第四章 ノエルという人物
コーデリアとノエルは、いつも会って遊ぶのが日常になっていた。コーデリアがノエルを連れて牧場に行くことになった。
「ノエル、この牧場ではヴァンパイアが出るそうですよ」
コーデリアが雑談とばかりに話しを振ると、ノエルが珍しく動揺した。
「ヴァンパイア? 貴女そんなの信じてるの?」
「いえ、にわかには信じがたいです。魔女狩りと同じものだと思っています。私の知り合いにはヴァンパイアを見たと言う人がいましたが、見間違いか何かだと思いますよ。彼が言うにはヴァンパイアは紅い瞳をしていたと聞きましたが、それが本当なら紅い眼のノエルもヴァンパイアになります。遺伝か何かだと思いますが……」
「ええ。そうね。ヴァンパイアなんていないわ。それなのに、牧場にヴァンパイアが出るなんて誰が言ったの?」
「え? 誰だったかな?近くにいた青年だと思いますが……。でも被害は出ていますよ。ほら、そこの牧場です」
コーデリアが近くの牧場を指差す。歩いて話している内にすぐ近くに来ていたようだ。牧場主は頭を抱えていた。
「またやられた。あ、シスターちゃん、お友達と一緒かい?」
「どうも、牧場主さん。またやられたんですね」
「ああ、野犬かなにかだと思うが……」
コーデリアと牧場主が話している間、ノエルは家畜の死骸を確認していた。しばらくすると、ノエルは二人に向き直った。
「これは野犬なんかじゃないわ。ましてヴァンパイアでもない」
「どうしたのですか?ノエル?」
「この死骸をよく見て」
ノエルが死骸を指差した。
「この死骸は一見獣か何か食い散らかしたように見えるけれど、それにしては傷口が綺麗だわ。むしろ鋭利な刃物で切り裂いたように見える」
「人為的に、誰かがやったと言う事ですか?」
「流石に聡いわね、コーデリア。牧場主さん、そういうことよ」
「じゃあ、人間がこれをやったのかい!?何のために!?」
「逆に聞くけれど、ヴァンパイアの仕業だって誰かに言われる前からこういうことが結構起こっていたんじゃないの?」
「――!」
牧場主は、驚いたようだった。その表情が図星である事を物語っていた。
「そうなのですか?」
「……ああ。実はここまでの頻度ではなかったし、家畜が惨たらしく殺された訳ではないんだが、何匹か行方不明になってね。最初は気のせいかと思ったんだが、明らかに数が減っていたんだ」
「ふーん。これではっきりしたわね。犯人は人間だわ」
「人間が何のためにこんな惨いことを……」
「それは、自分のお腹を満たすためでしょう」
「どういう意味だい?」
牧場主がノエルに聞く。
「そのままの意味よ。こんな時代だからお腹がすいて家畜を盗んでしまった。自分が食べるためにね。しかし、牧場側が不審に思って調べ出したら足がついてしまう。だから獣に見せかけて家畜を惨たらしく殺したのよ。後になってヴァンパイアの噂を利用したんじゃないかしら?」
ノエルが推理を披露すると、牧場主とコーデリアが舌を撒いた。確かに辻褄が合っている。それを証明するだけの状況証拠はそろっている。残るは犯人を探すだけだ。
「でも、犯人は誰なのでしょう」
「心当たりはないの?」
ノエルが牧場主に尋ねると、彼は言った。
「ああ。警備をしているものなら何かを見ているのかもしれない」
3人は警備担当者に話を聞くことにした。
「お前は何か見ていないのか?」
「いえ、外側は柵がありましたし、正面からは誰も来なかったです」
牧場主に聞かれた警備員は淡々と話した。その証言に穴は見当たらなかった。コーデリア達は何か証拠が残っていないか、柵の周りをまわって調べることにした。すると、意外な事が分かった。
「見て、ここに抜け道がある。ここから家畜を盗んでいたのよ」
遠くからは分かりにくいが、近づくと獣道になっているところがあったのだ。
「まさか、こんな大穴を見逃していたとは……」
