第十二章 闇はすぐそばに
それは見慣れた教会だった。寂れてはいるが温かい。信者達の笑顔が溢れていた教会だった。
「帰ってきたんですね」
コーデリアは静かに教会の中に入った。講堂には誰もいない。談話室にも人気はなかった。神父の姿が見当たらない。
「神父様はどこでしょうか」
コーデリアはいつも日常を過ごしている居住スペースを見てみた。一通り探してみたが、神父の姿を発見できなかった。
「おかしいですね。神父様外出されてるのでしょうか? 私が魔女にされて糾弾されて身を隠したのでしょうか?」
考えていると、奥の部屋の扉が開き神父が出てきた。
「コーデリア、帰っていたのかい?」
「はい、神父様。どちらにいたのですか?」
「私はずっとこの部屋にいたが……」
コーデリアは首を傾げる。帰ってから教会の内部を隈なく探したが、神父を見つけることは出来なかった。勿論神父が瞑想している奥の部屋も探している。その時には誰もいなかったはずだ。不思議に思っていると、神父が心配そうに声をかけた。
「本当に心配していたんだ。コーデリアが魔女だとされた時から……」
「神父様は私が魔女だと疑ってはいないのですね」
「当たり前じゃないか。前も言ったと思うが、魔女狩りはスケープゴートだ。大方、貴族達に逆恨みでもされたのだろう。心配しなくていい。私はキミの味方だよ」
神父はコーデリアを抱きしめた。金髪の髪を優しく撫でる。
(温かい。神父様……)
コーデリアは久しぶりに神父の優しさに触れた。ノエル以外に味方を得たことで安心する。そこに「ドンドン」とドアをノックする音が聞こえた。追手がコーデリアを探しに来たようだ。神父は小声で奥の部屋の棚の影に隠れるように耳打ちすると、客の応対のために玄関に向かった。
ドアの外にいたのは二人組の男だった。コーデリアを探しているようだ。
「なんだね? まだ何か用があるのかね?」
「魔女はいないか?」
コーデリアは玄関での会話に聞き耳を立てる。やはりコーデリアを探しに来たようだ。心臓の鼓動が速くなる。
「先程まで家の中を探していただろう? 誰もいなかったじゃないか」
「いや! 戻ってきている可能性だってある! この教会は魔女の唯一の逃げ場所だからな!」
「隠しだてすると、貴様も罪だぞ!」
怒鳴りつける客を神父は諌めた。
「戻っていれば、すぐに貴族に差し出してるさ。私も懸賞金は欲しいし、貴族の怒りを買いたくはないからね」
神父の答えを聞いて二人は納得したのか彼らはそれ以上追及はしてこなかった。しかし別の言葉を口にした。
「いいか! 魔女が戻ってきたら、真っ先に俺達に言うんだぞ! ここを最初にマークしたのは俺たちなんだからな! 懸賞金はアンタと俺達で三等分だ! 抜け駆けは許さねぇぞ!」
彼らは懸賞金に眼が眩んだ人間らしい。神父は「わかった」と頷いて彼らを外に送りだした。
コーデリアは、ほっと胸を撫で下ろす。やはり神父はいつだって自分の味方だ。コーデリアの元に神父がやってきてコーデリアに優しく微笑んだ。
「心配することはないよ。彼らは追い払った」
「ですが、あの様子だとまた来ますよ」
「そうだね。だから今から逃げよう。隠し通路があるんだ。そこを通ればこの地域から逃げる事が出来る」
「隠し通路?」
初めて隠し通路の存在を知るコーデリア。神父は部屋の絨毯を退けた。すると、不自然な正方形の窪みが床にあった。神父がそこに手をかけると、ゆっくりと隠し扉が開いた。
「神父様……これ……」
「ああ。今まで秘密だったが、この部屋に隠し通路があったんだ。私はここから外に散歩に出ていたんだよ」
確かに神父は時折、この部屋にこもる事があった。しかも部屋からは人の気配が感じない時があった。それも隠し通路があったからかと合点がいった。
「コーデリア、キミを誰にも渡さないよ」
神父は力強く言った。コーデリアの手を引くと暗い階段になっている通路へ彼女を促した。
「待ってください! 神父様! 友達がここに向かっています。その子は大事な人で私が魔女とされても助けてくれました。彼女を置いてはいけません!」
ノエルとは教会で落ち合う話だった。彼女を待たなくてはいけない。さっきの男達が再び来るとしても、ノエルが来るまで時間はあるはずだった。神父は必死のコーデリアに優しく告げた。
