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ブラック・ディヴィジョン  作者: 天一神 桜霞
第三章 疑惑の渦
31/31

⑧ 未来への決断 ★

 眩しい日差しに目を細めて歩いていると、青空は次第に雲に覆われていった。

「ふあぁぁ……」

「あ、来たみたい」

 ギルドの近くまで来たのに、緊張感の欠片も無いほど周囲の視線も憚らずに大欠伸をしてしまった。

 昨日に続いて今朝も張り切ってしまったことや睡眠不足が原因なのは言うまでもない。

 おかげで、彼女たちと再会した傍から火に油を注ぐような結果を招いてしまう。

「全く、人を散々待たせておいてだらしなく欠伸を掻いて登場だなんて、いい気なものねぇ…クロ」

「別に良いだろ、何か約束してたわけでもあるまいし…」

「してなくても、今日はギルドで依頼を探すって分かるでしょ、普通」

「ふぁぁ…。あっ…、ついでにアングラの入口を聞いとけば良かったな…」

「…なんか、すごい気が抜けてるっていうか…あの悪魔に似てきたわね」

「そうか…? あんまり自覚は無いけど…」

 怒りを通り越して呆れ始めているメアリーは放っておいて、静かに見守っていたサリーに話しかける。

「そうそう、サリー。そのブローチ返してくれ」

「え?」

 突然のことに驚いた彼女は反射的にブローチを握った。

「まあそう身構えるなって。結果的に損はしちゃったけど、実際あの情報屋の言う通りあの場所にお宝は眠っていたんだ。だから、今後も彼女とは付き合いを続けようと思って、もう俺の持ってたブローチは渡しちゃったからさ」

「そうなんだ…」

「あんたはまた相談も無しに勝手なことを…」

「良いだろ、別に。そんなことは俺の自由だ」

「ふーん、どうだか…。大方、この一晩のうちにすっかり誑し込まれちゃったんじゃない?」

「まるで見てきたように言うんだな」

「だって、あの女…フードで隠してたけど、実際美人だったし…。あのダンジョンを脱出してから、随分あんたとの距離感や態度が変わってたからね」

「へへっ、まぁそう僻むなって」

「はぁ? 何勘違いしてんのよ?」

「…勘違いか。まぁ…そうだろうな」

 悪魔に煽られ怒りで熱を上げる彼女とは違い、俺は冷めた目で悲観していた。

「ともかく、もうそれを持ってても俺とは繋がらないし…さっさと返してくれよ、サリー」

「あ、うん…。そういうことなら、分かったよ…」

 珍しく元気がないサリーは渋々といった様子でブローチを外すと、そっと手渡してくれた。

「悪いな」

「ううん…。元々、そんなに使うことは無かったからね。これでもっと有効に活用できるなら、きっとその方が良いと思うから…」

 彼女の言う通り、普段使う場面といえば街中で別行動した際に待ち合わせが楽になるとかそんな程度だった。

 先日の一件でも分断されてしまった際に利用できたものの、プルとはこのブローチが無くとも連絡が取れるのでその効果は薄かった。

 再び手にしたコレボンのブローチを付け直すと、そのまま頭の中にレーナの姿を思い浮かべて言葉を紡ぐ。

〈レーナ、聞こえるか? 驚かずに聞いてくれ。今、例のブローチを使って頭に直接語り掛けてるんだ〉

 目の前では懲りもせず言い争っているプルとメアリー、そして俺を見つめるサリーの姿があった。

 その場にいない人間に話しかけるというのは些か変な気はしていたが、それも慣れてしまえばこれほど便利なものはない。

〈聞こえていたら応答してくれ。ブローチに手を触れながら、相手のことを思い浮かべて頭の中で語り掛けるんだ。ブローチに魔力を込めるようなイメージでな〉

〈こう…ですかね? クロムさん、聞こえてますか?〉

〈あぁ、ちゃんと聞こえてるぞ〉

 頭の中に聞き覚えのある色っぽい女の声が響いて、レーナの存在を確かに思わせる。

 ただ、余計なことまで思い出してしまうと、疲労が溜まった股間に響きそうだったので自重した。

〈使い方は大丈夫そうだな〉

〈はい。そう難しくは無いですから、大丈夫だと思います。…でも、これって…二人で内緒話をしてるみたいで、ちょっとドキドキしちゃいますね〉

 目の前の光景との温度差が激しい調子で話しかけてこられたので、思わず困惑してしまった。

〈まぁ、似たようなものかもしれないが…実際は主に仕事の連絡用として渡しただけだから、そんな色っぽい話でも無いけどな〉

〈あら、そうなんですか? 二人でこっそり落ち合って逢引するのも悪くないと思ったんですけど〉

〈…それは、またそのうちな〉

〈んふふっ、楽しみにしてますね〉

〈それで、早速欲しい情報があるんだが…〉

〈あら、何でしょう?〉

〈レーナは以前にもこの街へ来たことがあるんだろう? だったら、ここのアングラへの入口がどこにあるのか聞こうと思ってな〉

〈ああ、そういうことでしたか。確かに、そうですね。クロムさんたちは初めてこの街へ来たと仰っていたのに…、私も気づけば良かったですね〉

〈そうなんだよ。さっきついでに聞いておけば良かったんだが、すっかり忘れててな…〉

〈んふふっ、それは私も同じですよ。きっとお互い別のことで頭がいっぱいだったからでしょうね〉

〈まぁそういうことだ。…それで、実際知ってるのか?〉

〈はい、もちろん知ってますよ。宜しければ、この後私がご案内致しますけど…どうします?〉

〈そうか? それは助か――〉

「ねえ、クロムくん」

 もうすぐレーナとの話が終わろうとしているところで、正面にいたサリーが口を開いた。

 彼女からすれば俺は呆然と立ち尽くしているだけに見えるだろうし、コレボンのブローチを用いて話していたとしてもその会話まで聞き取れているわけではないので、その最中に割り込んでしまうのも仕方の無いことだ。

