⑨ 恐れを知らぬ者たち
魔法練習場で散々魔法を試し撃ちした後、戦利品の指南書を入れた荷物を持って階段を上がっていた。
「なぁ、何も今日じゃなくてもいいんじゃないか?」
「嫌よ。私が今日やるって決めたから、今日やるの」
「強情な奴だなぁ…」
メアリーを先頭にして歩いていた一行は、彼女の我が儘に付き合わされていた。
指南書があった書庫の最奥に置かれていた一冊に、彼女をそこまで駆り立てる存在があった所為だ。
それは召喚魔法に関する本であり、ある恐ろしい魔獣を呼び出す為のものだった。
その魔獣とは『地獄の狂犬』という二つ名も書かれていた『ケルベロス・ヘルハウンド』という三つ首の魔獣であり、メルリヌスの注意書きにも安易に呼ぶようなものではないと記されていた。
しかも、彼が推測するケルベロスの好物は人肉とも書かれており、下手をすれば召喚して早々自らの死を招くのではないかと心配でならない。
召喚魔法に関する本は他にも何冊かあったというのに、なぜもっと可愛らしいものではなく一番凶悪なものを選んでしまったのかはついぞ謎である。
ただ、あの本を手に取った彼女が薄ら笑い、不気味な声を上げていたのは今でもよく覚えている。
召喚を行う為には普通の魔法と違って魔法陣を書く必要があるらしいが、ご丁寧にその魔法陣まで記されていたので彼女は早く試したくてうずうずしてるわけだ。
練習場で試してみる手もあったのだが、ある程度広いとはいえ如何せん地下の施設であることに変わりはない。
呼び出す魔獣の規模がかなり大きそうな書かれ方をしていたこともあり、念の為外に出て行うことになった。
「ふっ、ふふっ…。さあ、一体どんな化け物が出てくるのかしら。楽しみで仕方ないわ」
「プルはケルベロスがどんな奴なのか知ってるか?」
「伝承なんかで聞いたことはあるが、直接見たことはねえなぁ」
「ふふふっ、あんたなんかよりよっぽど強かったりしてね」
「…相当浮かれてんな」
あの悪魔が皮肉を真顔で返すほどメアリーが有頂天になっているのは窺える。
隠し通路の入口になっていた鏡を通り抜けると、地下室よりもこじんまりした部屋を改めて見てその違いに呆然としてしまう。
もし、この入口を発見できなかったら、メルリヌスの住処を一割しか知らないまま手ぶらで帰る羽目になっていたからだ。
「さーて、ちょっと離れたところで早速書いてみようかしら」
浮足立つメアリーに続いて外に出ると、森の中の静寂に包まれた空気が肌で感じられる。
地下室がかなり広い作りだったとはいえ、やはり外の方が開放的で爽やかだ。
「…待て、メアリー」
「何よ。やめろって話ならさっきも聞いたけど――」
「俺が先に行く」
異界の魔獣を予期して森が騒めき出したのかと思ったが、どうやらそれだけでは無さそうだ。
地下室に下りる前には感じなかった気配を察知し、彼女を押しのけて前に出る。
「…? どうしたっていうのよ」
後ろから聞こえる愚痴を聞き流し、辺りの様子を注意深く観察する。
地下は閉鎖的な場所であり侵入口が限られている分、モンスターと出くわすことはまず無いだろう。
しかし、地上であれば別だ。この森に住まうモンスターがいつ現れても不思議ではない。
だが、この欲深いねっとりと絡みつくような視線はモンスターが送ってくる類のものでは無かった。
「へへへっ…、狙い通りだな」
「待ち伏せか…」
橋を渡り切ったところまで来ると、茂みから一斉に人相の悪い男どもが飛び出してきて完全に包囲されてしまう。
「なに、こいつら?」
「それは本人に聞いてみれば、答えてくれるかもしれないぜ」
皮製の軽装備に身を包みバンダナを巻いた一行は、皆一様にいやらしい笑みを浮かべながら得物を手にしている。
「あの黒い女、前見た時と違う杖を持ってますぜ」
「ってことは、それもお宝ってわけだ。なかなか上等な杖みたいだしな」
中でも人一倍派手な着こなし方をしている細身の男は、ギラギラと目を輝かせて舌なめずりをしていた。
その身なりや言動から、まともな連中ではないのはすぐに分かる。
「お前ら、ここを探索しに来たって感じじゃないな。何者だ?」
