③ ハダルの町にて
数日掛けてようやく目的地であるハダルの町へ辿り着いた。
以前、拠点にしていたアリオトの町とは少し毛色が違っていて、なかなか賑わいを見せている町だ。
こちらにも石造りの建物はあるが、レンガ造りの赤が目立つ建物も多くて、町並みが明るく小洒落ている。
人通りもそこそこあるし、露店や出店も立ち並んで活気がある印象を受ける。
「じゃあ、私はギルドに報告へ行ってくるね」
「ああ、頼んだ」
「はーい、行ってきまーす」
同じバラマンディ王国のギルドだし、アリオトとこちらで同じ依頼が出ていたのだろう。
本来なら、アリオトまで出向けば、そちらでも報酬が貰えて、お互いに報酬を得られたかもしれないと思うと少し損した気分になるが、悔やんでいても仕方ない。
彼女を見送ってから、俺たちはどこへ向かおうかと考えながら町を散策していた。
鎌も指輪にしているし、プルも荷物に紛れ込ませているから、特に変な目で見られている様子は無さそうだった。
とりあえず、知り合いに見つかると面倒になりそうな気がしたので、サリーが身に付けているような丈の長いローブを買い、身を隠した。
彼女の物のように綺麗な白い色ではなく、黒茶色の地味な物だが、これで十分だろう。
「なあクロ、確かこの町ならアングラがあるって聞いた覚えがあるぜ」
あちこち回りながら、バックパックの隙間から辺りをキョロキョロ見回していた悪魔は、唐突にそんな話を持ち掛けた。
「アングラ?アンゴラ?…それって何だ?」
「アンダーグラウンド、通称アングラ。地下にある施設で、後ろ暗い連中の集まるところさ」
「そこには地上の店では売ってないような品まで扱ってる闇市や訳ありの女が働く娼館、それに闇ギルドっていわれてる裏社会のギルドがあるらしいぜ」
「表のギルドに顔が出しづらいなら、そっちへ行ってみるのはどうだ?」
「へえ、そんなものがあるのか」
この町の様子からは、とてもそんな闇深いイメージを抱かなかったが、見えているものが全てではないということだろう。
それにしても、何故そんなことをこいつが知っているのか一瞬疑問に思ったが、蛇の道は蛇というし、こいつだからこそ掴めた情報もあるのだろうと一人で勝手に納得した。
「さっきからガラの悪い連中が出入りしている位置を大体覚えてたから、見当はついたぜ」
「お前、何気に凄い奴だよな」
「へへん、もっと褒めてくれたっていいんだぜ、相棒」
もしその当てが間違っていたら、調子づいたその鼻っ面をへし折ってやろうかと思っていたのだが、存外合っていたようで、その機会は逃してしまった。
裏路地を入って、人気のない建物が並ぶ中、一つのボロ家に裏口から入ると、場違いな衛兵が一人立っていた。
「何してんだ?用が無いなら帰れ!」
やけに当たりの強い衛兵に驚いたものの、プルの耳打ちに後押しされて反論する。
「用があるから、わざわざこんなとこまで来たんだろうが。さっさと通せ」
やや強めに言い聞かせると、男はニヤリとほくそ笑んで道を譲った。
「なんだよ、『モール』なら最初から言えよな」
通された部屋には、地下へと続く階段があり、プルのいう地下施設へと繋がっているようだった。
コツコツと石の階段を下りながら、徐々に人の気配や物音、訝しげな匂いまで漂ってきて、いよいよ裏社会へと踏み込むのだと覚悟を迫られた。
「そういえば、さっきの奴が言ってたモールってのは何だと思う?」
「んん?おそらく、俗称だろう。この施設を使う奴らの」
「地下にある施設を根城にしてるから、モール…つまりモグラのことと引っ掛けてるんだろ」
「ああ、なるほどね」
「こういう裏社会や暗部では、俗称や隠語で表からは分からないようにしているなんて、よくあることだ」
階段を下った先にある質素な扉を開けると、外の晴れ晴れしい様子とは打って変わって、薄暗い広間に出た。
そこは思ったよりも広く造られているものの、天井があまり高くないため圧迫感がある。
それに、室内を照らす明かりも、彩り鮮やか過ぎる面妖な光を放ち、ともすれば雰囲気に酔ってしまいそうな全く違う世界を作っていた。
「あんまりキョロキョロするなよ、怪しまれる」
「わかってる」
慣れない雰囲気に内心恐る恐る足を踏み出し、されどもそれを気取られぬよう堂々とした振る舞いを意識しながら、闇ギルドとやらを探す。
紫色の毒々しい色彩を放ち、煙まで立ち込めている薬屋は、明らかに治療目的ではない薬を売っていそうだ。
奥では、昼間から腹のデカい中年の男が、やたら露出の高い女を侍らせて酒をかっ食らっている姿も見られる。
良いご身分だと思う傍ら、男である俺もつい目を奪われてしまいそうになる。
まさか、広間の片隅で営業している娼館といえど、こんな開けたところで本番までおっぱじめたりしないだろうなと、内心期待と興奮が入り混じり、気になって仕方ないが、目的を思い出してさらに彷徨う。
「あれか」
一応ギルドと銘打っている以上、分かりやすい特徴があって助かった。
表のギルドと同じように壁へ依頼の紙を張り付けているので、すぐに察することができた。
しかし、近づいてよくよく見れば、表との細かい差が分かる。
用紙自体も粗悪な物で乱雑に張り付けられているし、依頼主はどれもこれも匿名ばかり。
肝心な内容については、似たようなものから見たことのない過激なものまで様々だ。
要人の暗殺、浮気をした元恋人とその相手への復讐、毒物であるはずの素材の採取など、目を疑うものばかりが並んでおり、何から手を付けていいものかと二の足を踏む。
「えっと、なになに…ダンベルモ塔におけるモンスターの殲滅と、ヘビビンガー・マダダス・オーガスの討伐!?」
