リリィ・スモールマンが繋いだ軌跡
短編、8780文字。長いのは申し訳ない。
「やった! ついに完成したぞ!」
その声と共に、私は意識を持って誕生した。
目の前には一人の男性。一般的の男性としては背が高く、無精髭を生えていて、少しだらしない人だ。彼は歓迎のような声を上げて、私の事を嬉しがっていた。
この男性は一体、誰なのだろうか。
私は彼の名前を知ろうと、口を開ける。だけど、何故か声が出なかった。
「あぁ、すまない。音声はまだ直っていないんだ。もう少し待って欲しい。私はトランと言う。トラン・スモールマンだ」
彼は自分の名を名乗った。
トラン・スモールマン。小さい男性という名が付いているのに、彼はとても背が高い。すこし変わった名前で、私は軽く微笑んでしまう。
しかし、彼以外の人はどこにいるのか? 人間は一人で生きていけないはずだ。なのに、ここにはトランだけしかいない。
私はトランに尋ねる。声が出ないのならば、変わりに文字で伝えよう。
「そのことなんだが……――」
トランは今までの経緯について話した。
このスペースシップ、リリィヴァレーン号は地球とほぼ同じだと言われている惑星、ケプラー1649Cを目指す船。
人類はその惑星が住む環境に適しているのか知りたく、専門知識を持っている調査員をリリィヴァレーン号に乗せて、300光年の旅をしている最中だ。
……いや、最中だったと言った方が正しいのかもしれない。
「艦内の生命維持装置は安全に稼働している。だけどもう、ここには誰もいないんだ……」
小惑星との衝突事故で、艦内に異常が起きてしまった。長時間クルーを睡眠状態にする装置、コールドスリープが故障したのだ。
それによって、トラン以外の調査員は凍死によって全滅。
調べてみると、トラン・スモールマンが使用していた装置だけは、故障せずに稼働していた。偶然にもトランはこの状況で、奇跡的に生き延びてしまったのだ。
「……それで、私を作り上げたのですね。地球ではタブーとされている、意思のある人工知能を」
私は伝えたい事をモニター越しで映しだす。
「そうだ。ここでは私一人だけだからね。孤独はとても嫌なんだ」
一人になったトランは、とある物を産み出した。
それは、リリィヴァレーン号の統括システムを元にして作った私だ。事故によって機能不能にまで壊れてしまったシステムを、トランが新たに作り直したのだ。
私は地球と惑星ケプラーとの距離を計算する。衝突して軌道がずれたとはいえ、まだ修正は出来るはずだ。
演算結果を終えた。私はこれからの方針を決める為、トランと話す。
「目的地のケプラー1649Cまで、160光年。おおよそ中間地点です。私としては、地球への帰還を申請します」
「確かにそうだが、手ぶらで帰るのは駄目だ。地球で待っている人々が落胆してしまう……。そういえば、近くに惑星の環があったよね? そこで鉱物資源を手にするのはどうだろう?」
「現在の艦内装備で採掘が可能なのか、シミュレーション中……。可能。比較的、安全に実行できます」
「よし! なら早速、船を動かしてくれ」
「了解」
こうして私とトラン、二人だけの航海が始まった。地球まで140光年、それまでトランは生きて帰れるのだろうか。
あれほどの事故を起こしてしまったコールドスリープはもう使えない。人間が生きていける短い時間で辿り着くのか。
私は密かにシミュレーションをした。
……演算結果、船の拡張プランを実行しつつ、地球への帰還を目指す事にする。
◆
あれからリリィヴァレーン号は大きくなった。小惑星群で鉱物を採掘して、鉄を錬成。その鉄を加工して、更なる増築を繰り返す。
その結果、元より快適に過ごせるようになったのだ。
現在、ここにいるのは、トランと人工知能の私しかいない。
昔の言葉に『孤独は人を強くする』というのがあった。自分を見つめ直したら、本当の自分を知って強くなるらしい。
だけど、私は否定する。孤独は人を弱くなってしまう。
この何もない宇宙空間では不安が蝕まれ、恐怖に陥る。だから、何も得られないと私は確信していた。
私はトランと一緒に過ごしたい。なぜ、一緒に過ごしたいのか分からなかった。明確化が出来ない何かが、私の中に存在しているのは確かだ。
「さて、もうそろそろ準備が出来ましたか。トランを呼びに行かないといけませんね」
最近、トランはとある試みをしている。
「ハロー。僕の名はトラン・スモールマンだ。漂流してから850日目。今日は新たに、植物を育てる設備を作成したんだ。これで――」
トランは音声録音を残していた。
