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よくある逆ハーレム騒動関係者の弟妹達の話

作者: 北森八雲
掲載日:2026/07/28

 王国の貴族子女たちが通う王立学園、その王立学園の高等部でとある男爵令嬢が次々と見目麗しい令息を籠絡しているという。最初は大商会を営む裕福な子爵家の令息、続いて騎士団長の息子である伯爵令息、3番目は宰相の息子である侯爵令息と誑かす令息の爵位がだんだんと上がっていき、今は王家の傍系たる公爵家の令息を誘惑しにかかっているという。そしてその彼が陥落するのは時間の問題。その次はいよいよ第一王子を狙うのではないかと噂されている。


 人の口に戸は立てられず。

 噂というものは広まるもの。


 なので、同じ王立学園の初等部にその噂が持ち込まれるのは必然であった。

 貴族家にはよくあることだが、王族の懐妊とともに貴族達もあわせて子作りをするものだから、王族がいる年代は貴族子女がとても多い。噂の舞台となっている王立学園高等部にもたくさんの貴族子女が所属していた。だからこそ、件の男爵令嬢は次々と令息を籠絡できたのであろう。

 そしてその弟妹も同じような時期に生まれるものだから、数年下の世代に弟妹がわらわら在籍している世代ができるのである。今の初等部がまさにそれで、貴族の三男三女やら末っ子やらがやたら固まって在籍していた。

 初等部に在籍するのは6歳から10歳のまだ幼い少年少女達だ。とはいえ、そのほとんどが貴族の子女。特に少女たちは小さくても貴族令嬢だ。数人集まれば姦しく噂話に花を咲かせるのである。


「聞いた? 例の男爵令嬢のお話。とうとう公爵令息を落として、いよいよ第一王子殿下を狙い始めたんだって!」


 一人の少女が持ち込んだ新しい情報に、他の少女たちが「きゃ~」と甲高い声を上げ、「やだ~」とか「怖~い」とか口々に感想を言い合う。


「第一王子殿下には公爵令嬢の婚約者がいらっしゃいますでしょう。例の男爵令嬢も落とせないのではありませんか?」

「あら、これまで落とした令息にも婚約者はいたのよ? 第一王子殿下だってきっとコロっといくに決まってるわ!」

「例の方、婚約者がいる令息ばかり落としてますの? もしかしてそういう趣味ですの!?」

「略奪! 略奪よ!! 例の令嬢は人のものを奪って喜ぶ悪女なのよ!」

「実際例の人は婚約者の令嬢の前で見せびらかすように、奪った令息に絡みつくそうよ。はしたないわ!」


 まだ幼い少女たちが集まる昼下がりの食堂には瀟洒な茶器と可愛らしい焼き菓子が並べられ、その光景は立派な淑女たちのお茶会だ。将来多くが貴族夫人になるであろう少女たちにとって、それは社交の予行演習でもある。とはいえ、大人の茶会にありがちな生き馬の目を抜くような殺伐とした駆け引きはなく、優雅にお茶とお菓子を楽しみながら他愛もない噂話に花を開かせる様は可愛らしいもの。少し遠くから見れば、いたいけな少女たちが大人のお茶会のまねごとをしているほほえましい光景に映るだろう。その話の内容は残念ながら少女たちが口にするには少しばかり眉をひそめたくなるものではあるのだが、得てしてそういう話題の方が盛り上がってしまうのは年齢に関係ない様子。さらにそれが恋愛絡みであれば女性の大好物。初等科に在籍する彼女達だって小さくとも女性、恋の話は大好きなのだ。

 そんなこんなで盛り上がっていると、一人の少女がこんなことを問いかけた。


「ところで、その例の令嬢ってどんな方なのでしょう?」


 少女たちは顔を見合わせる。そして口を開いた。


「男好き」

「頭にお花が咲いてるのよ」

「悪女ですわ」


 次々と辛らつな言葉が出てくる。悪口大会になりかけたが、問いかけた少女が「そうではなくて」と止めた。


「どんな方というのは、その方の見た目の話ですの。たくさんの殿方を誘惑する方なのでしょう? どんな見た目なのか気になりますの」


 確かに、と少女たちはうなずく。初等部の彼女達に、高等部に在籍する例の男爵令嬢を直に見る機会はなかった。籠絡されている令息あるいは籠絡された令息の婚約者である令嬢の弟妹はいるが、彼ら彼女らも実際に例の男爵令嬢の姿を見ていない。初等部の世界と高等部の世界は同じ王立学園ではあれども遠く隔てられているものなのだ。


「お姉様から聞いた話なのだけれど」


 最初に噂話を持ちかけた少女―伯爵令嬢のコーデリアが話し始める。


「髪の色はピンク色で、瞳の色は若草のような明るい緑色だそうよ。そしててんしんらんまんでひごよくをさそうらしいわ」


 後半が棒読みだ。どうやらコーデリアは姉から聞いた話をそのまま復唱しているようだ。


 てんしんらんまん?

 ひごよくをさそう?


 幼い彼女達には少しだけ難しい言葉だった。少女たちが理解できず顔を見合わせていると、噂話の集団のそばで本を読んでいたおっとりとした少女―公爵令嬢のアイリーンが口を開いた。


「『天真爛漫』とは、無邪気で明るい様子を指します。『庇護欲を誘う』というのはか弱くて守ってあげたくなるようなことをいいますね」


「流石はアイリーン様」

「私たちにはわからない難しい言葉もご存じなんて」


 もう少し歳がいっていたらそれは嫌みだったかもしれないが、幼い彼女達は純粋に褒めている。アイリーンも「どういたしまして」と微笑むと再び本に目を落とした。

 だが少女達の盛り上がりは止まらない。


「ですがそれならもっとおかしくないかしら?」

「無邪気で明るく守りたくなるような子が殿方を何人も誘惑するものなのでしょうか?」


 もっともな指摘だ。「どう思われますかアイリーン様」と聞かれてしまい、アイリーンは困ったように微笑むことしかできなかった。


「アイリーン様がお困りではないですか」

「コーデリア様の情報が間違ってたのでは?」

「えー? お姉様は確かにてんしんらんまんでひごよくをさそうって言ってたわ」


 いや、あなたの言うことは間違っていないですよ、とアイリーンは思ったものの黙っているしかなかった。アイリーンは例の男爵令嬢の外見や人となりを人づてではあったが知っていた。なにせアイリーンの姉は第一王子の婚約者であり、噂の事件の当事者であった。そしてコーデリアの話では件の男爵令嬢が『これから』第一王子を誘惑しにかかるとなっていたが、実際は『すでに』第一王子は誘惑されている。そして姉と第一王子の仲はきしみ始めていた。だがアイリーンがそんなことを話すわけにはいかない。もしアイリーンが話せば第一王子の婚約者である公爵令嬢の妹の発言としてあっという間に噂に上ってしまう。下手な噂が立てば王家と公爵家が全面対立なんてことになりかねない。アイリーンは幼いながらも公爵令嬢としての振る舞いを身につけていたのである。

