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ブラック・ディヴィジョン  作者: 天一神 桜霞
第三章 疑惑の渦
28/31

⑤ 悩ましい女たち

 メアリーが人相の悪い三人組の生き残りから強引に白状させた甲斐もあって、ようやくモーブの町にあるアンダーグラウンドへ足を踏み入れることができた。

 まさか、娼館街にある宿屋から通常は隠されている階段を使って行かなくてはならないとは思いもよらなかったので、彼らの尊い犠牲も浮かばれるというものだ。

「ここは、また暗いな…」

 決して明るいとは言い難い階段を下りた先にあった扉を開けると、薄暗がりの中でぼんやりと明かりが灯されている通路に出た。

 ここのところ日の当たる場所にいることが多かったので、久々に訪れたアングラは余計暗く感じたのかもしれない。

「ぁ…ぁんっ…んっ、んぁぁ……」

「……ん?」

 いくつもの店が軒を連ねている細い通路を歩いていると、どこからともなく妙な声が響いてきて何かを予感させる。

「へへっ、昼間っからヤってるみたいだな。お盛んなこったぜ」

 町中の喧騒からかけ離れた地下は静かなものだ。

 だからこそ、店の中で喘ぐ女の声は小さなものでも漏れ聞こえてきてしまうらしい。

「…まだこっちにも娼館があるのね。一体、この町だけでどれだけあるのよ」

 聞きたくもない耳障りな声が聞こえてくることもあって、メアリーはうんざりしているようだった。

「そういや、他の町と比べてもやたら多い気がするな。国境を跨いだわけでもねぇし、この町が特別性に大らかな町なんじゃねぇか?」

「まぁ同じ国でも地方によって習慣や文化が異なる場合はあるみたいだけど、そんなことあるかね?」

「分からんぜ? 働きづめの男たちが多くて性欲を持て余してる奴が多いから、その分娼館もいっぱい立ち並んだってこともあるかもしれねぇじゃんか」

「なるほどな」

「…はぁ。その真意はどうでもいいけど、どこの誰とも構わずに襲うよりは娼婦の世話になった方がマシなのは確かね」

「それはなかなかの治安の悪さだな」

「俺様はどっちでもイケる口だぜ。でも、どっちかっていえば無差別にヤる方が燃えるかもな…へへっ」

「ふんっ、あんたのことなんか誰も聞いてないわよ」

「へいへい。じゃあ、クロはどうなんだ?」

「あっ、ちょっと! 別に私はそういうつもりで言ったわけじゃ…」

 悪魔に踊らされた彼女はすぐに弁解していたが、その一方で妙にこちらを気にした様子で視線を向けてくる。

「そうだなぁ…。良い女がいれば、世話になってみたい気もするけどな…っておい、そんなに睨むなよ」

「…ふんっ。あんたがどうしようと勝手だけど、そんなところに無駄金落とすのはどうなのかしら?」

 一般論としてわりと普通な答えを出したつもりだったのに、面白くなさそうな表情で睨み返してくる彼女がまたおっかない。

「だったら、そんなとこに行く必要が無くなっちまうくらい誰かさんが下の世話もしてくれりゃいいんじゃねーの? なぁ、メアリーさんよ?」

「チッ、このゲス悪魔め…」

「へへっ、ゲスだなんだは悪魔にとって誉め言葉だぜ。有難く受け取ってやんよ」

 相変わらず仲が良いんだか悪いんだか分からない二人のやり取りを聞きながら、実際娼婦の世話になることはしばらく無いだろうと薄々思っていた。

 仲間内で揉めている様子がうるさいと思われたのか、周囲から嫌な視線を送られることは多かったがアングラにおいては事珍しくもない。

 知らぬ存ぜぬを突き通して、いくつもの張り紙が張られている闇ギルドへ向かった。

「あー? なんだかしけてんなぁ…」

「そうね。これといって一気に稼げそうなものは無いみたい」

「この間の腕輪みたいに大層な物が賭けられてるものも無いみたいだしな…」

「せっかく汗水垂らして見つけてきたのによぉ、これじゃ骨折り損だぜ」

「あんた、骨あるの?」

「さぁ、どうだろな?」

「…ホント、一々態度がムカつく奴ね。良いわ…今から直接確認してあげる」

「あっ、ちょっ、まっ…! 待てっ、こんな昼間っから…あぁっ、らめぇっ!」

「変な声出さないでよ、悪魔の癖に。あとらめぇ言うな」

 悪魔とじゃれ合っている魔女の姿を余所に、もう一度隅から隅まで依頼の書かれた張り紙を見直していると少し毛色の変わった張り紙が目に入った。

「あなたの欲しい情報売ります…? 詳しくは直接…って何だこれは?」

「ん? どうしたクロ? なんかあったか?」

「あっ、ちょっと…私にも見せなさいよ」

「あ、あぁ…これだよ」

「何々…ははーん、情報屋の広告か」

 件の張り紙を二人にも見せると、悪魔はすぐに見透かしたような口を叩いた。

「この下の方に書いてあるカエルムって奴が、望みの情報を売ってくれるんだろうよ」

「情報って例えば?」

「そうだな…。大きいものから小さいものまであるだろうが、例えば町中にある美味いもんの店とか腕利きの鍛冶師がいる鍛冶屋とか、どっかの武器屋はぼったくりだとか…他にも別の町のアングラの行き方とかここに載ってない依頼とかまであるんじゃねぇか? もちろん、その情報屋の収集力と金次第だけどな」