「決まりですね。ここで今晩犯人を探しましょう」
コーデリアとノエルと牧場主はその晩そこにはることにした。その夜、牧場に人影が現れた。案の定、犯人はその穴から侵入してきた。草の茂みで上手く隠れていたその柵の穴に。その人物が家畜を襲おうとしたところを3人で囲んだ。
「誰だ!」
牧場主が松明の光で犯人を照らす。犯人は男のようだった。松明が眩しかったのか、顔を隠したかったのか、男は咄嗟に手で眼のあたりを隠した。
「くそ!」
コーデリアは一瞬見えたその犯人の顔に見覚えがあった。
「あなたは! あの時の!」
犯人は、牧場の家畜騒動の時にヴァンパイアの仕業だと叫んでいた青年だった。青年は隙を見て逃げ出した。
「待て!」
青年は足が速く、闇の中に消えていってしまう。だが、ノエルは正確に青年の姿を捉えていたようで、松明なしで、驚くべき速さで青年に追いついた。
「逃がさない!」
ノエルは青年に飛びつき、捕まえたのだった。コーデリアと牧場主が追いついた。青年はあっさり捉えられたのだ。青年は食料欲しさに家畜を盗み、それを隠ぺいするために一部の家畜を惨殺していたのだ。大方ノエルの推理通りだった。コーデリアとノエルは事件の解決を抱擁して喜んだ。
「それにしても、よく暗闇で相手を見失わなかったですね」
「……昔から眼が良いの」
「でも、大人の男性に追いつけるなんて、ノエルは足も速いんですね」
「……昔から運動神経は良かったの」
「そうなのですか? ノエルは不思議がいっぱいです」
コーデリアとノエルが話している間に、牧場主が警備担当者に盗人の身柄を預けたようだ。牧場主はコーデリアとノエルにお礼を言って、備蓄の牛乳と肉類を少しくれた。二人はそれを受け取ると、頭を下げて牧場を後にした。歩いている時にノエルが何か呟いた。
「全く、とんだ風評被害だわ……」
「ノエル、何か言いました?」
「なんでもないわ」
こうして牧場の家畜惨殺事件は解決したのだった。その日は夜だったので、コーデリアはノエルに付き添ってもらい教会の付近まで来ると別れた。
「また明日ねコーデリア」
「ええ。また明日」
二人は挨拶を終えると、コーデリアは教会にノエルは反対方向に歩きだした。そこで、コーデリアはノエルに聞く事を思い出し、振り返って尋ねた。
「ノエル、そう言えばあなたはどこに住んで……」
しかし、振り返ったときには既にノエルの姿はなかった。今晩も夜闇に三日月が綺麗に見えていた。昨日よりも三日月の面積が広がったようだ。
次の日、コーデリアは日課である教会の行事を済ませると、ノエルに会いに行った。どこで待ち合わせをしていた訳ではないが、いつも彼女を探していると、彼女の方からノエルに声をかけてきた。
「ごきげんよう。コーデリア……」
「ごきげんよう。ノエル」
挨拶をかわすと、コーデリアは昨日言おうと思っていた疑問を口にした。
「あの、ノエルはどこに住んでいるのですか?」
「ん? 知りたいの?」
含み笑いをするノエルにコーデリアは頬を膨らませる。
「もったいぶらずに教えてください! 貴女は私の家を知っているのに、不公平です」
「いいわ。ついてきなさい」
ノエルがコーデリアの手を引いて教会とは反対方向の村はずれに向かっていった。そこには古びた家があった。コーデリアは自分が住んでいる教会も随分寂れているが、ノエルの家はそれ以上だと思ったのが正直な感想だった。
「寂れて家でしょう。でも居心地はいいのよ」
ノエルは振り返りながらそう言うと、コーデリアを室内に案内した。
「わぁ……」
コーデリアは驚いた。外から見ると、寂れていたが内装は立派だった。それも綺麗過ぎる訳ではなく、住み慣れた故郷の家といった感じだった。屋内には世界中の書物があった。種類も科学的なものや哲学的なものから、物語のようなものまで様々なジャンルのものがあった。
「これ、どうしたんですか?」
