⑥ 一獲千金を夢見て
一つのパーティにたった一人で同乗するというのは気まずい面がある。
見知った顔の中に、一人だけ部外者がいるのだからそれもそのはず。
俺だって同じ立場の時は肩身が狭い思いをした。
当時は特に戦力としても乏しい存在だったので尚更である。
そして、それは彼女も例外ではなかったようで、一見順調に思われた旅路の中でも警戒を怠らずにいた。
「それで…、一応テントは張ってあるけど誰がどう使おっか?」
休憩を挟みながら馬車で進んできた旅路も、日が暮れる頃には立ち止まって食事や寝支度をし始める。
戦士にも馬にも休息は必要なのだ。
「そうねぇ。馬車の荷台のスペースも空いているけど、三人で寝るにはさすがにちょっと狭いわよね?」
「あの…三人って?」
「あんたも含めた女三人だよ。例によって、見張りは俺一人だろうからな…」
「まあ、そういうことね」
当然のように言ってのけるメアリーだったが、昼間は馬車を彼女に任せっきりだったのでとやかく言うこともできない。
俺はいつものように焚火を囲んで、火の揺らぎを眺めていた。
「でしたら、私も見張りを…」
「ああ、良いの良いの。こいつ一人で十分だから」
「でも…」
「遠慮してるなら、それは無用よ。それに、何かを盗まれたり貞操の危機を考えるにしても同じことだわ」
「いえ、そこまで考えていたわけでは…」
「そう? でも、気にするだけ無駄だと思うわよ。こいつにそんな度胸があるかどうかはともかく…やろうと思えば夜這いはもちろん、二人きりで見張りをしてる時でも襲うことはできるんだから」
「確かに、そう考えることもできますね」
何かの間違いでも無ければ、この情報屋も一人の女だ。
なので、彼女が被虐的な妄想や心配をしてしまうのも不思議ではない。
況してや、相手が古くから付き合いのある知人というわけでもなく、先日薄暗い地下で会ったばかりの見ず知らずの男なのだから、もはや必然ともいえる。
「なんだか酷い言われようじゃないか?」
「あくまで可能性の話よ。気を悪くしたなら、ごめんなさい」
メアリーは謝罪の念が感じられないような薄っぺらい言葉だけを吐き捨てた。
前科が無いわけじゃないので、きっと根に持っているのだろう。
それに、実際寝ている間に彼女のローブを剥ぎ取って素性でも暴いてやろうかと企んでいた節はある。
「そういうことでしたら、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ…、ゆっくり休むといい。寝惚けたまま道案内されても困るからな」
「んふふっ、その通りですね」
開き直った様子のカエルムは、また余裕を見せるように微笑んでいた。
「じゃあ、私たちは馬車の方使わせてもらおうかしら」
「となると、私はテントをお借りすれば良いんですね?」
「えぇ。ちょっとこいつの匂いが染みついてるかもしれないけど、一人の方が良いでしょ?」
「んふふっ、そのくらいでしたら大丈夫ですよ。お気遣い痛み入ります」
メアリーの口が悪いのは今に始まったことではないが、また俺を腫れ物のように扱っていた。
文句を言うくらいなら他人のテントを使うなと言いたいところだったが、メアリーはモーブに向かう道中で既に寝床を馬車に切り替えていたので言及できない。
「あ、そうそう。もし何かあったら大声で助けを呼ぶのよ。こいつが何かしでかしたとしても、その時は私が天罰を下してやるから」
「あらあら、頼もしい魔女さんですこと。…それとも、何か恨みを買っているんでしょうか?」
「余計な詮索はしなくていい。さっさと寝ろ」
「んふふっ、残念。では、あとはお任せしてお先に失礼しますね」
焚火の傍から離れると、黒いローブの背中が闇と同化して見えなくなった。
「クロ、ちゃんと見張りしてなさいよ」
「はいはい」
メアリーも彼女に続くように、最後に念を押してから馬車の方へ去って行った。
同じ女でも、就寝前の一言だけでこの対応の差である。
「じゃあ、クロムくん…私もそろそろ寝るね」
「あぁ…」
「ふふっ、おやすみ」
サリーも意味深な笑顔を見せただけで、暗闇の中へ消えてしまった。
「おい、クロ…そろそろ良いか?」
その代わりと言わんばかりに荷物の中から小さな声が漏れ聞こえてきた。
「もう少し待ってろ。まだ起きて覗いてるかもしれない」
「しゃーねーなー。ところで、ちゃんと俺様の分の飯は残してあるんだろうな?」
「あぁ、今のうちに温め直しといてやるよ」
「ふぅん、ならいいけどよ」
夕食を作る際サリーたちに言っておいたので、こっそりともう一人分の飯は確保してあった。
ただ、あの情報屋が女であるが故に調理も手伝おうとしてきたので、その確保が若干難しかった部分もある。
おかげで、途中テントを張る手伝いが欲しいと言って遠ざけたりと、余計な苦労をする羽目になった。
「んで? あの女をひん剥きに行かねぇのか?」
「いや、止めとくよ。今はなんか…そういう気分になれなくてな…」
「おいおい、もうその歳で現役引退か? 情けねえなぁ」
「そういうわけじゃないけど…情けない、か。そうなのかもな…」
「あ? どうしたんだよ、クロ。俺様がいない間に何かあったのか? お前、今日ちょっと変だったぞ」
「いや、俺は別に…。それより、サリーやメアリーを見て違和感を感じなかったか?」
「あぁん? 違和感って言われてもなぁ…。いつもとそう変わらねえと思うぜ…?」
「そうか…」
「あっ! 分かったぞ。俺様がいない間に夜這いしようとしたのは良いが、失敗したんだろ? へっへー、だっせえの。力強くでヤっちまえば良かったのに」
「はぁ…、違うって…」
「…おいおい、冗談だって。本気で落ち込むなよ。…クロ、お前ホントにどうかしちまったのか?」
「…俺は何も変わってないよ。良くも悪くも」
荷物の中からゴソゴソと這い出てきたプルに、温め直して湯気が立っている夕食を渡した。
「はぁん…? 俺様からすれば、とてもそうは思えねぇけどな…。まあいいや、言いたくないなら言わなくても良いし、飯食ってる間くらいなら聞いてやるから好きにしろよ」
「お前…悪魔の癖に意外と良いとこあるよな」
「はんっ。他でもねぇお前の為だし、俺様にも直結するんだから当然だろ? まあ、そういうこと言われるのは、女の方が良いに決まってるけどな」
「あぁ…。そういうところは下心丸出しの男だな」
「へへっ。俺様は服なんか着てねぇから、下心どころか全身丸出しの真っ裸だぜ」
時に、この悪魔のように自由な思想を持って生きられたらと羨ましく思うこともある。
「なんか…ここのところ、二人の様子がおかしい気がするんだよな…」
「だから、そのおかしいってのがよく分かんねぇんだよ。もっと具体的に言ってくれ」
「何か隠し事があるっていうか、二人でコソコソしてるみたいでさ…」
「あぁ? 何かと思えばそんなことかよ。人間誰だって隠し事の一つや二つあるだろうし、お前だってわざわざ他人に言いたくないことはいくらでもあるだろ?」
「それはそうだけど…。思えば、その不審な行動が目につき始めたのが、あのハンフリーって奴らと会った日からだった気がするんだ」
