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ブラック・ディヴィジョン  作者: 天一神 桜霞
第三章 疑惑の渦
25/31

② 光と闇の邂逅 ★

 次なる町へ向かっている最中、カラカラと滑車が回る音と共に暢気な音が小さく響いていた。

「ぐぅ…ぐぅ……」

 平穏な道のりが続き、うたた寝をしてしまいたくなるのも仕方ないとは思うものの、中にはその苛立ちを隠せない者がいた。

「ぎええぇっ! ぐおおぉっ!!」

「もう…プルちゃん、静かにしないとダメだよ。クロムくんが寝てるんだから」

「そう思うんなら、この魔女の暴挙を止めてくれえぇっ! うぎゃああぁぁっっ!」

「うるさいわよ、クソ悪魔。余計イライラするじゃない、息しないで」

「そんなことできるか! バカチンめ! うがっ、ぎょえええぇっっ!!」

 魔女の手に堕ちたプルズートはその身体を力いっぱい握りしめられたり、グリグリと押し付けられてあられもない姿を晒していた。

「うーん、今日は特にメアリーちゃんのご機嫌斜めみたいだね」

「お前も暢気に考察してんじゃねーよ!」

「あっ、こらっ! 待ちなさい!」

「やーなこった!」

 相変わらず、荷車を引くソウカイメイオーの手綱を握っているのはメアリーただ一人。

 サリーとクロムはその後ろでゆったりと寛いでいた。

「全く、人の気も知らないで…」

 誰にも聞こえない程度の声量で愚痴をこぼしたメアリーがチラッと後ろへ視線を送ると、さらに目つきが鋭くなってそこに寝ている男を睨んだ。

 その男は心優しき少女サリーに膝枕をしてもらいながら、静かな寝息を立てている。

「プルちゃん。昨夜はクロムくんが一晩中見張りをしててくれたんだから、ちゃんと休ませてあげないとダメだよ?」

「そんなこたぁ俺様だって分かってるよ。悪いのは、八つ当たりしてきたあいつだろうが」

 隙を見て魔女から逃れた悪魔はパタパタと羽ばたいて荷車の上に着地した。

「何? 文句あるの?」

「なんでもありませーん」

「ふんっ…」

 一緒に旅をしてきても、相変わらず仲が深まらない二人はお互いに顔を背けていた。

「ホント、良いご身分よね。他人に馬車を任せて、自分は女の子に膝枕してもらって暢気に寝てるんだから」

「そういう言い方は良くないよ、メアリーちゃん。床が固いから膝枕しようか――って言いだしたのは私の方だし、クロムくんが夜中もちゃんと見張っててくれるから私たちは安心して休めるんだから」

