② 契約の恩恵と代償
「わぁ~。なんだろう、ここ。遺跡か神殿かなぁ」
白を基調とした清楚で可愛らしいローブに身を包んだ少女は、暢気にそう呟いた。
彼女が右手に持った杖には、翡翠色の宝石が埋め込まれている。
「なんて書いてあるんだろ?」
神聖さを感じさせるような壁画に目を奪われていると、遠くから物音が響いてきた。
それは、剣などの金属がぶつかり合う音や何者かの声に聞こえた。
「モンスターの声?それにしては、人の声も混じってる気がする…」
壁画よりもそちらに興味を惹かれた彼女は、その声がする方向へ歩みを進めた。
「こんなところに、誰か住んでるのかな」
頭に疑問を浮かべながら、だんだん近づいて音が大きくなってきたかと思えば、いつの間にか辺りは静けさを取り戻したことに気付く。
「なんだったんだろ?」
訳が分からぬまま、それでも先へ進み、白い建築物から外へ出る。
「あ、水が…っ」
洞窟の奥に流れる地下水脈に目を奪われそうになったが、その手前の陸で誰かが倒れているのを発見し、思わず息を呑んだ。
うつ伏せで倒れている人影の周りには、彼の血と思われる真っ赤な液体が広がっており、明らかに死んでいると思った。
そして、先程の音は、彼がモンスターと戦っていた際のものであったと察し、少女はもうちょっと早く駆け付けられたら、その命も助かったかもしれないと罪悪感に苛まれる。
見ず知らずの人であっても、そう思えるのは、彼女が優しい心を持つ少女だったからに他ならないだろう。
「…っ!?嘘っ?」
しかし、よく見れば彼の周辺の血だまりが、徐々に収縮して彼の元へ戻っているようにも思えた。
まるで、時間が巻き戻っているかのような出来事を前に、驚きを隠せなかった。
周りを見渡しても、誰かが蘇生魔法を掛けた様子もなく、それは不思議な光景だった。
やがて、さっきまでの致死量と思しき量の血が影も形も無くなり、彼の負傷した傷自体も治っているように見えた。
「どうなってるの…?」
まさか、生き返ったのではないか――そう思ってしまうものの、それは半信半疑で件の彼もなかなか目を覚ます気配が無い。
状況を確認するために、思い切って彼の元へ近づいた彼女は、うつ伏せだった彼の身体をひっくり返して、容態を調べ始める。
「心臓は動いているし…脈もある。息もしてるから、死んではいないみたいね」
どうやら、本当にあの状態から息を吹き返したらしいことを知ると、さらに彼への興味を抱いた。
「…んぅ、でもこのままだとかわいそうだよね」
心優しい少女は、そのままゴツゴツした岩肌の床に少年を放置したまま待つのも憚られ、考えた末に膝枕をすることにした。
「うん、これなら少しはマシになったかな」
意識を失った人間の身体は重いが、それでも自分のことを顧みず、彼の為に自らの膝を差し出した。
寝ている彼の顔を眺めながら、少女は慈しむように髪を優しく撫でる。
そして、念の為と言って、回復魔法を唱え、彼の身体を癒した。
それでも、彼はまだ起きる様子が無い。
一方で、彼を殺したモンスターがまだ近くにいる可能性も思い出し、周囲を改めて警戒する。
「一応、魔物除けをしておこうっと」
緊張感の薄い声色と共に、魔物除けの結界を張って、その場に杖を突き立てた。
そのおかげか、辺り一帯が、神聖な空気を纏ったかのようだった。
それでも、キョロキョロと見張りをしていると、岩陰に隠れてこちらをこっそり覗いているモンスター(?)の姿を捉えた。
「なんだろ、あれ」
間違いなくこちらを見ており、ジッと様子を窺っているが、かといってすぐに飛び出してくるわけではないようだ。
ただ、あんな可愛らしいモンスターは見たことがない。
見ているだけで毒気が抜かれ、敵意が削がれるのは初めてのことだった。
「コウモリの一種なんだろうけど、変な感じ」
モンスターであろうその生物を退治した方がいいのかと考える一方、それ以上近づいてくる様子もなく、今膝枕を止めるのも忍びないので、とりあえず放置しておくことに決めた。
「早く目を覚まさないかな…」
「クロ…」
誰かに呼ばれた気がして、ぼんやりと意識が戻ったかと思えば、霞みがかった川の向こうに母の姿が見えた。
こちらに向かって、手を振っている。
その表情はとても穏やかで、在りし日の思い出が蘇ってくるようだ。
「母さん!」
思わず、心と身体がそう叫んでしまった瞬間、目の前が再び真っ暗になった。
「きゃっ!?」
しかし、柔らかな物体にぶつかって跳ね返されただけで、意識は留まっている。
一体、何がどうなっているのかと目を開ければ、服を押し上げる膨よかな胸越しに、見知らぬ美少女の顔があった。
ピンク色の鮮やかな長い髪はツヤツヤしていて、その整った顔立ちと相まって見惚れてしまうほどだ。
「……?」
いや、しかし意味が分からない。
確か、さっきまでリザードマンと…。
「良かった。目が覚めたんだね」
今まで見たことも無いほど可愛らしく清楚な少女に声を掛けられ、俺は悟った。
そうか、俺は死んだんだ、と。
リザードマンと戦って敗れ、こうして天国へやってきた。
そうでなければ、ありえないほどのことが起こっている。
「あの、大丈夫?」
「あ、あぁ…大丈夫」
返事が無いので、心配になったらしい彼女に声を返した。
確かに、気が動転しているが、身体に異常は無さそうだ。
「…あ、それより、さっきはゴメン。なんか、多分…その、胸に顔が当たっちゃったみたいなんだけど……」
「え?あぁ、うん。大丈夫だよ。わざとだったわけでも無さそうだし、気にしてないから」
「あ、そ、そう?なら、良かった」
