表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラック・ディヴィジョン  作者: 天一神 桜霞
第一章 悪魔の契約
6/31

⑤ ダンベルモ塔での戦い

 翌日から塔へ向けて出立したのだが、その前に危惧していた例の宿代を当然支払うことになった。

 一部屋二人までの定員で銅貨7枚という料金だったので、思っていたほど有り金を叩くような事態には至らなかった。

 以前、アリオトで安宿に一人暮らししていた時は一泊銅貨4枚だったので、二人分と考えれば同じくらいの料金で質の良い部屋に泊まれたのだから、むしろよっぽどいい待遇だ。

 一人当たりの料金ではなく、一部屋単位の料金で払うなら、誰かと相部屋でもっと安く済ませられたかもしれないと当時も思ったものの、気の合わない奴と一緒に居ては、休まるものも休まらないと思い直したので、結局は一人部屋に落ち着いた覚えがある。

 ちなみに、一部屋二名で一泊する料金の相場は、銅貨5~10枚程度といわれている。

 それを下回ると、手入れの行き届いていないような物件や古い建物で、あちこちにガタが来ているような所謂訳ありの物件になってしまうことが多い。

 今回の場合は、そこそこ良い値段をする宿だったというわけだが、一日目の宿泊費は既にサリーが払ってくれていたらしいので、二日目の分を俺が出して、お互いに銅貨7枚ずつを支払うことで落ち着いた。

 銀貨1枚で銅貨20枚分に相当するので、アマブク洞窟の依頼の件で貰った金額に宿代と飯代を差し引いても少しは残っていたが、旅の支度に費やしてしまえば、それもあっという間に無くなってしまう。

 ついでに話せば、俺には縁も所縁もない金貨は1枚で銀貨20枚分に相当し、銅貨に換算すれば実に400枚分になる。

 悪魔のプルも、この辺りの人間社会の通貨事情は知らなかったようなので、旅の最中に話しておいた。

 しかし、銀貨や銅貨を入れている布袋が軽いのに、金の話ばかりすると虚しくなるので、それ以上の話はあまりすることは無かった。

 道中、何度かモンスターにも遭遇し、その度に鎌を振るって退治することがあったが、そのモンスターは素材としては不向きで、主に食材として利用されているモンスターだった。

 金に換えるには、これを死後一日以内に売って適切な処理をしてもらわなければいけない。

 自分で処理ができれば、もう少し持たせることも可能らしいが、そうしなければ、味が不味くなるだけでなく、食中毒を起こす可能性もあるので、とても食べられるものではなくなる。

 まだこれから塔へ向かうというのに、町へ引き返すという選択は考えられず、仕方ないので、二人…いや二人と一匹で腹一杯になるまで食べることでいいにした。

 町を拠点に近場で狩る分には別だが、遠出した際には、こうして腹を十分に満たすことが少なかったので、モンスターであれど貴重な食糧の源となる。

 彼らの肉で食事を済ませれば、その分食事代も浮くという意味では、金になったともいえるだろう。

 そうして、滞りなく塔への道を歩き進めれば、目測通り3日もすれば、聳え立つ白い塔が遠くに見えてきた。

 今回の場合、既に塔の中にモンスターがいるという情報があるため、近くで野営するのは危険だと判断し、やや離れたところに構えて一夜を過ごした。

 明くる日、いよいよ塔が近くなってきて、近づけば近づくほどその大きさに圧倒される。

 上を見上げれば、首が痛くなるほど高く立派なダンベルモ塔は、おそらく石灰を用いて作られたのだろう。

 真っ白な外壁は、窓のように開けられた四角い穴がいくつかあるだけで、のっぺりとした印象を受ける。

 事前に調べた通り、最上階の天辺の部分は外壁がほとんど無く、剥き出しになっていた。

 雷が度々落ちているという話もあり、それを裏付けるように外壁の上部などに黒く焦げたような跡もあれば、雲行きも怪しくなってきて、日も高い昼間なのに影が満ちて辺りはやや薄暗さを増している。