「ん?」

「クロムくんがなかなか帰ってこなかったから、先にギルドの依頼を見てたんだけど…こんなのあったんだ」

 薄っぺらい依頼書を手渡され、その内容を読み進める。

〈クロムさん、どうかなさいました?〉

〈あぁいや…ちょっと待っててくれるか?〉

〈はい、構いませんよ〉

 一人で二人の話を聞いたり、その上読み物までしようというのは凡人にはまず不可能な芸当だ。

 彼女には悪いがこちらの話が済むまで少しばかり待ってもらうことにして、改めて依頼書の内容を頭に入れていく。

「ふぅん…。近隣のシェリーヌ川周辺に見慣れないモンスターが出たから、調査もとい対処してくれって話か」

「ちょっと危険な気もするけど、クロムくんならきっと大丈夫だよね?」

「それは出くわしてみないと分からないけど…、それだけに報酬は良さそうだ」

「そうそう。だから、クロムくんも絶対興味持つだろうと思って」

「あっ、それ見た?」

 二人で一枚の依頼書を見ながら話していると、悪魔をひっとらえた魔女も寄って来て会話に加わった。

「目撃者の話によると、気持ち悪い見た目をしてるモンスターらしくて…噂だと、魔王軍の手先なんじゃないかって言ってる人もいるそうよ」

「それで、報酬が割高なのか。その噂の信憑性にもよるけど、このシェリーヌ川ってのが近くならこの街に迫ってる可能性もあるな」

「それはどうか分かんないけど、その川ならそこまで遠くないから今から急げば今日中には戻ってこれるわ」

「うーん…。だったら、今日はこれを受けてみるか」

「うん。クロムくんならきっとそう言ってくれると思って、もう受けちゃった」

「なんだ、気が早いな」

「あんたが来るにしても何にしても遅かっただけでしょ」

「へいへい、悪かったよ。でも、もうその話は良いだろ」

「そうだよ、メアリーちゃん。あんまりしつこく言うと嫌われちゃうよ」

「はぁ? 私は別に…こいつに嫌われようとどう思われようと興味無いわ」

「またそんなこと言って…」

「ほら、行くなら早く行きましょ。日が暮れちゃうわ」

 場所を知っているらしい彼女は、さっさと背を向けて歩き出してしまった。

「あっ、待ってよメアリーちゃん!」

「俺たちも追うか」

「へへっ、素直じゃねーやつ。まあ、あいつが一番足おせーからすぐ追いつけるんだけどな」

 自分でろくに飛びもしないくせに偉そうな口を叩いたプルは、いつものように俺のローブの中に紛れ込んで笑っていた。

 どんどん離れていくメアリーをサリーと追いながら、待たせていたもう一人の女に話しかける。

〈悪いな。今日は別の依頼を受けて街の外まで行くことになったから、教えてもらうのはまた明日以降で頼む〉

〈はぁい、了解しました。お気を付けていってらっしゃいませ〉

〈あぁ、行ってくるよ〉

 久しぶりに見送りの言葉を掛けられて懐かしさを覚えながら、俺たちは街の外へ駆け出して行った。



 近場なら馬車で行くより走って行った方が早いというメアリーに先導されて、シェリーヌ川へやってきた。

 川幅はそこそこ大きいが向こう岸が見えないほどではない。

 水辺が近くにあるので野草も自生しており、本来ならば自然に溢れた大衆的な場所なのだろう。

 しかし、今は招かれざる客によって、その環境は汚染されつつあった。

「うっ…、くしゃい……」

「酷い臭いね…」

 川へ近づくにつれて酷くなっていく臭いに、堪らず俺も鼻を抑えてしまいたくなる。

「この臭いは腐臭だな。まぁ、原因は言うまでもねぇようだが…」

「あの団体さんか…」

 俺たちが近づいてくる気配に気づいたのか、奴らは河辺から続々と上がってくる。

「あれは…マーマンの類か?」

「確かに変ね。マーマン自体、この辺りでは見かけないモンスターだわ。いるとすれば、もっと海が近い北の地域だったはず」

 マーマンと呼称されるモンスターは魚の顔や背ビレを持った人型のモンスターであり、大雑把にいえば半魚人である。

 普通、魚は水の中でしか生きていられないので、釣り上げられた魚はすぐに死んでしまい、その鮮度が落ちると共に味も落ちてしまうというのは一般的な常識だ。

 しかし、マーマンというモンスターは水中のみならず陸上でも活動が可能という特異な種でもある。

 ただ、出現地域としては海から近い場所が多く、時々大きな川でも目撃報告が挙げられる程度だ。

 とはいえ、それも一般的に知られるマーマンについての話であり、今回遭遇した相手はまた別物のようだ。

「ぁ……ぁぁ……」

 通常のマーマンと同じように三つ又の槍を持ってはいるが、腐敗した身体で異臭を撒き散らしながらゆっくりと歩く様はアンデッドやゾンビの類を思わせる。

 一体だけならともかく、それが十体二十体もの数になるとなかなか気持ち悪い光景だ。

「ありゃあ、マーマミアンだな。まぁ、簡単にいえばマーマンのゾンビだ」

「ほとんど見たまんまじゃない。でも、よくそんなこと知ってたわね?」

「へへっ、俺様の知識量を甘く見ちゃぁいけねぇぜ。これでお前も少しは俺様のことを敬ぇ――」

「だったら、ここは私の出番かな」

 偉そうにふんぞり返るプルを気にもせず、サリーはご自慢の杖を胸の前に掲げて一歩前に出た。

「待て」

 俺は彼女の肩を掴んで、そのやる気ごと下がらせた。

「どうしたの…? アンデッドの類が相手なら、私の浄化魔法で対処できるよ」

「それは分かってる。でも、俺の火属性の魔法でもそれは同じだ」

「…そうね。アンデッドは光か火属性の魔法で対処するのが一般的だもの。でも、それは私も同じよ」

「メアリーも下がってろ。ここは俺が引き受ける」

 幸い、あれだけ妙なモンスターがうろついている所為で周囲に人影も無いことから、鎌を振り回しても問題無いと判断できた。

「そう…? じゃあ、お任せしちゃおうかな」

「何よ、カッコつけちゃって…」

「…そんなつもりは無い」

 思うところがあって、荷物を下ろすのと同時に二人を下がらせて自分一人で前に出た。

「…? クロ、そうやっていつもみたいに前へ出るのは良いが、偶にはサリーにも手柄を譲ってのんびり構えてたら良いんじゃないか?」

 二人が離れたところで、フードの中に隠れていたプルがそっと耳打ちしてきた。

「そういう訳にもいかないだろ。…またいつ一人になるか分からないんだから」

「クロ…お前……」

 プルにはいつぞや話したこともあったので、その理由を汲み取ってくれたようだった。

「それとも、今の俺じゃこいつらにも勝てないのか?」

「…へへっ、そんなこたぁねーよ。バシッとやっちまえ」

「あぁ、しっかり掴まってろよ」

 強くなるには色んな要素が必要だが、その中には知識と共に必要なものがある。

 それが、経験だ――。

「行くぞっ」

 右手にしていた指輪を本来の鎌に戻すと、そのまま携えて一気に間合いを詰める。

「ぐぎぃ…!」

 得物を持って急接近したことで、奴らも敵意に気づいてぞろぞろと戦闘態勢を取り始めた。

 統率が取れていなかったり、感知が遅いのはアンデッド故のものなのかも知れない。

 それ故に対処の仕方もそれぞれで、槍を構える者もいれば天を仰いで力を込めている者もいる。

「ふんっ!」

 前衛ともいえる槍を構えて迎え撃とうとしていたマーマミアン数匹を薙ぎ払い、さらに前へ進んで頬を膨らませている連中へ飛び急ぐ。

 だが、あと少しのところで間に合わず、倒しきれなかったモンスターたちの口から次々に噴射されてしまう。

「がぁぁっ!」

「なにっ?」

「クロムくん!」

 勢い良く水を噴き出してくるのはマーマンにも見られる行動だったので予想の範疇だった。

 しかし、それだけではなく如何にも身体に悪そうな黄緑色の水球を飛ばしてきたことに驚いてしまった。

 おかげで、僅かに対処が遅れてしまったものの、似たような攻撃方法だったこともあって回避できた。

「くっ、これまた臭いな…」

「この酷い臭いと地面に生えていた草が急速に枯れてる感じからすると、きっと腐食水だな。当たったら、風呂に入ってもなかなか取れないような悪臭が付くどころか、装備まで腐らされちまうぞ」