「へへへっ…良いだろう、教えてやる。オレはセブゲラ盗賊団のリーダー、クレズルア様だ。分かったら、ここで手に入れたお宝と金目の物、そしてその女たちも置いて行ってもらおうか」
「まぁ、そうだろうな…」
聞かなくても分かるような質問を聞いてしまった自分を悔いると同時に、やや呆れてしまった。
「なんか前にも同じようなことを言われた気がする…」
「はぁ…。男っていうのは、どいつもこいつも似たようなことしか考えられないのかしら」
後ろの二人も同じように呆れていたが、その非難の声は俺の耳にも届いていた。
「ははっ、恐れをなしたか。まあ無理もない。オレの完璧な作戦を前に戦意を失うのも当然のことだ」
「完璧な作戦だって…?」
「そうさ、ついでに教えてやろう。マルーンでオレの部下がお前たちの話を聞いたんだ。この魔導の森へ向かうって話をな。そこで、こっそり後をつけることにしたのさ。お前たちがお宝を見つけてきたなら、それを持って出てくるところを奪う。もし見つからなかったとしても、そこの女二人を頂こうってな」
リーダーであるクレズルアが誇らしげに作戦の概要を語っている間、彼の仲間は力強く頷いていた。
「お前のような大して強くもなさそうな冴えない男に、その二人は勿体ないからな。アーハッハッハッハ!」
「正に、一石二鳥! 冴えてる男は違うぜ!」
「さっすがリーダー。ロマンを追い求める男の中の男! もうリーダーがロマンの塊と言っても過言じゃないっす!」
「だーっはっはっは! そんなに褒めても何も出ないぞ、ガハハハハ!」
「…なるほど、よく分かったぜ。解説ありがとよ」
彼らのおかげで妙に頭がクリアになって、怒りが沸々と湧いてくる。
徐に背負っていた荷物を降ろし鎌を発現させると、その柄を力強く握った。
「けど、そんなあんたに一つだけ教えておいてやるよ」
「ほう、なんだ? 言ってみろよ?」
「その作戦には穴があるんだよ。お宝を手に入れて強くなった相手から――奪えるかどうかってなぁっ!」
「あ、ちょっと…クロ!」
一人敵陣に突っ込んでいった俺の後ろから呼び止めるような声が聞こえた気がしたが、もう止まれない。
「やろうってのか、おもしれぇ!」
「悪いな、クレズルアさんよぉ…。俺は冴えない男だから、手加減ってもんを知らねえんだ!!」
こちらに牙を剥く相手よりも先に攻撃を撃ちつけると、威勢の良かった相手も黙りこくる。
「てめっ、リーダーに何しやがる!」
「やれやれぇ!」
「うおぉぉぉっ!」
「全員、返り討ちにしてやんよ!」
男同士の騒々しい戦いの火蓋が切られ、次々に捻じ伏せられた者たちが地に伏していく。
そんな彼らを見守る女性陣の反応は各々違っていた。
「私たちも加勢した方が――」
「大丈夫でしょ。あの盗賊たち大したこと無さそうだし。一人で十分戦えてるわ」
「確かに、それはそうだけど…」
「それより、いい気味だわ。あいつら、きっと私たちにろくでもないことをしようと企んでただろうから」
「ろくでもないことって…?」
「そりゃあ、男が女を攫う理由なんて決まってんだろ?」
「そうそう。悪魔だけあってよく分かってるわね」
「まあな、へへっ…」
「それにしても、あの盗賊ってば馬鹿よね…。マルーンから付いてきたなら、漁夫の利を狙っていたとしても数日付いてきたわけでしょ? 空振りになるかもしれないのに、よくやるわ」
「それだけ、メルリヌスさんのお宝に賭けてたってことじゃないの? 実際、貴重な物があったわけだし」
「いやいや、そっちは二の次だったのかもしれないぜ? どっちにしろお前ら二人を奪うつもりだったろうし」
「やだやだ…。あいつらにしてみれば、どっちもお宝に見えてたってわけ?」
「まぁ、そうかもしれねぇな」
軽く20人はいた盗賊どもを返り討ちにして、暢気に話していた仲間たちと合流した。
「あ、クロムくん。ごめんね、任せちゃって…。回復いる?」
「え? あぁ、別に良いって。大した相手じゃなかったし、突っ走ったのは俺だからな」
ただ、悪びれているのはサリーくらいなもので、メアリーに関しては特に労いの言葉もなかった。
「ん? なんだ、殺さなかったのか?」
