鳥と約束
「私、失礼なことを……」
作法など分からず、無意識に失礼を働いていたらと思うと冷や汗が出る。
だが、そんな思いと裏腹にリーク様もローレル様も怒った素振りなど見せなかった。
「別に何かある訳じゃないからそんなに畏まらないで? それに君はとても良くしてくれたよ。今もね」
私がいれた紅茶を飲みながら、優雅に嗜む姿は様になっている。
ただ、安物の紅茶なのが心苦しい。
「本当ですよ。いい香りがしてますし。疲れた体に染み渡ります。それよりも、貴女も座っては?」
「あっ、いえ、私は……!」
「ほらほら、リークもこう言ってるんだし、少し話をしようよ」
リーク様も紅茶を飲む姿を見ていると、隣に座るよう進めてくれたが恐れ多くて首を振った。が、ローレル様にも進められ、断る方が良くないかと思い直す。
「で、では、失礼します」
リーク様の隣に座り、正面がローレル様という異様な光景。普通だったら絶対にありえないシチュエーションが今広がっている。
「そういえば、まだ君の名前聞いてなかったな。教えてくれる?」
「あ、申し遅れました。ハル シオンと申します」
「シオンって名前なんだ。僕はローレル カロラ シオール。こっちは辺境伯で幼馴染みの……」
「リーク ポッロです。以後お見知り置きを」
「ど、どうぞよろしくお願いします」
何がどうぞよろしくなのか分からない。交わるはずのない人とこうして関わったとして、この人達とどう接したらいいのか皆目見当もつかない。
何か、この人たちに有益なことを私が差し出せるとも思えない。
それなのに、二人ともこの国の要人なのに、とても気さくに話しかけてくれる。それが不思議でたまらなかった。
「見たところ、僕と年はあんまり差は無さそうだけど、成人を迎えているの?」
「は、はい。十八歳を迎えました 」
「そうなんだ……あ、じゃあそろそろ孤児院も出なきゃいけないね。って、もしかしてそれさえもフォンに阻まれた?」
「あ、いえ。それはないです。私はもう少しここに居たくて、フォンさんはここに居ていいって」
確かに十八歳を迎えた時、孤児院を出る話が出た。だが、フォンは私をここに置いてくれると言った。それに、私もお父さんを待つため、ここに居ることを決めた。ある意味、お互いの利害は一致していた。
ただ、孤児院の子供たちにはヒソヒソとかげで言われ続けていたけれど。
「ふーん……フォンがね」
その話を聞いたローレル様は何か腑に落ちたように、テーブルに付いた。
王子らしからぬ、崩した姿は少しお行儀が悪い。そんな事もするんだなぁと思っているとリーク様が口を開く。
「きっと貴女を良いように使いたかったんでしょうね
。自分の思う通りに動く駒、を手放したくなかったんでしょう」
「駒、ですか」
「言い方はとても悪いですがね。貴女はフォンに強く出れない事をわかっていて、雑務や面倒くさいことを全て押し付けようとしていたのですよ」
「でも、私は……こうしなきゃいけなかったから……」
言われて思い当たる節があった。ここでの私の仕事だ。料理、選択、掃除、ハンナの世話。どれも私が一日を費やしてしている仕事。
他の孤児たちは大人になった時のために、と勉強をするのに私は一切許されなかった。
勉強もしてみたかったけど、言われたことをしなきゃここにいさせては貰えなかったのだ。
「シオン、本当は君にはやりたいことがあるんじゃない? でも、迷っているようにも見える。良かったら話してみてよ。力になれるかもしれない」
その言葉に、私は迷う。
一国の王子様に、頼って本当にいいのだろうか。
私の話をちゃんと聞いてくれる人、だろうか。
だけど、真っ直ぐ私を見るローレル様の目を見て、その考えを改めた。
真剣に、私が話そうとしていることを聞こうとしてくれている。急かさずに、待ってくれていたからだ。
意を決して、私は口を開いた。
この国に来た時のこと、父が居ない理由。ここに居たい訳を。
「私は恵まれてるんです。姚国にいた時よりもぐっと幸せですし……。屋根があって暖かい場所にいられる。私はここを愛しています。愛さなかったら、罰が当たります」
まとまっていない私の話を、ローレル様とリーク様は頷きながら、最後まで聞いてくれた。
「それって、シオンは幸せなの?」
「王子、それは」
やや、ローレル様は考えた後言った言葉に、私は言葉を失う。
リーク様も窘めるように、言葉を遮ろうとしたがローレル様は困ったように眉根を下げた。