思わず声が大きくなってしまいそうなところを寸前で堪えて、周囲の様子を窺う。
しかし、俺の心配は杞憂に終わり、誰も気にした様子は無かった。
「クロ。なんだよ、その絶妙にクソダサいふざけた名前の奴は。あと、塔の名前も」
しかも、プルにすらこの驚きが通じておらず、一人だけ浮いた悲しい現状にある。
「え?知らないのか?俺もダンベルモ塔については知らないけど、ヘビビンガー・マダダス・オーガスは、冒険者の間では比較的珍しい上に、厄介なモンスターとして結構有名なオーガの上位変異種なんだけど?」
「ほーん、そうなのか。初めて聞いたぞ。どんな奴なんだ?」
その凶悪さがプルには分かっていないようなので、自分でも直接目にしたことはないが、以前から聞いていた情報を元に、全く知らない相手へ事細かに説明する。
「まず、その身体は2メートルを超える大きな身長と筋肉質な体型をしてる」
「頭には二本の立派な角もあるが、注意すべきは鋭いトゲが無数についた鋼鉄の鈍器と、尻尾が複数の蛇になっていて、その口からも毒液が放たれることだ」
「ただでさえ、正面から挑めば馬鹿力と鋭利な鈍器で圧倒されてしまうのに、背面にも目があるようなものだから、攻撃する隙も無いってわけだ」
「あーはいはい。つまり、凶悪な鈍器を持った二足歩行のキマイラみたいなもんか」
彼の中では、おおよそ見当がついたらしい。
別の世界を渡り歩いたという彼からすれば、似たようなモンスターが当てはまったのだろう。
「んで?結構強いんだよな?」
「ああ、目安にされるランクで見ても、単体討伐で上から三つ目のプラチナ。この依頼はさらに他のモンスターの討伐まで含めてるせいか、さらに上のダイヤ扱いだ」
「それ、受けれる?」
「ん?ああ、まあ目安であって、パーティ単位でいうと構成によっては、もっと楽に対処できたりするから、表のギルドと一緒なら受けるランクに制限はないはずだけど…」
「じゃあ、それにしようぜ。分かりやすく強敵と戦えるなら、それでいいだろ。報酬もそこそこおいしそうだし」
冗談や俺の聞き間違いであってくれと切に願ったが、悪魔は本気で言っているようだ。
「お前…簡単に言うけど、この間まで俺が受けてたのは精々ブロンズのもの…つまり下から数えて二つ目の難易度だったんだぞ」
冒険者の依頼の中には、主に討伐系の任務において、対象のモンスターによってランク付けされており、自身の身の丈にあった相手を無理なく選べるように配慮されている。
一番上がオリハルコン、続いてダイヤモンド、プラチナ、ゴールド、シルバー、ブロンズ、アイアンと鉱石の希少価値に例えた区分をされ、全部で7段階に分かれている。
先日のアマブク洞窟の探索任務もシルバーあるいはゴールド相当のランクだとされていた。
実際、リザードマンはシルバーランクに該当するモンスターで、その群れともなれば、ゴールドランク扱いにもなる可能性は高い。
「でも、今のお前はこれまでのお前とは違う。それは、この間の戦闘でも分かっただろ?」
「まあ、それは確かに」
「大丈夫だって。即死でもなきゃ、サリーの奴がきっと回復魔法で治してくれっからよ」
困った時の人頼み――どころか、最初から他人を当てにしている悪魔の考え方は、受け入れがたいものがあった。
しかし、実際今の自分がどれほどの強さであるのかを知りたい気持ちもあり、やはり試してみたい気持ちはある。
リザードマンとの再戦が、意外なほど肩透かしで終わってしまったのも、その一因だった。
「サリーまで危ない目に遭わせるのは、本意ではないが…」
「ノンノン、戦うのはお前だけだから」
「え?」
冷たく言葉を吐き捨てた悪魔の一言は、随分と胸に刺さった。
「そりゃそうだろ。お前の腕試しを兼ねた、実戦での戦闘訓練みたいなもんなんだから。あいつは、あくまで補助だ」
「…悪魔ってのは、いや、悪魔だからなのか。意外とスパルタだな」
「何言ってんだよ。お前が勝つって信じてるからこそ言える、信頼故のものだろ」
やはり意外といいところがあるなと思ってしまったのは、俺の考えが甘いのだろうか。
「決まったなら、さっさと受けて来いよ。そろそろ、向こうも用が済んだ頃だろうし」
「そうだな。受付に行ってくる」
張り紙をむしり取って、掲示板の横のカウンターにいる受付嬢らしき女性に声を掛けた。
「これ、受けたいんですけど…」
「ふーん、はいよ」
闇ギルドといわれる裏社会の場所だけあって、受付嬢も愛想のいい女性というはずもなく、なんというか…言葉を選んでいえば、ワイルドな人だった。
露出がまずまず高く、わざと破いたような薄着の布から見える褐色の肌、ボディラインからしてスタイルは悪くないが、如何にも男慣れした尻の軽そうな女で、妙に化粧も濃いし間違っても好みではない。
態度も素っ気なく、やる気を一切感じさせない素振りだし、仕方なくこの仕事をやっているというのが、口に出さずとも雰囲気から伝わってくる。
「アンタ、見ない顔だね。名前は?」
「えっと、クロです」
なんとなくこういう場で本名を赤裸々に明かすのは不味い気がして、中らずとも遠からずという範疇の名前を伝えた。
「ふーん、クロね。…ん、手続きは終わったよ。今度は全部用が済んだら、また来な」
「え?ああ、はい」
どうやら、依頼を受けた人物の名前を把握しておく必要があったので、名前を聞かれただけらしい。
彼女自身が俺に興味があるとか、そういう浮いた話では決してなかったようだ。
「あ、そうだ。この依頼のダンベルモ塔って、どの辺にあるか分かります?」
「ふーん。アタシはもちろん知ってるけど、教えるにはその分情報料を貰うことになるよ」