多くの者は伸びてしまっているが、ピクピクと微かに動いている者を見つけたプルが意外そうな顔をしていた。
「あぁ…。ムカついたけど、別に殺すほどの相手でも無かったし。殺さずに気絶させる練習も兼ねてさ」
「ふーん。そんなことより、その鎌を持っていることを広められないように口封じした方が良かったんじゃねぇか?」
「それも一理あるけど…、盗賊の話を真に受ける奴もそうそういないと思うんだよな」
「あぁ、それは確かに」
「それにしても、一人でボコボコにしちゃうなんて、冴えない男って言われたのがよっぽど癪に障ったのね」
「そりゃそうさ。お前にだけは言われたくないって思うだろ、普通」
「あはは…」
「……でも、これはちょうど良いかもしれないわ」
山積みになった盗賊たちの横を通り過ぎて行ったメアリーは、少し離れたところで地面に魔法陣を掘っていく。
「あいつ、本気で呼び出すつもりみたいだぜ」
「こっちもちょっと覚悟しておいた方が良いかもな…」
「大丈夫かな…?」
「こればっかりは、俺様にも分からんぜ」
「一応、何かあった時の為にいつでも対処できるような準備はしておくか」
「そうだね」
何十人もいた盗賊団よりも余程恐ろしい相手が出てくるのではないかと感じて、警戒を怠らずにいた。
そんな不安を感じているのは森の木々や空まで同じようで、上空は雲で覆われていき薄暗くなった森を薄ら寒い風が吹き抜けて木々を揺らす。
「…できた。じゃあ、早速始めるわよ?」
「ダメって言っても、聞くつもりは無いんだろ?」
「もちろんよ」
「だったら、もう言うことはない」
「気を付けてね、メアリーちゃん」
「問題ないわ。私の勘がそう囁くの」
大きく描かれた魔法陣の前に立つメアリーから2,3歩下がった場所で、彼女の所業を見守ることに努める。
どこから湧いてくるのか不思議なその自信を胸に、いよいよ彼女は召喚の為の呪文を口に出した。
「ヒア ギッツザ ゼイ ゼアザイドゥ カイヌ グランゼン、デア バッハンドゥ デア ヘロゥ、レアギッラ アーフ マイナナ アングルーフ、オムズ ザイグン ズィ イエハ マハト!」
全く聞き覚えも無ければ意味も分からない言葉が耳を通り抜けると、魔法陣が怪しく光り出して地面から物凄い大きさの魔獣が迫り出してくる。
「…っ、でかい…!」
「ひえぇ……」
「クロムくん…っ」
悪魔でさえも圧倒されるその大きさと威圧感によって、俺の身体は震えが止まらなかった。
普段、ほどんど動揺しない肝の座っているサリーでさえも今回ばかりは圧倒されており、怯えて俺の影に隠れているほどだ。
「グルルルル…っ!」
メルリヌスの記述通り、三つの首を持つ魔獣はその大きさも計り知れない。
森を覆う木々よりもさらに大きな巨体は周りの木々をなぎ倒して召喚され、四つの足を持ってその身体を支えている。
「すごいわ…、想像以上よ!」
しかし、そんな恐ろしい魔獣を目の前にしても、彼女だけはブレずにいた。
期待以上のものが現れたことで堪え切れない笑いをこぼしつつ、不敵な笑みを浮かべて歩み寄っていく。
「グガオオオオッッ!!」
「ひょえぇ…!」
彼が狂犬と記していたのが頷けるように獰猛な魔獣は大きな雄たけびを上げて威嚇し、目の前に迫り来る無謀な人間に向かって敵意を剥き出しにした。
自分以上に大きな頭が三つも覗き込んで来る姿は、もはや恐怖以外のなんでもない。
それでも後退ることなく近寄って行くメアリーは頭がおかしいのか、恐怖を感じない身体にでもなっているのではないかと不思議で堪らなかった。
「大丈夫よ、私は何もしないから」
「ガルルルルっ……、っ!」
「うっ…!!」
馬鹿みたいにでかい歯を剥き出しにして唸っていた魔獣と目が合うと、それだけで心臓が破裂しそうなほどドキリと鼓動する。
どちらが食うか食われるか。その立場を思い知らされたようで、チカラを得て驕っていた自らを恥じるばかりだ。
世の中には、もっと強い奴がいる。圧倒的なチカラを持つ、絶対的な強者が――。
そう思っていたのも束の間、途端に唸りを止めたケルベロスは大人しくなった。