「それはそうだけど…、逆にそれが危ない気もするのよね」

「危ないって…どういうこと?」

「あいつだって男でしょ? 寝てる女の子に夜這いを仕掛けて来るんじゃないかってことよ」

「あっ…」

「それは確かに言えてるぜ。俺様だったら、もう毎日でもしたいくらいだからな」

「あんたの話は聞いてないわよ」

「…でも、襲われたことは無いよ?」

「え? …もしかして、もう既になんかあったの?」

 メアリーはサリーが何か含んだような言い方をしたので、目ざとく指摘した。

「……」

 そして、言い淀む彼女の反応から察するに図星のようだった。

「え? マジ?」

 その質問に対してサリーはしばらく答えを返せずにいたが、やがて頬を赤らめながらゆっくりと口を開いた。

「……ちょっと手を貸して欲しいって頼まれて、その…お手伝いしたことなら…あるよ?」

「うわーお…。ちゃんとヤることヤってんだな、あいつも」

「あー、はいはい。やっぱり危ないんじゃない。ちゃんと見張りするように言っとかないと…」

「でも、ほら…我慢は身体に悪いっていうし……」

「そうだそうだー! 俺様にもヤらせろー!」

「そうやって甘やかすから、そんな風に付け上がるのよ。あとそこの悪魔、そろそろ黙りなさいよ」

「それは俺様の勝手だぜ」

 二人の少女の考え方は対照的で、一人の男に手を差し伸べるか突き放すかと意見が割れていた。

「…私は嫌じゃないから、クロムくんが困ってるならこれからも助けてあげたいって思う」

「……そう」

「うん…。普段、クロムくんに頼りっきりでいっぱい助けられてるからね。私にできることなら、積極的にしてあげたいんだ」

「ふーん、殊勝なことね…」

 彼が聞いていないところで胸の内を告白するサリーに対し、メアリーはお腹いっぱいだとばかりに遠くを見つめて呆れ返っていた。

「あーあ、眠くなってきちまったな。俺様も膝枕みたいに良い場所で寝たいぜー。…例えば、こことかな」

 同じ男に対してそれぞれの想いが交差する中、空気を全く読まない悪魔が不躾にメアリーの胸の膨らみの上に飛び込んで寝そべった。

「あんたは、また…っ!」

 メアリーは手綱から片手を離して無造作に悪魔を掴むと、力一杯地面に叩きつけて後にしていく。

「イデぇっっ! …あ、待って! うぎゃっ! 置いてかないで~!」

 叩きつけられた後も車輪の下敷きになって踏んだり蹴ったりな悪魔は、一行に追いつこうと大きく羽ばたいて付いてくる。

「ひでえなぁ、ちょっと間借りしただけなのに」

「今度やったら、殺すわよ…」

「ひいぃっっ、おっかねえ…」

 本当に懲りたのかは不明なものの、一旦大人しくなった悪魔は幌馬車の中へ戻っていった。

「ん、んぅ…さっきからうるさいぞ…。ちょっとは静かにしてくれよ、眠れないじゃないか」

「おぅ、クロ。ちょうど良いとこに起きたな。俺様も寝るから、そこ代わってくれよ」

「嫌だよ」

「私も、悪戯ばっかりするプルちゃんにはしてあげない」

「な、なんだってー! 酷い格差社会だ…」

 下心しかない悪魔の願いは両者からキッパリと断られてしまった。

「ふあぁぁ…、サリーの膝枕は極上の眠り心地なんだよ。まるで天使の羽に抱かれてるみたいな…そんな感じ……」

「っ、ふふっ…ありがと、クロムくん。私でよければ、またいつでも膝枕してあげるからね」

 彼女は笑顔を浮かべてお礼の言葉を返していたが、その前の一瞬僅かに動揺を見せていた。

「…そりゃそうだろうよ」

 そして、それを見逃さなかった悪魔もいやらしい笑みを浮かべて、ひっそりと呟いていた。

「…また寝ちゃったみたい」

 サリーは自らに身を預けて安らかに眠りこける男の頭を撫でて慈しむ。

 その姿はまるで母のようであり、それと同時に伴侶のようでもあった。

「……随分静かになったわね」

 一人を気遣って静まり返ってしまうと、今度はただ淡々と何もない道を進むだけになり人々は眠気に襲われてしまう。

 かといって、自分が寝てしまうわけにはいかないとなんとか堪えていたメアリーがふと後ろを振り向けば、二人とも彼につられて寝てしまっていた。

「すぅ…すぅ……」

「ぐぅ…ぐぅ……」

 しかも、サリーはクロムに太ももを明け渡しながら、胸の膨らみの上も背を預けた悪魔に占領されてしまっていた。

「全く…。あいつもあいつなら、あの子もあの子ね。無防備すぎてこっちが心配になるわ」

 おそらく、彼女が寝たのを見計らってさり気なくその位置を陣取ったのだろうが、メアリーはそんな二人に呆れてそれ以上言葉が出ない様子だった。



 馬を操っていたメアリーの後ろで、すっかり機嫌が直った様子のサリーと一緒に寝てしまったうちに目的地であるモーブという町へ辿り着いた。

「もう暗くなり始めてるけど、なんだか賑やかな町だね」

「夕食時ってのもありそうだけどな」

 馬車での移動の際もそうだったが、旅に出ているとこういった町の喧騒とは程遠い物静かな時間が続くので少し久しぶりな感じがした。

 ろくに道など無い平野を進むのとは違って路地を馬車で通ればその脇に人も流れているのだが、それでも特に臆した様子もなく平然と手綱を引くメアリーの頼もしいこと。

「どうでもいいけど、私たちもさっさと宿を決めちゃった方が良いんじゃない? 馬車を泊められる宿ってなると、ある程度限られてくるだろうし」

「あぁ、その方が良さそうだな」

「うん、私もさんせーい」

「俺様へんたーい」

「そんなこと知ってるし、誰も聞いてないわよ」

 辺りが暗くなると、それに合わせて点灯していくランタンの光によって町の中はぼんやりと照らされている。

 そのおかげで、こうして人の出入りが活発なまま保たれているのだろう。

「それなら、闇雲に探すより地元民に聞いた方が早いか。サリー、ちょっと聞いて来てくれないか?」

「うん、分かった」

 こういう時は日頃から刺々しい印象のあるメアリーや男の俺よりも、愛想の良い女の子であるサリーに任せるのが適任だと経験上認識していた。

 一旦馬車を止めると、快く引き受けたサリーが颯爽と降りて近くで店を開いている店員に聞きに行ってくれた。

 群衆の声に紛れて会話こそ聞こえなかったものの、親し気に話しながら頷いたり頭を下げたりしている様子は見て取れる。

 そして、それもすぐに終わってこちらを振り返ると、誇らしげな顔を浮かべて軽い足取りで戻って来た。

「聞いて来たよ~。この先の分かれ道を右に曲がって、しばらく行ったとこにあるって」

「よし。じゃあ、早速向かうか」

「言われなくても分かってるわよ」

 再び馬が脚を動かし、町中を闊歩し始めた。

「それにしても、この町も色味がマルーンとちょっと似てるね」

「あぁ、どこを見ても同じような色合いをしてるみたいだな」

「もう今は日が暮れちゃってるから余計黄色味がかって見えるんでしょうけど、この国はそういう色味に統一感のある町が多いみたいね。昔、パパがそんなことを言ってた気がするわ」

「パパ? それって、ちゃんと血縁関係がある間柄だろうな?」

「はぁ? 当たり前でしょ? 他に誰がいるのよ」

「プルちゃん、また変なこと言ってる」

「あぁ…、そうか。馬車用の馬を育ててたんなら、色んな町まで届けたり出向いたりすることもあったのかな」

「えぇ、多分ね」

 今の世の中では馬は移動手段として重宝されており、親しみやすい存在でありながら重要な存在でもある。

 一時期栄えていたという超魔法文明の時代には魔法を使って空を飛んだりして移動するということも見られたそうだが、現代ではそんな高度なことができる人物はかなり限られてしまっているようだ。

 生まれも育ちも田舎だったとはいえ、俺も未だに一人も見たことが無い。

 だからこそ、ダンベルモ塔でそれに近しいことをしでかしたサリーの突拍子もない行動には驚いたものである。

「あっ、あれじゃない? 馬小屋と宿の絵が描かれた看板が掛かってるよ」

「そうみたいだな」

「あとは、空いてれば良いんだけど…」

「おいおい、そんなこと言うとホントにそんな風になっちまうかもしれないぜ。滅多なこと言うなよ」

「とりあえず、一度俺とサリーで聞いてくるから、メアリーはここで待っててくれ」

「この子がどっか行っちゃっても困るからね、任せるわ」

「うん、いってきまーす」

 不吉なことを言う二人を余所に店の前で馬車が止まると、早速サリーとその宿を訪ねた。

「いらっしゃいませー。ご宿泊の方ですか?」

「あぁ、馬車込みで止めて欲しいんだけど…」

 店内に入ると、近くにいた店員らしき女に声を掛けられて早々に話が進む。

「えっと…馬車の方は構わないんですけど、お二人様ですか?」

「あっ、いや…もう一人いるんで三人だな」

「うーん…そうですねぇ…。今、空きが大部屋の一部屋しか無いんですけど、それでも大丈夫ですか?」

「え? どうしようなぁ…」

 てっきり、この間と同じように二部屋取って男女で別れるつもりでいたので、いきなり出鼻を挫かれた感じだった。

「それって、三人で泊まっちゃうと狭いんですか?」

「いえ、それは全然。広々してますから、三人くらいなら余裕だと思いますよ」

「そうか…。じゃあ、その分高いとか?」

「あー、まあ…多少は。でも、こちらがそこしかお部屋をご用意できない落ち度もありますから、夕食はサービスしても構いませんよ?」

「え、そうなの? やったね、クロムくん」

「うーん、それはいいんだけど…」

 店員の女が言うように受付から離れたところにはテーブルがいくつも用意してあり、今も他の宿泊客らしき人たちが思い思いに飲み食いを楽しんでいる。

 それがタダで済むというのなら嬉しい誤算ではあるが、俺が問題に思っているのはもっと別のことだった。

「三名様一部屋一泊二食付き、馬のお世話も込みで銀貨1枚。これ以上は負けられませんよ」

「…確かに悪くない話だ」

「クロムくん、ここにしようよ」

「どうします、お客さん?」

 実権を握っているのが俺だと分かると、まだ若そうな女は前のめりになって問いただしてくる。

 おかげで、僅かに胸元が緩くなって、薄っすらと谷間の筋が見えた気がする。

「…ちょっとだけ待ってくれ。一応、外にいる仲間に確認するから」

「そういうことでしたら、どうぞどうぞ。色よい返事をお待ちしてますね」

 どうせなら、ついでに夜の相手までしてくれれば銀貨1枚払っても安いものだと妙な考えが頭を過ぎったものの、同室でサリーたちも寝るのだからそれは無理難題だと思い直した。