可愛い上に優しいなんて、この子は天使か?――と思う一方で、それなら、もっとちゃんと感触を覚えていれば良かった、と浅ましい後悔をする。
「って、あれ?今膝枕させちゃってるよね?ゴメン、今退くから…」
「いいよ、このままで。まだ安静にしていた方が、いいんじゃないかな?」
「そ、そう?なら、お言葉に甘えて…」
「…あの、それより自分の身に何が起きたか、覚えてる?」
「あなたは、さっきまで死んでいた筈なんだよ」
「え?」
急に俄かには信じがたい話が飛び出て、いざ自分の置かれている状況を把握しようとしても、分からないことだらけで俺にも解説しきれない。
「ケーケッケッケ!その質問には、俺様が答えてやろう」
「あ、さっきの…」
今度は耳障りなしゃがれた声が突然聞こえて、見たことのないモンスターが寄ってきていた。
「モンスターがしゃべった!?」
「ああ、いいねぇ、その反応。でも、そんなテンプレはいいんだよ」
珍妙な形をしたモンスターは、一見コウモリの類と判断するが、先程見た覚えのあるアストゥート・バットとは全く異なる。
コウモリの特徴である鋭い牙や羽はともかく、短い足や羽から生えている申し訳程度の手、何よりも身体を作る材質が柔らかそうな感じをしている。
「高い知能を持ったモンスターは、人間の言葉を話せると聞いたことはあるが…」
「俺様をそんなチンケな奴らと一緒にするんじゃねえ!」
高い知能を持ったモンスターのどこかチンケなものかと思ったが、こいつは自信満々に自己紹介を始める。
「いいか、よく聞け。俺様は、プルズート。お前の命を助けてやった悪魔様だぞ」
「プルズート…命を助けた…?」
「おう、そうだ。お前とは契約を結んだ仲だし、プルって呼んでくれていいぜ」
何が何やら…と思うばかりではなく、記憶の片隅に引っかかるものがあった。
「うーん、でも俺の覚えが正しければ、もっとキレイでカッコいい声だった気がするんだよなぁ」
「余計なお世話だ、ボケ!」
「で、お前たちは?」
「あ、ああ。そういえば、まだ名乗ってもいなかったな」
悪魔に促されて美少女相手に自己紹介する羽目になるとは、夢にも思わなかった。
「俺は、クロム・バルフォード」
「はいはい。クロね。で、そっちの女は?」
悪魔だけあって、扱いが雑というか、いい性格をしてると感じた。
もちろん、悪い意味で。
「私は…サリー。あなたが、クロムくんを助けたっていうのは、どういうこと?」
「サリー?サリー、ね。まあまあ、そう慌てなさんなって。今から順に説明してやっから」
彼女を見る目が性的ないやらしいもの、というわけでもなく、何か言いたそうな風にも思えたが、今はそれよりも気になることが山ほどあるので、悪魔の話に耳を傾けた。
「お前…えーっと、クロ!」
「さっき、リザードマンと戦って、殺されたところまでは覚えてるか?」
「ああ、まあ…な」
自分で勝手に呼び名を決めておいて、もう俺の名前を忘れかけていたようだ。
なんと太々しい態度だと遺憾に思うが、相手は悪魔だと思うと、それも仕方ないのかもしれないと諦めて思い直す。
「そんな相手に死んでしまうとは情けないお前さんに、俺様が死の淵でお前と契約を交わし、チカラを分け与えて救ってやったのさ」
大層偉そうな態度を取る悪魔は、チマチマと小さな足でその場を行ったり来たりしながら、話を続ける。
「こう、首筋にガブっと一噛みして、血を分け当たる感じでな」
「とりあえずは、それで息を吹き返したわけだ」
「ふ~ん…」
「なるほど?」
ざっくばらんにそう伝えられても、イマイチピンと来なかったので、理解が追いついていない。
そういうものなんだ、という程度の認識でしかなかったが、話題は次に移ってしまった。
「そして、もちろん悪魔である俺様が、気まぐれでお前を助けてやったわけじゃない。チカラを分け与えた契約の代償として、お前には俺様の手足となってもらう」
「ほう?」
「説明するのが難しいが、実は俺様は別の世界にいる存在でな。強すぎるあまり、こちらの世界でチカラを行使するのが難航しているんだ」
「本来、俺様のチカラをもってすれば、この世界丸ごと頂くのも造作もないんだが、現状ではそれもままならない」
「だから、その素質のある人間を探していたんだ。俺様の代わりに、この世界を手に入れるためにな」
「はぁ…?まあ、別の世界がどうとかは、よくわからないが、随分スケールの大きい話だな」
一通り悪魔の話を聞いて思った感想が、それだった。
「お前なぁ、他人事みたいに言ってるけど、実際にやるのはお前だぞ。俺様をこっちの世界に、完全な形で顕現する方法を探すのも込みでな」
自らを抱くように羽を前で重ねる姿は、器用にも腕組みしているようにも見えた。
「助けてくれたことには感謝するけど、随分重荷を背負わされてしまったかな」
「クーリングオフは受け付けませーん。もう決定事項でーす」
今度は羽を交差させて、バツ印を描いているようだ。
確かに、ただのモンスターというよりは、誰かがこの変な張りぼてを裏で操っているように考えた方が、自然な仕草をしているようにも思える。
「クーリングオフって何?」
「んん?要するに、契約を破棄して元に戻すってことだ。どの道、もうチカラを分け与えてしまった以上、戻す手立てもないし、無理」
「それに、俺様もお前にチカラを与えたことで、もうこっちの世界で使えるチカラのほとんどを使い尽くしてしまったからな。再選抜することもできない」
さっさと世界征服を諦めて帰ってくれれば、それで済む話だと思うのだが、ここまでの言動を見る限り、そういうわけにもいかないのだろう。