「世界中から集めた本よ。興味があるなら貸すけれど?いいんですか!?」
ノエルの申し出に、コーデリアは眼を輝かせた。この時代の人々にとって娯楽は、劇や演奏、読書が主である。とりわけ読書は一般人でも字さえ読めれば自由にできるし、知識もつくので人気の趣味だった。 コーデリアは特に本を読むのが好きだった。読みたい本かみつくろっていると、莫大な量になってしまった。
「コレ全部借りる気?」
「駄目、ですか?」
「駄目とは言わないけれど、一度に持っていくのは大変よ。多くても一日5冊くらいにしないとかさばるわよ?」
ノエルの言うとおりだった。百冊以上積み上げた本を見てコーデリアは自嘲する。
「―――そうですね。興奮しすぎました」
コーデリアは好きな本から五冊ほど選んで鞄に入れた。
「ノエルは最近ここに来たんですよね?どうやってこんな荷物運んだんですか?」
「馬よ。馬車の荷台に乗せてきたの。裏庭に馬がいるわ」
ノエルが窓際を指差しながら言うのでコーデリアが窓の下を覗くと、確かに大きな馬が二頭と大きな馬車があった。
「ノエルはお金持ちなのですか?」
「まぁ、それなりにね。父は村の中で身分が高かったし、私自身もそれなりに技術を身につけているわ。だから、そこらへんの貧乏貴族よりはお金持ちかもね」
銀髪の少女は珍しく得意げに言った。
「すごいですね。他にも色々話を聞きたいです」
「ええ。貴女が知りたいなら教えてあげるわ。そうね。私が旅してきた中で色々なものを見たわ。極東には大国があってね。万里の長城と言われる城壁があるの。凄い長い城壁なのよ。他にもエジプトのピラミッドとか凄い建築物が沢山あったわ」
ノエルは自分が長旅をしていた時の思い出を語った。コーデリアはノエルの話に興味を持ち耳を傾け続けた。
「ノエルは物知りですね。旅の思い出も多いです。生まれてからずっと旅をしてきたんですか? でもお父様は村の偉い人だったのでしょう?」
「私は貴女が思っているよりはずっと年上よ。若づくりなだけで……」
「そうなのですか?」
「ええ。まぁささやかな問題よ。それよりあなたシスター服ばかりね。女の子なんだから少しはオシャレしたら?」
ノエルは話をそらすように別の話題を振ってきた。
「教会にはシスター服以外は寝間着しかありませんから。わがままを言ってはいけないのです。でも私はシスター服でも満足ですよ。聖職者の衣装ですから」
コーデリアはシスター服に誇りを持っているようだった。しかし、言葉とは裏腹に彼女の眼はコーデリアの服を羨ましそうに見つめていた。
「コーデリア、聖職者でもオシャレしたらいいじゃない。私用の服ばかりだけれど、貴女に会う服もあるかもしれないわ。少し着て見せてよ」
「え? でも……」
「いいから、いいから」
コーデリアはノエルに強引に促され、ノエルの服を着ることになった。それから何度か試着することになった。
「似合うじゃない」
フリフリのドレスを着たコーデリアは新鮮だった。彼女も鏡でその様子を見て、嬉しそうだった。
「こんな服、着れたの初めてです。……少しきつい気がしますが……」
「あらそう? いつか貴女に合うドレスを用意するわ」
「いいですよ。今回着れただけでも楽しかったですし……。あ、そういえば今日は早く帰れないと。神父様に言われているのです」
「あらそうなの? じゃあ今日はここまでね。またいらっしゃいな。貴方ならいつでも歓迎するわ」
「ありがとう。ノエル、また明日にあいましょう」
コーデリアはお辞儀をしてノエルに借りた本が入った鞄を持って教会へと帰っていった。
教会に帰ってくると、コーデリアは神父の仕事を手伝った。今日は悪魔払いをする日だ。町の殺人事件を悪魔に憑かれた人間の仕業だと言う近隣の人によって呼ばれていた。
「神父様、悪魔はいるのでしょうか」
「いるよ。人間の心の中にね」
「人の心の中にですか?」
