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エピローグ










 エピローグ











 もうどうでもいいことだが、あの事件は、やはり森田たちによって曖昧に誤魔化されたらしい。

渡瀬家に立てこもった強盗を、警官隊が突入して捕まえた、とか何とか。俺は病院にいたからよく分からないけれど、そんなことになったそうだ。森田がどんな組織にいて、どの程度偉い男なのかは知らないが、そこまで事実がねじ曲がるのだから大したものである。

 渡瀬清一郎は、神崎をはねてしまった不運な運転手のために一度警察に連れて行かれ、色々証言をさせられた後、どこかへ引っ越したという。消息は知れない。

 それと――怪我についてだが、俺の手はレントゲンを撮ったところポッキリと折れていて、その日に手術して針金を入れてもらった。何でも、骨折したのは親指の付け根部分で、そのまま何日か放っておけば先端の方が腱に引っ張られて曲がり、手そのものが変形してしまう、特殊な折れ方だったという。

しかし半月もすれば針金も取れ、治るというから安心した。もう一度肉を切って針金を引っこ抜かれるのかと思うと、少々憂鬱ではあるが。

 一方、肩の傷は思いの外深く、治るのは大分後になってしまうそうだ。

鋭利な刃物できれいに切られればまだマシだったのだが、突き刺さったのが刃先の鈍い、玩具のようなペーパーナイフだったので、かえって傷口が汚くなってしまった。その上、ペーパーナイフの先端が骨までとどいていたらしく、骨には少しひびが入っていた。幸い膿んではいないが、正直言って滅茶苦茶痛いし、左手は思うように動かない。

 そして脚はといえば、あろう事か、両方ともいかれていた。右は挫いていて、左は肩と同じく亀裂入りになっているそうだ。

あの時はよく立てたものだと自分でも感心する。

 とにかく、それらの怪我のせいで入院が決定した。けっこう長くなるらしい。

 ガラスの傷もあるし、全身至る所にある打撲は、日に日にずきずきと痛くなる。どうやら当分包帯と仲良くする日々が続きそうである。

 入院費は高くついたが、森田が自腹を切ってくれたので、有り難く使わせてもらった。おかげで個室を悠々と使える身分だ。

 だから金に関しては問題なかったけれど、大変だったのは親への言い訳だ。本当のことを言っても信じてもらえるはずはないし、言う気もない。結局『渡瀬の家にいたら突然凶器を持った強盗が入ってきたから、隙を見て窓から飛び降りた』ことになった。その場にいた理由など、細かいことに関しては有耶無耶にお茶を濁して切り抜けた。隠蔽というのは、なかなかどうして、難しいものだ。


 入院三日目、俺はベッドに横たわり――まあほとんどその姿勢しかできないのだが――ぼんやりと窓の外を見ていた。ベッドの上半分は斜めに持ち上がっているから外も見やすい。

 天井からはテレビが吊り下げられるような形で備え付けられていて、ベッドの横に固定されたリモコンを使えば見ることが出来るが、もうとっくに飽きていた。テレビなんて案外つまらないものだ。特に今のような昼間の時間帯には、ろくな放送をしていない。誰が買うんだというような、微妙なデザインのネックレスを宣伝販売する番組とか、キャストで犯人が分かる二時間サスペンスの再放送なんかを見るくらいだったら、まだ、三階からの眺めで暇を潰す方がましだった。

 ここの窓からは、中庭と駐車場が見える。

「ん」

俺は、リハビリ中の外科患者や車椅子の老人たちが集まっている中庭に、見慣れた人物の姿を見つけて呟いた。

「……鞍馬山じゃねえか」

個室に何日も入院していると、どうしても思ったことが独り言になりやすい。まあ大半は「いてて」と「腹減った」くらいだけれど。

 鞍馬山が見舞いに来るのは初めてだった。

 窓を開けて声をかけることも出来ないので、少々趣味が悪いが、ここから鞍馬山の動きを観察してみることにした。

 ――鞍馬山は、左手にケーキか何かの箱を持って、中庭の真ん中を歩いていた。俺のいる病棟はすでに知っているらしく、迷い無くこちらへ近づいてくる。

 と、若い看護婦に車椅子を押してもらって散歩している、小さなお婆さんに横から話しかけられて立ち止まった。声はここまで聞こえないが、「お見舞いですか」とでも訊かれたのだろう。こくりと肯いて、何やら答えている。その言葉でお婆さんは笑ったようだった。何を言ったのか分からないけれど、あいつは人を笑わせるのが本当に上手い。