「具体的には、これからどうすればいいんだ?魔王を倒す、とかそういうことか?」
「いや~、それもそうだが、魔王を倒したところで、人間側にも統率者はいくらでもいるだろ?そいつらも一網打尽にしてやらないと」
「えぇ?じゃあ、魔王軍どころか、それぞれの王国軍も敵に回さないといけないのか?」
「そりゃあ、俺様がこの世界の全てを手に入れるためには、他の権力者はすべて排除してもらわないといかんでしょ」
「殺すのが一番手っ取り早いが、無力化した上で生かして利用するという手もあるし、その辺はお前に任せる」
「うわぁ…マジでスケールのでかい話になってきたぞ。もう無茶を通り越して、無謀だな」
「そうでもないぜ。俺様の人選は確かだ。だからこそ、わざわざお前の命を救ってでもチカラを分け与えたんだからな」
「そうはいってもなぁ…。さっきの戦いで、メインの武器である剣さえ折れてしまったというのに…」
「へへん!その辺は抜かりないぜ。契約のついでに、お前にプレゼントをくれてやる。まあ、特典と言ってもいいかもな」
そう自信満々に言い張る悪魔は、ニヤニヤとこの後の展開を予想して、いやらしい笑みを浮かべている。
「そのままじゃ難だな。一度立ってみろ…っていうか、いつまでも女の膝枕で寛いでるんじゃねーよ!むしろ代われ!」
「本音が駄々洩れじゃないか」
身体の方は異常無さそうなので、悪魔に促されて渋々サリーの温もりから離れ、身体を起こして立ち上がる。
「えっと…サリー。ありがとな」
改めて、至福のひと時を感じられた膝枕のお礼を言っておいた。
よく考えたら、膝枕なんてしてもらったのは、母親を除けば初めてだった気がする。
「うん。でも、気にしないでいいよ。困った時は、お互い様だもん」
「ああ、そう言ってくれると助かる」
悪魔と違って、平然とそれを言ってのける純粋に心優しい彼女は、俺に続いて立ち上がろうとする。
「あっ…」
その途中で、突然バランスを崩し、こちらに倒れかかってきた。
「おっ、と。大丈夫か?」
咄嗟に抱き留めて事なきを得たが、健全な思春期男子の俺はそれどころではない。
「(うおっ、なんで女の子ってこんないい匂いするんだよ。しかも、なんか柔らかい二つの感触まで伝わってきた気が…くうぅ!)」
「ありがとう…。ちょっと、足が痺れちゃったみたい」
「ああ、そうだったのか。俺の所為だな、悪い」
「ううん、いいの。…でも、もうちょっとの間だけ、このままでいてもいいかな?まだ、足にうまく力が入らなくて」
「お、おう。それくらい、お安い御用さ」
「んふっ。ありがと、クロムくん」
膝枕も至福の夢心地で良かったが、ほとんど密着した状態のこれは、また格別な感覚で、充実感すら感じさせる。
「人が待ってやってるのに、イチャコラしてんじゃねえ!!」
悪魔が騒ぎ立てたことで、すっかり失念していた本題を思い出す。
「イチャコラって、俺たちは別に…なぁ?」
「う、うん。別に…ねぇ?」
お互いに見合わせてやんわりと否定するも、心の底から怒っている様子の悪魔は、そんなことでは納得しなかった。
「そういうのを、イチャイチャしてるっていうんだよ!この色ボケ野郎!」
「ゴメンね、話の腰を折っちゃって。もう大丈夫だから、続けて続けて」
あぁ…と思わず心の声が漏れそうになってしまいそうになるところをグッと抑えて、彼女の身体が離れるのを名残惜しんだ。
「へへっ、驚いてション便漏らすなよ。今日から、こいつがお前の新しい得物だ」
人の顔ほどの大きさもない身体の後ろから、随分と大きくて大層な武器を取り出した。
「いやいや、今どこから取り出したんだよ」
「細けぇこたぁいいんだよ!ほら、受け取れ。重いんだから」
もはや、渡されたというよりは、投げて寄こされたと言った方が正確に思えるくらい乱暴な渡し方で、危ないったらない。
「これは…!」
悪魔から貰ったのは、身の丈ほどある大きな鎌で、実際にこんなものを見るのは初めてだったから、正直かなり驚いた。
しかも、鎌から何か異質な禍々しいオーラを感じて、より不気味で冷たい印象を受けた。
まるで、触れただけでも呪われてしまうのではないかと思える代物だ。
「伝承なんかで言い伝えられている死神が持っているような武器じゃないか」
「ほほう、知っていたか。その通り、そいつは死神のチカラが宿った大鎌で、グリム・リーパーって名を持つ」
「そいつが、今のお前のチカラ不足も補ってくれる、超絶すごい優れものさ」
なぜか自分の事のように誇らしげな悪魔はともかく、確かにとんでもない代物を寄こされてしまった。
「でも、こんなの触ったこともないし、俺に扱えるのか?」
「こういうのは、不慣れな武器よりも、手慣れた武器を扱った方が良い、というのがセオリーだと思うんだが?」
「いやいや、俺様を甘く見てもらっちゃあ困るよ、少年。ちゃぁんと、お前さんが扱えるようにしておいた。チカラを与えた時に、ついでにな」
「だから、ちょっと練習すれば、すぐに使いこなせるようになるさ」
「それはそれは、随分と気の利いた悪魔さんだこと」
皮肉はともかく、確かにこんな大きくて癖のある武器なのに、柄を握ってみると、不思議と手に馴染む気がする。
鎌が纏っていたオーラもスッと薄らいで、その冷たさも感じなくなり、まるで自分と一体化したかのような錯覚すら覚えた。
「ふむ。どうやら、グリム・リーパーにも主として認められたようだな。やはり、俺様の目に狂いは無かった」
「どういうことだ?武器が人を選ぶってか?」
悪魔の言い分からすると、そう解釈もできるが、一概に信じられるような話ではない。
