願い、満ちて
柔らかに差し込む日差しは、部屋に光のヴェールを落としていた。それをまとう少女は、ただ一心に鍵盤を弾いていた。その光景は神さえも見放したこの世界の中で、儚くも美しく生きる花のような美しさであった。
満ちる旋律は花を恥じらわせ、鳥をも黙らせる。他に敵う者もいないような音に埋もれつつ、ひたすらに涙を流しなら少女は一心に、奏る。その音に誘われたかのように、部屋へと葉が舞い込んだ。
最後の一音を弾き終えたのか、名残惜しそうに鍵盤から指を離した彼女は涙をぬぐい立ち上がると、先ほど舞い込んだ葉を拾い上げた。何を思うのか、じっとそれを見つめ、譜面の横に添えた。
「……貴方」
彼女の声は、澄んだ青空のように美しく揺らいだ。応じるものもいないその場所で、また、涙をこぼす。彼女の求める人は、そこにはいない。誰も、誰もここにはいないのだから。
彼女と、ピアノしかないこの場所に人が訪れることは、ない。人をも魅了し、魂を紡ぐと言われるその歌と旋律は世間で魔女の忌まわしき魔法として封じられたのだから。ただひたすらに曲を奏でることが好きだっただけの彼女は、人のために奏でた。それでもなお、人は彼女を魔女だといい、迫害した。彼女の一番大切な人を炎の中に追いやってなお、彼女を山奥の城に封じ込めた。
「…どうして、どうして貴方は私を庇ったの…あなた以外に私は何もいらなかったのに…!」
幾度となく、同じ問いを繰り返す。彼女を苛むそれは罪悪感か、憤りなのか、彼女自身にすらわからなかった。想いを乗せ、鍵盤を弾くことしかできなかった彼女は、彼女を庇い、炎に消えた想い人にすら、想いを告げることができなかった。そう、彼は最後に彼女たちを迫害していた人によって、奏でさせられた彼女の旋律の中で炎に消えた。彼は、彼女に優しい笑顔を残してよほどの苦痛だったろうに、それに耐えてまで彼女のために微笑んで逝ってしまった。
その曲は、最後まで奏でられることはなかった。
過去の記憶をたどるように、彼女はあの日と同じ旋律を奏で始める。その曲は、痛いほどの思慕と絶望に満ちた美しい曲だった。あの日最後まで奏でることのできなかった旋律を、最後まで弾き終えた彼女は悲痛な面持ちで部屋を後にした。主のいなくなった部屋に美しい夕日が差し込む。それはまるで何もかも失った彼女を慰めるかのような美しさだった。
耐えられない、とでもいうように部屋から去った少女は書架の薄闇に沈んだ。
……もう一度、もう一度でいいから貴方に出会うために、私は
彼女がおもむろに救いを求めて手を伸ばしたその本は、怪しく鈍色に光った。
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