「いよいよか…」

 辺り一帯は静かなはずなのに、妙な胸騒ぎがして心がざわつき、鎌を持つ手にも、思わず力が入る。

「血の臭いがするぜ」

 プルも異変を感じ取ったようで、塔の内部は穏やかではない様子が伝わってくる。

「ふぅ…。よし、行くか」

「うん」

 一度深呼吸して気合を入れ直すと、緊張感の漂う中、一歩一歩大地を踏みしめていく。

 しかし、意外にもそれは俺だけだったらしく、プルはどこか楽し気だし、サリーですらあまり気負った雰囲気ではない。

 今回は、前線で戦うのが俺だけという取り決めがあったからなのかはわからないが、肝の座った女の子である。

 凹凸のない塔の外壁を上っていくわけにもいかないので、正面から入口に乗り込んで塔の内部へ足を踏み入れる。

「うっ…すごい臭いだ」

 先程プルも言っていたが、人間の俺でもわかるほど血の臭いや腐臭が酷い。

「こいつは…」

 開けた造りの塔内へ入った途端に、死体がいくつも転がっているのを発見する。

 臭いの正体はこれか、とすぐに察した。

「まだ新しいな」

 この塔ができたのが、200年ほど前だとすると、その当時に亡くなった者や随分昔に死んだとすれば、既に白骨化していてもおかしくはない。

 しかし、この死体は体温こそ失われていたり、出血した血が固まってはいるものの、皮膚や肉はまだ人間味が残っている。

 ところどころ、モンスターに噛まれて食われている無残な姿は、つい先日の自分のことのようで寒気を覚える。

「死後1週間ってとこか」

「安らかに眠ってください…」

 同じように死体の実状を調べるプルと違って、サリーは杖を両手で掲げるようにして、死者の安寧を祈り弔っていた。

「ついでに、何か目ぼしいものを持ってないか漁ろうぜ」

 悪魔の提案は、いつだって残酷である。

「追い剝ぎみたいで、気が引けるな…」

「なに甘いこと言ってんだ。死んじまった人間が何を持っていても、宝の持ち腐れってな。俺たちで有効活用してやろうぜ」

「……」

 死者への冒涜だといわんばかりのサリーの視線が痛いが、彼女はプルを押しとどめるわけでもなく、何も言わずに見守っていた。

 プルが死体漁りに精を出している間、俺は真っ先に死体に目が行ってしまった塔の内部を改めて見渡した。

 壁や床も石で作られ固められた塔は、一見頑丈そうにも見えるが、そのあちこちに傷や汚れが散乱している。

 おそらく、モンスターとの戦闘による跡だろう。

 幸い、すぐにモンスターが現れたわけではなかったので、今はまだ静かなものだが、依頼の通りなら、この上にまだ燻っているだろう。

 大きな円形をした塔は、その外周に沿って左回りに上がる螺旋階段が作られており、その階段の内回りには手すりとしても使えるように作られた石壁が床まで続いている。

 また、内回りの石壁には、等間隔で丸い柱も上に向かって建てられていた。

 あまり見たことが無い造りだが、200年も昔の建築物なので、芸術性のような見た目の問題だけでなく、強度の問題も関係しているのかもしれない。

 それにしても、やけに天井が高い。

 塔全体の大きさも然ることながら、1階部分だけでも相当なものだ。

 普通の民家の倍近い高さがあろう天井は、冷たく覆われた石壁の圧迫感を和らげている効果もありそうだが、一方で人間はちっぽけな存在だと思い知らされているようだった。

「しけた金だなぁ」

 死体に文句を吐きながら、両手(?)で身の丈ほどある布袋を引きずり、じゃらじゃらと音を鳴らしながら、悪魔が歩み寄ってきた。

 懐や腰回りの装備に隠しているものを探す程度だったようだが、それでもいくつか出てきたらしい。

「ほら、釣りはいらねえよ。とっとけ」

 布袋を受け取り、中を開いてみれば、入っているのは銅貨がほとんどで銀貨は僅かばかりだった。

「大した金額じゃないが、貰っておこう」

 塵も積もれば山となるともいうし。

「なあ、クロ。これは何だ?」

 次に彼が見せてきたのは、変な模様が掛かれたエンブレムだ。

 金銭的な価値はないが、同じ徒党であることを示すための物であり、こういった物を用いる相手は大概決まっている。

「どっかの盗賊団の証だな。このマークは見たことないが、似たようなものはいくつか知ってる」

「ふむ。死後1週間程度の盗賊が転がっていて、金も持ち逃げされていなかった。となると、プルの予想が当たったかもしれないな」

「へへっ。だったら、他の奴らの死体も漁りながら行こうぜ」

「それは、お前に任せるよ」

「いいぜ。正に、悪魔の所業ってな」

 悪魔の提案の元に、死体から戦利品を頂きながら、1階の残りの部分も探索する。

 階段下の壁に覆われていた部分は、全て埋められていたわけではなく、空間が出来ており、そこへ物資を置いて倉庫のように使ったり、寝床のように使っていた形跡があった。

 そして、ようやく上へ続く階段に向かうと、2階へとゆっくり上り始める。

「しかし、よくこんなでかい塔を作ろうと思ったな。おかげで、階段まででかくて長いじゃないか。これ、二人くらい横に寝られるくらいの幅があるんじゃないか?」

「確かに…これがもっと上まであると思うと、ちょっと大変かも」

 そうサリーも同感するほど、大きすぎる階段にケチも付けたくなるというものだ。

 次の階までの高さがある故に、その段数がかなり多いからだ。

「口より足を動かせよ、クロ。まだ先は長いぞ」

 そもそも飛べるうえに、肩に乗っているだけなのだから、こいつにはそれも全く関係ない。

「なら、お前も自分の足で上るか?一応、短くても足があるだろ?」

「いいや、やめとく。頑張れ、クロ!負けるな、クロ!」

 調子のいい無責任な悪魔を相手にするだけ疲れる気がして、もうそれ以上何も言わずにいた。

 カツ、カツ、カツと螺旋状に続く石の階段を踏み歩く音が塔内に響き渡る中、上から物音が聞こえ始める。

「何だ?」

 そう思って、2階へと繋がる階段の先を見上げたのとほぼ同時にその姿を捉えた。

「ワオーン!」

 灰色の体毛に赤い瞳の狼――この特徴からして間違いない。

「まずい!レッドウルフだ!!」

 一頭見れば十頭いると思え、そう伝えられているほど群れで行動する習性が有名なレッドウルフが既に遠吠えをしたということは、近くにいる仲間もすぐに集まってくる筈だ。

「ここじゃ不利だな…。下に逃げるか?――くぅっ!」

 咄嗟の判断をしかねていても、敵は待ってくれない。

 俺と目が合ったレッドウルフが、一番槍に2階から飛び出して勢い良くジャンプすると、吹き抜け部分を通り、ショートカットして襲ってきた。

 なんとか鎌で初撃は防いだものの、すぐ後ろにサリーがいるので、これでは思い切り振るうことができない。

「おいサリー、離れてろ!近くにいたら、あいつが満足に鎌を振るえねぇ!」

「あっ…ゴメン、クロムくん!」

 階段を3,4段ほど降りて下がったサリーとそちらに付いて行ったプルを横目で確認すると、鎌を回転させてレッドウルフの首を切り落とす。

「クロ、次が来るぞ!」

 一匹倒して安堵する暇もなく、今度は二匹横並びで呻きながら階段を駆け下りてくる。

 その怒りの形相と、素早く距離を詰めてくることで、より一層恐怖を煽るが、後ろにサリーもいるので、ここで怯むわけにもいかず、思い切って立ち向かう。

「ぬおぉっ!」

 足にチカラを入れて階段を強く蹴り、高く前方に跳躍する中で、大鎌を振るいながら自身も回転し、渦巻き状に斬り付けて二匹を屠る。

「キャゥ、ヴゥン…」

 俺だって、のうのうとここへ来たわけではない。

 これは、その道中でプルから指南された技、『常闇の螺旋墜落クレーター・ヘリックス』だ。

「いてっ!」

 地面がほとんど平らなところでしか試したことが無かったので、ゴンッと階段に鎌をぶつけて手が痺れるような思いはしたが、どうやら上手くいったようだ。

「ふむふむ。今のは、なかなか良い感じだったな」

 貫禄を見せて、偉そうに感想を述べる悪魔の戯言を聞いている暇はない。

「このまま上へ行くぞ!」

「わかった!」

 今の技によって、もう2階の床が見え始めているほど近くまで来ている。

 ここまで来たら、一気に2階へ駆け上がって、体勢を立て直した方が良いだろうという判断をしたのだが、相手もそれを迎え撃つつもりのようだ。

