お隣さんとお隣さん達
その日、大学から帰った私は自分の部屋に適当に荷物を放り込むと、すぐに隣家のインターホンを押した。
中から開けられるのを待たずにドアを開けて、お邪魔します、と告げる。
「あ、いらっしゃい綾さん」
部屋の奥から声がする。隣人は私が来ることが分かっているときは鍵をかけない。そう頻繁に来ている訳ではないが、そのまま上がり込むぐらいには私もこの部屋に慣れた。
台所も兼ねた短い廊下を抜けると、家主の谷村ちとせはそわそわと菓子器をつついていた。
私が入っていくと、ぱっと顔を上げて、部屋を示すように両手を広げて見せる。
「綾さん!これでどうでしょう、うちの部屋、変じゃないですか?!」
「いや、上等じゃないかな。お菓子も用意したんだね。行き届いてるなあ」
ざっと見ても、もとから散らかってはいない部屋が今日は大変綺麗に片付いている。
もちろんです!と彼女は嬉しそうに笑った。
その様子を見ていると、ちとせも楽しんでいるようでほっとした。
面白いことになりそうだと思って藤川&トリのお見合いを設定したが、彼女はどうにも不安な様だったのでちょっと気になっていたのだ。
出会った時の、あまりに滑らかな自己紹介からお茶の誘いまでの流れには、どれだけこなれてるんだと驚いたけど、どうやらあのナンパテクはシーン想定と訓練の賜物だったらしい。実際付き合ってみると、本当はこの子はちょっと人見知りなのではないかと思う。
それなのに、あの幽霊に友達を作るために頑張ったのかと思うと、その友情には素直に頭が下がる。
うん、楽しんでくれている様なので、まずは何より。
彼女に嫌な思いをさせたり、怖がらせてはなるまい。もし万が一、トリの奴が変なそぶりでも見せたらしっかりシメること、と再度心の中で確認した。
さて。この部屋に来るとまずしなければならないことがある。
ぐるっと部屋を見回すと、ちとせが笑いをこらえながら教えてくれる。
「すぐ、そこにいますよ。今ちょうど目の前であーーーって言ってます」
まったく。
「よし、ちょっとそこに直れ」
ちょうど、いつも私の座っている薄い黄色の座布団が前にあったので、そこを指さして言う。
で、ちとせの顔をちらっと見て、どうやら藤川はちゃんと位置についたな、と確認すると、私はこの世のものでないものを見る努力を始めた。
コツは、なんだか儚い気分になることである。
世の無常、広漠とした宇宙の事などに思いをはせるのがお勧めだ。この時、あまりきちんと見ようとしない方がいい。ちょっと手前などを漠然と見るか、いっそ目を閉じておいてもよい。
今日は連綿と続くDNAの繋がりと進化の事を考えていると、突然大声が聞こえた。
「あああああーーーーーー!!!」
「うるさい!」
うむ。顔を上げてみると、感心なことにきっちり正座をして、感心しないことに口を大きく開けた藤川がいた。
「綾の!愛が!足りない!」
「だいぶスムーズに会えるようになったと思うけど」
「私だっていらっしゃいって言ってるし!今日は出迎えてたし!」
どういう怒りだそれは。
今日の藤川は普段でも高めのテンションが、最初からかなり高い。
「いっそ例のあの人のこととか考えてから来ればいいと思う!」
なんと心ない事を。
ちょっと不安定になるためだけに、何故失恋を反芻せにゃならんのだ。お断りだ。
お前は今日のウキウキイベントを用意した私に感謝し、もっと敬え、と言ってやると、もちろん大好きよ!とか言いながら抱きついてきた。やめろ。透けるっつーの。阻止しようとした私の腕があっさり藤川を突き抜けた。ええい。
その日、私達は昼過ぎ辺りから大騒ぎしていた。
まず私は、午後一の授業が終わってすぐ帰宅。途中でスーパーに寄り、お菓子棚の前でちょっと悩んで、色んな種類のクッキーが入った箱を選んだ。やっぱり男の人はしょっぱいお菓子の方が良いかな、とも思うのだけど、おかきはちょっと違う気がするし…。うん、いざとなれば、ストックのポテチを出そう。
家に帰ったら美咲さんを起こして、二人でああだこうだとセッティングを協議。
掃除は昨日してあるのだけれど、もう一度チェック!ゴミ箱の中身をベランダのゴミバケツへ移して、空っぽに。
実は四人になると座布団が足りないんだよね…美咲さんはお菓子食べないから、いつもの席はベッドの上なんだけど、今日は美咲さんが正面にちゃんと座っているべきだろう。
