第十一章 めぐりあう因果
あれからノエルは再び世界を巡った。ロッシュの手紙によると、ヴァンパイアにされた村人が、第二、第三のドムナルとなって他集落に迷惑をかけていた前例があるらしい。今までは居心地が良いため、ロッシュの妻子と共に暮らしていたが、そっちの方も気になっていた。それにドムナルに壊された村が自分の村だけではない可能性も高い。ノエルは村の生き残りとして、後始末をしようとしたのだった。それは善意の人間が殺されるのを防ぐ目的もあったが、ヴァンパイアの犯した犯罪が自分への風教被害になるのを防ぐ目的でもあった。
ヴァンパイアのヴァンパイア狩りが始まった。旅の中でヴァンパイアに出会ったら容赦なく殺しに行った。基本的には不老不死なので直接止めはさせなかったが、太陽の良くあたる場所に十字架にして縛り付けると、煙のように消えていた。血が足りなくなったのかもしれないし、太陽の光を浴び過ぎたのかもしれない。十字架に括りつけたのが良かったのかもしれない。とにかく、人間より強いヴァンパイア達もノエルの前では無力だった。
「不老不死と奇跡の力に頼ったボンクラばかりね……。ヴァンパイア同士ではこうも脆いとはね……」
ノエルは、ヴァンパイアと戦い続けた。ドムナルのように村を支配していた者、通り魔のように人を襲っていた者、神を名乗って生贄を求めていた者等、沢山のヴァンパイアに出会った。村でよく顔を合わせていた元人間も多かったが、皆ヴァンパイアになったことで驕り偉ぶっていた。ノエルが実力で圧倒してから、いつものように太陽の元に縛り付けると、彼らは消えていった。
「もしかしたら、ヴァンパイアは弱点を突かれ続けると消滅するのかもしれない。ロッシュが死んだのも、聖職者として十字架と聖水に長く触れていたからかも……」
ノエルはそう結論づけた。これでやっと自害する方法が分かった。だが、彼女は自害を選ばなかった。 ヴァンパイア狩りの完遂とロッシュの子孫達を見届ける目的が出来ていたからだ。
「ふふ、皮肉なものね。死にたいと思っていた時は死ぬ方法が分からず、生きる目的を得た後に死ぬ方法が見つかるなんてね」
ノエルは、ロッシュの子孫とヴァンパイアを探して世界を彷徨い続けた。
そんなある日、ノエルはあの男と再会した。彼女の人生を壊した元凶、ドムナルに――。彼は少し前までは、とある大きな国の都市部で権力を奮っていた。なんでも善意を装って町の有力者に近付き、手助けすることによって権力を握ったらしい。ノエルの村を訪れていた時と同じ手段でその座を手にしたのだ。
しかし、彼が傍若無人に振舞うことは、時代が許さなかった。この頃から魔女狩りが行われ始めたのだ。ドムナルは〝魔女の子〟とされて、追われる身となった。町の権力者となったまでは良かったが、彼は町を支配する貴族達に近づきすぎた。自分達の地位を脅かされる事を危惧した貴族達が魔女狩りの風潮を利用して、彼を処刑しようとしたのだ。命からがら逃げ出したドムナルは既に指名手配され、居場所を失っていた。ノエルがその町に来た時には町中の噂になっていた。
「魔女狩りなんてスケープゴート、愚かだと思っていたけれど、面白い事になってるわね。あの男の絶望する姿が見てみたいわ」
ノエルは不敵に笑った。自分の人生を壊したあの男に復讐できる絶好のチャンスを逃すつもりはなかった。
「―――必ず人間達よりも先に見つけ出して、私が殺してやる」
ノエルは決意を胸にドムナルを探し始めた。ヴァンパイアは日差しのある昼間は活発に動かない。夜に活動し始める。そして血を求めて必ず人を襲うだろう。皮肉なことにヴァンパイアとなってからは彼の考えが簡単に読めた。ノエルは、昼間には頭を帽子などで隠した人物を探し、夜は人気のない所を歩く人物を尾行した。最終的に、貧血で倒れる人間が多いと聞く地区に捜査を絞り、目的の人物が現れるのを待った。