「ふーん。でも、情報を売るだけで生計を立てられるものなのかしら? 小遣い稼ぎ程度でやってる人だとしたら、大して有益な情報は得られなそうだけど…」

「チッチッチ…、甘いなワトソンくん」

「誰だよそれ」

 知ったような口を叩くプルは如何にも得意気で、ここぞとばかりに偉そうにふんぞり返っている。

 だが、自分の意見を否定された挙句、そんな調子で振舞う奴の姿を見てしまった少女は今にも怒りの籠もった拳を振り下ろそうと構えていた。

「俺様の知る別の世界では、情報化社会と言ってな。むしろ、何よりも役立つのは情報だっていう世の中すらあったくらいなんだ」

「へぇ…胡散臭い」

「まぁそう思うのも無理ねぇかもな。でも、考えてみろ。相手が100の歩兵で攻めてくると分かっていたら、お前たちならどうする?」

「うーん、足止めの手段を用意しつつ魔法で遠くから応戦するかな?」

「そうね。わざわざ相手の得意な距離で戦う必要は無いもの」

「ああ、つまりそういうことさ。前もって分かっていれば対処が楽になることは多い。でも、だからこそ情報の扱いには信頼が大事なんだ」

「なるほど。嘘を吐いて金を巻き上げるような情報屋だと、次第に情報を買う客が減ってそのうち自分の身を滅ぼすってことね」

「でも、その情報が確かかどうかなんて分からないだろ?」

「だから、可能なら裏を取るんだよ。その情報が確かだと確証を得る為にな。まぁ、もし騙されたとしても殺して金を奪い返せば問題ねーだろ」

「物騒な考え方ね、実に悪魔らしいわ」

「単に殺して奪うだけでは、そいつから情報は得られずそれ以上の得が無い。反対に、情報を買って騙されたとしても奪い返せば損は無い…か。確かに狡猾な考え方だ」

「へへっ、だからそんな褒めるなって」

 この悪魔とも付き合いが長くなってきた所為か、少しずつ思考や思想に影響が及んでいる気もする。

 とはいえ、もう既に三英雄の一人に喧嘩を売るような真似をしてしまった後では、それも気にするだけ無駄に思えていた。

「それで、どうすんだ?」

「元手がいくら必要かは不安なところだが…」

「あとはサリーが頼みの綱だけど、何も無ければ膠着状態になりそうだし…良いんじゃない?」

「あぁ、とりあえず一度会ってみよう」

「へへっ、そう来なくっちゃ。俺様の読みが正しければ、きっとこのカエルムって奴は男だぜ」

「…でしたら、少しガッカリさせてしまうかもしれませんね」

 未だに得意気なプルが根拠の無い予想を立てているのを半信半疑で聞いていたら、突然後ろから声を掛けられた。

 プルと普通に喋っていたのを聞かれたと思い、驚いて後ろを振り返ってみると、そこには自分と同じようにローブで全身を覆い隠した人影があった。

 元々薄暗い場所な上に頭からフードを深めに被っていることもあって、その存在の情報はほとんど入ってこなかった。

「盗み聞ぎは良い趣味とは言えないぜ?」

「あら、それは申し訳ありません。まさか、ここに出入りしているような人にそのようなことを注意されるとは思ってもいませんでしたので…」

 見た目から得られる情報は無くても、丁寧な口調で話す女だというのは声や口調で分かった。

「…そう言われると弱いな」

「それで、あなた誰なの? 私たちに何か用?」

「えぇと…きっと用があるのはあなた方の方だと思いますよ。私が――先程から話題に上がっている情報屋のカエルムですから」

 言った傍から予想が外れたプルの信用はガタ落ちだ。

 これでは、先程話していた情報に関するあれこれも胡散臭くなってしまうではないか。

 まさか、味方に裏切者がいるとは…。信じ難いが、事実無根とも言い難い。

「よろしければあちらでお話を伺いますけど、どうされます?」

「…ちょうど良かった。探す手間が省けたってところだな」

「んふふっ、では行きましょうか」

 如何にも怪しい情報屋に続いて地下の一角にあった飲食店に入ると、個室に案内されてテーブル席へ腰掛けた。

「随分慣れた様子だったが、よく使うのか?」

「内緒です…と言いたいところですけど、最初から何もかも情報を伏せてしまっては信用を得られませんからね。少しだけサービスでお伝えしますと、情報を扱うにはこういった隔離された場所の方が他の方たちから盗み聞きされにくくて良いでしょう? だから、仕事の際にはよく利用させてもらっています」

「確かに、それはそうだ」

 同時に、あんな場所で突っ立ったままベラベラと喋っていた自分たちがバカみたいに見えていたのだろうと、自分たちの行動を悔いる。

「それで、どんな情報をお求めなんでしょうか?」

 先程よりも少しだけ明るく照らされていたおかげで、彼女の顔立ちがおおよそ整っていることは窺えた。

 顔の上半分はフードの影で見えなくとも、下半分を見ただけで張りのある肌や艶やかな唇に惹き込まれる。

 さらに、ローブから出ている手指が細くしなやかなものだったので、明確に女を意識させられた。

「そうね、いろいろ気になることはあるけど…。まずは、情報屋というあなたのことを知っておきたいわ」

「ん~、皆さんそうおっしゃられるんですよね。でも、それはとっておきの秘密なので、値段もとっておきですよ?」

「ちなみに、いくらなの?」

「んふふっ、金貨にして1000枚です」

「…それはまた、随分な値段だな」

 それだけの金貨があったら、自分の城を立てるのも可能なのではないかというほどぶっ飛んだ値段だ。

「それはそうですよ。この仕事における要である情報収集の仕方を含め全てをお話しするのなら、私が情報屋として稼げるだけの将来的なお金も貰うくらいでないと…それに、そのくらいあり得ない値段を提示した方が相手も諦めがつくみたいですから」

「なるほどな」

 これは、彼女に寄り付く男の厄介払いさえ兼ねていそうだ。

「でも、その言い分だと既に結構な額を稼げてるみたいね」

「んふふっ、それはご想像にお任せします」

 彼女たちのやり取りを見ていると、カエルムという女がメアリーよりも上手であり大人びているのが言動や所作からも窺える。

 一挙手一投足に艶があるというか、しなを作るような動きはメアリーがまだまだお子ちゃまだと言わしめているようにも感じられた。

「しかし、その分だと敵も多そうだな。大金を払えず業を煮やした連中から襲われることもありそうだ」

「あらっ、ご心配ありがとうございます。確かに、そういったことは珍しくありませんけど、今のところは大事に至らずに済んでいますよ」

「ほぅ、それは良かった」

 ただの女なら、襲われてそのローブごとひん剥かれてしまうこともあるはずだ。

 それからどんな目に遭わされるかは想像が容易いが、そのくらいは想定内だと考えているのか、あるいは自らを防衛する何らかの手段を持っているということになる。

 けれども、サリーやメアリーのように目立つ杖を持っているわけでも無ければ、手ぶらで歩いていたように覚えがあるのでその詳細も不明だ。

 あのローブの中に小さな得物や暗器を隠し持っているとも推察できるが、あくまでも想像の範囲でしかない。

「……」

 相手が情報屋ということもあってか、プルは先程から一言も発することなく静かに隠れている。

 奴も自分の存在をこれ以上知られると、相手に様々な情報を与えることになるので後がどうなるか分からないと警戒しているのだろう。

〈なぁ、クロ? あいつのスリーサイズを聞いてくれよ。特におっぱいがどんくらいかって〉

〈…アホか、そんなこと聞けるかよ!〉

 俺は心の中ですぐに前言を撤回した。

 やはり、あいつは悪魔だ。それも、ただ欲望が丸出しの下世話な奴だった。

 しかし、一度言われてみると気になってしまうもので、よく見れば隣に座るメアリーの比ではないくらい胸の辺りが膨らんでいる。

 サリーも普段白いローブを着ているが、これほどまでにはなっていなかった覚えもある。

「…? んふふっ、気になりますか?」

「あっ、いや…」

「ん?」

 視線に気づいたカエルムと名乗る女は自らの胸をなぞるように下から上へ指を動かすと、膨らみを通り過ぎた辺りで何かがボヨヨンと跳ね返った。

「おぉ…」

〈うほぉ…〉

 柔らかそうに弾む様子をわざわざ見せつけたのは、暗器を仕込んでいないというアピールだったのだろうか。

 だが、もはや俺はそんなことなどどうでもいいくらい見入ってしまったので、彼女の目論見は期せずして外れてしまったのかもしれない。

「気になるのでしたら教えて差し上げても良いんですけど、大きさを口で説明するのと実際に見て確認するのでは例え同じ大きさであっても受け取る印象が随分違うのではないですか?」