 上を見上げれば、仲間を殺されて殺気立ったレッドウルフたちが、鬼のような形相でこちらを睨んでいる。

 その中から、また二匹が飛び出してきて、階段の続いた先とは反対側の後ろから奇襲を掛けられる。

 しかし、それも分かっていれば、対処は容易い。

 空を切る様に上へ鎌を振るえば、奴らの攻撃が届く前にその身体を切り裂いて無力化した。

 さらに、そのままの勢いで駆け上がると、入口に押しかけるレッドウルフを一薙ぎで始末し、2階の床を踏みしめる。

「よし、ここなら…」

 左右どころか周りをレッドウルフに囲まれているが、大鎌使いの俺にとっては、このピンチはチャンスに変わる。

「ふんっ!」

 足を開いて、しっかり床を踏みしめ、鎌を握る手にチカラを込めて、一気に振り回す。

 俺の狙いに応えたグリム・リーパーが、その刀身を一時的に大きくして周囲のレッドウルフを一網打尽に切り裂いた。

 これが、リザードマンの群れも一掃した技、死神の舞踏会フル・ブレイクである。

「やったね、クロムくん!」

「だいぶ、鎌の扱いにも慣れてきたみたいだな」

 追いついてきたサリーとプルが駆け寄ってきて、称賛を浴びる。

今ので方が付いたらしく、周囲に他のモンスターの影もないので、一段落ついたようだ。

「思い切り鎌が振るえる広さで良かったよ」

 剣と違って集団戦で威力を発揮する利点がある大鎌だが、狭い場所では扱いにくく、振ることすらままならない場合もあるので、地の利の影響を受けやすい。

 プルからそう聞いて、頭ではわかっていても、こういったものは実際の経験を積まないと本当の意味で理解できないものだ。

「それにしても、レッドウルフまで出てくるとは…以前の俺だったら、その辺に転がっている連中と同じ目に遭っていただろうな」

 レッドウルフが群れでいただけあって、おそらく人の死体であろう骨が、この階にはいくつも散乱していた。

「そうなのか?まあ、だとしたら、俺様と契約したことで強くなったことが分かりやすくていいじゃねえか」

「確かに、悪魔様様だな」

「怪我はしてない?大丈夫?」

「ああ、ちょっと打ち身したくらいで、大したことない」

「そう?一応、回復しておくね」

「ヒール」

 このくらい、いつもだったら薬代をケチって放っておくのだが、サリーは心配して回復魔法を掛けてくれた。

 ちょっとばかり痛かった身体も、おかげで痛みが抜けて動きやすくなった。

「助かるよ、サリー」

「ううん、これくらいお安い御用だよ」

 回復魔法を使える白魔導師が、どこのパーティでも重宝される理由を身をもって実感する。

 しかも、それが男ではなく可愛い女の子であれば、その回復力はさらに上がる気さえする。

「さて、それじゃあ素材も貰っておくか」

 何気にレッドウルフを初めて倒したので、少しテンションが上がっている。

 俺も強くなったら、いつかは…と思っていた相手なので、念願の剥ぎ取りタイムなのだ。

「素材?今度のモンスターの物は、お金になりそうなの?」

 そんなことも知らないのか…と言いたくなったが、彼女は冒険者になってまだ日が浅いのだったということを思い出し、その衝動は抑えて質問に答える。

「レッドウルフの牙は、武器の素材として優れているらしくて、なかなか良い値段が付くそうだぞ」

「そうなんだぁ。初めて知ったよ」

「まあ、俺も初めて狩ったわけだから、実際如何ほどの値段が付くかはお楽しみだな」

「全部はちょっと量が多くて持ちきれないから、ある程度取っておこう」

「うん、そうしよ」

 と、手伝ってくれる意思を見せてくれたのは良いのだが、杖ではどうにもならない。

「ところで、どうやって取るの?」

「剝ぎ取り用の短剣とか持ってないのか?」

「うん…。えへへ」

 本当に冒険者としてはからっきしなようで、新米冒険者の誰でも持っているような必需品すら持っていないという。

 これが男だったら、内心穏やかではいられないだろうが、可愛い女の子の笑顔の前では、怒る気力さえ四散されてしまった。

「それなら、これ使っていいよ。俺は鎌でやるから」

「ゴメンね、ありがと」

 使い込んだ剥ぎ取りナイフを渡すと、そのままやり方をレクチャーする。

「牙って一言でいってもいっぱいあるけど、剥ぎ取るのはこの特に大きな牙2本だけでいいはずだ」

「犬歯って奴だな」

 悪魔の豆知識は放っておいて、説明を続ける。

「ちょっと怖かったり気持ち悪かったりするかもしれないけど、ここの歯の根っこ辺りを削って…根元から引っこ抜く感じ、かな」

 他のモンスターの時と同じような感覚でやってみれば、おおよそ予想通りの感じでできたので、大丈夫だろう。

 それにしても、武器の素材になると言われるだけあって、確かに丈夫な牙だ。

「なるほどぉ…やってみるね」

 普通、慣れた女冒険者でもなければ、おっかなびっくりやることが多いのだが、見かけによらずサリーは大胆に刃を入れ、見よう見まねでレッドウルフの牙を剥ぎ取った。

「できたぁ!どう?こんな感じで良い?」

「あ、ああ…結構筋が良いな」

「スジが、イイ?ほほぉう…」

 いやらしい顔をした悪魔の余計な深読みはともかく、彼女のような可憐な少女が、狼にナイフを突き立てるような絵面を見たくはなかったと思い、教えたことを早くも後悔した。

 一方で、作業効率は明らかに上がり、俺自身も切れ味の良い鎌で切った方が簡単に出来たので、思ったよりも早く事を終えた。

 サリーからナイフを返してもらい、ゴロゴロと布袋が押し広げられるほどいっぱいに膨れ上がった量に満足し、バックパックの中に収めておく。

 本当は、全部取ってしまいたいところではあるが、あまり量が多いと今度は移動に支障をきたすから、欲張りすぎずほどほどにしておくのが無難なところだ。

 それにしても、町に戻って換金した時に、一体いくらになるのか今から楽しみである。

 もちろん、この先にいるであろうヤツを倒して、無事に帰れればの話ではあるが…。

「さて、それじゃあ俺様は死体漁りのお仕事でもすっかな」

 もはや、元の影すら残っていない相手にも容赦のない奴だ。

 2階の構造も1階と同じようなものだったので、どの階も同じ造りになっているのだろう。

 この造りなら、階層を区切る床がなければ、ひたすら螺旋階段が続く吹き抜けになって解放感がすごそうだ。

 しかし、それでは見張り台や拠点として使う分には役不足になってしまうから、こうして階を区切って利便性を上げているのだろう。

 3階に続く階段下の場所を調べてみたものの、1階と同じように使われているばかりで、特に真新しい物も目ぼしい物も見当たらなかった。

 それにしても、200年も前にこれだけの建築物を建てられるとは、すごい技術だ。

 その時代にも魔法は栄えていた筈だが、この建物は魔法的な仕掛けがなく、魔法に頼らずに作られているようだし、反魔法勢力もこの建築技術を参考にしてるかもしれない。

「さっきの狼に肉は食われても、金なら食われないからな。またあったぜ」

 がめつい悪魔から受け取った布袋は、またしても銅貨ばかりだったが、ありがたく頂いておく。

「まーったく、汚いことは全部あたしにやらせるんだから…クロってば、悪い男ね」

「誰の真似だよ、それ。気持ち悪いな」

 どこの女を見て真似したのか知らないが、プルはくねくねしながら妙な声で悪態を吐いた。

 自分でやり出し始めて意気揚々と乗り気だったのに、悪魔というのは気まぐれで、手の平を返すのがあっという間だ。

「あと、嫌ならやめてくれていいぞ。お前の飯代が無くなるだけだから」

「それはらめぇ!…自分、キッチリやらせてもらいます!(キリッ)」

 悪魔も空腹には勝てないらしい。

 魔法も使えず、日頃あまり役に立てないのだから、少しは働いてもらうとしよう。

「ふふっ…変なの」

「やっぱり、クロムくん達といると、楽しいなぁ」

「…?」

「??」

 プルとお互いに顔を見合わせて、この場に似つかわしくないサリーの思わぬ呟きに疑問符を浮かべた。

 人やモンスターの死骸が無数に転がり、まだ上にもモンスターたちがいるであろう状況で、そんなことが言えるのなら、彼女はこの緊張感のある場さえも楽しめるほど余裕があるということだ。