「キャ―!」
叫び声が聞こえた。一通りのない路地裏辺りからだ。急いで駆け付けると、フードを被った男が若い女性を襲っていた。
「そこの男! 止まれ!」
ノエルが叫ぶと、男は逃げ出した。女性はびっくりして気絶しているようだった。ノエルは男を追いかけようとしたが、追いかけられなかった。あの欲求が彼女を襲ったからだ。
「しまった! 最近血をあまり飲んでいなかったわ! しかも今夜は満月……!」
満月はヴァンパイアの力が漲り、血の渇望が激しくなる時期だ。ノエルは復讐に目がくらんで、大事なことを見落としていた。しかし、目の前には気を失った女性がいた。ゴクリと唾を飲み込む。
「仕方ないわね……。助けた礼代わりにあなたの血をもらうわ」
血に飢えたヴァンパイアの前に若い女の首筋をさらけだすことは、空腹な人間の前に極上のステーキを置くことと同義であった。ノエルは欲望に従い、その白い首筋に噛みつくと女性の血を啜った。一通り飲み終わると、ノエルは逃げた男を追った。男が逃げていく方向は覚えていたからだ。
「あの方向は町外れの廃屋があったわね……。アイツの根城はあそこね」
ノエルは廃屋に向かった。人気がなく、深い森の奥にある荒れ果てた廃屋。前にドムナルを探しに訪れた事はあったが、その時には見つけられなかった。入れ違いになったか、最近根城にしたのかもしれない。
「この日を待ちわびたわ! あの男を殺すために私は生きてきたのよ……!」
ノエルは月明かりに照らされた廃屋に入っていく。
「私が人としての全てを失ったあの日も、こんな満月の夜だったわね……」
一階部分は荒れ果てているが、二階には人の気配があった。階段を上ると、ボロキレを纏っている人物が震えていた。
「ここにいたのね!」
ノエルが言うと、男は「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。
「お前はドムナルか?」
いつもの口調ではなく、厳しく低い声で尋問するノエル。名前を確認したのは目の前の男があまりにも気迫がなかったためだ。昔は憎くもカリスマがあったが、今はその欠片ほども感じられない。すると、男が小さく言った。
「なぜ、私を知っている? もしや賞金目当てで来た人間か……?」
「賞金? そういえば手配されていたっけ? 私の事覚えていないの?」
尋ねるノエルの言葉を聞いて、ドムナルが彼女の方を向いた。
「紅い瞳!? おまえは……!?」
「気付いたようね……。そう、わたしは……」
「そうだ! お前も私と同じ同族のヴァンパイアなのだな! こんな所で会うのも珍しい!」
「!?」
ドムナルはノエルの事に気付いていないようだ。紅い瞳からヴァンパイアである事は察したようだが、ノエルと言う人物を思い出してはいないようだった。
「同族よ! 酷いとは思わないか!? 人間共は私達の力を奇跡だと崇めていたのに、魔女狩りで処刑しようとしたのだぞ!?」
ドムナルは同族を見つけた事に興奮し、話を続ける。
「最近はキリスト教なる異教徒の十字架が町や村に並んでいて鬱陶しいとは思わないか? アレは我々の力を弱める。本来なら人間の十人や二十人等簡単に殺せるが、百人や千人になると流石に厳しい……。更にあの十字架のせいで力が弱められ、反撃が出来なかったのだ! だが二人なら反撃できるだろう! どうだ! 一緒に人間どもに格の違いをみせつけないか!」
早口で捲し立てるドムナルにノエルは一瞬呆気にとられたが、すぐに怒りと殺意がわいてきた。
(この男は何と言った? 私と協力して人間をこらしめる?何を言ってるんだ? 私がそんな要求受け入れるはずがない……。自分が私に何をしたかわかってるのか……!?)
そこに来てノエルは重大な事に気付く。
(まさか、この男は……! 私を完全に忘れている……!?)
