⑧ 魔導の森
数日掛けてようやく訪れた魔導の森。
その森の中を彷徨い歩き、ついにそれらしき建造物を見つけた。
「きっと、あれだわ」
森の中を切り開いた場所にひっそりと佇む家はウィッチハットのような形をした独創的な屋根をしており、石レンガで建てられた平屋だった。
想像していたものと違って意外とこじんまりしている家だったが、特徴的なのはその屋根だけでなく周りも同じだ。
家屋は小島の上に建てられており、その周囲には水が溜まっていて池が出来ている。
「随分、小洒落た家だな」
「橋があるから普通に家まで渡れるけど、こういう風に家を建てる人もいるんだね」
「こんな辺鄙な山の中に建てて住んでたくらいだ。変わり者だったんだろ?」
「…これ、ただの水溜まりってわけじゃなさそうだな。結構深いぞ」
「それにしては川から流れてる様子も無いし、どこかへ繋がっている感じでも無い。メルリヌスが自分の魔法で水を貯めたのかしら?」
「だとしても、水質はそう悪くなさそうなのも気になる。浄化魔法を掛けているのか…でも、管理してる人間がいたのはだいぶ昔の話だし…」
「家の周りはもういいから、そろそろ中を見てみようぜ」
「そうだな。まずは、そっちだ」
木々の間から光は差しているが、窓から覗ける家の中は薄暗く人の気配が全くない。
「念の為、俺が先に行ってみるから、特に問題無さそうなら付いて来てくれ」
「うん、気を付けてね」
心配そうに見守るサリーの視線を浴びながら、家が建てられた浮島へ繋がる橋を渡り始める。
木製のその橋には森の中で育った蔓や蔦が絡みついていて木自体もだいぶ傷んでいることから、かなりの年月が経っていると推察できる。
メルリヌスが住んでいたとされるのはかなり昔の話なので、おそらくその当時から設置されていたものだろう。
だとすると、橋を架ける意味がその当時からあったということになるので、この池も彼がいた頃からあることになる。
「老朽化してちょっと嫌な音はするが、大丈夫そうだ」
「りょうかーい。すぐ行くね」
ギシギシという音は不快ではあったが、橋が崩れたり穴が空いたりするほどではない。
先に訪れたという冒険者が罠を残している様子も無さそうだったので、大きな問題は無いだろう。
「ここまでは意外と普通ね。ちょっと拍子抜けかも」
「どれだけ強い冒険者まで来たのかは知らないが、戦利品を持って帰った奴がいるってことはその程度の強さでもどうにかできたってことだからな」
「まだ何か残ってるといいね」
「…そう願うよ」
またまた先陣を切って玄関扉を開けると、薄暗いながらも中の様子が分かって呆然とした。
「明かり点けるね、イリュミネート」
「あらら、まるで盗賊に入られた後ね」
続いて入ってきたメアリーがそう口をこぼしたのも無理はない。確かに、その表現が的を得ていたからだ。
家の中に備え付けられていたトーチに魔法で発生した光が灯されると、全体がはっきり見渡せるようになって荒らされた形跡がまざまざと映し出された。
ベッドのシーツなどは散らかっているし、引き出しや戸がある家具に至ってはどれもこれも開けられていて中身はほとんど空だ。
「手当たり次第、何でもかんでも持って帰ったって感じね…」
荒らされて散らかってはいるものの、物自体は少ないという光景は荒廃したスラム街のような場所を思い起こさせる。
「うん。本棚もあるけど、肝心の本は全然無いね」
「家自体はワンルームのシンプルなもんだな。外観からしてもそんな感じだったし、期待外れもいいとこだぜ」
「そう? 逆に変じゃない? 後世に名を残すような魔法使いがこんな山の中で隠居生活でも送っていたのなら別だけど…規模が小さ過ぎると思わない?」
「確かに…。本棚にしても、もっと置いてあるイメージはしてた」
「きっと、この家の中か、もしくは周りの池も関係するような仕掛けがあると思うのよね」
「まぁ、ここまで来てすんなりと手ぶらで帰るわけにもいかないしな。とりあえず、手分けして探せるだけ探してみよう」
「うん、私も賛成」