「そ、そうか?」

「うん」

 余程、俺よりも肝が据わっているのか、あるいは場慣れしているのか分からないが、羨ましい限りだ。

 過信や慢心は禁物だが、俺も見習っていくとしよう。

「さあ、この階も調べ終わったみたいだし、上に行ってみようよ」

「そうだな」

 もしかしたら、冒険者となって日が浅い分、こういったダンジョンのような場所の攻略という冒険に胸を躍らせているのかもしれない。

 俺は、意気揚々と3階への階段に足を踏み出す彼女の後に続いた。

 レッドウルフとの戦闘はあったものの、その後少しばかり休む時間もあったので少しはマシだが、やはりこの長い階段は好きになれない。

 とはいえ、先程の二の舞にならないように、彼女の前を進んで上からの警戒を怠るわけにもいかなかった。

 しかし、気を張っている時ほど実際には現れないもので、相手も油断していることを見抜いて奇襲を掛けているのではないかと疑うほどだ。

「何か音が聞こえないか?」

 3階に近づけば近づくほど、その音が顕著に耳まで届いている気がして、サリーにも問いかける。

「…うん。まだ何かいるみたいだね」

 彼女に合図を送ると、なるべく足音を立てないよう静かに階段を上ることに努めた。

 サリーも意図に気付いたようで、息を押し殺して同じようにそっと後を付いてくる。

 次第に3階の床が見えてきても、今回はまだ相手の姿が見えない。

 ならば、今度はこちらから奇襲を掛けてやろうと、こっそり3階に頭だけ出して様子を窺う。

「っ、いたぞ。オーガだ」

 奴らに気付かれないよう、小声でサリーにも伝えた。

 二本の角が生えた人型のモンスター、オーガ。

 その上位変異種のヘビビンガー・マダダス・オーガスがいるというだけあって、他のオーガも率いているのだろう。

 ここから見えるのは、中央のホールで何やら話している様子の二体だけで、周りを警戒している様子もない。

「クロ、チャンスだ。一気に仕留めちまえ」

「ああ、そのつもりだ」

 悪魔に言われずとも、先手を取って攻撃する算段を立てていたので、この好機をみすみす見逃す筈もない。

 サリーには、ここで待っているように指示して、二体の巨体に向かって詰め寄る。

「ゴガぁ?」

「ゴアァッ!」

 彼らが斬り付ける前に気づけたのは、野生の勘か、あるいは殺気に気付いたのか。

 しかし、それはどちらでも問題ない。

 もう鎌の切っ先が届くこの距離まで詰めてしまえば、後の彼らに訪れるのは等しく死である。

「ふっ!」

 図体がでかいばかりで、先程のレッドウルフよりも動きの鈍い相手では、横薙ぎを躱すことができず、ぐしゃぁと身体に切れ込みが入り、やがて真っ二つになって崩れ落ちる。

 オーガの耳障りな悲鳴だけがこだまして、それと共に魂との乖離が果たされた。

「これじゃあ、ただのデカい的だな」

「ああ。さっきのレッドウルフの方が、だいぶ厄介だった」

 あっけなく倒してしまったオーガの前で感想を述べていれば、サリーも階段の方から駆け寄ってくるが、それだけではない音がズシンズシンと響いた。

「グガオォォォオ!」

 階段下の壁に隠れていた場所から、もう一体のオーガが姿を現すと、仲間の死体を見て興奮状態に陥った。

 逆上したオーガが勢い良く襲ってくる――が、レッドウルフと違って連携も取れておらず、力任せの単調な動きは躱すのも容易だった。

 空虚を殴った拳は、そのままの勢いで床を殴りつけ、ミシミシとヒビを入れる。

 まともに食らっては、俺の骨まで砕けてしまいそうだが、当たらなければどうということは無い。

 攻撃直後の隙をついて鎌を振るえば、スパッとオーガの身体を切断してしまう。

「へへっ、楽勝だな」

 プルの目から見ればそう思えるのだろうが、以前の俺ではこうも簡単にはいかなかっただろう。

 悪魔にチカラを与えられ、反応速度や身体能力が向上し、さらに威力・切れ味ともに申し分ない武器があるからこそ成せたことだ。

 並の剣であれば、この筋肉質な身体を真っ二つに切り裂くようなことは到底不可能なはず。

 今まで見られなかった景色を見ているようで、まだ慣れず不思議な感覚はある。

「ここにも死体が転がってるぜ。さぁ、俺様の飯代を寄こしな!」

 もはや、追い剥ぎにでも転職したようなプルは、鼻歌を歌いながらまた人の死体を漁り始めた。

「オーガの素材は取らなくていいの?」

 不審な音も無くなり、傍に寄ってきたサリーは、横たわったオーガの死体を気にしていた。

「そうだなぁ…。オーガの角も売れないことは無いけど、さっきのレッドウルフの牙の方が金になるだろうから、ここで取るよりその分レッドウルフの素材を追加で集めた方が賢いかな」

「そうなんだぁ。そういう優劣も考えた方が良いんだね」

「ああ。オーガの角を使った武器とかで欲しいものがあれば別だけど、サリーの武器は杖だし…オーガの角を使うのは別の用途だから、気にしなくていいんじゃない?」

「うん。クロムくんがそういうなら、そうしようっと」

 勉強熱心で聞き分けが良いのはともかく、落ちこぼれ冒険者だった俺の話をあまり鵜呑みにされても困る節はある。

 真新しくできた血痕がまた塔の中を赤く染め上げてしまったが、やはりこの階でも、それ以前の戦闘の痕跡があって、赤黒く染まった箇所が多く見られる。

 しかし、こんなところをレッドウルフやオーガたちが占拠したところで、餌がいないのだから、すぐにでも出ていきそうなものだとは思っていたのだが、その疑問は少し解消された。

 何故なら、階段下に置かれていた物の大半は食料であり、それを盗賊から奪って無くなるまで食いつくそうという魂胆だったのだろう。

 明らかに人の大きさではない噛み跡が残った食いかけの物まで散乱していたので、まず間違いない。

 近くに森もあるから、そちらまで餌を探しに出向いて、わざわざここを根城にしているのかとも考えていたのだが、それは俊敏なレッドウルフくらいにしかできない芸当だったのかもしれない。

