閉ざされた記憶
夜のミュリエ村は静かだった。
星々がきらめく空の下、研究棟の明かりだけが微かに灯り続けている。
その片隅。誰もいない屋上に、一人座る影があった。
アリア・レーヴェント。
彼女の膝の上には、一枚の古びた写真があった。
そこには、笑顔の男女と、幼い少女。
少女の髪は今の彼女と同じ銀色で、微笑の形も同じだった。
「……覚えてる。あの時の笑顔。だけど……」
アリアは、ゆっくりとその写真を握りしめた。
――十年前、ヴィグルド連合王国の辺境都市にて。
当時のアリアは、薬草医の家に生まれた一人娘だった。
両親は小さな診療所を営み、患者に優しく寄り添う日々。
ある日、隣国との紛争が始まり、村は巻き込まれる形で“実験場”にされた。
治療薬の効果を確かめるため、意図的に魔導兵器が落とされたのだった。
火の海の中、アリアは焼けた診療所の中で両親の遺体を抱きながら叫んだ。
「どうして……誰も助けてくれなかったの……!」
その声に応えたのは、ヴィグルド情報局の諜報員だった。
『知識を学びたければ、力を持て。守りたいなら、力の側につけ』
そうして、彼女は“復讐”と“自衛”のため、工作員の道を選んだ。
その中で感情は削られ、人との距離は冷たい計算になり、
いつの間にか、誰かを信じることなど忘れていた。
「……でも、あの子が手を握ってくれた。……ただ、私に“ありがとう”って」
アリアは写真を胸に戻し、星空を見上げた。
「私は……本当は、人を救いたかったんだよね、お母さん」
その翌日、エリスは研究棟の資料整理をしていた。
そこへ、アリアが静かに入ってくる。
「手伝います」
「え? ……ありがとう。珍しいね、そっちから来てくれるなんて」
「……気まぐれです」
二人はしばらく無言のまま、棚を整理した。
けれど、ふとした瞬間。エリスの手元から古い資料が滑り落ち、床に散らばった。
「あ……!」
慌ててかがみ込むエリスを、アリアは反射的に庇い、手を伸ばした。
――そのとき、エリスの指が、アリアの胸元に触れた。
わずかに開いた隙間から、一枚の写真が覗いた。
無意識にそれを見た瞬間、エリスは息を呑んだ。
「……それ、あなたの家族?」
アリアは、一瞬だけ動きを止めた。
だが、次の瞬間には、ゆっくりと立ち上がって微笑む。
「……ええ。昔、薬草を育てていた人たちよ」
「優しそうな人たちだね」
「そう。……優しかった。でも、何も守れなかった。私にも、あの人たちにも」
その言葉に、エリスは静かに言った。
「アリアさん。あなたが今、誰かを救おうとしているなら――それは、もう“守れてる”んじゃない?」
「……そんな簡単に、答えが出たら苦労しません」
「答えなんて出さなくていい。ただ、“それでも前に進みたい”って思えるなら、それだけで十分よ」
アリアは、言葉を失った。
その“甘さ”とも取れるエリスの言葉が、なぜか心に刺さる。
彼女は視線を伏せながら、絞り出すように言った。
「もし、私が……“最初から味方じゃなかった”としても、あなたは同じことを言いますか?」
エリスは少しだけ考えてから、真っ直ぐに答えた。
「“今のあなた”が味方なら、それでいい」
その一言に、アリアは――少しだけ、息を詰めたような顔で微笑んだ。
それは仮面の笑顔ではなかった。
ただ、“理解されたい”と願った、少女のような微かな表情だった。
彼女の過去は、消えない。
だが、エリスとの関係は、確かに“何か”を変え始めていた。




