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ブラック・ディヴィジョン  作者: 天一神 桜霞
第三章 疑惑の渦
24/31

① 新たな旅路

 旅の一行にメアリーが加わったのも束の間、新たに彼女の召喚獣として加わったケルベロスの脅威を目の当たりにしたのは真新しい記憶だ。

「それで、俺様たちはどこへ向かってるんだ?」

「聞いてなかったのか? ここから北西の方に進めばフォーンっていう村があるって、さっきメアリーが言ってただろ?」

「あー、そういやそんなこと言ってたかもな。わりぃわりぃ」

「どうせ、ろくでもないこと考えてたから聞いてなかったんでしょ」

「まあまあ、メアリーちゃん。そんなに怒らなくても…」

「別に怒ってないわよ。気に食わないだけで」

「おぅおぅ、この小娘はちょっと強い召喚獣を手に入れたからってもう偉くなったつもりか? 確かにさっきのケルベロスはすごかったけどよ、それを手にできたのは俺様のおかげだってことを忘れてもらっちゃあ困るなぁ?」

「なんですって? あんたこそいい気にならないでよね? いつも大したことしてないじゃない」

「おいおい、二人とも…仲間同士で言い争っても仕方ないだろ?」

「そうだよ。みんな仲良くしようよ、ね?」

「へんっ…!」

「ふん…!」

 悪魔とそりが合わないのは人道を踏み外さずに真っ当な感性を持っているからだろうが、俺たちはそんな悪魔が中心となってできている一団だ。

 相手が悪魔なのだから、小さなことでも目くじらを立ててしまうとキリが無くなってしまう。

 上手く折り合いをつけて欲しいものだが、俺とサリーが仲裁に入ってもなかなか上手くいく気配がない。

「んぅ…困ったねえ…?」

「はぁ、先が思いやられるな…」

 お互いに顔を逸らしている二人の一方で、俺たちはと言えば仲睦まじく寄り添い合って歩いていた。

 そもそも、彼女たちに挟まれるような形で歩いているのだから、一見すれば羨ましい限りだろう。

 しかも、それだけに留まらず、彼女たちとはそれぞれ異なった理由で夜を共に過ごした経験もあるのだから、恨みや反感を持たれても致し方ない。

「サリーの方はプルとも上手くやっているようだけど…、まあ欲望丸出しの悪魔が相手だと女の子としては難しいか」

「あー、まあそれはそうかも…」

「サリーの場合は優しいというか…心が広いからまだ受け流していられてるって感じだもんな」

「ちょっと? それだと、私が心の狭い嫌な女みたいに聞こえるんだけど?」

「いや、そんなこと言ってないって。一々突っかかるなよ」

「ふぅん…、まあ良いけど…」

 機嫌が悪い時には何を言っても気に障ってしまうようなので、あまり触れないでいた方が良さそうだ。

「そういえば、メアリーの件で一晩サリーにプルを預けたことがあったよな? あの時も、特に何かあったような話は聞かなかったけど…」

「うん、特に何もなかったからね。ちょっとお話したくらいで、すぐに寝ちゃったし…。ねぇ、プルちゃん?」

「あー、そうだっけ? あんま覚えてねぇや」

「悪魔ってのは人の悪意に取り入るような生き物だから、そういうのが無い純真なサリーが相手だと分が悪いとかだったりしてね?」

「へっへー。分かってねぇな、ガキは。そういう女を堕としちまうのもまた一興ってもんよ」

「だったら、なんでそうしなかったの? 私はあんたにあれこれ悪戯されてる気がするけど、サリーにはあまり仕掛けようとしてないように見えるんだけど?」

「あ…あぁ、まぁそれはな…。まぁ、その…なんだ…言っちまうと面白くねぇから、教えてやんねー!」

「何よそれ、答えになってないじゃない」

「へっ、うるせー。一から十まで答えてやる義理なんか、最初からねーんだよ!」

「ぐぬぬ…、どこまでもムカつく奴ねぇ…! ねぇ、クロ? やっぱり、こいつ殺しても良い?」

「よせよせ。プルがいなくなるのと同時にチカラまで無くなったら、俺はまた三流冒険者に逆戻りだ。それだけは勘弁してくれよ」

「確かに、それは私も困るわね…。チッ、目の上のタンコブって奴かしら。腹立たしいけど、見逃すしか無さそうね」

 この悪魔のおかげでチカラを得ているのは二人とも同じなので、いくら奴が憎くてもそのチカラを手放すのは惜しいと彼女も思っているようだ。

 プルがいるからメアリーも同行してきたという部分もあるし、サリーだっていついなくなってしまっても不思議ではない。

 一度知ってしまったが故に、快楽の味は脳裏や身体にこびりついてしまっている。

 それを失うのは、チカラを失うこと以上に耐え難いことだった。

「大丈夫だよ、クロムくん。もしそうなっても、私が養ってあげるから」

「サリー…。いや、気持ちは嬉しいけど…そんな情けないことできないよ」

「そう? でも、私も…強くてかっこいいクロムくんを見ていたいかな…」

 相変わらず優しいサリーの言葉が胸に響いて思わず抱きしめたくなってしまうが、ここは宿屋の一室でも無ければ二人きりでもない。

「あのねぇ…。すぐ隣に私もいるのに、二人で良い雰囲気出してないでよね」

「あ、ごめんね。そんな雰囲気出しちゃってたかな…?」

「あー、全然気づいてなかったのね…。天然ちゃんはこれだから…」

 メアリーは呆れた顔ばかり見せているが、彼女も二人っきりの夜にはかわいい表情を見せてくれたものだ。

 普段は悪態付いて刺々しくとも、その素顔とでも言うべき一面を知っているのであまり悪く思うこともない。

「お? なんだ、妬いてんのか? ぐふふっ」

「はぁ…? そんなわけないでしょ。なんで私が…」

 ここぞとばかりに悪魔から揶揄われても、彼女は真っ向から否定した。

 一考の余地くらいあっても良いと思うのだが、相手を憎からず思っているのは一方的な思想だったのかもしれない。

「ん…?」

 そんなことを思っていた傍らで、彼女は俺の服の裾をちょびっとだけ掴んでいた。

 そして、気づかれたことに勘づくと、罰が悪そうに目を背ける。

「あ…。これは…ほら、この杖重いから…ちょっと手が疲れただけよ」

「ふーん…。まぁ俺は別に構わないけど、少し休むか?」

「いいって、そんなに気にするほどじゃないから」

「あぁ、そう…」

 言い訳にしては少し苦しい気もしたが、以前持っていた杖よりも余程大層な杖を手に入れたのでまだ慣れない部分もあるのだろう。

 また、彼女の杖にしてもそうだが、メルリヌスの家での戦利品によって荷物が増えたのは事実。

 空振りで終わるより良い結果ではあったものの、嬉しい悲鳴とでも言うべき現状だった。

「ふふっ…。でも、クロムくんも休まなくて平気? 重たいものはほとんどクロムくんが持ってくれてるでしょ?」

「あぁ、平気と言えば平気だけど…もっと楽ができるに越したことは無いな」

「そうねぇ…。ケルベロスに乗って行けたりすれば楽だとは思うんだけど…」

「それは…仮にできたとしても現実的じゃないな。悪い意味で注目の的だし、魔王軍に間違われても不思議じゃない」

「でしょうね」

「あー、それは確かに…私もちょっと遠慮したいかな…。まだ怖いし…」

 相手は冥府の狂犬とも言われる恐ろしいモンスターだ。サリーの気が引けるのも無理はない。

「だとすると、現実的にいえば馬車ね。そこそこ腕の立つ冒険者の集まりだと自分たちの馬車を持ってる人たちもいるって聞くし」

「馬車か…。確かにそれが用意できればだいぶ旅事情も変わるだろうけど…費用もそうだし、誰が手綱を握るんだ?」

「何? あんた男のくせに操馬そうばもできないの?」

「悪かったな。そういうことに全く縁が無くて」

「サリーは…まあできないわよね?」

「うん、乗ったこともあんまりないかも」

「へへっ、俺様がやってやろうか?」

「その身体でどうやってやる気なのよ…」

「ははっ、言ってみただけだぜ」

 端から冗談だと分かってはいたが、一瞬想像してしまったその姿はかなり異質な光景だった。

「だとすると、そっちも望み薄かな。人まで雇うとなると、プルのことが気掛かりだし…」

「はぁ、仕方ないわね。それなら、私がやるわよ」

「え? メアリーちゃんできるの?」

「えぇ、まあね。私の両親が馬を育てて商売してたから、教えてもらうこともあったのよ」

「こりゃ面白れぇ。馬に乗るのが得意な魔女か…へへっ、傑作だぜ」

「なんか、いやらしい視線を感じるんだけど…?」

「まぁ、プルのことは置いといて…。それなら、馬車の購入も考える余地がありそうだな」

「そうね。でも、私一人に押し付けないであんたも覚えなさいよ。そんなに難しいことじゃないし、教えてあげるから」

「あぁ、そうだな。野営の見張りと同じで、交代できた方が良いだろうし」

「じゃあ、私も覚えた方が良い?」

「いや、サリーまで覚えなくても良いんじゃないか? 興味があるなら別だけど…」

「そう?」

「えぇ、私もそう思う」

「俺様は?」

「だから、覚えたところで出来ないでしょ、あんたは」

「そうとも言う」

 実際、この悪魔が手綱を握れるというのならそれはそれで助かるのだが、やはり絵面がおかしいということに加えてやや不安な面もあるのでどちらにしろ却下という結果になるだろう。