 幸い、話は別の方向に進んでいった。


「ならあなたたちは例の男爵令嬢がどんな見た目だと思うの? この機会だから私が絵を描いてあげるわ」


 コーデリアがノートとペンを取り出した。


「やっぱり悪女よ。悪女と言えば高笑いよ。オーホホホホ!って笑うの」

「とっても派手に違いないわ。濃いアイシャドーを引いていて、真っ赤な口紅をつけて」

「きっと迫力のある美人ですのよ。背は高くすらりとしていて、あちらこちらが出ている大人のドレスを着こなし、とても高いヒールを履いているにちがいないですの」


 その他にも少女たちから次々と意見が寄せられる。コーデリアは彼女達の意見を聞きながらノートにいろいろと描き込んでいく。


「みんなの意見を聞いて描き上げた絵がこれになるわ」


 どんとコーデリアがノートを開いて見せた。アイリーンも気になってそれをのぞき込んだ。するとそこには例の男爵令嬢とは似ても似つかないど迫力の美女が描かれていた。そして吹き出しで『オーホホホホ! 女王様とお呼び!!』と描かれている。

 アイリーンは思わず吹き出しそうになってしまったがなんとか耐えた。


(もしかしなくてもこれ王妃殿下に似てませんか?)


 王妃殿下は迫力のある美人である。烏の濡れ羽色の髪をなびかせ、そのサファイヤのような深い青色の瞳で射貫かれれば男性も女性も虜になってしまうという伝説のある人物だ。実際は迫力のある見た目とは裏腹にとても穏やかな方なのだが、少女たちは誰もを虜にするような強い女性を思い浮かべようとして無意識のうちに王妃殿下を思い浮かべたのかもしれない。そうアイリーンは自分の中で結論づけ、納得した。

 アイリーンが思考を巡らせている間にも、少女たちの話は途切れる様子もなく続いていく。そう、これはいつものこと。アイリーンが気をもむ必要はないのだ。アイリーンは三度本に視線を移すのであった。


 ◇◇◇


 少女たちが噂話で盛り上がっているその傍ら、同じ食堂の空間に少年たちの集団があった。少年たちは食欲真っ盛り、しかも貴族の令息たるもの、有事には民を守れねばならぬ、と剣術武術魔術の鍛錬を欠かさない。そうなると余計にお腹がすくのだ。

 実は王立学園の初等部と中等部では女子生徒と男子生徒のランチの時間が少しずれている。女子生徒の方が早いのだ。女子生徒がランチをとっている間、男子生徒は昼の鍛錬を行っている。そして男子生徒が昼食をとる頃には既に女子生徒たちは昼下がりのお茶の時間を楽しんでいるのだ。なにせ少年達の食欲は旺盛で、一緒にするとどうしても食事の奪い合いが起きて少女達の方が負けてしまう。ならば先に食事量の少ない少女達のランチを済ませ、大飯ぐらいの少年達には後からゆっくりと昼食にしてもらおう、と学園は目論んだわけである。

 そして学園の目論み通り、少年達は少女達よりも若干遅い時間の昼食をとっていた。学園の料理人には騎士団上がりの者が交じっており、男子生徒が好むメニューを日々用意してくれている。初等部の幼い少年達だって、強く大きくなりたいから、美味しいお昼ご飯をもりもりと食べるのである。


「そういや女子たちが言っている、男を襲いまくる例の男爵令嬢ってどんな奴なんだ?」

「どんな奴って、男爵家の令嬢だろ?」

「そうじゃなくて、すげーデカかったり強かったりするのかって」


 初等部に通う頃だと得てして男子の方が幼く、女子の方が大人びているものだ。彼ら彼女らも例外ではなく、少女達は背伸びをするかのように恋の話に花を咲かせるが、少年達には恋の話はまだ早い。彼らの中では強くて格好いい奴が偉いという価値観だ。たとえば大きな角のあるカブトムシとか、あるいはど派手な魔法とか。ドラゴンなんか出てきたら最高だ。


「男を襲いまくるんだろ? きっとデカい牙と爪と角があるんだぜ」

「化け物じゃないか」「魔王かよ」

「もちろん筋肉がモリモリで、背は見上げるほどデカいんだろう」

「それゴリラだろ」「男爵令嬢っていう設定どこ行った」


 そんなわけで、少年たちも例の男爵令嬢についていろいろ考えを巡らせるものの、出てくる像は強くてデカい人間離れしたものになりがちだ。

 そんな中、一人の少年が嬉々として立ち上がった。


「はっはっは、おまえ達馬鹿だなぁ」


 椅子の上に立ち上がり、まぶしいばかりのドヤ顔で少年達を見下ろす彼はお調子者の伯爵令息ハーヴィーだ。癖のある金髪に翠の瞳を持つ幼さがまだまだ抜けない顔立ちの彼は、少女に間違えられそうな可愛らしい少年だ、黙っていれば。


「なんだよ馬鹿って言う奴が馬鹿なんだぞ」

「ハーヴィーに馬鹿とか言われたかないわ」


 他の少年達が口々にハーヴィーに文句を言うが、動じるハーヴィーではない。


「デカい牙とか角とか魔物じゃないんだぞ、おまえ達考えが子供だぞ」


 子供と言われた少年達がみなむっとする。


「じゃあハーヴィーは例の男爵令嬢がどんな奴だって言うんだよ」

「つまんないこと言ったら怒るぞ」


 騒ぎ立てる少年達の様子をハーヴィーは満足そうに見下ろした。


「聞いて驚くなよこの天才的な僕の推理を。最強の男爵令嬢が最強である秘密、それはおっぱいがちょーデカい!!」


 とってもさわやかな笑顔でハーヴィーは言い切った。

 少年達はあっけにとられている。


「わるい、もう一回言ってくれ」


 少年の一人が聞き返した。ハーヴィーの言ったことが理解できなかったのだろう。ハーヴィーは再びさわやかな笑顔で言った。


「男爵令嬢はおっぱいがちょーデカい!!」


 少年達は思った。「聞き間違いではなかった」と。

 しかしなんだおっぱいって。いや、その意味はわかる。胸に2つついているもの。女性のものを指すことが多いだろうが、一応男にもある。というか口に出して言うとなんかエッチだよね。おっぱい。