「ああ。自分を正当化して他者を害することは悪魔に憑かれていると言っていい。時代によって荒んだ人の心に悪魔が住み着くんだ。この殺人事件も彼らの言うとおり悪魔に憑かれた人間の仕業だろうね」
「私の心の中にも悪魔はいますか?」
「いや、キミのような純真な子には住み着かないだろう」
「よかった。でも、心の中に憑くと言うのは人間の弱い心が悪意を生み出したことへの比喩ではないのですか?」
「流石に聡い子だね、コーデリア。でもこれも聖職者の務めだ。人々の不安を取り除いてやることが必要なんだ。それで人々は私達に感謝し、食料や衣服をくれるんだ。持ちつ持たれつじゃないか」
神父はそう言って悪魔払いを終えると、食料をもらって帰路についた。
コーデリアはもらった食料で料理をした。テーブルを囲んで今日の出来事を話す。
「神父様、聞いてください。今日は友達の家に遊びに行ったんです」
「例の子か」
「はい。本も貸してくれて。また明日も彼女に会いに行きます」
「ああ。しかし、教会の仕事も忘れてはいけないよ」
「ええ。午前中は信者の方がいらっしゃるのでこちらで過ごす予定です。午後は忙しそうな日はお手伝いします」
「ああ。そうしてくれるとありがたい。礼拝にくる信者以外には、忙しい時は葬式や今日のような悪魔払いくらいだ。暇な時はその子と遊んでおいで。キミと歳が近い子は珍しいだろう。教会に来る子は君より随分年下か、大人ばかりだ」
確かに教会に来る子は歳の近い子はいなかった。少し前まではいたが、最近はみなくなった。二人は食事を終えると、日課の風呂に入り、寝巻を着て寝室に入った。夜空を見上げると、月は更に満ちていた。
「ノエルはいったい何者なのでしょう。どこか気品がありますし、お金も持っていて、世界中を旅した事があって……。もう少し付き合っていけば彼女の人となりが分かるのでしょうか」
コーデリアはノエルに一層興味を惹かれ出した。その日は月明かりに照らされて、夢の世界に入っていった。
次の日から、ノエルの家に行くのが日課になった。
「ごきげんよう、コーデリア」
「ご、ごきげんよう、ノエル」
昨日ノエルの事を考えていたためか緊張して声が裏返ってしまった。コーデリアは自分を落ち着かせた。それから挨拶から始まり、二人の時間が始まった。二人はいつも室内で過ごすことが多かった。天気の良い日は外で散歩でもしようと思ったが、ノエルが外に行くことを拒んだため、室内で過ごす時間が多くなったのだ。
しかし、コーデリアに不満はなかった。ノエルの旅の話は面白かったし、部屋で読む本は沢山あったから暇にはならなかった。本は、貸本屋にも置いていないような種類があったため、興味をそそられた。そしてノエルの話はどんな本にも載っていない旅行伝記だった。自分の目で見てきた出来事を話しているため、リアリティがあり、ノエル自身の話も上手いためにコーデリアはその話しを聞きいっていた。
「あなた、私の話がそんなに面白いの?」
「ええ、昔から旅人の話を聞くのが楽しみでした。私はこの地域から出た事がないので」
「そうなの? 出てみたいとは思はないの?」
「多少は思いますけれど、私には行くあてもありませんし……」
「へぇ、じゃあ私が連れて行ってあげましょうか?」
「魅力的な話ですが、私には神父様がいますから……」
「あら残念、駆け落ちの申し出を断られてしまったわ」
冗談っぽく笑うノエルに向かってコーデリアが抗議した。
「か、駆け落ち!? 何を言ってるんです! 私達は女の子同士ですよ!」
「ふふふ、冗談よ」
「もう! 人をからかって!」
悪びれないノエルにコーデリアは頬を膨らませた。たまにノエルは思わせぶりなセリフを言う。彼女が男性なら随分と女泣かせだろう。しかし同性同士なのでコーデリアはノエルが自分をからかってるだけだと受け取ったようだ。コーデリアも場の雰囲気に乗って少し意地悪を言ってみた。