と言うことは、綾さんと私が並んでベッドの上…はおかしいよね。やっぱり。
美咲さんと相談してみても、いざとなったら何とかなる、いやならないかな?ねえ何の話題ならもりあがるかな?えええ話題?!なんて感じになっちゃって、もうなんともならない。
うーん、綾さんが来たら相談しよう。
クッキーを器に盛った辺りで、ピンポン、とインターホンの軽い音がした。
一拍おいてガチャッとドアが開き、綾さんの声がした。
とたんに、ベッドに腰掛けて出迎え準備を監督していた美咲さんが、跳ねるように立ち上がって玄関に突進していく。
「いらっしゃーーーい!!」
美咲さんも分かってやってるんだろうけど…。
案の定、美咲さん全力の突進はスルーされたようで、何事もなく綾さんが現れた。
セッティングを見てもらっている間に、ふくれた美咲さんが戻ってくる。
綾さんは不思議現象には縁のない人生を送ってきたとは言っていたけど、本当にそういったあれやこれやとは本来関わりない人の様で、美咲さんと出会うには毎回ちょっと用意がいるみたい。
二度と再び出会えませんでした、っていう結末にならなくてよかったあ、と私は思うんだけど、そんなことにはお構いもせず、不義を力一杯なじる美咲さん。しかしそれを軽くいなしていく綾さん。
美咲さんは綾さんに甘えているのだ。美咲さん、私にはなんだかんだいってもお姉さんって感じで、たまにわがままを言っても遊びっぽいのになー。
やっぱり美咲さんと私では自分は可愛がられてしまう側なんだなあ、と思うとちょっとくやしい。私だってもう美咲さんの遊びについて行けるんだからね!まだここぞ、というタイミングに出会えないのだけれど、いつか美咲さんが目を見張るような、気の利いた返しをしてやるんだと心に決めている。
最終的に美咲さんが綾さんに飛びついたところで一段落。私は綾さんに座る位置や話題について相談してみた。
「ああ、それなんだけど」
綾さんはそういって、手に持っていたケースからノートパソコンを取り出した。
パタンと開くとすぐに、小さな飛行機を囲んで笑う人達の写真が載ったウェブページが映る。
「はい、これが今回のお相手トリさんのページ」
すすっとカーソルが移動して、写真の中で一つの顔のまわりをくるりと回る。
「で、こちら今日来る長谷部君のお顔」
おおお、と私達はパソコンに詰め寄った。
日焼けした髪の短い男の人が、明るい笑顔で周りの人と肩を組んでいる。
思いっきり笑っているので、どんな顔、とはちょっと分かりづらいのだけれど、どちらかというと、細身で面長の方だろうか。笑いに大きく開いた口の下で、ちょっと細いあごが尖っている。
これが長谷部さんかあ…今更だけど、べ、が正解だったらしい。
ほほ~う、と写真を眺める私達に、綾さんはこたつ机の角に向かってパソコンを斜めに設置し、座布団をパソコンの見える二辺に移動させると、自分はそのままカーペットの上に座ってしまった。
「これをネタにすればいいかと思って。サークルの面白い話とかを披露してもらおう。
だから、客がここなら藤川がその隣の辺かな」
おおー。さすがです綾さん。
「ん、これちょっとバッテリー弱ってるんだ。電源貸して」
その後、とりあえず美咲さんのことは事情により私達の通う大学を中退した、私と地元が一緒のお姉さん、という設定で行くことを確認して、お茶の準備をした。もう涼しいから、お茶もお湯を沸かして温かいのを入れたい。
今回の目標は、細かい事情はさておき、お知り合いになること!美咲さんの事情は秘密です。
そろそろ時間だー!
その日、俺は胸高鳴らせて隣室のインターホンを押した。
約束の時間はぴったりだ。目的地は隣の部屋なのだから、時間にたいしたズレなどできようもないが、それでも時計を何度も見直してのピンポーンである。
うわー緊張する!まさか部屋に招かれるとは思ってなかった。どうせ部屋並んでるんだから、と言うのが寺西さんの談だったけど、やっぱいきなりってドキドキするよ。カラオケとか行くと思ってた。何すれば良いんだろう。まあ女の子の部屋って、ちょっと嬉しいけど。
手元にはサークルの先輩に相談して用意したケーキ箱がある。事情を説明すると、おやまあアノてらにっさんに、と言われた。その言い方には、なんか不安になるんですけど。
ソノてらにっさんが好きなケーキ、というのも仕入れたことだし、大丈夫でしょう!