「例の男爵令嬢っておっぱいどんくらいでかいの? 誰か見たことある奴いる?」

「多分、身体よりおっぱいがでかいんじゃね?」

「おっぱいの化け物じゃないか!」

「そもそもおっぱいでかいと強いのか?」

「防御力は高そうじゃね? でっかいおっぱい」


 あっという間に少年達の会話がおっぱいに席巻される。そしてその少年達の騒ぎは、同じ食堂にいる少女達の耳にも入ってしまった。


「ちょっと男子~。品のない話を大きな声でしないでくれる?」


 気の強い女子が少年達の集団に乗り込んできた。微妙に品のない話をしていたという自覚のある少年達は気の強い女子にすごまれてたじろいでしまう。この年代では女子の方が強かったりすることがままあるが、彼ら彼女らも例外ではなかった。


「な、なんだよう。男同士の話なんだから女子には関係ないだろう」


 なんとか一人の少年が言い返すも、気の強い少女にキッっと睨まれて小さくなるしかなかった。


「あなたたちは貴族令息なのよ。貴族令息が大勢の人の耳がある場で下品な話をするなんて品性に関わるわ」


 正論なのでぐぅの音も出ない。おまけに他の女子まで集まってきてしまって、下手に反論したら集中砲火を浴びそうだ。

 少年達はおとなしく後に下がるか、あるいは中断しかけていた昼食を再開してやり過ごそうとした。しかしそんな中でも引かない勇者がいた。お調子者のハーヴィーだ。


「はっはっは、女子達もこの僕の完璧な推理を聞きに来たのかい?」


 この状況で椅子の上に立ってそれ言えるハーヴィーさん凄ぇっす、と一部の少年達はハーヴィーを心の中で崇拝した。だが女子達には全く響かなかった。


「こら! アホのハーヴィー!! 行儀が悪いわ! 椅子の上から降りなさい!!」

「ゲェッ! コーディ!! お前いつも僕のことを馬鹿だアホだと! 許さないからな!」

「いいからまず椅子の上から降りなさい! 落っこちて痛い目に遭っても知らないわよ!」


 ハーヴィーとコーデリア以外の少年少女達は思った。

「ああ、またいつものが始まった」と。

 ハーヴィーとコーデリアの両伯爵家は領地が隣同士で、二人も幼い頃から付き合いがあるという。そしていつもこうやって言い合いをしているがたぶん仲はいい。ハーヴィーはコーデリアを愛称呼びしてるし。コーデリアもそれを咎める様子はない。そしてコーデリアはなんだかんだでハーヴィーが椅子から転げ落ちるのを心配している。

 なら我々は見守るべきだよね、と。


 少女達はお茶会の場を少しだけ少年達の集まりの近くに移して、お茶会を再開した。少年達は食事に精を出す者、食後の休憩を取る者と様々だ。


「コーディ! 今日こそ僕のあふれ出る知性にひれ伏すがいい!」


 ハーヴィーが椅子の上で胸を無駄に張ってふんぞり返る。周りの少年少女は椅子から落ちるなよと心配する者、ハーヴィーの知性とは・・・?と首をかしげる者、ハーヴィーってやっぱりコーデリアのこと好きだよなと冷静に分析する者、三者三様だ。

 コーデリアはというとハーヴィーがこうなるとどうやっても聞かないことを知っているので、仕方なくハーヴィーを促した。


「聞いてあげるから、思う存分言いなさい」

「コーディのそういう素直なところは可愛いって言ってやる」

「・・・いいから早く」


 ぷいとコーデリアがそっぽを向く。その頬が少しだけ色づいているのを聡い少女達は見逃さなかった。少女達は恋の気配を察知し一斉にざわめき始める。一方、少年達にはそこまでの観察眼はなく、食事をしながらだったりとか、あるいは午後の陽気にまどろみながらだったりとか、それぞれに様子を見守っている。

 ハーヴィーはすーはーと深呼吸をする。そしてコーデリアや少女達に向きなった。


「聞け、僕の天才的な推理を。噂の男爵令嬢が最強である秘密! それはおっぱいがデカいからだー!!」


 ええ・・・と少女達から落胆の声があちらこちらで出てくる。一方の、少年達は「まあ、ハーヴィーってアホだしな」と妙な納得をしていた。


「ハーヴィー、あなたってアホよね」


 コーデリアが心底呆れた様子でそう言うと、ハーヴィーは地団駄を踏んだ。椅子の上で地団駄を踏むのは結構危ない。


「なんだよ! 噂の男爵令嬢の秘密を見破ったんだぞ! すごいって言えよ!!」

「あなた『おっぱいがデカい』って意味がわかって言ってる? 『おっぱい』って何のことだかわかってる?」


 いくらなんでもそれはないだろうと少年少女達は最初は思ったが、お調子者でおばかなハーヴィーのことだから意味もわからず叫んでみただけかもしれないなあ、などとも思ってしまい、微妙な空気が流れてしまった。


「馬鹿にするなよ! 僕の推理が正しいって証明してやるからな!」


 ハーヴィーは椅子の上から飛び降り、走ってどこかへ行ってしまった。コーデリアは疲れたようにため息をついた。

 ハーヴィーは無駄に行動力があるので心配なのだ。


 ◇◇◇


 少し前にハーヴィーが子供でも使えるような、それでいて少年が好むような装飾が施された訓練用の剣を親からプレゼントされたことがあった。彼はそれをいたく気に入り、剣をぶんぶん振りながらコーデリアに自慢した。


「どうだ、格好いいだろう。僕は最強だ!」


 後から思えば素直に格好いいって褒めてやればあんなことにならなかったのだが、コーデリアはついつい憎まれ口を叩いてしまった。だってハーヴィーって生意気で可愛い弟みたいだし。