「全く、こいつは…使えるんだが使えないんだか……」

「聞こえてんぞ、魔女っ子」

「聞こえるように言ったのよ。ホント可愛くないわねぇ」

「へっ、お前に言われたくねぇわ」

「なんですって…?」

 ついに堪忍袋の緒が切れた彼女は目の前をうろうろ飛んでいた悪魔をその手で捕まえると、いつかのように固く握って潰そうとし始めた。

「イデデデデッ! 何しやがる、この…! クソっ、怪力魔女め!!」

「あぁん? もう一回言ってみなさいよ? ほら、ねぇ…?」

「イヒィ!? あー、ダメ! それ以上されたら壊れちゃうぅ! 内蔵飛び出るぅ!」

「だったら、ほら…何か言うことがあるんじゃないの? 誠心誠意心を込めて私に言うべきことが…ねぇ?」

「分かった! 分かったから、放せ! 放して下さい! かわいいかわいいメアリーちゃん、世界で一番…下から数えて一番かわいいメアリーちゃんん”ぅぅっ!?」

「今、良く聞こえなかったのよね? もう一回言ってみてくれない?」

「んぎゃあああぁぁっっっ!!」

 彼女の手の中でプルがみるみるうちに細く長くなっていく姿を見守った。

 助けてやりたい気持ちはあれど、自分で蒔いた火が原因な上に下手に関与するとこちらにまで飛び火してきそうだったので止めておいた。

「口は災いの元ってな…」

「でも、あれで懲りないのがプルちゃんなんだよね…」

「まぁ、根っからの悪魔だからな…仕方ない」

「ぷしゅぅぅぅ……」

「はぁ、少しはスッキリした」

 彼女の万力から解放され地面に落下したプルを拾い上げると、すっかりペラペラになってしまっていた。

 とはいえ、この身体は仮の物らしいので、しばらくすればまた性懲りもなく元気な姿に戻るだろう。

「でも、惜しいわね。そいつには似ないで欲しいけど、相棒って思えるような存在が常に一緒にいてくれると心強いでしょうね」

「それは俺のこと…じゃないよな。そんな目で睨むなよ。…もしかして、ケルベロスのことか?」

「そうよ。そいつよりよっぽど聞き分けが良くて頼もしい相手でしょ?」

「それはそうかもしれないけど…そういうわけにもいかないだろう。さっき言ったこともそうだし、魔力消費も馬鹿にならない」

「分かってるわよ。だからこそ、惜しいって思ったの。そいつみたいに小さい姿でいてくれれば、少しは誤魔化しようもあるんだけど…」

「あの大きさじゃなぁ…」

「召喚時に使う魔力を抑えたりすれば、小規模な召喚になったりしないかな?」

「聞いたことないけど…、一度試してみても良いかもね。どうせ、失敗したところで虚しく声が響くだけだし」

「あぁ…あの感じな…。あれは虚しいぞ…」

 魔法を習得する際に誰もが一度は通る道だ。

 魔法が上手く発現せず不発に終わった時の妙な静けさといったら、二度と味わいたくないものだ。

「ははは……。でも、仮に小さくして召喚したいなら、その姿に見合ったかわいい愛称を付けても良いんじゃない?」

「プルズートにプルって呼び名がある感じか?」

「そうそう」

「だったら、呼びやすくて親しみやすい感じが良いわね」

「親しみやすいって…相手が相手だけどな」

「それはこいつも同じでしょ?」

「あぁ…、それもそうか」

「小さくなってもケルベロスはケルベロスだけど、威厳に見合った姿だと小さくても怖いし、かわいい感じになったのに威厳のある名前のままだと不釣り合いな気がしない?」

「確かに、一理あるわね」

「メアリーちゃんがどんな姿形を望むのかってことにもよるだろうから、細かいことは私には分からないけど…」

「いいえ、良いヒントにはなったわ。ありがと」

「ふふっ、どういたしまして。参考になったなら良かったよ」

 プルとメアリーの間柄はともかく、女の子同士はそんなに仲が悪くなさそうでホッとした。


 間違いなくメアリーにとっての切り札や最終兵器となり得るケルベロスについての話を繰り広げているうちに、フォーン村へ辿り着いた。

 村というだけあって町に比べると活気は少ないが、自然に囲まれているのどかな場所だ。

 その反面、モンスターという脅威に対する防壁が少ない気もするが、それは俺が住んでいたバラマンディ王国の村でも似たようなものだったので、やはりそこまで手が回らないという実情があるのだろう。

「あっ、お馬さんがいっぱい」

「確かに、いっぱいいるな」

「うへぇ…、くっせ」

 村の中には民家以外にも馬をたくさん飼育している小屋があった。

「多分、この村に家畜商がいるんでしょう。町中で飼育するより、こういう田舎で育ててから売るのが一般的だって聞いたことあるし」

「てことは、早速馬車の件の話が進みそうだな。隣で荷車も作ってるみたいだから」

 小屋からほど近いところで、ガタイの良いおじさんがせっせと木材を組み立てて荷車を作っている姿を目で追った。

「そうみたいね。渡りに船って感じかしら」

「へへっ、足元見られないようにだけ気を付けろよ」

「あんたじゃないんだから、そんな人ばかりじゃないでしょ」

「さぁ、どうだかな…」

 悪魔と直接関わり合いが無くても、悪魔に魂を売ったような人間は少なからずいる。