それは受け入れがたい事実だった。ノエルは今まで生きていて二人の人物を忘れたことはなかった。一人は愛おしくてたまらなかったロッシュ、もう一人は憎らしくて仕方がなかったドムナル。
だが、ドムナルの方は自分が親を殺し、親友との仲を引き裂き、人生を無茶苦茶にした少女の事を何も覚えていないらしい。そんなことは会っていいはずがなかった。ノエルは激昂する。
「ドムナル! 私を覚えていないのか!」
「どこかで会ったか? そういえば、処女と引き換えにヴァンパイアにしてやった娘がいたような……。いや、恋人を捨てて私の元に来た女だったか……?」
「どこまでも人を馬鹿にして! 忘れたなら思い出させてやる! 私はお前が殺した村長の娘だ! お前が謀略によって貶めたノエルだ!」
叫ぶノエルにドムナルは動揺しているようだった。しかし、彼の口からはノエルが期待した言葉が出てこなかった。
「本当にお前が誰だったか記憶にない……。人違いじゃないのか?」
「いや、お前で間違いがない! お前の憎らしい顔を片時も忘れたことはない! それに町の権力者の座をのっとった手口は私の村を支配した時と同じ手口だ」
「私は、実権を奪った村の住人の顔をいちいち覚えていない。ただでさえ、長い間生きてるんだ。いちいち覚え切れない……」
「こいつ……!」
「だが、お前が私を憎んでいることはわかった。ノエルと言ったか。ヴァンパイアは何百年と生きているものだ。たかだか十年やそこらの出来事を覚えていても仕方がない。今は全てを水に流して協力するべきなんじゃないか? その方が―――」
「黙れ!」
ノエルが近くの机を拳で粉砕し、怒鳴りつけた。ドムナルの勝手な言い分を聞くことを拒否した。ドムナルは驚いて縮こまってしまった。
「本当に! 私の事を覚えていないんだな! 私の父を殺し! 私をヴァンパイアにして陥れ! 村から追い出して村の実権を奪ったことを! 覚えていないんだな!? お前にとって私の村は、自分が暇潰しに弄んだ村の一つでしかなかった訳だ!」
ノエルの怒号に委縮しながらもドムナルは反論する。
「落ち着け! ヴァンパイア同士で争っても意味はない! それでは愚かな人間どもと同じではないか!」
ドムナルは必死に何とか宥めようとする。
「確かに人間は愚かな生き物だ! だがな、お前も愚者にはかわりない! 私は村を追い出されてから数百年! ずっとお前を殺すために生きてきたのだ! お前をこの手で八つ裂きにするために!」
「待て! ヴァンパイア同士だ! 争うより手を組んだ方がいいだろう!?」
「同士討ちがどうした? 私はお前に辿り着くまでに何人ものヴァンパイアを屠ってきたのだ! 全てはお前を殺すために!」
ノエルはドムナルに襲いかかった。窓ガラスが割れ、二人のヴァンパイアは森の地面に着地した。ノエルは身構えた。数々のヴァンパイア達との戦いで対ヴァンパイアへの戦い方は熟知していた。
「跪け!」
ノエルは紅い瞳で威圧した。ヴァンパイアの奇跡の力に殺気が加わって実現した技だ。瞳の威圧を受ければ、精神力の弱い者は気絶し、強いものでも大抵は動けなくなる。ドムナルは意識を保ったが、その場で動けなくなった。
(まだだ! まだ奴は奥の手があるに違いない! 私の人生を無茶苦茶にしたんだ。これで終わるはずはない。まずは様子見で奴の体を引き裂く。当然避けられるだろうが、加えて二撃目を叩きこむ。それもかわされれば、ヴァンパイアの力で殺しに行く!)
ノエルは右手をドムナルに向けてふるった。すると、彼は血を噴き出してその場に倒れてしまった。
「馬鹿な!? これで終わる訳はない! 終わりな筈はない! 私はお前を殺す算段を百通り以上考えてきたんだ! 立て! 抵抗しろ! 奥の手を出してみろ!」
ドムナルの胸倉を掴んでノエルは叫ぶ。待ちに待った獲物がこんなに簡単に殺せるなんて思っていなかった。彼女は本気でドムナルの瀕死が演技だと思っていた。しかし――。
「……グフ! カハッ! ……ケホケホッ!」
ドムナルは話すことすらままならなかった。ただでさえ人間達に追われ、手に入れた権力も簒奪され精神が弱っていた。加えて、教会の十字架によって力を弱められ、最近はまともに血も飲めていなかった。これらの事がドムナルを弱らせていた。反対にノエルは、ドムナル抹殺のために対ヴァンパイア戦を何度も経験し、シュミレーションをしていた。
血も飲んでおり、ポテンシャルも最高だった。ノエルに誤算があったとすれば、ドムナルを過大評価していたことだ。自分の人生を無茶苦茶にした男だからこそ警戒していた。しかし、彼女はその時まだ子供で人間だった。人間から見ればドムナルは強く見えたが、ヴァンパイア目線で見ると、むしろ弱い方だった。弱いからこそ謀略を用いて人の権力を奪っていたのだ。