「…あいつらと何か関係があるってか?」
「あぁ…。もしかしたら、呆れられたのかもな…。あの時、ついカッとなって軽はずみな行動に出たのは事実だから」
「あー、あん時は俺様もビックリしたぜ。まあ仕留められなかったのは残念だったが、あの鬼気迫る姿や思い切りは俺様としては評価してやりたいくらいだ」
「…悪魔に褒められるくらいだからな。世間的にはとても褒められた行動じゃなかったし、後先考えずに手を出したのも不用心だったってのも分かってる。だから、二人は俺を見限って…より強く信頼できる男の下へ行こうとしてるんじゃないかって…」
「はっはっは! バカだな、クロ。確かに尻の軽い女はいくらでもいるが、あの二人に限ってそれは無いだろ。心配し過ぎだって」
気持ちが良いほど笑い飛ばしてくれるプルは微塵も信じていないようだったが、俺にはあの光景が脳裏に焼き付いて離れなかった。
「でも、俺…見たんだよ。次の日、あの二人がハンフリーたちと町中で会っているのを…」
「おいおい、穏やかじゃねーな。…あれ? でも、今の今までそんな連絡も無かったし、二人も無事だよな…?」
「遠くで見かけた時には、すぐに戦闘になるような感じには見えなかった。それどころか、楽しそうに笑いながら話してたように見えたんだ…」
「んん…? 見間違いじゃねーのか? それに、サリーの奴はいつもニコニコしてんだろ。情報屋のあいつとも上手くやってるみたいだったし。でも、メアリーの方は楽しそうに笑ってる姿なんてなかなか想像できねぇな」
「メアリーはなんていうか…ニヤついてる感じだったかな?」
「まあ…確かに本人的には楽しそうでもあるが、それは他人をおちょくって楽しんでただけじゃねーの? いつものことだし」
「そうかなぁ…?」
「…でも、大体分かったぜ。要は、二人がお前から離れていくんじゃないかって心配で心ここにあらずってわけだな」
「半分はな。どの道、俺たちの旅に付き合わせれば、ろくな未来が待ってないんじゃないかっていう危惧もあるし…」
「心配するだけ無駄だぜ、クロ。未来なんてどうなるか分からねえ。そんなことに一々気を揉んでたら、心も身体も疲れちまって楽しむどころじゃないだろ?」
「悪魔ってのは楽観的で羨ましいな」
「おいおい、人を馬鹿みたいに言うんじゃねーよ。俺様は過程がどうだろうと、お前が契約を果たしてくれれば良いんだよ」
「…それが、身に余るチカラを求めた俺の責務か」
「お前に倒れられるのが一番困るんだからよ。焦らなくても良いから、もっと気楽にやっていこうぜ。俺様は契約を果たす時まで、ずっと一緒にいてやるからさ」
「…お前が目の上のタンコブな気もするんだけどな」
「おうおう、言ってくれるじゃねーか。悪魔様を舐めんなよ。ははっ、でもそのくらいの減らず口が叩けるようになってきたなら良かったぜ」
いつものようにおちゃらけた様子で励ましてくれていた悪魔は、珍しく真面目に言葉を続けた。
「…あの女たちのことはお前に任せるさ。今後も仲間として一緒に歩むのか、それとも決別してしまうのか。好きにすると良い」
「良いのか? この間はもっと女を増やして自分も良い思いをしようとしてたのに」
「まあ、それはあいつらじゃなくても良いだろ。都合の良い女を見つけて拾えば済む話さ」
「その考え方は相変わらずだな」
「おうともさ。…それに、サリーに限ってはお前から離れてもらった方が俺様としては都合が良いからな」
「どういうことだ…?」
「へっ、教えてやらねーよ。前にも釘を刺されちまったからな。これ以上言ったら、次はお前が契約を果たす前に消されちまいそうだし」
「なんだそりゃ…」
しかし、今の言葉が事実なら、謎の多いサリーについてプルは核心を突く何かを知っているということになる。
「それによぉ…、お前も知ってるだろうがメアリーの方だって問題大有りだぜ。口は悪いし、すぐ俺様のこと目の仇にしやがって…全く、誰のおかげでケルベロスなんておっかねぇ魔獣まで従えられたと思ってんだか」
「それは大抵お前に非があった気がするが…」
「おい、クロ…お前、どっちの味方なんだよ」
「さぁ…? 俺は俺の味方かな…?」
「へへっ、それで良いんだよ。自分の赴くままに行動する。それが悪魔ってもんだ」
「いや、俺は人間だって」
「何言ってんだよ。悪魔の片棒を担いだってことは、悪魔に片足突っ込んだ人間も同意だぜ」
「それもそうか……」
「どうだ? 少しは胸のつかえが取れたか?」
「…あぁ、おかげさまでな」
「そいつぁ良かった。じゃあ、俺様は腹も満たせたことだし、惰眠を貪るとするか。ふあーぁ…クロ、見張りは頼んだぞー」
「あっ、おい…」
言うが早いが、プルは食事を終えた傍からグースカ眠りこけてしまった。
「ふっ…。本当に自由な奴だ」
幸せそうに眠るコウモリの姿をした悪魔を抱え、荷物の中へ寝かせてやった。
今日も夜は静かなものだ。
余計な音が入ってこないので、考え事をするのにちょうどいい。
闇の帳に包まれた時間は、刻一刻と過ぎ去っていった。
数日後、ようやく辿り着いたリヴァイポの森へ入っていくと、すぐに歓迎ムードで出迎えられた。
「へへっ、感じるぜ…ビンビンになぁ。獲物を狙う獣の気配だ」
「あぁ、周囲のあちこちから感じるな」
のんびり快適な馬車での移動も周囲からモンスターの気配が漂えば、そんな雰囲気も吹き飛んでしまう。
「目的のダンジョンっていうのは、どの辺りなの?」
「情報主の話ではここから少し行ったところだと思うんですけど…」
「どうする? 一旦停めた方が良い?」
「いや俺が降りて蹴散らすから、メアリーはそのまま手綱を握ってろ」
「分かったわ」
馬車を引く馬がどれだけ頑張ったところで、余程鈍足なモンスターが相手でもなければすぐに追いつかれてしまう。
況してや、ダンジョンの入口を探しながら行かなければいけないので、逃げるという手は論外である。
「できれば、俺たちの戦力については黙っていて欲しいところだけどな」
「んふふっ、それは口止め料次第ですね」
一応釘を刺しておこうと思ったのだが、相手はそれを生業にしている女だ。
簡単に封じ込めることはできないと判断し、すぐに諦めて現状の対処へ向かう。
俺は颯爽と馬車から飛び降りると、先導しながら茂みから続々と現れるモンスターを退治していく。
「あれはヒュージアント…。甲殻が硬いから気を付けて――」
「ふっ!」
後ろから注意するよう促す声が聞こえてきたが、指輪の形から本来の形へ戻した大鎌を一振りすればその心配が杞憂だったことを思い知らしめる。
自慢の甲殻とやらもあっさり斬られてしまったヒュージアントは、無残にもその場に崩れていった。
あのハンフリーとかいう男の盾には防がれてしまったものの、グリム・リーパーが鈍らに落ちぶれたわけではないと証明するように確かな切れ味を知らしめているようだった。
「余計なお世話だったみたいですね」
珍しく声を張り上げて注意した彼女もその必要が無いと分かると、静かに座り直して周囲の様子を見守っていた。