 ただ、それを警戒するより、警戒される立場にあるのではないかと思いながら汗を流す男に近づいた。

「おじさん、忙しいとこ悪いんだけど、ちょっといいかな?」

「あぁっ、なんだ? 見かけない顔だな、あんちゃんたち」

 突然声を掛けられたことで振り向いた男は、額に滴る汗を拭って手を止めてくれた。

「俺たちは通りすがりの冒険者さ。実は、そろそろ馬車を買おうかって話になったんだけど…」

「ああ、なんだ…そういうことかい。お客さんなら大歓迎さ」

 若干訝し気な目を向けていた男も、相手が相手だと分かると手のひらを返したように愛想が良くなった。

「こっちにいくつか置いてあるから、どういうのが欲しいか見てみると良い」

 家の裏の方に案内されると、それぞれ異なる形をした荷車を目にする。

「一番安いのは屋根代わりの幌も付いてない小さいものになるけど、3人で使うなら大きな問題は無いだろうね」

「ふむふむ…」

「でも、やっぱり一番人気があるのは幌馬車だね。値は張るけど大きい分載せられる量も多いから行商にも向いているし、お連れさんが増えても広々使える。それに、天気に左右されにくくてテント代わりにもなるから野営の際にも重宝するってもんよ」

「ほほぅ…。クロムくん、どうする?」

 一番熱心に聞いていたのはサリーだったが、明らかに興味や関心を向けている先が一番高くて立派なものだった。

「どうって言われてもな…。やっぱり幌馬車が最適だと思ってたんだけど、メアリーはどう思う?」

「予算があるなら、その方が良いわね。下手にケチっても後々後悔することになるだろうから」

「おぉ、やっぱり冒険者様には人気があるもんだ。これならすぐ用意できるよ」

「それで、いくらなんだ?」

「そうだねぇ…。いつもみたいに町まで運ぶ手間賃が無い分、多少安く見積もったとして…銀貨10枚だな」

「あぁ…、結構するなぁ…」

「まあ、どこの店でも似たような値段はすると思うよ。町中で買えば、もっと高くつくだろうしね」

 今はだいぶ稼げるようになったとはいえ、以前の収入から考えるとなかなか高価な買い物だ。

 これだけで昔使ってた得物の何本分に相当するかと思うと、余計頭が痛くなる。

「確かに、相場はそのくらいよね。即決するにはちょっと難しいか…。ねぇ、馬の方も見せてくれる? そっちがいないと話にならないでしょ?」

「おっと、俺としたことが…いやいや、手厳しいねお嬢ちゃん」

「私の両親もこういう仕事してたから、ある程度は詳しいのよ」

「ああ、そういうことかい。…でも、そっちで買わないってことはもう畳んじゃったのかい?」

「そうね…、それができれば苦労しなかったわ。もう二人ともこの世にはいないから…」

「おっと、すまねぇ…。そうとは知らず無神経な聞き方をしちまったな。許してくれ」

「別に良いわ。悪気があったわけじゃないのは分かってるもの」

「そうかい、ありがとよ」

 どこか寂し気な雰囲気を醸し出すメアリーの後を追って、馬小屋へ向かう。

「クロムくんは馬の良し悪しって分かる?」

「いいや、その辺の知識は無いな」

「そうなんだ、私もだよ」

「だとすると、ここはメアリーに任せるしかないかもな」

「うん。…ちょっと酷な気もするけど、大丈夫かな?」

「多分、大丈夫だろう。それくらいで潰れてしまうなら、あいつはここにいない」

「ん…、そうかもね」

 亡くなった彼女の両親との思い出が詰まった景色と似通ったこの場所は、彼女が幸せだった頃の記憶を呼び覚ましてしまってもおかしくない。

 幸せだった過去と悲しい現実との大きなズレは、今を辛く感じさせてしまうだろう。

 しかし、彼女はその復讐を果たす為に悪魔のチカラまでも利用しようとしてきたのだ。

 だから、多少辛い目にあったとしても、またそれを燃料にして復讐の炎を熱く燃やすはずだ。

「この子なんてどうだい? まだ3歳で伸びしろもあれば、脚もしっかりしてて毛並みもキレイだ」

「うん…そうね。確かに立派に育ってるわ。でも、その分高いんでしょう?」

「まあまあ、それなりに値は張るさ。なんてったって、うちの一押しだからね。貴族や王族に収めたっていいくらい仕上がってることだし」

「私たちが探してるのは荷車をけん引する馬なんだから、体力がある子とか力が強い子とかそういう方が望ましいわね」

「分かってるって、お嬢ちゃん。今のはほんの冗談、ちょっとした自慢がしたかっただけさ」

「分かる人にはその価値が分かるからって見せびらかしたい気持ちも分かるけど…あら、この子…」

「ああ、そいつはダメだ…」

 二人に続いて馬小屋の奥まで進むと、一頭の馬が横たわっていた。

 他の馬に比べても見劣りしない筋肉質ではあるものの、立ち上がることすらできず静かに佇んでいるようだった。

「少し前、放牧させてる間にモンスターが現れたんだ。その時は運良く今日みたいに冒険者が来ていたから助かったが、その戦いで膝に矢を受けちまってな。そこからさらに驚いて暴れまわったこともあって、骨まで悪くしちまってるみたいで…もう売り物にはならねえんだ」