家の中に残されているのは古びたベッドや煤汚れたかまど、年季の入った一人分のテーブルとイス。壁には暖炉や姿見が設置されていて、本棚が少々並べられている。
現場を見た限り一人で暮らしていたのは明らかだが、裕福な暮らしをしていたようにも思えない。
それこそ、偉大な魔法使いであれば収入も多かっただろうし、もっと優雅な暮らしもできたように思う。
しかし、そうしなかったということは彼が金や贅沢な暮らしに興味が無い人間だったか、自然に囲まれた静かな生活を望んだ結果ともとれる。
今でもそうだが、そんな者は変わり者扱いされても仕方ない。
なぜなら、自然の驚異のみならず、常にモンスターに襲われる危険があるからだ。
普通、それを忌避する為に集落ができ、町を柵や砦で覆って平和な生活を望む。
だが、彼自身がそれに対処できるだけのチカラを持っているので、その必要も無かったという可能性もある。
「…他人のことは、さっぱりわからんな」
幸か不幸か、既に持ち去られている物が多い分調べる場所や物が少ないので、一通り見て回って何も手掛かりが無いとすぐに行き詰ってしまう。
「俺様もだ。全然わからん」
同じように行き詰った悪魔はさっさと匙を投げてしまい、早くも寛ぎ始めていた。
「ちょっと、真面目に探してよね」
「あー、やってるやってる」
「俺は池の方見て来るよ」
ベッドに転がって尻を掻いてるのに何をしているのか甚だ疑問ではあったが、言うだけ野暮だと思って気分転換に外へ出た。
「ん、サリー。ここにいたのか」
「あ、クロムくん。何か見つかった?」
「いいや、全く。そっちは?」
「ううん、こっちも同じく」
「まぁ、そう簡単にはいかないか」
自然を背景にしても絵になるナチュラル系美少女は大してめげもせずに視線を戻した。
腰を据えて辺りを眺める彼女に倣って隣に座ると、涼やかな風が吹き抜けて木々の葉が音を奏でる。
「お宝が見つからないのは残念だけど、ここってすごく空気が澄んでて居心地が良いと思わない?」
「そう言われればそうかも…。町中と違って、森の中だからかな」
「うーん。それもあるけど、多分この森自体に魔力が満ちてるからだと思うよ」
「へぇ。だとすれば、メルリヌスって魔法使いがここに住んでいた理由もなんとなく予想がつくな」
「魔法使いにとって、魔力は全ての源だからね。いくらあっても困らないし、あればあるだけ良いから」
もし、彼女の言う通りなら、尚更このこじんまりした小屋に暮らしていたのは腑に落ちない。
わざわざ魔力が満ちた場所に拠点を構えたのなら、魔法の新たな応用法や魔法に関する研究などをしていても不思議ではないのに、それらを行っていた形跡が微塵も残っていないからだ。
それすら、先に来た冒険者に全て持ち去られてしまったというのであればそれまでだが、メアリーの話ではそういった目立った収穫の話は聞かなかったと記憶している。
「…まさか、この池の水を全部抜いたら、下に何か埋まってたりしてな」
「魔法で水を出してここに貯めるのは簡単だけど、水を操作して排水するのはちょっと難易度が上がるからできる人は限られてくるね」
「サリーはできるのか?」
「できるにはできるけど…水の中にお宝を沈めてあるとしたら、ビチャビチャに濡れてるんじゃないかな?」
「あぁ、それもそうか」
お宝が水に濡れてもいいような物だとすればそれでも可能性はあるが、書物だった場合は話にならないだろう。
そう考えると、一様にそれらを沈めてあるとは思えなかった。
「さて、ちょっと池の周りを見て来るか」
「あ、じゃあ私も行くよ」
「そうか? なら、一緒に行こう」
重い腰を上げて立ち上がれば、サリーもそれに続いて立ち上がりパンパンとお尻を払った。
再び橋を渡って来た道を戻ると、池に沿って歩きながら周囲を探る。
しかし、家の裏手に回っても特に目立った何かを見つけることもできなければ、それ以外のことに気を取られてしまい探索どころでは無くなってしまう。