「ふざけるな! これで終わりの筈がない!……終わり!? 本当に終わりなの!? だとしたら私の人生はなんだったんだ!? こんな弱い奴に私は人生を奪われたのか!? こんな弱い奴を目標に技を磨いていたのか! 私は何のために生きてきたのだ!」
ノエルは憤った。自分の人生の目標があっさりと完遂してしまったのだ。ロッシュの家族に出会うまでは、それだけが目標だった。ロッシュの家族に出会った後もドムナルを殺すことは忘れていなかった。それなのに、簡単に終わってしまった。
気がつくと、ドムナルは気絶していた。不死のヴァンパイアだから死にはしなかったが、痛みに耐えられなかったらしい。ノエルは冷めた様子で、瀕死のドムナルを抱えて夜の間に準備をした。準備をしている間にドムナルの傷は癒えていった。
「――ん? ここは?」
「気がついた?」
「お前はノエル? これはどういうことだ?」
「私の名前を覚えてくれたのね。嬉しいわ。自分を殺す人の名前くらい覚えておいた方がいいものね」
ノエルの台詞に怖気がはしった。自分の体を見ると、十字架に縛り付けられていた。腕は杭で打たれてしまっている。
「ノエル!? 何をするつもりだ!?」
「わからない? 十字架で縛って、胸に杭を刺す。血も与えない。もうすぐ日が昇る。自分の未来くらい想像できるでしょう?」
ノエルはにっこりと笑うとドムナルの胸に杭を刺した。
「ギャー」という叫び声の後にドムナルは必死に命乞いをする。
「……いやだ! 死にたくない! 助けてくれ!」
「だーめ。死んで」
ノエルは傘をさして日の出の時もドムナルが苦しむさまを見ていた。醜く顔を歪ませて命乞いをするヴァンパイアは滑稽だった。三日ほど足掻いていたが、四日目の明朝の朝日を浴びて塵になった。
「つまらない幕引きね……」
ノエルは、不満足そうに呟いた。
「それにしても、魔女狩りは私にとっても危険ね。それに百年前に比べてヴァンパイアも有名になってきたわ。身分を隠していた方がよさそうね」
ノエルはこれからヴァンパイアと言う正体を隠していくことにした。魔女狩りの時代の中では、歳をとらない自分では真っ先に魔女と認定されてしまうだろう。目的の一つを達成した彼女は、もう一つの目的を成し遂げるために旅に出た。ロッシュの子孫達を探すために。
最初はなかなか見つけられなかった。この時代は人の言葉のみが情報源だ。地道に聞き込みをし続けた。
しかし、得た結果は残酷なものだった。彼らは息子夫婦と娘夫婦はそれぞれ別れて行動していたようだ。だが息子夫婦の子孫は永住していた村で起こったパンデミックに巻き込まれて全員死亡していた。村人の死体はまとめて埋葬されていたが、その遺留品の中にはノエルがロッシュの息子にあげた指輪があった。
「なんてこと……全員死んだなんて……」
ノエルは涙を流して嘆いていたが、まだ絶望してはいなかった。ロッシュの娘夫婦が残されていたからだ。娘夫婦はさらに二つの一族に別れて、行動していた。一方は貧困で死んでしまっていた。もう片方の一族は貧困や疫病、戦争で数を減らしていたようだが、とある都市に隣接された村に移住したという情報を掴んだ。ノエルは、その村まで足を運んだ。
――しかし衝撃の事実を聞かされた。
「その家の夫婦は十年近く前に死んだよ。旦那さんは戦争に行って帰ってこなかった。奥さんもその後を追うように病で逝っちまったよ」
「そんな……」
地面に項垂れるノエル。最早瞳に光はなかった。ここまで生きてきたのに、あの優しい夫婦の子孫は死んでしまったと言うのだ。立ち上がって去ろうとした時に、話していた男がノエルを呼びとめた。
「お嬢さん、何の用があったか知らないけれど、言伝があるなら、この夫婦にはお子さんが一人いたから、その子に話せばいいと思うよ」
「え!? 全滅したのではないの!?」
「え、ああ。娘さんが一人いたんだ。本当は近所のよしみで私が引き取りたかったが、何分こんな時代だからね。自分の家族を養うだけで手一杯だった」
悲しそうに呟く男性にノエルは詰め寄った。
「その子は今どこにいるの!? 名前は!?」
「む、村から少し外れた所にある寂れた教会にいるよ。そこの神父が引き取ったんだ。名前はたしか、コーデリアと言ったか……」
男性の話を聞いてノエルは希望を取り戻した。
「コーデリア……よかった。教えてくれてありがとう」