「要は…当たらなければ良いんだろ?」

 次々に繰り出される噴射から避けているうちに少し距離を取られてしまう形になったが、距離が開けば届くまでに時間が掛かるようになって回避はさらに容易になる。

「だったら、こいつでどうだ…フレイム・バースト!」

 ほとんど近接戦に持ち込むしか勝ち目がなかった昔と違い、今は魔力も強化されて新たな魔法も習得している。

 なので、鎌での攻撃は諦めても、勝ち筋が消えたわけではない。

 どちらにしろ、斬り裂かれて真っ二つになった身体が未だにバタバタと飛び跳ねていることから、やはり斬撃では完全に息の根を止めることができないということも分かった。

「あちゃー。クロ、水を使う相手に火は分が悪いぜ」

 プルの言うように、火属性の中級魔法を以ってしても吐き出された水流によって打ち消されてしまい、白い煙を上げて蒸発してしまった。

 相性は確かに大事だ。

 弱小冒険者だった頃は、特にそれを利用して何度も戦い――狩ってきた。

 とはいえ、相手が反応の鈍い愚鈍な奴なら、まだ他にも手の打ちようはある。

「真正面からダメなら…ブレイズ・マグナム!」

 側面に回り込んで発生と速度が共に早い炎の弾丸を撃ち出せば、奴らが反応する前にその身体を貫いた。

「ぐぎぎぃ…!」

 だが、直前まで川へ入っていた所為で湿り気を帯びていたこともあってか、思ったより火が燃え上がらず身体に風穴を開けられても奴らはまだ敵意を向け続けている。

「なぁ、クロ…悪いことは言わねぇから、今からでもサリーに相手してもらった方が早くねぇか?」

 マーマミアンの攻撃を回避しながら応戦する俺の耳元で、悪魔がそっと囁いた。

 確かに、その通りなのだろうと俺も分かってはいる。

 でも、だからといってここで投げ出すわけにはいかなかった。

 ここで引いたら、自分の負けを認めるようなものだ。

 だとしたら、結局俺は今も他人のチカラを頼るような弱い存在であるという事実を突きつけられてしまう。

 そして、頼っていた彼女たちがいなくなってまた一人になってしまった時、俺は一体どうなるのか。

 またあの時のようにあっけなく死んでしまうのではないか。

 そう思えてしまうと、無性にやるせなくなって悔しい思いが込み上げてくる。

「…大丈夫だ。今のは火力が足りなかっただけだから」

「おいおい、そんなにムキにならんでも…」

「…あの時、俺は願っただろ? 一人でも戦い抜けるチカラが欲しい。誰にも負けないチカラが欲しいって」

「あぁ、覚えてるさ。純粋で貪欲な願いだったからな」

「だから、俺はもう負けない。負けたくないんだ」

「…へへっ、そういうことなら好きにしろよ」

 死して尚望んだ俺の願いに応えた悪魔だけあって、最後には理解を示してくれた。

「ただ、お前は一人の戦士としては合格だが、一人の統率者としてはまだまだ未熟みたいだな」

「そりゃそうさ。元々、誰かの上に立つような人間じゃないんだから」

「まぁ、その辺は追々俺様が教えてやるとするか。とりあえず、今はこいつらを片付けちまおうぜ」

「あぁ、そうしてやるさ」

 やはり、俺には悪魔との相性が良いようだ。

 聖人君主のような考え方をしてそうなあの男たちより、よっぽど馬が合っている気がする。

「二人とも、もっと下がれ! 巻き込まれたくなかったらな!」

「分かったー!」

 一応、彼女たちにも声を掛けてさらにこの場から遠ざけると、心置きなく攻撃できる準備が整った。

「さぁ、やっちまえ!」

「あぁ、思いっきりいくぜ――レイジング・デトネーション!!」

 魔法を唱えると、奴らの群れの中に赤みがかった魔力の球がいくつも現れる。

 そして、それらは奴らを巻き込んで、ほとんど同時に爆発していく。

「きゃあっ…!」

 爆発に伴い、連続する爆発音と共に爆風が吹き抜けて衝撃が襲い来る。

 それに交じって、黒焦げになったマーマミアンの身体も飛び散っていった。

「終わったみたいね…」

 うるさいほど響いていた爆発音が鳴り終わると、やけに静かさを感じられるようになった。

 あれだけいたマーマミアンの群れがプスプスと焦げる音を立てるばかりで、ピクリとも動かなくなったのが遠目で確認できる。

 もっとよく見ようと思って近づいてみると、彼女たちの足音も近づいていた。

「へへっ、バッチリ倒せたみたいだな。こんがり焼けちまってるぜ」

「あぁ……」

 繰り返された爆発によって辺り一帯まで黒く焦げてしまった光景を見て、胸の高ぶりを感じていた。

 ヘビビンガー・マダダス・オーガスを倒した時ほどではないが、確かに得られたこの感覚は達成感だ。

 おそらく、自分一人で目の前に広がる残忍な光景を作り出したという功績が自らを酔わせているのだろう。

――そうさ、俺は一人でだってやっていける。悪魔のチカラを得る前もずっとそうだったのだから、尚更だ。

 ふと自分の中でモヤモヤしていた何かに対して納得できたと同時に、未来への決意が固まった。

「すごい威力だわ、さすがは上級魔法ね」

「ホントホント。すごいよクロムくん、やったね!」

「あぁ……」

 傍に寄って来た彼女たちの称賛の声はどこか薄っぺらく感じられて、胸に響くことは無かった。

「…でも、どうせなら私が撃ってみたかったわ。気持ち良さそうだし」

「お前も加減ってのを知らねぇからなぁ…。また山火事にでもならなきゃいいけどな、へっへっへ」

「何ですってぇ…!?」

「うわっ、やめろ! 魔女の癖に、すぐ暴力で解決しようとすんな!」

「あ、そう。分かったわ。だったら、あんたを的にして私も同じ魔法撃ってあげる…。それなら、魔女や黒魔術師らしい解決方法だから、あんたも納得して爆散するでしょ」

「ば、バカ! こんなところでやろうとすんな! お前らまで吹っ飛ぶぞ!!」

「大丈夫よ。あんたを遠くに放り投げてから撃つから」

「ひええぇっ! クロ、サリー! 助けてくれぇっ!!」

 相変わらず言い争いの絶えない二人がじゃれついているのを見守っていると、うろちょろしていたプルが魔女の手から逃れようと逃げ惑いながら俺の下へ帰ってきた。

「その辺にしとけ」

「ひょ?」

 勢い良く飛んできたプルを捕まえると、下ろしていたフードの中へ放した。

 けれども、その様子を見た彼女は余計怒りを燃え上がらせているようだった。

「何よあんた、そいつを庇うつもり?」

「庇うもクソも無い。ただ、くだらない言い争いなんて、時間と体力の無駄だだと思っただけだ」

「へぇ、言うじゃない…。随分大きく出たものね、クロ」

「…ふん、気に入らないか?」

「えぇ、もちろん」

 怒りの形相で睨む彼女に対して、俺は冷めた目で返した。

「ちょ、ちょっと二人とも…仲良くしようよ」

 こういう時、いつも仲介役を買って出るのはサリーだった。

 普段温厚な彼女がクッションになって、この面々の間を取り持っているのは周知の事実。

 しかし、今はそれすらも煩わしく感じられた。

「俺やプルが気に入らないなら、いつまでも一緒にいる必要は無いだろう」

「…それもそうね」

「クロムくん…、そんな酷いこと言わないでよ。メアリーちゃんも納得してないでさ…」

 悲しそうな顔をする彼女へさらに苦言を突きつける。

「サリー、それはお前もだ」

「え…?」

「俺たちが気に入らないなら、いつでも出て行ってくれて良いんだぞ…」

「おい、クロ…さすがにそれは言い過ぎだぜ」

「…お前はどっちの味方なんだよ」

「俺様は…俺様の味方さ!」

「クロムくん、私は……」

「どこへ行こうとお前らの自由だ。俺は止めやしない。…ギルドへ報告するなら、その辺の黒焦げになった首の一つでも持って行けよ」

「あっ…」

「ちょっと…!」

 ギルドから依頼を受けたのはサリーなので、俺が持っていても何のことやらだ。

 俺は彼女たちに背を向けると、そのまま街へ引き返そうと足を向けた。

「良いのか、クロ?」

「何がだよ…」

「決まってんだろ、あの二人のことだよ」

「あぁ……。あの王国騎士団の男に続いて、情報屋のおかげもあって思い知らされたよ。女なんてものは所詮自分に都合の良い相手についていくもので、身体を許しても信用できるようなものじゃないってな」