「ノエルは外に出たがらないようですけど、不健康ですよ。たまには外に出たらどうですか」
コーデリアは珍しく意地悪な表情を浮かべながらノエルに提案する。すると、意外にもノエルが乗ってきた。
「いいわね。最近は室内ばかりだったし、明日は森に行きましょう」
「森に!?」
「外出を提案したのは貴女なのに嫌なの? それとも用事があるの?」
「いいえ。明日は朝の礼拝以外には用事はありませんが……」
「じゃあ行きましょう」
「でも、あそこは大人と一緒じゃないと迷いますし、危ないからって神父様に止められてるんです。村の皆も迷いの森とか言ってますし……」
「心配いらないわ。私はそこらへんの大人より知識はあるし、あの森のも行ったことがあるから。とても面白い場所よ。神父さんには上手く誤魔化しておきなさい」
ノエルは森についての知識を披露してコーデリアを安心させた。確かにノエルなら予想外の苦難にあっても何とかしてくれる気がした。何より一度も森に入った事がなかったため興味があった。どうもノエルの調子に呑まれてしまう。
「分かりました。明日森に行きましょう」
こうしてコーデリアは、ノエルと一緒に森に出かけることにした。ノエルに言われた準備をするために今日は早めに別れることになった。
教会に変えると、神父が話を振ってきた。
「明日も友達の家に行くのかい?」
神父はいつものようにコーデリアがノエルの家に行くものだと思っているようだ。コーデリアは少し悩んだ後に答えた。
「……はい。明日は礼拝だけですので……」
コーデリアが神父に嘘を言うのは初めてだった。罪悪感があったが、森に入ってみたかったし、久しぶりにノエルと外に出掛けたかった。
「そうかい。でも暗くならない内に帰るんだよ」
神父は奥の部屋へと入っていった。
「嘘をついてしまいました。ごめんなさい、神父様」
コーデリアも部屋へと入っていった。ノエルに貸してもらった本の続きも気になっていたのだ。ベッドに横になりながら読んでいると、夜が更けてしまっていた。
「気がついたら、もう真夜中ですね。明日は早いし、もう寝ましょうか」
コーデリアが部屋のカーテンを閉めようと窓を見ると、綺麗な半月が夜空を照らしていた。
次の日、コーデリアは森の入口で待っていると、ノエルが傘をさしながら現れた。
「あら、礼拝があると言っていたのに早いのね。私とのデートがそんなに楽しみだったのかしら?」
「ち、違います!」
むきになって大声で否定するコーデリア。ノエルはその様子を「ふふふ」と笑った。それからノエルはコーデリアの手を引いて歩きだした。
「では行きましょうか」
二人の少女は深い森の中に入っていった。森の中は光があまり入ってこなかった。さらに同じ木々ばかりで方向感覚を失ってしまう。大人達が『迷いの森』と言っていたのも頷ける。しかし、ノエルは正しく道を知っているようでコーデリアの手を引いて進み続けた。すると、開けた場所に出た。日光が当たらないその場所は池もあり、安らげる場所だった。
ノエルは木の影に座ると、コーデリアにも座るように促した。コーデリアが座ると、彼女はバスケットからサンドイッチを取り出した。
「私が作ったの。おあがりなさいな」
彼女が差し出したサンドイッチは店で売っているものと大差はなかった。食欲をそそるものだった。パクっと食べると美味しい味が舌を刺激した。
「おいしい……!」
「喜んでもらえてうれしいわ」
ノエルがほほ笑んだ。自分の料理を褒められて喜ばない人間はいない。コーデリアはノエルのサンドイッチが美味しくてつい夢中にいなって食べた。そんな様子をノエルがジッと見つめていた。
「あ、すみません。食べすぎましたか? ノエルの分が……」
「いいえ。私も少し食べたし、貴女が全部食べたらいいわ。こんな時代だから満足に食べたことは殆どないでしょう?」
「あ、ありがとうございます。あの、ではなぜ私を見つめてるのですか?」