何日も一緒に旅をする中で何度も隣り合って歩いてきたはずなのに、こと二人っきりで肌が触れ合うような距離にいられると気が気ではなかった。
「ふふっ、気持ち良いね…」
「サリー、ちゃんと探してるか?」
「…えへへ。あんまり」
笑って誤魔化されてしまったが、それ以上とやかく言う気も起きなかったのだから女ってのは罪なものだ。
改めて状況を見返すと、二人に内緒で森林浴を楽しんでいるちょっとしたデートみたいにも思えてきて、満更でもない思いを抱いてしまった俺も単純な男だと自覚する。
けれども、池を一周してしまうと、そんな淡い時間もあっという間に過ぎ去ってしまう。
それを名残惜しく思っていた時にふとお互いの目が合うと、彼女から続きを催促されたようにも感じられた。
「……」
「……」
思い切って彼女の手を取り、もう少しこの時間を続けてみようかと思ったのだが――。
「ちょっと、そこの悪魔! 何サボってるのよ!!」
そんな甘い空気を吹き飛ばすような怒号が響いたことで、自分が怒られているような気分になってしまった。
「…私たちも、戻ろっか?」
「そうだな…。あいつの二の舞にならないうちに」
仕方なく、バツの悪そうな顔を浮かべたサリーと共にまた橋を渡ることにした。
「待て待て、俺様はサボってたわけじゃない!」
「じゃあ、一体何してたわけ? そんな鏡の前でポーズ取って」
「…決まってるじゃないか。鏡に映る俺様に見惚れてたのさ。あぁ…、今日も俺様はキマってるな」
「ぶざけんじゃないわよ!」
「ぶへっ!!」
「あ…?」
鏡の前で言い争っていた悪魔がメアリーの杖で思い切り殴り飛ばされ、鏡に直撃したかと思ったら姿を消してしまった。
「イテテ…っ、暴力的な女だな…。ホントに黒魔術師かよ」
姿は見えずとも、悪態を吐いている声は聞こえる。その不思議な光景にメアリーも怒りを忘れて驚いていた。
「今、鏡の中へ消えたように見えたけど…、もしかして…」
彼女が鏡に向かって恐る恐る手を伸ばすと、鏡に当たることなく通過してしまった。
「なるほど、そういうことね」
「こんなところに隠し通路があったわけか」
鏡の先を手探りで調べていた彼女の手は、プルを掴んで戻ってきた。
「ふぅ、俺様もビックリだぜ」
「悪魔の癖にお手柄ね。気分が良いから、ご褒美を上げるわ」
「おっ、俺様ご褒美だーい好き! 頂戴頂戴!」
「えぇ。たっぷりと味わいなさい!」
「ぎええぇぇっっ!?」
珍しいこともあるものだと感心していたのに、握り潰されてしまったプルを見て、ああやっぱり――と思い直した。
「ご褒美だかお仕置きだか知らないが、行くなら行こうぜ」
「そうね。こんなのに構ってる時間が惜しいわ」
肝が据わっている黒い少女は、我先にと鏡の中へ足を踏み入れていく。
「はー、なるほど。中はこんな風になってるのね」
完全に姿を消してしまった彼女に続いて半信半疑のまま俺も手を伸ばしてみると、二人同様鏡を突き抜けてその先にあった柔らかい膨らみに当たった。
「おー、これはすごい」
「ちょ、ちょっと…!?」
手の平に程よく収まる膨らみはどこか既視感を感じて、何度も触りたくなるような触り心地をしていた。
鏡の先には何かクッションのようなものでもあるのかと思い、勢い良く入った者も受け止めてくれる親切設計に感心する。
「いい加減にしなさい!」
「イデっ!!」
突然手首を捻られてそのまま勢い良く引っ張られると、鏡の先へダイブしてしまう。
そこに待っていたのは、顔を真っ赤にして怒りの形相を浮かべゴミを見るような目で見下ろすメアリーの姿だった。
「あ、あれ…もしかして…?」
膝をついた俺の手が依然として彼女の胸の前で握られており、それを見た瞬間先程の見えないクッションの正体を悟った。
「白々しい…。どさくさに紛れて、よくもやってくれたわね……」
「ま、待て、話せば分かる」
女の子に手を握られて、こんなに嬉しくないことがあるだろうか。
このままでは冤罪を吹っ掛けられて腕の一本や二本簡単に持っていかれそうな予感がしたので、必死に説得を試みる。
「どうしたの、二人とも? …きゃっ!」