「ほぅ、確かに…」

「…? あんたたちは一体何の話をしてるのよ」

「でしたら、直接見たくありませんか? 百聞は一見に如かずとも言いますし」

「あぁ、もちろんだ」

「んふふっ、では金貨100枚になります」

「ぶふぅっ!? たっか…」

「んっふふっ、当然ですよ。普段ひた隠しにしている女性の秘密を知ってしまうわけですからね」

「まぁ…そうだよな…」

 そんな旨い話があるはず無かったのだ。

 期待をさせるだけさせて落とされるのは何とも心が寂しくなる。

「どうされますか?」

「いやいや、どうもこうもさすがにそんな金をホイホイ出せないって」

 怪しく微笑む彼女が胸元に手を掛けて素肌を晒す気概を見せてきても、無いものは無いのだからその先を拝むことはできなかった。

「あら、そうですか。残念ですね…」

 断る際も気のある素振りを見せてくる彼女を見ていると、少しずつやり口が分かってきた気もする。

「ねぇ、クロ。あんた、もしかして…また変なこと企んでたんじゃないでしょうね?」

「いででっ、違うって。今のはそいつが勝手にやっただけで…」

「んふふっ、かわいいですね」

 隣に座ったメアリーから見えないところで抓られている間も、カエルムは微笑ましく見守っていた。

「…こほん。そろそろ、本題に入ろうか」

「あぁっ、そういえばまだ伺ってませんでしたね」

 随分回り道をしてしまったが、彼女の情報を得るにしてもタダでは限度があったようだ。

 結局、情報を買うにしても半信半疑のまま彼女を信じるしかないらしい。

「実は、知っての通りさっきそこの闇ギルドの依頼を見ていたんだが、目ぼしい物が無くてな。何かこう…手っ取り早く儲かるものか、貴重な品が入るような美味しい話を知らないか?」

「なるほど、そういうことでしたか。クロさんは合理的な考え方をしているのですね」

「ク、クロさん…?」

「あら? そちらの方がそう呼んでらっしゃったと思いましたけど、違いましたか?」

「ふっ、ふふっ…」

 慣れない呼び方をされて戸惑ったのは事実だが、静かに笑う隣の女も失礼なものだ。

「いや、それで構わない」

 それにしても、彼女と話していると何から何まで売れる情報として収集されていそうな気がしてならない。

 極力余計なことは言わないように努めて名前すら名乗らずに隠していたが、それでも相手は一切金を使わずに金を儲けられる材料を得ているのだ。

 実際に情報屋の彼女と会って話したことで、ようやくプルが言っていた情報の重要さに気づけた気がする。

「んふっ、クロさんがお優しい方で良かったです。危うく気を悪くされてしまったかと思いました」

「…それは今後のあんた次第だな」

 値踏みするように彼女の顔を窺うと、影の中に隠れた彼女の瞳と視線が交差したように思えた。

「ご期待に添えるかどうかは分かりませんけど、ちょうど良い話がありますよ?」

「へぇ、どんな話か簡単に聞いても良いか?」

「はい。実は少し前にダンジョンが見つかったようで、どうやらそこはまだ未探索らしいんです」

「ダンジョン…? 見つけた奴はよく調べなかったのか?」

「ええ、そのようですね。必要でしたら、その辺りも詳しくお教えしますけど…」

「……まさか、ちょっとした洞穴くらいで終わらないだろうな?」

「いえ、さすがにそれは無いと思いますよ。中はかなり大きそうな話でしたから」

 未探索のダンジョンであれば、もしかしたら手つかずのお宝の山が眠っている可能性はある。

 冒険者であれば誰もが心惹かれる何ともロマンのある話ではあるが、彼女も聞き及んだだけで自らの目や足で調べたという言い方ではなかったのが気掛かりだった。

「ちなみに、そのダンジョンに関する情報はいくらだ?」

「そうですねぇ…。期待値が高いことを踏まえると、金貨1枚出してもらっても儲けが出ると思うんですよね」

「期待値が高いってことは、何かしら根拠があるってことか?」

「えぇ、まあ…。その辺りはお代を頂いてから…ということになりますけど」

「…少し相談する時間をくれ」

「えぇ、構いませんよ」

 メアリーに合図を送ると、一旦個室から出て店の片隅で改めて話し合った。

「値は張るが、試す価値があると思ってる。二人はどうだ?」

「俺様も賛成だぜ。一攫千金も夢じゃないからな」

「…話が上手すぎて胡散臭いとも思うのよね」

「確かに、今になって未探索領域が出てくるなんて珍しい話ではあるからな…。期待できるだけの裏付けも気になる」

「でしょ? 金貨を払うほど期待ができると思わせて高い金を払わせたら、そのまま逃げられるのがオチよ」

「でもよ…もし、そのダンジョンとやらにさらにお前たちが強くなる為の装備や装飾品・金銀財宝があるとしたら、惜しいことをしたと思わねぇか?」

「うっ…、それはそうだけど……」

「だったら、さっきも話したように保険を掛けておけばいいじゃねーか。あいつが逃げられないようにしてさ」

「リスクを負わず、ハイリターンを求める…か、悪くないな」

「あんたの考えに賛同するのは癪だけど、一番現実的且つ利益が見込めるのは確かだわ」

「へへっ、決まりだな」

 一応サリーにも確認を取っておこうかと頭に過ぎったものの、彼女ならこんな提案を受け入れない気もしたので利益を優先して止めてしまった。

「待たせたな」

 再びカエルムがいる個室へ戻って座り直すと、優雅に茶を啜っていた彼女への返事としてテーブルの上に1枚の金貨を置いた。

「どうやら、色好い返事が貰えたみたいですね」

「あぁ、早速聞かせてくれ」

 彼女は金貨を受け取ると、例のダンジョンについての情報を話し始めた。

「ここから少し遠いですけど、随分昔から人が寄り付かなくなったリヴァイポという森をご存じですか?」

「いや、知らないな」

「私はちょっと聞いたことあるかも」

「その森には100年以上前からゴーストやスケルトンの出没情報が出ていて、気味が悪くなった人々は次第に近寄らなくなったそうです」

「…確かに一般人や並の冒険者からすれば、物理攻撃が効かない奴らは厄介な相手だが…それこそ白魔術師や聖職者に頼って退治しそうなものだけどな」

「元々、その森自体をそれほど利用していなかったのかもしれません。他にも多くのモンスターが生息しているようですし、わざわざ用も無い森の為にお金を割くほど、人々も暮らしに余裕があったか分かりませんから」