「大丈夫だよ。お友達には先に話してある。合流地点もね。だから我々は先に行かなければいけない」
「―――そうだったのですね。なら早く行きましょう」
コーデリアは安心したのか隠し通路の階段を下り始めた。もうすぐノエルと会えるそう思うと不安も解消された。暗い階段は蝋燭の火では照らしきれない。足音が不気味に響く。結構な長さの階段を下り切ったが、先は依然として暗いままだった。
ゆっくり歩いていると、足に何かあたったようだ。足元を照らすと人間の腕が見えた。
「っひ! 何なんですか!?」
驚いてその腕が見えた方をよく照らしてみると、見知った顔が見えた。それは最近見なくなったマリーという少女だった。
「マリー!? どうしてこんなところに!?」
驚いてその体に触れると、既に冷たくなっていた。よく見ると虚ろな眼が開いたままになっており、体は痩せこけていた。
「神父様! どうしてマリーがここに? 縁談があったのではないのですか?」
「そんなものはないよ。マリーの母親が死んでしまってね。私を頼ってきたんだ。身寄りがないからね」
「では、どうしてこんな地下に……。どうして死んでいるのですか!?」
「教会には私とコーデリアの分しか食べ物はない。彼女を養う余裕なんてなかったんだよ」
「そんな!? じゃあなぜ引き取ったのですか!」
「あのままでは野たれ死ぬかしかなかった」
「ここで死んでいるではないですか! どうしてこんな酷い事を……」
「酷い? 彼女は私の愛を受けて死ねたのだ。とても良い死に方だよ……」
「愛?」
「そう愛だ。『汝、隣人を愛せよ』とはイエス様の言葉だろう?」
神父は笑っていた。彼は聖書を自分の都合の良いように曲解していた。狂った否、狂っていた神父はさらに続ける。
「彼女はね、私が体の隅々まで可愛がってあげたんだ……彼女だけじゃない。この部屋にいた少女達は皆私の愛を受けて魂が救われた子たちだよ!」
神父は両手を広げて叫んだ。コーデリアが闇に慣れてきた瞳で地下室全体を見渡すと、そこには沢山の少女達の死体があった。ミイラ化しているもの、腐敗が進んでいる者もあった。
「私はね、この年頃の少女が大好きなんだよ……」
「へ?」
「穢れを知らない乙女達……」
ゆっくりとコーデリアに近づいていく神父。コーデリアは後ずさりするが、直ぐに壁にぶつかってしまった。
「お前を今日まで育てたのは、美味しくいただくためさ。本当はもう少し熟成させるつもりだったが、今でも十分だろう」
神父はコーデリアの体を舐めるように見つめた。
「いや、神父さま……こんなの嘘です……」
泣きそうな顔で目の前の現実を否定するコーデリア。辛すぎる現実を受け止めたくなかった。
「キミは純粋だね、コーデリア。だからこそ汚し甲斐があると言うもの」
「神父様、おかしいです!」
「おかしいのは君だよ?食べ物にも困るこの時代で、身寄りのないお前が引き取られた事がどんな奇跡か。下心が無ければ、誰も引き取らないよ」
神父が一歩コーデリアに近付く。
「嘘です! 神父様は、神父様は私に優しくしてくれました!」
「この日のために、キミの信頼を得たかったんだよ」
また一歩近づく。
「神父様は私の頭を撫でてくれました! 気分が悪い時は背中をさすってくれました」
「キミに触りたかったからだよ……お風呂でキミのからだがどれだけ成長したか、毎晩見ていたんだ」
神父は舌舐めずりをしながら、さらに一歩近づく。コーデリアはとうとう壁際に追い詰められてしまった。
「……神父様は……」
「コーデリア、もう終わりだよ……。もう少し君との思い出を作ってから汚したかったが、追手がそこまで来ている。ここで終ろう。ね?」
神父がコーデリアを押し倒す。腕を持ち上げ抵抗できないようにした。コーデリアは神父に口だけでも抵抗する。
「いやです……」
「逃げ場なんてないよ。お前の味方なんて誰もいない。外に出ても処刑されるだけだ。それなら私に殺された方がお前も本望だろう。大丈夫。最後に二人で良い思い出作ろう?コーデリアが大人の女性になる手助けをしてあげるから……」
神父がコーデリアの修道服に手をかける。そして力を入れて修道服を破いた。