「ぷぷぷっ、まだまだお子様ね。魔物ってとっても怖いんだから。もし魔物に会ったら戦わないで逃げることね」


 当然ハーヴィーはムキになった。


「なんだよ! 馬鹿にするなよ! 魔物一匹くらいやってやらぁ!!」


 そして走ってどこかへ行ってしまった。その時はハーヴィーがコーデリアに言い返せず逃げ出したのかと思ったが、その晩、ハーヴィーは家に帰らなかった。ハーヴィーの家族とコーデリアの家族は大慌てで探したが見つからず。夜が明けてこれからどうするかと両家がコーデリアの家に集まっていたその時。

 ハーヴィーが帰ってきたのだ。その手に角うさぎを持って。


「見ろ! 魔物を狩ってやったぞ! やっぱり僕は最強だ!」


 心配する両家の家族をよそにあふれんばかりの眩しい笑顔を向けてくるハーヴィー。この時ばかりはコーデリアも彼を褒めざるを得なかった。


「・・・ハーヴィーは凄い。よく頑張ったよ」


 コーデリアに褒められてふふん、と得意げに胸を張るハーヴィー。だが彼が有頂天でいられたのはそこまでだった。

 ハーヴィーの前に大柄な男性が立ちはだかったのだ。


「ハーヴィー、こんなになるまで我々を心配させて・・・どういうつもりだ?」

「げ、父上・・・」


 流石にお調子者のハーヴィーもこの時ばかりはまずいと悟ったようだった。

 数日後、ハーヴィーはコーデリアにこう語った。


「魔物より父上の方が怖えー」


 ◇◇◇


 今駆けていったハーヴィーの背中はあの時と重なる。またとんでもないことをしでかしそうで心配になる。


「ハーヴィーって、ああいうのをなんていったかしら?」


 ぽつりとこぼしたコーデリアに応える人物がいた。


「猪突猛進、かな?」


 コーデリアがそちらを向くと、黒髪に青い瞳の少年が微笑んでいた。ハーヴィーと同じように彼もよく整った顔立ちながらまだ幼さを残しており、美少年でも美少女でも通用しそうだ。だが、お日様のようなとにかく明るい印象のハーヴィーに対して、彼からは夜の月のような神秘的な印象を受ける。そして彼のその色合いはこの国の王妃のものだ。

 そう彼はこの国の第三王子、レナードだった。

 慌てて礼をとろうとするコーデリアだったが、レナードはそれを制した。


「学園の中だから気にしなくていいよ」


 レナードの後ろでは少年達が「王子様キター」「殿下だー」などと騒いでいる。コーデリアの後ろでは少女達が黄色い声を上げている。思い切り注目されているわけだが、レナードは落ち着いたもの。少年達とレナードは同じ歳なのに、王族はやっぱり違うんだなぁとコーデリアは感心した。ところで殿下はなんと言ったんだろうか?


「ちょとつもうしん・・・?」


 口に出してみたがわからない。こてりとコーデリアは可愛らしく首をかしげる。

 こんな時には彼女に頼るべし。ふと見渡すと意外と近くにアイリーンの姿があった。コーデリアが「たすけて」というように視線を送ると、アイリーンは察したのかしずしずとこちらに来てくれた。


「猪突猛進とは、イノシシのようによく考えずに勢いよく突っ走ってしまうことですね。ちょうど先ほどのハーヴィー様のようなものです」


 コーデリアがちょとつもうしんについて聞くとアイリーンはとてもわかりやすく説明してくれた。コーデリアはぱぁぁっと顔を輝かせた。


「アイリーン様、ありがとうございます。ハーヴィーはイノシシってことね! まさにあいつはちょとつもうしんだわ!」


 少し難しい言葉を使って得意げに胸を張るコーデリア。こういうところは年相応だ。

 その様子を見たレナードがふふと笑う。


「ハーヴィーと君は仲がいいんだね」


 そんなことを言われてコーデリアは戸惑ってしまう。


「なななな仲がいいといいますか、ハーヴィーとは家が隣同士でして、ああああいつは弟みたいなものなんです、はい」


 なんとか答えたが、しどろもどろだ。


「幼なじみってこと?」

「はい、その幼なじみです」


 レナードがしっくりする言葉を出してくれて、コーデリアはそれに乗った。そう、コーデリアとハーヴィーは幼なじみ、きっとそれ以上でもそれ以下でもない。コーデリアは『幼なじみ』という言葉を反芻して、ほてった心を落ち着かせようとした。


「いいよね、そういう関係。幼なじみかぁ、僕とアイリーンも幼なじみってことになるのかな?」

「そうなるかもしれませんね」


 レナードがアイリーンに微笑みかけると、アイリーンも可愛らしい笑顔を返す。その仲睦まじい様子に恋に目敏い少女達が早速囀り始める。


「レナード殿下とアイリーン様、お二人が並ぶとまさに王子様とお姫様ですわぁ」

「この尊いお姿を目に焼き付けておかねばっ」


 一方、少年達はそこまで聡くはなく、二人の仲が良さそうな様子を見てもそのまま「仲がいいんだなー」としか捉えない。下品に仲を囃し立てるようなことをしないのは幼くとも紳士といったところ。とはいえ、流石に不埒な輩が0というわけではない。


「お二人って仲が良さそうですよね」

「婚約されたんですか?」


 少年達の不躾な質問に、少女達がざわめき、「不敬よ、お馬鹿!」という声が上がる。だがレナードやアイリーンは動じない。王族や高位貴族は常に人の目に晒されるもの、幼くともかくあるべしと教え込まれているのである。


「アイリーン嬢と僕は婚約していないよ。兄上とアイリーン嬢の姉君が婚約しているから、僕らが婚約を結ぶことはないんじゃないかな」


 レナードが言葉を切る。彼のサファイアの瞳がアイリーンを見つめている。アイリーンもルビーの双眸をレナードに向けている。


 実のところレナードはアイリーンにほのかな恋心を抱いていた。アイリーンもまたレナードのことを慕っていた。王家と公爵家は家ぐるみで付き合いのある近しい間柄であり、それぞれの末っ子となる二人も幼い頃から交流があった。だが二人が互いを意識するころには既にレナードの兄である第一王子とアイリーンの姉が婚約していた。同じ家から王子妃を二人選ぶのは、貴族家の派閥や血統のバランスを考えると好ましくない。王家がその家を依怙贔屓しているようにとられかねず、また血も濃くなりすぎるからだ。レナードもアイリーンも互いに婚約できたらいいなと親に伝えたのだが、レナードは国王から、アイリーンは公爵から「二人の婚約は難しい」と言われてしまい、幼い初恋を諦めざるを得なかった。