 とはいえ、問題はそれ以前の話であって、その片割れの少女が同室で一晩明かすことを許可してくれないのではないかと薄々感じていた。

 一旦宿の外へ出ると、そのまま馬車で待機していたメアリーの下へ向かう。

「どうだった?」

「うーん、空いてたには空いてたんだが…」

「何よ、歯切れが悪いわね。男ならハッキリ言いなさいよ」

「いや、俺は良いんだけどな。お前が嫌かもなって思ってさ…」

「はぁ? どういうこと?」

「なんかね、お部屋が大きなお部屋一つしか空いてないんだって。だから、どうしようかって話してたの」

「おほぅ、男女同衾か。やったぜ!」

「あぁ…そういうことね。確かに、文句の一つも言いたくなるわ」

「ですよねー」

「じゃよねー」

 男としては嬉しい限りだが、予想通りの反応が返ってきて悪魔と二人で似たようなことを口にしてしまった。

「それで、その部屋は結構高いの?」

「いや、多少サービスしてもらったから、三人で二食付きで銀貨1枚なら安いくらいじゃないか?」

「確かにそうね。今から他を当たるのも億劫ではあるし…」

「私は良いと思ったんだけど、メアリーちゃんはどう?」

「…まぁ、良いんじゃない?」

「おほっ!?」

「良いのか?」

「えぇ。そこのいやらしい目つきをしてる悪魔だけ追い出してくれれば、それ以上文句は言わないわ。私のワガママであんまり迷惑も掛けたくないし」

「えぇっ!? ヒドない?」

「酷ない酷ない。悪いが犠牲になってくれ」

「あっ、クロてめぇ! 一人で愉しむ気だな! こらっ、おまっ、ずるいぞー!」

 同じ男である以上、この境遇が如何に恵まれたものであるかが分かってるらしい悪魔を馬車の隠し収納へ閉じ込めてしまうと、蓋の上に重たい荷物を置いて封じ込めた。

「心配しなくても、あとで飯は持ってきてやるから。あんまりその中を汚すんじゃないぞ」

「おぇ様にもヤーせろー!」

「え? なんだって?」

 中からでは声が籠って聞き取りづらく、何と言って騒いでいるのかさっぱりわからなかった。

〈俺様にもヤらせろって言ってんだよ!〉

〈わざわざ直接脳内にまで言ってくるな! 大人しく寝てろ〉

〈うえーん、クロが虐めるー。クロのヤリチーン!〉

〈いや、マジで止めてくれよ。夜中ずっとこれじゃ寝るに寝られないだろ〉

〈だったら、解放しろ! 簡単な話だろ?〉

「クロ、ねぇクロってば!」

「え? あ、何…?」

「何じゃないわよ。どうしたの? 急に俯いたまま黙っちゃって」

「あぁ、悪い。まさか火事場の馬鹿力で抜け出してこないよなって考えてて…」

「今のあいつはろくに魔法も使えないんでしょ? だったら、大丈夫じゃない?」

「まぁそれもそうか…。でも、それならこれで文句ないだろ?」

「えぇ、これであとの心配はクロだけね」

「はぁ…。まぁ、そうだよな…」

 プルのように舞い上がってしまうのも無理はないシチュエーションではあるが、現実はなかなか厳しい。

 実際、彼女へ悪魔のチカラを分け与える為に一度だけ抱いたことはあったものの、それ以降全く音沙汰が無いのだから望み薄である。

 それでも、同室で寝ることを容認してくれたのだから、ある程度信頼はしているという表れなのだろうか。

 そう思うと余計安易に手を出しづらくなり、彼女の目もあることでサリーと蜜月の時を過ごすのも憚られてしまう。

「ほらほら、二人とも。決まったなら早く行こうよ。私、お腹空いちゃった」

「そうね、行きましょ」

 むしろ、女性陣の方が気に留めていないような雰囲気を覚えながら、後ろを振り返って再び念を送る。

〈飯を届ける時にでも出してやるから、あとは好きにしろよ〉

〈へへっ、さっすが俺様の見込んだ男だぜ。なら、それまでは静かに待っててやるか〉

 ようやく大人しくなった悪魔を尻目に彼女たちの後を追った。

「どうです? 結論は出ましたか?」

「あぁ、泊まることにしたよ」

 二人の待つ受付まで行くと、先程の女店員が微笑ましい様子で対応してくれた。

 そして、彼女にお代の銀貨を1枚渡すと、それと引き換えに鍵を渡された。

「はい、確かに頂戴しました。では、こちらがお部屋の鍵になります。お部屋は一番上の階の突き当たりですね」

「はーい」

「馬車の方は店先に停めてありますか?」

「えぇ、額に白い縦筋がある黒い馬の幌馬車よ」

「では、そちらもすぐにお預かりしますね」

「あの…ご飯って、すぐ貰えたりしますか?」

「くすっ…。はい、大丈夫ですよ。そちらの空いてる席に座っててください。すぐ用意させますから」

 店員は慣れた様子で別の店員にも声を掛けると、そのまま外へ出て行った。

「あはは…。ちょっと食いしん坊みたいに思われちゃったかな…?」

「気にするな」

「そうね。おかげで、そう待たずに食べられそうだし」

「それなら、まあ…良かったのかな…?」

「何にせよ、腹減ってるんだろ? とりあえず、座ろうぜ」

「うん、そうしよそうしよ」

「変なこという奴がいないと平和ね…」

 フォーン村に立ち寄った際もそうだったが、日常的に旅をするようになってくると、こういった村や町で食べる飯が無性に恋しくなることもある。

 善人も悪人も人であり動物である以上、生物的な本能には逆らえないということだろう。

 俺たちは悪魔を気にも留めず、各々の食欲を満たすのだった。


 出された食事を余すことなく食べ尽くした後、せっかく人里に来たならお風呂に入りたいという彼女たちの強い要望があって寝る前に風呂屋へ向かうことになった。

 彼女たちが言うように、旅の道中ではいつかのように温泉と巡り合わなければ水浴びくらいしかできないのでその気持ちも頷ける。

 場所は宿屋の店員に聞いてすんなり分かったこともあり、明かりが灯る夜の町の情緒を感じながら歩いて行った。

 幸か不幸か、その道すがら何件も娼館が連なっていたらしく、大抵の男は客引きの扇情的な格好をした女に見惚れて鼻を伸ばしていた。

 その例に漏れなかった俺はメアリーに抓られ、サリーにも何か文句が言いたげな視線を向けられながら歩く羽目になったが、プルの奴がいたらもっと大変だった気もしたのでその点だけは良かったと思える。