「そりゃそうだろうけどよ…、考えが飛躍し過ぎな気もするんだよな…」

 彼女のように金さえ払えばヤらせてくれる娼婦という存在を身を以って知ったことで、今までの彼女たちの行いも全てが信じられるものではないと考えを改めていた。

 強い者や都合の良い相手に気に入られる為なら、何だってする。

 それが娼婦でなくても、女なら…いや、女に限らず人間というのはそういうものなのかも知れない。

「待ってよ、クロムくん!」

 異臭のする黒い塊を持ったサリーやそれに続くメアリーが後から追いかけてきた。

「私たちも一緒に行くよ」

「…勝手にしろ」

「そう。じゃあ、勝手にさせてもらうわね」

 きっと、良い様に使われるだけ使われて、更なる好条件が舞い込んできた時には無慈悲にもお払い箱にされてしまうのだろう。

 今は付いて来ても、彼女たちに対するそんな考えが頭から離れなかった。

「それにしても、クロ…やっぱりあなた最近ちょっと変よ」

「そうだよね…、何かあったの?」

「はぁ…、どの口が言うんだか…」

「え? なに?」

「いや、何でもない」

 つい口からこぼれてしまった悪態は聞こえなかったようで、事なきを得た。

 とはいえ、何かあったのに黙っているのは自分たちの方だろうに、よくもまあ抜け抜けとそんなことが言えたものだ。

 彼女たちへの信頼が崩れ、その分不信感が募っていく。

「どうでもいいけど、早めに帰った方が良さそうだぞ。空が暗くなってきた」

「あー、ホントだ。一雨降るかもね」

 俺たちは悪臭を撒き散らしながら、ダブグレイの街へ急いで戻った。



 行きも帰りも素早く移動したこともあって、メアリーの言う通り夜には街へ戻ってこれた。

 すぐにでも手放したい悪臭の塊であるマーマミアンの頭を持ったサリーは真っ直ぐギルドへ向かい、それを提示することも含めて報告を終えると今回の依頼は完遂した。

 そして、あくまでも一緒にいるというアピールなのか、きっちり報酬の分け前も手渡された。

 今回も自分は亡骸の一部を持って走っただけだからと言って多めに報酬を貰ったことに対しても、餞別のように感じられて嬉しくなかった。

 一通り用も済んだ上に次第に雨も降ってきたことで、さっさと飯や風呂を済ませて宿へ戻った。

「なぁ、クロ…。あんなこと言ったら、ホントにあいつらどっか行っちまうかもしれねぇぞ」

「あぁ…。でも、俺が言わなくてもそう遠くないうちにきっとそうなるさ」

 女性陣が二人部屋に泊まり、俺は一人部屋のベッドでプルと一緒に横になって話をしていた。

「んんぅ? もしかして、この間話してたことまだ気にしてんのか?」

「あぁ…。ずっとそのことが頭から離れなくてな」

「はぁぁ…、俺様もお前に任せるとは言ったものの…そんなに気にしていたとはな」

「だってさ…普通に考えたら、俺とハンフリーのどっちに付いて行った方が良いかなんて…考えるまでも無いだろ?」

「まぁ、それはあくまでも一般人が普通に考えたら…の話だけどな。サリーはともかく、メアリーの性根を考えるとそうは思えねぇけど」

「…俺もそう思いたいよ。でも、どっちにしたって…俺と共に歩むことを選んだとしても、その先に待っているのが幸せな未来なんて思えないだろ?」

「そらそうだけどよ、その辺の話は前にもしただろ? 結局は選ぶのも未来を創るのも自分たち次第だってことさ」

「……」

 プルズートの言いたいことも分かるし、一理あるとも思っている。

 けれども、自分を納得させられるだけの何かがあるわけでもなかった。

「要は、お前…自分に自信が無いんだろ? 自分で幸せを掴んで、自分を慕う女たちも一緒に幸せにしてやろうっていうさ」

「……」

 核心を突く言葉によって図星を指された俺は何も言い返せなかった。

「まぁ、俺様みたいにパワフォーでエクセレンッな存在であれば自分に自信しかないからハッピーでエキサイッティィンな未来を創ってやろうって思えるけど、まだまだ芽吹いたばかりで成長途中のお前じゃそんな自信を持てないのも無理ないか」

「……」

「とはいえ、お前さんの心配はきっと杞憂に終わると思うぜ。でなきゃ、もうとっくにおさらばしてるって」

 ところどころ理解できない言葉も聞こえていたが、プルが元気づけようとしてくれていたのはなんとなく分かった。

 しかし、その一方で癪に障る部分もあった。

「…だったら、その自信を持つ為にも、やっぱり他人の手を借りてる場合じゃないな」

「おい、クロ…何してんだ?」

 今日はもう寝るだけだったというのに、むくりと起き上がって身支度を整え始めるとプルは訝し気に尋ねた。

「お前との契約は果たしてやる。俺一人でな」

「おいおい待てって、早まるなよ!」

「来ないのか? まぁ、お前がいてもいなくても、俺がやることは変わらない…」

 当然ついて来ると思っていた悪魔はいつまでもその場に居座ろうとしたので、それ以上構わずに雨戸を開けて雨の降りしきる街中へ飛び出した。

「あーあ、ホントに行っちまったよ…。って、のんびりしてる場合じゃねえ!!」

 残された悪魔は一目散にドアへ駆け寄った。




 一方、その頃――。

 彼が思い詰めた末にそんな行動を取っていたとも知らない女子二人は、何やらキャッキャ騒いでいた。

「ねぇ、サリー。何も今日じゃなくても良くない…?」

「えぇ…? そうかなぁ…? クロムくん、ここのところ元気無さそうだったし、早いうちに行ってあげた方が良いと思うんだけど…」

「それはそうだけど、きっとあの女と遊んできて疲れてるだけじゃない?」

「でも、メアリーちゃんも協力してくれるって約束してくれたでしょ?」

「うっ…。何で私、あの時そんな簡単に口にしちゃったのかしら…」

 二人はもうすぐにでも寝られるような格好をしていたのに、未だにベッドへ横になってはいなかった。

「本当は昨日にでも決行するつもりだったのに、結局クロムくん帰ってこなかったから…今日こそは、ね?」

「ね? って、あなたね…。随分と簡単に言ってくれるわ…」

「だって、メアリーちゃんも言ってたよね? こうする方がきっとクロムくんも喜んでくれるって」

「えぇ…、それは間違いないでしょうね。あの悪魔と同じで色事には目がないみたいだから。…とはいっても、いくら日頃の感謝を示す為とはいえ、私まで駆り出されるなんて――」

「ふふっ、クロムくんも喜んでくれれば私も嬉しいし、メアリーちゃんだってクロムくんのこと嫌いなわけじゃ無いでしょ?」

「…確かに、嫌いかどうかで言われたら違うけど、その聞き方はちょっと卑怯じゃない?」

「えへへ、そうだったかな…?」

「そうよ。それに、いつも前へ出て積極的に戦ってるのがクロだからって、サリーが負い目を感じることは無いんじゃない? 魔法職は前衛の邪魔にならないように後衛で控えるのが普通だし、サリーが役に立ってないなんて誰も思ってないわよ」

「でも、実際戦闘はほとんどクロムくんに任せっきりで、私は傷ついた時に魔法で癒してあげるくらいしかしてないし…。野営の時も、今はクロムくん一人に見張りを任せちゃってるわけだし…」

「それを言うなら、今のところ馬車を動かすのも私に任せっきりなわけだけど…」

「そうそう。メアリーちゃんだってちゃんとみんなの役に立ててるでしょ? でも、私は…癒してあげることしかできてないから…」

「それで十分だと思うわよ。もしもの時に優れた白魔術師がいるのは、前に立つ人間としても同じパーティメンバーとしても頼もしく思えるし、サリーがいるから安心して戦えてる部分はあると思うわ」

「そうかなぁ…」

「はぁ…。あのね、私もクロも回復系の魔法はもちろん光属性の魔法すら使えないのよ。そんな私たちからすれば、あなたの存在は重宝されるものであっても決して邪魔になることは無いわ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。…クロムくんからも同じように言ってもらえたら、もっと嬉しいんだけど」