と、と、と、と軽い足音がして、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
下からにこりと笑いかけてくるのは、いつか見た小柄な隣人。
いよっし!いくぜ!
部屋に入ると、『あの子』だー!
うわあ、とうとう会えたよ会っちゃったよ!
彼女は今日もポニーテールにいつか見かけた黄色いパーカーを着ていて、すっきり見えた首筋がきれいだった。にこっと笑う。
「はじめまして」
「あ、こちらこそ。よろしくお願いします」
慌てて返すと、机の向こう側に座っていた寺西さんが、にやっと笑い、席を勧めてくれた。
家主さんにケーキの箱を渡し、つまらないものですが、あらまあごていねいに、とお決まりのやりとりをして座る。とりあえず正座です。
「ようこそ。改めて紹介すると、家主の谷村。こちら、藤川。私、寺西。で、トリさんの長谷部君」
「長谷部卓です」
暢気と言われることの多い我ながら緊張して挑んだのだけれど、ちゃんと会話は弾んだ。
まずケーキ箱をのぞいた谷村さんが歓声を上げ、寺西さんが常連らしくケーキの解説をしてくれて、ひとしきりケーキの品評が盛り上がった。よかったあああ。この店を薦めてくれた先輩にお礼言わないと。
藤川さんが選んだのは、色鮮やかな木イチゴ類にキラキラしたゼリーのまぶされたケーキ。綺麗なのが良いらしい。綺麗なの、ね。よし覚えとこう。
お茶を入れて用意するね、と谷村さんが台所へ立った。
そのまま、机に置かれていたパソコンが映していた我がサークルのホームページに話は流れる。
意外と寺西さんがよく話してくれて、ちょっと話が途切れかけると、どこで仕入れたのかトリサークルのネタや、藤川さんも知っている大学の施設についてとか、振ってくれる。
この度のセッティングといい…サービス精神ないとか思ってごめんなさい!寺西さんにもお礼言わないとな!
パソコン画面を眺めながら、ああだこうだと話す。
藤川さんはちょっと前までウチの大学の学生だったらしく、学内のゴミ箱の分別表示がおかしいとか、結構ちっさい話も通じる。何で大学やめたの、とか正直聞けないけど、これ十分楽しいよ!
そのうちに、台所からお盆を持った谷村さんが戻ってきて、そっと机に紅茶とケーキを並べていく。
俺と藤川さんの前にはパソコンが陣取っていたので、お皿はパソコンの向こう側に並べられることになった。
藤川さんはちらっとお皿と谷村さん、寺西さんの顔を順に見たけど、視線はすぐにパソコン画面に戻ってくる。
へっへーただいま学内の航空写真で盛り上げってる所なので、ちょっと待っててくださいね!
そんな心の声が通じたか、紅茶のカップを手にした寺西さんは、お盆を片付けて部屋に戻ってきた谷村さんに小さく頷きかけ、それを受けた谷村さんはちょっと笑って何も言わず、砂糖に手を伸ばした。
いやあ、気を遣っていただいてかたじけない!
俺はうきうきと、パソコン画面とそれを見つめる藤川さんに集中した。
パソコン画面には、大学キャンパスの航空写真が表示されている。敷地が広い上に建物も多いので、今話題になっている大学の端っこに追いやられたサークル棟は、かなり分かり難い。
うーん、と写真を見ていた藤川さんがあっ、これ?と言いながら画面を指さそうとしたのと、俺がここですよ、と画面を指さそうと手を出したのが同時。
うわ、ぶつかる!手が触れあってちょっとどっきりしちゃったりなんかして?!
「お。こりゃ早かったな…」
寺西さんの落ち着いた声と、誰かがはっと息を吸い込む音がした。
いやあ、えへへ、スキンシップは早過ぎまし…た……か………???
何かは、触っている気がする。
かちん、と小さな音を立てて紅茶のカップをソーサーに戻し、座り直す寺西さん。その横で顔を手で覆い、指の隙間からこちらの様子をうかがっている谷村さん。
そして。藤川さんの手と、俺の手。
俺の手を、突き抜けているように見える藤川さんの手。
何かが、触っている、気は、する。
一拍の空白の後、藤川さんはすっと手を引っ込めると、とん、と乗り出していた腰を落とし、きちんとそろえた膝の上にこれまたきちんと手をそろえ、大変行儀良く「あはは」と笑った。
いやまあこんなとき深刻な顔する人より、笑ってごまかそうとするぐらいの人の方が良いよな、なんて思っていると、小首を傾げこっちを見つめて彼女は言った。
「そんなわけでね、恋愛対象にはなれないんだけど、お友達になって欲しいなーって」
どんなわけ?