コーデリアはノエルの視線が気になった。
「あらごめんなさい。貴女の食べっぷりが可愛らしくて……」
ノエルがそんなことを言うのでコーデリアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。サンドイッチを食べ終わった後、池の周りを探検した。近くにウサギもいて素晴らしい場所だった。
「綺麗な所ですね」
「ええ。気にいった?」
「はい! すごく!」
暫く池を見つめていたが、コーデリアがもう少し森の奥に行きたいと言い出した。ノエルは少し難色を示したが、コーデリアが自分の意見を言うのは珍しいこともあったので、行くことになった。
しばらく歩いていると、獣が多くなってきた。最初は小さな草食動物だけだったが、鹿も現れるようになり、次第に狐も現れるようになった。
「コーデリア! 少し待ちなさい!」
コーデリアは、ノエルの制止を聞かずにどんどん奥に進んでしまう。ノエルが追いかけてその手を掴んだ。
「待ちなさいって言ってるでしょう!」
やっとの思いで声をかけると、コーデリアは止まった。
「ごめんなさいノエル。楽しくって」
「ここから先は危険だわ。今すぐ引き返しましょう」
珍しく切羽詰まった様子で言うノエルに驚くが、彼女は何かの匂いを察知すると、舌打ちをした。
「っち! 遅かった……」
「え?」
何が遅かったのか聞こうとした時に、近くの茂みから大きな獣が出てきた。それは狼かハイエナのような怪物だった。「グァルルル」と狼とハイエナを合わせたかのような鳴き声を上げる。
「見たことない動物です!」
「コーデリア下がりなさい! そいつは危険よ!」
ノエルが無理やりコーデリアを引っ張って自分の後ろに引かせた。そのまま謎の獣を睨みつける。
「ノエルは知ってるのですか?」
「ええ、昔ジェヴォーダン地方に行った時に何回か遭遇した獣よ。獰猛で恐ろしい獣でね、熊やオオカミの方が可愛いくらいよ」
ノエルはコーデリアを守るように前に立って獣を睨むが、獣は動じずジリジリと距離を詰め始めた。
「……私の威圧が効かない。実力行使しかないわね」
そう言うと、ノエルは日傘を構える。どんどん距離が縮まっていく。謎の獣がノエル達に向かってきた。
「キャ!」
コーデリアが叫ぶ。ノエルは構えていた日傘を武器にして謎の獣を殴りつけた。「ガッ!」と短く悲鳴を上げると獣は地面に叩きつけられた。
「消えなさい!」
ノエルが威嚇すると、獣は森の奥へと逃げていった。
ノエルの背中からその光景を見ていたコーデリアは地面に座り込んでしまう。ノエルは振り返って彼女を抱きしめた。
「こ、怖かったです……」
「もう大丈夫よ」
ノエルは、怯えるコーデリアの髪を撫でて落ち着かせた。しばらくしてコーデリアが落ち着くと、二人は来た道を引き返し始めた。流石に森の奥は獣が多いし、またあの謎の獣と遭遇しないとも限らないためだ。ノエルが歩いている間に森の山菜を収穫し始めた。
「何をやってるのですか?」
「見て分からない? 山菜を採ってるの。森は食べ物の宝庫よ。食べられる食材が沢山あるの」
「でも、大人達は森の食べ物は危ないって言っていましたよ。毒もあると……」
「それは知識もなく毒キノコを食べたからでしょう。知識のある者は他の人が自分の取り分を取らないように、あえて食べられる山菜を公表しないの。こんな時代だからね」
「悲しい話ですね。他の人にも分けてあげたらいいのに」
「私はそうは思わないわ。森はさっきの獣みたいに危険も多い。臆せずに入って食べられる山菜を見つけた者だけが収穫できるのは不公平ではないわ。食べ物が欲しいならそれ相応の学習と勇気、行動力を身につければいいだけ。それをしない怠け者に指図する資格はないわ」
厳しい意見だが、一理あった。ノエルはまた山菜を収穫しだした。コーデリアも彼女を手伝うことにした。ノエルが母親のように丁寧に教えてくれた。
