⑦ 旅の癒し ★
「しかし、この荷物一体何なんだろうな?開けてみようぜ?」
あれから数日、再びハダルの町から出立して、オルニョイド山を越える道を進み、隣国のロッポンギー王国の町、マルーンへ向かっている最中だった。
相変わらず悪巧みを目論む悪魔のプルは、『開けるな』と書かれた荷物の中身が気になって仕方ないようだ。
「やめとけ。闇ギルドに依頼して運ばせるような物なんだから、絶対ろくなもんじゃないぞ」
「良いのか?依頼の報酬より、よっぽど金になるものかもしれないぜ?」
「うっ…」
そう言われると、欲が出てしまうが、文無しの頃の自分だったらともかく、今はある程度まとまった金があるので、それに比例して心にも余裕がある気がした。
「でも、また毒袋なんかが入ってたら、嫌だぜ」
「あぁ…まあ、それは確かにな」
先日、結構グロテスクな現物を見てしまったプルは余計現実味が増して、嫌なものが出た場合のことを考えるようになったらしく、少しは大人しくなった。
「全く、少しはサリーの謙虚さを見習ってほしいよ」
「ん、私?」
「バカ言うな。そんなことしたら、俺様のアイデンティティーが崩壊しちまうぜ」
結局、塔の依頼に関していえば、彼女の分け前は銀貨3枚の内の1枚。
素材の方は、「おっきいオーガは、一応協力して倒したから」とそちらの素材を売った金額の半分である銀貨5枚だけ持って行った。
冒険者の中には、大した活躍をしなくても、きっちりパーティ内で等分割しようとする者や、逆に自分のおかげで依頼を達成できたのだと豪語して、取り分を多くしようとする者もいるというのに、彼女の謙虚な行いに大人な人間力を感じて感心する。
「サリーは、あんまり欲が無いのかな?」
「ううん、そんなことないと思うよ」
彼女は、またも謙遜を重ねるが、だとしたら一体どんな欲があるというのだろうか。
「ねえ、あそこ見て。煙が上がってない?」
「なに?」
道先を指差したサリーの視線の先には、確かに煙のようなものが立ち昇っているが、それは正確ではないだろう。
煙が上がっていると聞いて、火事や戦闘が行われているのかと危惧した俺の心配は、あっけなく杞憂に終わった。
「うーん。あれは、煙じゃなくて湯気だな。おそらく温泉でもあるんじゃないか?」
「「温泉!?」」
勢い良く食いついた二人の声が同時に発声されて、より大きな驚きの声に聞こえた。
「あ、ああ…。町にある公衆浴場は、大抵魔法を利用して人工的に作られたものだけど、火山の近くなんかは、特に温泉が湧き出てくることが多いんだ」
「それを利用して温泉施設として開放している場所は色んな場所にあるらしいから、ここもその一つなのかもしれないな」
今、麓の近くまで来ているこの山は、もう火山として活動していないようで、数百年前から噴火などの現象が起こっていないそうだが、その名残で温泉も残っているのかもしれない。
「うーん、原理とかそういうのは良いから…とにかくお風呂に入れるなら、それに越したことはないよ!」
「そうだぜ、クロ!混浴なら、尚更だ!!」
旅先では町にいる時のように気軽に風呂へ浸かることは難しく、精々水浴びが精一杯なので、サリーの気持ちは分からなくない。
しかし、プルの言い分はそれとは全く違い、邪な感情から来るものだった。
「もう日が傾き始めてきたし、今日はあそこで泊まるとするか」
「「さんせーい!」」
歩き通しの身体にも活力が漲ってきたようで、サリーは先を急ぐように湯気の立つ場所へ一目散に向かって行く。
「クロムくんも、早く早くぅ~!」
「そんなに急がなくても、温泉は逃げないって」
無邪気にはしゃぐ彼女に置いて行かれないよう、歩みを早めて付いて行った。
視認できる距離とはいえ、そこそこ歩いたので、もう日が落ち始めて、辺りは夕暮れの茜色に染まっていた。
「思ったより、結構デカいな」
人知れず存在する秘湯ともなれば、ろくな管理をされておらず、ほとんど雨ざらしの場所すらあるという話も聞いたことがあるが、ここはわりとキチンと管理されているようだ。
おそらく、この山で伐採した木を使ったのであろう木造建築の小屋が建てられており、なかなか立派なものだ。