 レナードとアイリーンは決して近づきすぎるようなことはしない。おかしな噂が立ってしまえば相手を不幸にしてしまうことをわかっているからだ。いずれ二人は別々の婚約者が宛てがわれることになるのだから。だが、完全に想いを断ち切って王子と公爵令嬢という冷めた間柄にすることはできず、互いに婚約者が出来るまでは、と自分自身に言い聞かせつつ、それまでは仲良くしたいと、互いに意識してしまっているのである。

 もう少し年齢が進んだり、婚約者がいたら咎められるだろうが、二人はまだ幼く、婚約者もいないため、大人達も無理に引き離すような真似はせず、幼い二人の微妙な関係を見守っているのであった。


 そしてこんな幼なじみ以上恋人未満の関係は何もレナードやアイリーンだけではなかった。家ぐるみの付き合いをしている幼い男女が想い合うなんてことは割とよくあることで、この初等部の中にも、そんな少年少女の組み合わせはそれなりにいた。


「そう、初恋は実らないものなの」


 悲劇のヒロインのように語るこの少女もそんな一人で、周りの少女は頷いたり、彼女を慰めたりしている。


「俺、○○と婚約したいって言ったら駄目だって言われたわ」


 こちらの少年も初恋が実らなかったのだが、周りの少年は薄情なもので「振られてやんの」「潔く諦めろ」だのわいわいと囃し立てるばかり。


 しかしこれらはいつものこと。貴族学園初等部の昼下がりのなんてことない日常だ。午後の日差しが食堂に差し込む中、穏やかな時間が過ぎていく。


 そうなるはずだった。


 突然にわかに食堂が騒がしくなった。

 レナードやアイリーン、コーデリアやその他の少年少女達が騒がしくなった現場に駆けつけると、初等部の女子が同じ初等部の男子をポコポコと叩いていた。

 叩かれている少年は伯爵家の末っ子であるジェイコブだ。ジェイコブの父である伯爵は騎士団長を務める逞しい人物だ。そしてその騎士団長の息子のジェイコブは父親に似て大柄な少年ではあるが、争いを好まない温厚な性格だった。そんな彼を叩いているのは小柄で可愛らしい伯爵令嬢チェルシーである。


「痛い、痛い。やめておくれよぉ」

「うるさいうるさい! このこのこの!!」


 小柄で非力なチェルシーが身体の大きなジェイコブを叩いたところで、たいしたことにはならなそうだし、実際あまり痛そうには見えなかったのだが、叩かれているジェイコブは大きな身体を縮こまらせて悲しそうな声を上げるばかり。


「チェルシー様とジェイコブ様が喧嘩ですって・・・どうして??」

「あの二人いつも仲がいいのに??」

「止めた方がいいのか?」

「どうやって止めるんだよ!」


 駆けつけた少年少女達もどうすればいいかわからずうろたえるばかり。二人を引き剥がした方がいいが、少年達はチェルシーの身体に触れることに二の足を踏んでしまっている。そもそもチェルシーの剣幕が激しく、割って入ることも躊躇われてしまった。


「二人とも何してるんだ!」


 見かねたレナードが声を張り上げた。普段は温和な王子の怒りが混じった声に少年少女達が動きを止める。チェルシーも驚いたように手を止めている。

 すかさずレナードは続けた。


「二人を引き離して。男子はジェイコブを、女子はチェルシーを、早く!」


 レナードの指示にはじかれたように少年少女達が迅速に動きだした。少年達はジェイコブの身体を引っ張ってチェルシーから離し、少女達はチェルシーをとり囲みジェイコブから遠ざけた。興奮していたチェルシーをアイリーンは抱き寄せ、頭をなでて落ち着かせ、そして優しく問いかけた。


「いったい何があったのです? チェルシー様とジェイコブ様は普段はとても仲が良かったのに・・・理由もなくあんなことをしたわけではないですよね? どうか話してくれませんか?」


 チェルシーはぐずりながら語り出した。


「私のお姉様がジェイコブのお兄様に浮気されたのよ。ジェイコブのお兄様は私のお姉様と婚約しているのに最近は例の男爵令嬢ばかり構って、お姉様のことは放ったらかしにしているの。許せない! お姉様泣いてたんだからね!!」


 少年少女達がざわつく。遠い話だと思っていた例の男爵令嬢の騒動がこんな形で自分たちに降りかかってきて困惑しているのだ。


「そういえばジェイコブの兄は例の男爵令嬢に惑わされた令息の一人だったな」


 ジェイコブを引き剥がした眼鏡の少年―侯爵家の末っ子であるモーリスがジェイコブを睨み付ける。睨まれたジェイコブは大きな身体を縮こまらせた。


「婚約者をないがしろにして浮気とは情けない! そしてその情けない兄を止められないお前とお前の家も情けない!!」

「あ、兄上は父上や母上がいくら注意しても聞かないんだよ。真実の愛とか言って。僕にはどうにもできない。僕が何か言うと殴られるだけなんだ」


 必死に弁明するジェイコブをモーリスは「黙れ!」と一括する。


「口では何とでも言える!! 浮気者一味め!!」


 気の弱いジェイコブは俯くことしかできない。モーリスの怒りはさらにヒートアップする。


「ジェイコブも許しがたいがもっと許しがたい奴がいる。侯爵令嬢ルイーズ! 出てこい!!」


 ルイーズと呼ばれた少女は出てこない。いや、出てこられなかった。モーリスの剣幕におびえ、ルイーズは女子の集団の中でガタガタと震えていた。それが余計にモーリスの怒りを煽ってしまった。


「出てこないならこっちから一方的に言ってやる! ルイーズ! 貴様の兄は我が姉上という婚約者がありながら、例の男爵令嬢にうつつを抜かし蔑ろにした!!」


 モーリスは眼鏡を光らせ、続ける。


「姉上は優しいからお前の兄の酷い仕打ちにも耐えているが、俺は許せん! ルイーズ! お前とはぜっこ」

「やめないか!!!」


 レナードの叫び声がモーリスを遮った。あわや絶交宣言となるところだったが、ギリギリで止められた形となる。


「モーリス、姉君が蔑ろにされて悔しい気持ちはわかるが、婚約者の妹でしかないルイーズ嬢を責めても仕方ないだろう」

「・・・しかし」

「君がここでルイーズ嬢と争えば、下手をすれば侯爵家同士の全面抗争になってしまう。王族として無闇な争いは見過ごせない」

「ぐぅ・・・」


 モーリスは何か言いたそうにしているが、相手が王子であるためか押し黙っている。代わりに口を開いたのはジェイコブだった。


「僕はいやだよ。チェルシーと喧嘩なんかしたくない。チェルシーやチェルシーの姉上が悲しんでることは父上に伝えるから、兄上のことは謝るから。だからもう怒らないでおくれよ」