「あいつもあいつね。きっと、当たり前のようにあなたがいるから、その境遇に甘えちゃって感謝することを忘れてるのね」

「一緒にいるのが当たり前…か。ふふっ、それはそれで嬉しいな」

「はぁ…、これだからあいつが勘違いしてつけ上がるんでしょうね…」

 日頃なかなか言うことの無かった胸の内を話していると、廊下の方からしんみりとした雰囲気をぶち壊すような騒音が聞こえてきた。

「てぇへんだ、てぇへんだ!!」

「何よこのうるさい声、どこの輩かしら」

「このしゃがれた声…プルちゃんじゃない?」

「はぁ…またあいつなの……。どこまでもはた迷惑な奴ね…」

 メアリーが悪魔の所業に呆れていると、その声はすぐ近くまでやってきた。

「おい、サリー! メアリー! 起きてるか!? 早くここを開けてくれ!!」

「起きてるけど、嫌に決まってるでしょ。なに勢いで女の子しかいない部屋に入ろうとしてるのよ。さっさとクロのとこに戻って寝なさい。他のお客さんにも迷惑でしょ?」

「だーっ! もうっ! 今はそんなこと言ってる場合じゃねーんだって!」

「プルちゃん、一体どういうこと?」

「そのクロがいなくなっちまったんだよ! お前らを置いてな!!」

「え? どういうこと?」

「どうせ、またあの情報屋の女のところにでも行ったんじゃないの?」

「ちげえって! 良いから早くドア開けろや!!」

 どうやら、伊達や酔狂で声を荒げているわけでは無さそうだったので、顔を見合わせた二人はそれぞれ心配そうな顔と呆れた顔を浮かべながら扉を開いた。

「あっ、やっと開けやがった」

「仕方ないから入れてあげるけど、今のがただの嘘だったら承知しないからね」

「あぁ、嘘や夢だったら良かったんだろうけどな」

 悪魔がパタパタと我が物顔で部屋に入ってくると、再び扉を閉めた。

「それで、クロムくんがいなくなったっていうのは…?」

「そのままの意味さ。さっきまで説得していたんだが、これからは自分一人で戦って契約を果たすからって言い残して飛び出して行っちまったんだ」

「そんな……」

「でも、なんで急にそんなことを…?」

「それはお前らの胸に聞いてみろ。心当たりがあるんじゃねぇか? クロが言ってたぞ。マルーンにいた時、お前ら二人があの王国騎士団のいけ好かねぇ男と話してるのを見かけたって」

「ハンフリーと…? あー、サリーと探し物をしてた時ね」

「クロムくん、知ってたんだ…」

「ほら、やっぱり心当たりあるんじゃねーか。わざわざ隠してたってことは、やましいことの一つや二つあるんだろ?」

「やましいことは無いけど、わざわざ言うことでも無いと思ったから私が言わないようにさせてたのよ。要らぬ心配をかけるかも知れないからって」

「ホントか? じゃあ、何を話したのか言ってみろよ?」

「何って…、あの人に色々聞かれたから答えてただけだよ?」

「そうそう。急に見知らぬ相手に襲われたわけだし、相手の素性とか含めて色々知りたかったんでしょ」

「それで、俺様たちの情報を売ったのか、お前らは?」

「もちろん――」

「そんなことしてないよ」

 二人は自信満々に言い切った。

「へぇ…」

「大抵は、はぐらかして誤魔化したよ」

「そうそう。例えば、何で急に襲って来たのかって理由を知りたがってた時には――さあ? でも、あなたを羨むと同時に憎んでる人は多いんじゃない? そうやって、いろんな女の子たちから好意を寄せられてるみたいだし――って感じで答えたし」