「じゃあ、この子…どうなるの?」

「残念ながら、殺すしかない。売り物にならない馬をいつまでも飼えるほど、俺たちも生活に余裕があるわけじゃねぇんだ…」

「そんな……」

「サリー。悲しいけど、うちでもこういうことはあったわ。彼らに余計なお金を掛けずに捌いてしまえば別の売り物になるし、私たちのお腹を満たすこともできるのよ」

「ああ、そのお嬢ちゃんの言う通りだ。馬肉ってのは一定数需要もあるからな」

「それは…分からなくもないけど、でも……」

 心優しい彼女が心を痛めてしまうのも無理はない。

 しかし、他の動物に限らず、俺たち人間も他の動物や植物の命を糧に生きているんだ。

 その中に、この馬も加わるだけのことに過ぎない。

「…だったら、私が治す! 脚さえ治せば、まだこの子は走れるんだよね?」

「あ、ああ…。悪いのは脚だけのはずだ。怪我してからそう日も経ってないから、そこまで筋肉も衰えていないだろうし…」

「あいつは優しいのか優しくないのか、分からねぇな」

 ここまで黙って潜んでいたプルが小さく呟いていた。

「あの馬にとって何が幸せかは俺様たちには分からねぇ。もちろん、怪我を負ったことは不幸なことだったんだろうが、そのおかげで人間に利用され続けるだけの生活から解放されたんだ。早々にその運命から解放される方がマシなのか、怪我を治してでも野を駆け回る運命を背負わされる方がマシなのか、どっちなんだろうな…」

 珍しく真面目なことを言う悪魔の言葉に考えさせられる。

「クロムくん、良いよね?」

「…あぁ。その代わり、その馬は先に俺たちが貰い受けよう。売り物にならないくらいなら、タダで貰っても問題無いだろう?」

「あ、ああ…それは別に構わないさ。俺だって、手塩にかけて育てたこいつらを自分の手で殺したくはねえからな…」

「そういうことなら、私も賛成よ。あとはサリー、あなた任せになるけど…大丈夫?」

「うん、任せて!」

「良いのか、クロ?」

「あぁ、見てみろよ。怪我してるのも分かってるのに、それでも自らの脚で立とうとしてるあの馬を。あいつが生きるのを諦めていないなら、そこに手を貸してやっても良いだろう?」