ノエルは男性にお礼を言うと、その場を去った。教会の十字架は不快だが、会わない訳にはいかない。しかし今夜は新月で、ヴァンパイアの力が弱まる日だ。日を改めてコーデリアという少女に会うことにした。
「月が見える日になったら、その子に会いに行きましょう」
ノエルは、まだ見ぬコーデリアと言う少女と会うことを楽しみにした。
はじめてコーデリアに会った時は驚いた。彼女はロッシュと同じ眼をしていた。その金色の髪色も同じだった。彼が女の子に生まれていれば、あんな感じになっていたのかもしれない。何世代も重ねた子孫とは思えないほど、その顔に彼の面影があった。
そして彼女の指にはロッシュにあげた指輪があった。それはロッシュの子孫の証だった。
さらに驚いたのは彼女の性格だった。この荒んだ時代であまりにも澄んだ心を持っていた。行動は人を気遣うものが多かった。ノエルは久しぶりに会った愛する人の子孫を前に委縮したのか、しばらく彼女を見守っていた。彼女は人の悪意に晒されても、真直ぐ生きていた。
「ロッシュの子孫だけあるわ。とんだお人よしね……」
機会を見てノエルはコーデリアに接触することにした。一度は雨にうたれる中で顔を合わせたが、ちゃんとした挨拶ははじめてだった。コーデリアはとても礼儀正しい子だった。そして魔女狩りを見て心を痛めるほど優しかった。
彼女と過ごした時間は一分一秒全てが楽しかった。全てが今までの不幸を塗り替えるような楽しい思い出だった。
「ああ、ずっとこんな日常が続けばいいのに……」
ノエルは久しぶりに幸せを満喫した。しかし彼女は二つの欲求に襲われた。
「ああ、血が飲みたい……。あの子の血を飲みたい……」
一つはヴァンパイアとしての欲望、即ち血への渇望だった。はじめは欲望に負けて飲んでしまったが、コーデリアが貧血をおこすのを見て少し自重するようになった。月が満ちるに従って血への渇望が強くなる。ノエルはコーデリアの血をあまり飲まず、たまに町を歩く人を気絶させて血をもらう事にした。彼女達には申し訳なかったが、自分の自我を保つため、コーデリアの負担を減らすために仕方のないことだった。
二つ目の欲求は深い愛だった。
「やはり、ロッシュに似ている。それになんて純粋で優しい子なのかしら……」
ノエルはロッシュの子孫だと言う事でコーデリアに近付いたが、彼女と接している間に彼女が好きになっていった。最初はロッシュに似た容姿に惹かれたが、深く付き合う内にその人格に惚れこんでいった。
しかし、ノエルはヴァンパイアで同性である。このことからノエルは自分の気持ちを押し殺した。もし打ち明けて嫌われてしまえば、数十年振りに得た幸せが壊れてしまうと恐れたためである。
「この気持ちはあの子に知られてはいけない。あの子の友人として側にいられればいい」
ノエルは自分の気持ちを押し殺したはずだったが、隠しきれない気持ちが言動に現れた。
「そんなに私にご執心?」「あら残念、駆け落ちの申し出を断られてしまったわ」「私とのデートが楽しみだった?」
今までたち振る舞いはコーデリアへの求愛だったのだ。
「報われないと思っていた。ただそばに居れればいい……」
しかし、ノエルの想いは報われた。あの旅人の男を助けた後に森でコーデリアに告白されたのだ。
「嗚呼、あんなにあの子が私を想っていてくれたなんて、こんない嬉しい事はない」
ノエルはコーデリアの告白を受け入れた。自分の望みがかなったのだ。だがそれは、危うい幸せだった。ヴァンパイアのノエルがコーデリアに近づきすぎるのは危険な行為だった。二人の愛を確かめ合った時、自分がヴァンパイアだと言う事を打ち明けようかと考えていたが、そう思った瞬間、勘違いとは言え自分を拒絶したロッシュの顔を思い出してしまって言葉が発せなくなってしまった。
「いつ正体が露見するかわからない。でも正直に言えば拒絶されるかもしれない。今はただ、この幸せに身を任せたい……」
ノエルはコーデリアの胸の中で、ただそう願っていた。
コーデリアが殺人事件を解決しようと言いだした時は驚いた。そんなことをすれば、犯人が襲ってくるかもしれない。あまり危険に踏み行ってほしくなかった。だから軽くあしらっていたが、殺人事件は収まらなかった。それどころか、ヴァンパイアが犯人だと言われ出したのだ。こうなっては黙ってはいられない。
「人間はすぐにヴァンパイアのせいにするのね。家畜略奪事件もそうだったけど」
ノエルは事件を解決することにした。放っておけば、自分の正体が露見しかねないからだ。