「……」

「なるほどな…」

 モンスターに村を襲われたメアリーからしてみれば、耳が痛い話なのかもしれない。

 俯いたまま黙って聞いている姿は、静かすぎて逆に怖いくらいだ。

「先日、その辺りの事情も知らない冒険者が近くで戦っていた際、モンスターに追われて命からがら落ち延びた末に森の中へ迷い込むと、そこでダンジョンを見つけたそうです」

「偶然の産物ってことか…。ろくに人が近づかない場所なら、未発見の未探索ダンジョンがあっても不思議じゃないな」

「はい。実際、その方も興味はあったようですけど、意気揚々と探索に赴くような場合ではなかったこともあって、養生してから入口付近を覗く程度で切り上げて最寄りの町まで帰ったそうです」

「ふむ、経緯は分かった。…でも、俺だったら改めて調べに行きそうなもんだけどな」

「…私もそう思ったんですけど、どうやらその方はその一件で命を落としかけたことから懲りてしまったらしく、探索は諦める代わりに私の下へ情報を売りに来たんです」

「自分で行けずとも、せめて情報を売って金を得たわけか。だとしたら、そいつが他の奴にも情報を売って無ければ可能性はありそうだ」

「えぇ、そればっかりは私も分かりませんけど……リヴァイポの森はここから北西に進んで3,4日掛かりますね。必要でしたら、簡単な地図は用意できますけど」

「いや、その必要は無い」

「そうですか…、要らぬお世話を――」

「その代わり…カエルム、あんたも一緒に来ないか?」

「え…?」

 その言葉が予想だにしないものだったのか、彼女は珍しく口を開けたまま呆けていた。

「あんたが一緒に来てくれれば、より詳しい場所も知ってるだろうし地図は必要ないだろう? あぁ、もちろん報酬というか戦利品は山分けで良い」

「いえ、そうではなくて…。これを言うのは些か不本意ではありますけど、私は戦力になりませんよ…?」

「あぁ、そんなことか。最初から情報屋にそんな期待はしてないから安心しろ。道案内だけしてくれればいい。この間、馬車も買ったことだしな」

「そうですか…」

 俺たちの戦力では心許無いことを危惧しているようではないみたいだが、それにしても先程までとは少し雰囲気が変わっていた。

 彼女としてもこの件が狙い目であると分かっているなら、多少危険であっても利益を得る為についてこようとするはずだ。

 なので、むしろここで断ってきた場合の方が信憑性に欠ける。

「あっ…。もし夜這いとかの心配をしてるなら、あなたの勘は間違ってないわよ」

「やっぱり、私の身体が目当てだったんですね…っ!」

「おい、何言ってんだよ。滅茶苦茶誤解させてるじゃないか」

「とはいえ男はこいつ一人だし、あともう一人女の子がいるだけの三人パーティだから、私たちでもやろうと思えばこいつを縛り上げられるわ」

「そんなことしないって…。はぁーあ…、金払ったのは俺なのに…酷い扱いだぜ、全く」

「んふふっ、冗談ですよ。一応、自分の身を守る術は心得てますから、そんな心配はしてません」

「じゃあ、何を迷っていたんだ?」

「あら、そう見えました? でも、そうですね…こうやって誘ってもらえることは今までありませんでしたから、ちょっと物珍しくて」

「ふーん…」

 彼女を誘ったらその分報酬の取り分が減ってしまうのだから、より利益を得ようとして情報を買いに来たとすれば、まずその行為は選択肢から消えてしまうわけだ。

「迷惑だったか?」

「いえ、謹んでお引き受けしようと思います。不束者ですが、よろしくお願いしますね」

「ふっ、ふふっ…それじゃ、まるで嫁入り前のセリフだわ」

「あら、そういえばそうでした。んふふっ…」

 素顔を見せぬまま差し出された彼女の手は、白く綺麗に輝いて温かかった。



 情報屋のカエルムと接触した後、アングラから引き上げた俺たちはサリーと合流した。

 表のギルドで依頼を探してもらっていた彼女から割の良い依頼は見つからなかったという報告を受けながら、先程の件について話しておいた。

 結果として事後承諾という形になってしまったが、彼女は特に反対する様子もなくすんなりと受け入れていた。

 騙された時の為の保険としてカエルムを誘った――という余計なことまでわざわざ話さなかったのが功を奏したのかもしれない。

 全員揃ったところで一旦宿屋まで戻ると、馬車から拾い集めておいたモンスターの素材を引っ張り出してギルドや鍛冶屋へ売りに出掛けた。

 そして、その売り上げも利用してより快適に馬車での移動を行う為のクッションや敷物なども買い足そうと町中を回っていれば、次第に日も暮れてきて夜が近づいていた。

 のんびり過ごせた馬車での旅路とは違い、今日は町中を歩き回り予期せぬ相手との出会いまであったので実に目まぐるしい一日だった。

 そんな一日を過ごした自分たちを労う為に、俺たちは昨日も泊まった宿屋で夕食を摂っていた。

「はい、お待ち」

「あっ、こっちも美味しそう~」

 愛想の良くない二人と違って何でも美味しそうに食べるサリーのおかげで、店員からの扱いも悪くならずに済んでいる気がした。

「あ、そうそう。今日は空きが出たから二部屋用意しておきましたけど、大丈夫でした?」

「あぁ…どうも」

「まあ、それが普通よね」

 今日一日馬車を泊めたままだったのでそのままもう一泊することになったのだが、その配慮は素直に喜べるものではなかった。

「じゃあこれ、部屋の鍵ね。二階の部屋が二人部屋で、三階の方が一人部屋だから」

「はーい」

「ごゆっくりどうぞ」

 宿に戻った際に今日の分の支払いは済ませておいたので、店員の女は配膳を終えると二つの鍵を置いてすぐにその場から立ち去った。

「おい、聞いたかよ? なんか今日広場で騎士団の連中が揉めてたらしいぜ」

「ああ、聞いた聞いた。なんでも町中に見慣れないモンスターが入り込んできたとかどうとか…」

「おいおい、それホントかよ。そんなんじゃおちおち夜遊びにも行けねえじゃねーか」

「なんだよ、ビビってんのか?」

「そ、そんなことねーよ。難だったら、俺が退治してやるっつーの」

「あー、でもよぉ…確か、南側の娼館街の方でも人の死体が転がってたっていう話もあるぜ」

「おぉ怖っ。息巻いてモンスターに立ち向かったはいいが、返り討ちにされちまったんじゃあ世話ないぜ」

「あっはっは、そん通りだ。ちげえねぇ」

「(もうその話が広まってるのか…)」

 聞き耳を立てずとも周りで食事をしている他の宿泊客たちからそんな話が聞こえてくるのだから、プルの姿を見られてしまえば面倒なことになるに決まってる。