世が世なら、観光客の一人でも居そうだが、今の情勢ではこの田舎町からも離れた場所に人の気配は全くない。
むしろ、猿や猪、あるいはモンスターの類がいる方が、自然だと思えるほどだ。
「早く入ろ?」
「ああ」
いつまでも小屋を外から眺めていても仕方ないので、サリーに続いて堂々と中に入る。
「おぉ…」
「結構広いね」
案の定、無人の玄関は、脱衣所に続いているだけで、特に何も無い。
しかし、温泉施設としてだけでなく、旅の者が休めるように寝袋を広げられるくらいのスペースが開けられているので、今夜はテントを建てずにこの中で休むことが出来そうだ。
「男女別かよ…」
悪魔がガックリと項垂れるのを見て分かる通り、この温泉も男女別で区切られているようで、脱衣所から別に仕切られている。
「じゃあ、また後でね」
サリーは、すぐさま女湯に続く脱衣所へ行ってしまった。
「さて、じゃあ俺たちも行くか…あれ?」
先程まで肩に乗っていたプルがいない。
「ヤなこった。俺様は女湯を覗きに行くぜ、あばよっ!」
「あっ、おい!」
悪魔を捕まえようとした手は空を捉えて、みすみす逃がしてしまった。
サリーには悪いことをしたと思うが、かといって、奴が女湯の脱衣所に逃げ込んだことを口実に入っていくのも忍びなく感じて、これ以上深追いできない。
そう、それは俺もまた男だから。
そして、悪魔が持ってきた情報に期待してしまうのが悲しい男の嵯峨なのだ。
一人寂しく男湯の脱衣所に向かうと、荷物を置いて、いそいそと服を脱ぐ。
周りを見回してみても、他に荷物や服もなく、やはり貸し切り状態らしい。
一人で大きな風呂を占領するのは、それはそれで贅沢で優雅なひと時だと考えを改めて、寂しさを払拭する。
本当なら、念の為に金銭だけでも肌身離さず置いておきたいが、風呂場に持ち込むのもどうかと思って、盗賊の類が出ないことを祈るばかりだ。
悪魔と共にある俺が、一体誰に祈るものかと不思議なものだが、悪魔神でも邪神でも、悪い者であっても神はいるそうなので、その辺りが聞き及んでくれればどうにかしてくれるだろう。
比較的綺麗な小さな布一枚をお供に、扉を開けて脱衣所から男湯へ足を踏み入れる。
傍から見ても分かったように、ここの温泉は温度が高いのか、モクモクと立ち昇る湯気の量が多く、視界はあまり良くない。
それでも、薄っすら温泉の輪郭が見えてきて、湯の傍まで足を向ける。
「あ、いらっしゃーい」
「っ!?」
突然声を掛けられてビックリしたが、そこからさらに驚く羽目になった。
元気な声で気さくに話しかけてきたのが、なんと女の子だったのだ。
「あ、あれ?こっち女湯だった?俺、間違えちゃったかな?」
もし、間違えていたとしたら、今サリーが男湯にいることになるのだから、それはそれで危ないと色々焦る。
「え?あー、違いますよ。こっちが、男湯で合ってます」
あまりに慌てていたので、クスクスと小さく笑われながら、教えてもらった。
「あ、そうなの?じゃあ…なんで君が?」
「あたし、マコっていいます。時々、この温泉のお手入れに来てるんですよ」
マコと名乗るサリーより少し幼く見える顔立ちの少女は、確かに手にブラシを持って、今も床を掃除しているところのようだった。
ここのように無料で開放している温泉を設けて、定期的に整備や清掃もしているのは、村や町に人が来やすくするためでもある。
国から派遣される衛兵というのも、田舎の村や町まではなかなか来ることがなく、冒険者に付近のモンスター退治を任せられないと、自分たちで対処しなければならないので、それをなるべく避ける為という名目も含まれている。
なので、大方この温泉も、昨日通り過ぎた村の人達の先祖辺りが造ったのもので、彼女もその村の娘だろう。
「はあー、なるほどねー。あ、俺はクロムだ」
それどころではなかったので、思い出したかのように遅れて名乗った。
「クロムさん、ですね」
反芻するように、その名をしかと刻み込んだ彼女は、掃除の際に服が濡れないようにしているのか、肩程まで伸びた髪も毛先を2つに短くまとめており、薄着の服の腕や足の裾部分を捲っていたので、露出が多く目のやり場に困り、少し気まずさを覚える。