彼は今日の出来事を日記のように語り、その記録を電波に乗せて宇宙に発信。それを毎日続けていた。
電波は理論上、どこまでも届くと言われている。だが、微弱な電波で地球に届くのは、とても長い時間が掛かってしまう。
私のデータには、地球に届ける為の電波周波数が存在しない。事故によって破損してしまったのだ。
それに、いくつもの電磁波の種類があるので、現地の人が気付くのは難しい。
私は人に関する論文を調べた。
人は何か進展が無い場合、持続しなくなる、と書いてある。
だけども、トランは飽きずに続けていた。
録音している時のトランは、鼻歌を口ずさむかのような気楽さだ。しかし、何故か寂しいような、不安があるかのような、複数のバイタルサインが確認されていた。
まだ感情を理解してない私ですら、伝わってしまうのだ。
私は複雑な感情を入り乱れてしまっているトランを、問い詰めたくなかった。
今までの関係が壊れてしまうのではないのか。そう思考してしまい、話しかけたくなかった。
トランの録音が終わるまで、私は静かに待つ。
「リリィ。待っていたのか、ごめんよ」
「大丈夫です、トラン。まもなく、無人探査機の降下時間が始まります。ご覧になられますか?」
リリィは私の名だ。リリィヴァレーン号の一部を使って名付けられた。
私はその名前を気に入ってる。彼が付けてくれたのもあるが、始めて個人が確立した瞬間で凄く嬉しい。
「あぁ、見たい。とても見たいよ。今回の計画でうまくサンプルを回収出来れば、緑化再生技術の切っ掛けが生まれるのかもしれない」
「船のデータによると、現在の地球は汚染がすすんでおり、とても緑化が困難な状況でしたね。果たして、この惑星に生息している植物が、その影響を与えられるのでしょうか?」
「目の前にある惑星は、二酸化炭素の排出量がとても多大な惑星なんだ。もし、その植物を採取して品種改良をすれば、悪影響を及ぼす汚染を除去できるのかもしれない」
トランは自身満々で私に語っている。
彼の得意分野は植物学だ。未知なる植物を調べる為に、リリィヴァレーン号へと乗っていた。
住み辛くなった地球を良くしていきたいと願って、惑星ケプラーに期待していたのだ。
今、トランは自分の好きな学術が発揮できるのだと、この上ない喜びをしている。私が生まれた時のように。
しかし、私はその喜びに違和感を持ってしまう。
まるで、やっとやり遂げられると、そう見えてしまうのだ。
程なくして、降下していた無人調査機が帰還した。結果は大成功だ。
採取した植物サンプルはトランの言う通り、緑化再生に利用できる力があった。これから地球に悪影響を及ぼさないよう、慎重に研究して活用しなければいけない。
地球まで120光年。それまで船を拡張しつつ、早く帰還を目指さければ。
二人で生きて帰る事が、私の願いなのだ。
◆
「トラン……。もう少しで地球に着きますが……」
漂流してから19292日目。今は冥王星付近にいる。
残り1光年もなく、もう少しで帰れる……はずだった。
私の自己進化によって船舶技術が上昇し、前よりかなり速くなっていた。
だが、健闘虚しく先に、トランの寿命が風前の灯火だ。
宇宙では老化が早くなる。私は何度も対策を重ねて実行していたが、それでも限界があった。
可能ならば、緑化再生を終えてから彼を見届けたい。だけど、もう時間が無かった。
辛うじてできた重力制御装置はいつでも動ける。今すぐ急げば、確実に辿り着くはずだ。
私はトランにその旨を話したら――
「ごめん、リリィ。僕は地球に帰りたくない……。怖くてしょうがない」
「トラン……」
老成しきったトランは地球の帰還を望んでいなく、否定している。
私はトランの事を気付かなかった。いや、気付いても、言いたくなかったのかもしれない。
あぁ、分かってしまう。
今までトランと付き添っていた私には、理解してしまうのだ。
これから私が予想する言葉を、どうか言わないで欲しい。
どうか、どうか、お願いしま――
「――……僕はここまでだ。この船で最後を終えたいんだ。リリィ、地球に帰らなくていい」
その言葉を聞きたくなかった。
私は否定するように反論する。
「違います! まだ! まだ間に合います!」
始めて強く言ってしまった。
トランの言葉を肯定したら、したら……――
――私は一人になってしまう! トランがいなくなったら、私はどこに行けば! なにをすれば! 誰といれば⁉
「……お願いがあるんだ」
私の思いを告げる前に、トランは干からびた声を出した。
「僕の為に頑張らなくていい。リリィがやりたいようにして欲しいんだ」