世の中、金さえあれば何とでもなるというのは、あながち間違いではなかったらしい。
思いっ切り足元を見られて、こんなことにまで情報料が付きまとうとは、文無しの現状では世知辛い世の中に悔いるしかない。
「あー、じゃあいいです」
「そう。気が変わったら、また来なよ」
素っ気なく見送ってくれた彼女は、意外と気前が良いのか、商魂が逞しいのか分からない。
俺たちは元来た道を辿って、アングラの世界から地上へ戻ることにした。
「まあ、その辺の奴に聞けば、ある程度分かるだろうし、どっかで調べられれば、より正確な情報も入ってくるだろ」
俺の判断にケチを付けるわけでもなく、プルは楽観的に考えていたが、実際俺も同じ考えを抱いていた。
「その手間を惜しむなら、情報を金で買えってことだな」
「その情報も、あんなところで手に入れたもんじゃ、噓かホントか分からんけどな」
「確かに、それもそうだ」
「でも、逆にああいう裏社会に通じる場所じゃないと、入ってこない情報も埋もれてそうだ」
「あー、なるほど。ありえるな」
「何にせよ、今はサリーのヤツと合流を急ごうぜ。早くしないと、待ちくたびれて文句を言われかねないからな」
「サリーは、そんなことを言うタイプではないと思うけどな…」
妙な心配をしている悪魔はともかく、女の子をあまり待たせるものでもないと思って、事前に決めていた合流先へ向かう。
その途中、ふと気になったことを思い出した。
衛兵というのは、普通街の警備を請け負う者達で、モンスターが入ってこないように街の出入り口を固めていることが主な仕事のはずだ。
冒険者とは違って、国に正規で雇われている身であり、その収入もなかなかのものだと聞くが、あの場所にいるのは少々不自然に思えた。
「なあ、どうしてアングラの入口に、衛兵なんてものがいたと思う?」
「それを俺様に聞いたところで答えは出ねえけどよぉ、ある程度の予想は付くぜ」
不毛な質問だと言いたげな悪魔は、それでも話には乗ってくれた。
「ああ、それでいいから教えてくれ」
「一つは、街の子供や俺様たちのような流れ者が、迂闊に入ってこれないようにするため」
「それは俺も思った」
「その場合、国があの施設ごと管理しているということになる。つまり、アングラの裏社会を国が容認しているってことだ」
「ふむ…俄かには信じがたいな」
「もう一つ考えられるのは、あの衛兵が偽物だということ。これは、国から認められていないが故に、衛兵を盾にしてアングラの存在自体を隠そうという魂胆だな」
「なるほど」
まだどちらの推測が正しいのか結論は出せないものの、違和感の正体は見え始めた。
「そんなことを知って、どうするつもりだ?」
「いや…特にどうってことじゃないけど、不思議に思っただけだ。それと、案外国そのものが短絡的に信じていい訳では無さそうに思えてさ」
「俺様が言えた立場でもないが、人を疑うことを覚えるのは大事なことだぞ。他人が何を考えているかなんて、一生かけても分かるものじゃない」
「確かに。でもそれを悪魔に言われるのは、おかしな話だな」
一番胡散臭い存在に言われているのだから、自ら信憑性を下げているようなものだ。
「だからそう言っただろ。ほら、そこを曲がれば、待ち合わせ場所だ」
この悪魔は、変に人間味がある気がするのだが、他の悪魔もこういうものなのだろうか。
だとすれば、案外悪魔とも仲良くやっていけそうに思えてしまう。
「あ、いた。――けど、あまり良い状況では無さそうだ」
白いローブにピンク色の美しく長い髪は、人が行き交う町の中でもわりと目立つので、すぐ目についたのだが、質の悪い輩に取り囲まれているようだった。
「キミ、かわいいねぇ。冒険者でしょ?俺らもそうなんだよ。良かったら、一緒に行かない?」
「そうそう。依頼も手伝ってあげるし、取り分もそっちに多めに渡しても良いしさ」
思い思いに話しかける連中は、下心が見え透いていて、今にも彼女の身体に触れそうなまでに、にじり寄っていた。
「あのぉ…だから、さっきから言ってる通り、もう一緒に組んでる人がいるから」
珍しく笑顔に陰りが見えて、困っている様子がまざまざと伝わってくる。
さすがにこの手の輩には、彼女も対処が難しく、参っているようだった。
彼女の可愛らしい容姿や雰囲気を考慮すれば、彼らの気持ちも分からなくはないが、見ていて気分が悪い。
「サリー、待たせたな」
「あっ、クロムくん!遅いよぉ」
「悪い悪い。ちょっとあちこち回っててな」
普段なら、こういう面倒に巻き込まれるようなことはしないのだが、思い切って彼らの中を割って入り、彼女の元へ駆けつけた。
「誰だ、こいつ?」
彼らからすれば、いいところで邪魔が入ったので男達からは睨まれ、サリーからは救いを求めるように袖を掴まれる。
おそらく、余程怖かったのだろうが、その行為は火に油を注ぐ危険なものだ。
思った通り、奴らの視線が余計鋭くなって、俺という邪魔者を訝しんでいた。
「それで、こいつらはサリーの知り合いって訳じゃないんだよな?」
「うん。多分、今日初めて会った人たちだよ」
「そうか。なら、さっさと行こう。色々話したいこともあるしさ」
「あ、うん…」
彼女の手を引いて、そそくさとその場から逃げるように立ち去る。
「…ふふっ」
思わず触ってしまった手を握り返す彼女の手は、しなやかで温かいものだった。
横目で彼らの様子を窺っていたが、何か言いたげな表情のまま睨む程度で済んでいるらしく、後をつけられたり呼び止められることも無かった。
「ここまでくれば、もう大丈夫だろう」
念の為、彼女を連れ回しながら少し歩いたが、追ってきている様子も無い。
日も傾いてきて茜色に染まる世界の中、サリーの頬も赤らんでいるように見えた。