「あ、だめだよ美咲さん!そんな、なんかもう大変そうな人さらに悩ませるようなこと言っちゃ」
「お友達には、なって欲しいの!透けててもいいじゃない?!」
「まあ、画面の中の嫁よりはだいぶリアルだしねえ」
「だっ…だから透けてるとかそんなこと言っちゃ…!ね?」
確かに二次元というよりかは三次元。でも彼女同じ次元のヒトなの…?
期待のこもった熱い視線を投げかけてくる藤川さん。
ほのかに楽しそうな顔で俺をガン見する寺西さん。
谷村さんはちょっと申し訳なさそうな、困ったような顔でちらちらとこちらの様子をうかがっている。
こちらを気にしながらも勝手に進んでいく会話に、とにかく何かは言わなくちゃと思った俺は口を開いた。かすーと喉を空気が通る。
「ポ…?」
「ポ?」
かすー。
「…ポマード?」
「いやいや。口は裂けてねえだろ」
ぶはっと吹き出した寺西さんにつられたように、藤川さんがくくっと変な声を出したと思うと、ふふふ、、うふふ、きゃきゃきゃ、とあの笑い声が響き渡った。
てかせめてもうちょっと威勢よく言えよー、と寺西さんからさらに突っ込みをもらい、楽しそうに笑い転げる藤川さんを呆然と見つめ。
助けを求めてさまよった視線が、あらあら、とでも言い出しそうに微笑む谷村さんと合うに至って、俺は沈没した。
後で聞いた所によると、俺、顔色がすごい勢いで変わっていたとか。よっぽど驚いたんだね、人間って、なんか顔色って言うか手の先とかの色も変わるんだねー、とは谷村さん曰く。
いや、しばらく何かかにかと話しかけられたり、谷村さんとのメルアド交換に応じたりとかしてたんだけど、衝撃が強すぎてですね。
へ、とか、は、とかしか発声できなかった。
ここにてひとまず、俺の恋的なものは終了しました…。
はっと気がついたとき、自分の部屋でコーラ片手に、やっぱり藤川さんのことを思い出していた。
彼女の白い手が自分の手に重なって(…)いたところを思い出す。かすかな感触。
テレビではバラエティー番組が流れ、大勢の笑い声がしている。
きゃらきゃらきゃら、と笑い転げる彼女の声が脳内リプレイされる。
その笑顔はまさに近くで見てみたかったそれで、可愛かった。
思い出してみるとキュンと来た。これは恋?それとも不整脈?
…あれ?なんか、めげることないなあ。
伊達に文学青年をしているわけではないので、別にいいじゃない、と思うのです。
嫁さんが鶴だってイイじゃない。そう、ユウレイだってイイじゃない。
や、お付き合いはごめんなさいされてますし、さすがにアレコレありますんで、まず友達ですけど。
そこに至ったとき、隣の部屋のドアがバタンと閉まる音が聞こえた。誰か出たか入ったかしたらしい。どっちかは分からない。誰かも分からない。
外はまだうっすら明かりが残っている。ずいぶん経ったような気がしたのに、時計を見るとまだ六時前だった。
さっさとメールしよう。
谷村さんの携帯に向けてカチカチとメールを打ちながら、ああ~なるほど藤川さん携帯電話なんて持ってない訳だ、と思って可笑しかった。
またケーキ持って行きます、とメールを送ったところで、あれ、と思い至る。ケーキを持ってきた谷村さんをちらっと見上げた藤川さんと、彼女達の微妙な顔。藤川さんもしかして、もの食べられないの?
ああっちゃー、綺麗なのが良いとか、もしかしてそういうことかー?!あの視線はどうする?食べる?っていう緊張の目配せか?!ううわああ、へっへー、じゃないよ俺?!恥っず!はっずう!
頭を抱えていると、ぴぴぽぽっと電子音が鳴る。メールだ。ディスプレイに一行のひらがなが光る。
よかったらおなべたべにきませんか?
「行きます!!!」
思わず壁に向かって叫ぶと、壁の向こうから、きゃっきゃ、と笑い声が聞こえた。
ここは希望を持って『達』と付けさせてもらいましょう。
俺達の青春は、まだ始まったばかりです!
完結です。
しかし青春は始まったばかりなので、もうちょっとこの人達で何か書くつもりです。載せ方はシリーズの機能を使うかとか、このまま足すかとか、ちょっと考え中です。
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