「サリー、後ろは任せた」
「はーい、任せてー!」
幌馬車の前後は吹き抜けているので、先頭を行く俺からでも後ろから追って来ている新手がいるのが見えていた。
「ウインド・ブラスト!」
馬車に乗ったまま後方に杖を構えたサリーが魔法を唱えると、微かに空気の刃が飛んだのが見えて巨大な蟻たちをズタズタに切り裂いていく様まで窺えた。
「全く、次から次へと…鬱陶しいから全部まとめて燃やしたいくらいだわ」
「ヒュージアントは群れで行動しているそうですから仕方ないですけど、こんなところで強力な火属性の魔法を使ったら森ごと焼けちゃいますよ」
「分かってるわよ。だから自重してるんじゃない」
「そうそう。モンスターは俺たちが対処しておくから、二人はダンジョンとやらを探してくれよ」
「はいはい、言われなくても分かってるわよ」
けたたましい声を発する蟻たちを蹴散らしながら、俺たちはさらに森の奥へ向かった。
この辺り一帯のヒュージアントを狩りつくしたんじゃないかというくらい斬り落としたところで、件のダンジョンとやらがようやく見つかった。
おかげで、随分この森も静かになって、さっきまで感じていた嫌な気配も無くなった。
この分なら、馬車を置いて全員で乗り込んでも問題なさそうだと判断する。
「しっかし、ダンジョンっていうよりはただの洞穴にも見えるけど…」
「まあ、とにかく行ってみましょう」
必要な荷物だけ持って馬車を離れると、ぞろぞろと連れ立ってダンジョンへ潜っていく。
ダンジョンの通路は人一人分は優に確保されているほどの広さがあったものの、大鎌を振り回せるほど広いわけではなかったので一旦指輪に戻しておいた。
「イリュミネート」
入り口付近こそ日の光が多少入ってきたおかげで視界が確保されていたが、ゆっくりと下っていく道のりを歩いて行けば次第に真っ暗になってきたのでサリーが魔法で明かりを灯してくれた。
今のところ、ダンジョンの中は静かなものだ。
この辺りは人が滅多に近寄らない場所ということだったので、物音がすれば冒険者や盗賊の類よりもモンスターの可能性が高いはずだ。
「あっ、見て」
魔法の光で先導するサリーが何かに気づいて声を上げた。
「これは…随分年季が入ったトーチライトみたいだな」
「ちょっと点けてみるね。…イリュミネート」
片側の壁にはずっと奥へと続く線があり、その上に一定間隔で町中にも見られる街灯のような飾りが備え付けられていた。
試しにサリーがもう一度明かりを灯す魔法を唱えてみると、その飾りの中に光が生まれ奥へと連なっていく。
一つの明かりだけでは成し得ない明るさが灯ると、閉鎖的なダンジョンの中であることを忘れさせてしまうくらい見通しが良くなった。
「ただの洞穴では無さそうですね」
「あぁ、明らかに人の手が入ってる」
サリーは必要無くなった手持ちの明かりを消して先へ進む。
「この先もずっと続いてるみたいだよ」
「多分、一つ点ければ連動して点く仕組みなのね」
「あっ、見て! こっちに分かれ道が…きゃあっ!」
不用意に一人先行していた彼女が突然悲鳴を上げて退いたので、空洞の中に良く響いた。
「サリー!」
「ウインド・ブラスト!!」
しかし、心配して駆けつける前に風を切る音が響いて、彼女を驚かせた存在は既に脅威ではなくなっていた。
「大丈夫か?」
「あ、うん…。急に現れたからビックリしちゃっただけ」
そう言ってのけた彼女の前には、先程飽きるほど見たものと同じ残骸が転がっていた。
「またヒュージアントか」
「それより、そっちはどうなっているの?」
「うーんとね…、行き止まりみたい」
分かれ道の先はある程度空間が広がっていたが、小部屋のようなものでありそれより先へ行くことはできなかった。
きっと、入口が狭い為に最初は見えなかったものの、中から出てきたヒュージアントを見て急に現れたと感じたのだろう。
「ここにも人の手が入ってるように見えるな」
「はい。まさか、住んでいたわけではないと思いますけど、あちこちに形跡はありますね」
一帯がモンスターに荒らされているとはいえ、その中にあったものには到底モンスターが作り上げられる物ではないものまで混じっていた。
「これなんて、脚は壊れてるけどイスでしょ?」
「そうだよねぇ…」
「滅多に人が近寄らないことを良いことに、盗賊の類が隠れ家にしてたとか…?」
「そんな話は聞いたことありませんけど…」
「可能性としては無いわけじゃ無さそうね。まあ、随分前の話みたいだけど」
メアリーはモンスターがいる現状から察するに、今も使っているとは考えづらいと言いたいのだろう。
「特に目ぼしいものは無さそうだし、先へ進むか」
「えぇ、そうしましょう」
「私も賛成です」
元の道へ戻った俺たちは、先程のようなことが無いよう隊列を組み直した。
俺を先頭に進んで後方は二人に任せ、カエルムを護衛するような形になる。
すると、案の定下へ進む洞窟の道を進めば、また一つ二つと分かれ道を見つける度にヒュージアントと遭遇した。
馬とそう変わらないほどの大きさであるヒュージアントは初めて見ると結構威圧感があって驚いてしまうというが、慣れてしまえばどうということは無い。
巨大な虫である以上、何とも言えない気持ち悪さもついて回るが、その苛立ちさえもぶつけてしまえばあっという間に砕け散る。
「それにしても、クロムさんは珍しい武器を使ってるんですね」
「こんな時でも情報収集とは、仕事熱心なことだな」
「いえ、純粋な感想です。情報を扱う私でも耳にしたことの無い類でしたので」
「そうか…、まあそうだろうな…。もし、教えて欲しいなら、特別に教えてやってもいいけど…」
「あら、嬉しいですね。是非教えて欲しいものです」
「じゃあ、情報料として金貨1000枚貰おうか」
「んふふっ、そうきましたか。意地悪なんですね」
「あんたにだけは言われたくない。それに、俺はその金であんたの情報を買うつもりだったからな」
「あら、そうなんですか?」
「あぁ、それだけの値段をつけるほどの秘密ってのが気になってな」
「んふふっ、それはお互い様じゃないんですか?」
「…そうかもな」
モンスターの気配に気を付けながら情報屋と腹の探り合いをしていると、後ろでも不穏な動きが始まっていた。
「クロの奴…、まさか今後はあんな得体のしれない女にまで手を出そうとしてるんじゃないでしょうね…」
「あはは…、どうだろうね…」
身の危険を感じるほどの殺気を感じてふと後ろを振り返ると、大層な杖を力強く握ったメアリーの姿が目に入った。
ゴゴゴゴゴゴ…ッ!
鬼気迫る迫力とは正にこの事かと思うほど鳥肌が立つくらいの恐怖を感じる一方で、ダンジョン内に異変が生じ始めた。
「おい、メアリー! それを今すぐやめろ!」
「それって何よ! 私、何もしてないわよ!」
「何だって!?」
てっきり我を忘れて土属性の魔法でも使ったのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
だったら、この揺れは一体――!?
