表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シスターとヴァンパイア  作者: 微睡 虚
10/14

第九章 狂う歯車

 ある日、村長はドムナルが監禁されている家に呼ばれることになった。見張りの者の話では「二人きりで、小細工なしで話がしたい」というものだった。彼の要望は、お互いに神の力を借りる道具を持たずに話をするというものだった。ドムナルが犯人だと睨んでいた村長は彼の要請を快諾した。人々は、これで一応の決着がつくと思っていた。

 結論から言うと決着はついた。村長は死んだのだ。ドムナルの元に向かう途中、前回の殺人事件の被害者と同じように外傷がない状態で死んでいた。

 ドムナルは疑われなかった。既に話し合いの合意が成された後に、道中で死んだ訳だから、見張りの付いた家に監禁されていた彼に村長を襲うことはできないし、その理由もない。彼は村長殺しの容疑者にはならなかった。そしてそれは、同時に前回の事件の容疑者からも外れたことを意味していた。手口が同じために同一犯と見なされ、片方の殺人事件の容疑者から外れた訳だから、もう片方の容疑も外れたのだった。

 無論、異議を唱える者はいた。ノエル、ロッシュを筆頭とする村長を慕う者たちだった。だが、彼らの主張は退けられた。ドムナルは自分を犯人だと疑った村長の亡きがらを丁重に弔い、彼の遺志を継ぎたいと言ったのだ。ドムナルの涙ながらの主張は説得力を持ち、村に貢献してきた実績から村長の後継者となってしまったのだ。後継者にはノエルを推す声もあったが、若すぎることと父を失って傷心であり、まともな政治運営が出来ないであろうことをドムナルに説かれてノエルを推す声はかき消されてしまった。


「お父様……」

 前村長の墓の前で泣き続けるノエルにロッシュは何と声を掛けたらいいのか分からなかった。だから自分の胸に抱き寄せた。

「ロッシュ……こんなのってないわ……グス……」

 嗚咽するノエルをなだめるロッシュ。

「お父様が殺されて、その地位をあの男に奪われて……」

「気持ちは分かるよ。……でも、自棄を起こしてはいけないよ。親父さんも、我慢も大切だって言ってたろう? 今は泣けばいいさ。落ち着いたら、これからのことを考えよう」

 優しくなだめる幼馴染の顔をその胸から見上げるノエル。だが、その優しい顔が急に強張った。

「おや? 父君のお墓参りかな?」

 聞き覚えのある声だった。最も憎らしい声だった。ノエルは振り向こうとした。あの憎らしい男の顔を殴りたくなったのだ。しかし、ノエルの体をロッシュが強く抱きしめ、振り向かせなかった。

「心中お察しします。私も貴方の父君のような立派な村長になれるかどうかは分かりませんが粉骨砕身、努力いたしますので……」

 空気を読まずに、空虚な理想を掲げるドムナルだった。ロッシュは正確にこの男の真意を見抜いていた。ドムナルは傷心のノエルを煽って、ヒステリーを起こさせようとしているのだ。そして、彼女がそれに乗ってしまったら、その様子を指差して「もはや政治運営能力は皆無だ」と主張するのだろう。そんな下衆な心を見通していたからこそ、ロッシュはノエルを振り向かせなかった。代わりにドムナルを視線で威圧した。

「消えろ!」

 普段、温厚なロッシュの怒号にドムナルも一瞬怖れ、その場を後にした。ノエルが再び顔を挙げると元の優しい顔つきに戻っていた。二人は暫く話していた。



「これからどうすればいいのかしら?」

「やはり、事件の真相を解き明かそう」

 彼の言う事件とは、二つの殺人事件を指していた。十中八九犯人は分かっているが、決定的な証拠がなかった。彼はその証拠を探ろうといのだ。 

「でも、事件の現場は探したわ。もう、証拠なんて」

 弱気なノエルを励まし、ロッシュは自分の考えを告げる。

「死人に口なしとは言うけれど、死体こそ真実を語ると僕は思っている」

 ロッシュは死体にこそ何らかのが残されているのではないかと言いたいらしかった。

「墓荒らしをしようっていうの?神の怒りに触れるわ」

 流石にノエルも気が引けていたが、ロッシュは譲らなかった。

「もう、この手しか残されていない。死んだ二人も未練から何か教えてくれるかもしれない」

 ロッシュの提案により、二人で墓を掘り起こすことが決まった。人目に見つからない時間は夜である。二人は今日の仕事を終えると、日が沈むのを待った。そして、皆が寝静まると犠牲者二人の墓を掘り起こした。最初の犠牲者から先に掘り起こした。まだ遺体は腐ってはいなかった。