ノエルは事件の解決のためコーデリアと一緒に聞き込み調査を始めた。調査をしている間に、犯人の目星はついた。犯人がボロを出したのもあって、事件は解決した。しかし、ここに来てノエルは血への渇望を抑えられなくなった。血を飲む頻度が少なかったこと、満月に近付いていたためだ。
いつものように若い女性を襲って気絶させた。若い女性を襲っていたのは非力である事、血が美味い事が理由だった。少し血をもらうだけだと思って襲ったが、ノエルは完全に油断していた。
「ノエ……ル……?」
怯えたようにコーデリアはノエルを見ていた。彼女は魔女狩りを見て気絶してしまうくらい心が清い上に無実の咎人を救う程正義感が強いのだ。そんな彼女には知人が人を襲っている光景など受け入れられるはずもなかった。
「私を騙していたんですね!」
コーデリアは涙を流して訴えていた。
「騙すつもりはなかった。でも知られたくなかった。私がヴァンパイアなのは……知れば拒絶されるから、打ち明ける事が出来なかった……」
ノエルは弁明しようとしたが、咄嗟に言葉が出てこなかった。コーデリアに正体を隠していたのは事実。彼女を愛していたのも事実。しかし、いつも頭の回転が速いノエルはこの時ばかりは何も言えなかった。目の前の少女が昔愛した人と同じ目をしていたから。
「ロッシュが私に向けた眼と同じ目だった……」
かつて愛したロッシュがヴァンパイアに謀られてノエルに向けた眼差しと同じ眼差しだった。ロッシュの子孫なのだから当然だったが、何百年も経ってから同じ経験をするとは思わなかったのだ。ノエルは怯えて逃げるコーデリアの背中を見つめている事しかできなかった。
その日以来ノエルはコーデリアに会わなくなった。
コーデリアがノエルを避けているのは明らかだった。しかしノエルもまたコーデリアに会おうとしなかった。それは、ノエルが教会に住んでいるからではなく、また拒絶されるのが怖かったからだ。
「嫌われてしまったわね。でも、私はあの子にあわす顔はないわ。大事な事を言わなかったのだから……」
ノエルは極力コーデリアに会わない場所を選んで過ごしていた。ノエルは苦しんだが、それでもコーデリアと出会わなければ良かったとは思わなかった。それだけ彼女との思い出は光り輝いていた。
「正体を明かさなかった私に落ち度があるわ……。でも今さらなんて言えばいいの……」
ノエルは愛する金髪の修道女と過ごした思い出の場所を巡って頭を悩ませていた。
「落ち着いたら、あの子と仲直りしなきゃね……」
しかし、悩むノエルに凶報が伝えられた。コーデリアが魔女でこの地域を不幸にしていると言うのだ。貴族達からの発表だった。
「コーデリアが魔女!? そんなことあるわけないでしょう! 何かの間違いよ!」
ノエルは怒ったが、彼女が情報を集めていると、いくつかの事実が明らかになった。コーデリアはノエルのもとから去った後、シスターとして人助けに奔走していたという。その時、貴族に呼び止められ、城の中に入っていた。ここまで聞いたノエルは聞かされた断片から正確に事実を推測した。
「おそらく、政治に行き詰った貴族達がコーデリアから知恵を借りようとしたんだわ。相当切羽詰まっているみたいね。でもうまくいかず、コーデリアに全ての責任を押し付けて魔女狩りをするつもりね……」
ノエルは日暮れには事実を掴んだが、悩んだ。やることは決まっている。先程捕まったというコーデリアを救出することだ。
―――しかし、その後どうする?
「あの子は私を嫌ったまま……拒絶されるかもしれない。バケモノだと罵られるかもしれない……」
ノエルは沈んだ心で再びコーデリアの自分に怯える眼を思い出していた。再び拒絶されるのが恐ろしかった。だが、決心して顔をあげた。
「傷つくのを恐れてどうするのよ。今やることは一つ。あの子を助ける事。その他の事は後で考えればいい……」
ノエルは疾風のような速さで処刑場に向かっていた。
*
処刑場には人々の悪意が満ちていた。コーデリアは自分の未来を諦めた。
「これはきっと報いなのです……。大切な人を傷つけた……」
十字架に縛られている彼女の足元に炎が投下される。途端に見物人達が騒ぎ出した。
「いよいよ処刑が始まった!」
「早くあの女の苦痛に歪む顔が見たい!」
「魔女は等しく滅べ!」
見物人達の罵声はコーデリアの心を抉り、足元の火は彼女の体を傷つけた。
「熱い!」
ジリジリと炎が彼女の体を焼いていた。もはやこれまでと思ったその時、足元の火が急に消えた。
それだけではない。突如吹いた突風によって会場のの火が全てかき消されたのだ。それは目の前の絶望を吹き散らすようだった。炎が消えた処刑場は闇に包まれた。人々がパニックになる中、処刑場の中心が月明かりで照らされた。