 ジェイコブはそれ程口が回る方ではなく、むしろ不器用な部類だ。それでも必死に誠意を見せようとしている様子は誰の目にもわかった。

 チェルシーはアイリーンの胸でぐすぐすと泣いていた。アイリーンは彼女をなだめるように言葉を紡いだ。


「チェルシー様はお姉様が蔑ろにされているのが悔しかったのですよね。ですが、あなたが許せないのはジェイコブ様ですか? それともジェイコブ様のお兄様ですか?」

「・・・お兄様の方です」

「そうですよね。チェルシー様の悔しいお気持ちはよくわかります。ですが、その気持ちは向けるべきではない方に向けてはなりません。争わなくていいところで争うのはとても悲しいことですから・・・」


 アイリーンがチェルシーをなだめる様子をレナードはずっと見つめていた。そしてぽつりと呟く。


「・・・モーリス、君はジェイコブのことを浮気者一味だと言ったよね」

「ええ! あいつらは婚約者を蔑ろにするような家なんです!!」

「なら僕も浮気者一味だし、なんなら王家も浮気者一味になる。兄上がアイリーンの姉君を蔑ろにして例の男爵令嬢に入れ込んでるのだからね」

「い、いえ俺は・・・決してそのようなことは・・・」


 青くなったモーリスが慌てて否定するが、レナードはモーリスの方を向くことなく続ける。


「不敬を問いたいわけじゃないよ。ただ、浮気者の弟に何が出来るんだろうってそう思ったんだ。僕もジェイコブとさほど変わらない。一番目の兄上は僕が何か言ったって聞きやしない。『子供のくせに生意気な』と怒鳴られるだけだ。陛下や二番目の兄上は何か動いているみたいだけれど・・・僕は何も出来ない」


 レナードの愁いを帯びた青い視線の先にはアイリーンがいる。


「どうすればいいんだろうな・・・」


 レナードの呟きが流れていく。

 モーリスは悔しそうに拳を握って俯くのみ。

 ジェイコブは力なく項垂れている。

 他の少年達少女達もどうすればわからない。

 チェルシーの嗚咽のみがそこに残されている。

 初等部の昼下がりの食堂はまるで葬式のような重苦しい空気が漂っていた。


「あらぁ~、皆様どうされたのですかぁ~。お顔が真っ暗ですわぁ~」


 突然場違いな明るい声が響いた。

 声の方を見ると、まばゆい金髪に翠の瞳の少女が舞うかのように軽やかなステップを踏みながら現れたのだ。年の頃はレナード達と同じだが。


「でっか!」


 モーリスが思わずこぼしたように彼女の胸はたわわに実ったものが2つ揺れていた。


「誰?」「知らない」


 突如乱入した美少女に少年少女達はにわかにどよめいた。少女はそんな彼らの様子を気にする様子もなくスキップをしながらレナード達の方に近づいてくる。


「子供用とはいえドレスでスキップできるのはすごいな」

「ええ、感心するのはそこですか?」


 レナードが変なところに感心し、それをジェイコブが突っ込む。


「か、可憐だ・・・」


 モーリスは少女にすっかり見惚れていた。


「輝く金の髪、エメラルドのような翠色の瞳。ああ、まるで太陽のよう」

「ずいぶんと詩的だな、モーリス」

「なーんかどこかで見たことがあるような」


 浮ついた言葉を吐くモーリスに対し、レナードは冷静だ。ジェイコブは腑に落ちないところがあるのか、首をかしげている。


 そして少女はレナード達の前にやってくると、優雅にカーテシーを決めてみせる。


「こんにちわぁ。レナード殿下、モーリス様、ジェイコブ様。わたくしは・・・ハイヴィーネと申しますのぉ」

「俺はモーリス。ハイヴィーネ嬢か、可愛らしい名前だ。もしよければヴィーネと呼んでも?」

「はぁい!」


 モーリスはすっかり少女に夢中で、手を取り告白まがいのことをしている。一方でレナードとジェイコブはすすすと距離を取り、アイリーンらと合流する。二人は少女の顔をを間近で見て、さらに声を聞いたことでその正体に気がついてしまったのである。


「レナード殿下、どうされたのですか?」


 レナードの微妙な表情を察し、アイリーンが話しかける。


「ああ、あの少女はね・・・」


 レナードが少女の正体を伝えるとアイリーンとチェルシーが目を丸くする。そんな二人の様子に気づく様子もなくモーリスと少女はいちゃつき始めた。


「モーリス様ぁ、大好きですぅ!」

「そ、そうか! 俺もヴィーネが大好きだ!」

「モーリス様ぁ、ぎゅーっ!」


 少女がモーリスの腕にしがみつき、胸を押しつける。先ほどまであれだけ怒りを露わにしていたモーリスの顔はだらしなく緩みきっている。


「ひえっ、ルイーズ嬢が怖い!」


 ジェイコブがモーリスに対して絶対零度の視線を向けるルイーズに怯える。


「ふふ・・・くく・・・」

「アイリーン?」

「い、いえ・・・笑ってないですよ・・・ふふ」

「そうか」


 少女の正体を知ったアイリーンは肩をふるわせている。笑いたいのを必死でこらえているのだ。レナードはそんな彼女を優しく見守っている。

 他の少年少女達は、アイリーンとレナードの様子を優しく見守る者、モーリスと少女のじゃれ合いを眺める者、我関せずを貫く者に分かれている。アイリーンとレナードを見守るのは少女達に多く、我関せず勢は食事が途中だった少年達に多い。


「なにあの子、すっごい可愛いじゃない」


 コーデリアはモーリスと少女のじゃれ合いを眺めている勢力に属していた。といっても、彼女の瞳に映るのはもっぱら名も知れぬ少女の方だ。少女は黄金を溶かしたような金髪をなびかせ、潤んだ翠の瞳はモーリスを向いている。モーリスはすっかり鼻の下を伸ばしていた。