「もしかして、地震!?」
「一旦戻ろう! 急げ!」
不測の事態に踵を返して地上まで戻ろうとした時、視界の片隅にいた彼女の頭上から大きな岩が崩れ落ちようとしていた。
「くっ!」
彼女は仲間でも何でもない。
ただの旅の道ずれ。
利害関係や保険を掛ける為に誘っただけの相手。
そのはずなのに、俺は咄嗟に彼女を庇って勢い良く地面に倒れた。
切羽詰まった状況ではそんなことなど一切頭になく、知らぬ間に身体が動いてしまったのだ。
「きゃっ!」
「クロムくん!」
「クロっ!」
「うおぁっ!?」
しかし、その一瞬の判断が功を奏し、なんとか大岩の下敷きにならずには済んだようだ。
多少擦り剥いて痛い部分はあるが、致命傷とも言うべき大怪我を負った感じはしない。
「ん、んぅ…」
それどころか、頭部は謎のクッションによって衝撃を和らげられたらしく、今も優しく受け止められていた。
「いてて…大丈夫か?」
「んぁっ…ダメっ、動かないで…」
カエルムの声もしたことで彼女も無事らしいのは察したが、今の崩落の所為で洞窟内の明かりが消えてしまっていて辺りは真っ暗な闇に閉ざされていた。
それでも、手探りで彼女を探し当てようと手を動かすと、先程のクッションらしきものにぶつかった。
なぜこんな洞窟の通路に手に余るほどの大きさのクッションがあったのかは謎だったが、それには思わず吸い寄せられるような魔力が秘められていた。
「あんっ、んぅっ…だから、ダメだって言ってるのに…」
カエルムの声が悩ましいものに聞こえるのは、もしかしたら頭を打ってしまったのかもしれない。
「サリー、早く明かりをつけてくれ! 全然見えないんだ!」
「…イリュミネート」
生憎、光魔法が全く使えない俺では他人に頼る他は無く声を上げて助けを求めたが、それに応じてくれたのはサリーではなかったようだ。
「…っ!」
ぼんやりとした光に照らされた先に見えたのは、見覚えのある顔ではなかった。
しかし、そのあまりの美しさに目を奪われてしまった。
「クロムさん…」
「カエルムなのか…?」
「はい。ハッキリと顔を見られてしまいましたね」
初めて目の当たりにした彼女の顔はサリーたちに劣ることの無い整った顔立ちであり、それどころか絶世の美女と謳われていても全く違和感がない。
普段フードに隠されていた長い髪はまるでサファイアのように青く美しく輝いており、しっとりと艶もあって彼女の美貌をさらに引き立てている。
「あの…そろそろ放していただけますか?」
「え? あっ…」
小さな光に照らされたことで、謎のクッションの正体が明るみになった。
また、それと同時にクッションを触る度に彼女から恥ずかしそうに悶える声が漏れ聞こえていた理由も察することができた。
「わ、悪い。わざとじゃないんだ…」
「はい、分かってますよ」
気まずさと名残惜しい気持ちが入り混じる中、これ以上心象が悪くならないうちに彼女の身体から手を放すとそのまま一旦離れて立ち上がった。
しかし、不可抗力とはいえちょっと摘まんだだけでも分かる張りのある肌と弾力、そして明らかに手の平に納まりきらない驚異的なサイズ感。
彼女のローブを押し上げていたあの膨らみは、間違いなく本物だったというわけだ。
心の中で、暗器でも仕込んでいるんだろうと疑ってしまったことを詫びると共に、偶然にしても触ることができたという幸運を喜んだ。
「怪我は無いか?」
「はい、大丈夫みたいです」
彼女に手を差し伸べれば、平然と握り返してきてその場に立ち上がる。
そして、そのままローブを叩いて汚れを落とそうとしていたが、その一方でフードまで被ることは無かった。
おそらく、一度しっかり見られてしまった以上、隠す必要が無くなったのだろう。
「まずは、お礼を言わなければいけませんね。ありがとうございます、おかげでぺしゃんこにされずに済みました」
「いや…どうやら、お礼を言うのはまだ早いみたいだぞ」
明かりのおかげでようやく現状を把握できたのは良いが、あまりいい事態には転んでいないようだった。
「どうやら、完全に塞がれてしまったみたいですね」
「あぁ、そのようだ」
進んできた道が土砂や岩によって塞がれており、ちょっとやそっと押したくらいではビクともしない。
しかも、近くには俺たち二人以外の姿も見えず、完全に孤立してしまった。
〈クロ、そっちは大丈夫か?〉
「どうしましょう…?」
「ちょっと待ってくれ」
念話と会話を同時に行うのは無理があるので、一旦彼女を保留した。
〈こっちは特に大きな怪我は無い〉
〈ふぅ、それなら良かった。こっちも二人とも無事だぜ〉
〈そうか。…あれ? でも、お前…俺の荷物の中にいたような…?〉
〈お前が急に勢い良く動いたから、隙間から覗いてた俺様が振り落とされちまったんだよ。それで、俺様まで巻き込まれそうになったから、目の前に見えてたこいつらの方へ急いで飛んだわけさ〉
〈そうだったのか。それで、そっちから見ても通れそうな穴とか、退かせそうな箇所は無いか?〉
〈あぁ、パッと見た感じは無さそうだな。土属性の魔法でも使える奴がいれば良いんだが…こいつら使えねえみたいでよ。そっちの女はどうだ?〉
〈今聞いてみるよ〉
「何か思いつきましたか?」
じっと様子を見ていた彼女と目が合い、タイミング良く話しかけてきた。
「あぁ、土属性の魔法が使えればこの崩落した壁を退かせるんじゃないかって…。ただ、生憎俺もサリーたちも土魔法は使えないんだよな」
「…そうでしたか。残念ながら、私も土魔法は使えなくて…お力に添えずすみません」
「いや、それはお互い様だから」
〈彼女も土魔法は使えないってさ。どうする? 俺かメアリーが力づくで穴でも開けるか?〉
〈うーん、それは最終手段だな。一度崩れたんなら地盤自体が緩くなってる可能性もある。強引にやったところで、この洞窟ごと潰れちまうかも知れねえからな〉
〈だとすると、別の出口を探すくらいしかないか〉
〈そうだな。お前たちはそのまま奥へ進んでみてくれ。俺様たちも一旦地上に戻って別の入口が無いか探してみるからよ〉
〈分かった、そうしよう〉
〈クロ、気を付けろよ。お前が俺様と契約して強くなったとはいえ無敵ってわけじゃないんだから、生き埋めになったらさすがに助からないぞ〉
〈あぁ、そっちも気を付けろよ。他の場所も崩れてるかもしれないからな〉
最後に悪魔からの忠告を受けると、念話はそこで中断した。
「先に進んでみよう。奥に別の出口があるかもしれない」
「…ん、少し無謀ですけど…それも一つの手ですかね。それはそうと…他の皆さんは大丈夫だったんでしょうか?」
「あぁ、そうか…あんたは知らなかったな」
「え? 何をですか?」
「さっきのこともあるし、詫びも含めて特別に教えておこう。このブローチはコレボンのブローチといって、同じものを着けている相手と直接頭で会話できるんだ」
「あぁっ、そうだったんですか。だから、今もじっと黙ってるように見えてお話しされてたんですね」
「まぁ、そういうことだ」
「へぇ。私はてっきりお揃いのブローチを着けてらしたのは、恋人か夫婦だからなのかと…」
「いやいや…そんなことは無いって……」
自分で言ってて悲しくなるが、事実その通りなのだから仕方ない。
「んふふっ、そうだったんですね。では、あの二人の無事は確認できたと思って大丈夫ですか?」
「あぁ、これから地上に引き返して、他の出入り口がないか探してみるってさ」
「私たちも無事に出られると良いんですけど…」
彼女は言った傍から事の重大さに気づいたらしく、心なしか余裕が無くなってしまったように見えた。
「さあ、奥へ行ってみよう。ここにいても何も解決しないからな」