 そう考えると、無理に奴を倒さなくとも、自然と時が経てば、この依頼は完了できるのでは?と思ってしまったが、この悪魔がそうはさせてくれないだろう。

 また僅かばかりの銅貨を拾ってきた悪魔に先を急かされ、次の4階へ足を進める。

 この塔は外観からしてもかなり高かったので、一体何階まであるのかと憂鬱になる。

 それこそ階層を区切る床がなければ、上を見上げてあとどれぐらいかと分かりそうなものだが、無いものをいっても仕方がない。

 さて、無事に4階へ着いたものの、3階と同じようにオーガが居ただけで、さほど変わりは無かった。

 それもまた仲間と同じ結末を辿るように現世に別れを告げてしまえば、残る違いといえば、妙に着飾った死体が一つ際立って転がっていたことくらいだ。

「これ…多分、盗賊団のボスだな」

 明らかに身なりが違うし、胸に付けているエンブレムも装飾が少し豪華になっているようにも見える。

 だが、他の盗賊団の奴らと同じように無残にも息は無く、もうこの世にはいないだろう。

「だとしたら、もっとイイもん持ってるかもしれないぜ?」

 張り切ってガサゴソと漁るプルは、今度はピッザなどの料理の名前をいくつも声に連ねて、奪った金の使い道に想いを馳せているようだった。

 しかし、俺はそれよりも気になることがあった。

 この階層は、やけに風通しが良い。

 随分高い所まで来たから、他に遮るものも無くて風が入りやすいというのは分かるが、どうもそれだけではない気がする。

 階段に沿って上を見上げても、外壁の所々に亀裂が入ってたり、一部は崩れているところすらある。

 そして、真上から感じるこれまでとは全く違った強い気配。

「クロムくん、もしかして…」

「ああ、おそらくこの上が最上階で…あいつがいるんだろう」

 ひしひしと伝わる緊張感が、身体を強張らせる。

「大丈夫。クロムくんなら、きっと倒せるよ。もしもの時の回復は、私に任せて」

 不意にサリーから手を掴まれて、そう励まされた。

 何の根拠もない『大丈夫』という言葉だったが、おかげで不思議と勇気が湧いた。

「ありが…」

「うおぉっ、すげーっ!これ金貨じゃね?きっとそうだ、金貨だっ!!イエーイ!」

 プルの大声の所為で、緊張もへったくれも無くなってしまった。

「ほら、見ろよ。俺様が見つけたんだぜ?しかも、2枚も!」

 堂々と見せびらかすように持ってきた金貨2枚は、紛れもなく本物の様だった。

 あまり見る機会は無いし、手にしたのは初めてだが、間違いないだろう。

「わおっ、お手柄だね。プルズートちゃん」

「おい、女。サリーとかいったな。今の俺様は気分が良いから、そんな畏まらずにもっと砕けた愛称で呼ぶことを許してやるぜ」

「あー、うん。じゃあ、今度からプルちゃんって呼ぶことにするね」

 随分格好つけて渋い声で言ったつもりだろうが、サリーには軽くあしらわれて、金貨への興味に負けてしまっている。

 何とも哀れなやつだ。

「ねぇねぇ、クロムくん。私も触ってみてもいい?」

 金貨をよく見ようとして、それを手に持った俺に横から軽く抱き着いている状態のサリーはそうおねだりしてきた。

「ああ、別にいいよ」

「俺様のだけどな」

「ありがと、二人とも」

 一枚を彼女に手渡してみれば、目を輝かせて眺めていた。

 女は光り物に弱いという話は聞いたことがあるが、サリーもその例に漏れず、興味があるのかもしれない。

「すごーい!金貨なんて、初めて見たぁ」

「これ1枚で銀貨20枚分の価値があるんでしょ?」

「ああ、そうだよ」

「これだけあれば、食いきれないほど飯が食えるぜ。ひゃっほーい!」

「うんうん。いっぱい美味しいもの食べられるね!」

 どうやら、色気よりも食い気らしく、悪魔と並んで何かを想像しては涎を垂らしていた。

「まあ、どう使うかはその人の自由だ。その金貨はそのまま貰っていいよ、サリー」

「え?いいの?」

「いや良くねえよ!その金は俺様のだって言っただろ!」

「ややこしくなるから、お前は黙ってろ。戦利品は山分けするのがパーティの基本だ」

「とはいえ、一緒に旅をするなら、どっちが持っていても大して変わらないと思うけどな」

「わぁい!ありがとう、クロムくん」

 彼女も意外と現金なところがあるようで、すっかり気を良くしたサリーにまた抱きつかれてしまったが、これはこれで悪くない。

「いいって。他にもプルが拾った分の銅貨とか貰っちゃってるから、こっちの方が取り分は多いし。まだレッドウルフの牙の分もあるからさ」

「そう?じゃあ、大事に使うね」

「ああ、そうしてくれれば、俺は特に問題ない」

 これで話が一段落ついたかと思ったのに、悪魔は黙ってはいなかった。

「いや、俺様は文句大ありだぜ」

「お前は飯代が賄えれば、それでいいだろ?他に使い道もないだろうし、これだけあればしばらくは事足りる」

「うるせぇ!俺様にもその分得が無ければ納得できないぜ…そうだ、おっぱい揉ませろ!」

「きゃぁぁ!何するの、プルちゃん!」

 いきなりサリーに飛び掛かったプルは、彼女のローブの中に潜り込んでもぞもぞと動いていた。

「うひょー。気持ちイーイ!」

「やだぁ、くすぐったいよぉっ!クロムくん、取ってぇ!」

 身悶える彼女は自分で悪魔を対処しきれず、助けを求めてローブを上からはだけてしまうと、サリーの美しい胸元が露になった。

「谷間から、こんにちは」

「ぶふぅっ!」

 優雅な貴族みたいな雰囲気を醸し出して、プルが彼女の胸の谷間から顔を出していた。

「お前、よりによってそんなところに…」

「クロムくん、ほら私が抑えている今のうちに引っ張り出してっ!」

 抑えているというよりは、胸に強く挟まれている状態であって、激しく羨ましいのだが…。

「え?手で掴んで、引っこ抜けってこと?」

「そうそう。早く、早くぅ。またプルちゃんが悪さしないうちに…んぅっ!」

 そこで艶めかしい声を上げないでいただきたい。

 同意を得た上だとしても、これから胸の谷間に手を突っ込もうというのに、そんな姿を見せられては、こちらの理性までどうにかなってしまいそうだ。

「よ、よぅし、いくぞっ!」

「らめぇ~、出しちゃらめぇ~」

 最後まで抵抗する声を上げるプルを無視して、なるべく彼女の肌に触れないように、悪魔のその小さな身体を掴んで引き上げることに努める。

「んっ…」

 少しばかり指先が触れてしまったが、すぐに離せばセーフだろうと思い、プルを持ち上げようとした――のだが、反抗する悪魔が思わぬチカラを発揮して、下に勢い良く潜り込んだ所為で、逆にそのまま俺の手を持っていかれる。

 むにゅん。

「んぁっ…」

 最初に感じたのは、その柔らかさだった。

「クロムくぅん…」

 すっぽりと胸の谷間に手を突っ込んでしまう形になってしまい、立つ瀬がないわけだが、助けを求める彼女の声で我に返り、これ以上お互いに醜態を晒すわけにはいかないと思って、ようやく悪魔の手から救い出すことに成功した。

「はぅ…。もう、ビックリしたよぉ…」

 宿では平気で薄着になって肌を晒していた面もあったが、触られるのは慣れていないようだったのが、なぜか少しホッとした。

 もう少し感触を味わいたかった…と惜しいことをした気はするが、彼女の嫌がるようなことをするのは避けたい。

 これで良かったのだ――そう思い直していたところで、悪魔の囁きが聞こえた。

「へへっ、お前も少しはイイ思いが出来ただろ?」

 いつの間にか、手から抜け出て肩に乗ったプルは、いやらしい目つきでニマニマしている。

「まあ…な」

 その答えを聞いて、余計悪魔は調子づいてしまった気がした。

「クロムくん、ありがとね」

 衣服の乱れを直したサリーから、改めてお礼を言われた。

「いや、いいって。こっちこそ、イイ思いを…あ、いや…なんでもない」

「ん、そう?」

 不可抗力とはいえ、胸を触られたことに対して何とも思って無さそうだった。

 それはそれで、男として見られていないような気がして、何か寂しい。

「プルちゃんは、もうあんなことしちゃダメだよ」

「へいへーい。他の女にしまーす」

「もう、それもダメだったらぁ」

 一応、罪を重ねないようにプルへ釘を刺しているようだが、肝心の悪魔はどこ吹く風だ。

 しかし、大事な戦いの前に、俺たちはいったい何をしているのかと冷静になるが、ある意味そのおかげで余計な緊張や不安が吹き飛んで、肩の力を抜いた状態で挑めそうだ。

 気を取り直して、ところどころ亀裂の入った若干危うい階段を上っていくと、徐々に濃い瘴気に当てられ、只者ではない相手が待ち受けているのを肌で感じる。

 階段を上りきった先でまた奇襲を受けないかと警戒をしていたものの、大物らしくそんな小細工は使わないようで、奴は最上階である5階の中心部で堂々と待ち受けていた。

「お待ちかねだな」

 日中も曇っていたせいで気づけなかったが、塔を探索している間にすっかり日が落ちてしまい、月が辺りを照らしているのも気にしている暇がないほど、目の前の巨体から目が離せない。

「クロムくん、明かり付けようか?」

「いや、大丈夫だ。ちゃんと見えてる」

 塔内も決して明るいというほどの明度があったわけではないので、暗がりに目が慣れている状態なのだろう。

 遠目から見ても、返り血で染まったかのような赤黒い大きな巨体や、さっきのオーガよりも立派な角、刺々しい武骨な得物に、背後で蠢く無数の蛇がしっかりと確認できた。

「情報通りみたいだな」

「クロムくん、気を付けてね」

「さあ、クロ!やっちまえ!!」

「ああっ!」

「グゴオォォォォオォ!」

 お互いに敵と認識し、目を逸らさずにいたが、どちらも準備が整ったと分かると、奴は大きな咆哮を上げて接近してくる。

 それを迎え撃とうと、真正面から近づいて、プルとサリーはその場から後方へ下がった。

 大きく振り上げられた刺々しい鉄の得物は、奴の鍛え上げられた筋肉のおかげでそのチカラを増し、交差した大鎌ごと俺を押し潰さんとする勢いだった。

「くぅっ、なんてパワーだ」

 まともに受けては不利と判断し、すぐにチカラを流すようにいなす方針へ切り替える。

 バゴォン!と大きな音を立て、その衝撃で床に亀裂を生み、さらにその破片が舞う。

 最初の一太刀で、単純なチカラの力量差は分かった。

 今の俺では、力押しで勝てる相手ではない。

 しかし、幸いにも奴の動きは見えるし、それに反応するだけの動きも出来ている。

 ビリビリと身体に響く重圧に耐えながら、なんとか活路を見出すしかない。

「これならっ」

 奴が次の攻撃に移る前に、脇腹を狙って飛び込み、鎌を振るう。

「ダメっ!」

 一瞬、サリーの声が聞こえると、横目で鈍器が迫っているのが映り、慌てて鎌で防ぐように防御態勢を取った。

「ぐっ!」

 薙ぎ払った一撃が直撃すること自体は避けられたものの、その勢いで飛ばされて、固い外壁に叩きつけられた。

「ヒール!」

 すぐにサリーが回復魔法を掛けてくれて、九死に一生を得たが、この5階には外壁が無い箇所も多いので、下手をすれば今ので場外に落とされて、そのまま落下死してしまうところだった。