 コーデリアの胸にチクリとした棘が刺さる。


「何故かしら、無性に腹が立つ」

「怒ってるのかい?」


 なんとなく独り言をこぼしたらレナードに拾われてしまい、背筋を伸ばす。


「ほら、彼女が君を見ているよ」


 レナードに促されるように再び少女に視線を移すと、少女の翠の瞳と視線が合う。その表情はどこか勝ち誇ったようなものだが、エメラルドのような翠の瞳にコーデリアは見惚れてしまう


「得意げな顔すらも可愛いのズルい」

「コーデリア嬢はあの少女が誰かわからないかい?」

「いいえ。私はあんな可愛い子に見覚えは・・・あれ? ないよね??」


 コーデリアは戸惑った。あのお日様のような少女に何故か見覚えがあるような気がしたのだ。しかしあんな美少女に会っていたら覚えていないはずがないと理性が囁く。

 混乱しているコーデリアの前にいつの間にか少女がやってきていた。そして勝ち誇ったように胸を張った。ぽよんと年齢に不相応な豊満なものが揺れる。


「どうだコーディ! でっかいおっぱいでモーリスを誘惑してやったぞ。僕の勝ちだ。すごいって言え」


 少女の突然の勝利宣言にコーデリアは更に混乱した。え? 私この子と勝負していたっけ? しかもコーディってなんで親しそうなの? そしてでっかいおっぱいってなに??

 沸騰寸前になっているコーデリアにレナードがそっと話しかけた。


「これ、ハーヴィーだよ」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」「ほげぇぇぇぇぇぇっ!?」


 コーデリアとモーリスの絶叫が食堂にこだました。


「まあ、そうなるよな」


 レナードは苦笑するしかない。隣ではアイリーンが吹き出すまいと肩をふるわせており時折「ふふっ・・・ぷぷっ・・・」といった声が漏れている。


「ねえ、結構可愛くない?」

「でもあれハーヴィーだよ。うっぷ、食べたばかりで揺さぶられるとちょっと気持ち悪い・・・」


 チェルシーは美少女ハーヴィーをお気に召したようだ。先ほどまで泣いていたのが嘘のようにご機嫌になり、若干興奮気味で近くにいたジェイコブの肩を揺さぶっている。ジェイコブはチェルシーにされるがままだ。この二人は普段からこんな感じである。


 金髪の美少女に化けたハーヴィーはとても満足そうにお日様のような笑顔を浮かべる。


「なんでそんな格好しているのさ?」


 チェルシーに揺さぶられながらジェイコブが尋ねるとハーヴィーは嬉々として答えた。


「中等部にいる姉上のところに行って着付けてもらった! 天使みたいだって姉上にもコーディの姉上にも評判だったぞ!」

「いや、だからなんで女の子みたいな格好してるのさ」

「僕がおっぱいのデカい美少女になって男を落とせば、例の男爵令嬢が最強な理由はおっぱいがデカい説が証明できるだろ? だからやってやった!」

「なんの話だよぉ・・・」


 ジェイコブは微妙におっぱいの話に加わっていなかったのでよくわからず嘆くしかなかった。おっぱいの話で盛り上がっていた少年達は「あいつそのためだけにわざわざ女装したのかよ」とか「まあ、ハーヴィーだしな」とか「あの可愛い子がハーヴィーかよ、絶望したわ」とか口々に感想を言い合っている。

 一方、少女達の視線は総じて冷たい。といってもその冷たい視線が注がれているのはハーヴィーではなくモーリスだ。


「モーリス様ってばルイーズ様をあんなに責め立てておいて自分はぽっと出の女になびくなんて!」

「きっと例の男爵令嬢にもコロッと誘惑されますわ」

「真実の愛とか言いそう」

「可愛ければ男性でもいいのよあの陰険眼鏡」


 聞こえてくるのは辛辣な言葉ばかりで、気の弱い少年が「女子って怖い・・・」と身を縮こまらせた。


「アイリーン? 大丈夫かい?」

「え、ええ・・・大丈夫です・・・ふふっ・・・!」


 アイリーンはなおも笑いをこらえている。実は彼女は結構な笑い上戸なのだが、貴族令嬢たるものが大きな声で笑うのはまかりならぬと教え込まれているため、こうして必死で耐えているのだ。

 そんな外野に見向きもせずハーヴィーはコーデリアに向かって胸を張る。


「どうだコーディ! 今度こそすごいって言え!」

「ハーヴィー・・・」


 不意にがしっとコーデリアがハーヴィーの腕を両手でつかんだ。突然のことに得意げにしていたハーヴィーも驚いて固まる。


「すっごい可愛い!!」


 ずずいとコーデリアが前に出る。ハーヴィーは後ずさりしたいがコーデリアに手をがっしりつかまれていて逃げられたない。


「ハーヴィーとっても可愛い」

「え、いや・・・すごいって言って欲しいんだけど・・・」

「ハーヴィーとっても可愛い、聖女、天使、女神!」

「こ、コーディ? ちょっと落ち着いて・・・」

「駄目よ、そんな可愛い顔。私以外に見せちゃ駄目。あの陰険眼鏡に見せるなんてもってのほか。可愛いハーヴィーは私のもの! 私だけのもの! ああもう、全部全部全部欲しい!!」

「コーディが怖い!! 助けて!!」


 すっかり興奮し目を血走らせ息を荒げるコーデリアにハーヴィーがとうとう悲鳴を上げた。ところがハーヴィーを助ける者は誰もいなかった。


「僕は無理だよ。ハーヴィーとあまり変わらない状況だもの」


 ジェイコブは困ったような仕草をしてみせるのみ。チェルシーがまたもジェイコブをポコポコと叩いているのだが、先ほどとは異なり、チェルシーは興奮して歓喜の声を上げている。


「き、きましたわ~! キャァ!」

「チェ~ル~シ~、落~ち~着~い~て~」


 叩かれているせいで変な声が出てしまっているが、ジェイコブがチェルシーを邪険にする様子はない。そう、彼にとってこれはいつものことなのだ。大柄なジェイコブが小柄で非力なチェルシーに多少ポコポコ叩かれたって痛くはないのだ。