コーデリアの服が破れ胸の谷間が露出する。まだ白い寝巻が下に着ているが、この状況では心もとなかった。
「お~お~、元気に育ってるねぇ。私の分の食事もあげていた甲斐があったよ」
神父はコーデリアの胸に自分の顔を押し付ける。
「あ~幸せだ。この時間が至福の時だ。まして時間をかけて育てた逸材だからなぁ」
いつも優しくコーデリアを見守っていた神父はもういない。いや、初めからそんな神父はいなかったのだ。目の前の野獣のような瞳でコーデリアを値踏みし、気持ちの悪い笑みを浮かべ、涎を垂らしている男が神父の正体だった。
「さぁ、もっとよく見せてごらん」
「いや!」
神父が乱暴にコーデリアの胸を掴む。服の上からといっても生温かい手の感触に嫌悪感を抱いた。最も長く付き合いのある人間に裏切られた事実は受け入れがたかった。
「やめて!」
涙を場がしながら抵抗するコーデリア。しかしそんな行動すら神父を楽しませる餌でしかなかった。
「嫌がる顔もそそるねぇ。……そろそろメインディッシュと行こうかなぁ。大丈夫、今すぐ殺さないよ……。何日か可愛がってあげるから……」
神父は、いやらしい手つきでコーデリアの胸と足を撫でまわした。
「いやだぁ! ノエル! 助けて!」
「誰も助けにこないさ。みんな君の敵さ。よしんば助っ人がいても、この地下の部屋を見つけられないだろう。もっと楽しもうよ、コーデリア……」
彼がさらにコーデリアの服を破こうとした時、神父は背後に気配を感じた。振り返ろうとした時、神父の体が吹き飛んだ。
「ガハッ!」
盛大に蹴り飛ばされ、地面に跳ね返る神父。鼻から血が漏れ出していた。
「誰だ! 私とコーデリアの至福の時間を邪魔する奴は!」
醜い顔で吼える神父。
「私のコーデリアに何をしているの!」
そこに立っていたのはノエルだった。追手を退けていたノエルが助けに来てくれたのだ。ノエルはコーデリアを守るように立つと、殺意を込めた眼で神父を睨んだ。
「これは、これは。とんだ珍客だ。しかし、獲物が増えただけだよ」
神父は闖入者に驚いたようだが、その姿を見て余裕を取り戻した。なにせコーデリアと同じような少女だったからだ。
「ふふふ、誰かと思えば……。力弱き乙女が二人で何が出来る?」
「お前を殺せるわ……」
眼前の神父を睨む友人に声をかけた。
「ノエル……来てくれてありがとう」
銀髪の背中を見た途端安堵するコーデリア。ノエルもとりあえず命と貞操が守られたコーデリアを見て僅かにほほ笑んだ。
「ほう、キミがコーデリアの友人ノエルか、キミとは会ってみたかったよ」
「私も会いたかったわ。今はただ死んでほしいけどね」
ノエルは神父に驚くべき早さで接近すると、神父を殴り飛ばした。
「何だ……? 少女の力ではない……」
「ふふふふ。今までヴァンパイアの力を憎んでいたけど、今日程この力に感謝した日はないわ! おかげで愛する人を守れるのだから!」
ノエルは神父の胸を切り裂く。傷口から血が溢れた。ノエルは自分の指に着いた神父の血を舐めとった。
「毒にも薬にもならないわ」
地面に倒れた神父は笑いだした。
「アハハハハ! 悪魔や魔女! ヴァンパイアはお伽噺だと思っていたが、実在するとはな! だが私に正体を明かしたのは不味かったな!」
神父は懐から何かを出した。そして起き上がる瞬間、それをノエルに浴びせた。
「キャ!」
「ノエル!?」
無敵の筈のノエルが苦しそうにもがいている。コーデリアは急いで自分の服でノエルにかけられた液体をぬぐった。
「ただの水?」
コーデリアは驚く。ノエルを苦しめた液体はただの水だった。ただただ澄んだ水だった。
「そう。ただの水だ。私達にはね。だがヴァンパイアは違う。ヴァンパイアにとって聖水は毒液に等しい!」
神父の言葉を聞いてコーデリアはノエルに寄り添う。
「大丈夫ですかノエル! 苦しいですか!?」
「大丈夫よ。下がっていなさい」
ノエルは手でコーデリアを制して神父の前に出た。
「クククク……今まで教会の道具等、商売道具のガラクタでしかなかったが、存外役に立つものだ! 神父らしくヴァンパイアを滅却しようではないか!」
「駄目! ノエルを傷つけさせない!」