「彼、結婚前だったのに、かわいそうにね」

「ああ。しかし、その無念が僕らに何かを教えてくれるはずさ」

 死体を見て回ると、目立った外傷はなかった。しかし、その血色の悪い肌に違和感があった。ロッシュはノエルに話しかけた。

「ノエル、おかしくないか?」

「どこが?」

「この死体、外傷がないのは明らかだが、肌の色が悪すぎる。血の気がない」

「そんなの死体だから当たり前でしょう?」

「いや、今は季節も肌寒くなってきている。腐るには早い。それに、僕の記憶が正しければ、犠牲者は異常なほど血色が悪かった。傷つけても血が出なかった」

「それは……」

「じゃあ、親父さんのも見てみよう」

 二人はノエルの父である前村長の死体も見てみた。同じように血色が悪かった。無論、血も出なかった。これは決定的な証拠だった。

「ロッシュ! これであの男を追求できるわ」

「ああ。親父さんも浮かばれるだろう」

「でも、アリバイはどう崩すの?あの男が見張りのいる部屋に監禁されていた事実を覆さないと……」

「大丈夫。そこは考えているから」

 顔が明るくなるノエル。喜ぶ二人だったが、背後から人の気配がした。振り向くと見覚えのある憎らしい顔がそこにあった。

「こんな夜更けに、何をしているんですか?」

 ロッシュは内心舌打った。良く考えればわかる事だった。男が不穏分子の自分たちを見逃すはずはない。まして、この男は夜にこそ活発に動く。最も警戒するべきだったが、証拠集めに必死になりすぎて注意を怠った。ドムナルは二人を交互に見つつ、ワザとらしく両手を使ったオーバーリアクションをしながら言った。

「これは、これは、前村長のご息女とその友人よ。何かと思えば、墓荒らしですか。やはり錯乱していたのですね。可哀そうに。これは緊急会議で皆に話さなければなりません」

 ノエルはそうきたかと思った。ノエルが父親の墓を荒らしたことを悲しみによる錯乱から起こした事だと村人に言えば、政治能力に疑問を持たれかねない。それも表向きは傷心の娘を労わるという形で合法的に村の政治から排斥できる。この男らしい厭らしい手だ。ロッシュも苦い顔をしていた。目の前の男は外面は良いが、手で隠す口元がわずかに笑っている事を二人は見逃さなかった。

二人は村の緊急会議に出席した。無論、糾弾される側としてだ。大人たちは若い二人の行動を責めた。

「なぜ、墓荒らしなど……」

「ノエルちゃん、苦しいのは分かるが、それでも……」

「神の怒りに触れるぞ!」

 大人たちはノエルの心情を察してか、あまり強くは責めなかったが、それでも二人の行動に批判的だった。ノエルはパニックになりかけていた。ドムナルもこれ幸いとばかりに場の空気を自分の都合のよい方向に誘導しようとした。

「やはり、前村長の娘さんは大傷ついていらっしゃる。これでは当分は政治を任せられないでしょう。私も彼女が大人になった時に前村長から預かった地位を返そうかと思っていましたが……これではね」

 白々しい態度をとるドムナルは殊更にノエルの精神薄弱と政治運営能力を強調した。村人たちもドムナルの主張に納得しかけたが、異議を唱える者がいた。

「待ってください。彼女は錯乱していません」

 声を挙げたのはロッシュだった。

「どういうことだ? ロッシュ?」

 話の先を促すロッシュの父。ドムナルが話をさせないように言葉を遮ろうとしたが、ロッシュの人望がそれを許さなかった。

「実は、ノエルに墓荒らしを提案したのは他でもない僕です」

 ロッシュの発言にどよめきが起こった。というのも、ロッシュは冷静で感情的な行動はしない男として通っていた。そのロッシュが自ら墓荒らしをしたと言ったのだ。大人たちはその真意を読み取ろうとしている。場の空気は完全にロッシュがつかんでいた。

「私は例の殺人事件が事故でも病気でもなく、殺人事件だと思っています。それは皆さんも分かっていることだと思いますが、有耶無耶になっていたので、真相を突き止めたいと思い、このような行動を起こしました」

