなら堂々と金賞マークを掲げられる偉業だ。
また、姉が小学生と見間違われる要因としておさげ髪に熊のキャラクターが描かれたリボンを結んだヘアスタイル。慎ましすぎる胸に片手で容易に掴めてしまう程華奢な四肢が挙げられる。
更に頼まれたら断れない素直な性格や無邪気に振り撒く笑顔も正に子供といえよう。
とてもじゃないが青春を謳歌する華のJKには見えないのである。ボストン型のスクールバッグよりも真っ赤なランドセルや横断バッグ(※)を提げている方が余程似合っているだろう。
気付くとテーブルを挟んで向かい側のソファーを陣取る姉が頬をぷっくり膨らませていた。いけないいけない。お子様のご機嫌取りをし忘れるところだった。
「子供扱いしないで」
「……悪い」
「じゃあ拭いて」
「は?」
目を瞑り、一枚のティッシュを俺に差し出している。なにこれ? 俺が涙を拭けって事?
「お姫様かよ。それくらい自分でできるだろ」
「颯くんは分かってないわね。さっきのドラマにそういうシーンがあったでしょ」
指を振りながらチッチッと言う姉。うざい。
今から約三十分前、俺はリビングに呼び出され姉のお気に入りである恋愛ドラマ『恋色デイズ』の最終回のDVDを強制的に視聴していた。
因みにこの回は十回以上見させられている。おかげで話の展開どころかセリフまで大体覚えてしまった。正直口だけのファンよりはこのドラマに関しては詳しく語れると思う。
そして姉が言っているのはメインヒロインが想い人である田中という人物に涙を拭かれるシーンだ。
叶わぬ恋の別れという最終回の中でもクライマックスであるこのシーンは思わず涙を誘うとして女性視聴者からの評価は高い。
もちろん姉もここで滝のような涙を流す。だが今日はあまり泣かなかったので、ドラマの再現をして不足した満足分を補いたかったのだろう。
しかし再現といっても大事な所が根本的に間違っている。
俺と姉は血の繋がった姉弟なのだ。無論、恋愛感情を抱くような間柄ではない。
このように、少しネジが外れた乙女心を持つ姉に俺はよく振り回されている。俺はお前の玩具じゃないっつーの。
「ゆり姉が拭けよ。この絶壁小学生が」
「むぅ? 今なんて言ったのかなぁ?」
姉はむくりと立ち上がると俺の目の前までやって来た。
そして頬を両手で鷲掴みにされ、横にぐいーっと引っ張られる。事実を言っただけなのに……。
「お姉ちゃんの胸が無いのは今関係ないでしょー!」
「むぐむぐぐぅ」
胸が無いとは言ってないのだが……なんて屁理屈を言ったら余計怒られそうなので口は閉じておく。
しかしながら我が姉の発育のピークはお気づきの通り、五年前を最後に停滞の一途を辿っているのだ。本人もその点は意識しているようで、幼い見た目は彼女のコンプレックスとなっている。
「牛乳だって毎日ちゃんと飲んでるんだよ? だからきっといつか大きくなるもん!」
ゆり姉、その言葉はもう何千回と聞いたよ。でもさ……胸も身長もほとんど変わってないんだよ。涙目になりながら必死に訴える気持ちは分かるけど…………そろそろ諦めようぜ。
「わわったあらもうはあせぇ」
「じゃあお姉ちゃんを大人のレディーとして丁重に扱ってくれるのなら離してあげる」
「わわりまいたぁ」
「はぁーい。颯くんは偉い子ですねぇー」
ようやく頬の占領から解放されたと思ったら今度は大人とかけ離れた小さな手で頭を撫でられる。――なにこの屈辱感。もし妹だったら即刻殴ってるぞ。
とはいえ姉の無邪気な笑顔には幾分の魅力を感じたりもする。
はっきり言えば……姉は無駄に可愛いのだ。整った目鼻立ちは俺も羨ましいと思うくらいで、正直モテる部類なのだろうと思う。但し中身が残念なお子様なので俺は却下。付き合えば百万円貰えると言われても却下。そもそも実姉だし。
「ところでさ、大人のレディーは人参食べられるよね普通」
「ぎくっ」
姉の表情が強張る。いくら弟という立場の俺でも好き放題される訳にはいかない。