コーデリアは両腕を広げてノエルを守るようにして立った。自分を襲おうとした男に叶うはずがないことを聡明なコーデリアは分かっていた。だが、目の前で苦しむ友人を見捨てて逃げると言う非情さを彼女は持ち合わせていなかった。
神父は下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。右手に聖水が入った瓶、左手にロザリオを持ってゆっくりと距離を縮めてきた。
「もう貴方のことは信じられない!」
コーデリアは今までの自分の生き方を否定するかのように、神父との今までの思い出を投げ捨てるように、神父に貰った十字架を投げ捨てた。くるくると宙を舞う十字架は神父の持つ聖水の入った瓶に当り瓶が砕けた。
「コーデリア何と言う事を!」
割れた破片で額をきった神父が悪魔のような表情でコーデリアを睨んだ。ほんの少しの間で神父の善人としての仮面がボロボロと崩れていったのだった。
聖水に悶えていたノエルは少し回復したようで、再びコーデリアの前に立つ。ノエルとしてはこれ以上危険な男の前に彼女を立たせたくなかったからだ。
「コーデリア、もういいわ。後ろに下がりなさい。こいつは私がやる」
「でも! ノエルはヴァンパイアなんですよ。十字架と聖水に弱いのでしょう」
「大丈夫よ。聖水はもうない。十字架は他のヴァンパイアよりは耐性があるわ」
コーデリアを手で制すノエル。神父はノエルが前に来た事で一歩下がったが、十字架を掲げて再び前進し始めた。
「コーデリア、逃げられると思っているのかい? キミは私のものなのだよ。さぁこっちにおいで」
向かってきた神父をノエルが殴り飛ばす。しかし、神父は血みどろになりながらも笑みを崩さず、その瞳はコーデリアを見ていた。
「コーデリア、逃げなさい! こいつの狙いは貴女よ! 逃げ場のない地下じゃ駄目! 外に逃げなさい!」
「でも!」
「私が言うのもおかしいけれど、こいつは普通の人間じゃない! 普通ヴァンパイアに殴られて悶絶しない人間なんていない。恐怖を感じない人間なんていない。でもこいつは立ってくる! 貴女を汚すのがこいつの目的なの! 早く逃げて!」
ノエルはヴァンパイアの不思議な力を使って神父を吹き飛ばすが、尚も神父は向かってくる。それだけコーデリアへの執着が強かったのだろう。
「コーデリア……十年近くも育てたのだ。誰にも渡さない!」
神父は隠し持っていた二つ目の瓶から聖水を撒き散らす。怯むノエルだが、コーデリアだけには触れさせまいと神父の溝内に蹴りを叩きこんだ。
「早く行きなさい!」
ノエルはその隙にコーデリアの背中を押して外に送りだした。
「コーデリア、私のコーデリア……」
「しつこい!」
虚ろに呟く神父に向かってノエルはヴァンパイアの力を使った。
「火よ! 怒りの業火で焼き尽くしなさい!」
ノエルが唱えた瞬間、現れた炎が神父を襲った。しかし、神父が聖水を火にかけると、炎は簡単に鎮火した。
「っく! 大地よ、凍てつけ!」
ノエルの呪詛によって大地が凍り始めたが、神父が残る聖水をかけると氷は簡単に溶けてしまった。
「コーデリア……戻っておいで良い子だから……」
ノエルは恐怖を感じていた。数百年の間、恐怖心を抱いていなかったが、目の前の男からは底知れぬ恐怖を感じたのだ。ただ狂っているというだけではない。他の人間と違ってこの男は頭もキレた。ヴァンパイアの力でつくりだしたものが聖職者の力で打ち消せることに気付き、いち早く対策したのだ。その上並はずれた腕力で殴っても、起き上がってくる。
今までこんな人間はいなかった。ヴァンパイアというだけで逃げ出したり、魔法のような特殊な力に畏怖したり、強い腕力の前に膝まづいた。ノエルがヴァンパイアになってから出会った人間は、一部の例外を除いて、ノエルに膝まづくか、迫害するかのどちらかしかなかった。無論その根幹にあるのはヴァンパイアへの恐怖心であった。
ところが、目の前の男はノエルに恐怖心を抱かず、その力に対抗してきた。そして彼女の愛する人を狙っている。ノエルにとって、神父の存在が恐ろしかったが、何より恐ろしいのはコーデリアを失うことだった。数多くのものを失ってきた彼女にとって最後に残った愛する人を失う事は避けたかった。
(こいつはコーデリアを狙っている。何としても殺さないと……)