「はい、そうですね…」
普段から慎ましやかだった彼女は、さらに顕著になって俺の後を半歩遅れてついて来る。
「一応、もう一度ここに明かりを灯してみてくれないか?」
「はい。イリュミネート」
サリーがやった時と同じように壁に沿って付けられている飾りへ魔法を唱えても、一つも明かりが灯ることなく消沈した。
「もう完全に壊れちゃったみたいだな」
「そのようですね…」
イリュミネートの魔法は使い手の魔力に応じて光量が変わるらしく、カエルムが灯した光はぼんやりと輝く程度だった。
しかし、現状はそれだけが頼りであり、静かな暗闇の中を二人で進んだ。
「……」
「……」
洞窟内に連なっていた明かりも使えなくなったことで一気に視野が狭まり、緊張感も高まって来たことでお互い他愛もない会話をすることすらままならなかった。
「また分かれ道だ」
「行ってみます?」
「あぁ、徹底的に調べないとな」
「はい。出口を見落としていたら、困りますからね…」
「明かりだけ先行させてくれ。俺が先に行くから、カエルムは後ろに」
「はい、お願いします…」
自分たちの足音が反響する中、それ以外の物音を察知しようと耳を立てていたが何も聞こえてくる様子は無い。
「…っ! これは…卵か?」
そこには、これまでと違ってヒュージアントが待ち構えているわけではなかった。
しかし、その代わりに俺の身長とそう変わらない程度にまで大きな白い楕円形の塊がいくつも転がっていた。
「ヒュージアントの卵みたいですね。どうやら、ここは彼らの巣になっていると思った方が良さそうです」
「あぁ…。だとしたら、道中にも地上にも奴らが溢れてた理由が頷ける」
「これ、このまま放置しておくわけにもいきませんよね?」
「もちろんだ。分かれ道の辺りまで下がっててくれないか? 生まれる前に片付けておくから」
「分かりました」
通路と違ってある程度空間の広さがある為、鎌を振っても大丈夫そうだと判断して実体化させた。
彼女が十分に後ろへ下がったのを目で確認すると、壁に付いていたり転がっていた卵を一つ残らず斬り裂いた。
破裂した卵からは酷い匂いのする液体も溢れ出てきたが、まだヒュージアント自体は人を襲うまでの成長はしていなかったようで特に反撃をされることもないまま事が済んだ。
「ここも行き止まりみたいだな。この有様を見ると卵の保管場所にしか思えないが…」
「でも、ここも人がいた痕跡が残ってますね。ボロボロになってますけど、下に敷物が敷いてありますし」
「昔はどうあれ、今は奴らの巣窟か…」
「んっ…」
余計な一言を言ってしまった所為で、彼女は少し怯えてしまったようだった。
「さて、先へ進もうか」
「はい…」
二人で分かれ道まで戻り、さらに下への道を進んで行く。
「はぁ…ぁ…はぁ…、ぁぁ…」
いつしか彼女の息遣いまで聞こえてきたのは、俺が周囲の物音や気配に気を配っているからという理由だけではなかった。
裏社会であるアングラに出入りしている情報屋とはいえ、彼女も一人の女。
況してや、自らヒュージアントを退治できるだけのチカラも持っていないのなら、この閉鎖的な空間でもしものことを考えてしまえば不安が募る一方なのだろう。
その証拠に、先程から俺に引っ付いて離れようとしないのだ。
「……」
正直、歩きづらい上にモンスターへの迅速な対応が難しくなるのだが、彼女の不安も分かるからあえて突き放すようなことは言わずにいた。
それに、知らず知らずのうちに触ってしまった大きな胸を押し付けるようにしてくるので、その感触を離したくなかったという下心もある。
しかも、暗がりで二人っきりだなんて、こんな状況でなければ理性が崩壊して押し倒してしまいそうなくらい魅惑的な状態でもあった。
「あの…」
「…っ、な…なんだ?」
後ろめたいことを考えていたばかりに、突然声を掛けられた途端背筋が伸びてしまった。
「クロムさんは…怖くないんですか?」
もはや、情報屋という顔を忘れてしまったかのように、そう尋ねる彼女は弱々しく映った。
そして、それは見間違いではなかったらしく、俺に触れている手は小さく震えているようだった。
「…正直にいえば、怖いって気持ちはある。でも、人間ってのは不思議と近くに怖がっている人がいると逆に冷静になれるもんだ」
「そういうものですかね…」
「ふっ…、まぁ今のは建前さ。ホントは…男ってのはバカなもので、かわいい女の子やキレイな女の前では情けない姿を見せずにカッコいい姿だけを見せたいって思うものなんだよ」
「…んふっ、ふふふっ…。それって、私のことですか?」
「さぁ、どうだろうな?」
「んふふっ…。クロムさん、ありがとうございます」
「さて、何のことだか。それに、礼なら無事に地上へ戻れた時に言ってくれ」
「…はい、そうさせてもらいますね」
少しだけ笑顔が戻った彼女は離れるどころかより胸を押し付けるようにくっついてきたので、そんな彼女を抱き寄せるように腕を回したのだった。
それから、下へ下へと下っていく中でいくつも分かれ道はあったが、どれも似たような小部屋があるだけでほとんど一本道の洞窟が続いていた。
奥へ向かうにつれヒュージアントが続々と這い出てきたものの、前からぞろぞろとやって来るだけなので魔法を放って簡単に対処できた。
やがて、通路の終わりまで辿り着くと、その先は今までとは違ってかなり大きな空洞になっているようだった。
その証拠にカエルムが灯した光だけではとても奥まで見通せないほど広く続いている。
そして、その中には得体の知れない”何か”がいた。
「ここまでの道のりにいた敵は全部排除してきた。だから、後ろから襲われることは無いだろう。カエルムはここで待っててくれ」
「はい、お気を付けて」
荷物と一緒に彼女を通路に残してその先の空洞へ入った途端、突然暗闇が晴れて眩しくなり反射的に目を瞑ってしまった。
「っ! ここにもあの仕掛けが…」
薄目を開けて辺りを窺えば、地上の昼間ほどの明るさは無いものの空洞の全体がトーチライトによって照らされていた。
洞窟の道なりに沿って付けられていた明かりと似た形状のものが、この空洞の外周に沿って無数に備え付けられていたのだ。
「クロムさん! あれは…マハラニアント! ヒュージアントの女王です!」
茶色の土壁が広がる空間の奥に、ただ一匹馬鹿げてるほどの大きさを誇る黒い蟻が佇んでいた。
暗闇ではわからなかったが、この空洞の一帯には女王を取り巻くように数えきれないほどのヒュージアントが蔓延っていたらしい。
おかげで、視界が晴れても奥は真っ暗な塊で覆い尽くされている。
「気持ち悪ぃな…。さっさと片付けてやる!」
再び鎌を手に取ると、ヒュージアントの群れに単独で突っ込んで先制打をお見舞いする。
「死神の舞踏会!」
わざわざ群れに飛び込んできたバカな獲物を取り囲むように動いてきた虫たちは、その一撃で身体を斬り裂かれて再起不能に陥った。
そして、その攻撃を皮切りにグリム・リーパーを振り回せば振り回すほど死体が転がっていくことになる。
「キエエエッ!」
ここで派手に暴れてまたダンジョンが崩れるようなことがあれば本末転倒。
チカラを制限される形にはなったが、それでも負けるわけにはいかない。
「クロムさん! 女王が!」
近づいてくるヒュージアント共に気を取られ過ぎていたが、彼女が注意を促してくれたおかげでマハラニアントがこちらに尻尾の先を向けていることに気づけた。
そして、視界の端に捉えたマハラニアントから大量に噴き出してくる夥しい量の液体を交わしつつ、距離を詰めて反撃を行う。
「このぉっ!」
ヒュージアントよりも一回りも二回りも大きなマハラニアントは、見るからに硬そうな甲殻で覆われている。
