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賀茂川のセミ  作者: 凪司工房
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 長い時には一週間ばかり祖母の家が別荘と化すのだけれど、出かけない日のわたしは午前と午後、それぞれベランダに出て、スケッチをする。スケッチブックはいつの間にか一冊を使い切ってしまい、今年から新しいものを開いていた。

 その最初のページに今年の年数と夏、それに小さな蝉が描かれている。それはわたしにとって祖母の家の夏というのはこの賀茂川と蝉の声だったからだ。

 

 朝、まだカーテンを閉め切った寝室でタオルケットを跳ね除けてわたしが寝ているその時間帯から、酷い時には鳴き始める。まるで目覚まし時計だ。それも頼んでいないのに勝手にスヌーズ機能があって、やっと止まったと思って目を閉じると、ひと呼吸置いたくらいでまたガーっと鳴き始める。

 

 ――これさえなかったら大好きな別荘なのに。

 

 そう言ったら、亡くなった祖父は口ひげを震わせて笑いながら「夏やからねえ」と言うのだ。

 昼ご飯の手巻き寿司を堪能したわたしはさっさと二階に上がると、ベランダに机と椅子を出す。あのサックスおじさんはいつも午後、一時間か二時間程度、練習に出てくるのだ。

 

 この日はまだ姿を見せていなかったけれど、よく晴れていて、子どもたちがキャッチボールをして遊んでいた。

 わたしはその声をBGMに、古い方のスケッチブックを開く。この三年の間にわたしが描いた賀茂川とサックスおじさんが本当に少しずつではあるけれど上達しているのがよく分かる。最初は本当にただの棒人間だ。手にしたサックスも説明をしても誰もそれがサックスだとは思ってくれない。なんだか茄子っぽい物体はその棒人間と同じくらいの大きさで、楽器を吹いているというよりは何か巨大な物体に抱きついているといった方がいい。

 それが次の年には歪んだ線で構成されているけれど、何とか人と楽器のようなものに見えている。色が黄色で塗られているからひょっとしたら誰か一人くらいはこれをサックスだと分かってくれるかも知れないが、ただの黄色い茄子もどきであることには変わりないのでそれがある程度形になるまでは随分とページをめくる必要があった。

 

 ただ絵の上手い下手は別として、そこには賀茂川縁の河川敷で楽しげに楽器を吹く男性がずっと描かれていることは確かだ。楽しそう、というのは音符マークが彼の周囲に浮かんでいることから分かってもらえるだろう。けれどその彼の周囲に、いつも人はいない。絵の中だけの話ではなくて、実際にサックスおじさんの近くに人がいないことが多かった。練習したいのだから他人が見ていると気になってしまって出来ないという事情もあるかも知れないが、そういうちょっと孤独感があるところも、わたしは彼が気になる要因の一つだったことは確かだ。

 

 去年の後半のものになって、やっと人間と茄子もどきはおじさんとサックスへと変化してくる。画面の左半分を賀茂川が占拠し、そこから続く河川敷の芝生の上で帽子を被った男性が立って楽器を吹いている、という構図だ。本当は折りたたみの小さな椅子とその足元に黒い楽器用のケースが置いてあるのだけれど、それは書かれていない。ずっと右には道路側から伸びた桜の木が少しだけ顔を覗かせていて、それに緑の葉が茂らせてある。最初の頃は何もかもを見たままに書き込もうとしていたけれど、最近は色をつける時に直接描けばいいのだと分かり、それからは骨子となる部分だけを鉛筆の線画にして、そこに思い思いの色を載せるようにしていた。

 

 と、日差しの強い中、待ちわびていたサックスおじさんが現れた。おじさんはやはり黒っぽい鍔のない帽子を被り、チェック柄のベストを羽織ったチョコクリーム色の上下で、折りたたみ式の椅子を広げてそこに座り、持ってきたサックスをケースから取り出すと、何や作業を始める。おそらく音を合わせたり、簡単な楽器のメンテナンスのようなことをしないと始められないのだろう。わたしは全然楽器に興味がないので縦笛も横笛もトランペットもサックスもヴァイオリンもウッドベースでも何でも、見た目が違う、音がそれぞれ違う、くらいの認識しかない。けれどテレビだったり、実際に駅前や商店街、公園なんかで演奏をする準備をしている姿を見ると、色々と大変そうだと思う。絵だって紙と鉛筆だけならすぐに準備できるが、色を塗る、それも水彩や油彩となるとそれなりに道具を揃えたり、下準備が必要になる。それを適当にしてしまうと筆が悪くなったり、最悪の場合は使えずに捨てなければならなくなったりすることもある。

 

 十分ほどだろうか、ようやくおじさんは立ち上がると、口にサックスを当てて吹き始める。最初はいつもドレミの音階を鳴らす。そうだと思う。別にわたしに絶対音感がある訳ではないけれど、順序よく音が上がっていくのでおそらくそうだ。流石に三年もの間ずっと見てきたから、それくらいは分かる。

 そのドレミ練習に満足すると、今度は簡単なメロディを吹き始める。カエルの歌のような、単純な奴だ。

 ちょくちょく休憩を入れながら徐々に難しいものにチャレンジしているようで、わたしはその姿を見ながら少しずつ筆を入れていく。

 

 少し日が陰ってくると道路脇の並木に張り付いたセミが呻き声のような声で鳴き始めるから、わたしもサックスの男性もそれを合図にやっている作業を中断することになる。男性はしばらく賀茂川の流れを見つめているけれど、飽きたのか、それとも何かの時間なのか、サックスをケースに仕舞い、椅子を片付けてそこから立ち去ってしまう。

 それからもう少し時間が経って日が傾いてくると、川面の光り方が変わって、それもまた趣深いのだけれど、今度はセミはセミでもヒグラシの番になって、カナカナという夏の夕涼みにありがちな虫の音に変化する。それが聞こえる頃になると母親から「そろそろご飯にするから」と声が掛かり、わたしはベランダを退去してその日の作業を完全に終えるのだ。

 両親に連れられて河原町や京都駅のデパートや、植物園、動物園、それに水族館なんかに出かけない日は、こうしてゆっくりベランダで過ごした。

 たまに祖母や、元気だった頃は祖父が上がってきて、昔話を聞かせてくれた。昔話といっても祖父の場合は自分の若かった頃の話はせず、歴史や絵画、浮世絵、漆器、茶器や短歌と、自分の趣味についてあれこれと思い出したことを口にする、という感じだった。

 その中でわたしが印象的だったものは賀茂川を見て詠んだというある歌だ。

 スケッチをしていたわたしの隣にやってきた祖父が突然、

 

『石川や せみの小川の 清ければ 月も流れを 尋ねてぞすむ』

 

 などと口にしたものだから、一体何が起こったのかと思ったのが最初だった。わたしの驚く顔を見ると祖父はにっこりとしてまた同じ呪文を口にしてから、これは鴨長明(かものちょうめい)という人が詠んだ賀茂川の短歌だと説明してくれた。

 鴨長明といえば方丈記(ほうじょうき)を書いた人という以外、何も印象がない。そもそも方丈記だって中学に入ってから教科書に載っているものを目にした程度で、内容もよく知らないし、当時は祖父から「方丈記の人だよ」と聞いても曖昧(あいまい)な返事をすることしか出来なかった。


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