「そいつは、かなり特別な一点物だぞ。そんじょそこらの武器とは、全く違う」
「だから、人が武器を選ぶんじゃなくて、武器が使い手を選ぶんだ」
「もうその鎌は、お前にしか持てないだろうし、扱えない。そういうものだ」
俺にしか扱えない、俺だけの武器。
そう言われると、胸が高鳴ってしまうのが冒険者の嵯峨というか、男心なのだろう。
「分かったら、お礼参りついでに、試し切りしてみようぜ。まだ、その辺にさっきのリザードマンでもいるだろ」
悪魔は物凄く軽い感じで言ってのけたが、俺は先程そいつらに一度命を奪われているのであって、本当にそれを正しく理解しているのだろうか。
「ちょっと待て。素振りぐらいさせてくれ」
「ふぅん…、まあいいだろう。俺様が見てやるとするか」
自分の得物の扱い方すら分からない冒険者など、愚の骨頂。
下手をすれば、今まで倒せていたモンスターにすら返り討ちにあってしまってもおかしくないので、使い方を身体で覚えておくのは大事なことだ。
「そういえば、言い忘れていたが、今のお前は、チカラを与えられて蘇ったものの、元々持っていた種が芽吹く前に枯れてしまいそうなところを助けて、無理矢理発芽させた程度の段階だからな」
「以前のカスみたいな実力に比べれば強くはなったが、それでも一端の冒険者程度だ」
「最強に相応しい綺麗な花を咲かせるのはまだまだ先の話で、それはこれからのお前さんの頑張り次第だな」
「へぇ、なるほど」
というわけで、カス呼ばわりされたのは無視して、しばし悪魔の指導の下、大鎌の扱い方を習った。
「あ、ついでに、ある程度俺様が知ってる魔法も教えといてやるよ。以前とは適性が変わって、もっと扱えるものが増えたはずだからな」
「え?マジ?」
おまけ程度にサラッと言ってくれたが、火と雷の初級魔法一つずつしか使えなかった俺からすれば、これは大きな誤算だ。
悪魔曰く、彼と契約して悪魔のチカラを得たので、それに準ずる適性を得たらしい。
魔法の属性は大きく分けて8つあり、その中でも大きく二分されるのが、光と闇の属性。
光属性側に類するのが、水・土・風の三属性。
そして、闇属性側に類するのが、火・雷・操の三属性。
主に、光属性に寄っていれば、それに類する三属性の素質も高い可能性があり、闇属性側のものは素質が無いことが多い。
逆もまた然りだが、これはあくまで一般的には…という傾向の話で、人によって差があり、あまり一概にいえるものでもなくなっている。
また、光と闇の対立的な関係のように、火と水などの反対する属性同士は相性が悪く、共に扱える者は少ないとされている。
ちなみに、魔法の適性や素質は生まれ持ったものであり、成長や修行によって伸びることはあっても、開花することは無いといわれている。
なので、魔法によって発展してきたこの世界では、魔法が使えないだけで差別されることもしばしばあり、いつしかそのような者たちが集まってできた反魔法勢力という存在もあるのだが、今は割愛しておこう。
「よし。とりあえず、今はこれでいい十分だろ。そこの女が回復魔法を使えるみたいだし、お前がヘマしたら、きっと助けてくれるさ」
「うん。任せて」
大人しく一緒に話を聞いて、鎌の扱いや新たな魔法を教わっている最中も、そっと見守っていたと思ったら、今度は乗り気である。
不思議な子だなと思いつつも、それ以上に…可愛い女の子の前で、また無様な醜態を晒すことは避けたいと考えていた。
「大丈夫だ、多分…」
しかし、悪魔のチカラというのは、精神面まで強くしてくれなかったようで、未だ残りカスが消えていなかったらしい。
必死に自分を鼓舞しても、一度経験した死の恐怖は、簡単に拭い去ることができなかった。
「なんだ?トラウマにでもなってんのか?だったら、尚更それを自分の手で払拭するんだよ!じゃないと、前に進めないだろ!?」
野次をいれてくる悪魔は一見乱暴だが、今回ばかりはその意見は正論であった。
「ほら、お前もさっさと魔物除けの結界を解けよ。そうしたら、また縄張りを荒らされたと思ったリザードマンたちが、ごっそり現れるだろうからな」
「クロムくん、準備はいい?」
早くしろと急かす悪魔を気にもせず、彼女は俺に最終確認を尋ねた。
治ったはずの傷が疼く気もするが、鎌を握る手に力を入れると、不思議と身体中にチカラが漲ってくる感覚がして、困難も乗り越えられそうな気持ちになる。
「…ああ、いつでもいいぜ」
「へへっ、良い面構えになってきたな」
「それじゃあ、いくよっ!」
サリーが地面に突き立てていた杖を引き抜くと、周りの雰囲気が一変して緊張感に包まれた気がした。
すぐに奴等が現れるわけではなかったが、それが一層緊張を昂らせてくる。
「おーい、雑魚ども!早く来いよ!ビビってんのか!?」
そんなことはお構いなしに、悪魔はパタパタと水辺の方に飛んでいき、盛大に煽っていた。
「よーし、きたきた」
バシャバシャと水を掻き分ける音が聞こえ始める。
「そのままそのまま~、こっちこっちぃ~、ってうぉっ!あぶねっ!」
調子に乗りすぎて、遠くから槍を投げつけられた悪魔は、危なく回避して逃げ帰ってくる。
「何やってんだ、お前は」
「そりゃあ、お前の為のお膳立て…だろ?」
どやぁ…と、それはもう腹が立つ表情をキメた悪魔と、入れ替わるように前へ出た。
「まずは、挨拶代わりに魔法で一発、ドカンと決めてやれ!」
指導官のように後ろから指示を送られ、そのまま言われた通りに動くのは癪だと感じたが、実際どう変わったのかを見るには良い機会なので、そちらも試してみることにした。