ノエルは今までであった敵の中で一番強い男を前に必死に抗うのだった。
(大丈夫。ノエルは大丈夫。私はノエルを信じればいい……)
教会から村は酷いありさまだった。家や畑は荒れ果て、松明の火が燃え移ったのか、火事になっていた。どうやらノエルが相当暴れたようだ。
コーデリアは人間が理解できなかった。自分達の不幸を魔女の仕業だと決めつけ、その魔女を消すためなら、どんな手を使っても自分達が傷ついても魔女を殺そうとする。その行動理念を理解できなかった。
「村や町の人達はどこにいったのでしょう……」
すると、大勢の人の足音が聞こえてきた。足音は段々と近づいてきた。
「いたぞ! あそこだ!」
「魔女め! 災厄の権化!」
「早く奴を殺して!」
人々の声が聞こえてくる。その方向に目を向けると、丘から兵隊たちが行軍してきた。貴族達の私兵である。彼らは皆鎧を纏い、弓矢と槍で武装していた。付近には村人や町人らしきもの達もおり、彼らも武装していた。
「金髪の魔女が災厄を呼んだ!」
「銀髪の少女も同罪だ!」
「魔女を庇うものも魔女だ!」
コーデリアを指差し叫ぶ愚民達。ノエルに痛めつけられた彼らは貴族達に泣きついたようだ。自分達を苦しめている貴族たちに助けを求めたと言うのは滑稽な話だ。しかし笑ってもいられない。コーデリアは武器を持たず、頼みのノエルは神父相手に戦っている。
「今は逃げるしかない!」
コーデリアは障害物が多い所に向かって逃げ出した。
「魔女を逃がすな!」
「オ――――!!」
兵隊たちが丘をかけ下りてなだれ込んできた。そして弓矢を持っていた兵隊や民間兵たちが弓を引いた。
「キャ!」
空から矢の雨が降った。
*
ノエルは肩で息をしていた。
「はぁはぁ……」
こんなにヴァンパイアの力を使ったのは初めてだった。思えば、今まで聖職者とまともにやりあったことはなかった。この男は心が歪んでいたが、頭が良かった。ノエルの攻撃の穴をついてきた。
「ようやく死んだみたいね……」
神父の亡骸を確かめる。そこには酷く歪んだ顔の男が倒れていた。童話の悪魔のような形相だった。
「これじゃあどっちが人外かわからないわね……」
酷く消耗した様子でノエルは地下室を後にする。先に逃がしたコーデリアが心配だったからだ。自分が粗方追い払ったとはいえ、彼女は狙われていた。この教会に来るまでには人がいなくなったが、万が一という事もある。
「早くあの子を探さないと……」
ノエルは地下の部屋に出ると、急いでコーデリアを探した。
「当たり前だけど教会の中にはいないみたいね……」
すると、外から人の声が聞こえてきた。
「魔女はどこだ!」
「そう遠くへはいっていないはずだ」
「矢で傷を負っているからな……」
外の人間の会話を聞いてノエルは動揺した。
「矢で傷を負っている!?」
自分が追い払った人間達が戻ってきたという事は、外に多数の人間がいることから察しがついたが、魔女が矢で傷を負っているというフレーズから強烈な胸騒ぎがした。
「魔女とされていたのはコーデリア、ということは……!」
ノエルは乱暴に教会の扉を開けると、外に走った。コーデリアが傷を負っているのは確実だ。早く手当てをしなければ手遅れになるかもしれない。ノエルはコーデリアの血のにおいを追った。
「いたぞ!」
「銀髪の魔女だ!」
「おのれ! 奇怪な術を使いおって!」
「退治してやる!」
ノエルが振り返ると、鍬や鎌で武装した農民がそこにいた。彼らの呼びかけでワラワラと人が集まってくる。気付けば、ノエルの周りを兵隊や武装民間人が囲っていた。皆憎しみで満ちた眼をしており、耳を澄まさなくとも、彼らの口から罵倒が聞こえてくる。ノエルは周囲の人間を忌々しげに見回すと、一つだけ質問をした。
「私と一緒にいた金髪の子の行方を知らないかしら?」
ノエルはコーデリアの事だけを知りたかった。故に少しでも情報を持っているなら引き出そうとしたのだ。ノエルの問いかけを人間達は嘲笑った。
「あの金髪の魔女は勇敢な兵隊によって射すくめられたわ!」
「二本も矢が刺さっていた。逃がしてしまったが、長くは生きられまい」
「我々を騙し、災厄を振りまいた魔女は死んで当然だ」
「次はお前の番だ! 銀髪の魔女!」
「仲間の後を追え!」