しかし、それが如何に硬くとも、グリム・リーパーの切れ味がそれを上回っていれば何の問題も無い。
「紅蓮の混沌!」
強固な鎧に慢心し動きの鈍い相手の周りを飛び回り、まずは面倒な尻尾を斬りつける。
「ギエゥェェ!?」
次に、その勢いのまま壁を蹴り返して再び詰め寄ると、さらに一撃加える。
そこから地面に着地したと同時に、周りのヒュージアントごと斬り伏せて足を奪う。
再度地面を蹴り上げると、女王を守ろうと覆い被さるヒュージアントを斬り上げ、壁を蹴って胴体を斬り裂く。
そして、最後に上からマハラニアントの頭を真っ二つにするよう鎌を振れば、高速の六連撃によってマハラニアントは崩れ落ちた。
「すごい…」
心配して見守っていたカエルムが呆けてしまうほど圧巻の戦いぶりを見せつけたのは良いが、ドサドサと音を立てて崩れ落ちるマハラニアントの死骸によって別の心配が生まれてしまいそうだった。
「ふっ…、ふっ…っと。これで全部か」
頭が潰れれば、どうということは無い。
残っていたヒュージアントの残党も事も無く片付けてしまうと、辺り一面は赤い色に染め上げられていた。
「お怪我はありませんか?」
「あぁ、思ったより大したことは無かったな。そっちも大丈夫だったか?」
「はい、おかげさまで」
ヒュージアントやマハラニアントのことは以前から耳にしていて昔のままならまず間違いなくやられていただろうが、今となってはあの甲殻を破る術がある分楽だったようだ。
「さて、モンスター共も退治したところで、この辺りを探してみるか」
「そうですね。あっ、その体液は触らない方が良いですよ。多分、毒が染み出てると思いますから」
「あぁ、そのことなら知ってるよ。お気遣いどうも」
「いえ、このくらいは…」
情報屋と言えど、金も払わずに情報をくれることもあるらしい。
金の代わりに彼女を守ることも含めて戦ったのだからある種当然ともいえるが、ただ金に汚いだけの女ではなかったのは確かだ。
「しかし、見れば見るほど妙なダンジョンだな…」
あのモンスターたちは障害であっても、今の目的とはかけ離れている。
このダンジョンに眠るお宝を見つけることはともかく、別の出口を探さなければ俺たちは地上へ戻ることすら叶わないのだ。
「これは壁画の類でしょうか? 何かの文字や模様があちこちに記されてますね」
彼女の言うように、一見土肌の茶色で覆われているように見えた壁には見覚えの無い文字などが刻まれていた。
「構造や仕掛けにしても変だぞ。ここまで来るのにほとんど一本道で迷いようも無かったし、わざわざ明かりまで用意されていた」
「そういえば、この広い空洞へ入った時も突然明かりが点きましたよね」
「あぁ…、それにあの奥の壁。白い壁で作られているし、明らかに人が作った物だろう」
「そのようにしか思えませんね…、んぁっ!?」
白い壁を近くで見てみようと近づいている途中で、突然彼女が何かに躓いて倒れそうになり、咄嗟に手を伸ばして抱き寄せた。
「おっと、危ない。気を付けろよ」
「あ…、はい。ありがとうございます…」
彼女は礼もそこそこに俯いてしまうと、その先で躓いた原因を発見した。
「っ! クロムさん、これ…人の骨じゃないですか?」
彼女の視線の先を辿ると、そこには確かに人間の頭蓋骨のようなものを筆頭に骨がいくつも転がっていた。
「骨になってるってことは、昨日今日やられたわけじゃなさそうだな」
「それに、一人や二人じゃないですよ…」
壁にばかり気を取られていた上に、ヒュージアント共の体液によって色付けされてしまっていた為に気づかなかったが、一度発見してしまうとこの場のあちこちに散乱していることが分かった。
「随分昔、ここを使っていた部族でもいたのかな…。それで、ある日モンスターに襲われたとか」
「そうかもしれませんね…」
「ん? そういえば、この森には霊の類が出るようになったって話があっただろ? もしかして、そのモンスターにやられたこいつらがこの森の周辺を彷徨ってるんじゃないか?」
「これだけの数の遺骨があることを考えると、その可能性は否定できませんね…」
仮にモンスターに殺されたとしても、そのまま何の供養もされずに長い間放置され続けているのだ。
恨みの一つも抱かない方が逆に不自然に思える。
しかし、その割にはこの一帯にその霊たちが徘徊している様子はない。
以前、プルが俺にも霊感が身に付いたような話をしていた覚えはあるが、あれは何かの間違いだったのだろうか。
「クロムさん、見て下さい。ここの壁、特に複雑な模様が描かれてますよ」
「あぁ、すぐ行く」
今一度辺りを見回していたうちに、彼女はさっさと白い壁の方へ向かっていたらしい。
モンスターの体液がつかないように気を付けながら彼女の傍へ近づくと、その壁を注意深く見てみた。
「抽象的過ぎて何を表しているのかさっぱりわからんな…」
そもそも、普段一緒にいる女の子のことさえ理解できてない男には、過去に存在していた他人のことなど理解できるはずも無いのだ。
「この丸いのは太陽でしょうか…? あとは、大勢の人が二人と対峙してるようにも見えますね」
「ふぅん…。あっ、これ…」
人生で一番壁を積極的に眺めたのではないかと思うほど凝視していた時、薄っすら縦筋が入っていることに気づいた。
「これ、壁じゃなくて扉になってるんじゃないか? 僅かだが、ここに隙間がある」
「あ、本当ですね。開きそうですか?」
「それが…押してみてもビクともしないんだ。無理矢理壊す手もあるが…、この先が出口に繋がってたとしてもその衝撃で地盤が崩れて生き埋めにされたら元も子もないな」
「そうですよね…。他を探しましょうか」
あれだけのモンスターが住み着いていたなら仕方ないとはいえ、中はかなり荒れてしまっている。
おかげで、手掛かり一つ探すにも一苦労なほど、原形が無いような物があちこちに散らばっていた。
「なんでこんなところにテーブルみたいなでっかい石があるんだろうな。まさか、最初から土の中に埋もれてたわけじゃ無いだろうし」
「多少凸凹はしてますけど、表面は磨かれた形跡がありますから自然なものでは無さそうですね」
「あっ…! 先にこっちを見つけちまったか…」
「え? 何ですか?」
不審に思った大きな石を退かしてみれば、その裏に隠れていた財宝が現れた。
「これ、アクセサリーみたいですね。まだ宝石も付いたままみたいです!」
光物には目がないのか、彼女はすぐに手に取ってまじまじと確認していた。
他にもいくつか転がっていたとはいえ、魔石ならまだしも宝石には大して興味が無かった俺はこの場を彼女に任せて、あとで山分けしてもらおうと思いその場を離れようとした。
「ん…?」
しかし、その時もう一つ光り輝いた物を見つけて思わず目が向いてしまった。
それは、白骨化した人間の手の骨に着いていて、細い指を通したまま残されていた指輪だった。
その指輪には他のアクセサリーにはめ込まれていた宝石にも負けないキレイな白い輝きを放つ宝石がついており、ひと際目を引く存在ながらもシンプルな形状をしていた。
試しに手に取って装着してみるが、小さくてイマイチサイズも合わない上に身体強化などの付与されている効果や恩恵も無さそうだったので一気に興味が薄れた。
先日のハドウの腕輪のように何かしら用途があれば欲しかったのだが、ただの飾りに用は無い。
ただでさえ趣味の悪い姿に変えられてしまった母の形見である指輪をしているのだから、こんなものまで着けていたら趣味を疑われてしまうだろう。
どちらかというと、こういうのは男がするよりも女がした方が良いだろうと思い、そこにいたただ一人の女であるカエルムに声を掛ける。