 幸い、奴は今あの情報屋を探ると言って尾行しているはずなので、この場にはいない。

 ただ、素性の怪しい相手を張り込んで様子を探るのは良いのだが、相手はまず間違いなく女なのでやってることはただのストーカーと同じである。

 とはいえ、今の状況を考えればプルの判断は間違いではなかったようにも思える。

 仮に俺たちの特徴を覚えている奴がいても、肝心のモンスターが伴わなければ濡れ衣も良いところだと言ってのけられるだろう。

 こういう時は変に怯えず、堂々としてれば良いのだと自分に言い聞かせて食事を続けた。

〈プル、首尾はどうだ?〉

〈あぁ、クロか。ちょうど良いところに連絡してきたな。今、あの女が風呂に入ってるところだぜ〉

〈ふ、風呂っ!?〉

〈へっへー、嘘だよ嘘。でも、今あの女の裸を想像しただろ?〉

〈う、うるせぇよ…。こっちは今飯食ってんだから、変なこと言うな〉

 案の定、別の目的で後を付けたのだと思わされたのはまだいい。

 けれども、図星を言い当てられて、咄嗟に上手い返しが思いつかなかったのはやるせない思いでいっぱいだ。

 姿が見えずとも、向こうでせせら笑っている悪魔の姿が容易に想像できる。

〈なんだよ、そっちもか。こっちも暢気に一人で飯食ってるのを眺めてるところだ。腹が減って仕方ねぇよ〉

〈そういえば…お前、金なんか持ってないだろ? あとで適当に買って持って行こうか?〉

〈いや、心配は無用だぜ。その辺に転がってるのを適当に食えば済むからな〉

〈…それって盗み食いっていうんじゃないか?〉

〈細けぇこたぁ良いんだよ。俺様は人間じゃねぇんだから、お前らが勝手に作ったルールなんて知らんっての〉

〈相変わらず、横暴な奴だな…〉

〈へへっ、そんなに褒めんなよ。じゃあ、なんかあったら連絡すっから。特に、またあいつらに捕まったらすぐ迎えに来てくれよ?〉

〈あぁ、分かってるよ。くれぐれも気を付けてな〉

〈どうせ心配されるなら、美女や美少女の方が良いんだけどな…へへっ、まあ任せとけって〉

 最後の意見については全く以て同意するが、随分楽観的な奴だ。

 一度捕まったというのに微塵も懲りていない印象すら受ける。

「実はさっきも探してたんだけど、なかなか見つからなくて…」

「ん? なんだ、サリー? なんか探してるのか?」

「あ、ううん。何でもないよ」

「あ、そう。ならいいけど…」

 プルと念話で話している最中も二人は何かを話しているようだったが、しっかり聞き取れていなかったので頭には入っていなかった。

 しかし、そのことについて割って入っても取り合ってくれず、除け者にされてしまった。

 こういう時、女二人に対して男一人というのは立場が弱い。

 一緒に食事をしているはずなのに、どこか遠い存在に感じてしまう。

「それで、メアリーちゃんにも手伝って欲しいんだけど…ダメかな?」

「そういうことなら、まあ良いでしょう。手伝ってあげる」

「やった。じゃあ、よろしくねメアリーちゃん」

 何でもないと言っていた割には楽しそうに話していたので、気になって仕方がない。

 しかも、二人してチラチラとこちらに視線を向けるのだから尚更だ。

 何か、あるいは誰かを探しているようなのは分かったものの、それだけでは考える余地も無い。

「なんだかなぁ…?」

 いつもならサリーは積極的に話を振ってくれるので、きっと女同士でしか話せないようなことなのだろう。

 誰も答えをくれないので、そう思い込むしかなかった。



 翌日、久しぶりに一人きりの朝を迎えた。

 あの悪魔はともかく、目が覚めた時にかわいい女の子がいるかいないかでここまで充実感が違うのだと改めて思い知らされる。

 昨夜は二人部屋に女性陣二人が泊まって俺は一人部屋で休むことになり、先日のような知らぬ間に誰かが潜り込んでいるハプニングも無ければプルもまだ帰っていないようだった。

 結果として朝からどこか物寂しい気分を味わう羽目になったが、残念ながらそれだけでは済まなかった。

「じゃあ、クロムくん。行ってくるね」

「あんたもすること済ませちゃいなさいよ」

 のんびりと寝てしまった俺を余所に、彼女たちは早々に起きて朝食も済ましてしまったらしく出掛ける前に部屋へ寄っただけですぐに去ってしまった。

 実は、昨日情報屋のカエルムに話を付けた際、準備の為に出立は明後日以降にして欲しいと彼女から頼まれていたので今日は一日準備期間として空いているのだ。

 サリーたちはその時間を利用して、食料の買い出しがてらまた町を見て回ってくると言っていた。

「さて、俺もそろそろ行くか…」

 いつまでも宿屋のベッドでごろごろしているわけにもいかず、俺は俺で別の任がある。

 今日は例のリヴァイポの森について情報を集める為、町の図書館へ出向くつもりだった。

 夕食を摂った時とは違って疎らになった宿屋の一階で朝食を頂くと、その足で早速調べ物をする為に外へ出る。

 例によって宿屋の店員に場所を聞いていたこともあり、比較的すんなりと図書館へ辿り着くとリヴァイポの森についての書物を漁った。

 カエルムの話では100年以上前からゴーストやスケルトンなどの死霊系モンスターが現れるようになり、その所為で人が寄り付かなくなったと言っていた。

 とはいえ、それはあくまで彼女から聞いただけであり、真相はどうなっているのか確認する必要があったのだ。

 彼女のことを知ることも難しかったので、信じる信じないの判断材料が欠けていることもあるし、より詳しく調べることでその期待値がどこまで高いのかを知ることもできる。

 調べ物自体はそれほど時間を掛けずとも、おおよそのことは把握できた。

 それだけこの国や地方では有名な話であり、関係する書物が多かったことも理由の一つだ。

 ついでに、本だけでなくそこで働く人にもリヴァイポの森について聞いてみれば、確かに昔から近寄らないように言われているというのも確認できたので、あながち彼女がホラを吹いているわけでは無さそうだ。

 用が済めば、いつまでも図書館にいる理由も無い。

 改めて町中へ出てみればまだ日も高く昇っており、サリーとプルのどちらからも連絡が来ていないことから特に問題は無さそうだ。

「……ふぅ」

 時間を持て余し、ボーっと人々が行き交う姿を眺めていると、その賑やかな中にいるというのに自分の周りだけが静かなようで嫌な懐かしさを思い起こされた。

 ここのところ、野営の見張りの時を除けば常に誰かが傍にいた。

 余計なことばかり話し、時にはうるさく感じるプルズートや彼と言い争っていることが多くハッキリとものを言うメアリー。そして、気さくに話しかけてくれて気遣いのできるサリー。