「真相だと? しかし、ドムナル村長の潔白は証明されたはず……」

「いいえ、そう断言はできないです」

「ロッシュ君、君が私を犯人とする根拠を聞こうじゃないか」

 ドムナルは落ち着きながら言った。ロッシュの発言から荒を捜し、論破しようと探っているようだ。当のロッシュはドムナルの真意を見抜き、

「逆に質問します。貴方はあの夜、前村長を呼んだ理由は何ですか?」

「!」

 動揺を隠せないドムナルにロッシュはさらに追及する。

「あの日、あなたの潔白が証明されたのは、前村長が殺され、あなたは見張りのある家に監禁されていたからだ。前村長は身の回りを警戒していた。あの日呼び出され、あなたが監禁されている場所に向かわなければ死ななかった」


「決めつけですよ」

「あの通りだけは人通りが無いに等しい。それに、あなたは、一対一で話し合おうと前村長を呼び出した。あの時、村長は一人だった。襲う事は容易だったはず」

「言いがかりですよ。あの日、私は見張りのいる家に監禁されていた。犯行は不可能……」

 ドムナルは話の方向を曲げて、なんとか流れをつかもうとしたが、ロッシュがそれを許さなかった。

「質問に答えて下さい! 何で前村長を呼び出したのですか?」

「……」

 ドムナルは口を噤んだ。見かねたドムナル派の村民が擁護した。

「ドムナルさんはアリバイがある。それを崩さない事には彼の潔白は揺るがない」

 ドムナルの築きあげてきた人脈が思わぬことで役に立った。ロッシュも村人には強く出れない。それを見越してこの状況にほくそ笑んだ。ロッシュはあえて誘いに乗った。

「では、あなたの土俵に立って、先に疑問を解消しましょう」

 ロッシュの発言にドムナルがさらに動揺した。他の村人たちもロッシュの発言に耳を傾ける。ノエルは本当にアリバイを崩せるの?と心配そうにロッシュを見ていた。

「あの日、見張りをしていた人物は誰ですか?」

 ロッシュの質問に二人の男が手を挙げた。

「見張りをしていたのは俺たちだ」

 屈強な男たちだった。確かにこの男たちを前にして正面突破は難しい。

「あの日、貴方達は見張りをしていましたか?」

「ちゃんと見ていたが……」

「ほう。貴方達は部屋に監禁されたドムナル氏を見たと?」

 ロッシュの質問の意図を察して二人の見張りは苦い顔をした。

「俺たちが見張っていたのは、表の入り口だけだ。扉から出ていないか見張っていただけで、中の様子までは見ていない」

 見張りの言葉に全員が驚く。もし、何らかの方法で扉以外から抜け出せたり、見張りの人間に自分が内側にいると錯覚させたりしたのなら、ドムナルのアリバイは崩れる。村人の視線はロッシュとドムナルを交互に行き来していた。

「だが、ロッシュ君はあくまで可能性を示しただけにすぎない」

 絞り出すような声で抵抗するドムナルに対し、質問を戻した。

「では話を戻します。貴方が前村長を呼び出したのは殺害するためではないのですか?」

 先程は暈していたが、今は断定した質問だった。

「いいえ。私は自分の無実を訴えるために呼び出したのです。いくら私に特別な力が使えるとしても、人を殺す力はないと訴えるつもりでした」

 ドムナルの主張を聞いて笑いだすロッシュ。この言葉を待っていたといった感じだった。

「ドムナルさん、僕とノエルは殺された二人の死体を確認しました。そして、あることに気付きました」

「あること?」

 もう、村人はロッシュの話に夢中だった。

「二人には血が一滴もなかったのですよ。人が死ねば血は固まり、出血しません。ですが、その固まった血すらなかったのです。二人は死んだ直後に発見されました。皆さんも覚えているはずです。しかし、死んだ直後にしては血色が悪すぎました。それは、血が体内に一滴も残されていなかったからですよ」

 ロッシュの主張は分かりやすかった。そして、的を得ていた。村人たちも頭を捻って当時の状況を思い出す者もいれば、ノエルとロッシュが掘り起こした二人の墓に確認に行く者もいた。

「おかしいと思ったんですよ。殺害されたのに辺りに血が無いことに。そして貴方は奇跡の代償に血を使うんですよね? どう思いますか、ドムナルさん?」

 反論のしようもなかった。村人がドムナルを見る表情も疑心を帯びている。

「ロッシュ君、ここまで言ったのだから私のアリバイも崩せるのですか?」

「いいえ。まだ無理ですね。しかし、貴方も自らの疑いを晴らせないでしょう。ですから、これから二人以上、常に貴方のもとに監視をつけます。監禁はしませんが、これで明確に貴方の行動が分かるでしょう」