「なぁ、カエルムさんよ。良い物見つけたから、ちょっと見てくれないか?」
「はい?」
振り向いた彼女は拾い集めたアクセサリーを抱えて不思議そうな顔を浮かべていた。
「ちょっと手を借りるぞ」
「あの…」
「まぁ良いから良いから…」
そっと彼女の手をとると、そのまま指輪を嵌めてやろうと思ったのだ。
もちろん、俺だってバカではない。
このまま左手の薬指に嵌めてしまえば、それは結婚を申し込むプロポーズと同義だということくらい知っている。
ならば、彼女の右手をとれば、そんな間違いが起こるはずも無いだろう。
「…え? えぇっ?」
要らない指輪をあげるついでに嵌めてやるのがそんなに珍しいことなのかと思うほど彼女は目を真ん丸くして驚いていたが、ここまで来て後に引くのも変だったので特に気にしないよう努める。
そして、指輪のサイズが合いそうな指を見定めると、彼女の薬指にそっと指輪を嵌めた。
「おう、ピッタリだ。それに、結構似合ってるんじゃないか」
これを奇跡いうか偶然というかは人それぞれだが、彼女の細い指にしっくりと収まった指輪は装着者の美貌も相まってその輝きを増しているようだった。
「あの…私が貰ってしまって良いんですか? サリーさんやメアリーさんのような親しい女性のお仲間もいらっしゃるのに…」
「あぁ、別に良いって。あいつらはそういうのあんまり興味無さそうだから」
「そう…なんですか? 当然のことで驚きましたけど…そういうことでしたら、お言葉に甘えて…謹んでお受けします」
「あ、あぁ…。喜んでもらえたなら何よりだ」
彼女の反応が少し妙な気もしたが、指輪と俺を交互に見つめた後大事そうに指輪を触る彼女の表情を見てしまえば、そんなことは気にならなくなってしまった。
それほど、今の彼女はこれまで見たこと無いほど美しく魅力的な姿を見せていたのだ。
「…すごく、嬉しいです」
先程までとは人が変わってしまったかのように、彼女はうっとりと自分の身に着けられた指輪に見入ってしまい、落としてしまったアクセサリーに目もくれていないようだった。
「(あの指輪…そんなに価値があるものだったのか…?)」
自らの軽率な行動を悔いてしまうほど指輪の価値が気になってしまったが、一度彼女にあげると言ってしまった以上もう取り返すわけにもいかない。
仕方なく指輪は彼女へ譲ることに決めて、彼女が落としてしまったアクセサリーを代わりに拾い上げた。
「もうこっちの方は良いのか?」
「はい、これだけで十分過ぎるくらいです。んふふっ…」
あげてしまった指輪を甚く気に入ったらしく、改めて勧めてみてももう何も手に取ろうとしなかった。
「まさかこんなところで……。あっ…でも、結婚といえば…確か……」
「血痕?」
彼女の言葉を聞いて戦利品に汚れでもついているのかと見直してみても、砂埃を被っている程度で赤黒い跡は特に残っていないように思える。
「そうです。確か、この森に人が近寄らなくなった話よりもさらに昔、この周辺の地域に住んでいた貴族の中で駆け落ちした人がいたそうです」
「駆け落ちっていうと、愛の逃避行ってヤツか。…しかし、それが今何か関係あるのか?」
「はい、おそらく。少し長くなってしまうかもしれませんけど、聞いていただけますか?」
「あぁ。女の勘…いや、情報屋の勘ってヤツを信じよう」
「んふふっ。ありがとうございます、クロムさん」
それから、しばらく彼女の話に耳を傾けていたが、情報をまとめると次のようになる。
当時、街を牛耳っていた大貴族が、街一番の美貌を持つとも称される貴族の娘を欲しがったらしい。
男であればかわいい女の子やキレイな女を嫁に貰いたいと思うのは今も昔も変わらないようで、その気持ちは俺にも理解できる。
しかし、その娘には既に想いを寄せる相手がいたそうだ。
その相手というのも同じ貴族であり、親同士が親しかったこともあって幼い頃から付き合いのある幼馴染だったらしい。
だが、下級貴族の娘である彼女やその両親は街を取り仕切る大貴族の圧力によって、申し出を断ることが難しかったという。
また、その一方で下級貴族であっても大貴族と婚姻が結ばれれば彼女やその両親の立場が良くなることを約束されていたが、彼女自身の想いも知っていた為に二つ返事で承諾できるものではなかったそうだ。
その話を聞いた彼女の想い人である貴族の息子は、大貴族の横暴な行いに対して抗議を申し出るがまるで聞き入れてもらえない。
彼もまた彼女を好いていたことから彼女が望まない結婚をさせるわけにもいかず、お互いの両親からの後押しもあって二人で駆け落ちする結果になったそうだ。
けれども、渦中の娘が忽然と姿を消えてしまったことに気づいた大貴族の手によって、両家に災いが降りかかったと言われているらしい。
「この話を基に考えると、もしかしたらここは…その二人が秘密裏に結婚式を執り行った場所ではないでしょうか?」
「…なるほどな」
一見、彼女の推測はこじつけにも思えたが、あながち間違いとも言い切れない部分がいくつもある。
「二人の家族や親族を招く為に、最下層の会場まで迷わず来れるほとんど一本道の通路と備え付けられた照明。分かれ道のように点在していた小部屋は、彼らの為の控室とも考えられます」
「その理屈でいえば、このテーブルみたいな大きな石が主賓席で、この辺りに散らばっている他の丸い石は親族たちが座る為のものだったのかもしれないな」
「そうすると、壁に描かれた模様や文字も結婚に関する儀式や祝辞のようなものかもしれません。ほら、この壁の模様も二人が大勢の方々に祝福されて送り出されているようにも見えてきませんか?」
「そう言われてみれば、そういう風にも見えるな…」
「この広場の入口近くにも二つ小部屋がありましたけど、左右で対になるように作られていたので、それもおそらく新郎新婦の控室だったのかもしれませんね」
元々、ダンジョンと聞いて来たのでその先入観に囚われてしまっていたが、これほど質素な造りで且つ人の手が入れられているのはあまりにも不自然だ。
彼女の推測通り、結婚式を執り行う為の場所として用意されたと考えた方がまだ腑に落ちる。
「ここが主賓席だと考えて、その奥にある壁が扉になっているとすれば…結婚式に即した儀式が必要なのではないでしょうか?」
「結婚式ですることといえば…お互いが愛を誓いあって、指輪を交換するとか?」
「…その条件はもう満たしてると思いますよ?」
彼女は意味深な表情で右手の薬指に嵌めた指輪をチラつかせた。
「だとすると、あと残っているのは――」
「誓いのキス――ではないですか?」
じれったい様子の彼女は食い気味に答えて身を寄せてくる。
「……ごくり」
改めて間近で見ても、その美しさに目を奪われるばかりで悪い気などするはずもない。
しかし、俺は良くてもさすがに出会ったばかりでそこまで親しいわけでもない彼女の唇を奪うわけには――。
「んっ…、ちゅっ」
そんな葛藤を抱いているうちに、艶っぽい表情を浮かべた彼女が迫って来てそのまま唇を重ねられた。
サリーともメアリーとも違う感触と香りに包まれて一瞬何が起きたのか分からなかったが、後ろからゴゴゴ…という大きな音が聞こえてきたことで意識が戻る。
「(嘘、だろ…?)」
色んな意味で驚きを隠せず目をパチクリさせていたのは俺だけで、少し顔を離した彼女は艶やかなしたり顔で小さく微笑む。
本当に仕掛けが作動して分厚い石の壁が開いたことよりも、目の前の彼女の行動に心を奪われてしまった。
「あっ! すごいっ! お宝の山ですよ!!」
だが、唖然としていた俺を放って彼女は目を輝かせながら扉の先へ行ってしまう。
そんな彼女を目で追っていくと、扉の先にあった金色の小山を目にすることになった。