 しかし、その誰もがずっと前から自分の傍にいたわけではなかった。

 以前は戦力にならない、足手まといだ――そんなことを言われ続けた結果、一人きりで日々の糧を得る為に戦うようになり毎日惨めな思いをしていた。

 悪魔のチカラによって死の淵から蘇り強力なチカラを得た今も、根っこの部分は変わっておらず弱いままなのかもしれない。

 ネガティブな思考に陥ると、ずっと不思議に思っていたことがやはり引っかかってしまう。


 なぜ、サリーは今も旅に同行してくれているのか。


 その謎はいつまで経っても解明されず、宙ぶらりんのままになっていた。

 もちろん、かわいくて優しい彼女が一緒にいてくれるのは嬉しい。

 けれども、相変わらず自分のことをあまり話そうとしないサリーは、その理由を一向に教えてくれない。

 最初は悪魔と契約してしまった俺が心配だからと言っていたが、今となってはそれが建前にしか思えないのだ。

 心優しい彼女が見ず知らずの相手でも心配してくれるというのはまだ分かる。

 だが、本当にそれだけの理由で今の今まで付いて来てくれて、果ては自らの肌を晒し身を委ねるようなことまでするものだろうか。

 もし、彼女が娼婦や男遊びをするようなだらしない女であればそうかもしれないと思うこともできるが、純真な彼女がそうであるとは考え難い。

 かといって、純粋な好意を持たれているというのも些か自惚れが過ぎる。

 冒険者を生業にしてからというもの誰に好かれることも無く好き好んで近づいてくる者などいなかったので、そんな甘い考えは信じ難く妄想でしかない。

 況してや、悪魔と契約したような男なのだ。

 人に嫌われこそすれ、好かれる覚えはない。

 その一方で、実はサリーがメアリーと同じように悪魔のチカラを欲しているから、こっそりとそして積極的に性的な行為まで行い、俺やプルとの繋がりを求めていたとも考えられなくはない。

 俺の知るサリーの性格からしてそんなことはまず無いだろうと頭では分かっているものの、可能性として無いわけではないのでその考えも安易に捨て切れるものではない。

 野営の際一人きりで見張りをする度に何度も何度も考えていたものが、白昼夢を見るようにリフレインして今日も頭を悩ませる。

 確固たる理由や根拠が無いままでは不安に思う一方で、俺にはもったいないくらいのかわいくて心優しく性にも前向きな美少女であるサリーにはこれからもずっと一緒にいて欲しいと思っている。

 しかし、そうなればこの先彼女も悪魔と共にある人生を歩まなければならず、その先はきっと地獄に続いているであろうという旅路に彼女も巻き込んでしまうことになるので躊躇いはあった。

 そんなお先真っ暗なことが分かり切っていて幸せとは縁遠い人生に付き合わせるくらいなら、もっと他の――それこそハンフリーのような三英雄の一人であり輝かしい未来が約束されている男と一緒にいた方が、きっと彼女は幸せになれるだろうと考えていた。

 そのことに関していえば、メアリーも同じだ。

 復讐の為に悪魔のチカラを欲して得たものの、今ならまだ引き返せるだろう。

 復讐に囚われた心を改めてそのチカラを真っ当に使えば、光ある未来が待っているはずだ。

「ふっ…。どちらにしろ、俺と一緒にいない方が良いわけだ…」

 自虐にも等しい小さな呟きは誰の耳にも入ることなく、町の喧騒によってかき消された。

 やるせない気持ちを抱えたままこれ以上考え続けると何かが噴き出してしまいそうな予感に襲われたので、気を取り直して宿代でも稼ぎに行こうかとアンダーグラウンドへ向かった。

「あっ…」

 その途中、通りの奥に件の彼女たちの姿が見えた。

 そして、そのまま話しかけに行こうかと思えば、彼女たちが誰かと話しているのを知る。

「あれは、ハンフリーと側近の女剣士…!」

 これはマズい――そう思ったのも束の間、俺の心配を余所にサリーは笑顔を浮かべていたのだ。

 火花を散らしてすぐにでも戦いの火蓋が切って落とされるような雰囲気ではないのは良かったものの、彼女の笑顔を見てこんなにも胸をえぐられるような思いをしたのは初めてだった。