そのまま二人は話し込んでしまったようだ。

「殿山さん」と声をかけられ、俺は窓の外の光景から目を離し、声の方を見る。

 開けっ放しのドアの所に、白衣の根岸さんが立っていた。――ここは根岸さんが勤めている病院だったのである。根岸さんは婦長なので忙しいはずだが、ときどき、小さな用事で俺の所に来てくれる。本人曰く「おサボり」らしい。

「くん、でいいですよ、殿山君で……。どうしたんすか?」

 根岸さんは小さな白い紙袋を手に、こちらへ歩いてくる。

「痛み止めを持ってきたんだけど――ついさっき、狗子ちゃんが受付に来てたわよ。殿山礼司の病室はどこですか、って訊いてたみたい」

「ああ、あいつが来てることなら知ってますよ。この窓から姿が見えますから」

言いながらまた外を見てみる。

鞍馬山はまだお婆さんと喋っているようだ。いや、今は車椅子を押していた看護婦も巻き込み、三人で喋り合っている。

 根岸さんも、痛み止めの袋をベッドの横にある棚の上に置き、隣の窓からその光景を見て微笑む。

「あら、ほんと……」

「あいつ、ご老人相手に、何か下ネタでも言ってるんじゃないですかね」

「まさか」

ふふふ、と根岸さんは笑う。

俺も笑った。


 鞍馬山が俺のいる304号室に入ってきたのは、最初に姿が見えてから十分ほど過ぎた頃だった。

 もう根岸さんはとっくに仕事に戻った後で、病室にいるのは俺一人だった。

 鞍馬山は俺の顔を見て、箱を持った右手を軽く持ち上げ、気まずそうに「……やあ」と言う。

 俺も「よう」と応える。「どうだ、臭うだろ、俺。三日も風呂に入ってねえんだ」

 鞍馬山は満身創痍の俺をじっと見て、それから、しょげたようにうなだれる。

「大怪我してるもんな」

「おう。誰かさんのせいでな」

「……ごめん」

「いつからお前はそんなに冗談の分からない女になったんだよ。謝らないで笑え、アホ」

「……うん……」

 だめだこりゃ。

 俺は大きくため息をついた。

「なあ――冷静に考えてみろよ。お前に体当たりして三階から勝手に落ちたのは俺だぞ。お前、ちょっと反省しすぎだろ」

「でも元はあたしのせいだし、肩を刺したのも……」

「ああ、ありゃ正直痛かったぞ。今でも痛い」

「……ごめん……」

「でも、そうだな」俺は鞍馬山の持っている箱をちらりと見る。「……そのケーキ食わせてくれるんなら、あのレッドカードものの一撃は無かったことにしてやってもいいぞ」

「――これ?」

「おう」俺は肯く。

 鞍馬山は、痛み止めが置かれている横に箱を置き、いそいそとそれを開ける。

「あの、これ、ケーキじゃないんだ。似たようなもんだけど」

中身の一つを取り出す。大きめのカップに入ったプリンの上に、生クリームや色々な果物が乗っている洋菓子だった。

「プリンアラモード。……一個千五百円の」

「マジかよ」

「いや……嘘だけど……」

「嘘かよ」

「うん、本当は三百円くらい。でも美味しいんだ、ここの」

「ふうん」

確かに美味そうだ。特に、てっぺんのチェリーと周りのメロンが俺の食欲を刺激する。

 俺は「オーケー」と肯いた。

「じゃあ食わせてくれ」

「うん」

鞍馬山はカップのフタを開けて、俺の膝の上にある折りたたみテーブルに乗せ、添え付けのプラスチック製スプーンを、「はい」と俺に差し出す。

 俺はそれを受け取らなかった。動く方の腕も、敢えてベッドの上に寝かせたままだ。

 鞍馬山は首をかしげる。

「……やっぱりいらなくなった?」

「分かってねえな」

「え?」

「怪我人の俺が『食わせてくれ』って言ってるんだぞ」

「? ……あ」

鞍馬山はやっとこちらの馬鹿馬鹿しい要求を察したようだった。

そして、ようやく、少し笑う。

「分かったよ」

