① 国境を越えて ★
ハダルの町からオルニョイド山を越えること数日、ようやく目的地であるマルーンの町を訪れていた。
魔法の光で照らされた賑やかな屋台通りを歩いているだけで、これまで見ていた景色とはだいぶ違っているのが窺える。
「わぁ…、なんだか全然雰囲気が違うね」
「サリーも、ロッポンギー王国は初めてか?」
「うん、初めて来た」
「とはいえ、もうすっかり暗くなっちまったからな。ゆっくり町を見て回るのは明日にして、さっさと宿探そうぜ。あと飯も」
「そうするか」
国境を跨いだのは俺も初めてだったが、その割にはすんなりと町へ入れてちょっと拍子抜けした。
魔王軍の侵攻があってから冒険者の需要が増し、国を跨いだ移動も歓迎されるという話は聞いていたが、その通りだったといえる。
ただ、長い山道を下って、ようやく人気がある町までやってこれたのは良かったものの、異国情緒を楽しむには少し遅い時間なのも確かだ。
「…とは言っても、見慣れない料理が多くて、当たり外れが分からないな」
ロッポンギー王国は、大陸の中でも二つの国に挟まれていることで、他の国より海に面した地域が少ないのは知っている。
なので、海の幸というものがほとんど出回っておらず、魚料理もそう多くない。
山から流れている川から魚を捕ることもあるのだろうが、ほとんどは肉料理がメインのようだ。
「だったら、そうだな……。おっ? あれなんて良いんじゃないか? あれなら、歩きながらでも食べられるぞ」
ある意味、食の幅が一番広いプルが指した屋台を見ると、焼き色が付いた白い生地に肉と野菜を詰め込んだ料理が目に入った。
「…ごくり。確かに美味しそうだけど、なかなか豪快な料理だな。サリーもあれで良いか?」
「うん、いいよ」
空腹は最高の調味料という言葉も聞いた覚えがあるが、彼女もお腹が空いているのか、待ちきれない様子だった。
「おい、クロ。俺様の分も忘れるなよ」
「分かってるって」
耳元で悪魔から念を押されつつ、屋台の主に声を掛ける。
「この…ケバボってやつ、3つ下さい」
「はいよ。3つで銅貨3枚だ」
気立てのいい若い男に銅貨を払うと、意外にずっしりとしたケバボを渡された。
男から礼の言葉も受け取りながら屋台を去り、二人にそれぞれ一つずつケバボを渡すと、プルが一目散にかぶりついて食べ始めた。
「がはぁ、んめぇなー」
とても行儀が良いとは言えないが、その豪快な食べっぷりは食欲をそそられる。
「これって、そんな風に食べるのか?」
「あぁ、そうじゃねーの? 俺様が知ってるのはケバブって言われてたが、見た目はそっくりだし」
「ふーん、そういうもんか」
「郷に入れば郷に従えってことさ。いいから食ってみろよ」
「まぁ、腹も減ったしな…。んっ、……これはなかなか」
こってりした味付けは一見くどく感じてしまいそうなものなのに、周りを包んでいる生地があっさりしていて、それを和らげてくれている。
食感も、肉はゴロゴロと存在感があり、野菜がシャキシャキと小気味良い歯ごたえを感じさせつつ、生地は柔らかくも香ばしいので、最後まで美味しくいただけそうだ。
「ホント? じゃあ、私も…いただきまーす。はむっ…、もぐもぐ……、んんっ! 美味し~い」
続いて口を付けたサリーの反応も上々で、少しは悪魔の知識に感謝すべきなのかもしれないと感じた。
「むしゃむしゃ、ばりばり、もぐもぐ…」
「あっ、おい…! 食い散らかして汚すなよ」
「仕方ねーだろ、食ってる途中で横から溢れてくんだから」
「まあ、確かにな。味はともかく、ちょっと食べづらいのは難点か」
「あ、あれ見て…!」
食べカスで汚されたローブをどうにか綺麗にしようとしていた時に、サリーの指差した先へ視線をやった。
そこには、同じくケバボを食べている地元民らしき者たちがいたが、その食べ方がまるで違っていた。
その手にはスプーンが握られていて、中身を掻き出すようにして食べており、最後に包んでいた生地を頬張っている。
「ああやって食えば、キレイに食べられそうだな」
「知らなかったなら仕方ないけど、もっと早く知りたかった…」
「あはは…、ごめんね。私も、今気が付いたから」
「ドンマイ、ドンマイ」
「お前は、少しくらい罪悪感を感じろよ」