「お前、良い度胸してんな…」

「傍についてたのは女剣士一人だったし、二人とも敵意剥き出しにして戦うような素振りも無かったからね」

「きっと、立場もあるから町中で争うつもりは無かったんじゃないかな?」

「もしくは、腕を見込んで懐柔して、お前ら諸共引き入れるつもりだったんじゃないのか?」

「さあね。向こうはそのつもりがあったのかもしれないけど、私はそんなつもり微塵も無かったから」

「うん、私も。クロムくんが一緒ならともかく、あの人についていこうなんて思いもしなかったよ」

 二人があまりにもあっけなく口にするものだから、悪魔は酷く落胆していた。

「はぁぁ……。ってことは、やっぱクロの思い過ごしかよ…。だから気にし過ぎだって言ったのに…」

「え? じゃあ、クロムくんは私たちがハンフリーさんの下へ行くって考えてたってこと?」

「街に戻る前にも変なこと言ってたけど、まさか…」

「そのまさかだよ。普通に考えたら、自分とあの男のどっちを取るかなんて言うまでも無いって卑下してな」

「そんな…」

「考えるまでも無いのはその通りだけど、答えが真逆だったってわけね」

「でも、お前らもお前らだぞ。クロに対して変に隠し事なんかするから、あいつが不審に思い始めたんだからな」

「隠し事って…。私の考えがクロムくんを苦しめるきっかけになっちゃったんだね…」

「あなたが悲観すること無いわ、クロの勘違いなんだから。それに、後悔するにしても後にしなさい」

「そうだぞ。お前らがまだあいつと一緒にいたいと本気で思うなら、今すぐにでも追ってやらないともう一生修復できない溝ができちまう」

「そんなの嫌だよ! メアリーちゃん、すぐ着替えて行こう!」

「…全く、この悪魔と一緒で世話が掛かる男だわ」

「へへっ、ツンデレって奴か。ブーブー言いながらまだ一緒にいようと思うなんて、お前相当あいつのこと…ふぎゃぁっ!」

「いい? それ以上言ったら、潰すわよ……」

「ひゃい…」

 顔を真っ赤にした魔女の逆鱗に触れた悪魔はその手で握り潰されようとしていた。

「ダメだよ、メアリーちゃん。今プルちゃんを潰したら、クロムくんの後を追えなくなっちゃう」

「あ、そうだった…。確か、あんたならクロの居場所が分かるんでしょ?」

「ふぁい…」

「よし、準備できた。そっちはどう? メアリーちゃん」

「えぇ。あとはこいつに居場所を吐き出させるだけよ」

「もうだいぶ遠いが、移動速度が落ちたみたいだ。これならまだ追い付けるぞ」

「じゃあ、すぐ行こう」

 悪魔に先導される形になった二人は、雨に濡れることも構わず急いで死神の影を追いかけた。




 強くなりたいと願ったのは、果たして何の為だっただろうか。

 ただひたすらに、貪欲に強くなりたいと願ったのは最後まで俺を心配して亡くなった母親の為か。それとも、自分を見下してきた奴らを見返す為か。

 いや、本当はそのどちらでも無かったのかも知れない。

 本当はただ――自分を受け入れられなかっただけだ。

 弱い自分が嫌だった。情けない自分が嫌だった。

 だからこそ、強くありたいと願った。

 そして、他の誰でも無い――自分に誇れるような自分でありたかったのだ。

「ダメだな、俺…。あの頃から全然変わってないじゃないか…」

 強大な悪魔のチカラを得ても、心までは強くしてくれない。

 いつの日かそう感じたのも覚えているが、それは相変わらずだった。

 きっと、それを乗り越えるというのが、真の意味で強さを得るということなのだろう。

 チカラを驕るばかりではなく誇れる自分になることが、あの男のような世間からも認められる真の強者足る存在になり得るのだ。

「……」

 初心に返った新たな旅立ちが朝日の眩しい昼間ではなく雨の降りしきる真っ暗な闇夜というのが、悪魔と契約した者への末路だとすれば随分皮肉が効いている。

 顔に当たり頬を伝う雫も気にせず街を離れる姿は、闇に紛れてきっと誰の目にも映らないことだろう。

 まだろくに馬の扱い方すら聞いていなかったので、つい先日買ったばかりの馬車も置いてきてしまったが仕方ない。

 見様見真似で動かすことはできたかもしれないが、新たな始まりを告げるには以前のようにこの身一つで荷物を担いで行くくらいの方が相応しい気もしていた。

 それに、どちらかといえば馬車よりもそこに積んだままだった魔法の指南書の方が気掛かりだ。

 一応、全てに目を通して読めるものは読んでおいたので今更新しい魔法を得られる可能性は低いが、他人の手に渡ってしまうとまた話が変わってくる。

 そのほとんどが上級魔法を享受するものばかりなので読める者こそ少ないだろうが、その僅かな該当者がさらに強いチカラを得てしまうのは間違いない。

 それが王国騎士団の面々ともなればあの男の傍にいた小生意気な魔女を筆頭に優れた魔術師が集まっているだろうから、おそらく該当者も多いことだろう。

 そして、きっとサリーたちはそれらを手土産に意気揚々とハンフリーの下へ行くに違いない。

 ただでさえ素養の高い魔術師二人が加わることに加えてその指南書があれば、一時敵対するような様子を見せたことすら不問にして嬉々として受け入れるのが目に見えている。

 敵対していた理由さえ、俺に責任を押し付ければ良いだけなのだから尚更だ。

 しかし、そうなればいつかはまた彼女たちと出会ってしまうことだろう。

 今度は旅に同行する仲間ではなく、敵対する組織の一人として。

 その時、果たして俺は彼女たちまで斬れるのだろうか……。

「ふっ…、一番に心配するとこがそれか。我ながら傲慢なことだ」

 本来なら、まず最初に気にするべきはその組織でも随一の実力を誇るハンフリーを倒せるかどうかということだろう。

 けれども、自分の心配はそれを通り越した考えをしていたので、自分のことながら笑ってしまった。

「でも、それも仕方ないか……」

 苦労や苦難の絶えなかった冒険者人生において、プルズートやサリーたちと出会ってからその印象は大きく変わった。

 ただ必死で生き伸びようと日々の糧を得る為に戦い、命が惜しくて比較的安全に狩れる程度に落ち着いて冒険を忘れていた。

 新鮮味も刺激も無い日々の中、誰かに褒められるなんてことも無く嫌味や憎まれ口を叩かれるばかりで鬱屈してしたのだ。

 だが、彼女たちと出会って行動を共にするようになってから、日々の生活を楽しいと思えるようになった。

 それは悪魔によってチカラを得たことにより心の余裕が生まれたからという理由もあるのだろうが、いつも隣で明るく気遣ってくれたサリーや親近感を抱いたメアリーのおかげでもあったのだろう。

 そう、俺は彼女たちとの旅を楽しいと感じていたのだ。

 できれば、いつまでもそうしていたいと思うほどに。

 時に意見の食い違いから言い争ったりうるさく感じることがあっても、一人で生活していた時よりも華やかで何倍も楽しかった。

 それこそ、アリオトの町で燻ってる時と違って、本当の意味で生きているのだと実感できるくらいに。

 しかし、そんな幸せな時間はいつまでも続かず、失って初めてその大切さに気づかされる。

 彼女たちだって一人の人間なのだ。

 俺が一緒にいて楽しいとかその時間が幸せだと感じても、彼女たちが同じように思うかはまた別の話である。

 彼女たちがより強い男の下についてより良い境遇に身を置くことを求めるのであれば、より良い居場所を見つけた今俺の下から去るのも至極当然だ。

 そして、それを引き留めてしまうのは俺の独り善がりなエゴに過ぎない。

 彼女たちの運命が狂ってしまうことも厭わず自分のエゴを貫くなど、弱き者には取れない選択だった。

 ただ、彼女たちを大切に思うからこそ、彼女たちにはそれぞれ幸せになって欲しいと願うのもまた自分のエゴではある。

 それでも、俺の下を離れた方が幸せになれるというのなら、他の男の下へ行ってしまってもやむを得ないと自分に言い聞かせていた。

「…ロー!」

「…?」

 背を向けた街の方から微かに声が聞こえた気がした。

 けれども、きっとこんな夜更けに街の外へ出たバカがモンスターに襲われて騒いでいるのだろうと思って気に留めなかった。

「クロムくーん、待ってー!」」

「…っ!?」

 今度は聞きなれた声が聞こえた気がして、いよいよ幻聴まで聞こえるようになってきたかと自分に呆れながら振り返ると、そこには魔法の光を伴いながら雨に濡れて泥が跳ねることも構わずにひた走る彼女たちの姿があった。

 そして、その姿を見て胸が熱くなった。

 だが、その思いを表に出してはいけないと感じて、迫り来る彼女たちに対して鎌を構えた。

 当然、その様子を見た彼女たちは、やっと追いついたというのに怪訝な表情を浮かべる。

「クロムくん…」

「クロ、何のつもり?」

「それはこっちのセリフだ。何しに来た?」

「何って、クロムくんを追って来たんだよ。私たち、仲間でしょ?」

「…あぁ、そうだったな」

「何よ、その言い方」

「それはもう過去の話だからだ。俺はもうお前たちを仲間だなんて思ってない」

「ぅ…うぅ……」

 ハッキリと告げたことで、特にサリーは大きなショックを受けているように見えた。

 もし、これが演技だとしたら、彼女は白魔術師としてだけでなく役者としても一流だ。

 そして、そう思わせるのが女というものであり、同時に恐ろしい所以ゆえんでもある。

 これまでも、こうやって俺を欺いてきたのだと思うと胸糞悪くて吐き気がする。

「よくそんな酷いことが言えるわね。まさか、私たちが本気でハンフリーの下へ行こうとしてると思ってるの?」

「あぁ、思ってるさ。誰だって普通そう思う。俺なんかといるより、よっぽど良い環境に身を置けるんだからな」

「違うよ! 違うんだよ、クロムくん!」

「何が違うんだ? あいつと密会してたことだって、もう隠す必要は無いんだぞ。俺はこの目で見たんだからな」

「誤解だよ! あれは偶々街で出くわしただけだもん」

「そんなあからさまな嘘にもう騙されないぞ」

「クロムくん、信じてよ…。どうして私の言葉を信じてくれないの…?」

「お前らこそ、もう俺をたばかる必要も無いだろう。さっさとあの男の下へ行ったらどうだ? 俺は止めやしないぞ」

「…呆れた。それを本気で言ってるなら、あなたのこと心底見損なったわ」

「…あぁそうかよ。地の底まで見損なうが良いさ。今更お前らにどう思われようと、俺は構いやしない」

「はぁ…、あなたは私たち本人の言葉より、自分の中の虚像の言葉を信じるのね」

「人は嘘を吐く生き物だ。それが嘘かどうかは本人にしか分からない。それに、常識的に考えれば、いつまでも俺について来るよりあいつの下へ行った方が自然なのは間違いない」

「それはあなたの思う常識や考えから導き出された結果でしょ? どう思おうと勝手だけど、あなたの考えを私たちに押し付けないで」

「そうだよ。私もメアリーちゃんも、クロムくんと一緒にいたいんだよ」

「…だったら、お前はなんで一緒に付いて来ようとするんだよ? 今もそうだし、最初からそうだった。なんで悪魔に付きまとわれる俺と一緒にいようとしたんだ?」

 より良い境遇に身を置きたいのなら、俺ではなくハンフリーのような男を選ぶはず。

 なのに頑なにそうしようとしない根拠が分からなければ、とても納得できなかった。

「そんなの…好きだからだよ! クロムくんのことが好きだから、一緒にいたいと思ったし心配もする。それに、クロムくんの為なら何でもしてあげたいって思った」

「それなら、最初からそう言ってくれれば良かったじゃないか!」

「だって、分からなかったんだもん…。最初は本当に心配だったから付いて行っただけだったけど、クロムくんはそんな私に色んなことを教えてくれたり優しくしてくれた。私の知らない世界を見せてくれたクロムくんと一緒に居るうちに、だんだん惹かれていって…こんな気持ちを抱いたのはクロムくんが初めてだったから、ずっと想い続けても好きって言えなかった」

