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自らを超えて 第一巻  作者: 多谷昇太
影の子の履歴
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心象風景

俺には軍隊上がりの怖い父親やら家庭の事情やらというものがあって、その影響で小学校までの俺は至っておとなしく、いまで云うニート的な男の子であったのだ。学校では表に出て同級生たちと遊ぶようなことはせず、もっぱら机にかじりついていて、どうかすれば女の子からもからかわれるような存在だった。

家に帰っても近所の同年輩のやつらと遊ぶことはなく、ともだちと云ったら近所のノラ猫やノラ犬だった。声帯模写と云うか猫や犬の鳴き声をまねるのが自分で云うのもなんだが非常に巧みで、そのせいか猫や犬がよくなついた。人間とつきあうよりもそちらの方がよほど具合がよかったのだ。ものごころついてからはこんどは読書に親しみ出した。「シートン動物記」やら「十五少年漂流記」などを学校の図書室から借りて来ては夢中になって読んだ。当時の三種の神器で父親が買って来てくれたテレビが我が家に入ってからはニッサンテレビ名画座など欧米系の番組に夢中になる。視力が落ちることなど知らずに読書にテレビに、表に出てはあいも変わらず猫や犬にと、肝心の人づき合いはほとんどしない子供だった。そんな塩梅だったから同級生たちはもっぱら俺にとっては脅威で、男の子からも女の子からもからかわれたりいじめられたりしないよう、教室では貝のように固まって自らをガードしていた。そんな俺にとって一番つらく、脅威だったのが学校の遠足で、その合い間の昼食の時間だった。同級生たちは三々五々仲良し同士でかたまって食べるのだが、俺には友達など誰もいなかったから皆の目から隠れるようにして一人で食べ、それがまわりからよく目立つので、早く集合の号令がかからないものかとジリジリとしていたものだ。その姿に顕著なように傍目から見たらなにしろおとなしい生徒、わけのわからない、見っともない存在だったのだろうし、そのことをよく自覚していた俺にあっては毎日毎日が自らのインフェリィオリティを自覚し続ける、一種精神的な拷問のような日々であったのだ。しかしではなんでそんな性格の子になったかと云うと、俺が3才のころに母親が死別し、俺と2つ違いの姉は近所の親戚の家に行ってはその賄いを受け、果ては遠く奄美大島の祖父母のもとに送られたりして、はなはだ不安でこころもとない幼児期を過ごしたからだった。そのころの原体験というか、心象風景が、あたかも放浪に日々を過ごすがごとき哀愁に充ちたものとなって、三つ子の魂百までもではないが以後の俺の性格を形づくるバックボーンとなったのだろう。そのバックボーンと云うか、心の基盤は、不定形であり定義し難いものだが、要はいつの間にか自らの核のようになっていつまでも存在し続けることとなる。母親のみ胸に帰るように、その不安に充ちた基盤にこそ、俺は魂のふるさとをいつも見出すようだ。

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