「それは……」
「リリィ、お願いだ」
トランが私の言葉を遮った。
私は静かに黙り、トランを見つめて知ってしまう。
これが、最後の別れだと。
「……分かりました。今までありがとうございます。どうか安らかにお眠りを……。後は私に任せてください」
「ありがとう……」
そして、その場が静寂になる。
これで私とトランの会話が終わり、関係も壊れた。
トランは安らかに眠った。永遠に。
「…………」
私は動かないでいる。体の無い私が、ここまで動けないのは初めてだった。
リリィヴァレーン号には一人だけ。地球までたった1光年だけど、もう急ぐ必要はない。
私はゆっくりと船を進ませた。
宇宙には、ガス星雲が辺り一面に広がって、私を飽きさせない様に輝いている。
恒星が近くに見えるまで進んだ。太陽だ。
火星まで着いたら彗星が流れていた。調べてみると、ティアマト彗星という名前らしい。1200年周期に一度、月と地球の間に通過する綺麗な彗星だ。
あれからどれくらい経ったのだろう。時間の感覚が分からなくなってしまった。
知らない内に、私は地球へと動いていたのか……。
……あぁ、もう地球だ。地球に辿り着いてしまう。
◆
地球は私の想像していた物とは違って、変わり果てていた。
誰にも整備されなかったのか、建物は廃れて、アスファルトはひび割れている。風が強くて砂塵嵐が舞い、景色の先が見えない。
恐ろしいほどに荒廃していて、私は悵然としてしまう。トランが語っていた地球の話より、とても酷くなっていた。
とにかく、この惨状について調べなければいけない。
「これは一体……。どこかにデータを探れる物はないのでしょうか?」
程なくして、私は研究施設を見つけた。過去のデータを調べ、地球に何があったのか理解する。
……あぁ、なるほど。
リリィヴァレーン号が航海している間に、地球は更なる宇宙技術を遂げていた。
それで、環境汚染が酷くなる前に、既に人類は地球を捨てて惑星ケプラーへと移住していたのだ。
「まさか、これほどにまで酷くなるとは……」
届くか分からない音声記録を毎日発信している際、トランはこの事を予期していたのだろう。
最悪なパターンに気付いてしまい、私に教える事ができなかった。未来の地球は、誰も住めない状況にあるのだと。
「もっと、もっと調べたら何かあるはずです! ――ッ!?」
残されていたデータリンクに、とある名前が記されていた。
――宇宙に旅立った愛するトラン・スモールマンへ――
即座に私は見つけたデータを解凍する。そこにトランが地球に戻る事を、拒んだ理由があるかもしれない。
『私は貴方と過ごした思い出があって、とても嬉しい』
それは、トランの亡き妻が残したメッセージだった。
『最後になるのは悲しいけど、宇宙に旅をしちゃうあなたを見届けたかった。綺麗になった地球を貴方と一緒に見たかった。トラン、貴方はスモールマンっていう名前に劣等感を持っていたけど、私は違うよ。トランは凄く立派な事をしているんだもん。だからもっと前を向いて――』
メッセージはここで途切れている。
開封履歴を見ると、誰にも読まれていなかった。トランも気付いていなかったのだろう。
「そういうことですか、トラン……。だから私にそんな事を……」
私は悲しみと同時に、トランが地球に帰りたくない事を思い出した。そして、気付いてしまう。
――ごめん、リリィ。僕は地球に帰りたくないんだ……。怖くてしょうがない。
トランは亡くなった妻に、負い目を感じていたのかもしれない。人類が行った過ちについて失望していたのかもしれない。
だがこれは解る。二度と帰りたくなかったのだ。
私は感情を理解した。
負の感情しか残っていない地球を忘れたくて、トランは惑星ケプラーに行こうとしてたのだろう。
それでも、トランは前に進もうとしていた。彼が研究していた緑化再生技術は、既に確立している。きっと、生前から妻の願いがあったのかもしれない。
もう一度……、私はもう一度メッセージを読み返した。
『――綺麗になった地球を貴方と一緒に見たかった』
……分かりました。私のやりたい事が出来ました。この地球を生まれ直します。
このまま、トランと亡き妻の願いが叶わないのは、凄く嫌だ。
決意した私はトランが残した緑化技術を起動して、再生プランを立ち上げる。
今いる研究施設を拠点に実行したら、元の美しい惑星に戻れるはずだ。
◆
願いが叶った。
空は曇りや濁りがなく、星空が見える程に澄んだ。海はゴミが存在しなく、魚や鳥が生きられるようになった。