「ピーマンやセロリも……ゆり姉は大好きだもんね?」
「え、えぇ。もちろん大好きよ。な、何当たり前の事を言っているのかしら」
相当動揺してらっしゃる。反応が余りにも分かりやすくて素直だからついからかっちゃうんだよな。
「じゃあ今晩の飯はゆり姉が大好きな生野菜スティックとほうれん草のクリームパスタにしよう!」
「ちょっ、それはありがたい心遣いだけど遠慮しておくわ。ほら、今日はお姉ちゃんが食事当番じゃない?」
テーブルに置いてある卓上カレンダーを見てみる。今日は土曜日。食事は俺が作る番の日だ。
因みに家に両親はいない。約五年前に海外へ移住してしまったのだ。そのため家事については俺達姉弟で分担している。
「残念だったな、今日は土曜日だ。さあ、大人のレディーとして今晩はじっくり野菜を食べていただこう」
「颯くんごめん! 私が悪かったよ。だから野菜尽くしのご飯だけはやめてぇ」
再び涙目になった姉が懇願する。
なんて醜い顔だ。これが現役高校生なんだぜ? 驚いちゃうよな。
「ならゆり姉はまだまだお子様ランチが似合う大人のレディーだな」
「それは違うわ! 私は万の男を虜にする色気たっぷりの女の子だもんっ!」
その残念な胸とおさげ髪の格好でよく大層な事を言えたもんだ。政治家にでもなったらいいんじゃないか?
「そこまで言うならゆり姉、試しに色気とやらを俺に見せてくださいよ」
「ぐっ。え、えぇ仕方ないわね。特別にお披露目してあげてもいいわよ」
またも動揺を隠せずに、姉はコホンと咳払いをした後、片方の素足を上げて――
「早く私の足をお舐めなさい。この下僕ども、ですわ」
「は?」
なんで女王気取りなのこの人。
俺は色気を見せろと言ったんだけどなぁ。もしかして姉ちゃんの頭の中では『色気=偉そう』という意味不明な方程式が成り立っているのかなぁ。
「早く舐めなさいよぉ!」
「怒るなよ」
「じゃあ舐めてくださいお願いします」
「キャラ崩壊してっぞ」
「うっさいわね!」
脛の辺りを蹴られる。だが姉はとてつもなく非力な為、全く痛くない。
「暴力はんたーい」
「あら、せっかく可愛いお姉ちゃんが愛のムチを打ってあげてるというのに暴力と受け止めるなんて酷いわ」
「じゃあアメもください」
もう一度蹴られた。誠に遺憾である。
「私の愛、颯くんに届いたかな?」
「……うざ」
「あ、お姉ちゃんにそんな事言うんだ。じゃあ罰として明日の朝ご飯は颯くんだけ抜きにしよっと」
「なら今晩は野菜てんこ盛りにしよう」
「ごめんなさいっ! 調子に乗りました……」
野菜パワーすげぇ。
姉としての威厳が失われたどころか元から存在さえしない姉を横目に壁掛け時計をチェックする。午後四時を過ぎたところか。そろそろ買い物に出掛けなくちゃいけないな。
「カレーでいいか?」
「うんっ! なんだかんだいって優しい颯くん大好き!」
「……野菜カレーだけど」
「颯くんなんて大嫌いっ!」
「じゃあ普通のカレー」
「颯くん大好きっ!」
「俺は食べ物の好き嫌いと同等に見られているのか……?」
満面の笑みで喜ぶ姉を適当な相槌で返し、スマホと財布がポケットに入っているか確認する。
「じゃあ飯の材料買ってくるから。留守番頼むぞ」
「はぁーい! 気をつけて行ってらっしゃい!」
仲良し姉弟と言われればそうかもしれない。けれど、俺はあまり姉が好きではない。
無駄にお節介なくせにドジをかまして迷惑を被るのはいつも俺だ。
もうこんな縛られた日々を送るのは散々。それなのに……。俺の高校生活が良い意味でも悪い意味でも混沌になるなんてこの時は思いもしなかった。
(※)
ゆりなちゃんが教えるしぞーか豆知識
①横断バッグ
黄色い手提げ型のバッグで横断中という文字とマークが描かれているのが特徴よ。
保育園の子や登下校中の小学生が持っていることが多いから、レディーな私には似合わないわよね。