しかし、その瞳は召喚者のメアリーではなく、俺のことをマジマジと見つめているようだった。
「あぁん…? 明らかに敵意が消えたぞ」
「ちょっと、何したのよ?」
「い、いや…俺は何も……」
「でも、様子が変だよ?」
サリーの言う通りケルベロスはその場に座り込んでしまい、奥に見える大きな尻尾を振って近くの木を殴り倒している。
「まあ、危険が無くなったなら良いんじゃない? ほら、よしよし」
怖いもの知らずのメアリーがさらに距離を詰めると、自分よりも遥かに大きな魔獣の顎を擦っていた。
「へ、平気なのか…?」
「見ての通りよ。平気に決まってるじゃない、あっ…こら、あんまり匂い嗅がないの」
当然とばかりに言い張るメアリーが自分を丸のみしてしまいそうな魔獣とじゃれている姿は異様としか言えない。
「一体どうしたっていうんだ?」
頭の一つはメアリーとじゃれており、残りの二つは俺の方を見つめて大きな涎を垂らしながら舌を出していた。
「え、餌だと思ってるってことは、無い…よね?」
「だと思いたいな…」
しかし、その仕草を見ているとそうとしか思えない。
もしかしたら、後ろにいるサリーを見ているのではないかと考えて左右に散開してみたが、魔獣の視線は間違いなく俺を追っていた。
「やっぱり俺を見てるみたいだな…」
「サリー、あなたもこっち来てみなさいよ。なかなか触り心地が良いわよ」
「う、うん……」
メアリーに言われて恐る恐るサリーも近づいてみるが、ケルベロスの対応は違っていた。
「グルルルっ!」
「きゃっ…!」
「こら、威嚇しちゃダメでしょ」
「ァウン…」
サリーは嫌われてしまっているようだが、メアリーの言うことは聞くようだ。
もしかしたら、召喚者とそれ以外によって対応が違うのかもしれない。
「ククク…、そういうことか」
一人分かったような口を利く悪魔は高みの見物を決めていた。
「サリー、大丈夫か?」
「う、うん…。ちょっとビックリして転んじゃっただけだから」
彼女に駆け寄った俺を三つの首が監視しているが、そのどれもが眉をひそめているように見えて少し悲しげな雰囲気すら感じさせる。
すると、突然大地を揺らす衝撃が襲ってきて、サリーと共にその場へ膝をついた。
「ぃやぁ…」
「今度はなんだ?」
「急にこの子がひっくり返ったのよ」
メアリーの言う通り、先程の巨体が背を向けるどころか腹を見せるようにしてお尻を向けていた。
「おぉっと! これは…、服従のポーズだぁ!」
「何だって?」
無駄にエキサイトしている悪魔の言葉に聞き覚えがなく、すぐさま聞き返した。
「服従のポーズを見せるってことは敵意が無いことを示してるんだよ。ほら、今度はクロがそいつを撫でてみろよ」
「ふふふっ、かわいい……」
「え? ど、どこが…?」
「どこって…地獄の狂犬とか言ってたわりに、すんなりとそんなポーズを見せちゃうところかしら」
「あ、そう……」
全く共感できない彼女の感性はともかく、プルがうるさいので半信半疑のまま恐る恐る近づいていく。
「お腹の辺りを撫でてやると喜ぶんじゃないか?」
「まぁ、頭よりはいいか…」
言われるがまま腹の横辺りまで歩いてきたが、その間も急かすように身を捩る為それだけで大地を揺るがしかねない。
「こ、こんな感じか…?」
「ゥンゥゥン!」
大きな腹の端っこを震える手で撫でてやると、先程の唸り声とは全く違う声を上げていた。
「うわっ…、っとと…、うひゃっ!」
それを気に入ったのか、はたまた気に入らなかったのか。再び身体を起こした魔獣によって引き起こされた揺れに耐えている間に、今度はペロペロと舐め回される。
しかも、体格差がある故に大きな舌で全身を舐められるのだから、堪ったものじゃない。もちろん、一つの舌だけでなく三つの舌で同時にだ。
「すごい歓迎のされようね。滅茶苦茶懐かれてるじゃない……ちょっとムカつく」
「うへぇ、ベトベトだぁ…。舐められるのはかわいい女だけでいいよ……」
噛み殺される恐怖と隣り合わせの歓迎からようやく解放されると、力なくその場に倒れ込んだ。
「大丈夫?」
「…うぅ、だいじょばない」
「魔法で取れるかなぁ…? バブル・クリーニング!」