「いくぜ…。シューティング・ボルト!」
鎌を右手に預け、空いた左手から5本の指が示す方向へ、一直線に青白い電撃が放たれる。
「グガガアァァ!?」
放たれた電撃を見ただけでも、今までと明らかに威力が違うのが分かった。
しかも、それが5本も伸びて扇状に幾重にも広がると、数多のリザードマンを巻き込み、その苦痛による悲鳴が洞窟内に反響した。
「これが、今の俺のチカラ…」
「すごいぜ、クロ!いきなり5本も飛ばせるなんて!!せいぜい3本がやっとだと思ってたが、過小評価してたみたいだな!」
「うん!すごいすごい!しかも、漏電して他のリザードマンにも効果が出てるよ!もう伸びちゃってるのもいるし!」
悪魔のプルだけでなく、サリーまで自分以上に驚いて、賞賛を送ってくれた。
こんなことを言われたのは、いつ以来だろう。
随分と久しぶりな気がする。
そう思うと、無性に嬉しくなって、感動すら覚えた。
「さあ、今のうちに追撃だ!奴ら、今の電撃で動きが悪くなってる!一気に叩き込め!!」
「よっしゃあ、やってやるぜ!」
二人に持ち上げられてすっかり気を良くした俺は、意気揚々と鎌を携えてリザードマンの群れに飛び込んでいく。
「(身体が軽い…。それに、こんな気持ちで戦うのは初めてだ。でも、これなら――もう、何も恐れず、どんな相手にだって立ち向かっていける!)」
水辺の手前で思い切り跳躍すると、彼らの中心にひとっ飛びして着水する。
もう先程の電気は感じず、彼らの背丈から水の深さも把握していたので、何も問題は無い。
あとは、ただ全力で鎌を振るうだけ。
「うおぉらぁぁ!!」
使い込んで切れ味の落ち始めていた今までの剣と違い、大きく一回転してリザードマンたちを切り裂いても、切れ味が良すぎて逆に手ごたえが無いくらいだった。
しかし、辺りをみれば、確実にリザードマンは絶命しており、その数も言うに及ばない。
屠戮された無数の彼らの死体が、グリム・リーパーのリーチ以上に広がっており、大量の血で地下水が染まっていく。
「クロの奴、リザードマンの群れの中心に突っ込んで『死神の舞踏会』だなんて…粋なことしてくれるぜ、相棒!」
「一瞬でこれだけの数を…すごいよ、クロムくん!」
二人の声援でようやく実感が湧いてきて、改めてグリム・リーバーに目を向ける。
「自分でもビックリだ…。まるで生まれ変わったみたいに、強くなってる」
「このチカラがあれば、今まで散々俺をバカにしてきた奴らも見返せる…いや、そんなもんじゃない。三国の英雄クラスの冒険者にだって、引けを取らないんじゃないか」
しかも、チカラを与えた悪魔曰く、まだこれでようやく出発点に立ったばかりで、これからさらに強くなれる見込みがあるというのだから、武者震いが止まらない。
「…あれ?クロムくん、なんか悪い顔してない?」
「ケケケ、悪魔側の素質が芽吹き出した証拠さ。人間、行き過ぎたチカラを突然得た時は、大抵あんな素振りを見せる。そのチカラを以って、どうしてやろうかと悪巧みする時にな」
「クロムくん…もしかして、このまま悪魔になっちゃうの?」
「さあ、それはどうだろうな。あいつ次第っていったところだ」
欲していたチカラを得て喜ぶクロムに対し、心配なサリー。
そして、高みの見物と言わんばかりに面白がって笑っている悪魔のプル、と三者三様の思いを抱いていた。
洞窟の地下に群れで住んでいたらしいリザードマンたちを排除してから、隈なく周辺を探したが、特にこれといってお宝と呼べるようなものは壁画以外になく、苦労したわりには空振りに終わった。
依頼の用も済んでしまえば、こんな薄暗い洞窟の中にいつまでもいる意味もなく、早々に撤収しようと、今度は元来た入口を目指して洞窟内をひたすら登っていく。
「しかし、この鎌は移動に不便だな」
人一人がなんとか通れる程度の狭い場所もある地下洞窟内では、特徴的で大きな鎌はあちこちにぶつかってしまい、大変難儀に思えた。
先の戦闘でも感じたが、身体能力の向上もされているようで、持つ分には重いと思う程ではないが、如何せん大きくて、何より目立つ。
「それに、こんな武器持ってたら、冒険者どころか、教会の人間から何を言われるか分からないぞ」
「そうだよね。一般的には、大鎌って言ったら、死神が持ってるイメージだし。最悪異教徒って認定されて、街から追い出されちゃうかも」
「ああ、ただでさえ、自称悪魔なんて奴も連れてるからな」
後ろを付いてくるサリーも、似たようなことが想像できたらしい。
ちなみに、彼女ももうここでの用は済んだらしいので、一緒について来ていた。
「うるせえなぁ…。そんなやつ、片っ端から首を刎ねちまえば良いんだよ!」
後先考えず暴力的な答えをするのは、さすが悪魔ともいうべきか。
当の彼は、もう飛ぶのにも疲れて、さっきから俺の肩に乗って楽にしている。
おかげで、耳元で騒ぐから、鼓膜にかなり悪い。
「まずは、もっと強くなる必要があるんじゃなかったのか?」
「ああ、そうだった。それじゃあ、しばらくは大人しくしている方向に考えをシフトするか」
一々無駄に声がデカい辺りが父と似ていて、ぼんやり懐かしい気持ちになる。
「とはいえ、その鎌はもうお前から離すことも出来ないからな。だとすると、携帯しやすいように一時的に小さくすれば良さそうだな」
「そんなことできるの?」
「ああ、俺様の知恵とチカラがあれば、そのくらい簡単な…まあまあ簡単なことよ」
後ろからサリーに尋ねられたプルが、今偉そうに腕を組んで、胡坐でも掻いているのではないかと容易に想像できる。
まあ、それほど足は長くなかった気もするが…。