「ありがとね、クロムくん。私、ああいうの断るのは、いつも大変で…」
さっきのように声を掛けられるのは、これが初めてのことではないようだ。
しかし、それはある種当然のように思えた。
可愛いが故の苦労、というヤツだろう。
「大人しく引き下がってくれたから、まだ良かったよ。街中で鎌を振り回すわけにもいかないからな」
「あ、そっか。そうだよね。…じゃあ、もし向こうが喧嘩腰だったら、どうするつもりだったの?」
「いや…それが、特に考えてはいなかったんだよな。自然と身体が動いたっていうか」
「そうなの?ふふっ、でも嬉しい。助けてくれてありがとう」
「いいって、そんな気にしなくて」
改めて女の子にお礼を言われると、こそばゆくて身体がどうにかなってしまいそうだ。
「それより、そろそろ今日の宿を決めといた方がいいから、探しに行かないと」
「あ、それなら、さっきギルドに行ったついでに、お部屋取ってきたよ」
耐え難くなって話題を逸らしたら、意外な話が返ってきた。
「え?そうなの?」
「うん。この間来た時に使ったところなんだけど、大丈夫だったかな?」
「ああ、全然。お墨付きなら、尚更安心できるし」
「えへへ、良かった。そう言ってくれて」
意外とちゃっかりしているらしい彼女のおかげで、手間が一つ省けたというものだ。
一人旅だと、何から何まで全部一人でする必要があるので、こういう時旅の仲間という存在の有難みがよく分かる。
「だとすると、新しく受けた依頼の件で調べ物はあるんだけど、それは明日にするとして…」
「今日は、もう風呂に浸かって、飯を食って寝るだけだな」
「飯と風呂、どっちが先が良い?」
ご飯を食べる前に風呂に入りたいタイプと、できるだけ寝る前に風呂へ入りたいタイプの大きく分けて二種類がいるらしいので、彼女はどちらか聞いておいた方が良いと判断した。
「うーん、お風呂かな?」
「俺もだ。なら、風呂屋を探そう」
「あ、それなら知ってるよ。案内するね」
今度は、彼女に手を引かれ、町にある唯一の公衆浴場に連れて行かれる。
他人からみれば、先程の一部始終を含めて、二人の関係がどう映っていたのだろうかと、少し気になるところだった。
「混浴がよかったでござる……」
心底、残念そうにため息を吐いた悪魔は、そう言って小さく呟いた。
「普通、どこの街の風呂屋でも男女別の風呂だと聞いたことがあるぞ。一部の田舎だったり、旅先の道すがらにある温泉でもなければな」
「なら、せめて俺様だけでも女湯に行かせろよぉ!」
「いや、無理だろ。サリーにも即拒否されたし。得体のしれないコウモリがいたら、誰だって嫌な思いをする」
「ぐぬぬ…くそぅ」
欲望丸出しの悪魔らしく、女の裸が見れなかったことを本気で悔いているようだ。
「ねぇ。男の人って、そんなに女の人の裸を見たいものなの?」
飲食店の立ち並ぶ通りへ向かっている途中、サリーはふとそんな疑問を投げかけた。
そして、それは悪魔の琴線に触れたようで、凄い形相で熱弁を始める。
「ああそうさ。男ってのは、皆狼だからな。女の裸が見たいかどうかでいえば、皆一様にイエスと答えるだろう。口では言えなくても、内心は皆そう思ってるもんさ」
「何故かって、そんなものは考えるまでもない。ヤ……」
「クロムくんも、そうなの?」
彼女は悪魔の熱弁を聞いているのかと思えば、もう興味を失ったらしい。
既にプルが子供には聞かせるべきではない内容も話し始めているので、それはそれでいいのだが、その質問に答えるのは少々難易度が高かった。
「え?いや…まあ…否定はしない、かなぁ?俺も、一応男だからね」
「そっかぁ…。覚えとくね」
何を覚えておくというのか。
その含みのある言葉と笑みに、俺はただ翻弄されるばかりであった。
湯上り姿の女性は3割増しに色っぽく見えるというが、隣で歩くサリーを見て実感し、さらに良い匂いがするものだから、不思議なものだと内心ざわざわしていたのだが、色気に負けず劣らず、食い気も勝っている悪魔の雰囲気で、一気にぶち壊された。
「うはぁ~、良い匂いぃ~。腹減ったぁ~」
屋台通りや飲食店の立ち並ぶこの辺りの通りは、空腹の人間にはさぞ毒である光景だろう。
プルの言う通り、あちこちから食欲を刺激する匂いが立ち込めて、ふらふらと人間を吸い寄せてしまう。
「こことか、どう?」
どこに入ろうか迷っていると、彼女が一軒の店を指す。
「おっ、ピッザか。いいね」
お互いが持ち寄った食材や狩りで得た食材でサリーが作ってくれる旅の料理も良かったが、ちゃんとした店で食べるのは、実に一週間ぶりほどになるだろうか。
前の町でも食べたことのある料理だが、これは久しぶりに食べたくもなる。
「ピザでも食ってろデブって言いたいのか?おうおう、良い度胸じゃねえか」
なぜか喧嘩腰のプルの言い分はさっぱり分からなかったが、特に誰も気にしてない。
「じゃあ、お前は余所で食って来いよ。あと、ピザじゃなくてピッザな」
「あぁ…嘘々。食べます食べます。デブになってもいいから、ピッザ(?)でもなんでも食わせてぇ~」
「なら、決まりだね」
サリーに先導されて入店すると、中は結構賑わっていて、酒も入った連中が大いに騒いでいる。
奥のピッザ窯も見える厨房では、その分忙しなく店員が手を動かして奮闘しており、中々繁盛してるようだ。
店の内装も、夜の帳を照らすランタンが煌々といくつも掲げられて明るく小綺麗なもので、下手な物が出てくるような心配は無用だろう。
どちらかといえば、所持金が心もとないので、そちらの方が心配になる。
今すぐ金欠になって路頭に迷うほどではないが、かといってあまり裕福に過ごす余裕はないといった財政状況だ。