 思えばそんな緊迫感のある状況に陥ったのなら、真っ先にコレボンのブローチを通じて連絡してくるはずだ。

 だが、未だに何の報告も寄越してこないことから、彼女がその存在を忘れてしまっているのでは無い限り不測の事態ではないということになる。

 メアリーに至っても不機嫌そうな面はいつものことだが、その上でニヒルな表情も見せているのでまだ余裕があり切羽詰まっている状況では無さそうだった。

「(そうさ…、ついさっきまで考えていた通りじゃないか。彼女たちのことを考えれば、俺と一緒にいるよりあいつらと一緒にいた方がきっと幸せになれるはずだ)」

 先程彼に牙を剥いた行いが俺の独断専行であり彼女たちに非が無いことを信じて貰えれば、仮にも王国騎士団である彼らに悪いようにはされないだろう。

 もしかしたら、二人ともそのつもりだったから、今日は早々に出掛けて彼らと待ち合わせていたのかもしれない。

 嫌な予感が的中してしまったことに対して、嬉しくもあれば悲しくもあった。

 彼女たちの幸せを思えばそれが最適解だろうと考える一方で、たった一人残される自分の将来を悲観する。

 だが、それは自ら悪魔の手を取ってしまったのだから仕方のないことだ。

 誰よりも強いチカラを欲し、全てを捨ててでもそれを望んだのだから。

「……」

 次第に彼女たちを見ていられなくなり、今見た一部始終を見なかったことにして改めてアンダーグラウンドへ向かう。

 さすがに、今日ばかりはモンスター共を気の毒に思うだろう。

 これから俺が行うのは狩りであって狩りではない。

 ただの憂さ晴らしだったからだ。


 昨日までは晴れていたのに気づけば上空は雲に覆われ始め、生憎の空模様に変わっていた。

 さりとて、狩りに行くと言ってもそれほど足を伸ばして出向いたわけではなかったので、辺りが暗くなる頃に戻って来ても雨に降られることも無く報酬も貰い終えていた。

 途中、サリーからの念話が届いて先に夕食を食べているという連絡が来た通り、俺が宿屋についた時には既に二人がテーブル席について食事をしているところだった。

「あ、クロムくん。おかえり~」

「遅かったじゃない。どこまで行ってたのよ?」

「あぁ、ちょっと日銭を稼ぎに狩りへ行ってたんだ」

 彼女たちがいる席へ座る前に、店員へ食事の用意をしてもらう旨を伝えた。

「そうだったんだ、お疲れ様」

「関心関心。殊勝なことね」

「そりゃどうも…」

 椅子に腰掛けるだけでも随分身体が重く感じられた。

 そんな大したモンスターの相手をしていたわけでも無いのに、今日はやけに疲れが出ているらしい。

 料理に先立って店員から差し出された水を呷っても、渇きが消えず頭にもモヤが掛かっているようだ。

「そうそう。買い出ししてきた食料とかはもう馬車に積んでおいたから、すぐにでも出発できるよ」

「そうか…」

「…どうしたの、クロ。あなたちょっと変よ?」

 いつものように返事をしたつもりでも、元気の欠片も無い現状では彼女たちの目を欺くことはできなかったらしい。

「もしかして、そんなヤバいモンスターと出くわしたの?」

「いや、そういうわけじゃないけど…そんなに変か?」

「うん。いつもの自信に満ち溢れてるクロムくんとはまるで別人みたい…」

「ふっ…」

 サリーの口から出た言葉を聞いて、我ながら呆れてしまった。

 本来の自分からすれば、むしろ自信に満ち溢れている方が別人なのだ。

 彼女の中にある俺という存在は悪魔のチカラを得て自らのチカラを驕った結果、調子づいていただけに過ぎない。

「だったら、あいつの首を落とせなかったのがそんなにショックだったの?」

「…あぁ、そうかもな」

「そんなの気にすること無いよ」

 彼女は励ましてくれたつもりなのだろうが、今の俺には「どうせ勝てるわけが無いんだから」という前置きを含んだ嫌味にも聞こえてしまった。

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

「きっとお腹が減ってるから元気も出ないんだよ。いっぱい食べてチカラを蓄えなきゃね」

 料理が運ばれて来るや否や、サリーはそう言ってフォローを続けた。

「ねえねえ、アレ…今日でも良いかな?」

「えぇ? また別の機会の方が良いんじゃない? 随分疲れてるみたいだし」

 彼女たちに見守られながら黙々と料理に手を付けていると、二人してヒソヒソと内緒話を始めたので余計気分を害された。

「…随分楽しそうだな」

「え? そ、そうかな?」

 試しに突いてみれば分かりやすく動揺してみせたので、きっと後ろ暗いことを企んでいるのだろう。

「なぁに、あんた。盗み聞きとは趣味が悪いわね」

「それを俺のような奴に言うのはお門違いだって、昨日の女も言ってたぞ」

「あーあ、開き直っちゃった。そういうところは、やっぱりあいつの影響なのかしら」

「…あぁっ、そうだ。プルちゃんはどうしたの? まだ帰ってないみたいだけど?」

「さあな…。何も連絡を寄越してこないし、まだ戻ってないなら明日一緒に合流するつもりなんだろう」

「そっか。でも、それって結局相手の尻尾を掴めずに終わったってこと?」

「今夜何か動きが無ければ、そういうことになるんじゃないか?」

「私からすれば、あの情報屋以上にあいつが一人でぶらぶらしてる方が怪しいわよ」

「怪しいって…例えばどういうこと?」

「そうねぇ…。あんなゲス野郎がすることだから、きっと女湯に忍び込んだり娼館を回ったりとか…そういう感じよ」

「ああー、確かに。目に浮かぶ光景かも」

「でしょ? 全く、余計な火種を抱えて帰ってこなければ良いけど…」

「うーん、そうだねぇ…」

 眉間に皺を寄せながら悪態付いている彼女たちは一見取り留めのない話をしているようにも思えたが、昼間見かけた一件についていつまで経っても話そうとはしなかった。

 そして、話そうとしないということは、やはりそういうことだったのだろう。

 途端に胃がズンと重くなり、食事を進めていた手がそれ以上動かなくなってしまった。

「ふぅ……。俺、先寝るわ」

 居心地が悪かったこともあり、溜め息一つ吐いた後ゆっくりと立ち上がった。

「え? まだ残ってるけど、もう良いの?」

「あぁ、あんまり食欲が無くてな…」

「そう…。じゃあ、また明日ね。おやすみ、クロムくん」

 いつもは出された料理を残さず食べるのに、今日に限ってそうではなかったから彼女も心配に思ったのかもしれない。

 最後には笑顔で送り出してくれたものの、「また明日」という言葉が一体いつまで続くのかという焦燥に駆られて気が気ではなかった。



 明くる日。

 昨日は早めにベッドへ横になったにも関わらず、なかなか寝付けなくて結果的にあまり寝られなかった。

 おかげで、やや寝不足気味のまま朝日を浴びる羽目になり、お世辞にも体調が良いとは言えない。

 せめてもの救いは目的地であるリヴァイポの森まで馬車での移動になるので、日がな一日歩き通しになるわけではなかったことだ。

 ちなみに、今日も一人きりで静かな朝を迎えることになったが、思えばそれは当然である。

 一人部屋である個室を取って一人で寝ていたのだから、朝になっても一人であるのは至極当然。

 今までが異常だっただけなのだ。

 そう、それはまるで夢でも見ているかのように――。

 昨日あまり夕食を食べれなかったこともあり、今朝はわりと腹が空いていたのでさっさと身支度を済ませて一階へ降りた。

 人が疎らなうちに朝食へありつくと、不思議なことに昨日の夕食時よりも爽やかで居心地が良く感じられた。

 閑散としていて静かな空間が居心地が良いと感じられたのか、はたまた余計なものが無かったからそう思えたのかは分からない。

 けれども、少し遅れて彼女たちもやってきたことで、そんな時間はすぐに過ぎ去ってしまった。

「あ、クロムくん。おはよう」

「今日は早いのね」

「あぁ、まあな」

 当たり前のように同じテーブルで朝食を摂り始める彼女たち。

 でも、それは同じパーティにいるから当たり前なのであって、そうでなくなれば当たり前ではなくなるのだ。

「そういえば、お客さんたちはハンフリーさんや王国騎士団の方々に会われました?」

 料理を運んで来たついでに店員から突然そんな話を振られた。

「あぁ、まあ…」

「そうなんですか? まあ、羨ましいわぁ。私も一度見てみたかったのに、もうこの町を出立しちゃったそうなのよ」