弁明を試みていたところに、さらに続いて入ってきたサリーが俺の足に躓いて倒れ込んできた。
「うわ、っとと…」
「あっ、ちょっ…」
後ろから押し倒されたことで雪崩を起こし、メアリーまで巻き込んでその場に転ぶ羽目になった。
おかげで、背中にはサリーの体重が伸し掛かっている上に、後頭部もむにゅりとした大きな感触で押しつぶされている。
「いたたぁ…。ごめんね、二人とも」
「ふ、ふぐぅ…」
「ちょ、ちょっと…動かないで…、くすぐったい…。もう、息しないで」
息を止めろというのは、死ねと言っているのと同義だと彼女は気づいているのだろうか。
しかし、頭を上げようとしてもサリーによって蓋をされている為、身動きが取れない。
真っ暗な視界では自らの置かれている状況が把握できないものの、幸い床に顔面を強打したわけではないのは分かる。
そうでなければ、鼻などに激痛が訪れること必至だっただろうに、今も痛みはなくもう少し柔らかい何かに当たって擦れている。
どうにか状況を打破しようと手で何かを掴むと、デジャヴを感じる感触が伝わってきてまた逆鱗に触れてしまったと察する。
「…だ、だから…、動くなって…っ!」
「んぐっ、ぐぐぅぅ…っ!」
さらに、今度は左右から強烈に締め上げられ、もう何が何だかさっぱりだ。
「しゃどぅ・すねぇく……」
仕方なく、視野を確保する為に影の蛇を呼び出した。今回は間違っても攻撃しないように、偵察用のシャドウ・スネークを用いる。
「お前ら、なにラッキースケベしてんだ?」
シャドウ・スネークと同期した視界を見れば、プルの言う事も尤もな状況にあった。
メアリーの魔の三角州に囚われて両脚に挟まれた俺の頭部が、サリーに胸を押し付けられるような態勢で伸し掛かられていたのだ。
「好きでやってるわけじゃ…、ひゃぁっ!」
「今退くから…、ちょっと待ってて…」
伸し掛かっていた重みが無くなると、ようやく身体を起こすことができるようになって締め付けからも解放される。
「あぁ…、助かった…」
「それはこっちのセリフよ。今日ほどドロワーズを履いてて良かったと思った日は無いわ」
慌ててスカートを直すメアリーは安堵の息を漏らしながら悪態吐いていた。
「まぁ、かぼちゃパンツだったからセーフだな」
「何がセーフなのよ」
「あっはは~。俺様今回に限っては関係ないし~、しーらね」
「そもそも、なんで奥へ進みもせず、こっち向いて突っ立ってたんだよ」
「この仕掛けを見てたのよ。それで、上の方まで見上げてたら、あなたが手を伸ばしてきたんでしょうが」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
サリーが仲裁に入ったことで一応言い合いは収まったが、お互い納得した様子ではなかった。
「はー、なるほどなるほど。向こうから見ると鏡にしか見えないが、こっちから見ると向こう側が普通に見えるんだな」
そんな険悪なムードの中でも、悪魔は暢気に仕掛けを見て関心を示していた。
「鏡が汚れたりしたら拭くこともあるけど、魔法で作られた虚像なら実体が無いから汚れることもない。だから、誰も触る機会がないまま見逃してしまうってことなのかな」
「うーむ。人の行動を逆手に取った仕掛けってわけだ」
「人一人が通れるだけの大きさがある姿見なら、通路としても使えるし壁に取り付けてあっても不思議じゃないもんね」
「はぁ…。そこはもういいから、先へ行くわよ」
プルとサリーが真面目に考察していたのに、もう興味が失せたように吐き捨てたメアリーはズカズカと進んで行く。
「私たちも行こ?」
「そうだな」
サリーに後押しされて狭い通路を歩いて行くと、すぐに地下へと続く螺旋状の階段に突き当たりそのまま下ることになった。
「こっちが本命みたいね。地上にあった家より、ずっと広いじゃない」
階段を下りきった場所にいたメアリーはついさっきまで機嫌が悪かったはずだが、その悪い気分もこの秘密の地下室を前にすればどこかへ吹き飛んでしまったようだ。