「常に身に付けられるものとくりゃあ、指輪なんかのアクセサリー類が妥当だな」
「へぇ、この鎌を指輪に変えちゃうってこと?」
「まあそういうことだ。ただ、元となる媒体が必要なんだよな。お前ら、今なんかアクセサリー類、持ってるか?」
「私はあげられるようなものは、持ってないかなぁ」
「何でもいいぞ。どうせ作り変えるから、下手に高いものより、安物の方が良いしな」
思い当たるものを一つだけ持っていたが、できれば避けたい代物だった。
「…コレなら、あるけど」
そう言ってプルに見せたのは、首から下げたシンプルな指輪だった。
「おお、ちょうど良さそうなものがあるじゃないか。大した加護が付与してあるわけでもなさそうだし、安物っぽいし」
「…コレな、母さんの形見なんだ」
大事にギュッと指輪を握り直すと、それを見ていた二人もバツが悪そうになって、少ししんみりした空気に当てられてしまう。
「そっか。クロムくんにとっては、大切な物なんだね」
「クロ、ちょっと言い方が悪かったかもな。すまねえ」
この悪魔のしおらしい姿を見るのは、これが初めてかもしれない。
「でもよ、どっちにしろ肌身離さず付けているものなら、これからもそれは同じだ。むしろ、外せなくなるだろうから、失くさなくなるって意味でも、ちょうどいいかもしれないぞ」
「……」
プルの意見も理解はできるが、納得するまでには至らず、首を縦に振る気にはなれなかった。
「考え方を変えてみたらどうかな?」
「クロムくんのお母様が残してくれた最後の贈り物が、クロムくんのチカラになってくれるって考えると、それはとても素敵なことだと私も思うな」
もちろん無理強いはしないけど、と付け加えるサリーは、どちらかを強要するつもりはないらしく、あくまで俺の自主性に任せるつもりのようだ。
俺に関わることだから、それは当たり前ではあるが、彼女の気遣いはとても心に沁みた。
「…どちらにしろ、このままだと他に当てもないからな。母さんのチカラを借りるとしよう」
「ああ、絶対に失敗なんてしないからな。俺様に任せろ」
今回の探索に掛かる出費が嵩み、特に目ぼしい収穫も無かったので、所持金も心もとない。
ただでさえ、武器や防具以上にアクセサリー類は高価なので、代わりになる物をそう簡単に買えるとも思わなかった上での苦渋の決断だった。
そうこう言っているうちに、ようやく洞窟から脱出し、久しぶりに地上の空気を吸った。
「真っ暗だな」
昨晩はこの近くで野営して休み、朝から洞窟に入った覚えがあるが、もう辺りはすっかり暗くなっていた。
洞窟など地下の探索をしているときは、特に時間の感覚が麻痺して、こういったことがよくある。
「クロ、オイラ腹減ったぞ」
「あ?ああ。とりあえず、近くで野営して飯にしよう」
「そうしよう!」
バックパックからテントを取り出し、設営しようとしていると、サリーが魔法で明かりをつけてくれたので、恙なくそちらは済んだ。
その間に彼女が食事の支度をしてくれていたので、こういう時一人でいるのと二人でいるのとでは、だいぶ違うなと思い知らされる。
しかも、魔物除けの結界魔法まで張ってくれているので、あとは盗賊の類が襲ってこない限りはまず大丈夫というのだから、楽なものだ。
昨日来た時には、これから待ち受ける未知に不安でいっぱいだったのに、同じ場所に居ても今は全く心持ちが違うのだから、人生何が起こるか分からない。
相変わらず、食料は干し肉という味気ないものだったが、サリーの持っていたチーズなどの別の食材と合わせて、ホワイトシッチュのような煮込み料理を作ってくれたのだから驚いた。
男の一人旅ではなかなか手の込んだ料理をしないので、この手のものは大変貴重である。
夜になって日が陰り、月が出ている時間ともなると、日中と違って寒さを感じることもあり、暖を取る手段が焚き火くらいなので、こうして温かい飯にありつけるのもありがたい話だ。
「はぁ~、食った食った」
見張りとは名ばかりの仕事で、実際何もしておらず、ただ飯をたらふく食っただけの悪魔は、満足そうに腹(?)を叩きながら舌鼓を打っていた。
でも、その気持ちは少し共感できる。
「ここ数日、干し肉ばっかりだったから、尚更美味しく感じたよ。サリーは料理も上手いんだな」
「そうかな?大したことはしてないけど、そう言って貰えると嬉しいな。ありがとう」
彼女は殊勝な態度を取っていたが、事実魔法の腕も相当良いのではないかと睨んでいる。
「さて、それじゃあここからは、俺様の出番だな」
そういって、徐に立ち上がったプルは、少しキリっとしていて雰囲気が違っていたが、その膨らんだ腹の所為で、全く貫禄が無かった。
「とはいっても、最初に言った通り、もう俺様のチカラはほとんど残ってない。だから、やり方を教えるから、あとはクロ…お前がやるんだ」
「おいおい、結局は人任せじゃないか」
「自己責任ってヤツだな。まあ、大丈夫だ。そう難しいものじゃぁない」
当てになるのかならないのか、よくわからない悪魔に必要な魔法の詠唱を教わると、早速実際にやってみることにした。
本当なら、一度練習しておきたいところだったが、代用品もないので、ぶっつけ本番で行うしかなかったのだ。
まず、首から下げていた指輪を外して左手に持ち、右手にはグリム・リーパーを持って詠唱を始める。
そして、悪魔に言われた通り言葉を続けていくと、二つは眩いほどに光り出し、右手に感じていた重量感が無くなると、その光が目の前で一つに合わさっていく。
白く光っていた指輪の光が、やがてグリム・リーパーの黒紫色の光に飲み込まれ、形を変えて右手に降り注いだ。
