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シスターとヴァンパイア  作者: 微睡 虚
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第七章 逃亡者

 コーデリアは逃げていた。

「魔女だぁー! 魔女を追え!」後ろから聞こえてくる民衆達の声。

 なぜこんなことになってしまったのだろうか。考えても分からなかった。ただ、自分の信念のもとに正しい行いをしてきたはずだった。

 森の中に逃げたが、いつまで安全かわからない。手頃な木陰を見つけると、急いで身を隠した。恐怖に体を震わせるコーデリア。

 すると、すぐにさっきまで自分がいた道を追ってくる人影が見えた。十人や二十人ばかしではない。もっと大人数だった。

「こっちにきたはずだ!!」

「探せ!!」

「なんとしても、見つけ出せ!」

「早く処刑しないと災いが起こる!」

 聞こえてきた言葉は全て敵意に満ちていた。だれも、コーデリアの言葉に耳を貸そうとは思っていないようだった。コーデリアは話し合いが不可能だと分かったので、見つからないように移動し、大きな朽木の中に移動した。

 日が傾いて見えた。午後の2時を過ぎたあたりだろうか。正確な時間は分からない。ただ分かっているのは『自分が追われている』ということだけだった。協会に逃げようと思っていたが、神父に迷惑がかかる上に、自分の居住区として憲兵の者が待ち構えている可能性があった。だから、彼女は教会ではなく森の方に逃げたのだ。

 魔女狩りの話は聞いていた。実際に魔女狩りを見たこともあった、だが、自分が魔女と認定され、糾弾されるとは彼女は露ほども思わなかった。


「どうしてこんなことになってしまったのだろうか?」

 特に人に嫌われることはしていない。民のために尽くしてきたはずだった。教皇に逆らってもいない。聖書と教会の教えに従って生きてきた。「ではなぜ?」疑問が反復する。しかし、答えが出てこなかった。

 コーデリアは呼吸を整えると、静かに立ち上がった。朽木を出ると、もう追手はいないようだった。しかし、森を抜けたところに、焚火の灯が集まっていた。その炎の群れは真っすぐ教会のほうに向かっていた。

「……!!」

 歯噛みするコーデリア。やはり、教会はマークされていた。彼女の住処なので当然ではあるが、もう神父を頼ることはできない。

 町中が敵に回ったも同じだった。頼りになりそうな神父は噂のシスターのことで聞き込みを受けているに違いない。親しかった人間たちは誰も助けてはくれない。良い人は死んでしまった。コーデリアは地面に膝をつき打ちひしがれた。

 村民や町の住人との楽しかった思い出が脳をかすめる。貧しい中にも確かにあった幸せ。そして、もう二度と手に入る事が無い幸せ。


 コーデリアは瞳から溢れる涙を止める事が出来なかった。色々な事を思い出す。自分が幼いころに父が戦死したこと、母が病で倒れたこと、それから神父に引き取られたこと。教会で聖書の内容を覚えることに苦労した事、教会で沢山の人間達に出会ったこと、どこからか来た旅人に旅先での思い出話を聞くのが楽しみだったこと、教会での何気ない談笑の数々。

 いつか、誰かが言っていた。

「人は、無くしてからはじめて、そのものごとの重要性に気付く」

 絶望に沈む中、一人の友人の名前を思い出した。

「ノエル……」

 自然と口に出していた。

 それは、自分と特別親しくなった友人の名前だった。

 何度も呼んだ名前だった。美しい名前だった。

 初めて会ったヴァンパイアの名前だった。


 そして、自分が傷つけた人の名前だった。


 後悔しても遅かった。なぜ、あんなことを言ってしまったのか。もっと彼女を労わることができなかったのか。自責の念に心を支配された。結局、彼女の言うとおりだった。

「人間は平気で他者を傷つける」「周囲に扇動されやすい」「視野、見識が狭い」

 彼女がかつて話した言葉がコーデリアの胸に刺さる。ノエルの言葉は人間そのものを表していた。まさに、ノエルを傷つけた自分と自分を追い詰める人間たちを指し示す言葉だった。

「……ごめん、ごめんね……ノエル」

 しばらくその場で泣きながら、友人の名前を叫び続けていたが、結局彼女は現れなかった。

立ち止まっていても仕方ない。自分は追われているのだから前に進まないといけない。そう自分自身に言い聞かせて、コーデリアは立ち上がった。

 改めて周囲を確認する。村民や町民達は集団で自分のことを探している。教会はマークされ、神父を頼ることができない。自分は天涯孤独なので頼れる身内はそもそもいない。考えた末に出た結論はこの村と町から出ることだった。

「村を出るしかない。……でも、どうやって?」

 これからやることは決まったが、今度はその手段を考えなければならなかった。

 この地域は、村と町が合併したような配置になっている。そして、村と町の周りは豊かな自然で囲まれている。村と町には隣町に続く舗装された道があり、この地域からの出入り口となっているが、今はコーデリアを捕まえるために見張りがいるだろう。

 そして、今コーデリアがいる場所は木が生い茂る森林であった。身を隠すにはもってこいだが、それも時間稼ぎでしかない。町中を探して見つからなければ、今度はここに目をつけるだろう。