「まあ、タダで手に入るんならそれで良いのかもな。結局、俺様のような悪魔からすれば、馬であろうと人間であろうと利用できるものは利用するだけだから…ひひっ」

 サリーと怪我をした馬に注目が集まる中で、コソコソと話していた悪魔は言いたいことだけ言ってまた姿を隠した。

「良い子だから、じっとしててね。今、治してあげるから…キュア!」

 サリーが魔法を唱えると、横たわっていた馬は眩い光に包まれた。

 神秘的であり神々しいまでのその光を浴びたら、悪魔であるプルはむしろ具合が悪くなるんじゃないかと思うほどだ。

「ど、どうなった…!?」

 一番気が急いて前のめりになっていたのは育ての親である彼だった。

 光が消散して再び目に映った馬は、まだ横たわったままである。

 しかし、その身体を自らの脚を用いて起こし、四本の脚でしっかりと立ち上がった。

「おおっ、こりゃすごい! すぐに確認してみよう」

 外から見た限りでは特に違和感が無いものの、実際に自分の手で確かめてみたかったのだろう。

 すぐに駆け寄って膝をつくと、怪我を負っていた脚を入念に調べ始めた。

「もう痛くない? ふふっ、…あんっ、くすぐったいよぉ…」

 一方で、この馬も自分を助けてくれた恩人が分かっているらしく、サリーに懐いて顔を寄せていた。

「いやぁ、たまげたなぁ…。もうすっかり完治しているようだ。これなら、もう前と同じように走れるぞ」

「やるじゃない、サリー」

「うん、元気になって良かった」

「いや、しかし…この間の冒険者にも回復魔法が使える嬢ちゃんがいたから試してもらったが、ここまで治らなんだ…。いやはや、嬢ちゃんはすごいなあ」

「えへへ…。このパーティでも回復を担っているくらい、回復魔法には自信がありますから」

「あっはっは、そりゃ頼もしい。嬢ちゃんがいれば、あんちゃんたちも安心して戦えるってもんだ」

「そんなこと…あるかな?」

「あぁ、もちろんさ」

 意味深に目配せを送ってきた彼女に対してハッキリと答えた。

 事実、サリーの回復魔法に助けられたことは少なくないし、当てにもしている。

「何にせよ、これで馬の方は調達できたわけだし、あとは荷車を買うだけね」

「ああ、そうだ…! 俺が嫌な思いをせずに済んだ分、ちょっとだけ負けてやろう」

「え? 良いの?」

「ああ、男に二言は無いぜ」

「やったね、クロムくん。おじさん、ありがとう」

「サリーのおかげだな」

「それで、実際いくらになるの?」

「お嬢ちゃんたちが欲しいのは大きめの幌馬車だろぅ? だったら、銀貨10枚のところを銀貨8枚にしてやろう。これでどうだ?」

「そうね…悪くないわ。私もお買い得だと思うんだけど、クロはそれで良い?」

「あぁ、その辺はお前の判断に任せるよ」

「そう。じゃあ、決まりね」

「毎度あり。ただ、今からだとちょぉっと今日中に引き渡すのは難しそうだなあ。明日でも大丈夫か?」

「えぇ、別に構わないわ」

 その男の言葉で、日が沈み始めて辺りを茜色に染めようとしていることに気づいた。

 これからますます暗くなるというのに、作業をしようと思えば当然ミスも増える。

 それに、夜になってから寄越されても夜通し走り回すわけでもないので、引き渡しが明日になっても大差はない。

「そうか、そりゃ良かった。それなら、今日はこの村の宿にでも泊まってゆっくりしていくと良い。ちゃんと明日には出発できるように用意しておくからよ」

「はーい、お願いしまーす」

「あぁ、それなんだけど…」

「ん…?」

「実は、もう一つ頼みがあって…」

「ふむふむ…ほぅほぅ…」

 馬車を買うにあたって考えていたことがあったので、それを彼に伝えた。

「そういうことなら、まあできなくはないが…追加で料金も貰うことになるし、多少時間も掛かるぞ」

「あぁ、それこそ値引いてくれた分の銀貨1,2枚は払うさ」

「分かった。それじゃあ、早速明日から作業に掛かるとするか」

「よろしく頼むよ」

 商談もまとまったところで、あとの仕事は彼に任せて俺たちは宿を探しに出かけた。



「まぁ、こうなるよな…」

 ベッドが一つ置かれただけの一室で寝転がるコウモリの姿をした悪魔を眺めていると、思わず溜め息が出てしまった。

「なんだよ、クロ。女がいなくて不満なのは、俺様だって一緒なんだぞ」

「一緒にされたくはないけど…まぁ、同じか…」

 ここのところ、野営続きで寝る時は一人のことが多かったので、余計サリーと一緒の部屋で寝ていた夜が恋しく感じられてしまった。

 とはいえ、俺の知る限りどこの宿屋も一人部屋か二人部屋がほとんどなので、男が一人と女が二人のパーティであれば必然的にこういう分けられ方をするだろう。

 これでは彼女たちとの熱い夜を期待することすら叶わない。

 無意識のうちに心のどこかで淡い期待を抱いてしまっていたこともあって、その反動は大きなものだった。

「なんなら、夜這いにでも行ってみるか?」

「いや…それは無いな。後が怖いし」

「おいおい、まだそんなこと言ってんのか? 女が怖くて男が務まるかよ」

 プルの言い分は悪魔らしく自分勝手なものだったが、少し羨ましいと思う節もある。

 一応、コレボンのブローチを使えばサリーとは秘密裏に連絡できるので彼女にこっそりと抜け出してもらうことはできるが、結局はそれをメアリーに見つかってしまえば終わりだ。

 では、メアリーが旅を共にすることにならなければ今頃どうなっていたのかと妄想は膨らむものの、その先はどう足掻いても想像でしかなく現実から目を背けるばかりで意味を成さない。