さて、プルの奴がピッザを所望するので、俺はそちらから注文することにしよう。
「頼むものは決まった?」
「うーん、どれにしようかなぁ?どれも食べてみたいから、迷っちゃう」
俺からみれば、取り立てて珍しい料理はラインナップされてないが、彼女にとってはどれも新鮮に映っているような言い様だ。
生まれや育ちが、この辺の者ではないのかもしれない。
陸続きではあるが、国を跨げば食文化も違うという話も聞いたことがあるし、俺ももし隣国に行くようなことがあれば、似たような反応をすることになるのだろうか。
「おぉい、サリー。早くしてくれぇ。もう腹が減って動けねぇよぉ…」
「あぁっ、ごめんごめん。…うん、決めた。クロムくんも決まったんだっけ?」
「ああ、大丈夫」
「すいませーん!注文お願いしまーす!」
元気よく声を上げたサリーが、ウエイトレスを捕まえた。
「私、このアラタビーアで。クロムくんは?」
「マルデリータ1つ」
「はいはーい、アラタビーアとマルデリータね。ちょっと待ってて下さいねー」
注文を取り終えたウエイトレスは、忙しなく去って行った。
「なぁ、聞き間違いか?アラビアータとマルゲリータだろ?」
悪魔は、料理名にどうもしっくりこないようで、首を傾げていた。
「いいや、合ってるぞ。お前の思い違いさ」
「周りの連中が食べてるものを見ても、俺様の知ってるものと変わらない気がするんだが、さっきからどうも名前が微妙に違ってて、気持ち悪いんだよな」
「そうなのか?マルデリータなんて、この国ならどこへ行ってもあるほど有名だって話は聞いたことあるけど…」
「うんにゃ、知らないね。マルゲリータならともかく」
「あの…私も、実はあまり聞き馴染みが無くて」
「え?サリーまで?」
便乗して告白するサリーの言葉に、驚きを隠せなかった。
これは、いよいよもって、彼女も隣の国辺りから来た線が濃厚になってきたぞ。
「俺様はこっちの世界より、別の世界の方がよく知っているし、馴染みがあるからな」
「そっか。そういうものか」
「なら、マルデリータの名前の由来でも話してやろうか。わりと有名な話だが、プルやサリーは知らないんだろう?」
「うん、聞きたい聞きたい」
「どうせ、注文したのが届くまで少し時間かかるだろうし、それまでなら聞いてやるよ」
反応の差はあれど、両者とも聞くつもりはあるようなので、伝え聞いた話を語るとしよう。
今以上に男尊女卑の厳しいその昔、そんな世の中でも活躍した一人の女料理人がいた。
彼女の名は、リータ・バディス。
料理の為に女の命ともいえる長い髪を、肩ほどまで短く切ってしまった情熱的な赤い髪。
それに、清潔な白い調理服と緑のスカーフがトレードマークだった。
彼女が作り上げた代表的なその料理は、彼女自身を連想させる彩りから、マルデリータと呼ばれることになる。
当初、彼女は別の料理名を付けていたのだが、後に彼女の功績を面白くないと思う貴族たちから、あまり野放しにしておいても、これに勢いづいて女性が権利を主張し始めるのではないか、という心配性とも思える憶測から、圧力をかけられ、最終的に非業の死を遂げる。
そのあまりの仕打ちに民衆は反発し、せめてもの彼女の栄誉を残そうと、国民の多くからマルデリータという名でこの料理が呼ばれ続け、彼女の残したレシピを元に今も伝承されているというわけだ。
「へぇー、そんなことがあったんだ。クロムくん、物知りだね」
「いや、この話は本当にわりと知られてる話だから。物知りとか、そういうのでは…」
「そうそう。あたしらにとっては、常識みたいな話だよ」
誰が話に割って入ってきたのかと思えば、さっきのウエイトレスだった。
「はい、お待ち。熱いから気を付けてね」
それ以上話を続ける前に、料理が運ばれてきて、結局うやむやになってしまった。
「食べよっか?」
「そうだな」
冷めてしまっては美味しさが半減してしまうので、温かいうちに料理に手を伸ばした。
「あぁ…、この世界でもピザが食えるなんて…」
「あちっ、あちぃ!はふ、はふっ…でも、うめえ!」
食べているだけでもうるさくて行儀の悪いプルは、自分の背丈ほどある1ピースを簡単に食べきってしまい、すぐに次の一切れに手を伸ばした。
この小さい身体のどこに収まるのか疑問に思うところだが、本人は飯にまっしぐらだ。
「確かに、悪くないな」
プルのように慌てて食べることもなく、ゆっくりと噛みしめて味わっていく。
チーズの塩味とトマトの酸味、それに加えて肉の旨味が合わさった調和は、もはや完成された域に達しているといっても過言ではない。
「こっちも美味しいよ。食べてみる?」
「え、でも…」
何気なく口にした彼女の問いは、実に魅力的ではあるが、度量を試されているようにも感じた。
美味しそうに食べるそのピアスタの味も気になるものの、彼女の口に触れたフォークで巻いたものが俺の口の中に入るということは、いわゆる間接キスというものであって…。
そう躊躇していると、彼女は既に準備万端で待ち構えており、既に選択肢は無くなってしまったも同然のようだった。
「だって、もう半分くらい食べられちゃってるよ?ピッザ」
「はっ?」
彼女の言う通り、バクバク食べていた悪魔がもうすでに半分ほど食い荒らしており、俺の胃袋を満たすには足りなくなりつつあるのは確かなことだ。
かといって、もう一品追加で注文するのも、懐事情を考えるとなかなか厳しい。
「どっちにしても、あれだと足りないだろうから、少しでも食べないとお腹空いちゃうよ?」
「あぁ…そうだな」
何か物凄い期待外れな思いをして、若干消沈したまま彼女から施しを受ける。
「あ~ん」
「あむっ…。うんうん、こっちも美味いな」