「これはね、ポルチーニと言って、舌触りが良くて癖のないキノコよ。こっちはジロール、どんな料理にも合うキノコよ。こっちはマッシュルームね」
「へー、ノエルは物知りですね。こんなの大人達も知らないと思います。こんなに食用の山菜があるなら人の手で栽培できるといいのですが……」
「後、百年か二百年先には人の手で栽培されるようになるでしょうね。まぁ今の荒れた時代では無理よ」
ノエルはサンドイッチを入れていたバスケットに収穫したキノコを入れた。コーデリアはノエルの指示に従ってキノコを採集し、自分の荷物の中に入れた。ある程度戻りながら収穫していると、元の池のある場所に戻ってきた。
「コーデリア、疲れたでしょう。ここで休憩にしましょう」
「そうですね。少し疲れました」
大きな木の影で休もうとすると、隣に腰かけたノエルが自分の膝に促した。
「膝枕してあげる」
「え……あの……」
少し照れていたコーデリアだったが、最後には「お願いします」と頭を彼女に預けた。ノエルの膝の上は気持ち良かった。随分前に母親にこんな事をしてもらった気がする。コーデリアは、しばらくは意識があったが、緊張が切れたのか、疲れがたまっていたのか、そのまま寝てしまった。
「やっぱり似ているわ。あの人に……」
寝る前にそんな声を聞いた気がした。
起きて見ると、日が暮れかけていた。
「すみません、寝てしまったようです……」
「そんなに私の膝枕が気に入ったのかしら」
「そうかもしれません……痛っ……」
コーデリアは首筋に僅かな痛みを感じた。森にいたから虫に刺されたのかもしれない。ふらっと倒れそうになると、ノエルが支えてくれた。
「貴女、まだ寝ぼけているの?」
「かもしれません。今日はもう日が暮れますし、帰ることにします」
頃合いだったので、二人は森の入口まで歩いた。
「今日はありがとうございました」
「いいのよ。私も楽しかったし。でもノエル、山菜を森で取ってきたと言ったら駄目よ?」
「何故ですか?」
「はぁ……嘘ついて森に行ったんだから、怒られるにきまってるじゃない。私に貰ったと言う事にしなさい」
「そうですね。そうします。ではまた明日……」
二人は森の入口で手を振って別れた。紫に染まる空には、うっすらと半月が顔を出していた。
コーデリアは、教会に着くと、神父と一緒に食事と風呂を済ませた。その後、部屋にこもってノエルに借りた本を読んでいた。一通り読み終えると、今日の出来事が思い起こされた。友人と森へ行った事を。
ノエルに案内された場所はとてもきれいだった。
「ノエルは何でも知っていますね。牧場での推理も見事でした」
ノエルが獣を追い払った時の事を思い出す。とても凛々しい背中だった。
「今日のノエルは格好良かったです。物語に出てくる王子様のような……」
ドキリとする彼女と付き合っている内に何度か経験した胸の鼓動だ。いつもはすぐに収まるのだが、今夜は胸の高鳴りが抑えられなかった。
「どうしてでしょう。胸の鼓動が抑えられない」
コーデリアの記憶には自分を守るノエルの背中が焼き付いていた。頭の中でその光景が何度もリピートされる。その後、ノエルとの思い出が駆け巡った。初めて出会った時、様々な知識を披露してくれた時、牧場の家畜殺害犯人を突き止めた時、森に案内された時、獣を追い払った時。一周してまた思い出が駆け巡る。そこでコーデリアは自分の気持ちを自覚した。
「私、ノエルの事、好き……なのでしょうか。でも、女の子同士ですし、教会の教えでは不純になります。……異端になってしまいます」
コーデリアは悩んだが、単に友達として好きなのだろうと無理やり納得させた。
寝る前にノエルの膝で熟睡した事を思い出す。
「ノエルの膝枕は気持ち良かったです。また膝枕してもらえないかな……」
帰る時に見えた半月は既にクッキリと明るく見えていた。