気を利かせてくれたサリーの魔法のおかげで身体中のベトベトは取れたが、ずぶ濡れなのは変わらない。
「…多少はマシになった。助かったぜ、サリー」
「ううん、気にしないで。それより、あっち…」
彼女の示した先では、改めてメアリーがケルベロスと向き合っていた。
「あなた、そんなにこいつのことが気に入ってるなら、私たちと一緒に来ない? もちろんタダでとは言わないわ。供物として、そこの肉は全部食べていいわよ」
その言葉を聞いて視線をずらしたケルベロスは、先程襲ってきた盗賊団の山を見て大粒の涎を垂らし始めた。
どうやら、メルリヌスの書き記した通り、人肉が好物だというのは間違っていなかったらしい。
しかし、気を失った肉たちはそんな状況に置かれていても逃げることすらできない。
「でも、良いのか? そんなこと言って。今お前がしてようとしてることは、両親や村の人を襲ったモンスターと同じようなもんだぞ」
既に運命を定められてしまった俺と違って、彼女にはまだ選択肢が残されているはずだ。
それなのに憎き仇と同じことをしてしまえば、自分も彼らと同じような存在に落ちぶれてしまうのだと警告した。
「…別にいいわ」
だが、余計なお節介は彼女の耳に届いても、心にまで届いたわけではなかった。
「確かに、両親どころか村の人たちを大勢葬ったモンスターたちは憎い――でも、憎いのはモンスターだけじゃない!…人は村が襲われたことを知ってもあくまで他人事。知らなくても、平和に――幸せに暮らしている人間は、全部憎いの!私たちが不幸に見舞われたのに、自分たちだけ命拾いしてのうのうと暮らしているのが許せないのよ!!だから、今度は――私が同じ目に遭わせてやるわ」
怒りに身を震わせる彼女の赤紫色の瞳は、血に飢えたように爛々と輝き狂気を放っていた。
彼女は自分たちを襲ったモンスターだけでなく、その一件で助けてくれなかった国や他の人間にすら怒りを覚えているのだ。
なぜ、自分だけがこんな辛い目に遭わなければならないのか。
なぜ、他の人間はそんな目に遭わずに済んでいるのか、と。
だから、彼女は人を傷つけるのに躊躇うことなど無いのだ。
「…分かったよ。お前が納得してるなら、もう俺から言うことは何もない」
辛く苦しい目に遭っているのは自分だけではないと言うのは簡単だが、それは賢い彼女も本当は薄々気付いているのだろう。
恨みの籠った怒りの裏で、悲壮感を漂わせる心の痛みがひしひしと伝わってくる。
それでも、やるせない思いは収まりがつかず、憤怒となって他者へと向けられるのだ。
そこへ敢えて俺が言う必要はもう無いだろう。
それが原因で、第二第三の彼女が現れるとしても――。
「ふっ、ふふっ…、ふふふっ…。さあ、私と盟約を結びなさい、ケルベロス・ヘルハウンド!」
「グガオオオォォッッ!!」
巨大な魔獣の前に立つ彼女は、なんと勇ましいことか。
その巨体を前にして一歩も引かない姿勢は、自分の進む道に後悔せず後戻りするつもりもないと体現しているようだった。
堂々と胸を張って立つ魔女に対し、ケルベロスも異論は無いようだ。
彼女の呼びかけの下、粛々と盟約の儀が執り行われる。
魔法で自動的に作られた首飾りは、盟約の証だ。
ケルベロスの体毛と同じ色をした赤紫色の首飾りはそのままメアリーの首に装着され、そこから鎖が繋がっている。
鎖は途中で切れてしまっているが、おそらく可視化されてないだけでケルベロスの首輪と繋がっているのだろう。
それを裏付けるように、ケルベロスにも先程まで無かった鎖が同じように首輪から垂れ下がっている。
「ふぅ…。どうやら、成功したみたいね…」
「うわぁ…、ホントに盟約を結びやがった……」
「ほら、約束通り食べて良いわよ…」
「ガオゥ!」
儀式が終わり盟約者のお達しが出ると、ケルベロスはまだ息のある肉塊を三つの頭で貪り始めた。
その勢いは凄まじく、骨まで残さず噛み砕いて飲み込むほどだった。
「上手くいったから良いものの…、一歩間違えば俺たちもこうなっていたのかと思うとゾッとするな……」
「うん…、そうだね…」