「…おぉっ、ホントだ! こりゃすごい!」
先程の大胆な行動が彼女の気まぐれだとしても、風のように去ってしまったのが頷けるほどの金貨や装飾品など金銀財宝が出てきたのだから仕方がない。
「これなら、みんなで山分けにしても相当な量がありますよ!」
「あぁっ、これで当分金の心配はしなくて済むぜ!」
隠された扉の先に待っていたお宝を前に二人して舞い上がっていたところ、それらと同じように輝く彼女の指に目がいった。
「なぁ、カエルム。その指輪、光ってないか?」
「え? あ、本当ですね」
「まだ何か仕掛けがあるのかもしれないな」
「そうは言っても、この部屋には他に何も…あら? さっきまで読めなかったのに、ここの部屋に書かれた文字は読めますよ」
この部屋にも手前の広場と同じように文字や模様が描かれていたのを目にすると、彼女はそう口にした。
「なんて書いてあるんだ?」
「ふむふむ…なるほど。どうやら、この部屋の中で指輪に魔力を込めると、この真上の地上まで一気に出られるみたいです」
「よし。それなら、お宝も見つけて脱出方法も見つかったようなもんだな」
「はい! やりましたね! …って、きゃぁっ!」
「くっ…またか…」
再び地面が揺れ始め、倒れそうになった彼女を支える。
おそらく、さっきの扉が開いた振動もあって、またこの空洞が崩れ始めようとしているのだろう。
そんな緊急事態の最中、頭に直接声が響いた。
〈クロ! また揺れ始めたけど、そっちは大丈夫か!?〉
〈あぁ、なんとかな…。ただ、そう長くはもたないかもしれない〉
〈マジかよ! まだ別の出口かなんかは見つかってないのか?〉
〈それなんだけど、とりあえずここから真上の地上に出られそうなんだ…。ただ、真上の状況が分からなくて…、プルは俺の位置が分かるんだよな?〉
〈あぁ、その通りだぜ〉
〈だったら、モンスターがいたり池にでもなっていないか急いで確認してくれないか?〉
〈オッケー、任せろ! 実はもう近くまで来てるからな。すぐに調べてやんぜ〉
今すぐに飛ぶという選択肢もあるが、どちらにしろリスキーなのは変わらない。
なので、ここはあの悪魔に任せて少しでも無事に助かる選択を行った。
「カエルム。今地上の安全を確かめてもらってるから、俺が合図をしたらその指輪に魔力を込めてくれ」
「はい、分かりました!」
彼女をその場に座らせて落ち着かせていると、その間に脱出に関わる注意を受ける。
「地上に飛ぶ際には、指輪の持ち主に触れていないといけないみたいです。だから、クロムさん…その手を離したらダメですよ?」
「あぁ、置き去りにされたら困るからな」
けれども、目の前に広がる金の海を諦めるわけにもいかず、空いていた片手で拾おうと手を伸ばせば、それと同時に報告が頭に響く。
〈クロ! 大丈夫そうだぜ、急いで脱出しろ!〉
「カエルム、今だ!」
彼女に合図を告げた途端、示し合わせたように揺れが一時収まった。
それに気づいた彼女と目が合うと、彼女は顔を近づけながら口を開く。
「守ってくれてありがとうございました。格好良かったですよ、ちゅっ…」
そして、頬へ幸せな感覚が訪れると同時に、目の前が光の奔流に飲み込まれて一瞬身体が浮き上がった。
「クロムくん!」
「クロっ!」
既に懐かしさすら感じられる声が耳に届くと、白んでいた世界から解き放たれて緑が広がる光景を目にした。
「…どうやら、戻ってこれたみたいだな」
「はい、そのようですね。んふふっ…」
ギュッと握られたままの手から温もりも感じ取れて、まだ生きているのだと実感できる。
「おう。クロ、無事だったか」
「あぁ、なんとかな…」
「もう…心配したよぉ…」
「ともかく、無事で良かった…ん? 何その手。それに、その頬のキスマークは何なのよ!?」
「え? あっ!」
「んふふっ…」
言われて初めて気づき、慌てて頬を触ってみれば赤い口紅が紛れもなくついていた。
「クロムくぅん……」
「クロ…あんたね……」
「お前、あんな状況で何やってたんだよ?」
「いや、脱出する方法を模索する為に色々と…なぁ?」
「んふふっ…、そうでしたね」
一緒にいた彼女は手を放しても離れようとしないし、優しく微笑むばかりで全く加勢してくれる様子はない。
おかげで、俺ばかり割を食う羽目になってしまった。
「実は、地下に金貨やらお宝がザックザクでさ…」
「へぇ…だったら、その証拠でも見せてもらおうじゃない?」
「あぁ、良いぜ。それなら、ここに…ってあれ?」
改めて見回してみても、先程の光景が嘘のように金色の海は消えてしまっていた。
「無い! 無いぃっ!! あれだけあった金貨も、宝石も無くなってるぅっ!!」
「え? 嘘っ…! あっ、もしかして…あそこに書かれていたのは、そういうことだったんですね…」
「ど、どういうことなんだ?」
「おそらく、あの場にあった特殊な包みを利用しなければ、身に着けている物しか飛ばせなかったみたいです…」
一緒にあの光景を見ていた彼女もさすがにショックだったようで、かなりへこんでいた。
結果として、得られたのは彼女に渡した指輪くらいなものだったので仕方ないだろう。
しかも、俺に至っては持っていた荷物すら失くしてしまったので、むしろ損をしたくらいだ。
せめて、脱出する寸前に手にした金貨の1枚くらい持ち出せればと悔やむ思いもあったが、突然あんなことをされては驚いて金貨を手放してしまうのも仕方ない。
「ほら、何もないじゃない。嘘ばっかり…心配して損したわ」
「クロムくん、ホントにあったの?」
「あぁ、ホントさ。…とはいえ、この状況じゃ信じろって言う方が難しいか」
「残念ですね。お家が何件か建つくらいの量はありましたのに…」
「はぁ、アホらしい。さっさと馬車まで戻って移動しましょ。また揺れが起きて地盤が崩れたら大変だわ」
「うん、そうだね…」
早々に引き返してしまうメアリーに続き、サリーもその場を後にしてしまう。
二人の背中を見ながら、ふと思ったことを同じく置き去りにされたカエルムに伝える。
「…まぁでも、考えようによってはこれで良かったのかもな」
「どういうことですか?」
「きっと、あれは駆け落ちした二人に対して親族や親しい友人とかが渡した餞別みたいなものだろ? だから、それを俺たちが盗んでしまったら、今は亡き彼らも浮かばれないだろう」
「…それこそ、化けて出てきてしまうかもしれませんね」
「それに、まだ指輪があの場所にあったってことは、おそらく駆け落ちした二人は彼らに見送られて旅立つ前に死んでいる。それが大貴族の追っ手によるものかモンスターによるものかはわからないが、それ以上惨いことをするのはちょっとな…」
「そういうことなら仕方ないですね」
「…その割には、大金を逃してもあんまり落ち込んでないように見えるけど?」
「んふふっ、そう見えますか?」
「あぁ、どことなく嬉しそうなくらいにな」
「それならきっと、たくさんの金貨よりも大切なものを手に入れられたからだと思いますよ」
そう口にした彼女は満面の笑みを浮かべて寄り添って来た。
ふくよかな胸が当たって惜し潰れることも厭わないほどに。
「…当たってるぞ」
「んふふっ、当ててるんですよ」
彼女ほどの美人に慕われるというのは男冥利に尽きる話だ。
なので、彼女が気にしないというのなら、満更でも無かった俺が彼女を突き放すはずも無い。
むしろ、そっと彼女の腰に手を回して抱き寄せるくらいのことをしてみれば、自分だけに眩しい笑みを向けられたことで更なる優越感を得られた。
けれども、彼女は静かに微笑むばかりで、その大切なものとやらについては結局教えてくれなかった。