「…思ったより、素早いな」

 少し身体は痛むものの、サリーのおかげで大したことは無く、すぐに次の行動に移れた。

「シューティング・ボルト!」

 5本の指から収束した雷撃を繰り出し、迫り来る巨体目掛けて放った。

 もちろん、相手だってタダでそんな攻撃にむざむざ当たってくれるものではない。

 しかし、雷属性の魔法は、発生も飛ぶ速度も早く、回避しようとした相手を撃ち抜き、痺れさせた。

「グギギィィイィ!!」

 その一瞬の隙に相手へ肉薄すると、横から一薙ぎして斬り付ける。

 グシャっと刃が通った感覚はあるものの、思ったよりも浅い。

 ただのオーガよりも、肉質が固い分、刃が通りづらいのかもしれない。

「シャアアァァッッ!」

「うっ、しまった!」

 巨体と鈍器にばかり目が行っていたが、奴の恐ろしい部分は他にもあるのだ。

 身体よりも早く痺れから解放された無数の蛇が、自分を傷つけた相手を屠ろうと次々に毒を吐き出した。

 ローブで少しは防げたものの、手足にも降り注いだ毒液が煙を出して炎症する。

 一旦距離を取って、体勢を立て直そうとすると、サリーもそのタイミングで解毒魔法を行使する。

「アンチドーテ!」

 事前にプルから思い出したかのように「今のお前の身体は毒に耐性がある」と言われていたものの、それにしたって痛いのには変わりない。

 彼女のおかげで、爛れた皮膚が塞がっていき、痛みも和らいでいく。

「助かる」

 短く呟いた言葉が彼女に届いたかは分からないが、サリーの目は頑張れと訴えかけているように感じた。

「おい、クロ!何やってんだ!さっさとヤっちまえ!」

 一方で、悪魔の野次はよく聞こえた。

 実際対峙して大変なのはこっちなのに、無責任な言い方をされて、少し頭にくる。

 しかし、そんな余所に気を取られてしまえば、相手にとってはこれ以上ないチャンスになってしまう。

「ほら、また来るぞ!」

 そういわれて、ハッと正気に戻ると、またも奴の攻撃が襲い来ていた。

 重い一撃を受けきれず、受け流すのがやっとの思いだが、それでも受ける度に鎌を通して手や腕、それを支える足腰にも響いて、余計動きづらくなる。

 それを知って知らずか、奴は連続で縦へ横へと鈍器を無作為に振り回し、一方的な戦況へと持ち込もうとしていた。

 攻撃は最大の防御とも云われる意味を身を以って知る羽目になるとは、実に屈辱的だ。

 しかし、受け流しながら、反撃の一振りへ転じようとも、クロスカウンターのようにお互いにダメージが入って、身を削ることになってしまう。

「ヒール!ヒール!」

 傷を負う度に、すぐさまサリーが回復魔法を使ってくれるが、それでも何度も痛みを伴うことになるのは変わらない。

 肉体へのダメージを回復してくれても、劣勢になってすり減っていく精神まで回復してくれるほど万能ではないのだ。

「ああ、もう!何手こずってるんだよ!?」

 そんな状況でも、悪魔の煽りが妙にハッキリ聞こえて、怒りのボルテージが上がっていく。

「っ、シューティング・ボルト!!」

 素早く受け流せた時に再び雷撃を叩き込み、反撃が来る前に正面を避けて、横へ飛び込む。

 だが、このままでは、こちらを睨む蛇たちにまた同じ目に遭わされてしまうのは分かっている。

「フレイム・バースト!」

 続けて唱えたのは、火属性の中級魔法。

 初級魔法のショックに続くファイアよりも、火力や爆発力に優れた炎を撃ち出す魔法だ。

 それを奴の尻尾の蛇に向かって放ち、轟々と火を上げる。

「キシャァァァアァァッ!」

 蛇の悲鳴のような声が聞こえて、一瞬怯んだのを確認すると、巨体の胴体部分を再び斬り付ける。

「危ないっ!」

 嫌な予感がして、ふと上に視線が向くと、奴の鈍器が頭上に迫っていた。

 弧を描いていた鎌の軌道を上に逸らして、なんとか鈍器を打ち上げて防いだものの、その重量にまた手が痺れる。

 その隙に、痺れから解放された本体は、裏拳で俺の身体を突き飛ばし、床に叩きつけた。

「ヒール!」

「くそっ…」

 更なる追撃を免れたのは、奴が鈍器を拾いに行ったから助かっただけだ。

―――あの野郎、痺れてた時に自分の得物を投げやがった。

 身体が痺れていても、少しは動けるものだ。

 ただ、それが攻撃するほどの余力があるかといえば、奴ほどのチカラをもってしても難しい。

 しかし、軽々持ち上げられる武器を放るくらいなら、出来たというわけだ。

 シューティング・ボルトも二回目だったことで、雷属性や痺れに耐性ができつつあったことも起因するかもしれない。

 でも、反省会は後だ。

 奴が背中を見せている今をチャンスと見て、急いで立ち上がり、間合いを詰める。

 なるべく音を立てずに走り寄って、大きく鎌を振るう。

 ガキンっ!