この世のものとは思えない仕打ちに引いていた俺たちと違い、メアリーはリーダーのクレズルアを引っ張り上げるとそのままこちらに寄ってきた。
「サリー、水魔法でこいつの顔に水掛けてくれる?」
「え? うん、それは良いけど…?」
簡単な水魔法を使って水を浴びせれば、そのおかげで意識を取り戻した男が目を開ける。
「…ハッ! オレは一体…?」
「ほら、寝惚けてないでちゃんと目を見開きなさい。…その命が尽きるまでね」
「え? うわっ、何だこいつ!? やめ、やめろおおぉぅぉおおおっ!!」
まだ状況も把握できていないまま盟友に差し出された彼は、一口で胃袋という奈落へ落ちていった。
「うわぁ…、えげつねぇ…」
「俺様も人間の踊り食いなんて初めて見たぜ…」
あのプルでさえ引いているので、彼女の所業が如何に恐ろしいものかを物語っている。
わざわざ起こす必要も無かったのにそんなことをするなんて、余程ゲスな視線で見られたことや妄想の中でとはいえ犯されたことを恨んでいるのだろう。
ただ、踊り食いという言葉に聞き覚えが無く、そこだけ疑問を浮かべながらケルベロスの食事を見守っていた。
「すごい食欲…」
「結局、全部食っちまったぞ…」
軽く20人平らげてもまだ満腹には程遠そうなケルベロスだったが、その体格から考えれば確かにそうだろうと容易に納得できる。
反面、自分というちっぽけな人間一人が、どれだけ小さな存在かということまでまざまざと思い知らされた気分だった。
「まだまだ食べ足りないって感じかしら。これでも足りなければ、そうね…人肉に限らず、私たちの前には今後もいくつもの肉の塊が転がるでしょう。それもなるべくあなたにあげるわ」
平気で酷いことをサラッと言ってのけたメアリーの言葉を聞いて、ケルベロスは嬉しそうに声を上げた。
「…ぅ」
だが、次の瞬間、その巨体が突然消え始めてメアリーがその場に倒れてしまう。
「どうした、メアリー! しっかりしろ!」
「か、回復! 回復魔法を…!」
慌てて駆け寄ってみても、脱力した身体は重く感じられて抵抗するような力も残っていないようだった。
急な出来事に気が動転したサリーが回復魔法を唱えても、その様子が改善される気配はない。
「これって…」
「あぁ、魔力切れだな」
「とりあえず、ここじゃ難だな。一旦、さっきの家まで戻ってベッドへ運ぼう」
「うん、私も手伝うよ」
「メアリーは俺が運ぶから、荷物を頼む」
「分かった」
さっきは少し重いと感じたがしっかりチカラを入れて抱き起せば、それは所詮一人の少女の重さでしかない。
以前ならともかく、今の俺ならこれくらいは簡単に運べるようになっていた。
「今日は地下でも魔法をバカスカ使ってたからな。それに加えて、あの大型魔獣だ。盟約もしたことで一気に魔力を持っていかれたんだろうよ。言わんこっちゃねぇな」
「……うるさいわね」
いつものように悪態吐いてみせても、彼女には普段のような覇気が全く無かった。
ベッドに運び込んだはいいが、またしても魔力を回復する為のポーションを持っていないので、安静に寝かせるくらいしか対処のしようがない。
ただ、俺の時と違って雪山で凍えてるわけではないので、命の危険を伴う事態に陥っていないのは幸いだった。
「でも、悪魔のチカラを取り込んで適正と一緒に魔力量も上がったんじゃないのか?」
「あぁ、その通りなんだが…今の感じだとちょっとバランスが悪そうだな」
「バランス?」
「今回のお宝のこともあって大層な魔法を使えるようにはなったが、それに対して魔力の総量が少ないのさ。…まぁ、冒険者をやってるそこらの魔法使い並みにはあるんだけどな」
「その状態で上級魔法をバンバン撃ったりさっきのケルベロスを使うようになると、また魔力切れし兼ねないね」
「うーん…。上手くやりくりしていけば何とかなりそうではあるけど…根本的な対処法は何かないのか?」
「そうだなぁ…。やっぱり積極的にお前と交わることが一番手っ取り早いんだが、あれからどうなんだ?」
「……」
「…いいや、全く」
ベッドに寝たまま大人しく聞いているメアリーの顔色を窺いながら代わりに答えた。