コーデリアは目の前の光景を見て驚いた。見慣れた銀髪と頼もしい背中がそこにあったからだ。
「何で……? どうして?」
コーデリアは疑問に思った。目の前にいる銀髪の少女は自分が拒絶し傷つけた人だった。その人が自分を助けに現れたのだ。
「話は後よ。今はここから逃げましょう」
ノエルはそう言うと、処刑人を吹き飛ばし、コーデリアを縛っていた紐を断ち切った。処刑会場は突然の来訪者に驚いていたが、ノエルの姿を認識すると、コーデリアとつるんでいた友人だと理解し再び罵りだした。
「やはり魔女とつるむ奴は皆魔女なんだ!」
「そいつも殺せ!」
強気で罵る観客達をノエルは睨んだ。コーデリアをお姫様の様に抱えると不敵に笑った。
「私達を殺すですって? なら自分達で実行しなさいな」
ノエルは走りだした。観客達はノエル達を追いかけだした。彼らはノエルに挑発されたから追いかけたのではない。純粋に目の前の〝魔女たち〟を殺したかったのだ。もはや村人も町人も貧困に喘いでどうにもならなくなっていた。解決策を模索するのではなく、目の前の魔女に全てを被せて葬ろうとしている。彼らは現実逃避と八当りをしたいだけだった。
「ハァハァハァ……しつこいわね」
珍しく息切れをしながら言うノエル。確かに追手はしつこかった。コーデリアとノエルは近くの廃屋に身を潜めていた。二人はここから逃げる算段を考えていた。
「ノエル……」
「何? 言い案でも浮かんだの?」
「いいえ。ずっと貴女に謝ろうと思っていました。……あの時はごめんなさい」
謝罪の言葉を口にし、懺悔するコーデリアにノエルは驚いた。
「貴女が謝る必要はないわ。ヴァンパイアという正体を隠していたのは私なのだから。やっぱりヴァンパイアである私が怖い?」
「いいえ。私は貴女がヴァンパイアであるから逃げたのではないのです。そんな重大な事実を打ち明けてもらえなかったのが嫌だったのです……」
「……そう。確かに貴女には嘘はつかないって言ったものね。ごめんなさい。私はヴァンパイアである事実を知られて拒絶されるのが怖かったの。―――前にも似たような事があったから……」
「似たような事?」
「ええ。この際だから全部話すわ。はるか昔、私には好きな人がいたの。まだ人間だった頃の話よ……」
それからノエルはコーデリアに自分の人生を簡潔に話した。かつて人間だった事、幼馴染に恋をしていた事、ドムナルというヴァンパイアに人生を狂わせられた事、ヴァンパイアにされた事。
「ノエルは元々人間だったのですか」
「ええ。満月の夜にヴァンパイアの血を飲ませられると、ヴァンパイアなってしまうの。ちょうど今宵のような満月の夜ね」
「そうでしたか。あの、好きだった男の子とはそれっきりですか……?」
コーデリアが尋ねてくる。やはりノエルが想いを寄せた人に興味があるようだ。
「そのことも含めて話を続けるわ。ロッシュはね。生きていたの。彼もヴァンパイアにされていた。私を拒絶した事を後悔しながら生きていたみたい……」
ノエルは話しを続けた。村を追われた自分が世界中を彷徨い、あらゆる苦労をした事。そして、ある町を訪ねた時、ロッシュがヴァンパイアとなって最近まで生きていた事を知ったあたりまで話すと涙を流した。
「すれ違ってばかりだった。勘違いで憎しみ、再会する前に死に別れてしまった。もう少し早くあの町に来ていれば……」
悲しむノエルの肩を抱くコーデリア。落ち着いたのかノエルが続きを語りだした。
「……でもね、私は彼の妻子と仲良くなった。彼は自分の傷を癒してくれた女性と結婚していたの」
ノエルはロッシュの妻子が快く自分を受け入れてくれた事、慕ってくれた事を話した。
そして戦争によってロッシュの妻は兵士に殺され、大人になっていた子供達とも離れ離れになってしまったことを話した。
「私は、ロッシュの手紙でヴァンパイアが各地で不届きを行っているのを知っていたから、ヴァンパイア殲滅とロッシュの子孫を探す旅に出ることになった」
ノエルは道すがら人々を傷つけるヴァンパイアを殺していた事、最終的に仇敵のドムナルと出会い、殺した事まで話すと一息ついた。そこでコーデリアがノエルに声をかけた。
「ロッシュさんの子孫の方には会えたのですか?」
ノエルはにっこりと笑うと、その質問に答えるように言った。
「ええ、会えたわ」
「どこにいたのですか?」
キョトンとするコーデリアをノエルは真直ぐ見つめていった。
「私の目の前にいるわ」
「へ?」
コーデリアはしばし頭を捻っていたが、すぐにノエルの言わんとしている事を理解した。