それ以上は聞いていられなかった。ノエルはコーデリアを馬鹿にした人間を八つ裂きにし、大竜巻をおこして自分を包囲していた兵隊を吹き飛ばした。それでもノエルに向かってくる人間達はいた。もう彼らにとって不幸な理由はどうでも良かったのかもしれない。ただ眼前にいる怪しげな魔術を使うものを殺せば全てが丸く収まると思ったのかもしれない。
ノエルはコーデリアを探すためにその能力を大いに活用し、疾走した。向かってくる人間に対し、ある者は凍らせ、ある者は燃やし、またある者は引き裂いた。ノエルの駆け抜けた後の道には氷像や人型の炭や肉塊が転げ落ちていた。
「これだけ力を使ったのは初めてね。でも今は血を補給する時間すら惜しい……」
ヴァンパイアであるノエルは、生命維持、自我の維持のためだけに血を吸っている訳ではなかった。ヴァンパイアの不思議な力も血の補給によって使用する事が出来た。故に無制限に魔法のような力を使える訳ではない。血の補給をしなければ、すぐに力が使えなくなってしまう。しかし、彼女は血の補給をしなかった。最愛のコーデリアが力尽きかけていると聞いたのなら一分一秒でも惜しいと思うのは当然である。
「コーデリア……どうか生きていて……」
ノエルは人間だった時以来、久しぶりに神に祈った。
炎が夜闇を照らす中、銀髪の少女は髪を振りみだしてコーデリアを探した。
「コーデリア!」
コーデリアはうつ伏せに倒れながらも、瓦礫の中に身を潜めていた。辛うじて息があることを確認すると、ノエルは少し安堵する。しかし、油断は許されなかった。コーデリアの肩と胸が矢で貫かれていたのだ。
「ノエル、来てくれたの……」
力なく笑うコーデリア。ノエルはコーデリアを抱きかかえて涙を流した。
「ごめんなさい。もう、貴女を追ってこないと思って貴女を逃がしてしまった。愚策だったわ……」
「いいえ。貴女は私を守ってくれました……。ただ運が悪かっただけ……」
コーデリアは自分の死を悟っていた。深々と胸に刺さった矢が自分の命を削っている事を感じていたからだ。それでも彼女は笑った。最期に最も愛する人に出会えたから。
「まだよ……まだ私には奇跡の力がある……これを使って……」
言いかけてノエルは気付いた。確かに奇跡の力でコーデリアを救えるかもしれない。しかし、自分は兵隊との戦いで血の力を消耗してしまっている。今すぐ引き返して人間から血を奪うにも時間がかかり過ぎる。さらに、瀕死の人間を救うには莫大な血の力が必要になる。加えてノエルは回復術が得意ではなかった。
「そんな……やっと愛する人に出会えたのに……幸せを掴んだのに……」
コーデリアを抱きながら悲しみに暮れるノエル。
「ノエル、私のために泣いてくれてありがとう。でも、ヴァンパイアの貴女と私とでは……生きる時間が違いすぎます。別れが少し早く来たと思えば……」
コーデリアがノエルを慰めようと呟いた言葉がノエルに一つの考えを閃かせた。
「あるわ……一つだけ……」
「?」
疑問に思うコーデリアにノエルが言った。
「コーデリア、貴女をヴァンパイアにすれば、命を繋ぐ事が出来るわ」
「……私がヴァンパイアに?」
「ええ。満月の夜にヴァンパイアの血を飲めば、人間はヴァンパイアになる。かつて私がそうだったように……」
「……条件はそろっていますね……」
「……ええ。でもヴァンパイアとして生きるには辛い事がいっぱいあるわ。例え今を生き延びたとしても、生きるのが辛くなる出来事が……」
しかし、ノエルの言葉をコーデリアが遮った。
「ノエル、私をヴァンパイアにしてください……」
「え? でもコーデリア! 人間から迫害されるのよ!? 日の光が苦手になるのよ!? 血を飲まなきゃいけないのよ!? 貴女はその運命を受け入れると言うの!?」
「……はい。確かに嫌な事も多いと思います……。でも、貴女がいます」
「――!」
コーデリアはノエルの眼を真直ぐに見つめた。二人には最早言葉は必要なかった。コーデリアがゆっくりと頷くと、ノエルは鋭い牙で自分の口内を噛んだ。ノエルの口の端から鮮血が流れた。そして二人の少女は唇を重ねた。