「サリー……」

「”好き”って気持ちを理解するのにも時間が掛かったの。その気持ちを意識できても、一方的に想いを告げて困らせたくも無かった。でも…それでも、クロムくんへの想いは口に出さなくても態度で示せばきっと伝わるんじゃないかって思ってた…。けど、そうじゃなかったんだね……」

 寂し気な彼女から胸の内を告白されて、さらに愛おしさが募る。

 しかし、だからこそ彼女の想いを受け取るわけにはいかなかった。

「あぁ…分からなかったよ。俺はそんな健気に尽くしてくれた女の子の想いも分からない大馬鹿野郎さ」

「…クロムくんは、私のこと…嫌い?」

 相変わらずズルい聞き方をする彼女にハッキリと言ってやらなければ、彼女はこれからも付きまとおうとするだろう。

「あぁ…嫌いだよ。だから、もう帰ってくれ」

 心にも無いことを言うのは大変だった。

 今も胸が締め付けられるように痛くて苦しくて堪らない。

「クロムくん……。なんでそんなこと言うの…? 今まで、一度だってそんなこと言わなかったのに…!」

「…これが俺の本心だ。分かったら、もうついて来るな」

――早くこの場を去ってくれ。ビンタでもなんでも食らわせていいから、さっさと踵を返して去ってくれ。これ以上、俺にお前を傷つけさせないでくれ。

 そう思わずにはいられなかった。

「…クロムくんは、そう思ってたんだね。私は…クロムくんと一緒にいたいよ。これからも、ずっと一緒にいたいのに…」

「お前は、こういう時ばかり強情だな。いつもみたいに物分かりが良いサリーはどこへ行ったんだ?」

「だって、せっかく想いを伝えられたのに…さよならなんて嫌だもん……」

「はぁ…。サリー、冷静になってよく考えてみろ。俺なんかと一緒にいたって、こんな悪魔も付いて来るんだからろくな人生にならないぞ」

「おい、俺様の扱いが酷過ぎないか?」

「いいから、あんたは黙ってなさいよ。今良いところなんだから」

 修羅場を見守っていたプルはメアリーに口を抑えられて、強制的に黙らされた。

「俺たちの向かう先が地獄に続いているのは間違いない。でも、サリーまでそれに付き合うことは無いだろう? それよりも、あのハンフリーとかいう男のような明るい未来が約束された奴らと一緒にいた方が、よっぽど幸せになれるだろうさ」

「確かに、悪魔が伴う道の先は辛く険しいもので幸せな未来に辿り着けるか分からない。でも、光ある道に進むあの人の傍にいたって、幸せになれるかは分からないよ」

「…そうでなくても、サリーは純粋で優しい一方で好奇心旺盛なところがあるから、俺やプルと一緒にいたら…サリーまで悪魔の悪い影響を受けちゃうかもしれないだろ?」

「ふふっ、やっぱり心配してくれるんだ。でも、大丈夫。そんなの気にしないよ」

 お互いのエゴとエゴがぶつかり合い、彼女も引くつもりは無いらしい。

「…それに、私が好きなのはクロムくんだけだもん。だから、クロムくんが一緒にいてくれないと幸せになんてなれないよ」

「本当に後悔しないか? いっぱい苦労を掛けると思うぞ」

「そんなの今更だよ。それに、例え他の人の下で幸せになれたとしても、私はクロムくんが一緒にいてくれないと、悲しくて…きっと毎晩泣いちゃうから」

「……ふぅ。それなら、仕方ないな」

 グリム・リーパーを指輪に戻すと泣きながら想いを告げた彼女へ歩み寄り、もう放さないという意思を込めて固く抱き締めた。

「クロムくん…」

「サリー、俺もサリーが好きだ。他の誰にも渡したくないし、後悔させないよう出来る限り幸せにしてみせる。だから、だから…これからもずっと一緒にいて欲しい」

「…はいっ、喜んで」

 どちらともなく近づいて交わしたキスはお互い雨で濡れていたにも関わらず、温もりを感じられるものだった。

 そして、改めて間近で見る彼女の顔が幸せで満ち溢れるように和らいでいたことで、思わず惚れ直しそうになる。

「…えへへ」

 可愛く微笑んだ彼女の頬に流れる雫をそっと拭ってやると、降り続いていた雨が止んできたことに気づく。

「あーあ、見せつけてくれちゃって…これじゃあ、私の立場が無いわ」

「えっへへ…。でも、それは違うよ」

 サリーから告白されて二人の想いを確かめ合う一部始終をすぐそこで見せられてしまったメアリーは居心地悪そうにしていたが、そこに彼女が待ったをかけた。

「お互い好き同士が結び合ったのに、まだ何かあるの?」

「他人の好きって感情を他人が否定する権利は無いと思うの。私がクロムくんのことを好きなことはメアリーちゃんはもちろん、クロムくんであっても否定して欲しくないもん。だから、メアリーちゃんの気持ちも、クロムくんがメアリーちゃんを想う気持ちも私は否定しないよ」

「私は別に、まだ好きって言ったわけじゃ…」

「まだ?」

「…っ、うっさいわね。この悪魔は口を縫い付けた方が良いんじゃないかしら」

「それにね――」

 思うところのあるらしい彼女は俺の手を掴むと、自らの手を重ね合わせた。

「もし、クロムくんが一人で幸せを掴むのが大変だっていうなら、私も手伝う。一人では難しくても、二人ならきっとできるよ」

「あぁ、そうだな」

 希望に満ち溢れたように明るさを取り戻した彼女から言われると、不可能ではないように思えてくるから不思議だ。

 そして、彼女はそのままジッともう一人の少女を意味深に見つめる。

 すると、相手もそれを察して、重ねられた手の上にさらにもう一人の手が重ねられた。

「その理屈でいえば、二人より三人になればより現実的になるんじゃない?」

「うん、私もそう思う」

「お前…」

「クロ、私が覚悟を決めて初めてを捧げたっていうのに、あなたはその責任を簡単に他人へ放り投げようとしてる。私はそれが許せないわ。…ちゃんと、最後まで責任持ってもらうからね」

 眼帯をした魔女は呪いでも掛けようとしているかのように右目を光らせて訴えかけてきた。

 どうやら、悪魔の契約と同じで魔女の呪いも簡単に解呪することはできなそうだ。

「全く、恐ろしい女の処女を貰っちまったもんだ…」

「あのねぇ…。それに、あなた一つ忘れてない? 私の故郷はこの国にあったのよ。そして、その村はモンスターによって滅ぼされた。それなのに、私が国家騎士団の連中なんか信用できるわけないじゃない」

「確かに、言われてみればそれもそうか…」

 国を守る彼らが彼女の村までしっかりと守ってくれていれば、まだ彼女の両親は生きていて彼女も悪魔のチカラを求めてしまうようなことにはならなかったのだ。

「第一、私はああいう恵まれた人間ってのは気に食わないのよ。ハンフリーって貴族出身だったはずだし、私が苦しんでいる間ものうのうと暮らして今では女を侍らせて英雄気取りだなんてムカついてしょうがないわ。それに比べたら、よっぽどあんたみたいな方がマシね」