 こうして緊急会議は幕を閉じた。ドムナルは常に監視をつけられることになった。大人たちはロッシュの弁論術に舌を巻いた。

「ロッシュ、監禁場所のアリバイ、良く崩せたわね」

「別に崩してはいないよ。可能性を示しただけさ」

「似たようなものでしょう? でも、どうして見張りが確認しない事に気がついたの?」

「昔、悪戯して反省のためにあの場所に監禁された事があったんだ。その時、見張りの大人たちが入口にいるだけで、確認しに来ない事に気付いたんだ」

「なるほど、経験が確信させたのね」

「ああ。これで村長の実権は君になるはずさ」

 ロッシュの読みは正しかった。ドムナルは事実上権力を剥奪され、常に監視がついていた。村の長の座はノエルの物となった。だが、その状況を良しとしない者がいた。

「血が足りぬ。こんなに見張りがいるのでは吸血できないな。あのガキどもめ、小賢しい真似を。だがロッシュと言う男は厄介だ。なんとかあの二人を引き離さなければ……」


 村に平穏が訪れた。しかし、それは嵐の前の静けさだった。ロッシュが狩りに行った時、ドムナルは動き出した。見張りの二人を吸血によって殺害し、一直線にノエルの元に向かった。

「……!」

 驚くノエルの口をふさぎ、手刀で気絶させ、連れ去った。気がついた時にはノエルはロープで縛られて廃屋にいた。随分使われていなかった村はずれにある廃屋である。

「なぜあなたが自由に? 見張りはどうしたの!」

「私が殺したよ……」

 まるで罪悪感がない様子で答えた。見張りを殺してきたのならば、もうひとつの疑問が生じた。

「やはり! じゃあ……お父様を殺したのも……」

「私だよ。一連の殺人事件の犯人は私さ。キミの父上にはしてやられたよ。この私が封殺されるとは、三十代の若さで大したものだ。だがら、邪魔だったからご退場願ったのだよ」

 自分の犯罪行為を開き直って自白するドムナル。

「……最初の人はなぜ殺したの?」

「あの日は満月だったからねぇ、欲を抑えきれなくてね。血を飲もうとしたんだが、吸い過ぎて死んでしまったのだよ」

 少し、はしゃぎすぎてしまったと言わんばかりに答えるドムナルにノエルは寒気を感じた。

「お前は何者なの? 血が必要なのはどうして?」

「私はね。人間ではないのだよ。ヴァンパイアという」

「……ヴァンパイア?」

 聞きなれない単語にノエルは首を傾げた。

 ドムナルの話ではヴァンパイアとは種族であり、生きるためには食料とは別に生き血が必要らしい。また、血を得たヴァンパイア特別な力を使えるらしい。そして、満月の日にヴァンパイアの血を飲むとヴァンパイアになるというのだ。ヴァンパイアはそうやって同胞を増やしているらしい。今日は満月だ。話が見えてきた気がした。

「私を……ヴァンパイアにする気?」

「察しがいいねぇ。流石は前村長の娘だ。目障りなキミらをただ殺すだけなら簡単さ。だが、そうすれば真っ先に私が疑われる。それに、何百年も生きている私をコケにしたキミの父と友人は憎いからね。あの小僧が恋心を抱いているキミを私の同胞にすれば、どんな顔をするだろうかね?」

 ドムナルの紅い眼光が光る。

 ノエルは助けを求めた。だが、この廃墟には誰にも声が届かない。

「……でも今はまだ夜じゃない。ヴァンパイアにはできないんじゃないの?」

「よく頭が回るね。さすがは私を追い詰めた男の娘だ」

 その時点では時間があった。

 しかし無情にも日は沈んでいく。

 遂には夜になり、夜闇には美しい満月が光った。普段なら美しい満月を愛でるのだが、今はただその丸い光が憎かった。

「日も沈んだね。今は秋口だから夜になるのは早いねぇ。あのロッシュという小僧も今はいない。この機会を待っていたよ」

 男は刃物でリストカットし、その血をノエルに飲ませた。

 すると、ノエルは体に劇的な熱さを感じた。病に冒されていた時もここまでの熱を感じなかった。全身の血液が沸騰するようだった。あまりの苦しみに、ノエルは呼吸さえ満足にできず、のたうちまわる。