 しかし、それも奴の得物に押し止められて、身体を傷つけるまでには至らなかった。

「クロぉ!そろそろ本気出しても良いんだぞ!早くやっちまえ!」

 俺が、いつ本気を隠すほど余裕ができたというのだ。

 悪魔の煽りは、俺を気を逆立てるには十分なもので、それを見透かしたヘビビンガー・マダダス・オーガスのニヤァとした表情が、それを一層引き立てる。

 お互いに得物を引いては打ち直して、再び金属音が響いた。

 この戦いの中で、俺が考え得るこのモンスターを倒す手立てとしては、一人が壁役タンクになって攻撃を凌ぎながら、それを支えるように回復役ヒーラーが遠目で補助する。

 その間に、尻尾の蛇からの攻撃が背後よりは薄い両側面から斬り付けるのが、ベターだと考えた。

 魔法は致命打にはなっていないものの、効果はあるので、遠くから魔法攻撃をするのは勿論有効な手だ。

 しかし、それはあくまで複数人で戦うパーティでの戦術だ。

 現状はそれに程遠く、サリーは回復役として活躍しているが、奴と対峙しているのは俺一人。

 プルは、サリーに攻撃魔法で加勢するように言うことも無く、俺に全てを押し付けている。

「おーい、どうしたー?いつまでも、相手のペースに付き合ってやる必要は無いんだぞ!?」

 そんな俺を煽るような耳障りな悪魔の声も、人の底を見透かした目の前のモンスターも、奴の攻撃から伴う痛みも、全てが不愉快だ。

 こいつを倒す為に、塔内の戦闘では温存していた魔法も決定打にはならず、相手にペースを握られたまま、反撃する隙もほとんどない。

 治してもらった筈の毒を浴びた腕さえ痛み出した気がして、あの忌々しい蛇の頭も、視界に映るたびに苛立ちを募らせた。

「グゴオォォ!」

 もはや、勝ちを確信したような雄叫びを上げて、力一杯鈍器を振り下ろすオーガの上位変異種を一瞥する。

 その人を馬鹿にしたような面が、昔の記憶と重なり、最高に俺を怒らせた。

「うるせえよ、デカブツが…!」

「グォ?」

 すると、辺りの空気が一変した。

 畏怖を覚え、振り下ろしたはずの鈍器があらぬ場所を叩いたこともあり、ヘビビンガー・マダダス・オーガスも首を傾げている。

 さっきまであれほど煩くて、脳裏を騒がせていた声が無くなり、一瞬の静けさが漂った。

「っ…。なに、この感じ?」

 離れたところにいるサリーさえも、その雰囲気にあてられて、身体をゾクゾクと震わせる。

「魔力の淀みが一瞬にして無くなった。あれは…怒ってるのか?それにしては、すごい集中力だ。」

「へへっ、でも、この肌がピリつく感じ…堪んねえぜ」

「でも、あれ…クロムくんなの?目つきも鋭くなって、ちょっと怖いよ」

「怖気づいてるのは、相手も同じみたいだぜ。見ろよ、オーガと対峙してるのに、どっちが鬼だか分からないぜ」

 遠くで、プルとサリーが話しているのは聞こえた。

 しかし、その内容は全く頭に入ってこず、気にもならない。

「グゴォオォォッ!」

 気を入れ直したオーガスは、怖気づいてしまったのが何かの間違いだと払拭するように鈍器を振るっているように見えた。

 だが、わざわざ声を上げて攻撃するのは、タイミングを教えてくれているのかと思える。

 それほど、簡単に攻撃を見切れたのだ。

 鈍器を握る脇腹の方へ地面を強く蹴って躱し、そのまま背後へ回り込む。

「…っ」

 そして、蛇が反応して反撃してくる前に、そのまま無言で鎌を振るう。

 邪魔な無数の蛇が生えている尻尾の根元から切り裂いて、ボトボトとその身体が地面に落ちた。

「グオォオォッォッ!」

 痛覚が繋がっているらしく、尻尾を切り落とされた本体は痛みに苦しみ、無残にも地面に横たわった蛇たちは、その憎しみを晴らすようにチカラなく毒を撒き散らしている。

 死んでもなお毒を吐くというのは本当だったらしく、白い床を毒々しい紫色に変えていった。

「グォオォォォォォオオっ!」

 怒り狂ったオーガスは、正に鬼のような形相で咆哮を上げるが、全く恐怖を感じない。

 むしろ、怒りで攻撃が単調になって、余計動きが読みやすくなった。

 もはや、背後は隙だらけになったので、そこから攻めれば簡単なのだが、それでは俺の気が収まらない。

 自慢の得物で薙ぎ払おうとする相手へこちらも鎌で対抗すると、面白いくらいあっさりと鈍器が上下に真っ二つに断たれる。

「グオォッ!??」

 一瞬何が起きたか分からない様子で狼狽える相手を見逃すほど、俺はお人好しではなかった。

 今度は縦に振り回した鎌が、奴の利き腕を切り落とし、分断されて残った得物すら、地に落としてしまう。

「グギィィ!?」

 慌てて武器を拾い上げようとしたので、二度と持てないように、その逆手をも切り裂いた。

「すごい…」

 先程までとは一変して、あまりにも一方的な戦況を見て、サリーは思わず声を漏らした。

「あれが、クロの本当のチカラなんだろう」

「いつもより、格段にスピードも切れ味も上がってる」

「鬼のように集中した、まるで修羅のような姿。名付けるなら、修羅モードってとこか」

「へへっ、こんなものを隠し持っていたとはな。やるじゃねえか、相棒」

 素質を見抜いていたと豪語する悪魔・プルズートは、ニヤリと笑って決着を見守っていた。

「グオオォォォゥッ!」

 武器を失い、尻尾の蛇の毒攻撃すら失ったオーガスだったが、それでもその立派に生えた角を生かして突き上げてやろうと、身を低くして突撃してきた。

 だが、そんな奴の自由を奪うように、残る二本の短足すら鎌の一振りで簡単に切除されてしまう。

「グゴッ!グゴオォォッ!!」

 手足を切断され、尻尾からも出血しているオーガスは、自分でももう長くは生きられないと悟っているだろう。

 しかし、それでも自分を苦しめた相手に一矢報いて、同じ地獄送りにしてやろうと最後までその憎悪を抱き続けて、腹筋を使い大きく跳躍する。

「グゴァオォォオオォ!」

 残る最後の攻撃手段として、その巨体を生かして押し潰そうというのだろう。

 上を見上げると、その姿が満月に重なったが、それも雲が掛かって覆い隠されていく。

「…ふんっ!」

 上空に向かって撃った『哀れな魂の根絶ウェイニング・スラッシュ』。

 この技が、雲に半分隠れた月と同じように、ヘビビンガー・マダダス・オーガスの身体を真っ二つに切り裂いた。

 大きな音を立てて床に転がった巨大な二つの塊は、うんともすんとも言わなくなった。

 そうして、ようやく奴を倒したのだと確信すると、安堵の息を漏らす。

「ふぅ…」

 大きく息を吐くと、静まり返っていた辺りの静寂も無くなったように感じる。

 しかし、それは悪いものではなかった。

「クロムくん!やったね!」

 駆け寄ってきたサリーは、労う言葉を掛けつつ回復魔法を唱えた。

「俺様は、最初からクロが勝って信じてたからな。全く、ヒヤヒヤさせやがって…でも、見世物としちゃあ上等だ」

「調子のいい奴だな」

 怒りの矛先を向ける相手に全てぶつけたおかげか、あまりプルを怒る気にもならなかった。

 無事にヘビビンガー・マダダス・オーガスを倒せて、ホッとしており、心中は穏やかなものだ。

 まだ少し身体は痛む部分もあるが、サリーに任せれば、大事無いだろう。

「もう、ビックリしちゃったよ。さっきのクロムくん、ちょっと怖かったけど…すっごく強くて恰好良かったよ」

「そうだぜ、クロ。あんな修羅モードなんて隠し玉持ってたのに黙ってるなんて、水臭い奴だなぁ」

 サリーにまで面と向かって褒められると、嬉しいのは間違いないが、あれは隠していたわけではない。

「いやぁ…俺もビックリしたよ。ところで、その修羅モードってなんだ?」

「そうか。この世界の人間には、聞き馴染みのない言葉だったか」

「ああ、初めて聞いた」

「修羅ってのは、阿修羅っていう神のことさ。鬼神とも云われた神でもあって、激しい感情の表れを指すこともあるが、要は人間離れした鬼神のような境地に立ったってことだ」

「あの時のお前は、近寄りがたいほどの気迫を出してて、声を掛けることすら憚られるような状態だった。サリーも、怖かったって言ってただろ?」

 彼女も頷いて同意を示すが、プルにそう説明されても、あまりピンと来なかった。

「なんか、夢中になってたら、急に…キレてるんだけど冷静な状態になったと思ったら、頭の中がクリアになってさ」

「いつもより、頭がよく回ったり、身体がすぐ動いて…まあ、やってることは、単にいつも以上の早さで、一挙手一投足を動かしてただけなんだけど」

「ふぅん…?高速思考とは、またちょっと違うか」

「でも、すごいよ!動きもそうだけど、鎌の切れ味もキレッキレで、スパスパ切ってたもん」

「ああ、確かに。あのトゲトゲまで切断したのは、俺様も驚いたぜ」

「あぁ…あれは、なんか夢中で動いてたら、切れちゃった…って感じだったんだけど」

「でも、すごいのはこいつも同じさ」

 手に持った大鎌を、彼女達へ見せるように掲げる。

「これだけ酷使しても、刃こぼれ一つない。あれだけの衝撃を受け続けたら、折れてもおかしくないのに」

「うん、そういえばそうだね」

 一見、柄も細くてそこまで頑丈な印象は受けないものの、その実、しっかりと俺を支えて助けてくれる強度を併せ持っていた。

「言っただろ?そいつは、死神のチカラが宿った武器だ。そう簡単に壊れたりしねーよ」

 武器というものは、自分と運命を共にする――正に、相棒ともいえる存在だ。

 自分の思いに応えてくれる頼もしい相棒へ、改めて感謝する。

「ふぁぁ…。しっかし、疲れたな」

「もう夜だし、そろそろ休もっか。中のモンスターも退治したし、今夜はここで一泊しても大丈夫だよね?」

「ああ、賛成。でも、下に降りてからの方が良いかも。ちょっと曇ってるから、念の為」

 この疲労状態で雨ざらしになるのは御免だが、かといってテントを張るのも億劫だったので、万が一天気が崩れても、雨風を多少凌げる塔内の方が無難だと判断した。

 それなら、階段さえ下りれば、寝袋を広げるだけで済むので、随分楽なはず。

 とはいえ、腐食こそしていないものの、死肉が転がっているので、ある程度風通しが良くとも、臭いや雰囲気が気にならなければ…という懸念点は付きまとう。

「なあ、クロ。オーガって食えるのか?」

 下に降りようとする前に、大きな肉塊をジッと見つめていたプルは、素朴な疑問をぶつけてきた。

 しかし、冒険者の間だけでなく、一般的にもゴブリンやオーク、オーガ辺りの人型モンスターの肉は、不味いと相場が決まっている。

「お前がゲテモノ好きとは、知らなかったぜ」

「げぇっ…。俺様はゲテモノを食わせるのは好きだが、自分で食おうとは思わん」

 今の一言で察したプルは、新鮮な肉塊に興味を無くし、すぐに後を追うように付いてきた。

 4階に戻ってから、死体の少ない場所を探し、階段下のスペースを確保した。

 天井こそあまり高くないものの、飯を食って寝るだけなら、十分に事足りる。

 そこは、盗賊団が保管していた食糧の備蓄もあり、残念ながらオーガが食い荒らしてほとんど残っていなかったものの、手付かずだった物の中から少し拝借して、果物を頂いたりした。

 疲れた身体は腹も満たすと、余計に眠気が強くなり、その日はすぐに眠りについた。



 明くる日、外壁をくり抜かれただけの窓から差し込む朝日に照らされて起床した。

「ふぁぁ…。よく寝た」

 もう塔内は安全だろうと高を括って、昨日は見張りを無くしていたが、やはり特に問題はなかったようだ。

 サリーも気を遣ってくれたこともあり、自分の寝袋でさっさと寝てしまったので分からなかったが、隣で彼女もスヤスヤと眠っている。

 ハダルの町を出る前、サリー用の寝袋も買うように指摘したのは正解だったな。

 単に交代で見張りをする時は一つあれば十分と言えなくもないが、相手は女の子だし、男と共有するのは不快に思う部分もあるだろうと思って勧めたのだが、こうして旅先でも二人で並んで寝ることまで、あまり深く考えていなかった。