舌を絡ませて互いの唾液を交換する。二人の口内には、ノエルの血の味が広がる。何度も舌を絡ませて互いの唇を貪る。ただただ相手を求め合う。優しく激しく求め合う。そのキスは今までで一番長いキスだった。コーデリアの頬が紅潮する。それは肉体の疲労のためか、愛する人とのキスの喜びか、ヴァンパイアの力が彼女の体に流れ込んだからなのか、コーデリア自身もわからなかった。或いはその全てなのかもしれなかった。
二人が唇を離すと、まるで別れを惜しむかのように、一筋の唾液が二人を繋いだままだった。その繋がれた糸も途切れると、二人の時間は加速した。
コーデリアの体から矢が自然と抜け地面に散らばる。そして、彼女を穿った矢の痕は驚くべき早さで癒えていった。
「うぅ……体が熱い!」
コーデリアは胸を押さえ、瞳を閉じて体中を蠢く異質な力に抗う。ノエルはそんな彼女の髪を指で優しく梳かし、励ました。
「大丈夫。私がついているから……」
コーデリアの手を掴んだ。
「ノエルもこの痛みに耐えたんですね……」
暫く痛みに耐えていたコーデリアだったが、ノエルの励ましもあって少しばかり落ち着いた。しかし、別の苦しみが彼女を襲う。
「ノエル、血が、血が欲しい……」
そう、血への欲求である。ヴァンパイアは血の渇望がある。特に満月の夜にその傾向が強く、ヴァンパイアになった瞬間は耐えられるものではない。その血の渇望こそがコーデリアがヴァンパイアになった証である。見開かれた彼女の瞳も真紅だった。
「大丈夫よ、コーデリア。すぐに血を貴女にあげるわ」
ノエルが手ごろな死体や人間がいないか周囲を見回すと、驚くべき人物がいた。
「コーデリア……私のコーデリア……戻っておいで……」
亡者のような出で立ちで体を引きずりながら現れたのは、エスモンド・デリンジャー神父だった。その登場にノエルは驚く。
「お前……あれだけ痛めつけて息が無いのも確認したのに、何故生きている!?」
最早神父は人間の生命力を超えていた。普通なら凶気を帯びた人間と再会するのは御免だが、今は好都合だった。
「丁度いいわ。コーデリア……」
ノエルが呼びかけるよりも早く、コーデリアは立ちあがると、よろよろと神父に向かって歩き出した。
「おお、コーデリア。やはり戻ってきてくれるか……」
神父がコーデリアを抱擁しようとした時、コーデリアは彼の首筋に噛みついた。
「ギャー! 何をするんだ! コーデリア!」
「神父様ぁ……血が足りないのぉ。……一緒に住んでいた時は、ご飯を分けてくれましたよねぇ。貴方の血もくださいぃ!」
コーデリアは神父の血を容赦なく吸い取っていく。自分を襲おうとしたことへの復讐か、友人を弄び殺されたことへの復讐か、ただヴァンパイアの本能に従ったのか、いずれにしても彼女が吸血を途中で止めることはなかった。
「はぁはぁ……」
ようやく血の渇望が止んだコーデリアは自身が行ったことを再認識した。彼女の眼の前には、干からびてミイラの様になったデリンジャー神父が横たわっていた。
「私は……何とおぞましい事を……」
コーデリアは自分の行いを後悔した。ノエルがそっと彼女に寄り添って抱きとめる。
「ヴァンパイアになった瞬間は、血が飲みたくて仕方なくなるのよ。それにあの男は貴女に酷い事をした。貴女の友人にもね。だから貴女が自責の念に囚われることはないわ。魔女狩りと違って大義名分はあるのだから……」
ノエルはコーデリアの頭を撫でていると、彼女も落ち着いたようだった。二人は歩き始める。荒れ果てた村を歩いていると、魔女狩りの残党たちが怯えながら逃げていった。逃げられなかったのは負傷した者たちだった。
「ひぃ! 来るな! お、俺達は貴族の命令で仕方なくアンタらを襲っただけだ……」
命乞いをする民間兵。先程まで積極的に彼女達を襲っていたのに、こんな時だけ責任を貴族に押し付けるのは都合のよい話である。
「あなたも、自分の意思で私達を襲ったじゃない。代償は支払ってもらうわ……」
「少し、血を分けてもらうだけで良いのですよ……」
ノエルとコーデリアは男の首筋に噛みついた。
「ギャー!」
周囲に悲鳴が木霊する。他の負傷兵たちは、耳を塞いで息をひそめて物陰に隠れていた。二人のヴァンパイアの獲物になりたくなかったためだ。先程まで一丸となって彼女達を襲っていた同胞とは思えない薄情さだった。
辛うじて息はあるが、二人のヴァンパイアに襲われた民間兵の男は、貧血で青白い顔をしてその場に伏せった。
