それは、人が扱うべきではない力の一端。
工業国家【ドグマ・ナグナ】から、北に数十キロの位置にあるミヅイェラシア霊山。山の中腹から山頂までは万年雪が積もっており、蜘蛛の糸のように細い山道も、まるで人の進入を防ぐかのように落石や落盤事故が多発している危険な山である。
針葉樹の森を抜け、雪に覆われた山肌が一面に広がる中腹付近。白灰色の野戦服を身にまとった小隊が自動小銃を構えながら行軍していた。
侵すものの無かった雪の絨毯に、ざくりざくりと足跡を残しながら。
野戦服と同迷彩柄をしたポンチョが時折風ではためく音と、踏みしめられる雪の音だけが耳朶を叩いており、無言で突き進む彼らはまるで、人の形をした別の何かのような違和感を覚えさせる。
しばらく進むと、崖を背に宿営用天幕の設営された箇所に辿り着く。
入り口の帆布は開けられており、可搬型のストーブに暖められた室内では一人の男が紅茶を楽しんでいた。
肩には白ギツネの毛皮を巻いた、目つきの鋭い男である。椅子に座っているが上背はあるようで、捲られた袖から覗く腕は男の雰囲気と違い恐ろしく太かった。
「キャニア少佐。斥候部隊、ただいま戻りました」
「ふむ……何か見つかったかね?」
キャニアと呼ばれた男はカップを静かに置くと、白刃の輝きに似たスノーブルーの瞳を細める。問われた小隊長の男は若干身を固くしながら、敬礼の形のまま声をあげる。
「は! やはり【ドグマ・ナグナ】の部隊は全滅したように思われます。狼など山の獣に荒らされていましたが、装備の数も報告にあった人数分が確認できました」
「敵兵の遺体はどうだった? 荒らされていたと言ったが、遺体の頭を数えてはみたのかね? それを喰らった獣の追跡は?」
静かな声だが有無を言わさぬ威圧感を伴った声。矢継ぎ早とも言える問いに答えられずにいると、キャニアは片手で額を抑えながら溜息を吐く。
「新兵ばかりの部隊を任された時に予見していたが、酸っぱいレモンしかいないではないかここには」
「も、申し訳ありません!」
ちなみに酸っぱいレモンは役立たず、欠陥品などで例えられる比喩表現の一種である。
キャニアが周りを見回すと、六人の人間が緊張の面持ちで次の言葉を待っているようだった。皆、年若い少年兵と称されるような者達だ。
前途ある若者を使い捨ての駒のように扱う……この国は堕ちるところまで堕ちたものだと内心辟易しながら、それでも表情を厳粛なままキャニアが口を開く。
「いいかね諸君。君達はいわば硝子に混ざったダイヤモンドなのだよ。どれが至上の輝きを持っているかは分からない。見極めるには何が必要か。そう。硝子を叩いて割ってみればいいのだよ。割れなかったものこそダイヤモンドだ。さてーー君達の中にダイヤモンドはあるのかな? 頼むから私に、全滅などという無駄足を踏ませてはくれるなよ?」
「はっ!!」
小隊長が大きな声で敬礼をすれば、後ろの五人も同じく敬礼を行う。
キャニアは大きく頷くと、「失礼します」の声と共に小隊は天幕から出て行った。
一人になったキャニアがカップを持ち上げる。が、中身が入っていなかった事に気付き眉を寄せ、分厚い革手袋をした片手をカップにかざした。
「〝雲廻光〟」
音もなく光が手から放たれると同時、カップが砂上の城のように崩れて消える。
彼が放った光は紛れもなく、雲上で見かける雲廻光の光と同じものであった。
キャニアがそっと革手袋に触れると硬い感触が返ってきて、その顔に仄暗い笑みが浮かんだ。
「ああ、まったく若者を犠牲にするだなんた嫌なものだ。それもこれも、こんな物があるからいけないーーこんな人知を超えた力を発する、〝冠雲石〟なんてものがあるからな」