 とはいえ、固い床の上で寝るのは、宿のベッドで寝るのとはまた違う。

 身体は休まっても、別の所が痛むことすらあり得る。

 今回の依頼は十分果たしたので、さっさと町へ帰ってゆっくり休みたいものだ。

 その後、遅れて起きたサリーとプルと一緒に朝食を食べてから、再び最上階へ上がった。

「なあ、こいつの角っていくらぐらいするんだろうな?」

 昨日、素材の剥ぎ取りまで済ませていなかったので、今日改めてヘビビンガー・マダダス・オーガスだったものから、角を切り落としている際に、悪魔はそう呟いた。

「さぁな。とりあえず、値打ち物らしいってことしか知らないから。相場は分からん」

「帰ってからのお楽しみか~。うーん、焦らすねぇ」

 悪魔というのは強欲なもので、際限なく金品を欲しがるようだ。

 まあ、確かに金はいくらあっても困らないので、高値で売れてくれるに越したことは無い。

「他の部位は、取らなくていいの?」

「うーん…そうだなぁ」

 サリーがそのような疑問を持つのは、もっともだ。

 この巨体や強さに対して、売れる部分がこれだけでは割に合わないと思うことだろう。

 しかし、どんな相手であれ、利用価値が判明していなければ、ただのゴミ屑とそう変わらないのだ。

「まあ、売れるのがどこか分からないからといって、これだけの大きな身体を持っていくのは難しいし…持っていた得物も、壊してしまったからな」

「鉄なら、溶かして再利用することもできるだろうぜ」

「だから、誰が持っていくんだよ」

 試しに、半分に折れた刺々しい棍棒を持とうとしても、あまりの重さに持ち上がりもしない。

「じゃあ、ダメか」

 残念そうに項垂れる悪魔だったが、俺の中には彼女が疑問に思ったおかげで、一つ思い当たることがあった。

「こっちは、どうかな?」

 尻尾から切り落とされた無数の蛇が横たわっている毒々しい場所に近づく。

「これ?」

 サリーは疑問に思っているようだが、プルは合点がいったらしい。

「そういえば、アングラに行ったときに、毒薬を売っている店があったな」

「その通り。あそこに売れれば…と思ったんだが、これは難しいかな」

 一夜明けても、まだ毒を撒き散らし続けている蛇の生命力には恐れ入る。

「この蛇自体を捕まえて、持ってくの?」

「いや、毒を持つ生態のモンスターは、体内に毒を貯蔵しておく毒袋って物があるらしい。だから、それだけを持っていければ良いんだが…」

「この変異種の身体じゃ、どこに毒袋があるのか見当がつかないな」

 全くプルの言う通りで、手を拱いている状態だ。

「試しに、そこの蛇一匹掻っ捌いてみたらどうだ?」

「…耐性があるとはいえ、毒を浴びるのは痛いんだぞ。それで、毒袋も見つからないようだったら、目も当てられない」

「うーん。私も、あんまり賛成できないかな」

 自身の解毒魔法があるとしても、彼女もあまりいい顔はしていなかった。

「はぁあ…。だったら、安全第一の保全策で、利益を逃して諦めるしかねーな」

 目の前の利益をみすみす逃すのが納得できない、といった様子が見てとれる。

「だったら、ナイフを貸してやるから、お前がやってくれても良いんだぞ。できれば、運ぶのもな」

「げぇ……分かったよ。もう文句は言わねぇ、好きにしな」

 物凄く怪訝な顔をして、自分の手を汚すのが嫌な辺りが、また人が悪い悪魔らしく思えた。

「それじゃあ、採取はこんなところだな。まあ、心配しなくてもレッドウルフの牙もあるし、だいぶ稼げたはずだ」

「うんうん。そうと決まれば、早く帰ろっ」

「ああ、そうしよう」

 この場でやるべきことを全て終え、階段を下り始めたのだが、サリーが付いてくる様子が無い。

「どうした、忘れものか?」

「ううん。そうじゃなくて、1階までまた階段で降りるの大変でしょ?」

「ああ、まあそれはそうだが…」

 塔内の行き来は階段を上り下りするしか無いのだから、仕方ないだろうと思っていた。

「だから、ここから一っ飛びしようよ」

「え?」

 なので、いきなりそんなとんでもない話を持ち掛けられて、何を言っているのか一瞬理解できなかった。

「心中ってヤツか。クロ…短い間だったが、世話になったな」

「違う違う!プルちゃんも、誤解を招くようなこと言わないで」

「ちょっとボケてみただけじゃねえかよぉ」

 そもそも、あの悪魔は今コウモリの姿に身をやつしているのだから、自身で飛ぶこともできるので、この高さから降りても平気だろうが、羽の無い人間はそうはいかない。

「私、風属性の魔法も使えるから、着地のタイミングで風を起こせば、怪我もせずに地上まですぐに降りられるよ」

「へ、へぇ…そいつは、すごいな」

 自分でコントロールできる分にはまだ良いだろうが、こちらとしては全てを委ねて身を預けることになるので、不安でいっぱいだ。

 ここで、サリーが金に目がくらんで、俺を殺して独り占めしようという魂胆だったら恐ろしいが、さすがにそれは無いだろう。

 しかし、そうでなくても、この地上十数メートルの高さから真っ逆さまに落ちようとは、自殺志願者くらいしか思わないだろうし、そんな度胸は持ち合わせていない。

「クロムくん、怖いなら私が手を握っててあげるから、一緒に行こっ?」

「い、いや、サリー?それは嬉しいけど、それとこれとは話が違うっていうか…」

 手汗がいっぱいで、彼女に握られた手すら、簡単に滑ってしまいそうだった。

「仕方ねえ奴だなぁ。俺様が、もう片方の手を握っててやるよ」

 そういうことじゃねえ――と激しく思う傍らで、空いていた手の中に悪魔が入り込んで来た。

「それじゃあ、クロムくん。準備は良い?」

「いやいや、よくないよくない!」

 今ばかりは、サリーのその屈託のない笑顔が怖い。

 下を見れば、随分遠くに地表が見えて恐怖を感じると、身体がすくんでろくに動けなくなってしまう。

「清水の舞台から飛び降りるって奴だな」

「な、何それ?」

「行くよー。そーれっ!」

「のわっ!?」

 何の臆面も無しに大空へと飛び出した彼女に引っ張られ、身体を支える物の無い虚空へ放り出されてしまった。

「っっっっ!!!」

 宙を浮いた感覚を覚え、前代未聞の垂直落下によるあまりの恐怖に思わずチカラが入る。

「いででででっ!潰れる!潰れるぅぅ!!」

 手をギュウッと固く握ってしまったことで、隣のサリーは安心させるように握り返して微笑んでいるが、全く落ち着かない。

 プルの方は、何か叫んでいるようだが、風を切る音が凄くて全然聞こえなかった。

「だいじょーぶー?」

「えぇ?なんだって?」

「あははー。気持ち良いねー」

 読唇術が使えるわけでもないので、サリーが何か喋っていても、同じく伝わらず、全く会話になっていなかっただろう。

 そうこうしているうちに、地面が近づいてくるのが目で分かると、そのまま墜落してしまうことが過ぎって、思わず目を瞑ってしまった。

「アップドラフト」

 一瞬のことで、もう何が起こっていたのか分からなかったが、ふわりと身体が下から浮き上がって、それに驚いて恐る恐る目を開くと緩やかに着地した。

「大丈夫だった、クロムくん?」

「あぁ…なんとか」

 なんてことないようにあっけらかんとした彼女は、こういうことに慣れているのだろうか。

「ん?これは…」

 空から白い羽が、いくつか舞っていた。

 日の光に照らされたその羽は、どこか幻想的で美しく思えて、徐に手を伸ばしてしまった。

「綺麗な羽だ」

 しかし、空を見上げても、鳥のような動物やモンスターの姿は無い。

 不思議に思いつつも、その羽からはそう悪いものではない印象を受けた。

「ふふっ…。あれ?そういえば、プルちゃんは?」

 どこか嬉しそうに微笑んでいるサリーが、もう一人の存在が見当たらないことに気が付いた。

「あれ、ホントだ。さっきまでこっちの手で…あっ」

 そういえば、さっき浮き上がった際にチカラがフッと抜けてしまったような気もする。

 おそらく、そのせいだろうが、勢いそのままに地面へ叩きつけられた小さな痕跡があった。

 そこへ手を伸ばすと、やはりというか何というか、見慣れたコウモリの姿が埋まっていたので、引きずり出してやった。

「お・ま・えぇ~」

「ぷふっ」

 怒りを露わにするプルズートだったが、サリーは笑いをこらえきれなかったようだ。

「ゴラァ!お前も笑ってんじゃねぇ!こっちは顔面ダイブで、せっかくのイケメンがぺしゃんこになるところだったんだぞ!!」

「元から、わりとのっぺりした顔立ちじゃなかったか?」

「うるへぇ!」

「あはははは」

 顔が変形するような災難を被ったプルはともかく、サリーは終始楽しそうに笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