一つとなった光が右手を包み込むと、新たな形の指輪となって人差し指に嵌った。
「どうやら、上手くいったようだな」
プルのその言葉を聞いて一安心したものの、そのデザインには一言物申さずにはいられない。
「母さんの形見が、思いっきり邪悪な物になったんだが…」
「そりゃそうだ。格納したグリム・リーパーは、死神のチカラが宿ってる大鎌だって言っただろ?だから、それ相応の物になったのさ」
シンプルな作りで飾り気のなかった指輪が、ゴリゴリにスカルの顔が彫刻された禍々しいデザインに様変わりしてしまった。
元の優しく温かな気持ちにさせてくれる形見の面影は、全く以って無くなった。
こんなものを付けているのは、盗賊のようなガラの悪い連中しか印象にない。
「これで、あとはお前の魔力を注いで、大鎌をイメージすれば、元通りに出てくるはずだ」
「ふぅん…。あ、ホントだ」
実際にやってみると、実に簡単に出来た。
瞬時に指輪が無くなって、鎌の柄が手に収まっている。
「また格納したいときは、今と同じ要領で指輪の形をイメージすればいい」
「ふむふむ」
言われた通り試してみると、確かにまた厳つい指輪に戻って、右手の人差し指に収まった。
かなり不本意ではあるが、利便性は確かに向上した。
「ふぅ…。まあ、これで懸念事項の一つは解消できたか」
「なんだよ、まだなんかあんのか?心配性だなぁ」
もう暢気に鼻をほじっている悪魔は、実に楽観的で羨ましいくらいだ。
「今夜はここで休んで、明日から町に戻るつもりだけど、この状態で見知った奴らに会うのも難だな…と思ってさ」
もう何年もの間、あの町で暮らし、俺の冒険者としての落ちこぼれっぷりは周知の事実だ。
それが、いきなりこんな変な自称悪魔なんて生き物を連れて、趣味を疑われる指輪をしてたり、いつもの剣は持っていなかったりとツッコミどころが満載だ。
何を言われるか、そして、どんなやっかみが飛んでくるか分かったものではない。
「あぁ…。人間の嫉妬ってヤツは、どこまでも醜いからな」
全てを言わなくても、悪魔も言いたいことをある程度察したようで、理解があった。
「そうだね…。特に珍しい武器を持っていることまで知れたら、本当にどうなっちゃうか分からないから」
心優しい少女サリーも、親身になって考えてくれた。
「ねぇ、だったら、私と一緒に来ない?ここの調査依頼の報告もしないといけないから、一旦ハダルに戻るつもりなんだけど、そっちなら大丈夫?」
「ハダルには行ったことないから、知り合いは多分いないだろうけど…」
「え?お前も来んの?」
歯に衣着せぬ物言いで、俺の疑問をプルが代わりに言ってくれた。
てっきり、ここでお別れとばかり思っていたので、予想外の僥倖な出来事である。
「うん。他に行く当てがあるわけじゃないし。クロムくんのこと、ちょっと心配だから、ついていこうと思ってたんだけど…ダメかな?」
上目遣いでそういうことを言うのは、反則だと思います。
元々、反対するつもりなど毛頭ないが、断るという選択肢が全く無くなってしまうではないか。
「いやいや、俺は大歓迎だけど、本当に良いのか?きっと、そのうちお尋ね者になってたりするような危険な旅路だよ?」
「うん、それは分かってるつもり。でも、気になるし…それは、やり方次第でどうにかなったりするんじゃないかな?」
サリーは、あくまでも引き下がるつもりは無さそうで、それは嬉しい反面、巻き込んでしまう懸念から、申し訳ない気持ちにもなった。
「いいんじゃねーの?こいつも、こんな清純派な成りをしてるが、俺様から見れば、こいつにも素質があるし。仲間は多い方が良いだろ。可愛い女なら、尚更な」
「はぁ?素質があるって、悪魔的な素質だろ?いや、こんな優しい子のどこにそんな要素が…ねぇ?」
「ふふ…変なこと言うよね」
何も語らず、恍けて微笑んでいるのがまた怪しいのだが、真偽は分からない。
「まあ、何にせよ。お互い合意の上なら、問題ないんじゃないか?」
「もういいだろ?そろそろ寝ようぜ…。ふあぁ、もう疲れたよ…」
言いたい事だけ言って、その場に包まると、プルは早々と寝息を立ててしまった。
「自由な奴だな」
「そうだね。でも、ちょっとだけ羨ましい」
「確かに、そう思うこともある」
「ふふっ」
優しく笑う彼女を見ている限り、先程のプルの言葉は、やはり合点がいかないのだが、今はそれを追及しても仕方ないだろう。
それより、そろそろ寝ようという話になって、さっきからずっと気がかりだったことを、ついに問い詰める時が来たようだ。
「あのさ…サリーは野営用のテントとか持ってないの?」
「うん」
「…そうだよね。そんな大きな荷物も無さそうだし」
つまり、今現在一人用のテント一つしか設営しておらず、単に寝るといってもどうするべきか頭を悩ませた。
「今までは、どうしてたの?」
「う~ん、どうって…その時々でなんとかしてたけど?」
なんとかって…平然としてるけど、女の子の一人旅が、そんな無防備で大丈夫だったのだろうか。
冒険者なら、誰しも遠出する際には、野営のための道具を持っているものだが…思えば、それ以外にも彼女には不思議な点が多い気がする。
なんというか、雰囲気からして浮世離れしているのだ。
それは、ローブから頭を出して見せた素顔の整った顔立ちや純白に彩られた肌の綺麗さ、長いツヤツヤした髪の手入れの行き届いている様子からも窺える。