 無事に風呂屋へ辿り着いてからひとっ風呂浴び終わると、彼女たちが出てくるのを待つ間に近くの店であの悪魔の為に夕食を調達しておいた。

 しばらくして湯上り姿の艶めいた彼女たちと合流すると、嫉妬心を剥き出しにする男たちだけでなく客引きの女からも睨みの聞いた視線を浴びながら宿屋まで戻った。

 いつの間にか宿屋の店先には満室の札が掛けられている中、彼女たちに鍵を渡して先に部屋へ向かわせると俺は馬小屋へ立ち寄った。

 せっかく風呂に入って身体を綺麗に洗い流してきたというのにまた臭い場所へ立ち入るのは不本意だったが、プルへ夕食を届けなければ夜通しガミガミ言われそうな気もしたのでこればかりは仕方ない。

 しかし、いざ自分たちの荷物を一部載せたままだった馬車へ寄ってみると、既に寝息のようなものが聞こえ始めていた。

 馬も人間のようないびきを掻くのかと不思議に思ったものの、隠し収納の蓋を開ければいびきの主がプルズートであることが一目でわかった。

 これを逆に好機と捉えた俺は買ってきた夕食を隠し収納へ入れておき、奴をそのまま放置して寝かせておくことにした。

 あの誰よりも惰眠を貪る悪魔のことだ。

 途中で腹が減って目を覚ますかもしれないが、傍に置いた飯を食えばまたぐっすりと寝てしまうことだろう。

 そうして、悪魔との約束を半分守りつつ、麗しの少女たちが待つ最上階にある部屋へ向かった。

 万が一、億が一。どれだけ低い可能性であっても、期待してしまうのが悲しい男の嵯峨である。

 どうしても淡い期待を抱いて浮き足立ってしまう中、その心情を表に出さないよう抑えながらようやく部屋に辿り着く。

「で? これはどういうこと?」

 しかし、待っていた彼女たちのうち黒い装束を身にまとった少女の放った第一声は期待とは真逆のものだった。

「どうって?」

「ん…、これよ」

 風呂屋から帰る道のりではまだ機嫌が良かった覚えはあるのだが、それも既に過去の話になってしまった。

 だが、それもそのはず。

 メアリーが指差した先を見た瞬間にその理由が分かった。

「ベッドが一つしか無いじゃないか!」

「あのねぇ…、それは私のセリフなんだけど?」

「…そんなに睨むなよ。俺だって聞かされてなかったから、知らなかったんだって」

「ホントにぃ?」

「あぁ、ホントだって」

 厳しく詰め寄る彼女の鋭い視線は衛兵にも負けて劣らないほどだ。

「メアリーちゃん、それは私も保証するよ。私だって、さっき部屋を開けてから初めて知ったくらいだもん」

「そう…まあそれはいいでしょう。でも、どうするつもりよ?」

「どうって、そりゃあ…みんなで寝ればインディグネイション?」

「え? 何? まさか、どっかの貴族か王様みたいに女の子を二人も侍らせて寝ようってわけじゃないわよね?」

 良いんじゃないの――と言ったつもりだったのに変な噛み方をしてしまったことまで仇となり、揚げ足を取るようにさらに問い詰められた。

「あ、やっぱりダメ?」

「当たり前でしょ。あんたみたいな男と一緒に寝たら、何されるか分かったもんじゃないんだから」

「ひっどいなぁ、プルじゃないんだから」

「…そうじゃなくても、隣でされたら堪ったもんじゃないわよ」

「え? 今なんて?」

「っ、何でもない…。どうでもいい時だけ聞き返さないで」

 興奮して頬が赤らみ始めていたメアリーは、もはや俺の言葉を聞く耳すら持たないようにも思える。

 けれども、もう一人の純白な少女はそんな時にも間を取り持ってくれようとしてくれた。

「私は…クロムくんなら、良いよ?」

「サリー、あんたね…」

 多数決でいえば、これで2対1。こちらにも勝機が見えてくるというものだが、彼女の反抗は収まる気配もない。

「でも、そうしないと…クロムくんどこで寝ることになっちゃうの? この部屋確かに広いけど、他に横になれるような家具も無いし…寝るところなんて無いよ?」

「うっ、それはそうだけど…」

「そうなれば…まぁ、床で寝るか。やっぱりそれでも嫌だって言うんなら、馬車に戻ってプルと寝るしかないな」

「そうだよねぇ…。クロムくん可哀想……。やっぱり今からでも他の宿を探した方が…」

 二人で悲壮感を垂れ流しにしてみれば、自責の念に駆られたメアリーが苦々しく口を開いた。

「あー、もう! 分かったわよ。一緒に寝れば良いじゃない!」

「あぁ、そうしてくれると助かる」

「ふふっ…」

 上手くいったとばかりにメアリーの裏でウインクを飛ばしてきた彼女のかわいいこと。

 ただ、それと同時にあの悪魔や俺の影響でだんだん悪い方向に染まっていってるのではないかと心配にもなった。

「じゃあ、せっかくだからクロムくんを真ん中にしようよ。私たちはその隣ってことで」

「おっ、いいねサリー。気が利くじゃないか」

「えへへっ、そうかな?」

「はぁ、何がせっかくだからよ…。こいつが調子に乗るだけじゃない」

 メアリーはぶつくさ文句を垂れることはあっても、それ以上反論するようなことは無く渋々従う素振りを見せた。

「まあそういうなよ、メアリー。お前のおかげで、臭い馬小屋で寝る羽目にならなくて済んだんだからさ」

「”おかげ”じゃなくて、所為って言いたいんでしょ? 感じ悪い」

「全く…、可愛くないなぁ」

「悪かったわね。さっきの客引きの女とかサリーみたいに可愛くなくて」

「だから、そんなに自分を卑下することは無いって…」

「そうそう、そんなことないって」

「いいから、あっち向いてなさいよ。着替えるから」

「はいはい…」

 しかし、左右に陣取った彼女たちがそれぞれ同じタイミングで着替えを始めてしまうと目の行き場に困り、もう天井のシミを数えるか真っ白い壁を見つめることくらいしかできなくなってしまう。