「あー、余計なこと考えてないで寝よ寝よ」

「しゃーねーな、今日は大人しく寝てやっか」

「お前はいつも真っ先に寝てるだろうに…」

「え? そうだったか?」

「そうだよ…」

「へへっ、誰よりも惰眠を貪るのが悪魔だからな」

「あー、すげー。悪魔すげー」

「おい、クロ。ちゃんと聞けよ。せっかく良いこと思いついたのによぉ…」

「何だよ、良いことって。悪魔の言う良いことってのは、ろくなことじゃない気がするんだよ」

「へへっ、そうでもねぇぜ。こいつはお前の為でもあるんだからよ」

「はぁ? 何だよ…」

 ローブや他の装備まで脱ぎ、ベッドへ横になった俺の前で悪魔はニヤニヤと笑っていた。

「もっと女を増やせばいいんだよ。簡単なこったろ?」

「はぁ…。あのなぁ…、そんな簡単な話じゃないだろ? こっちは事情が事情なんだし…」

「まあ聞けって。良いか? 今お前が一人で寝ることになったのは三人だからだろ? だったら、もう一人女を増やせば、誰かしらと同じ部屋で寝ることになるんだぜ」

「あー、確かにそれはそうだけど…誰とも知らない知り合ったばかりの女と同室になっても、気まずくて余計眠れないだけじゃないか?」

「そこはお前、メアリーの時みたいに適当な口実を付けて抱いちまえば良いんだよ。一回ヤっちまえば、二回も三回も同じだろ?」

「いやいや…メアリーだって二回目はまだだぞ?」

「まだ、だろ…? そのうち二回目も来るって。女だって本能的に男を求めてるはずなんだからよ」

「そんなもんかなぁ…?」

「絶対そうだって、俺様が保証してやっから」

「悪魔の保証だなんて、これほど信用ならないものは無いぞ」

「じゃあ、お前は今のままで良いってのか? もっと良い女に囲まれたウハウハなハーレムを築きたくないのかよ?」

「それはお前…できることならしたいに決まってるだろ」

「へへっ、やっぱりお前も男だな」

 悪魔に心を見透かされたようで癪だったが、俺も男である以上そういう願望があるのは事実。

 今までそんなものは夢のまた夢で現実味は欠片も無かったが、だからこそ憧れていた部分もある。

 サリーたちのおかげで彼女たちと過ごす快楽を知ってしまえば、その欲望はさらに膨れ上がってしまうのも不思議ではなかった。

「その調子で俺様の分まで女を確保してくれよ。お前みたいな純情ボーイは、女を共有するのは趣味じゃないだろ?」

「あぁ、それはそうだけど…本命はそっちか」

「まあそういうこった。お互い、いやみんな気持ち良くなれてwin-winな関係だろ?」

「うぃんうぃん? ってのは分からないけど、俺たちが得をするのは間違いなさそうだな」

 要は俺の手が回らないほど同行する女が増えていく過程で、そのおこぼれを貰おうという算段だったらしい。

「へへっ、まあそれが分かってれば十分さ。精々、俺様が与えたチカラを悪用するこった」

「…どの道、お前との契約を果たすには人手がいるだろうからな。考えておくよ」

「ああ。楽しみにしてるぜ、相棒」

 悪魔と契約した人間の未来が輝かしいものになるか、如何わしいものになるのか。

 睡魔に負けた二人にも、まだそれは分からなかった。



 身体を動かすことも兼ねてフォーン村の近くにある森でモンスターを狩ったり食料を調達したりと、田舎での比較的平和なひと時を過ごした二日後。

 昨日、そろそろ完成が近いという報告も受けていたので、今日あたりには出発することも叶いそうだ。

 依頼も受けていない現状では宿代と飯代で手持ちの金が減る一方で、狩ったモンスターの素材は集めていても町へ行って換金してこなければ増える見込みがない。

 なので、早々に出立したい気持ちが日に日に膨れ上がっていた。

「ん、んぅーん…、ん…?」

 そんな爽快な朝、目が覚めると大きな違和感に気づいた。

 薄着の女が寄り添っていて、自分以外の体温を感じられたからだ。

「え? メアリー!? え? なんで…?」

 これまでも寝相の悪いプルが張り付いてきたり顔に覆い被さってきたせいで苦しくて目が覚めた経験はあるが、朝一番に見る顔が彼女だったことはあの日以来の二回目だ。

 しかも、あの時と違って今回は同じベッドで過ごした記憶が無いので、何が何だかさっぱりだ。

 用心の為に部屋の鍵は一応閉めてあったはずだし、理解が追い付かない。

「ん、んぅぅ…何よもう…、うるさいわねぇ…」

「あっ…」

 起きちゃった。

 そう思った時には、既に寝惚け眼を擦った彼女が俺の方を向いていた。

「おはよ。…どうかしたの、クロ?」

「え、いや…どうしたもこうしたも…なんでメアリーがここにいるんだ?」

「はぁ…? 何言ってるのよ…。酷いわねぇ、覚えてないの?」

 朝が弱いと言っていた魔女は、起き抜けから機嫌が悪そうな声色で話していた。

「覚えてるも何も…全く覚えが無いんだけど?」

「あ、そうか…。あんたはぐっすり寝てたのか」

 寝ている間に嬉し恥ずかしな気持ち良いことが行われていたとしたら、なぜ起きなかったんだ俺…と激しい後悔が頭を過ぎる。

「野営の時もそうだったんだけど、どうもあの子と一緒に寝ても心が休まらないっていうか…寝心地が悪くてね。ベッドで寝てないからかと思ったけど、そういうわけでも無かったみたいだし」

「へぇ、そんなことが…。でも、なんで俺のとこに? 鍵も掛けてたはずだけど…」

「あぁ、それなら…そこの悪魔が手引きしてくれたのよ。わるーい顔を浮かべてね」

「いつの間に…」

「へへっ、その方がお前も嬉しいだろう? 俺様に感謝しろよ」

 いつもは一番最後まで寝ている癖に、こういう時に限って早くから起きていた悪魔はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。