その見た目だけでなく、立ち振る舞いからも品があるのが伝わってきて、ともすれば一見穢してはいけない存在のように感じて近寄りがたい印象もあるのだが、愛想が良く言葉遣いも砕けており、好意的に接してくれるので、こちらも気負わずに話すことができる。
「良かったら、そのテントとか使っていいよ。俺は見張り番してるから」
「えぇ?いいよ、見張りなら私がするから、クロムくんは休んで。今日はいろいろあって疲れてるでしょ?」
「気持ちは嬉しいけど、サリーに任せっぱなしってわけにもいかないよ」
ここの洞窟にも一人で地下深くまで来ていたから、見かけによらずある程度強いのは察しているが、それでも女の子に夜中の見張りをさせるのは、男として忍びない。
「うーん…じゃあ、交代でしよ?それなら、いいんじゃない?」
「まあ、そういうことなら」
変なところで強情なのはお互い様らしく、二人の折り合いをつけた妥協案で解決した。
「それじゃあ、先に休ませてもらうね。おやすみ、クロムくん」
「ああ、サリーもゆっくり休んでくれ」
見慣れたテントに美少女がのんびりと入っていく姿は、妙な感覚を覚える光景だった。
パチパチと音を立てて燃える焚き火を眺めながら、煩悩を燃やすように心頭滅却する。
確かに彼女の言う通り、今日は過去に例を見ないほどいろいろあって疲れているのかもしれないが、不思議と目は冴えている。
それは、渇望していたチカラを手に入れたことからくる高揚感か、あるいは無防備に寝てしまった少女がすぐ近くにいることが原因か。
もしくは、その両方かもしれない。
悶々とする気持ちに反した静かな夜は、刻一刻と更けていった。
見張りを交代せずにそのまま朝を迎えようかとも思ったのだが、しばらく経って夜中に起きてきたサリーがそうはさせてはくれなかった。
約束を違えるというのも、あまり良いことではないし、それはそれで良かったのかもしれない。
いつもと同じはずの寝袋が、なぜか今日に限って良い匂いがした理由は、言うまでもない。
ついでに、寝る際に睡眠効率が良くなる魔法というのを掛けてもらったおかげで、時間にすれば短時間のはずだが、ぐっすり寝た時と同じような感覚を得られた。
野営には付き物の見張り番というのは、冒険者にとって誰かがどうしても睡眠時間を削られてしまう悩みの種なのだが、それが解消される地味ながら有用な魔法である。
「さて、片付けも終わったし、そろそろ行くか」
「うん。私が案内するね」
「ああ、頼むよ」
朝日が昇って、開けた大地が明るくなると、夜とはまた違った印象を受ける。
澄んだ風や空気が心地良く、これからの旅路にとって幸先の良いものとなろう。
ちなみに、悪魔のプルはまだ寝ている。
一番最初に寝た癖に、一番遅くまで寝ている怠惰っぷりは、正しく悪魔といえよう。
仕方ないので、バックパックの中に突っ込んで放置している。
朝飯は昨日の残りを温め直して食べたのだが、食い損ねた悪魔から何か言われないうちにさっさと出立してしまうべきだ。
「サリーは光属性の魔法が得意みたいだけど、他にも使えたりするのか?」
「うん、まあねー。クロムくんとは正反対かな」
ただ歩き通しになる道すがら、パーティでの移動であれば、暇つぶしにもなる会話というものは、お互いの理解を深めたりするきっかけにもなるので、意外と馬鹿にならない。
彼女が使った魔法の中で、俺が知っているものを含めても、ほとんどが光属性に属するものだった。
回復魔法も基本は光属性のものばかりなので、それを筆頭に辺りを照らす光を生み出した初級魔法、それと恐らく魔物除けの結界も高位の光属性魔法だと予想できる。
「俺が使えるのは、火と雷、そして闇と操も増えた」
「でも、素質があったものが伸びただけなのと、あいつのおかげで後天的に増えたものだから、光属性の魔法はからっきしなんだよな」
「ふふん、羨ましい?」
「ああ、まあな」
ちょっと得意げな表情も気に障るほどではないし、むしろ可愛いといえよう。
「でも、お互い違う分野に秀でてるなら、その方がお互いにできないことが出来て助け合えるだろうから、好都合だと思わない?」
「要は、私の出番を取るなってことね」
「そういう言い方はしてないけど。ん~、似たようなものかな?」
よくもまあ捻くれ者の相手を引き受けたものだと我ながら思うのだが、彼女の所業はそれだけに留まらなかった。
「ねぇ、クロムくんは冒険者になって長いんだっけ?いろんなお話、聞かせて欲しいな」
むしろ、自ら話を振って、俺の口から聞き出そうとさえしてきたのだから。
「いや…ほら、そんなに強くなかったわけだから、面白い話はそうないよ」
「そう?でも、面白いかどうかは私が決めるから、話す前から決めつけちゃダメだよ」
「ね?町まで着くのにまだ時間はたっぷりあるんだし、いいでしょ?」
もしこれが、自分が人並み以上に可愛いことを自覚して言っているのだとしたら、随分厄介な確信犯だが、女に免疫のない俺には、どちらにしろ対処できるはずもなかった。
「わかったよ…。じゃあ、何から話そうか」
「何でもいいよ。いっぱい聞かせて」
「そうだなぁ…。それじゃあ、冒険者になりたての頃の話からしようか」
「わぁ、いいね。どんな感じだったの?」
「それがな……」
それから、彼女には取り留めのない話まで、散々引き出されてしまう羽目になった。
うんうん、と相槌を打つだけでも可愛く、声まで優れた女ってのは、狡いものだ。
男をその気にさせることで、次々に余計な話までしてしまい、後になって後悔することになってしまった。
聞き上手といえば聞こえはいいが、これもある種の才能か、あるいは人の良さか。
どちらにしろ、彼女に限らず、今後は他の女にも気をつけねばなるまい。