「クロムくん、もういいよー」

「あぁ、そのままホワイトアウトするかと思った」

「するわけないでしょ…。何バカなこと言ってんの」

 着替えを始めたのがほとんど同時ならそれが終わるのもほとんど同時だったようで、ようやく壁から目を戻すと寝間着に着替え直した二人の姿が目に映った。

「ほーん。メアリーが黒で、サリーが白か」

「そうそう、おそろーい。この間、マルーンを出立する前に二人で買ったんだー」

「私は別にお揃いにしたかったわけじゃないけどね」

「そうなのか?」

「えっとね…メアリーちゃんが買ったのを見て、私が色違いのを買ったの。可愛かったし、一緒に旅する仲間になったならお揃いも良いかなって」

 てっきり二人が仲良くなって同じデザインで揃えたのかと思ったが、どうやら思い過ごしだったようだ。

「はぁ…、時に無邪気な心は人を困らせるものね」

「もしかして、嫌だったかな?」

「嫌ってほどでも無いけど…、サリーならもっとかわいいのも似合うだろうし別のでも良かったんじゃない?」

「そうかなぁ? クロムくんはどう思う?」

「今でもバッチリ似合ってるよ。もちろん、二人ともな」

 その分、他の男に見せるには少々扇情的な気もするが、寝間着とあればそう見せる機会もあるまい。

 つまり、せいぜい堪能できるのは俺とプルくらいなものだ。

 それが如何に誇らしいことなのか、果たして彼女たちは自覚しているのだろうか。

「まぁ…悪い気はしないわね。褒め方としては及第点ってとこだけど」

「はいはい、悪かったよ。何せ、こういうことに慣れてないもんだからな」

「そんなことないよ。私は嬉しかったからね、クロムくん」

「そうか? それなら良かった」

「…もういいから、早く寝ましょ」

「それもそうだ」

 先に着替えてしまった二人はベッドに身体を投げ出して足を伸ばしている。

 そんな二人を尻目に遅れて装備やローブを脱ぎ去ると、改めてその状況を見返して鼻の穴が膨らんでしまった。

「何鼻息荒くしてるのよ。言っとくけど、変な事したらすぐにでも追い出すからね」

「もうそんなこと言わないの。ほらクロムくん、おいでおいで」

 二人の対応は真逆ともいえるものだったが、三人で寝ても事足りるほど大きなベッドで待っている彼女たちは普段の雰囲気とはまた違って魅惑的に映る。

 だが、それもそのはず。先程メアリーも言っていたように、まるで貴族や王族が側室を侍らせているかのような境遇に感じられたからだ。

 特にサリーは手招きしてくれていたので、誘っているように思えてならなかった。

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

「はーい、どうぞ」

 形だけでも申し訳なさそうに二人の間へ割り込んだが、内心は嬉しくて仕方ないのと期待が入り混じっていて大変だった。

「……」

「……ふふっ」

 彼女たちの息遣いまで感じられるこの距離では、手を伸ばせば彼女たちを抱き締めることなど造作もない。

 とはいえ、真っ直ぐに目を見つめて来るサリーならともかく、既に背を向けているメアリー相手にそんなことをすれば宣言通り追い出されてしまうことだろう。

「明かり消すわよ」

「あぁ」

「はーい」

 二人の温もりをじっくりと感じる暇もなく、早々に明かりを消されてしまう。

 しかし、光が感じられなくなって闇の帳が下りて来る最中、小さな声で「おやすみ」と囁かれた。

 その声の主はおそらく安心しきった様子で近寄ってきたサリーだったのだろうが、それにしては両耳から聞こえてきた気もする。

 結局、真相は不明なまま意識と共に闇の中へ消えていった。



 翌日、二人の少女と朝を迎えると、妙に充実感を感じられて清々しい気分で目を覚ました。

 こんな日はきっと良いことがあるだろう。自然とそんな風に思えるほどだ。

「おはよう、クロムくん」

「ふぁぁ…。おはよぅ、サリー」

「ふふっ、よく眠れた?」

「あぁ…、まぁ…おかげさまでな」

 濁りの無い純な瞳で見つめられ爽やかな微笑みを向けられた様子から察するに、彼女を夜中に起こしてしまうことは無かったようだ。

「ん…んぅぅ……。なに…? もう朝ぁ?」

 純白のネグリジェを身にまとった少女とは違い、真っ黒なネグリジェに包まれた少女はその雰囲気相応に朝日に対して眉間の皺を寄せていた。

「相変わらず、朝は弱いみたいだな」

「ん…? クロ…? あっ…!」

 メアリーも少女とはいえ、もう男を知った一人の女だ。

 朝が弱くて寝惚けていても本能的な危機管理は健在なようで、俺の顔をじっくりと見た途端に肌を晒した自分の身を隠そうと背を向けてしまった。

 彼女と初めて夜を共にした日もそうだったが、メアリーは二重人格なのではないかと疑ってしまうほど昼と夜の顔に差がある。

「そういうところも相変わらずみたいだな…。仕方ない、俺は先に着替えて出てるか」

「……」

「ごめんね、クロムくん。追い出すみたいになっちゃって…」

「いいって、気にするな」

 目を合わすどころか顔も合わせてくれないメアリーに代わってサリーが申し訳なさそうに謝っていたが、明るいところで改めて二人の無防備な格好を見ればそんな対応をしたくもなる気持ちも頷ける。