「あの、よければお背中流しましょうか?」
「え?」
掃除を切り上げて、すぐに立ち去るものかと思っていたのに、予想外の提案を無邪気にするものだから、一瞬理解できなかった。
しかし、温泉の蒸気に当てられてほんのり赤くなった表情と、その幼い顔立ちに見合わぬなかなか立派な胸の膨らみに邪な考えを抱き、思わず頷いてしまった。
「じゃ、じゃあ…せっかくだから、お願いしようかな」
「はい、任せてください」
彼女に案内されて湯の縁に沿って歩き、隅の方へ行くと、木製の風呂椅子に腰掛けた。
風呂桶を持った彼女が、湯船からお湯を掬い上げると、まずは一度掛け湯をする。
そして、どこからともなく取り出した石鹸を泡立てているのが、背中越しに聞こえた。
それだけでも、何故か興奮を掻き立てられて、更なる期待を抱いてしまう。
「この辺って、他にも温泉があったりするの?」
「そうですね。そんなに近いわけじゃないですけど、山の麓付近には、他にもいくつかありますよ」
「へ、へぇ…」
世間話でもして、懸命に平然を装うつもりだったのだが、やはり気が気じゃなくて、それも上手くいかない。
「それじゃあ、洗っていきますね」
そう言った筈なのに、彼女の両手は俺の両肩を掴んで止まっている。
しかし、背中には確かに二つの膨らみの感触があり、石鹸で滑らかに滑って背中を這いずり回っているのが伝わっていた。
もしや、この感触の正体は…?
そう勘づいた時、彼女は俺という男の欲望を見透かしたかのように答えた。
「男の人って、こっちで洗った方が嬉しいんですよね?」
ドキリっ!
耳元で囁かれた言葉が、俺の心臓を高鳴らせた。
『こっち』というのが、どこを指すのかを一々言わずとも分かるだろうが、それを示すように、肩へ伸びていた手が俺の胸板の前で交差して、身体ごと擦り付けているような体勢になっている。
しかも、よくよくみれば、いつの間にか服も脱いでしまったようで、腕は完全に生肌が露出している。
つまり、今後ろでは裸の少女が俺の身体とぴったりくっついているようなことになっているのではないか。
ついさっき会ったばかりの少女と、まさかこんなことになろうとは、誰が予想できただろうか。
彼女の積極的な姿と、こうも理想的な出来事が起きていることに驚くものの、決して止めさせるような真似はできなかった。
もはや、下心が丸出しだったが、彼女はそれを指摘しようともせず、興が乗ったかのように奉仕を続ける。
「はぁ、ぁん……クロムさん、どうですか?」
「あぁ…すごく、気持ちいいよ」
耳元で徐々に息を荒げる彼女へ、素直な感想を伝えた。
「えへっ。そう言って貰えると、嬉しいです」
そして、さらに気分を良くした彼女は、今度は俺の腕まで洗ってくれるという。
肩の方から順に下りていき、柔らかな二つの膨らみで挟むように洗っていくと、彼女の身体に触れた指先から湿り気を感じて、新たな秘境開拓を目論んだ。
「こっちの温泉にも入ってみたいんだけど、いいかな?」
「…はい、ゆっくりしていってくださいね」
お互いに含み笑いを浮かべながら、頬を上気させた彼女と熱いひと時を過ごすこととなった。
「はぁぁ…気持ちいいですね」
「ああ、気持ち良かったなぁ」
すっかり打ち解けたマコと肩を並べて、心地良い疲労感や余韻に浸りつつ、湯船の中で足を伸ばして寛いでいた。
彼女にはだいぶ気に入られたようで、マコの方から腕を絡めて身体を密着させてくるほどだ。
ならばと、彼女の肩に手を回してみれば、彼女も俺の肩に頭を預けるように甘えてくる。
「もう、温泉の話をしたつもりだったのに」
そう話す彼女の声色は、咎めるつもりがないくらい明るく、しょうがないなぁと言葉にはしなくても言っているようだった。
「でも、こんなに満たされた気分なのは、初めてです」
「そうだな。俺も同じだ」
「えへへっ、…あなたに出会えてホントに良かった。ありがとう」
お礼を言うのは俺の方だと思ったが、その言葉を告げる前に、頬に柔らかな唇の感触が伝わり、それどころではなくなって声を出すのが遅れてしまった。
ドーン!!