「そうなると、別の手を考えた方が良いか。本人も関係を急いて夜の生活が充実した方が良いんなら、話は別だがな…ひひひっ!」
「…それでも、今すぐ解決するわけじゃないんだろう?」
「あぁ。最初はともかく、二回目以降は繋がりを太く深くしていくことになるから一回目ほど大きく変動しないだよな」
「それで、別の手って? 何か考えがあるの?」
「まあな。この間のことで、クロの魔力量が尋常じゃないほどあるのは教えただろ?」
「確かにあれから全然枯渇した気がしないし、そんなことも言ってたな…」
「うろ覚えかよ。結構、馬鹿げた話なのに…。まあいい、その有り余る魔力をこいつに移譲するんだよ」
「移譲って…どういうことだ?」
「要は、今の繋がりとは別にもう一つの繋がりを作って、そこから魔力を供給させるんだ」
「へぇ。そんなことできるのか?」
「まあ、そういう手があるって話さ。お前の魔力で魔力タンクとなる結晶を作り、それをこいつに植え付ける」
「ほうほう。具体的には?」
「そうだな…。こいつ常に眼帯してるくらいだから、左目がダメになってんだろ? だったら、魔眼がちょうどいいかもな。目の代わりにもなるように視覚補助の魔法まで組み込めれば」
「魔力を補充する為のタンクと、左目としての役割。そんな大層なものだと簡単に作れる気がしないけどな…」
「あ、それなら私知ってるよ」
一緒に聞いていたサリーが、美味しい飯屋を探している時と同じくらいのテンションで平然と言いのけた。
「え? ホントに?」
「うん。必要な物は揃ってるし、作ろうと思えばすぐ作れるよ」
「はぁ…そりゃすごい。…でも、なんでそんなこと知ってるんだ?」
「うーん…、それは内緒」
意外な知識を持っていることに興味を惹かれる一方で、そういえばサリーは自分のことをあまり語ろうとしなかったと気付かされる。
けれども、可愛らしく断られてしまえば、それ以上追及するわけにもいかず諦める他無かった。
「…メアリーも、それでいいか?」
「えぇ。有難い話だから、喜んで受けるわ」
さっきの威勢はどこへやら。弱った彼女は別人のように脆く儚い印象を受ける。
しかし、彼女の口から続いて出た言葉によって、それが勘違いであったとすぐに思い直された。
「ただ、この眼帯…気に入ってるのよね。もうあれからずっと着けてたし、外すのは惜しいわ」
「変なこだわりだな。ファッションの一部にでもなってんのか?」
「ふふっ、大丈夫だよ。それなら、眼帯を透かして見えるようにしておくから」
「そんなこともできるのか…」
「そう、ありがと…。是非お願いするわ」
「ううん、いいのいいの。それに、実際作るのはクロムくんだし」
「え? そうなの?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「言ったも何も、初耳だぞ」
「あはは、ごめんね。でも、魔力の源になる人がやらないと上手くいかないから」
「まぁ、そういうことなら…俺がやるしかないか」
お茶目なサリーの助言に従う他ないので急ごしらえのやる気を出し始めていたのだが、それを差し止めるような手が袖を掴んだ。
「ねぇ、本当に良いの? あなたの魔力を分けるってことは、自分のチカラを制限するようなものよ」
「それは考え方次第だろ? メアリーがこれからも俺たちと一緒に来るって言うなら、お前は俺たちの仲間だ。その仲間の為に手を貸すのは、可笑しなことじゃないだろ?」
「そうそう、そんなに大袈裟に考える必要は無いぜ。魔力を移譲するって言っても、全部じゃなくて一部を渡すだけだからな」
「でも…」
「メアリーたち黒魔術師や白魔術師にとって魔力は欠かせないものだ。でも、俺の場合はこの大鎌がある。最悪、魔法が使えなくても戦っていけるさ」
「確かに、それはそうだけど…」
「そんなに気が引けるなら、俺が魔法を使わなくてもいいくらいメアリーが魔法でどうにかしてくれればいいさ。仲間ってのは持ちつ持たれつの関係だし、黒魔術師の仕事は元々そういう感じだろ?」
「…そうね、あなたの言う通りだわ」
袖を掴んでいた手が離れると、自ら眼帯を取って痛々しい古傷を晒した。