話しかけづらいような気配が無くなり、目をキラキラ輝かせて地上の家よりもよっぽど明るく照らされた周囲を見渡している。
「特に何もないみたいだが、まだ先が続いているな」
何もない分広く感じる部屋には左右と正面に続く通路が繋がっていて、更に奥の空間があることを知らせていた。
「あ、待って。左の通路の先、すごく広いよ」
「おい、サリー!」
無警戒に走って行った彼女を追うと、その言葉通りだだっ広い部屋に出た。それと同時に明かりが灯り、部屋全体が照らし出される。
正しく何もない部屋は部屋というにもおこがましいほど広々としていて、何もないが故に余計広く感じさせている。
「あはは、地下なのに広い広ーい」
「何なんだ、この部屋は…? まさか、貴族でも呼んで舞踏会を開こうってわけでもあるまいし…」
「確かに、圧迫感がある閉鎖的な場所ってどころか、広々としてて開放的ですらあるぜ」
白砂のような若干黄色味がかった壁で覆われている部屋の入口をよく見てみると、部屋の名前が書かれていた。
「魔法練習場…?」
「あぁ…。道理で、部屋全体に魔法障壁が張り巡らされてるわけだ」
「じゃあ、ここで魔法を使っても、そう簡単に部屋が壊れることは無いってこと?」
「そういうこった。見ろよ、この壁。ちょっとやそっとじゃ壊れる気がしないぜ」
コウモリの翼にある小さな手でコンコンと強度を確かめているが、その手では測りきれないのではないかと疑問に思う。
とはいえ、彼の言い分にも一理あるのは自分で触ってみると実感できる。
「正に練習場ってことか」
「あぁ。誰の目にもつかない場所でこっそり練習するなら、こんなに良い場所は無いぜ」
「きっと、メルリヌスさんがそうしてたんだろうね」
「よし、他の部屋も行ってみるか」
階段前の部屋に戻ってみたが、付いてこなかったメアリーの姿は無くなっていた。
「あいつ、どこ行ったんだ?」
「あ、そこの奥にいるぞ」
階段から見て右側の通路を指したプルの言葉に従って、そのまま先へ進んだ。
その部屋は先程の練習場とは違い、生活感の漂う部屋だった。
ベッドなどもあることから、地下でも寝起きできるように生活スペースを確保していた場所だと考えられる。
「来ないで」
通路を通って部屋に入ろうとしたところで、メアリーに足止めされた。
「なんだよ急に。まだ怒ってるのか?」
「違うわよ。下を見てみなさい」
「下…? あ、なんだこれ」
部屋の床には大きな円が描かれていて、そこにいくつかの文字が散りばめられている。
「魔法陣よ。でも、見たことない模様だわ。私にもなんて書かれてるか分からない」
「だったら、俺たちにも良く見せてくれよ」
「そんなの魔力を注いでみればわかるわ。あなたたちはそこで待ってなさい」
「あ、おい! 罠かもしれないんだぞ!」
「多分だけど、大丈夫よ。こんな魔法陣の罠を書ける冒険者がいるなら、むしろ見てみたいくらいだわ」
「え? え? どうなってるの、クロムくん?」
「あいつ、勝手なことを…」
魔法陣の上に立ち、杖で床を突いた彼女は魔法陣に魔力を込めていく。
あっという間にくすんでいた文字や模様が光り出すと、ギギギ…と妙な音が鳴り始めた。
「ふっ、ふふっ…。当たりだわ…!」
彼女が一点を見つめてそう呟いたのが聞こえた。
やがて、音が鳴りやむと、魔法陣の輝きも消え彼女も迷いなく歩き出す。
「全く、何だって言うんだよ」
彼女に遅れて部屋に入ってみれば、彼女の視線の先にあった棚が移動してその奥に隠してあった部屋が発見できた。
「これのことか」
「今度は隠し扉だったみたいだね」
さらに後を追ってその部屋に入ってみると、彼女が漏らした言葉の意味をようやく理解する。
部屋自体は小さなものだが、その中で透明なガラスケースに飾られていた物は大きな杖や装飾品など、どれも貴重で価値のありそうな物ばかりだったからだ。
「すっげえ、お宝。さっきの隠し扉はこの宝物庫の為だったのか」
「それにしては、仕掛けが分かりやすくないか? 魔法を使える奴なら誰だって見つけそうなもんだけど…?」
