これからのこと
大貫は病院で手当てを受けた。頬に切り傷を負ったが、幸いにも深い傷ではないらしい。
治療を終えた大貫と私は、病院の時間外受付の前で長椅子に座り、お会計を待っていた。
「大丈夫?」
頬に大きなガーゼを貼られた大貫が痛々しい。
でも大貫はなんともなさそうな顔をして、私を横目で見た。
「浅野さんこそ」
「私は大丈夫だよ、無傷だもん。私は大貫くんの付き添いみたいなものだし」
むしろ、無傷すぎて申し訳なくなる。
あのヤクザ男は明確に私を狙っていた。ということは、私と関わらなければ、大貫はこんな怪我をする必要もなかったということだ。
「ごめんね、大貫くん」
「え、なに?」
「なにって、私のせいで怪我したじゃん。だから、ごめん」
「いや違うでしょ。元はと言えば俺が浅野さんちに空き巣に入ったわけだし、俺が加害者、浅野さんは被害者」
そう言った大貫と私の頭上から、「いや」と否定する声が降ってくる。
「お二人はどちらも被害者ですよ」
そう発言したのは、いつぞやの刑事だった。今回の傷害事件について話を聞きに来たのだろう。私たちに向かって軽く頭を下げる。
「大貫さんを刺し、大貫さんに空き巣を強要し、今回また大貫さんに怪我をさせたあの男、山下と言いますが、現行犯で逮捕しました」
逮捕の言葉に、私の胸のつかえが取れる。安全が担保されているだけで、こうも身体が軽くなるのか。
だけど。
「なんだったんですか、その、山下って人」
意味不明すぎた。あんな人と接点なんてなかったはずなのに。
私の問いかけに、警察官は眉を八の字にした。
「通り魔みたいなモンですね。たまたま見かけた浅野さんに一方的な好意を寄せ、力ずくで自分のものにしようとした。そこに大貫さんも巻き込まれた。悪いのは全部山下です。これからしっかり罪と向き合わせますので」
警察はそう言うけれど、私の心にはまだもやがかかっている。
「罪と向き合って、反省するんでしょうか」
だって、相手はヤクザみたいな男だ。警察に捕まったこと、大貫が反撃したこと、いろいろなことに逆恨みしていたら、あとからまた狙われるんじゃないか。捕まって大人しくなるなんて常識人の道理であって、犯罪もいとわないような人がそんな常識的な行動をとるだろうか。
椅子から見上げた警察官は、困ったように苦い顔をしている。やっぱり反省なんて夢物語なのだろう。
きっと、これから安泰なんて――。
「俺が守るよ」
大貫の手が私の肩に回った。
肩を抱き寄せ、私は大貫の胸元にすっぽり収まる。
「俺が浅野さんを守る。命に代えても守る。いつまでも守る。一生守る」
さわやかな風が吹いた気がした。
「いや、命に代えられても困るんだけど。生きてよ、そこは」
私はそう言いながら大貫の胸の中で彼を見上げた。大貫はいつにも増して凛々しい顔をしている。目には力が宿り、絵を描いているときみたいな鬼気迫る雰囲気がある。
警察官が驚いた顔で苦笑して「では、また後日お話を聞かせてください。失礼します」と去っていった。気をつかわせてしまったことが恥ずかしい。でも、大貫は気にしていない。
「俺、浅野さんを一生守るから」
彼はもう一度言う。
私はその言葉を頭の中で精査した。言葉の奥にある彼の本心を見抜きたくて、口を開く。
「それは、罪悪感から?」
大貫が黙る。
なんだよ、黙るなよ、馬鹿。
腹が立った私は、思っていたことをぶちまけた。
「大貫くんさ、ずっと空き巣に入ったこと、私を怖がらせたこと、気にしてるでしょ。それでそんなこと言ってるんだったら、張り倒したいくらい憎い」
大貫を睨む。
「私、同情とか罪悪感で守られるほど弱くないから」
だから、私を守りたいなら、私を愛しなさい。
愛がないなら、守られてあげない。絶対。
そんな私の視界が大貫の影で真っ暗になる。
大貫の顔が近づいてきて、私の唇に大貫の唇が重なった。
静かな病院内。私たちは二人、お互いの熱を確認した。
大貫の顔が離れて、真剣な顔をした彼が私に言う。
「罪悪感はもちろんある。でも、それ以上に、ただ単純に浅野さんを守りたい。大事だから。二度と傷つけたくないから。世界で一番、大事な人だから」
睨みつけていた私の顔が勝手に緩む。
世界で一番大事な人は、悪くない。勝手に笑顔になってしまう。
「じゃあ、守ってもらおうかな。一生」
「じゃあ、喜んで守るよ、一生」
互いにコツンと額をぶつけた。
笑みがこぼれる。
大貫と出会った日、あの数分が私たちの運命を分けた。
これから私たちは、二人で協力して新しい人生を築いていくだろう。大貫は介護施設を足掛かりに、きっと絵師として大きく羽ばたいていくはずだ。そのときには私も、すぐ隣で大貫を支えたいと思う。
私たち二人の生活は、まだまだ始まったばかりだ。