「へぇ…」

「あー、もう行っちゃったんだ」

「ええ。なんでも、この町には補給の為に寄っただけみたいで、早朝には北の方へ向かって行ったそうですよ」

「北か…」

「あの人たちに会えると、何か良いことあるんですか?」

「いやぁね、特別何かあるわけじゃないけど、縁起が良いじゃない。滅多に会える人じゃないし」

「まあそう言われてみれば、確かにそうかもね」

「あらやだ、すっかり話し込んじゃいましたね。それじゃ、冷めないうちにどうぞ」

 言いたいことだけ言って去って行く辺り、顔に寄った皺の数だけ図太さが増しているように思えた。

「会えたこと自体がラッキー、ですって。耳が痛いわね」

 物言いたげなメアリーの視線が俺を捕らえて笑っていた。

「まあでも、クロムくんとしては良かったんじゃない? しつこく追い回されずに済んだわけだし」

「あぁ、そうだな…」

 まだ一部が残って付け狙って来る可能性もあるが、本隊が動いたのならおそらくその一部に奴はいないだろう。

 魔王軍が占拠している北の方面へ向かったというのであれば、尚更主戦力と思われる奴を欠けさせるわけにはいかないはずだ。

「…ねぇ、サリー。薄々思ってたんだけど、あなた最近少し太ったんじゃない?」

「えぇっ!? そうかなぁ…?」

「えぇ、おそらくね。昨日もクロが残した分まで食べてたし、お腹周りとか特に怪しいわよ」

「うそぉ…。ねぇ、クロムくん。クロムくんはどう思う…?」

「そう言われてもな…。よく分からないけど…」

「ほらぁ! クロムくんもそう言ってるんだから、きっと気のせいだよ。大丈夫大丈夫」

「サリー、そうやって油断してるとすぐ余分なお肉はついていくものなのよ」

「もう…メアリーちゃん、怖いこと言わないでよぉ…」

 ここからではテーブルの所為で彼女の上半身くらいしか見えない上に、普段はローブを着ていてボディラインが見えにくいからそもそも分からないのだ。

 とはいえ、謎めいた少女もそんな女の子らしい心配をするのだと思うと、少しばかり微笑ましくなる。

「あっ、もう…クロムくんまで笑わないでよぉ…」

「いや、今のはそういうつもりじゃ…」

「ほら、太ったって笑われたくなければ、ちょっとは食い意地張ったとこ直した方が良いわよ」

「んぅぅ…だってぇ。あれもこれも美味しいから、ついいっぱい食べたくなっちゃうんだもん…」

「そういうところだって言ってるの」

「…クロムくんはどう思う? いっぱい食べる女の子は嫌い?」

「いいや…、良いんじゃないか?」

「ほら、良いって言ったもん」

「じゃあ、クロ。太ってお腹周りに贅肉が付いただらしない女はどう思うのよ?」

「いやぁ…それはさすがにきついなぁ…」

「う…。ちょ、ちょっとずつ気を付けようかな…。でも、まあ明日からってことで…えへへ」

「あーダメね。完全に欲望に負けて太るタイプだわ」

「もぐもぐ…もう、そんなことないよぉ…」

「はいはい、分かったから食べながら喋らないの。お行儀悪いでしょ」

「んぅぅ……」

「ふっ…ふふっ…」

「クロムくぅん…だから笑わないでってばぁ…」

 こんな時がずっと続けばいいのに――そう願わずにはいられない。

 けれども、俺の願いが神様に届かないことも知っている。

 だからこそ、せめて限りある今を楽しんでおこう。

 笑顔が溢れる朝の情景に包まれて、少しだけ身体が軽くなった。


「お待たせしました」

 宿を引き払って待ち合わせ場所である北門の近くまで馬車を引いてくると、逃げずにやってきた女が相変わらず丁寧に挨拶してきた。

「あなたが情報屋の…」

「詳しい話は乗ってからしよう」

「あ、うん…」

 サリーは彼女と初対面なので色々言いたいこともあるだろうが、明るい町中で相変わらず黒いローブを着て深々とフードも被った相手では悪目立ちしてしまう部分もある。

 なので、早々に話を切り上げさせてサリーを荷台へ促した。

「んふふっ、お気遣いありがとうございます」

「いいから、あんたもさっさと乗ってくれ」

「はい、ではお言葉に甘えて」

 情報屋と名乗る彼女であれば、おそらく人目に付きたくないだろうと思っていたが、やはりその通りだったらしい。

 何より、明るい場所でその姿を改めて見た時に、胸部の膨らみが既に悪目立ちしていたので無理もない。

 先に乗っていたメアリーに続き女性陣が次々と馬車に乗り込んだ後、最後に俺が乗車する番になる。

 しかし、それはカエルムの為だけを思って行ったというわけではない。

「へへっ、二日ぶりだなクロ。元気にしてたか?」

 彼女の後に続いて憎たらしい顔をしたもう一人の待ち人がやって来ると、こっそり話を続ける。

「どうかな…。それより、何か分かったか?」

「いいや、全然。何も面白くなかったぜ。この二日、世話になった宿屋とか贔屓にしてる店とかに挨拶回りに出掛けてただけみたいだし」

「そうか。何か掴めれば良かったんだけどな…」

「まあ、そんなしょげるなよ。それでも大丈夫なように、あいつを連れてくんだからさ」

「あぁ、そうだな」

 彼女の視界が幌で塞がれているうちに、合流したプルを荷物に紛れさせた。

「頼むから、しばらく静かにしといてくれよ」

「あぁ、分かってるって」

 情報屋が旅に同行するということは、四六時中情報が漏れないように気を付けなければいけないという部分もある。

 その最たるものはプルの存在なので、彼女が一緒にいるうちはその存在を隠ぺいしておく必要があるのだ。

「よし、全員乗ったぞ」

「忘れ物が無ければ、出すわよ」

「食料もあるし、杖も持ってるし…うん、大丈夫だよ」

「私も大丈夫です」

「じゃあ、出発っ!」

 パシンっと軽快な鞭の音が鳴り響くと、馬に引かれてゆっくりと動き出した。

「確か、北西だったわね」

「はい、そうですよ。とはいっても、しばらく掛かりますけど」

「それで…この人が情報屋のカエルムさんなんだよね? 初めまして、サリーっていいます」

「あら、ご丁寧にどうも。既にお仲間の方々から話は伺っていると思いますが、私はカエルム。しがない情報屋をやっている者です」

「情報屋さんっていうことは、お金を払えば色んな情報を教えてくれるってことだよね?」

「はい。それに加えて情報を調べることも承ってますけど、人里に下りないと収集する術もありませんから今は難しいですね」

「へぇ、そうなんだぁ…。私、早速聞きたいことがあったんだけど…」

「あら、そうなんですか? どうぞ、何なりと聞いて下さいな」

「えっと、実は…いっぱい食べても太らない方法っていうのを探してるんだけど、何か良い方法知らないかな?」

「んふふっ、かわいらしい質問ですね。その手の話はよく聞きますけど、お金を取れるような情報は持ってませんね」

「えぇ~、そんなぁ…」

「食べた分だけ身体を動かす、とかそんなところですね。何事もほどほどにした方が良いってことかもしれません」

「んぅ…、そっかぁ…」

 日の光が幌を通過してぼんやりと照らされる中で、毒気を抜かれるような会話が繰り広げられていた。

「ふぁぁ……」

「あらあら、大きな欠伸ですね」

「クロムくん、もう眠くなっちゃったの?」

「あぁ、実は昨日あんまり寝れなくてな…。それでいて今の会話を聞いてたら、ついウトウトと…」

 ついでにいえば、馬車が揺れる度にボヨヨンと揺れ動く誰かさんの乳袋に暗示を掛けられているようだったのだが、そこまで言う必要は無いだろう。

「ふふっ、良かったらまた膝枕してあげようか? 敷物も調達しておいたし、ゆっくり寝られると思うよ」

「あぁ…そうさせてもらおうかな…。カエルムも悪いな…。何かあったら起こしてくれて良いから…」

「いえ、大丈夫ですよ。んふふっ…」

 顔の下半分しか見えない状態では、彼女のその微笑みが人を小馬鹿にするものだったのかどうか読み取るのは難しかった。

 しかし、そんなことを深く気にする間もなく、睡魔に襲われてサリーに身を預けることになってしまった。

「おやすみ、クロムくん…」

 優しく挨拶を交わす彼女の表情は、見慣れた慈悲深い面持ちだった。

 これが夢なら覚めないで欲しい。

 俺の人生の一角に生まれたこの幸せな時を、せめてもう少しだけ味わわせて欲しかった。

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