「まぁ、細けぇこたぁ良いんだよ。お宝が手に入るなら何でもいいさ」
「うーん、やっぱりこれよね。私、これにするわ」
最初から強い杖が欲しいと言っていたメアリーは上機嫌で杖の入ったケースに手を掛けたが、なかなか扉が開かず手こずっていた。
「あれ? どうなってるの?」
「よく見ろ。さっきと同じ魔法陣がケースの扉にも付いてるだろ? だったら、また魔力を流せば開くはずだぜ」
「…あんたに言われなくても、そんなこと分かってたわよ。ん…、ほら開いた」
悪魔の助言を素直に受け取るのは癪だったみたいだが、それも新たな杖を手に入れればもうどうでも良くなってしまったらしい。
「すごいわ…。これ、エルフの住む森にしか生えてないっていう大樹、コリネトの枝で作られた最高級品よ」
「へぇ、これが…」
元々魔法使いとしては三流以下だった俺でも、その噂は聞いたことがある。
それだけの価値がある杖を手に入れられたとなれば、ここまで来た甲斐があったというものだ。
「もう一本別の杖もあるし、サリーも新調したらどう?」
「ううん、私は大丈夫だよ」
「そうそう。こいつのは下手に変えると弱体化しそうだからな」
「そんなに良い杖を使ってたのね…。勉強不足だったわ」
「だとすると、どうしたもんかな…」
「余った分は売ればいいんじゃない?」
「俺たちの目的としては、安易に市場へ流すようなことをしたくないってのもあるんだよな」
「あぁ、クロの言う通りだ。いずれ敵になる相手の為に、わざわざ塩を送るような真似をするもんだからな。目先の利益を取るか将来的な不安を抱えるか、慎重に考えた方が良いぜ?」
「そうなの? 大変ねぇ…」
「お前…他人事みたいに言ってるけど、もうお前も片足突っ込んでるんだからな」
「…それはともかく、確かに他の人の手に渡ったら厄介な相手が出てくる可能性は高いわね」
「それなら、このまま置いておくのも良いんじゃない? 今まで取られなかったみたいだし、そうそう取られることもないでしょ」
「希望的観測は危険な気もするが…特に他の案も思い浮かばないし、保留ってことでこのまま置いておくか」
選ばれなかった杖が不憫なものだが、それにしても少し不可解な点がある。
「でも、なんでこんな良い杖が残ってたのかしら。他のケースは空になってるものもあるから、既にこの中の物も盗られた過去がありそうなものだけど…」
「よっぽど目利きが悪かったか、あるいは別の理由だろうぜ」
「そうとは思えないから言ってるんだけど?」
疑問は尽きないが、その売れ残りはもう一つだけあった。いや、正確には二つかもしれない。
「あと残ってるのは、これか…」
メアリーがしてみせたのと同じようにケースの扉へ魔力を注ぐと、小さな魔法陣が光り出して自然と扉が開いた。
その中に置かれていたのは、二つのブローチだった。
「これは一体…、なるほどな」
名も知らぬ品の手掛かりといえば対になるように掘られたデザインくらいだったが、それを手に取った途端その真価が頭の中に刷り込まれた。
「あ、なんか良い物だったの?」
「これは、コレポンのブローチ。これに触れながらもう片方を身に着けている相手を思い浮かべつつ念じると、念話が通じて交信できるという代物らしい」
「へぇ。そんなブローチがあるなんて初耳だけど、良く知ってたわね」
「いや、知ってたんじゃない。これを手にしたら自然と分かったんだ」
「ほーん。なかなか便利な代物な上に、配慮まで行き届いた親切な作りだぜ」
「とはいえ、基本的に一緒にいる二人に渡しても効果が薄い気もするが…、とりあえずちょっと試してみるか」
「ん? 私で良いの?」
「あぁ、とりあえずは」
もう一つのブローチをサリーに渡すと、プルとこっそり頭の中で話す時のようにサリーを思い浮かべながら念じてみる。
〈今夜、またお願いしても良いか?〉
表立って言いにくく二人の前で言うわけにもいかないことを念じてみたが、無事に伝わったらしく返事と共にうっとりとした笑顔を返された。
〈…うん、待ってるね〉