夢心地の幸せな空間にいたのに、突然横から爆発音が響いて、ハッとする。
「な、なんだ!?」
男湯女湯を区切る壁を一部吹き飛ばした爆風によって湯気が一気に晴れると、爆発音がした方向から、ポチャンと音を立てて何かが落ちてきた。
「イテテ…何も本気で攻撃することないだろ」
浮き上がってきたものを拾い上げると、覗きに出かけていた悪魔だとわかった。
そして、事情を聞かなくても、今ので状況を大体把握した。
「大丈夫か?」
「おう、なんとかな。しかし、湯気が酷くて全然見えないし、収穫なんてほとんどないぜ」
「はぁ…。これだったら、お前と二人で風呂に入った方がマシだったかもな」
再び自由を得た悪魔はマイペースなもので、近くにあった風呂桶を見つけると、それを引きずって持って来て、湯船に投げ入れた。
どうやら、自分専用の風呂に仕立てるつもりだったようで、俺に温泉のお湯を入れさせると、桶の中に入って寛ぎ始めた。
「俺様がいなかったから、一人で寂しかっただろう?」
「いや、そうでもないよ。ほら、この子…あれ?」
チラっと振りかえっても、さっきまでいたはずの少女の姿が微塵もない。
先程まで肌を密着させていたはずなのに、その感触さえ朧気になってしまった。
「どうした?風呂で寝ちまって夢でも見てたのか?風呂で寝るのは危ないから、気を付けた方がいいぞ」
「いや…ホントにさっきまでいたんだ。女の子が、ここに」
「何言ってんだ。こっちは男湯だろ?向こうにも、サリー以外は誰の気配もなかったし。見間違いじゃないのか?」
「そんな、見間違いなんかじゃない。だって、俺はあの子と……」
あまりにも真剣に言うものだから、プルも事情を聞いてくれて、おおよその見解を述べた。
「それは、もしかしたら霊的なものかもな」
「霊…?幽霊ってことか?」
「あぁ、そうだ。ここもそうだが、水場の近くにはそういう類が出没しやすいって話は知ってるだろ?例に漏れず、ここも霊力自体だいぶ集まっている方だから、出たとしてもおかしくはない」
「しっかし、そいつが満足して消えちまったってんなら、きっと成仏したんだろう。良かったじゃねえか」
「でも、俺は今までそういうのは、見たことも感じたこともなかったのに…」
「それはお前、俺様と契約して霊感ってものが身に付いたんだろうよ」
「だとすると、お前には死霊使いとしての素質もありそうだな。へへっ、面白くなってきたぜ」
「でもよ、エッチな幽霊で良かったな。もっと性質の悪い霊だったら、命まで盗られててもおかしくなかったんだぜ。危ないところだったな」
確かにあの肌に触れて彼女の温もりを感じ、言葉を交わしたはずなのに、マコが幽霊だなんて、俄かには信じられない思いだった。
「もし、そうでなければ質の悪い娼婦だったかもしれないぜ。後で、財布の中身はちゃんと確認しといた方が良さそうだ」
「さっさと帰って、金を奪われたかもしれないからな」
「俺の思い出を穢すようなことを言うなよ。初めてだったんだぞ」
「おぅおぅ、それは悪かったな」
それから、プルはそれ以上何も言わず、けれどもそっと傍に居てくれた。
すっかり日が落ちて、月明かりに照らされた夜は、粛々と過ぎていく。
ふと、彼女の唇が触れた頬を撫でて、僅かな残滓や残り香を求め惜しんだ。
「マコ。俺の方こそ、君に出会えて良かった。ありがとう」
後で確認したが、特に金品を奪われた様子はなく、一番高価な金貨は爛々と輝いていた。