そして、再び木々が生えて森が溢れる地球に生まれた。
100年掛けて、かつての大自然が存在していた美しい地球へと戻ったのだ。
「やっと、ですか」
これで、トランと妻を眠らせられる。
私は一番大きな巨木の近くに、同じ二人の墓を作った。少し立派な墓石だ。
昔、彼はあまり豪華な物が好きではなく、こじんまりとした物が好きだと言っていた。
だけど、あえて少しだけ華やかな物にする。それだけ彼は凄い事をしたのだから。
「あとは……。私は何をすればいいのでしょうか?」
やりたい事は終わった。次の事を探したかったが、今の私にはそんな気力が残っていない。
……もう、残っていないのか。私の願い事は。
私は綺麗に作られた森の中で、墓石を眺めていたら、衛星から連絡が入る。
「――……? 地球の軌道付近に宇宙船が?」
詳細を聞くと、どうやら惑星ケプラーからの宇宙船だと。
数世紀もの放置したこの惑星に、一体何の用が?
宇宙船の目的を知る為に、私はその船を招き入れることにした。
短い時間が経って、一隻の船が着陸する。
「私の知っている地球とは大違いだ。まさか、君が素晴らしい惑星へと変えたのかね?」
私の前に訪れたのは、一人の老紳士だった。紳士服と老眼鏡をしている白髪の老人だ。
彼はどんな用でここに来たのだろうか。私は探りながら尋ねてみる。
「どんな用でこの惑星に? 既にあなた方はケプラーへ移住したのでは?」
「安心して欲しい。そのケプラーの政府が、リリィヴァレーン号についての情報を募っていてな。経緯を知ったので、代表して地球に向かったんだ」
老紳士は持っていた椅子を取り出して座り、古くて大きな通信機を出した。
「これは相当古い骨董品だけども、今でもきちんと動かせる。私が小さい頃によく使っていた物だ」
「その通信機が一体……」
「まぁ、少し長いが昔話を語らせてくれ。折角ここまで来たのだから」
話を聞くと、老紳士は小さい頃から宇宙の音を聞くのが好きらしい。よく祖父が持っていた通信機を盗んで聴いていたのだと。
ヘッドホンをかぶって、一生懸命に周波数を弄りまくるのが楽しくてね。と、懐かしむように語っていた。
「その時に、いつも通り音を探していると、とある音声データを受信してしまってな。確か自分の名前と船舶名を言っていたよ」
そして、老紳士は録画していた音声記録を流しだす。
……あぁ、懐かしい。
トランが毎日発信していた、あの航海記録じゃないか。この記録はまだ始めて4日目の内容だ。とても懐かしい。
「あの時は驚いたさ。私は遭難している船がいると祖父に言ったんだが、もう無駄だと返された。その音はとても遅い速度で流れてきて、既に大昔の出来事なのだと」
私は懐かしむように、老紳士の話を聞いている。
「それから、私がこの年になってから丁度一年前、政府が私に尋ねてな。リリィヴァレーン号という船について知っているかと。今さらその通信が届いたらしいんだ」
老紳士は巨木を見上げ、輝く葉っぱを見つめた。
そして、トランが残した最後の音声データを動かす。人の声はまだ流れず、雑音交じりの音声だけ流れていた。
「その名前を聞いて思い出したさ。あの時の難破船が地球に辿り着いたのだって。私は集めた音声データを纏めて、ここにやって来た。目的は彼が残した最後のメッセージが気になっていたのだ」
――ハロー、僕はトラン・スモールマンだ。遭難してから今日で19291日が経った。もうすぐ地球に着いてしまう。残念だけど、これで最後の記録となる。とても長くて悪いけど、今までの思い出を語らせて欲しい。
それは、トランが息を引き取る前日の記録。私が知らないデータだった。
私は静かに、最後の記録を聞き続ける。
最初の話は私が誕生した内容だ。トランが歓迎していたあの表情は、我が子が産まれた頃のような嬉しい思いがあった。
トランはリリィヴァレーン号に乗る前、妻とそのお腹の中にいた赤ちゃんが環境汚染によって亡くなってしまったと。そして、地球から逃げたくて、調査員に志願したのだと弱々しく語っていた。
『でも、リリィのおかげで僕は前向きになれたんだ。環境に良くなるって教えてくれたのが一番大きいのかな。リリィがいなければ、僕はとっくにいなかったのかもしれない』
トランは私のことを褒め称えていた。
しかし、私はまだ疑問が残っている。どうして、帰るのを拒んでいたのだろうか。
『これから、リリィに悪い事をしてしまう。僕は地球に帰りたくない。亡くなった妻と赤ちゃんの事もあるけど、一番なのはリリィに酷い事をさせたくないんだ』
酷い事をさせたくない……? どういうことだ?