「ぐ、ガァ! ……痛い! ……熱いぃ! ……苦しい!」

 口から洩れたのはそんな言葉だった。痛みを言葉にして外に放出したかったのかもしれない。それくらい全身に痛みを感じた。それは体を内側から燃やされているような痛みだった。その辺りに落ちていた布を掴み、痛みに必死に抗う。ドムナルは苦しむノエルの様子を見てニヤリと笑っていた。

 その時、廃屋の扉が開かれた。入口には息を切らせたロッシュが立っていた。彼は横たわるノエルを確認すると、殺意に満ちた目でドムナルを見つめた。

「ドムナル! どういうつもりだ! ノエルに何をした!?」

「何も……ただうっかり私の血が口に入ってしまっただけ……」

 ドムナルは最後まで言葉を話せなかった。ロッシュが彼を殴り飛ばしたからだ。

「グハッ!」

 ドムナルを殴り飛ばしたロッシュは、急いでノエルの元に駆け寄った。

「大丈夫か! ノエル!」

「ハァ……ハァ……あぁ……うぅ……」

 苦しそうにして言葉を離せないノエルを見てロッシュが改めてドムナルに向き直った。

「ドムナル! 本当の事を言え! 何をしたんだ!」

「だから……血を飲ませただけだよ」

「馬鹿を言うな! 他人の血を少し飲んだだけでこんな状態になるか! ……まさか、お前! 疫病をノエルにうつしたんじゃ―――」

 ロッシュは疫病が血を媒介にして感染する事は知っていた。ドムナルが意図的にそうしたのではないかと思ったのだ。

「疫病? 確かに疫病といえるのかもしれないなぁ。言うなればヴァンパイアと言う疫病だな……」

「ヴァンパイア?」

 聞きなれない単語に首を傾げるロッシュ。ドムナルは彼にも説明をし出した。

「ヴァンパイアというのは、常人とはかけ離れた身体能力と奇跡の力を得た者のことさ。満月に人間にその血を飲ませると、飲んだ人間はヴァンパイアになるんだ……」

「何? 何故お前がノエルにそんなことをする!?」

 ロッシュは単純に疑問に思った。ヴァンパイアというのは常人より優れた人間らしいということはわかった。ドムナルの力も彼がそのヴァンパイアなら全て説明がつく。だが自分と敵対し、憎しみすら持っているであろうノエルをヴァンパイアにする意図はわからなかった。

 ドムナルは下卑た笑みを浮かべた。

「……実はね。彼女がヴァンパイアになりたいと私に言ってきたんだ。常人より優れた存在になりたいと、そして父上の遺志を継ぎたいとね。私は彼女の意思に感服して協力しようと思い、彼女をヴァンパイアにしようしたんだよ……」

 なんと、ドムナルは事実を180度ねじ曲げた。本当の情報に嘘を織り交ぜて説得力を持たせようとしたのだ。

(違う! 私はヴァンパイアになりたいなんて思ってない! ロッシュ! 騙されないで!)

まだ言葉を上手く話せないノエルが心の中で必死に叫ぶ。ロッシュも簡単にドムナルの言葉を信じなかった。

「デタラメに決まってる! 仮にヴァンパイアの話を信じるとしても、ノエルがそれになりたいと言うはずがない! お前に頼むはずがない!」

 ロッシュは言い切った。彼のノエルに対する信頼がドムナルの詐術に言いくるめられる訳もなかった。ノエルもロッシュの言葉を聞いて僅かにほほ笑んだ。

 だが、ドムナルは不敵に笑った。

「キミが私の言葉を信用しないのも無理はない。だが、事実彼女は私に頼んだのだよ。その証拠に彼女はじきにキミの血を求めだす。ヴァンパイアになる最後の条件が人の血を飲むことだ。私の話が嘘だと言うなら、彼女がヴァンパイアになりたくないのなら、血を求めないはずだ。しかし、彼女は血を求めるだろう!真にヴァンパイアになりたいのだから……!」

 ドムナルは大げさな身振りで宣言した。ロッシュは彼の言う事を真に受けなかった。ノエルも自分を信じてくれたロッシュに安堵した。

 ところが、突如ノエルに欲求が襲った。それは喉の渇きだった。ただ水が飲みたいのではない。もっと違う何かを彼女の体は求めていた。しかし、その欲求を口にすれば、あの男の言葉を肯定することになってしまう。ノエルは当りを見て水が入った容器を見つけると、一気に呷った。しかし、喉の渇きは癒えなかった。