「町から外に出られない。でも、もうすぐ日が暮れる。この森を地図も明かりもなしに彷徨うことは、自殺行為でしかない」

 彼女が二の足を踏むのは当然だった。この森は深く、人々が『迷いの森』と恐れる森であった。行方不明者が毎年出ており、日没には獣たちが活動し始める。熊や狼が出ると噂されている。神父にはこの森には近づかないように言われてきた。万が一、入らなくてはならないときは、明るい時に見識のある大人を伴って、地図を携帯して入るように言われてきた。自分も入った時は神父と一緒のときか、『あの娘』と入ったことしかない。

「やっぱり、一度町に戻るしかない。多少危険でも―――」

 彼女は一度村に戻って森を抜ける準備をすることを決心した。手ぶらでは心もとない。何の準備もなければ、人に見つからなくても、森で迷うか獣たちの餌になるしかない。彼女は村にむかって駆け出した。


 村には警戒網が敷かれていた。元々町に比べて面積の狭い地区だったので、何か役に立つものを探すことはできなかった。ボロボロのローブを纏い、身を隠す少女。そこでふと、コーデリアは自分の立っている場所に何か懐かしいものを感じた。何の変哲もない村の角だったが、この場所こそがあの不思議な少女、ノエルと出会った場所だった。

「こんにちは。シスターさん。どうしたの? 足をくじいてしまったの?」

 初めて友人と出会った時のことを思い出すコーデリア。

「あの時は碌に話が出来なかったな……。でも、この時の出会いから親しくなっていったんだっけ」

 追憶に耽りそうになったが思い直すコーデリアだったが、今は立ち止まっている暇はない。

 コーデリアは町に向けて走った。村と町を繋ぐ道には警備の者がいた。考えてみれば当たり前である。

 村と町が隣接するこの場所に警備を置かない方がおかしい。慌てて踵を返すコーデリア。

 牧場で牛たちの群れの中に身を隠す。

 考えてみれば、この牧場はヴァンパイア騒動があった事件現場だった。毎晩家畜が襲われ、翌朝に骨と一部の肉だけ残されるという事件だった。村民はヴァンパイアの仕業だと恐怖していたが、事件の真相は人間が食肉欲しさに家畜を奪っていただけだった。

「……とんだ風評被害だわ」

 あの時のノエルは怒っていた。それはそうだろう。身に覚えのないことで自分がやり玉に挙がるのは腹が立つに決まっている。当時のノエルの表情を思い出して思わず、噴き出しそうになるコーデリア。しかし、今まさに自分が身に覚えのないことで罪を背負わされている事に気付き、自嘲した。そこで件のヴァンパイア騒動で思い出したことがあった。

「見て、ここに抜け道がある。ここから家畜を盗んでいたのよ」

 過去の出来事が自分の進路を照らしているようだ。そう、この牧場の茂みに抜け道があったのだった。家畜略奪事件では、犯人が警備員の警戒網を潜り抜けるためにこの獣道を使っていたのだった。あの時は、この道の存在を憎んだものだが、今は感謝さえしている。

 抜け道を通って町に入るコーデリア。なんとか街に着くと、急いで物陰に隠れた。町人は自分が村の方に逃げたと思っており、内部は手薄だった。街中を探しまわり、保存食を買い溜めするコーデリア。ついでに短剣と地図も買った。

 売人はホームレスや貧困層のストリートチルドレン達だった。下手に店で買うと、魔女狩りにつかまってしまう可能性があったためだ。

 人通りの少ない道を選んで移動する。そこで今度は、連続殺人事件の現場にたどり着いた。これもヴァンパイアの仕業とされていたが、真相はただの快楽殺人犯による凶行だった。血を奪われた痕跡もなく、目撃者の証言もあいまいだったので、少し考えれば分かることだったが、震え上がる人間達は滑稽であった。

 広場に来ると、木の板が十字架状に形作られていた。コーデリアは、この舞台こそが自分という『魔女』を処刑するための祭壇なのだと正しく理解した。

「最初にあの子と一緒に魔女狩りを見たのは、いつだったかしら……」

 かつて友人と一緒に魔女狩りを見た時は苦しむ潔白の人間と人間の邪気を目の当たりにして、恐怖し卒倒してしまった。もうあんな光景は見たくはないと思っていたが、まさか自分が狩られる側になるとは思わなかった。きっとあの時の『魔女』も同じ気持ちだったに違いない。そんなことを思いながら、コーデリアは広場を後にした。


 急いで町の出口に向かうコーデリアだったが、人の気配を感じて足をとめた。やはり、町の出口には警戒網が敷かれていた。見渡す限り、街中の人間達が蠢いていた。皆血眼になってコーデリアを探していた。人々の手には松明の火が握られている。その陽炎によって歪められた人々の顔はそのまま人々の心根の醜さを表しているようであった。