 しかし、悪魔の企みはともかく、こうしてかわいい女の子と一緒に朝を迎えられるのはどこか心が満たされて嬉しいものだ。

 しかも、この間とは違ってちょっと洒落た寝間着を着ており、普段は見られない彼女が垣間見えるのもまた良い。

 新調したのかは知らないが、その寝間着はおそらくネグリジェと言われるようなもので少々露出度が高く腕や胸元、おみ足まで露になっているので眼福ものである。

「感謝すべきはお前なのか、メアリーなのか…」

「ちょっと、どこ見てるのよ?」

 ついつい、くっきりと映る谷間に目を奪われていると、即刻魔女に睨まれてしまった。

「おっと、悪い…。でも、そんな格好してたら、嫌でも目に付くって」

「嫌って何よ? 悪かったわね、見たくないようなものを見せて」

「そんなこと言ってないだろう? 文句言うなら、もっと良く見せてくれよ」

「…そんなに見たいの?」

「あぁ、そりゃそうさ」

「そうだそうだー!」

「あんたは良いのよ! あっち行ってなさい」

「ぽーい!」

 投げ出されながら自分で擬音を発していた悪魔に目がいかないほど彼女から目が離せなかった。

「すごいいやらしい視線を感じるわ…」

「見て欲しいのか見て欲しくないのか、どっちなんだよ」

「…そんなこと言えるわけないでしょ!」

「イテっ!」

 相変わらず物理的にも強い魔女だこと。

 叩かれた頬がジンジンと痛む。

「何も手を出すことは無いだろうに…」

「うるさいわねぇ…。あんたこそ、かわいいとか可愛くないとか言ったらどうなのよ?」

「そりゃあ…似合ってるし、エロくて良いに決まってるじゃないか」

「私は…、かわいいかどうかを聞いたのよ! エロとかそんなこと聞・い・て・な・いっ!」

「イテテっ! 抓るなって…」

 暴力的な魔女は俺を甚振いたぶりたいが為に忍び込んできたのではないかと思えてきてしまう。

「…それで? サリーと寝るよりは良かったのか?」

「うーん…、そうね。まあまあってとこかしら」

「何だそりゃ?」

「あの子をあまり悪く言うつもりも無いし、あんたが特別良いわけでも無いし…そんなところじゃない?」

「あーはいはい。悪かったな、力になれなくて」

 そんな言い合いをしている最中、不意にドアをノックする音が聞こえたと思ったら、そのまま扉が開いて件の少女が現れた。

「クロムくん、こっちにメアリーちゃん来て――あっ…」

 あれやこれやとしている間に早くも着替えを終えたサリーが未だにベッドで揉み合っている俺たちを目にすると、見たことの無いような表情を浮かべた。

 それは、できれば一生見ずに済んだ方が良かったと思えるほど、バツの悪い寂しそうな顔だった。

「サリー、これは…」

 必死に誤解を解こうと口を開いたが、半裸の男女が一つのベッドに佇んでいたら説得力の欠片も無いだろうと察してしまい次第に声が詰まった。

「昨日私が夜中にトイレへ行った時、寝惚けて部屋を間違えちゃったみたい。それで、起きたらこいつがいたものから、今文句を言ってたところよ」

「そ、そっか。なぁんだぁ…、びっくりしちゃったよ」

 サリーの見慣れない不器用な笑顔もそうだが、正直に言わなかったメアリーの行動も謎だった。

「へへっ、こいつは嵐の予感がするぜぇ…」

 ただ一人楽しそうだった悪魔を除き、ここ一帯には非常に気まずい空気が流れていた。

「サリー、悪いんだけど私の着替え持ってきてくれる? 他の客もいるみたいだし、この姿で歩き回るわけにも…ねぇ?」

「あ、うん…そうだよね。今、持ってくるよ」

「悪いけど、お願いね」

「うん。すぐ持ってくるから」

 廊下を挟むとはいえ、彼女たちの泊まった部屋はすぐそこだ。

 そこへ消えていったサリーを見送ると、メアリーはひっそりと耳打ちしてきた。

「いい? さっきの話はあの子には内緒だからね?」

「あ、あぁ…それは別に良いけど…」

「あんたも余計なトラブルを抱え込みたくないでしょ?」

「それはそうだ」

「じゃあ、二人だけの秘密ってことで…」

「まあ、俺様も聞いてたんだけどな。…ふぎゅっ!」

 魔女の手によって黙らされた悪魔は、そう簡単に口を割ることができないだろう。

 もし言ってしまったが最後、今度はどんな報復が待ち受けているか分からないからだ。

「メアリーちゃん、持って来たよ」

「あっ、ありがと。…ほら、あんたはさっさと着替えて出なさいよ。私が着替えられないでしょ?」

「へいへい、肩身が狭いこった」

「何か言った?」

「いいや、何も…」

 彼女に急かされて着替えを終わらせると、今度はそのまま部屋の外へ追い出されてしまった。

 そこには、サリーから服を受け取ると同時に投げ出された悪魔が既に先客として転がっていた。

「はは…、朝から大変だったね」

「あぁ、全くだ」

 サリーも一緒に廊下で待っているつもりらしく、隣で大人しくしている。

 悪魔の手引きがあったとはいえ、自分からベッドに潜り込んできたメアリーもそうだが、肌が触れ合うほどすぐ近くに寄って来るサリーも無防備なものだ。

「あっ…クロムくん、こっちだけ頬っぺた赤いよ? どうかしたの?」

「いや、ちょっとメアリーにな」

「大丈夫? 回復しよっか?」

「いいって、大したことないから。すぐ赤みも引くだろうし…」

「ん…、じゃあすぐ治るようにおまじないしてあげる」

「おまじない…?」

 この魔法社会において、おまじないなんてあまり聞かない話だ。

 都市伝説的な話では古の魔法の名残じゃないかとも噂されているが、一概には信じがたい眉唾物である。

「うん、ジッとしててね…ちゅっ」

 しかし、サリーが腫れた頬に顔を寄せたと思ったら、一瞬だけ痛みが吹っ飛んだ。

「ふふっ、どうかな? おまじない、効いた?」

「あ、あぁ…おかげで痛みが和らいだよ」

「良かった。……メアリーちゃんにも見られなかったみたいだし」

 横目で彼女がいる部屋の扉を確認していたサリーは、少しだけいつもの雰囲気に戻っていた。



 馬車について最後に進捗状況を聞いたのが昨日の夕方頃だったので、翌日の朝一番に向かっても大して進展していないだろう。

 そう思って、今日は一度周囲の森を探索してから日が高く昇った昼頃に村へ戻った。

「なぁ、サリー。今日は妙に近くないか?」

「え? そうかな?」

「……」

 彼女は気にしていなかったのかもしれないが、肌が触れ合うどころか腕を絡めてくるくらいなんだから、どう考えたって距離が近いだろう。

 いつも二人が俺の脇を固めるように両側にいることは多いが、もちろん仲良くお手々繋いで旅をしているはずもない。

 せいぜい肩を寄せることがあっても、ここまで露骨な距離の詰め方をすることは無かったと記憶している。

 おかげで、時折もう一方からジトっとした視線が感じられる羽目になり、素直に喜べる状況ではなかった。

「良いじゃないか、モテモテで。羨ましいぜ、このこのぉっ」

「お前はまた、他人事だと思って…」

「もしかして、嫌だったかな…?」

 面白がって冷やかしてくる悪魔はともかく、そんな聞き方をしながら上目遣いで見つめてくるサリーに対して拒絶することなどできなかった。

「嫌じゃないけど…、戦闘の時はさすがに離れてくれよ? 上手く戦えないからさ」

「うん、分かってるよ」

「ホントかなぁ?」

「もう、プルちゃん意地悪言わないでよ。私、さっきだってちゃんと後ろに下がってたもん」

「ん…、まぁそれなら良いか」

 魔女によって呪いを掛けられたりしなければ、という話ではあるが…。

「おう、来たかあんちゃんたち。飯を食ってから呼びに行こうと思ってたんだが、ちょうど良いとこに来たな」

 いつもは作業している姿を見せていた男が、今日はどんと構えて出迎えてくれた。

「お? てことは、ようやくできたみたいだな」

「おうよ。要望通り、バッチリ仕上げておいたぜぃ」

 クイックイッとこっちを見ろとばかりに得意げな面持ちで指を指した先には、幌を掛けた立派な馬車が鎮座していた。

「おー、すごーい。これが私たちの馬車なんだね」

「ああ、そういうこった。荷車の方はかなり広いが、嬢ちゃんたち三人くらいならともかく、そこからさらに荷物や人をたくさん乗せるならもう一頭増やさないとこいつが辛いからな。気を付けてくれよ」