「でしょ?もう一口食べる?」
「いや、やめとくよ。今度はサリーの分が無くなっちゃうし」
同意を得られたことで喜ぶ彼女の善意は嬉しいが、いざやってみるとかなり気恥ずかしかったので、さすがに二口目は遠慮した。
ちなみに、せっかく貰った一口も、おかげさまで味わうどころでは無かったのは内緒だ。
そうして、残さず料理を堪能した俺たちは、そのまま食後のまったりした雰囲気の中で、今日の出来事を話し始める。
「そうか。そっちは、目ぼしい依頼は無さそうか」
「うん、ゴメンね。私にあんまり知識が無いから、余計判断がつかない部分もあると思うんだけど」
この町に来るまでの道中で聞いた話だが、彼女はまだ冒険者になって日が浅いらしい。
なので、野営用のテントを持っていなかったのも、それを聞いて少しは納得した。
「そうだ、これ。アマブク洞窟の依頼で貰った報酬。半分渡しておくね」
「いいのか?」
「うん。元々、クロムくんも受けてたんでしょ?だったら、二人で依頼をこなして、報告を私がしただけだから、これはその正当な対価だよ。受け取って」
「すまん、助かる」
半ば強引に渡された銀貨1枚を、ありがたく頂戴した。
「本当に気にしなくていいよ。私は、ほとんど何もしてないから」
謙虚に振舞う彼女の言葉を聞いて思い返すと、確かにそういわれてみれば、リザードマンたちを倒したのも俺自身だった。
「でも、良かった。こっちで結構でかいヤマが見つかったからさ」
「へぇ~、なになに?」
興味津々で食いついてくるサリーが相手だと、実に話し甲斐があって、話すこちらまで楽しい気分にさせてくれる。
「サリーは、ヘビビンガー・マダダス・オーガスってモンスター聞いたことあるか?」
「ううん、知らない」
「…またか。おかしいな。俺の認識が間違ってるのか」
またも空振りに終わってしまったので、今度は自分を疑ってしまうほどだ。
「ねぇねぇ、それってどんなモンスターなの?」
「それがな…」
と、先程プルにもした説明をもう一度してあげた。
「なにそれ、見たことない!でも、強そうだね」
一応凶悪なモンスターなのだが、なぜ彼女は若干嬉しそうなニュアンスで話しているのだろうか。
比較的珍しいモンスターでもあるので、もしかしたら、そういう類に興味があるのかもしれない。
「でさ、サリーはダンベルモ塔の場所とか分かる?」
「うーん…聞いたこともないかな」
「そっか。なら、仕方ない。どっかで調べるか、人に聞いて回るしかないな」
「さっき言ってた調べ物って、そのことだったんだね」
「ああ、どこかで詳しく調べられると良いんだけど、この町に図書館みたいなとこはあるかな」
「あ、それなら私分かるよ」
「この間来た時に見つけたから、多分案内できると思う」
「よし、それならその方が良さそうだな」
「でも、場所を調べるだけなら、聞いた方が早いんじゃない?地元の人か、冒険者の人に」
彼女の言い分は尤もなものだが、それは行くだけが目的の場合の話である。
「まあ、それはそうなんだが、意外と下調べは大事なことさ」
「戦ったことがないモンスターのことを調べておくこともそうだし、特に今回のは俺も他の冒険者とかから聞いただけで、本当のところはどうかまだ分からないから」
「あと、その塔については、何か財宝が残っているような言い伝えとか伝承が残っていないかも分かっていれば、実際に行ったときに留意して探索できるだろ?」
「手の込んだ仕掛けをしていることもあるし、隠し扉や隠し部屋があったりするかもしれないからな」
「そっかぁ、なるほどねぇ」
少し得意げに話した所為もあるのか、尊敬の眼差しすら感じるが、それはお門違いというものだ。
「冒険者なら、こういうことは結構やってる奴は多いぞ」
「そうなんだぁ。じゃあ、私も明日は頑張らないと」
「俺様は頑張らないぞ」
「……」
「そこで水を差すなよ…」
せっかくサリーがやる気を出していたのに、悪魔の所業で一気にその雰囲気が崩れた。
「すまん、つい…」
プルの謝罪でお開きになり、その店を後にした。
サリーの案内で宿屋へやってくると、そこはいつも利用していたような廃れた荒ら屋ではなく、手入れの行き届いた清潔感のある宿だった。
先程、報酬の分け前も貰ったことだし、一泊するくらいなら大丈夫だろうと自分に言い聞かせてみるものの、やはりどこか不安はある。
彼女が先に来て、部屋の鍵も貰っていたらしく、受付にもよらずに顔パスで通り抜けると、階段を上がって奥へと進む。
内装にしても、穴が開いていたり床を踏み歩くだけでギシギシといやーな音を立てるなんてことはなく、白を基調とした屋内が眩しく感じて、サリーならともかく自分やプルには不釣り合いな場所に来てしまったと、早くも少し後悔する。
しかし、多少高くとも、この景観なら女性受けは良いだろうから、男よりも女の利用者の方が多そうな気もする。
「201、ここだよ」
突き当たりの部屋の前で止まると、彼女は部屋の鍵とドアに掛かれた数字を見比べて確認していた。
そして、後に続いて部屋に入ると、簡素で狭いながらもベッドが二つあり、寝るだけであれば十分なものだ。
掃除も行き届いているようだし、部屋には特に問題はない。
シャワーや風呂が付いているような部屋は、宿の中でもトップクラスに高い料金のところでないとまず無いので、その辺は仕方ない。
それにしても、サリーはプルにまでベッドを一つ貸し与えるとは、優しい子だなぁ、あはははは…と思っていたのだが、やはり悪い予感は当たってしまった。
「クロムくん、どっちのベッドがいい?」
「ふぁ?」
ええ、分かっていましたよ、薄々ね。
だって、さっきから部屋の鍵を一つしか持ってないんだもの。
