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自らを超えて 第一巻  作者: 多谷昇太
影の子の履歴
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再びの孤独へ

 で、問題の高校時代へと移るのだが、勉学の甲斐あって俺は県内の進学校へと進み得た。ところが俺はここでボタンの掛け違いを仕出かしてしまうこととなる。中学校での成功体験をそのまま踏襲する上において、肝心要なことを失念もしていたのだった。それは何かというと「勉強ができれば、成績が良ければみんなから相手にしてもらえる、認めてもらえる」ということで、しかしこれは主客転倒の、順序を取り違えた思い込みでしかなかったのである。 勉強が出来たから友人が出来、まわりの環境も良くなって、自分の性格も明るくなった…のではなく、事実はまったくその逆。(当初は演技であっても)自分発の積極性がまず有り、そこに友人が出来て環境が好転し、その結果勉学にもやる気が起きて成績が上がった…というのが正解だった。そのことと、さらにいま一つ、年令とともに生ずべき、また育むべき重要なことにまったく思いが行っていなかった。それは何かというとひとことで云えば「自分本位」か「他人本位」かということであり、それが云い過ぎであれば「自分のことばかりしか考えてない」か「他人に目が行き、思いやれる」かと表現してもいいが、とにかくそのことである。幼児であれば100%、小学生であれば80%、中学に至れば60%という具合に減らして行く、あるいは自然の内に減少すべき「自分がすべて」もしくは「すべてにおいて自分が優先」指向を滅し行くことに、まったくと云っていいほど俺は目が行っていなかった。そこには中学時代の劇的な成功体験があり、その裏返しのようだった幼児と小学時代の悲惨さとうっ屈があったのだが、それにしてもそこでプラマイの帳尻を合わせただけで、前記・他人指向へと少しでも進み得なかったのは、これひとえに自責に帰すと云うほかはない。

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