俺たちの様子を交互に見る二人は何が起こったのかよく分かっていないみたいだった。
「…? 上手くいったの?」
「あぁ、バッチリだ」
「なぁなぁ、なんて言ったんだよ?」
「え? お前が気にするようなことじゃねーって」
「はぁん? 怪しいなぁ…」
「まあまあ、いいじゃない。このブローチが使えることは分かったし、他の部屋も探してみようよ」
「そうね。もうここには他に無いみたいだし」
手前の生活感溢れる部屋に戻ると、まだ足を踏み入れていない別の通路もあった。
次はそちらに進むと、その先には書庫があった。
しかしながら、魔法陣の仕掛けみたいなものが無かった分、ここの蔵書もほとんど盗られてしまったようで大した本は残ってなかった。
残っていた本の傾向からすると、おそらく他も魔法に関する本が並べてあったのだろうと予想できるが今となってはどちらでも大差ない。
一度階段前の部屋まで戻り、そこから正面に繋がる通路へ進むとまた書庫が広がっていた。
こちらも先程の書庫同様、本は持ち去られてしまったらしく空の本棚が並んでいるばかりだったが、少し様子が違う。
というのも、部屋の造りが全く違っていて、なだらかな弧を描くように作られた通路に沿って本棚が建てられているのだ。
さらに、先程の部屋から来た場所の正面には、魔法陣が書かれた大きな壁が立ちふさがっている。
「またあの魔法陣かしら…?」
「今度は小さいな」
要領は分かっているので同じように魔力を注いでみれば、その壁が下に引っ込んで奥へ進めるようになる。
「まただわ」
さらに、すぐ奥に同じような壁が立ちはだかっていた。しかし、その壁に掛かれた魔法陣は先程よりも一回り大きくなっている気がする。
「横に同じような通路が広がってはいるが…、ここも空っぽみたいだな」
「じゃあ、次開けるわよ」
仕掛け自体は単純で奥へ進むことはできたが、空の本棚ばかりでは思わず落胆の息が漏れてしまう。
「次」
めげることなく次々に現れる壁に魔力を注いで道を切り開くメアリーに続いていくと、ようやくまともに本が残っている場所へ出くわした。
「おー、あるある」
「あるって言っても、ギッチリ埋まってるほどじゃないけどな」
「通路自体もどんどん狭まってるし、収納できる数も減ってると思うよ」
「それより、見てよこれ。魔法の指南書だわ」
「なんだと?」
いち早く本を手に取ったメアリーに倣い、俺も手近な場所にあった本を一冊取ってみた。
「どれどれ…、ふむふむ…。全く読めん!」
なんとなく文字が書いてあるのは分かるが、それ以上の解読ができず頭に入ってこなかった。
「ふーん、なになに…? それは土魔法の本だな。じゃあ、こっちの雷魔法の本を読んでみろよ」
「なんか解読法が必要なんじゃないのか? あ、スラスラ読める…、っていうか頭の中に流れ込んでくるぞ」
先程の本と違ってすんなり頭に入ってくると、そのまま魔法のイメージまで浮かんでくる。
そして、読み終わった頃にはもうその魔法を使える気がするのだから不思議なものだ。
「あー、やっぱりか。じゃあ、適性の問題だろうな」
「てことは、読むだけで魔法が習得できるけど、そもそも適性が無ければ読むことすらできないってことか」
本の色が八色に分けられているのも、それぞれの属性に当てはめた色付けをしたからだと考えられる。
土属性は茶色。雷属性は黄色――と、キレイに整頓されて並べられていた。
「こんな簡単に魔法を覚えられる本なら、ごっそり持って行かれても不思議じゃないな」
「それにしても、この辺のは中級魔法ばっかりだな…」
「そうなのか? だとすると、今まで通ってきた壁の数やそれに比例して大きく書かれていた魔法陣のことまで踏まえると、難易度別に置かれてるって考えた方が自然か」
「あぁ、そういうことか。だから、あの杖は残ってたんだ」
「それって、あの杖を手に入れる為にはそれ相応の魔力が必要だったってこと?」
「それもそうだが、あの杖に見合う適性が備わっているか同時に試されていたのかもしれんぞ」