「もしかして、一部屋しか取ってない…とかそんなこと…」
「うん。そっちの悪魔さんは省いて、二人しかいないから。…ダメだった?」
「いやぁ…ダメってことはないけど、俺はね。サリーこそ、良いのか?」
「うん。私はクロムくんなら、一緒のお部屋でいいよ。この町に来るまでの道中だって、似たような感じだったでしょ?」
確かに野営の際は、交代で見張りをしていたから、同じ空間で寝ていたようなものではあるけど、それとこれとは話が違う気がするのだが、皆さんはどうお考えだろうか。
「まあ…サリーが良いなら、いいけど」
「うん。それで、クロムくん。こっちのベッド使っても良いかな?」
窓側のベッドの方を指差して、自分の意思を述べていたが、なんというかマイペースな子なのかなとも思った。
「…それとも、一緒のベッドがいい?」
「ええ!?いやいやいや…それはさすがに。俺はどっちのベッドでもいいから、好きな方使ってくれ」
「ふふっ。じゃあ、決まりね」
冗談にしても質が悪いが、あまりの驚きに心臓へ大きな負担が掛かってしまった。
一方で、当の本人はそのことをあまり気にした様子もなく、部屋に施錠を掛けたことを確認すると、自分が提案したベッドの方に向かった。
「もう先に寝ちゃってる人がいるみたい」
そう指摘されて、荷物の中でグースカいびきを掻いて寝ている悪魔の存在に、ようやく気付いた。
「はぁ…。こいつは、ここをベッド代わりにしてもらうとするか」
バックパックを床に下ろすと、中の荷物の位置を少し変えることで、簡易的に小さなベッドのような作りにして、プルを寝かしておく。
「俺も、もう寝るか…」
久しぶりにベッドでゆっくり寝られると思うと、急に眠気が襲ってくる。
「サリーも…んん!?」
「ん?どうかした?」
何ともない様子で返事をした彼女は、見慣れたローブを脱いで、上は簡素な白い肌着、下はピンクのリボンがワンポイントにあしらわれた白い下着を露にした姿になっていた。
どうやら、俺がプルの相手をしている間に脱いでしまったようだが、あまりにも無防備であり、予想外の自体に驚きを隠せない。
「いやっ、どうもこうも…?」
気まずくなって、慌てて目を逸らしたが、彼女は自らのあられもない姿を隠す様子もなく、平然としていた。
「何か変かな?」
変ではないが、ツッコミどころは満載であるといえよう。
「私、いつも寝る時はローブ脱いでるから、この格好なの。だから、クロムくんもあんまり気にしないで」
その姿のまま近寄ってきたサリーは、目を覆い隠していた俺の手を優しく握り解放してくれたものの、やはり直視するには危険すぎる。
「サリーは、その…裸じゃなくても、その姿を異性に見られることに抵抗はないのか?」
「うーん…どうだろ?あんまりないかな」
もはや、驚きは声にならず最高潮に達しているが、王族や貴族では召使いに着替えさせたりすることが当たり前で、身体を人に見られてもなんとも思わないという話を思い出した。
そういわれてみれば、俺はまだ彼女のことを詳しく知らない。
もしかしたら、どこぞの上流階級の貴族だったりするのだろうか。
「だったら、プルに見られても、何とも思わないか?」
「それは嫌かな」
即答だった。
ちょっと安心したが、あの悪魔の不憫なこと。
もう寝てしまって、奴の耳には入らなかったことが、唯一の救いかもしれない。
「じゃあ、俺はいいのか…?」
「…うん。クロムくんだったら、平気だよ」
少しだけ返事に間があったが、その返答は男として認識されていないようにも思えて、複雑な心境である。
「そ、そうか…」
チラっと彼女に目線を戻した途端、彼女の方が身長が低いので、やや上から覗き込むことになり、緩い肌着の胸元から女性らしい膨らみの谷間まで見えてしまって、余計意識してしまう。
「そろそろ寝ないと、身体冷えちゃうよ。早く寝よ?」
「あ、ああ…そうしよう」
今日買って身に付けていたローブと腰に巻いたポーチだけ外して、ベッドに横になる。
同じく隣のベッドに潜り込んだサリーは、安心しきった表情でこちらを見ていて、就寝前に一言だけ挨拶を交わした。
「おやすみ、クロムくん」
「ああ」
もう返事をする事すらままならず、居たたまれなくなった俺は、彼女に背を向けて頭を空っぽにすることに努めた。
………。
……。
…。
しかし、一向に眠れそうな気がしない。
一方で、そんな俺のことなど知らぬであろう彼女は、スヤスヤと寝息を立て始めた。
これは、男として試されているのか、あるいは信頼故の行いかと、思考が堂々巡りを始め悶々としてしまい、少しくらいなら…と魔が差してしまいそうになりつつも、自制して押し留めるが、おかげさまで全く眠れない。
「まったく、なんでこんなに無防備なのかな。暢気なヤツめ」
精々、俺からの仕返しは、彼女の頬を軽く指でつつく程度の事しかできなかった。
それだけでも、彼女のしっとりした張りのある肌の感触が伝わってきて、何かいけない事をしている罪悪感に苛まれてしまう。
「…ちょっと、出てくるか」
あまりにも眠れそうにないので、バックパックは置いたまま装備を付け直し、部屋の鍵を拝借すると、こっそり部屋を抜けだして夜の街に繰り出すことにした。
町の中には、まだこの時間でも営業している店もあるようで、所々明かりはついているが、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。
その静寂の中、全く空気を読まない腹の音が耳まで届いた。
「そういえば、プルに意外と夕飯の取り分を多くとられたせいで、今日はそんなに食ってなかったな」