「最初からあきらめては駄目。自分を信じられないなら何も信じられない。自分の可能性を信じなさい」

 こんな時にも、ヴァンパイアの少女の言葉を思い出す。ほくそ笑むコーデリア。心を支配していた恐怖心は消え去っていた。

「あの子が背中を押してくれているような気がする」

 呟くコーデリア。


 ―――しかし、現実は非常だった。

「いたぞ! 教会の魔女だ!」

「追え! 絶対に取り逃がすな!」

「あいつが災いの権化だ!」

「殺せ!!」

 一気にコーデリアの元に流れ込んでくる群衆達。彼らの目にはコーデリアしか映っていない。彼らの瞳には貧困も戦争も飢饉も疫病も不景気も治安の悪化も何もかも映ってはいなかった。彼らはそれらすべての不幸を眼の前の『魔女』の仕業だと無根拠に決めつけ、『魔女』が死ねば丸く収まると思っている。否、目的などどうでもいい。ただ、合法的に虐げる、不幸にする、八当りをする相手を欲しているだけだ。

「贖罪の日、人々は自身の苦悩や行ってきた罪を山羊に背負わせて荒野に放した……」

 コーデリアはかつて神父に習った聖書の一文を思い出した。まさに、その通りだった。だが、今は考えている余地もない。捕まったら文字通り終わりである。

 コーデリアは走り抜けた。後ろなど見ていなかった。振り向けば、襲ってくる人面野獣の『化け物達』を目視することになってしまう。彼女はいつも出会って挨拶していた顔見知りの人間達が化け物になって襲ってくる事実を直視したくはなかったのだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

 息を切らすコーデリア。どうやら追っては巻いたらしい。地面にへたり込み、息を整える。ふと前を見ると、そこはノエルの家だった。無意識に彼女に助けを求めたのかもしれなかった。家の中からは人気がまったく感じられない。それどころか、屋内の空気は重く、前に訪れた時と比べて様子が変わっていなかった。どうやら、コーデリアと別れてからずっとノエルは帰ってきていないらしい。

 しばらく、部屋を見回るコーデリア。クローゼットにはかつて自分が友人と一緒に裁縫した服があった。

「あの時はうまく縫えずにノエルに助けてもらったんだっけ」

 二人で一生懸命一つの服を作ったことを思い出し苦笑するコーデリア。あの時はノエルが縫っている服を親しい人にあげると言っていたので嫉妬してしまっていた。その服を掴み、よく見ると、刺繍が施されていた。刺繍には『Dear Cordelia』と編みこまれていた。

 両手で口を押えるコーデリア。ノエルは自分のために服を作っていたのだった。それを隠すために言葉を濁していたのだった。思えば、この服のサイズも自分にピッタリだった。涙がまた瞳から零れ落ちた。

歪む視界が部屋の机の上の日記を捉えた。日付は書かれていない。全てのページにはこれまでコーデリアとノエルが過ごしてきた日々がノエル目線で書き連ねられていた。そのすべての文章を読んでコーデリアは泣き崩れた。

「やっぱり、私が傷つけたからですね……」

 少女は改めて自分の罪深さを認識し、懺悔した。

 バァ―――ン!

 そこに勢いよく扉が開かれた。そこにはあの醜い顔をした化け物達がいた。「やっと獲物を見つけた」と言わんばかりの殺気と快楽に満ちた表情だった。強引に手をひかれるコーデリア。

 ああ。あの顔を何処かで見たなと思ったら、連続殺人事件を起こした快楽殺人犯と同じ顔だったのか、と気付いた時には紐で縛られた後だった。彼女は沢山の男達によって担がれ、処刑場に連行されていった。

 広場にはたくさんの人影があった。皆、同じ顔をしている。充血した瞳と隠しきれない口元の笑み。顔は違うのに表情が同じだと言うのは不気味だった。僅かに聞こえてくるささやき声は『魔女』への侮辱と災いの元が絶たれることへの安心の声だった。

 コーデリアは縛られた紐をほどかれ、改めて十字架に縛りなおされる。もはや自分の運命は決まってしまったと覚悟を決めた。

 縛り上げられたコーデリアは処刑実行人の松明の炎で照らされていた。観客は沢山いた。その中には見知った顔がいくつもあった。自分がかつて魔女狩りを見たときにはそんなにいなかったが、今日は広場を埋め尽くして道のほうまで人で埋め尽くすほど大勢いる。やはり、人々の不満が以前よりも高まっているようだ。

「殺せ!」

「あの女が魔女だったとは知らなかった! よくも騙してくれたな!」

「魔女め! やっと死んでくれる」

「もう不幸はたくさん!」

「早く処刑始まらないかな?」

「今日までの不幸は全てあの女のせいだったんだ!」

 耳を澄ませば、聞こえてくるのは人々の罵声だった。目は閉じれば何も見えないが、耳は手でふさがなくては無音にならない。しかし手は縛られていて使えない。コーデリアは迫りくる死よりも信じていた人々の罵声のほうが苦しかった。ちょうど日没の頃だったらしく、山に太陽が沈みかけている。人々の顔は松明の炎で照らされ、醜く歪んでいた。


 太陽の光が沈んでいく様はこれからの自分の未来を暗示しているようだった。


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