「男の血は、やっぱり不味いわね」
「女性の血の方が美味しいのですか?」
「当然よ。私も血の補給は女性からしていたから……」
「そう言えばそうでしたね。私も寝込みを襲われましたし……」
「貴女は色んな意味で美味しそうだったからね。そんなことよりも、命令の元を絶たない限り、私達はまた襲われるわ」
確かに、ノエルは民間人を追い払ったのに、彼らは貴族の兵たちを連れ立って、再びコーデリアを襲った。貴族が無事なら、また自分達に矛先が向くことがあるだろうと彼女は考えたのだった。
「そうですね。国を不幸にしているのは、全てを人のせいにする民衆達ですが、それを煽って自分達は幸福を啜っている怠惰な貴族達にもお仕置きが必要ですね」
コーデリアは紅い瞳を細めて笑った。二人は貴族達の住まう城に向けて歩きだした。
貴族達は優雅にディナーを楽しんでいた。
「魔女狩りはそろそろ終わった頃かね」
「村の方で火の手が上がっています。〝魔女〟が火炙りになっているのかも」
「よいではないか。こちらに火の粉が降りかからなければ―――」
「たまにはこうしてガス抜きしなければね」
貴族達は悠長に笑っていた。そこに「バン!」と勢いよく呼びらが開いた。現れたのは二人の少女だった。一人は金髪、もう一人は銀髪だったが、二人は共通して紅い瞳だった。
「ごきげんよう、愚かな貴族達。最期の晩餐は楽しかったかしら?」
銀髪の少女が淑女らしい達振る舞いで挨拶をする。
「次はあなた達が虐げられる番ですよ」
金髪の少女が貴族達を睨みつけながら言った。
「な! 侵入者だと!」
「誰か来てくれ!」
「貴族の城に入ってくるとは愚か者め!」
貴族達は二人の少女の登場に驚いていたが、衛兵たちが対処してくれるだろうと安心していた。
「愚かな人達ですね。私達がここに来た時点で、衛兵は全滅していると推察できないのですか?」
「仕方がないわ、コーデリア。それに気付く頭があるならこんな状況に陥る前に襟を正すでしょうよ」
貴族達は、少女達の背後で血を流している兵士を見て慌てふためき出した。ノエルとコーデリアは、その様子を軽蔑しながら見ていたが、ヴァンパイアの本能が求めるままに貴族達に近付いていった。
「ギャア――――!!」
その夜、城には多数の悲鳴が木霊した。
炎に焼かれた城を後にするノエルとコーデリア。二人は当てもなく彷徨った。村も炎が燃え広がっており、町には人気が無くなっていた。
「思い出の場所が消えてしまいます……」
「確かに思い入れの強い場所が無くなってしまうのは悲しいわ。でも思い出は私達の胸の中にあるでしょう? これからも別の思い出を作っていけばいいわ」
ノエルが落ち込むコーデリアの肩を抱いて慰めた。
「それもそうですね。ところで、これからどうしますか?」
「そうねぇ……」
コーデリアの問いかけに何か考えていたノエルだったが、急に立ち止まった。そこがかつてのノエルの居住地だったからだ。
「荒れてるわね……」
ノエルが呟く。確かにノエルの家は以前に比べてボロボロであった。元々見栄えが良くなかったが、ドアが破られて窓も割られている。明らかに人の悪意が起こしたものだった。中に入ると、荒れ様は酷いものだった。本は破られ、散乱していた。一部は無くなっているものもあった。
「折角の本が台無しです……」
「別にかまわないわ。本なんてまた集めればいいし、ある程度の内容は頭に入ってるしね。そんなことより、あなたへのプレゼントが破られてしまってるわね」
ノエルは心底残念そうにコーデリアへのプレゼントを見つめていた。そんな彼女の肩に手を置きコーデリアが慰めた。
「ノエル、あなたの想いは伝わっていましたよ」
コーデリアの言葉を聞いてノエルはほほ笑んだ。しばらくして、二人はその場で使えそうな品を集めることにした。
「結構まだ使えそうな物が残っているわね」
「幸運に感謝しなければいけませんね」
ある程度の武士が集まった所で二人は一息ついた。すると、外から動物の鳴き声が聞こえた。
「ヴァルルル……」
裏庭を見てみると、馬車と馬が見えた。
「ノエル、馬と馬車は無事みたいですよ!」
「よかった! これで長旅が出来るわ!」
二人は手を取り合って喜んだ。