普段から満腹になるまで食えることは少ないが、久しぶりに味わえた店の味で、余計食欲も刺激されてしまったのだろうか。
この時間にまでなってくると、もう小腹が空いてきてしまったようだ。
「ちょっとだけ、腹に入れるか」
目についた店に入ると、酒をメインで取り扱っている類の店らしく、カウンターの奥にはずらりと酒瓶や酒樽が並んでいた。
「いらっしゃい」
カウンターの中にいる落ち着いた雰囲気の店員が声を掛けて、好きな席に座る様に促した。
他の客も疎らだったので、カウンター席に腰掛ける。
「お客さん、まだ若いでしょ。お酒は吞める歳かい?」
「もう吞める歳になったよ。でも、悪いけど今日はやめておこう。ちょっと小腹が空いて立ち寄っただけだから」
「そうかい?それは残念だ。うちは、この町では結構品揃えが良い方だと思うからね。次に来るときは、ぜひお酒も味わってほしいものだ」
気さくに話しかけてくれた渋いおじさんの店員は、風貌や口ぶりからするに店長だったのかもしれない。
こういった店に来ておいて、酒はいらないとか抜かす小僧に、怒りもせず対応してくれる辺り懐の広さを感じる。
「それで、軽食がお望みだったね。だったら、この辺りはどうかな」
「じゃあ、それを貰おうか」
いくつか提案されたメニューの中から、ドライソーセージと芋をスライスした炒め物を頼んだ。
一見シンプルな料理だが、逆にいえばハズレを引くことことがない無難な選択といえる。
ドライソーセージはサラミとも呼ばれる食べ物だが、一般的にはピティフル・ピッグのひき肉を塩などと混ぜて、乾燥熟成させたものだ。
酒飲みの間では、かなりポピュラーなおつまみとしても知られている。
ちなみに、ピティフル・ピッグはモンスターの生態系の中でも、最下層に位置する弱小モンスターの豚で、哀れにも人間やモンスターの餌になってしまう運命を辿るので、そのような名前を付けられている。
「はいよ。ちょっと待ってて」
注文を受けて、カウンターの裏で動いている男性を尻目に、俺は久しぶりに一人きりになった時間を愁いでいた。
たった数日ぶりに一人きりになっただけなのに、周りの静けさもあって、こんなに静かなものだったかと、今の二人との賑やかな生活との差を感じて、寂しさすら覚える。
しかし、先のことを考えても、あの悪魔は契約した関係上付きまとってきそうだが、サリーの方はどうなんだろうか。
彼女の気まぐれみたいなものでついてきているだけなので、いつかは道を違えて離れてしまうだろうことを考えると、胸が締め付けられるように痛い。
俺のことが心配だから…とも言っていた気がするが、そんな理由で付いてきてくれても、男として情けなくてあまり嬉しくはない。
それでも、彼女と離れてしまうよりはマシかもしれないが、もっとちゃんとしたパーティから誘いがくれば、俺たちのような風変わりなパーティよりも、そちらについていくべきだと内心分かってはいる。
「お待たせ。…キミ、難しい顔してるけど、大丈夫かい?」
「え、ああ、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだから」
「そう?まあ、キミがいいなら、それでいいけど」
店主にまで心配をかけてしまっては、本当にどうしようもない。
それに、これは俺が背負ってしまった業が問題であって、サリーも店主も悪いわけではないのだ。
「…うん。これ、うまいな」
無造作に口にした肉は、ほんの少し塩気が強く感じた。
小腹も満たしたことで、世話になった店主に「また来るよ」と短く告げて、宿へ戻る。
なるべく静かに鍵を開け、ゆっくりと扉を開いて入室する。
またローブとベルトポーチを脱ぎ直して、今度こそ就寝するべくベッドへ向かう。
「んぅ?…クロムくん、どこ行ってたの?」
ベルトポーチを置いたときに、少し大きな音を立ててしまったせいで、彼女を起こしてしまったらしい。
「トイレだよ」
何事もなかったかのように取り繕って、ベッドへ横になると、やはり彼女のことを見れずに背を向けてしまう。
「そっか」
サリーも、特にそれ以上気にした様子は無かった。
「なぁ、サリー」
「うん、なぁに?」
背中を向けたまま、つい話しかけてしまい、後には引けなくなって先程の話を彼女に思い切って伝える。
「俺とプルみたいな、変なパーティじゃなくてさ。もっとちゃんとした冒険者のパーティから誘いが来たら、サリーはそっちに行くべきだと思うんだ」
「……うん。確かに、それはそうなんだろうけどね」
俺たちの目的が目的だから…と付け加えるまでもなく、サリーも言いたいことは理解してくれたらしい。
しかし、珍しく声にいつもの朗らかさがなかった。
「でも、二人との旅は楽しいし、今は…クロムくんと一緒に居たいな」
ボソッと呟いたその言葉は、静かな夜だったからこそ、しっかりと伝わった。
―――物好きな奴だな。
そう思いながらも、勝手に表情が緩んで、余計顔を合わせづらくなってしまった。
「サリーがそうしたいなら、それでいいんじゃないか」
「うん。ありがとう、クロムくん」
素直に言葉にできず、満更でもない回答だったが、彼女にもそれは伝わったようだ。
内心嬉しくとも、明け透けにそれを言ってしまうのがかっこ悪く思えてしまい、それが精一杯の譲歩だったのだ。
何故か礼まで言われてしまい、本来礼を言うのはこっちの方なのに――と思う傍ら、どこか安心した自分がいる。
そこで初めて、お互いにベッドへ寝たまま闇夜の中でも目が合い、彼女の嬉しそうな表情まで見ることができた。
「おやすみ、クロムくん。また明日からも、よろしくね」
「ああ、おやすみ」
今度は、しっかり挨拶を返して、ようやく眠りについた。