「ああ、僕はアイリーン嬢を医務室に連れて行くから」


 レナードはアイリーンを横抱きにしている。アイリーンがこらえきれず、若干引きつけ気味になった挙げ句、膝を折ってしまったのだ。


 他の少年少女達もコーデリアとハーヴィーが騒いでいるのは割といつものことだし、今の様子もあまり実害がなさそうなので放置した。


「おおい! みんな行かないでくれよ! コーディは落ち着け!」

「可愛い可愛いハーヴィー好き好き! フゥーフゥーフゥー!!」


 一時は陰鬱な空気に支配された初等部の食堂だったが、ハーヴィーのおかげですっかり日常を取り戻したのであった。


 ◇◇◇


 さて、その後のことを話そう。


 初等部の少年少女達は、自分たちの所まで例の男爵令嬢の噂が広まっていることを家族に話した。そしてレナードとジェイコブはそれぞれアイリーンとチェルシーを悲しませたくない、仲違いしたくないとその偽らざる気持ちを吐露したのだ。


 そんな幼い弟妹たちのために立ち上がったのは、第二王子を筆頭とする中等部所属の二番目軍団だ。この年代には末の弟妹を溺愛する優秀なシスコンブラコンがやたらたくさん所属しており、悲しむ弟妹たちのために一肌も二肌も脱いでしまったのである。


 浮気している長兄連中に対しては、例の男爵令嬢との浮気の証拠を二番目軍団総出で収集した。籠絡された長兄達は相変わらず婚約者を放置して例の男爵令嬢と逢瀬を重ねていたが、二番目の兄弟姉妹たちがその様子をあちらこちらで目を光らせながら見張っていたことに最後まで気がつかなかった。


 一方、長姉達には婚約解消を決意させるべく説得を行った。浮気されている長姉達の中には「でもいつかは彼も気づいて私を見てくれるから」などと甘いことを宣う者もいたが、その場合は「さっさとそんな浮気男は捨ててしまえ」と迫り、なおも未練がましい様子を見せたならば「貴族なら害になる馬鹿は捨てろ。それが出来ないなら姉も浮気男ごと見限る」と脅し、婚約解消を親に願い出させた。


 さらに親たちにも根回しを行い、致命的になる前に婚約解消を穏便な形で済ませるように迫るとともに、浮気者の長兄を後継の座から引きずり下ろす準備を進めた。一部の親は「後継はやはり長男が・・・」と渋ったが、「浮気者の恥さらしを当主にして、家の名を貶めるつもりか」「アレが当主なら一切支えない」「何ならアレを当主にする耄碌した親にも容赦しない」とこちらにも脅迫じみた説得を行った。


 そして仕上げに「中等部高等部交流会」なる学園の夜会をでっち上げ、浮気者の長兄をそそのかし関係者の前で婚約破棄を叫ばせたのである。

 もちろん大人達の事前の話し合いは行われており、当該令息令嬢の婚約は事前に解消され、さらには夜会で婚約破棄が行われることも親たちに伝えられていた。わざわざとどめを刺すような真似をしたのは、可愛い弟妹を泣かせたボンクラを第二王子を始めとするシスコンブラコン軍団が許さかったためだ。そして、あえて長兄達に無意味な婚約破棄宣言を仕掛けさせて恥をかかせ、地獄送りにしたのである。


「ははは! 兄上達の婚約はとっくに解消されているよ! その真実の愛とお幸せに!!」


 例の男爵令嬢とともに放逐される浮気者達を見送る第二王子ら二番目達の笑顔は常闇のように真っ黒だった。

 親たちは何故こんなに腹黒く育ってしまったのだろうと頭を抱えた。


 だが、初等部の幼い三番目や末っ子達はそんな事情を知らない。彼ら彼女らが知っているのは、例の男爵令嬢に入れ込んでいた長兄達の婚約は穏便に解消されたという表向きの事実のみだ。もちろん浮気者の長兄達が当主候補から外されたとか、浮気されていた長姉達が新たな婚約者を探さねばならないということは知らされるものの、二番目の兄姉達が暗躍し、浮気者の令息達を嵌めて蹴落としたなんてことは伝えられないのである。


 そして表向きは大事に至る前に穏便に解消となったので、家同士の関係もそのままだ。だからレナードとアイリーンは仲良くしていても良いし、ジェイコブとチェルシーも喧嘩しなくていい。最初から婚約破棄騒動に関係なかったハーヴィーとコーデリアの仲もそのままだ。


 いや、むしろ彼ら彼女らはより親密な仲になった。レナードとアイリーンは婚約が可能となり、中等部卒業の頃に二人にその意思があれば婚約させようという話が出ている。ジェイコブとチェルシーも仲直りし、こちらもそのまま良い仲が続けば婚約の話が出るかもしれない。


 コーデリアは少しハーヴィーに対する恋心を自覚した。ただ、今はまだ何かと「凄いって言え」とお日様のような得意げな顔を見せるハーヴィーが可愛いくて仕方ないというものである。ハーヴィー本人が聞いたら「なんだよ! 馬鹿にするなよ!!」と怒るだろうから、コーデリアはそっとその本心をしまいつつ、可愛いハーヴィーをこっそり堪能し、たまにおだてて可愛い格好をさせたりしている。傍から見るとハーヴィーはすっかりコーデリアに転がされているわけだが、わざわざ知らせる無粋な真似をする者はいない。


「ハーヴィー、俺は真実の愛に目覚めてしまった」

「目覚めるな、寝ろ」

「しっしっ! 私のハーヴィーに触れるな!! あっち行け!!」


 ハーヴィーに言い寄るモーリスをコーデリアが追い払うのはもはや日常だ。そしてそんな様子を。


「真実の愛(薔薇)ですわ~」

「禁断の三角関係よ!」


 少女達は遠くから楽しみ。一方少年達は。


「モーリスの奴まだハーヴィーのことあの美少女だと思ってるのかよ」

「眼鏡曇ってるんじゃないの?」


 今ひとつ状況を飲み込めていないのであった。


 そして今日も少女達は昼下がりのお茶の時間で恋バナに花を咲かせ、少年達は昼食をもりもりと食べながら、ちょっとお馬鹿な話で盛り上がるのであった。

子供達のわちゃわちゃ感が出せていたらいいなって。


読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
読ませていただきました、面白かったですww
で、件の男爵令嬢の胸装甲の真実はこれ如何に。
カオス、お子様男児の発想がカオス過ぎてほっこりしました。
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