カップを手に取り、プリンアラモードの端の方をスプーンで少しすくって、俺の顔の前に持ってくる。

「はい――あーんして」

「あー……」

俺は鳥の雛みたいに大きく口を開けて、それをぱくりと食べた。

なめらかな生クリームの甘さが口の中に広がる。なるほど、確かに美味い。

「ん。けっこうウマいな」

「だろ?」

鞍馬山は安心したように微笑み――

 ――なぜか、カップとスプーンを持ったまま、いきなりその場にへたり込んだ。

 俺は驚いた。

「おい、どうした?」

腹筋に力を入れて上半身を起こし、ベッドの脇をのぞき込む。

「……うん……」

うずくまっている鞍馬山からは涙声が返ってきた。

「いや、良かったなぁ、と思って……」

「は――?」

 うつむいているから顔は見えないが、鞍馬山は肩をふるわせて、くっくっと泣きながら笑っていた。

「だってさぁ……もう、全部、終わりになると思ったからさぁ……」

「泣き虫な上にバカだなお前。俺はそんな簡単に死なないぞ」

「んん……そうじゃなくて……いや、それもあるんだけどね」

鞍馬山は、ずっ、と鼻水をすする。

「……ま、いいか……」

スプーンを持っている右手の甲で、濡れた両目をごしごしとこすり、立ち上がる。

「――悪い悪い、プリンまだ一口しか食べてなかったね」

「ん、おう、そうだな。早く食わせろ」

「はい……口開けて」

 そしてまた、「あーん」とやる。

何をやってるんだ俺たちは、という感じである。


 ――プリンの上に乗っていた薄切りのメロンをゆっくりと噛んで飲み込みながら、俺は思う。……うまい、と。

それでいいんじゃないかと思う。

このプリンアラモードの細かい材料や作り方なんて、俺の知った事じゃない。でも美味い。

 鞍馬山がどんな奴なのか。何を考えて生きてるのか。――実際、そんなことが完璧に分かるはずがない。そりゃそうだ、難しすぎる。

でも取り敢えず、こいつは心の優しい奴だと感じるし、だから俺はこいつのことが好きだ。

ややこしく考えるのは疲れた。罪とか真実とか暗いことも、もううんざりだ。

 だから、それでいいんじゃないかと思うのだ。


 不意に鞍馬山が手を止める。

「あ……」

「どうした?」

「いや――ごめん礼司、口の周りにクリーム付けちゃった」

「ええ?」

そういえば上下の唇に何かが付いている感覚がある。

「ったく――食わせ方が大雑把なんだよ」

「礼司がしっかり口開けないから付くんだろ。あ、今取るから動かないで……」

そう言って鞍馬山は、指先でクリームを拭おうと、俺の口に手をのばす。

 ――、……が、その前に止まった。

 しなやかな手は迷うように少し宙を泳いでから、結局、俺の頬に、すっと添えられた。

 俺は瞬きした。

 気付いたときには、目を閉じた鞍馬山の顔が眼前に迫っていて、俺の唇は生温い舌先でぺろりと舐められていた。

 どくん、と胸が鳴った。

 濡れた優しい感触は、念を入れるように、数度、俺の唇の上を這ってから、すっと離れた。

 鞍馬山は一度目を開け、俺の顔を間近で見つめる。

 俺は何も言わず、鞍馬山も無言だった。

 そして――俺たちは、今度は本当に、唇を重ね合った。

品のいいクリームの味と、かすかな煙草の香りがした。

 廊下の方から、稲森と、他にも数人のクラスメートたちの話し声が聞こえる。あいつらも学校をサボって自主的に見舞い……いや見物に来てくれたのか。

 にぎやかな声は足音と共に近づいてくる。もうすぐこの病室にどやどやと入ってくるだろう。


 だから――その前に。優しい口づけが終わってしまう前に……。


 この物語を、終わろうと思う。









〈了〉




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