「…酷い言われようだ」

 俺に対してはもちろん、あのハンフリーにさえここまで言う奴がいるだろうかという憎みっぷりだった。

「まぁとにかく…これ以上、私を失望させないでよね?」

「約束はしかねる…」

「ふっ、ふふっ…。まぁ良いけど、せめてこういう時くらいバシッと言い切って欲しかったわ」

 魔女の不敵な笑みは不吉にも思えるものだが、今ばかりは頼もしく思えた。

「へへっ、そんな頼りないクロには俺様も付いてるからな。だーいじょーぶだーい!」

 いつもの調子で振舞うプルは、三人の手が重ねられた上に我が物顔で降り立った。

「プル…」

「あんたね…」

「ふふっ、そうだね」

 三者三様の反応を見せながらも、悪魔はそのまま自信満々に言い放った。

「一人より二人、二人より三人。そして、俺様が付いているからには百人力さ。クロの野郎がちょっとばかし頼りなくても、お前らを束ねるリーダーの俺様がいれば何も心配するこたぁねぇ」

「へぇ、お前がリーダーだったのか」

「そんなわけないじゃない。こいつが勝手に言ってるだけでしょ」

「あはは…だよね。だって、リーダーはクロムくんだもん」

「そうなのか?」

「うん、そうだよ」

「はぁ? あんた自覚無かったの?」

「あぁ…そんなに」

「だって、クロムくん以外いないもんね」

「いや、だから俺様がだな…」

「無い無い。あんたの場合どっちかっていうと、ろくでも無いことを吹き込む参謀ってところが妥当でしょ」

「あ、うん。それだね」

「それだね…じゃねーよ! 誰がお前らの核になってると思ってんだ。特にクロと性悪魔女の二人は俺様のチカラの恩恵をもろに受けてんだから、少しは敬え!」

「はいはい、あんたにそんなところがあったらね」

「ふっ、ははっ…はははっ…!」

 一度は手放した光景が再び目の前で繰り広げられているのを見ていたら、思わず笑いが込み上げてきてしまった。

「なによ、急に笑ったりして…今笑いどころなんてあった?」

「さぁ…? クロの奴、偶におかしくなるからな…」

「いや、何でもないよ。あとおかしいは余計だし、お前に言われたくない」

「なんだと!?」

「ふふっ…。でも、私はちょっと分かる気がするな…」

「…はいはい。好きな者同士分かり合っちゃって、楽しそうなんだから」

 それぞれが言いたいことを言い合う賑やかな光景が無性に懐かしく感じられて、つい先日までの幸せな思い出まで蘇ってくるようだった。

「さあ、クロムくん…。そろそろ帰ろう、みんなで」

「あぁ…。でも、ずぶ濡れになっちまったな…」

「ふふっ、知ってる? こういう時は人肌で温め合うのが良いんだよ?」

「あぁ、知ってるさ。サリーに身を以って教えてもらったからな」

「まあ、馬車も置いたままだし、さっさと帰るに越したことは無いわね」

 二人から差し出された手を取ると、彼女たちはそのまま定位置とばかりに俺の隣へ寄り添う。

 月明かりの青い光が三人の影を映し出し、その影は一つになって街へと帰って行った。


 すっかり雨音が止んだ夜、響いていた嬌声も収まると室内はより静かに感じられた。

 ただ、それはそう悪いものではなかった。

 身体に生じる鈍い痛みと疲労感はともかく、両側で添い寝する彼女たちの温もりが肌で感じられていたからだ。

「ふふっ…クロムくぅん……」

 生まれたままの姿で全てを晒しているというのに、柔らかな膨らみが当たることも厭わず甘えてくるのはサリーだ。

「ちょっと、もう少し詰められないの?」

「一人用のベッドに三人も寝てるんだから無理だって」

 メアリーは反対側から文句を言いつつも、もう一部屋宿を取ってある別室に行こうとはしなかった。

「あっ、だったら私はクロムくんの上で寝ちゃおうかな…?」

「いやいや、それもちょっとおかしいんじゃないか?」

「そうよ。もしかしたら、寝てる間にぬるっと挿れられちゃうかもしれないし」

「うーん…、それはそれで良いかも…」

「あのねぇ…」

 色ボケしてしまった彼女に対して、メアリーは少し呆れてしまっているようだった。

 とはいえ、こんなふざけた話ができているのも誤解が解けて事態が落ち着きを取り戻したからだ。

 彼女たちから疎外感を覚え、不信感を抱く発端となったサリーの隠し事というのも知ってしまえば何のことは無い。

 普段俺にばかり負担を掛けてしまっていると思ったサリーが、こっそり日頃のお礼を用意しようとしていたのだ。

 しかし、それをメアリーにも相談したところ最終的に彼女の助言によって身体で返すのが一番喜ぶだろうという話になり、それを提案した彼女まで巻き込まれて二人でご奉仕しようという考えに行きついたらしい。

 おかげで、今夜は今まで以上に身も心も気持ち良い思いを味わうことができた。

 二人を失うこともなく敵に回すことにもならなかったのは、とにかく”良かった”の一言に尽きる。

 結果として自分一人の押し問答になってしまった気もするが、今回の件を経て仲間への理解が深まり、絆がより強まったと考えれば悪いことばかりではない。

「ふぅ……」

 心の中で疑ってしまったことを詫びながら、そっと二人を抱き寄せた。

「んっ…ふふっ、どうしたの?」

「いや…やっぱり、二人と別れることにならなくて良かったと思ってな」

「うん、クロムくんが思い直してくれて本当に良かったよ」

「そうね。変な誤解が基で尻軽女と思われたまま責任を放棄されていたら堪ったものじゃなかったし」

 俺を見つめる二人の言い分はそれぞれ違っていたが、二人とも同じような目をしていた。

「二人がこれからも一緒に居たいと思ってくれるなら、俺もその想いに応えないといけないな」

「そうそう、その意気よ」

「ふふっ、楽しみだね」

 さらに身を寄せてくる彼女たちとの関係を改める一方で、ふとある考えが頭を過ぎった。

 この世にはサキュバスという淫魔がいるらしい。

 サキュバスは男の精を吸って生きていると言われていて男からすれば天敵ともいえる相手ではあるが、その一方でどうせ死ぬならサキュバスに襲われる方がマシだという者もいる。

 その理由はサキュバスの性質にある。

 サキュバスは捕食対象である男へ近づく為に、相手の望む姿に容姿を変えることができるという。

 自らの理想的な女性像を映し出していたのなら、すぐに虜になってしまうのも無理はない。

 そして、サキュバスはその身体を使って男の精を絞り尽すと、廃人同然になった男は死に至るそうだ。

 なぜ男がそれを望んでしまうのかといえば、精を絞り取られる際に極上の快楽を味わえることにある。

 痛みで酷く苦しむ最後を迎えるよりも、最後の最後まで気持ち良い思いができた方が望ましいというわけだ。

 俺は今までサキュバスというものに出くわしたことは無かったが、もしかしたら先日出会った情報屋のレーナがそうであったのかもしれないと悟っていた。

 男好きする身体に、どこへ出しても恥ずかしくない整った顔立ち。

 さらには内面までサービス精神に満ち溢れていて、昼間はお淑やかであっても一度夜の顔を覗かせればたちまち男を求めてくるので、彼女の思惑通り精を絞り尽くされてしまったからだ。

 しかし、それは間違いだったのかもしれないと思い直した。

 それは、別の二人にも同じ目に遭わされてしまったからだ。

 サリーとメアリーにも精を絞り尽くされたことで、レーナが特別性的な存在であったとしても彼女たちはサキュバスではなく女だということを改めて思い知らされた。

 考えてみれば、女というのは元来自らの子孫を残す為に男から精子を絞り取ろうとする存在なのだ。

 おかげで、極上の快楽を味わいながら俺は今も生きている。

 そして、これからも彼女たちと共に歩むのだ。

 自らの望む幸福な未来の為に――。




つづく

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