「酷いことを言っているのは分かってる。けど、君が幸せそうに見えなくて……。姚国ではそういう教えがあるのは知ってる。けど今はその教えが君の枷になっている気がしてならないんだ」
ローレル様は一呼吸おいて続ける。
「僕は教えっていうのは、誰かを幸せに導くものだと思っているよ。不幸に身を置くための鎖じゃない。もし、君がここにいることが嫌なら、手助けできる。改めて聞くよ。君は幸せ?」
ローレル様は私に問う。
幸せか、と。
「私は……」
唇が震える。私は……どうしたかったのか。
幸せ、だったのか。
姚国の教えを良いように、解釈して逃げただけでは無かったのか。
本当の気持ちを、言ってもいいのだろうか。
「……辛い、です。ここから、逃げたい。私が私でいられる場所が欲しい……!」
「その言葉を聞きたかった。僕が助力しよう。必ず、君の望むとおりにする」
強くうなづいたローレル様は、とても頼もしかった。
「それに、君が幸せなら君のお父さんも幸せだよ。もしそれが姚国の教えに反することだとしても、娘の幸せを願わない父親はいないよ」
その後。ローレル様とリーク様は連れ立って、フォンさんに話をつけに行ってくれた。
どのような会話がなされたのかは分からない。
が、資金はできるだけ用意してくれる、と約束を取り付けてきたとの事だった。
その言葉通り、ローレル様たちが帰る頃には茶封筒が用意され、フォンさん自ら手渡しで渡してくれた。
それを私は両手で受け取る。
これは、私の命綱だ。何があっても無くしては行けない。
「さて、僕たちも帰ろうか」
ローレル様がそう告げたのは、夕暮れ時だった。
リーク様も少し疲れた様子で、はい、とだけ答えた。
「そこまでご一緒します」
2人を見送るため教会の入口へ向かう。
「あ、そうだ。君に、渡したいものがあるんだ」
ローレル様は首から下げていたものを、私の手に乗せる。それは、銀のネックレスで、銀製の笛のようなものがきらりと光る。
円柱形の笛の部分に、リースのような植物の飾りが付いていて、そこに尾の長い鳥が止まっている。
「これは……?」
「それは、鳥笛っていうんだ。笛って名前だけど吹くんじゃないんだよ。笛の両端を持ってそれぞれ別の方向に捻ってみて?」
「こう、ですか?」
飾り部分を奥に、その反対の端を手前に捻る。すると真ん中を挟んで動いた。
「そうそう。次は逆に。それを繰り返して」
言われた通り、次は飾り部分を手前に、反対の端を奥にと繰り返す。
特に音は鳴らず、首を傾げていると突如どこからから甲高い、だけど綺麗な歌う鳥の声が聞こえてきた。
「ん。来たね。シオン、手を上に、空を見て!」
「こう、ですか? きゃあっ!」
言われるがまま、手を空にかざすと太陽の光に反射して輝く何かが降りてきた。
それは、羽を舞踊らせ私の手に止まる。姿を現したのは、尾の長い白い鳥。
「こ、この鳥は……!」
腕に鳥を留めたまま、私はローレル様に尋ねる。
振りほどく訳にも行かず、そのままにしていると白い鳥も大人しく留まっている。
「彼女の名前はククル。ケッツァっていう鳥なんだ」
ローレル様曰く。ケッツァはとても耳がいい鳥で、どんなに遠くに離れていても、仲間の鳴き声は聞き逃さないらしい。
私に渡してくれた鳥笛は、その力を利用したものでケッツァにしか聞こえない音の波長を聞き取って呼び出すもの、だそうだ。
「ククル、君に紹介したい。彼女はシオンだよ。僕の大事な人だ。仲良くしてほしい」
クルルと目が合う。
「よ、宜しくね……?」
ぴぃ、とひと鳴き。
「どうやら、仲間として認めてくれたみたいだ」
「そ、そうだといいのですが」
「大丈夫。そうだ、ここを出たら王都のフロルにおいで。着いたら、鳥笛を使ってクルルを呼んで合図を。そうしたら、また会おう」
はい、と頷くとローレル様はリーク様を引き連れて馬車に乗り込んだ。
走り去っていくその馬車を、私は見送る。
「約束……しちゃったな……」
また会おう、と約束をしてくれたローレル様は私よりずっと雲の上の人なのに、気さくにそう言ってくれた。
なかなか果たされない約束は、時に苦しめられることをお父さんのことで知っていたはずなのに、また約束を交わしてしまった。
けれど。
「楽しみ、だな」
こうして笑えてしまう自分がおかしかった。
あぁ、約束を守りに行こう。
じっとしてはいられなくて、私は自室に戻り少ない荷物をまとめた。
元々そんなに持っていきたいとは思える荷物はなく、直ぐにカバン1つで収まった。