「……私が、ノエルの愛した人の子孫なのですか?」
「ええ。貴女に最初に近付いた理由もそれよ」
コーデリアは驚嘆した。自分がノエルの愛した男の子孫ということは驚くべき事実だった。その事実を理解してから急に恥ずかしくなった。
「じゃあ、私が嫉妬していたのはご先祖様だったのですね」
「ふふふ。やっぱり嫉妬してたんだ」
ノエルに笑われて余計恥ずかしくなり、赤面するコーデリア。何も言えなくなったコーデリアにノエルが言った。
「それからの出来事は貴女も知っているでしょう」
「……はい。色々な出来事がありました。最後は貴女を傷つけてしまいましたが」
コーデリアが胸を押さえる。愛する人が罪悪感に苦しむのを見てノエルはコーデリアを抱きしめた。
「もう気にしていないって言ったでしょう。それに真実を告げなかった私も悪いって。……ただあの時の貴女の眼が、私を拒絶したロッシュの眼に似ていたから何も言えなかった」
コーデリアとノエルは互いに謝罪した。時間が許すならまた二人の時間を続けていただろうが、男達の声によって、二人はすぐに現実に引き戻された。
「いたぞ!」
「ついに見つけたぞ!魔女め!」
「大人しく処刑されろ!」
追手が二人の居場所を突き止めたのだ。
ノエルはコーデリアの手を引いて走り出した。道を塞ぐ人間は吹き飛ばし、真直ぐに走っていった。
コーデリアとノエルは逃げ続けていた。本調子のノエルなら人間から逃げることも戦う事も簡単だが、ノエルはコーデリアと別れた夜から血を飲んでいなかった。満月とはいえ、血を飲んでいないとヴァンパイアとしての力が振るえなかった。
「ハァハァハァ……」
頬を染めながら息を整えるノエル。彼女は逃げるのに疲れただけではなかった。血を飲んでいなかった上に満月の夜なので血への渇望が強くなっているのだ。コーデリアはノエルの心情を察して大胆な提案をした。
「ノエル、私の血を飲んでください」
「え?」
ノエルはその提案の意味を理解できたが聞き返した。今までコーデリアの血を飲む事はあったが、それはノエルが寝込みを襲っていたにすぎない。コーデリアが自ら血を差し出すことは初めてだったからだ。
「私の血を飲めばヴァンパイアの力が出るでしょう?」
「でも……」
「無理しないで……さっきから血を欲しがってるの、知っています」
「……」
ノエルの頬は紅潮している。今まで必死に血の欲望を押さえていたのだろう。図星をつかれたノエルは沈黙する他なかった。コーデリアはそんな彼女に自分の首筋をあらわにした。
「貴女に飲まれるなら私は構いません。貴女の力になりたいのです」
「―――わかったわ」
ノエルはコーデリアの決意を受け止めた。差し出された首筋に齧り付く。
「あっ!」
艶めかしい喘ぎ声を発するコーデリア。自分の首筋から血が吸われている感覚を感じていた。
「んっ!」
ノエルは愛する人の血を味わった。今まで飲んだどの血よりもおいしいコーデリアの血を吸ったノエルは自身の体から力が漲るのを感じた。ゆっくりとコーデリアの首筋から口を離すノエル。コーデリアの首筋から唾液の糸が伸びていた。
「はぁ……」
少し貧血になったコーデリアは少しよろめいたが、気絶はしなかった。
「ありがとう。愛しのコーデリア。おかげで力が漲ってくる。これなら連中と戦えるわ」
「よかったです」
しかし安心するのはまだ早い。追手はすぐそこまで迫ってきていた。
ノエルは名残惜しそうにコーデリアの体から手を離すと教会に逃げるように指示した。
「ここは醜い人間共が襲ってくる。危険だわ。あなたは神父を頼りなさい。魔女狩りの真実に気付いている聡明な神父なのだから、貴女を差し出したりはしないでしょう」
「わかりました。でも教会近くにも追手がいるのでは?教会に着くまでに捕まってしまいます」
コーデリアの主張通り、町にも村にも追手が沢山いた。当然、教会にも追手がいるだろうと推測したのだ。だがノエルは横に首を振った。
「大丈夫よ。私の魔眼で見た限り教会近くに追手は少ない。それに今から貴女に魔法をかけるわ。数分だけ姿を見えなくするものよ。魔法が効いている間に教会まで走りなさい。私はここにいる連中を片付けてから迎えに行くわ」
そう言ってノエルは光る手でコーデリアの体に触れた。するとコーデリアの体が夜闇に紛れた。
「行きなさい!」
ノエルの叫び声を合図にコーデリアは走り出した。コーデリアは人生で一番くらいの速さで走り続けた。途中に何人かの追手に遭遇したが、彼らはコーデリアに気付かないようだった。自分の姿が再び黙視できるくらいになる頃には教会の前に着いていた。