 なので、そこまで深く気にせずに着替えを始めて装備を付け直していった。

〈おい、クロ! 約束が違うじゃねーか! 早く出せ!〉

 気分良く迎えられた朝が台無しになるくらい悪魔からの暴言が飛んできたこともあり、さっさと部屋を出ることにした。

「じゃあ、一度馬小屋の方までプルを迎えに行ってくるから、着替えたら下で会おう。朝食も貰えるみたいだったからな」

「うん、分かった。また後でね」

 サリーに見送られながら部屋を後にする際、振り返った時に顔を赤らめたメアリーの表情が窺えた。


 一泊した宿屋の一階で朝食を頂くと、ついでに宿屋の店員からギルドの場所を聞いて早速向かってみることにした。

 初めて訪れる町では何がどこにあるのかも一から覚えなければならない上に、目的の場所を探すのはなかなか骨が折れる。

 なので、地元民に聞いて回るのが手っ取り早いものの、似通った赤みの黄色ばかりが建ち並ぶ町並みでは迷ってしまうのも無理はない。

 かと思えば、時折派手な空色の建物が現れたりと、統一感があるのかそうでないのかよく分からない。

「ホントにこっちで合ってるの?」

「あぁ、そのはずだ。確か、赤くとんがった屋根が目印だって言ってたし…そろそろ見えてくると思うんだけど…」

「まあまあ、分かんなくなっちゃったらまた誰かに聞けばいいよ」

 町中を散策するには馬車での移動は不向きなので、宿に置いたまま一行は徒歩で移動していた。

 しかし、意外と高い建物が多く、目印だと言われた赤い屋根を探すのも一苦労だった。

「しょーがねーな。ちょっくら、俺様が見てきてやるよ」

「あ、そっか。プルちゃんは飛べるもんね」

「悪目立ちしないように気を付けろよ」

「へへっ、分かってるって。でも、俺様の悪魔的センスはそう隠しきれるものじゃないからな。あーっはっは!」

「思いっきり悪目立ちしてるじゃない…」

 飛び立つ前からバカみたいに騒いでいれば何事かと人目を引いてしまう。

 そんな悪魔に呆れた少女は俺の隣で溜め息を吐いていた。

〈えーっと、赤い屋根だったな…? おっ、あったぞ。そこからだと…次の道を右に曲がって――あっ…〉

 何かに気づいたような声をあげるプルと同様に、上空を見ていた俺たちもその特異な光景を目にして驚いた。

「杖に乗って飛んでる…って、あんたは見るな!」

「おわっ! な、なんで?」

「何でも何も、見えちゃうでしょ!」

「見えちゃうって…見えなきゃわからんだろうが!」

「そういう意味じゃないわよ!」

「……」

 黙って見つめるサリーも含め、地上にいる三人の視界には杖に乗って浮いている少女が映っていた。

 遠くでも少女だと判別できたのは、風にはためくスカートが見えたからである。

 おそらく、彼女は風魔法を用いて飛んでいるのだろうが、現代においてそれができるものはそういないと言われている。

 それは風魔法への適正はもちろん、魔法や姿勢の制御ができるほど卓越した腕を持っていなければできない芸当だからだ。

 そうでなければ、今頃移動手段として馬車よりも主流なものになっていても不思議ではない。

「はて、どうしてこんなところにモンスターが迷い込んでいるのでしょう? 見たことの無い種類のようですし、これはキッチリと報告すべきですね」

「げぇっ!」

 危機を察知したプルズートは一目散に逃げようとしたが、相手の方が一枚上手ですぐに捕まってしまった。

〈クロ! 助けてくれぇ!! かわいいおんにゃの子に捕まっちまったぁ!〉

〈お前…わざと捕まったんじゃないだろうな?〉

〈そんなわけねえだろ! 偶々捕まった女がかわいこちゃんだっただけだけだよ!〉

 建物と建物に挟まれ、ここからでは視界が悪い。

 その所為もあって、すぐさまプルを捕らえた少女の姿は消えてしまった。

「マズいな。ギルドに引き渡されたり、詳しく調べられたら…どうなるか分かったものじゃないぞ」

「あいつの中身は気になるけど、全く…人騒がせな奴ね」

 上空を飛んで行った少女の後を追うにしても、俺たちは地を這って行くしかない。

 明らかに不利な状況ではあるが、幸いプルとの連絡手段が確保できているので逐一場所を教えてもらえれば追い付くのも不可能ではないだろう。

 すぐに後を追おうと息巻いているところで、サリーは突然言い放った。

「クロムくん、私は上から後を追うね」

「え?」

「アップドラフト!」

 彼女も事態がひっ迫しているのは理解しているらしいが、それにしたって驚くべき行動に出たものだ。

 一言言い終えると同時に魔法を唱えた彼女は、まるで羽でも生えて飛び立ったかのようにして一瞬のうちに風に乗って建物の上へ登ってしまった。

「あんなこともできたのか…」

「クロ、驚くのは後で良いから。今は後を追うんでしょ!」

「あぁ、そうだった」

 思えば、ダンベルモ塔でもかなり高いところから飛び降りた際、魔法で衝撃を和らげるような芸当をしていたのだから、実はこれだけのことができたのだろう。

 しかし、今はメアリーの言う通り、そのことや一瞬チラリと見えた純白の布にかまけている暇は無い。

 急いで飛んで行った方向へ走り出すと、二人とも連絡を取りながら連れ去った少女を追う。

「なんだなんだ?」

「ちょっと、危ないじゃない!」

 人込みをかき分け、文句をぶつけて来る群衆に目もくれず一目散に足を進める。

〈今、どの辺りだ? 何か目印は無いか?〉

〈あー、似たような景色ばかりで、何とも言えねえなぁ…〉

〈クロムくん、次の道を左だよ〉

〈サリー? その位置からなら、あいつが見えてるのか?〉

〈うん。ここまで高いところに来ると、視界を遮るものが少ないからね〉

 思わぬところでコレボンのブローチが役に立った。

 これなら、地上と当人からの視点に加えて屋上からの視点も含まれるので、逃亡者の位置を把握するには好都合だろう。

「メアリー、付いてこれそうか?」

「えぇ、あんたに心配されなくても大丈夫よ。一応ね」

 唯一連絡が取れないメアリーが離れてしまうと、合流するまでに難を要する。

 とはいえ、彼女も俺のすぐ後ろに付いて来てるので、もう少し飛ばしても問題なさそうだ。

〈クロぉ…まだかぁ?〉

〈今追ってるから、大人しく待ってろ〉

〈へーい〉

〈とりあえず、迂闊にしゃべるなよ。余計面倒になりそうだから〉

〈そりゃそうだけどよ…。最悪、俺様がこの女を口説けば解決すると思わねえか?〉

〈お前は捕まってる立場で、よくそんな悠長なことが言ってられるな…〉

〈へへっ、そんなに褒めんなよ。照れくせぇじゃんか〉

〈褒めてないって…〉

 なんで捕まった当人が一番暢気なのかと頭を悩ませながら、身体はしっかりと動かして彼女を追い続けた。