「クロ、お願いしても良い?」
「あぁ、任せろよ。正式に仲間になった記念も込みで、特製の魔眼をプレゼントしてやるぜ」
あの日の夜以来、しっかり目が合った彼女と久しぶりに心が通じた気がした。
「それじゃあ、始めるよ。私の言った通りに呪文を繰り返してね」
彼女が見守る中、サリーの後に続いて何を意味しているのかさっぱり分からない言葉を並べていく。
ただ、自分の身体から夥しいほどの魔力が流れ出ていくのが分かった。
それでも身体が怠くなっていく様子もないので、まだまだ内包している魔力があるのだと実感できる。
流れ出た魔力が練り上げられて一つにまとまっていくと、流れ出る感覚は無くなったものの繋がりは感じられる。
さらに詠唱を続け、練り上げられた魔力の塊にいくつも魔法が付与されていく。
「…うん、上手くいったみたいだね。完成だよ」
感覚を研ぎ澄ます為に閉じていた目をそっと開けると、手の中に小さな青い玉が転がっていた。
「これが、魔眼……」
青く光る玉からは、確かに魔力を感じられる。しかも、ちょっとやそっとではない。
「はぁん…、こいつはすげぇ。高純度の魔力が圧縮されてやがる。これなら、そこらの魔石や魔力結晶より、よっぽど価値があるぜ」
「天然の物とは違うからね。まさか、クロムくんの魔力を抜き出して売るわけにもいかないし」
「さすがに、俺様もそんなアコギな商売はしないぜ。クロが弱くなっちまったら元も子もないからな」
「それで、これをどうすればいいんだ?」
「あとはメアリーちゃんに飲ませるだけだよ。そうすれば身体に定着するようになっているから」
「…だってさ。一思いに飲んでくれよ」
彼女の身体を起こしてからしっかり手渡すと、彼女は一点を見つめていた。
「本当に、これで目も治るのかしら…?」
「うん。間違いなく成功してるから、心配しないでいいよ」
「そうだぜ、魔眼のチカラを舐めんなよ!」
「なんで、何もしてないお前が一番偉そうなんだよ」
「いやぁ、なんかつい言いたくなっちまって…」
「…二人を信じるわ」
「おい、あと一人忘れてるのは、まさか俺様じゃないだろうな!? あと噛むなよ、絶対噛むなよ!」
「嚙んだらどうなるの?」
「うーん? 噛んだくらいで壊れる強度じゃないと思うけど、もし割れたりしたら…大変なことになるね!」
「そんな危険なものを飲ませようとしてるの?」
「今のお前にはそれだけ多くの魔力が必要ってことだよ。分かったらさっさと飲め!」
「…あとで覚えときなさいよ」
少しの間の後、覚悟を決めたメアリーは喉を鳴らして一気に飲み込んだ。
「うっ…! 左目が疼く…っ!!」
そして、それと同時に異変が起き、彼女の左目の辺りが眩しいほど青く光り出した。
思わず左目を抑えた彼女だったが、それすら叶わなくなって天を仰いだまま光を放つ。
左目から放射された青白い光の筋が真っ直ぐ上に飛んでいくと、目を見開いていた彼女の身体に青眼が現れた。
「これ…、すごいわ…」
やがて光が収まると、今度は青い炎が魔眼の周りを揺らめいて彼女の古傷を消し去っていく。
その姿はまるで魔眼が彼女の内なる復讐の炎と同調しているかのように思えて、神秘的ですらあった。
もしかしたら、魔眼が彼女の身体に馴染み、彼女の想いに応えることを示した結果なのかもしれない。
「傷の方はキレイに治ったみたいだけど、身体の方はどう?」
「えぇ、だいぶ楽になったわ。それに、こっちの目だけでも見えるようになってる…」
「これで、もう大丈夫だね」
「ふぅ…。上手くいったみたいで良かった…」
「あ、すごい。ホントに、眼帯着けたままでも見えるわ」
「どうせなら、俺様は服が透けて見えるような目が欲しいぜ」
「あんたは、またふざけたことを…!」
「あ、あの…メアリーさん? お身体の調子が悪かったのでは…?」
「おかげさまで、もうすっかり良くなったわよ。さっきのことも含めて、バカなことを言ってる悪魔を懲らしめるくらいにはね!!」
「ひぎゃあああぁっっ!!」
彼女のしおらしい姿が見れなくなってしまったのは残念だが、いつもの調子を取り戻したようで一安心したのだった。