「ど、どうしたんだ? ノエル?」

 ロッシュはノエルのただならぬ様子を見て混乱しているようだ。ノエルもそのことを分かっているから、己の口を押さえこんだ。

 だが彼女の欲求は止まらなかった。それは、飢饉の人々が屍をしゃぶるように、蜜月の夫婦が互いの体を求めるように、徹夜労働者が睡魔に襲われるように、ノエルの体が血を求めたのだ。気付いたらノエルの口から言葉が漏れていた。

「ロッシュぅ……血が、血が飲みたいのぉ……貴方の血を飲ませてぇ、お願いぃ……」

 ノエルはロッシュに懇願した。途端にロッシュの顔が歪む。その時を見計らっていたかのようにドムナルが言った。

「ほぉら! 言ったとおりだ! ノエルはヴァンパイアになりたかったんだ! 私にそれを求めたんだよ! ノエルは言っていたぞ? 青臭いガキのロッシュよりも私の方が良いと!」

「嘘だ! そんなのウソだ!」

 ドムナルはここぞとばかりに嘘をねじ込んだ。本来なら聡いロッシュが彼の詐術に丸めこまれなかっただろう。だが、ロッシュはまだ若く純粋だった。そこにドムナルがつけ込んでしまったのだ。

「ノエル……嘘だと言ってくれ……お願いだ……」

 少年は涙ながらに最後の理性で愛する少女に懇願する。しかし、ノエルは理性を保てなかった。へたにその欲求を殺せば、発狂してしまいそうだったから、ノエルは己が欲望に従ってしまった。

「カブッ!」

「ぐわぁ!」

 ノエルがロッシュの首元に噛みついたのだ。ノエルはロッシュの生き血を啜った。しばらく涙ながらに抵抗していたロッシュだったが、急に力を込めてノエルを振りほどいた。

「ノエル、信じていたのに……あまりにもひどい仕打ちだ……」

 ドムナルは狡猾な男だった。ヴァンパイアになったものが血を求める生理現象とロッシュの淡い恋心を最大限利用し、ノエルがロッシュを裏切ったように錯覚させたのだ。ロッシュはノエルを見捨てて廃屋から逃げ出した。

 ノエルが理性を取り戻したのは、村人を一人襲った後だった。彼が貧血になるまで血を啜ったとき、ノエルとしての理性を取り戻した。気がついた時には村人達がノエルを罵っていた。これ幸いと、ドムナルが『ノエルが発狂した』とアピールしたのだ。

 最悪な事に、ノエルが襲った村人はロッシュの父だった。まだ僅かにノエルを信じていた彼の信頼を壊すには十分な状況だった。ロッシュは聞いた事のない汚い言葉でノエルを罵り、村人たちもそれ追随した。次第に罵詈雑言は過激になっていき、ノエルに石を投げるようになった。

 ノエルは自身が犯した過ちに気付き、その罪悪感と目の前の仲間達からの罵声に心を痛めた。ただでさえ、最愛の父が殺されて情緒不安定になっていたのだ。今回の出来事は彼女に止めを刺すに十分だった。


 ノエルは傷心のまま、村を抜け出した。最早村に彼女に居場所はなかったのだ。


 愛した父はもういない。最も信頼し、将来を約束した少年を自分は裏切ってしまった。どうすることもできなかった。一通り走り村から離れると、ノエルは喉の渇きを覚えた。今度は血ではなく、水を求めた渇きだった。幸い、近くに湖を見つけることが出来た。水を飲もうと湖に近付く。その時、湖には自分の姿が写った。しかし、本来の自分とは少し違っていた。眼は紅くなっており、口の端から小さな牙が見えた。

「ふふふ、ヴァンパイアかぁ……本当にバケモノになっちゃったんだ……」

 ノエルは、ヴァンパイアというバケモノになってしまったことに対しては、あまり傷ついていなかった。彼女の心を抉ったのは孤独感だった。

 いつも自分を諭し、正しく導いてくれた父はいない。いつも自分を支え、助けてくれた友もいない。一緒に苦楽を共にした村人いない。最後に見た彼らの姿は自分を汚く罵る姿だった。

「う、うぅ……うわぁぁぁぁああああああぁぁぁぁ……!」

 途端に涙がこぼれ出した。

 もう彼らと一緒に何かをすることはない。楽しく会話することはない。その事実が彼女の心を切り刻んだ。この時代、村から疎外された者は非常に生き辛かった。行政機関がしっかりしていないこの時代では、村が司法、立法、行政機関を兼ねていた。その恩恵を受けられなくなったのだ。即ちそれは、文字通りの孤独であった。

 しかし泣いてばかりはいられない。ノエルは一通り泣き終わると、新天地を求めて歩きだした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