 しかし、彼女もそうだがサリーも器用なものだ。

 建物同士が隣接している場所ならともかく、道を挟んだりして距離があっても再び魔法を使って建物と建物の間を臆することなく飛んでいたのだから。

 あんなことは余程自分の魔法に自信が無ければ、できないことだろう。

〈クロムくん、下りたみたいよ。その先の広場だね〉

〈あぁ、こっちでも確認した〉

 視界の先で黒っぽい塊がなだらかに下りてきたのは見えた。

〈なんだよ、こいつ男連れかよ…〉

 悪態付く悪魔の言葉が頭の中に響くと同時に、地上に下りた少女が別の人間たちと親しげに話す様子を目撃する。

「こんなところに居たんですか。探しましたよ、ハンフリーさん」

「やあ、ミュラー。どうしたんだい?」

「さっき面白いものを見つけたので、見せてあげようと思って飛んで来たんです」

「面白いもの…? でも、それより…またそんな格好で町中を飛んだりして…僕は気が気じゃないよ」

「うふふっ。もしかしたら、あなたに心配してもらいたいが為に、敢えてそうしてるのかもしれませんよ?」

「うーん、その好意は嬉しいけど…危うい真似は止めてもらいたいなぁ」

「大丈夫ですよ。ちゃんと見えないように気を付けてますから」

 やや遅れてきたメアリーと共に近くで見てみると、彼女は意外と小柄な少女だったことに気づかされる。

 むしろ、杖や帽子の方が大きいくらいで、その手には身の丈以上に大きくて貫禄のある杖を携えており、頭には鍔の広いウィッチハットを被っている。

 その一方で、ハンフリーと呼ばれていた親しい男にも心配されていたように、短いスカート丈の藍色に染まったワンピースを着ているので彼の言い分も尤もだ。

 プルのように下心を持て余している男だったら、きっとひらひらと舞うスカートにばかり目が行って仕方ないだろう。

「それで、面白いものとは何なのですか?」

「あら、フィラーナさんも気になります?」

「まあ、それなりには…」

 俺たちが追っていたミュラーという少女には、ハンフリーという男だけでなくもう一人連れがいた。

 そちらは打って変わって凛々しい剣士というイメージの鎧を着た女で、瑠璃色の長い髪を後ろで束ねてあった。

「実は、これなんですけど…お二人とも覚えはあります?」

「うーん、こんなモンスターは見たこと無いね」

「私も初めて見ます」

 捕まえたプルズートを見せると三人の視線が一点に集まったものの、お互いに首を傾げるばかりだった。

「ミュラーの知識でも知り得ないなら、僕にはちょっと分からないかな」

「そんなこと無いですよ。私が知らなくても、ハンフリーさんなら知ってることだっていっぱいあるじゃないですか」

「ところで、どこでこれを捕まえたんですか?」

「さっき町中を飛んでいたら、上空に飛んでいたのを見かけたんです。見慣れない怪しいモンスターだったので、すぐ報告しようと思いまして」

「とりあえず、ギルドにも報告しておくべきかな。モンスターが町中にも侵入してるなら、新たに対策を練る必要もあるだろうからね」

〈おいおい…俺様、ギルドに売り飛ばされちまいそうだぞ…〉

「さて、どうしたものか…」

 粗方状況を知り得たところで、悪魔からの救難を求める声に応えなければならない。

 しかし、モンスターを率いているというわけにもいかないし、まさかそれが悪魔だと知られるわけにもいかない。

「ハンフリーって確か…、それにあの装備…間違いないわ」

 策を練っていると、隣にいたメアリーから袖を引っ張られた。

「なんだ、知り合いか?」

「知ってるも何も…彼は王国騎士団の一人にしてロッポンギー王国の英雄。鉄壁の盾マスター・オブ・タンクという二つ名で有名なハンフリー・ニューパルサーよ」

「それって…三英雄と名高い現代の強者の一人…」

「えぇ、そういうこと。これは捕まった相手が悪いわね…」

 この大陸の中には、大きく分けて三つの国がある。

 その中で、それぞれの国で一番強いとされる者が三英雄の一人と数えられ、その国を代表する英雄に等しい名誉が与えられているわけだ。

 その実力は折り紙付きで対魔王軍においても並々ならぬ戦果を上げているらしく、並の冒険者の比ではないと聞いた覚えもある。

「へぇ、そんな有名な人なんだ…。どうする、クロムくん?」

 軽い足取りで飛び降りてきたサリーも合流すると、再びプルの救出に頭を悩まされる。

 元々、町中で強奪するなり殺してでも奪い返すような強硬策を強いるつもりはなかったが、その手を使うには分が悪い。

 何せ相手が相手なので、悪魔のチカラを以って強化された俺たちであっても彼らに対してどこまで通じるか分からないからだ。

 先程上空を飛んでいた彼女然り、腰に大剣を携えた少女も一筋縄ではいかない雰囲気をまとっている。

 そして、やはり輪を掛けて存在感があるのはあの男だ。

 自らを覆い隠すほどの大盾を背負っており、それだけで相当な体力や筋力があることを物語っている。

 それに加えて一目見て分かるほど優れた一級品の防具を身にまとっているのだから、鉄壁の盾というのはあながち間違いでは無さそうだ。

「住んでる世界が違う…か」

 彼を客観的に見ていると、尊敬するどころか妬ましく思えてしまった。

 三英雄とも謳われる名誉を持ち、一級品の装備や仲間にも恵まれ、かわいい女の子たちにも好かれているように見えるその姿は昔から憧れていた自分の姿そのものだったからだ。

 しかし、今となっては神の祝福を受けた彼とは違い、俺は悪魔と契約した身である。

 光と闇。その相反する立場にある二人は、きっと相容れることなどできないだろう。

 そう。悪魔の契約を果たす為に、魔王軍はもちろん三国を滅ぼすというのなら、いつかは彼らも倒さなければいけない日が来るはずだ。

「ふぅ…。正面から行くぞ」

「え?」

「うん…」

 本来、人にとって負の感情である怒りや憎しみも、闇の住人にとってはチカラの源になり得る。

 悪魔のチカラを得た俺にとっても、それは例外ではない。

 だからこそ、一呼吸置いて冷静になった俺を見たサリーとメアリーは一瞬驚いて目を見張っていた。

「取り込み中悪いが、そいつは置いていってもらおうか」

 堂々と彼女たちに近寄って声を掛ければ、それに反応して視線が一斉にこちらを向く。

「おや? 君たちは、このモンスターを知っているのかい?」

「あぁ、もちろんさ。そいつは俺の…従者だからな」

 既にその身を解剖され始めていたプルズートを指して言いきった。

「従者?」

「どういうこと?」

〈おい、クロ! 俺様がお前の従者だなんて、何のつもりだよ!〉