「えぇ、その辺は分かってるわ。必要なら買い足すから、心配は無用よ」

「おっと、そうだったな。黒い嬢ちゃんはその辺詳しいんだった」

「ソウカイメイオーちゃんも、これからよろしくね」

 サリーに撫でられた馬は先日の怪我を感じさせない佇まいをしているが、その反応を見ても緊張しているのかあるいは平然としているのか表情が窺い知れない。

 とはいえ、ここ数日サリーやメアリーが多少世話を手伝っていた様子を見る限り、比較的温厚な馬なのだろうという印象を抱いている。

 悪魔を除いた誰にでも懐いているみたいだから、暴れて怪我をさせたり暴走するようなことはまず無いだろう。

「さて、どんな感じかな…っと」

 軽々と荷台に上がり込むと、いつも見ている景色よりも少し高い位置から景色が望めた。

「あんちゃん、そこの真ん中あたりに切れ込みが入った場所があるだろ? そこを外せるようにしてあるから、上手く使うと良い」

「おっ、これか…。なるほど、これなら十分使えそうだ」

「あぁ、これが納品が遅くなった原因なわけね」

「あ、どれどれー? 私も見るー」

 彼女たちも続々と荷台へ上がり、その仕掛けを確認していた。

「すごーい! 一見分からないけど、収納スペースになってるー」

「あぁ、ついでに頼んでおいたのさ。荷車の上にもう一段同じように作って二重底にしてくれってな」

「でも、わざわざこんなことしなくても良かったんじゃない?」

「念の為さ。盗賊かなんかに襲われたり盗られたりしても、中に入れてたものまで取られないようにって」

「ふーん…、まあそういうことにしといてあげるわ」

「へへっ、実際は隠し場所に利用するんだろ? この間の指南書もそうだが、検閲とかに引っ掛かるとヤバいもんでもバレずに運べそうだからな」

「あー、なるほどー」

「おい、お前は今は黙ってろって」

「どうだい? それなら、上出来だろう?」

「あ、あぁ! 申し分ないよ!」

 出てこようとした悪魔を再び隠すと、早々に荷車から降りて改造を引き受けてくれた男の下へ向かった。

「それじゃ、追加分も込みで料金は銀貨10枚だったな」

「あいよ、毎度あり」

 提示されていた通りの銀貨を支払うと、男は気前よく返事をした。

「これで、この馬車はあんちゃんたちの物だ。ソウカイメイオーのこともそうだが、できれば大事に使ってくれよ」

「あぁ、分かってる。色々助かった」

「ありがとうございましたー」

「さあ、それじゃあ荷物を積んだら、早速次の町へ向かいましょうか」

「そうだな」

「うん、そうしよー」

 そうして、俺たちは馬車に乗って新たな旅路を進んだのだった。



 結果的にフォーン村で二日ほどゆっくりしてしまったが、ただ暢気に田舎暮らしを満喫していたわけではない。

 村の中で情報を募って、近くの町に関する話などを聞いていたのだ。

 その最中、先日大規模な山火事があったことも耳にしたが、おそらく自分たちがしでかしたことだと察するとそれ以上何も言えず必死に聞き流すばかりだった。

「ふふっ、馬車って楽チンだねー」

「そりゃそうよ。私以外はただ揺られてるだけだもの」

「あ、ごめんねメアリーちゃん。お馬さんの扱いってそんなに大変なの?」

「いいえ、謝らなくてもいいわよ。ある程度慣れてるから、言うほど大変でもないし」

「そう? 良かった」

 フォーン村から次の町に伸びる道は何度も人や馬が行き来している所為か、禿げ上がっているので分かりやすい目印になっている。

 なので、メアリー一人に任せて目を瞑っていても、そのうち目的地へ辿り着けることだろう。

「サリー、体調は大丈夫か?」

「うん、大丈夫だよ」

「そうか、それなら良いけど…馬車に慣れてないと酔って気持ち悪くなったりすることがあるからな。何かあったらすぐ言えよ」

「あっ…うん。私のこと心配してくれたんだね、ありがとう」

「そんな大層なことじゃないって、普通だよ」

「ううん、それでも私は嬉しかったから」

 メアリーが馬を操りながら周囲からもモンスターが見えないか気にしているというのに、サリーはその目を盗むようにこれまた近くにやって来た。

 荷車の上は二人で並んで寝られるほどの広さが裕にあるというのに胸がひしゃげるほどべったりとくっついてくるので、まだ日も高いというのに彼女を抱いた時の温もりを思い出して妙な妄想が広がってしまう。

「でも、これでクロムくんもだいぶ楽になったよね。いつも一番重たい荷物を持ってもらってたし」

「当然じゃない? 一番チカラがある男なんだし」

「感謝しろとまでは言わないけど、ちょっとは労って欲しかったもんだ。一日中歩き通しな上に結構な荷物を持ってたんだからな。まあそれでも、プルのおかげで疲労は少なくなってたけど…」

「へへっ、さっすが俺様! それほどでもあるぜ」

「はいはい、悪魔のチカラ様様だよ」

「今はこの子が代わりにその苦労を担ってるんだけどね」

「安い買い物じゃなかったんだし、それくらいは働いてもらわにゃ割に合わないぜ」

「金が掛かった分、こうして楽が出来てるってことだ。貴族や富裕層も、こういう風に有り余る金を使って豪遊してるんだろうな…」

「言い方が悪い気もするけど、そんなに間違ってもいないのかなぁ…?」

「ねぇ、悪魔のチカラって人間以外にも施せたりしないの?」

「そりゃあ不可能じゃないぜ。モンスターだって凶暴な変異種とかいるだろ? あれに似た感じじゃねーか?」

「だとすると、ちょっと難しそうかしら」

「もしかして、この馬にも悪魔のチカラを渡そうって考えか?」

「えぇ、ちょっとそんなことが頭を過ぎったのよ。人間でも飛躍的にチカラが増すなら、馬にも与えて一頭当たりの馬力を上げられればどうなるかしら…ってね」

「えぇー、なんかちょっと怖いよぉ…」

「まあ、その女の言う通り止めた方が無難だろうぜ。せっかく買ったばかりの馬を台無しにして、自分で馬車を引く羽目になりたくなければな」

「それって、きっと俺の役回りじゃないか。嫌だぜ、そんなの。すれ違った人からも、まず間違いなく白い目で見られるだろうし」

「じゃあ、上手くいかないってこと?」

「上手くいくかもしれないってだけさ。クロやお前もそうだったが、人間にしろ他の動物やモンスターにしろ悪魔のチカラへの適正が無ければ、理性を失って暴走するかもしれないしそのままお釈迦になっちまうこともあり得るからな」

「あんた…そんな危ないことをよく私たちにしたものね?」

「お前らが自分から望んだことだろう? そういう輩は大抵大丈夫なのさ。ただ、今回の場合は違うからな」

「まあ、そうね。私たちの都合で悪魔のチカラを植え付けようってことだから、本人の意思を無視した行いだもの」

「そういうこった。どうしても増強したいなら、もっと稼いでもう一頭買うのが無難だろうな」

「仕方ないわね。…ケルベロスに引いてもらえれば元手は掛からないんだけど、それも難しいし」

「そっちの方がよっぽど現実味が薄いぜ。出会った人間を片っ端から食わせていくくらいの腹積もりがあるなら別だけどな」

「ねぇねぇ、クロムくん…」

「ん? どうしたサリー?」

 珍しく比較的真面目に話し合っている二人の後ろで、サリーがひっそりと耳打ちしてきた。

「昨日の夜は、本当にメアリーちゃんと何も無かったの?」

「え? あ、あぁ…そうだけど……」

 てっきり気分が悪くなってきたのかと思えば、唐突に話を蒸し返された。

「じゃあ、ここのところご無沙汰だったし…また溜まってきちゃってるんじゃない?」

「えぇ? まぁ、言われてみれば…そうかもしれない……」

「だったら、今してあげよっか?」

「え、今…?」

「うん。今だったら二人とも話に夢中になってて、こっちを見るどころじゃないだろうから…ね?」

「あ、おい…サリー。今はさすがに……うはぁ…」

 隣にいた彼女は制止も聞かずに足元へ移動すると、躊躇いなく俺の肌へ触れた。

「んっ…んぅ…うん、分かってる。だから、今日はお口で我慢してね…」

 牧歌的な風景が続く道のりをのんびり進む中、スリルを味わいながらこっそりと彼女の奉仕を満喫することになった。

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