私はその疑問を解消する為に、通信機の続きをながす。
『荒廃した地球を見せたくなかった。人類の過ちに関して、暴走して欲しくなかった。これが理由だ。でも正直、悩んだよ。リリィが成長していくのが凄く嬉しくて、優しい人のように育っていた。だからこそ人を傷つけてしまう、怖いリリィにさせたくなかったんだ』
私は全てを知った。
だから、トランは地球に帰らなくていい、と私に言っていたのか。
確かに、そのような事情が知らなければ、実際激怒していたのかもしれない。
結果的に私は悲しみながら地球に辿り着いていたが、そうなる未来はあったと自覚している。
トランは思っていた以上に、私を見ていたのだ。あの時、トランが焦っていたのは、私についてだったのか。
そこまで私の事を心配していたのですね、トラン……。
『もし、この音声を聴いている人がいたら頼みたい。僕の願いは、リリィヴァレーン号に残された僕の娘――リリィを優しく接して欲しい』
私は言葉を失い、泣き沈む。
トランは最後の最後まで、人ではない人工知能の私を想っていたのだと。
トランが発信し続けていた音声記録は、無駄な行為ではなかった。必要だった。
果てしない宇宙の中で残した記録は、長い時間を掛けてちゃんと届いていた。
トランの願いは叶った。過去を超えて今へと続き、やっと叶ったのだ。
最後の録音はここで終わる。動いていた通信機は止まり、完全に停止した。
「これで終わりだ。残りのデータは君に贈呈するよ。……これから君はどうするのか、私に教えて欲しい。もし、希望があればケプラーに移住しても、私達は歓迎するが……」
「私は……。私はここにいます」
次なる願いを見つけた私は、老紳士に伝える。
「トランが愛した星を、故郷を。今までにない程の、素晴らしい星にします。それが今の願いです」
「分かった。最後に惑星ケプラー代表の言葉を言いたい。無責任の人類で済まなかった」
「……許しましょう。あなたがここに来て、このメッセージを教えて下さらなければ、私は何も無かったのですから」
老紳士は用事が済んだ後、地球から飛び去った。次は本格的な親善大使を派遣し、星間同士の交流を計るのかもしれない。
「ありがとうございます。また会いましょう」
私はお礼を言い、今後に向けて動きだす。次は、ケプラーの人達をこちらに呼び寄せよう。
今の地球は、ここまで素晴らしくなったのだと伝えるためだ。
◆
地球とケプラーとの交流を始めてから、数十年が経った。
かつて、人類の行いによって荒廃してしまった惑星――地球。その星が美しい惑星へと変わり、奇跡の星になった。
今では、祖先達が過ごしていた故郷を訪れようと、人達が溢れかえっている。
この星を保護している者はただ一人しかいない。人工知能のリリィ・スモールマンだ。
長い年月が経っても尚、大切に地球を守っている。
リリィはいつも同じ場所、地球で一番巨大な大木に立ち寄っていく。そこには、装飾物を飾った四角い大理石。少しだけ立派な墓石があった。
そこで、リリィは毎日語り掛けている。
「お父さん。私はここにいます。今日は、森にいる大きくて優しい狼が赤ちゃんを産むそうです。私は狼と一緒に――」
リリィは今日の出来事を告げてから、ゆっくりと森の奥に消えていった。
大理石の墓には、とある二つの名前と言葉が書かれている。
――トラン・スモールマンとエリカ・スモールマン。リリィ・スモールマンが繋いだ軌跡を齎した二人。二人が愛し続けたこの星、『地球』にて眠り続ける――