〈いいから、成り行きに身を任せてくれ〉

 あちこちから疑惑の目を向けられる中、言葉を続ける。

「あまり言いふらしたいことではないが、俺は死霊使いネクロマンサーだ」

死霊使いネクロマンサーだって!? なかなかレアな職業の人だったんだね。僕は死霊使いネクロマンサーに会うのは初めてだよ」

 王国でも屈指の実力を持つ彼に続き、側近の二人も同意していた。

「だから、そのコウモリは俺のチカラを使って霊を宿した従者というわけだ。分かってもらえたのなら、さっさと引き渡してもらえないか?」

 彼の両脇を固めるように並ぶ彼女たちと同じように、俺の隣にもそれぞれサリーとメアリーが控えて事の成り行きを見守っていた。

「そういうことなら、仕方ないね…」

「――待ってください。その男の言い分が正しいとは限りませんよ」

 馬鹿正直に鵜呑みにしてくれたおかげであっけなく話が終わるかと思えば、魔女服を着てミントグリーンの髪をなびかせた少女がそれを制した。

「王国騎士団を前に、俺が嘘を吐いているとでも?」

「えぇ、あくまで可能性の話ですけど。それに、私としてもレアな職業の死霊使いネクロマンサーに会えたのは初めてなので興味があるんです。自身の潔白を証明する為にも、この場でこのモンスターを動かしてみてもらえませんか?」

「チカラってのは見せびらかすものじゃない。もし、断ると言ったら…?」

「最悪、このモンスターごと牢屋に入ってもらうことになるかもしれませんね。人の皮を被った魔王軍の手先という可能性もありますから」

「しかし、ミュラーネ。些か、それは失礼ではないか?」

「そうですね。生真面目なあなたやお優しいハンフリーさんだったら、そう思うかもしれません。でも、私は人に悪意というものがあるのも知っています」

「ふっ、ふふっ…酷い言われようね」

 男女比が同じ1:2の3人組が相対していても、それぞれに置かれた立場は全く違う。

 最近チカラを付けたメアリーもいるとはいえ、この3対3の戦いが始まれば一体どちらに軍配が上がるのだろうか。

 興味はあったが、確証も無い今それを行動に移すのはやはりリスクが高い。

 しかも、彼の所属する王国騎士団やこの国まで敵に回すことになるので、今は大人しく引いておくのがベターだろう。

「まぁ良いだろう。それを証明できれば返してくれるというのなら、さっさと始めようか。さあ、その小さな手から解放してやってくれよ」

「えぇ、良いでしょう。ですが、妙なことをしたら…私たちが黙っていませんよ?」

「妙なことっていうのは、こういうことも当てはまるのかな?」

 ニヤリと笑った悪魔と目が合い、念話も送るまでも無く意思が通じ合った気がした。

 しかし、それも当然のことだ。

 プルだって突然捕らえられて解剖されかけたり、ギルドへ送られてさらに詳しく調べられようとしていたのだから鬱憤は溜まっていたのだ。

 仕返しの一つや二つ、企てていてもおかしくはない。

「一体何を…っ!」

 彼女の手から逃れた悪魔は当然好き勝手に飛び回り、彼女たちの視線を集めた。

 そして、そのまま低空飛行に移ると自分を捕らえていた少女の股をすり抜け、しっかりと確認した上で一言念話を通じて知らせてくれた。

「ふっ、白とはな…。意外と初心なやつだ」

「まさかっ…あなたねぇ…!?」

「しろ…?」

「ハンフリー、あなたは聞かないであげて」

「え? ああ、そう…?」

 赤っ恥を掻くことになった少女の姿を見て一泡吹かせてやったと確信すると、プルは手元に戻って来てパタパタと飛んでいた。

「クロ…あんたね……」

 だが、良い気分だったのは俺たち二人だけだったらしく、仲間であるはずのメアリーからも白い目を向けられていた。

「あはは…」

 サリーの方はそれほどでも無かったが、肯定してくれることも無かった。

 もちろん、相手側の女性陣二人からはそれ以上に白い目で見られることになり、(女の)敵だと認識されてしまったのは間違いないだろう。

「皆まで言わなくてももう十分だろう? 用も済んだし、俺たちは帰らせてもらうぞ」

「あっ、待って…! 僕のことは知ってるかもしれないけど、改めて名乗っておくね。僕はハンフリー・ニューパルサー。君たち、名前は?」

「…俺はお前と馴れ合うつもりは無い。それとも、この二人が目当てだったか?」

「違うよ。珍しい職業の君を筆頭に、君の仲間たちのことを知っておきたいと思うのはそんなにおかしなことかな?」

「ふっ…。だったら、答えは決まってる。名乗るほどの者ではないってな…っ!」

 一歩歩み出た彼の手を遮り不意を突いて大鎌を一瞬だけ現すと、そのまま彼の首を狙って振るった。

「なっ…!」

 しかし、それでも彼の言葉を遮ることくらいしかできず、まだ首は繋がっていた。

 あのタイミングで本気で狙ったというのに、彼は素早く背後の大盾を取り出して防御してみせたのだ。

 とはいえ、防がれたのが分かった瞬間にまた大鎌を指輪に戻したので、ただの通行人には何が起こったのか分からないだろう。

 せいぜい、その場には激しくぶつかり合ったことによる鈍い音と共に衝撃波が巻き起こったくらいなものだ。

「…行くぞ。サリー、さっきの魔法で一気に飛ぶんだ」

「うん、任せて」

「はぁ、全く…無茶するわね…」

「あっ、ちょっと、待ちなさいあなたたち!」

 奴の息の根を止めることには失敗したものの、だからといって彼らの言葉に耳を貸すつもりも無かった。

 踵を返してすぐに撤退を図るとサリーの風魔法で近くの建物の屋上まで移り、そのまま一目散に駆け出した。

「すぐに追います!」

「ダメだ。ミュラーが一人で追っても、太刀打ちできないかもしれない…」

 同じく風魔法が使える少女は先程のように杖に乗って追跡しようとしたところで、盾持ちの男に腕を掴まれて止められた。

「あの男…確かクロと呼ばれていた彼は、真っ直ぐに首を狙ってました…。間違いなく本気だったと思います」

「間違いだったと思いたいけどね…。でも、僕を狙ったあの得物…残像だけしか見えなくてハッキリとは分からなかったな」

「…今の白い方の女の子もそうです。アップドラフトは風属性の上級魔法。並の冒険者ではないと思います」

死霊使いネクロマンサーに風魔法の使い手、更にはチカラを見せずにいた少女がもう一人…ですか」

「一体、彼らは何者なんだ……」

 後を追うこともできず、立ち尽くして答えを求める彼らに真実は見えてこなかった。

 闇を照らす光の祝福を受けた彼らであっても、去ってしまった彼らの闇を見通すことができなかったからだ。

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