「それなら、いくつか開けられてたのに、最高級品の杖が残っていたのも説明がつくな」
「さっきはすんなり取れたが、俺様のチカラが流れ込んでなかったら、きっと今頃あいつの手には渡ってなかったんじゃないか?」
「ま、あの時覚悟を決めた甲斐があったってことね」
不敵に笑う彼女は自らの身長よりも大きい杖を手にして放そうともしない。
「でも、その仮説通りなら、この先にもまだこの指南書が手つかずで残ってるんじゃないか?」
「そうね。壁を開けられるだけ開けて、片っ端から目を通して見ましょ」
それから、悪い顔を浮かべた二人を筆頭に宣言通り壁を全て突破し、あらゆる本に目を通して次々に新たな魔法を覚えていった。
この地下室にはそれ以外にもメルリヌスの手記が残されていた。
それによれば、魔法というのは魔力を用いてイメージを具現化するものという解釈らしく、指南書などに書かれた一般的に知られる魔法とそれに伴う詠唱というのはそのイメージを形作るための補助的な役割をしているだけだそうだ。
なので、しっかりとイメージを捻出してそれに応じた魔力の調整が出来れば、オリジナルの魔法というのは無数に作れるらしい。
とはいえ、そのことを踏まえた上で試してみても、既に概念の凝り固まったサリーやメアリーはそれを無視できず特に何かが変わったわけでも無かった。
また、手記には指南書の仕様についても書かれていた。
あの指南書は市販されている物ではなく、メルリヌスが後世に伝える為に特殊な技法を用いて作った物だそうだ。
俺たちの予想通り、自分の素質や適正、現在の力量に応じてその本の内容を読むことができ、読むだけでおおよそイメージが刷り込まれて覚えられる仕組みらしい。
これは、そもそも文字が読める読めないに関わらず、認識できないために解読することが出来ないのだという。なので、適正さえあれば全く文字が読めない子供でも解読して魔法を習得することが出来るそうだ。
要は、手に取るだけで簡単に自分に見合った魔法が覚えられるため、一般的に知られている魔法の指南書とは大きく異なる物であり破格の性能を誇っている。
普通は呪文を覚えても発音をしっかりしたり何度も練習して覚えるものなので、かなり簡略化されている。
なので、先に来たであろう冒険者と同じく、ここに置いてある指南書を売れば大きな収入が見込めると予想できる。
しかし、先程の杖と同じように他の者の手に渡って新たな脅威を作ることになってしまうことも考えると、安易に売ることは推奨されない。
ただ、これについては悪魔の言い分が違っていた。
将来的なことを見越して、この指南書の一部だけでも持って行くことを提案されたのだ。
自分たちがより成長して覚えられるようになる可能性はもちろん、サリーやメアリーのように悪魔の旅に同行する奇特な仲間が新たに加わった際、即戦力となる魔法を覚えさせるために使えるという見解らしい。
メアリーの時が正にそうだったように、元のポテンシャルが多少低くても悪魔のチカラを得ることによって魔力や適性が飛躍的に上昇して上級魔法でも覚えられるようになると確信していることも付随する。
実際、悪魔との契約を果たす為には仮に一騎当千のチカラを得たとしても俺一人で万の軍隊に適うかは分からないので、仲間が増やせるのであれば増やした方が良いのも事実。
結局、自分でも納得した上で高位の指南書を一部持ち出すことにした。
一部だけで全てではなかったのは、単純に荷物が多くなり過ぎて常に持ち歩くのが大変だからという理由である。
一通り書物を漁り終わると、今度は新しい魔法を覚えたことで早速試してみたくなるというもの。
三人がそれぞれ違った属性に秀でていたこともあり、練習場を利用して各々が新たに得た魔法を試し撃ちした。
その傍らで、あれだけ魔法を放ったのにびくともしない強度を持った練習場に感心したものだ。
通り抜けできる鏡や魔法陣の仕掛けといいオリジナルの指南書といい、メルリヌスが偉大な魔法使いであったことは認めざるを得ないだろう。