「えー? だって、俺様悪魔だし」
「あぁ、そうだった…」
それを免罪符にされてもどうかと思うのだが、悪魔に常識を解くのも無駄な気がして、すぐに諦めてしまった。
屋台通りを進み、ケバボと同じく見慣れないチョイという紅茶を飲みながら、今夜泊まる宿を探した。
国境を跨いだとはいえ、食べ物や宿の相場はそう変わりないらしい。
歩き通しだった身体を休める為にも、早々に宿を決めて寝たいところだったが、せっかく町まで来たのならお風呂に入りたいというサリーの要望もあって、宿屋の主に場所を聞いて風呂屋へ向かった。
数日ぶりの風呂に入ると、マコとの色事やサリーとのやり取りを思い出してしまいそうになったが、どこを見ても男しかいない空間では、それもあっけなく消え去り杞憂に終わる。
やはり混浴ではなかったことに憤慨するプルを放置し、汗を流してさっぱりした様子のサリーと合流して宿へ戻った。
金銭的な問題もあり、二人で一部屋を取ったのだが、二つのベッドを前に一瞬固まってしまった。
というのも、昨夜は同じベッドで過ごしたとはいえ、あの時は緊急事態だっただけで、今夜もそうする必要は無い。
もし、ベッドが一つしか無かったのなら、お互いに仕方ないと思って一緒に寝ることになったかもしれないし、その上で昨夜のような良い思いができたかもしれない。
しかし、実際はベッドが二つ並んでいるので、そもそもの前提が違っており、その淡い期待はどこへ向ければ良いのかと困惑してしまったわけだ。
「……」
チラッとサリーの様子を窺ってみれば、彼女もこちらを窺っていて、バッチリ目が合ってしまった。
もしかしたら、彼女も同じようなことを考えていたのかもしれないが、きっと俺の思い過ごしだろう。
昨夜は、命の危機に瀕していたからああいった行動に出ただけで、一度身体を許したからといって、毎晩一緒に寝て肌を重ねるような関係になる筈もないだろうと自分を戒める。
「ふぁ~ぁ…。何やってんだ? 俺様は、もう寝るぞ」
そんな気も知らない悪魔は、ふらふらとやってきてパタンとベッドに落ちたかと思えば、早くもスヤスヤと寝息を立てていた。
「じゃあ、俺はこっち使うから…」
「あ、うん……」
プルが寝たベッドへ向かい、荷物を降ろしてローブも脱いでしまうと、そのまま身を投げ出して横になる。
彼女も同様にローブを脱いでいるような衣擦れの音が聞こえてきたが、また気にし過ぎると眠れなくなりそうだったので、背を向けて微睡みに身を任せた。
理由はよく分からないが、プル曰く魔力の向上に合わせて体力の向上もしたらしいものの、疲れるものは疲れるので、休める時にしっかり休んでおかないと、いつか身を滅ぼしかねない。
「おやすみ、クロムくん」
「あぁ、おやすみ」
自然と寝る前の挨拶も交わし、瞼を閉じて身体からチカラを抜くと、意識が徐々に遠のいていく。
「ぐぅ…ぐぅ…。すぴー、すぴー」
まだ悪魔のいびきも不快なほどではないし、このままさっさと寝てしまい、朝までぐっすり――と望んでいたが、真っ暗な静寂の中で、一際響く微かな声がそれを遮った。
「ぁ……、ぁ…、ぁ…っ…」
静かだからこそ聞き取れる微かな声は、女のものだった。しかし、隣のベッドで寝ているサリーのものではない。
おそらく、隣の部屋から壁越しに聞こえてきた声だと思われる。
「んぁ……あっ、……ぁ、ぁぁっ…!」
妙に色っぽいその声が、聞き間違いではなかったことを証明するように何度も繰り返し聞こえて、男の注意を奪っていく。
ただでさえ、耳障りなほど頭に響くのに、その官能的な声は覚えのある情景を思い浮かばせて、安眠を妨害する。
そう。きっと、昨夜の俺たちと同じようなことを、壁の向こうにいる男女が行っているのだろう。
そう思うと、その一連の出来事が思い起こされて、サリーのあられもない姿や壁一枚挟んだ向こう側にいる女の状況を想像してしまい、動悸が激しくなる。
名前も顔も知らない女であっても、男の感性を刺激するその声は毒でしかなかった。
「クロムくん、もう寝ちゃった…?」
「…いや、まだだよ」
よりによって、そんなタイミングで彼女からひっそりと声を掛けられてしまったので、できるだけ自然に返事をすることに努めた。
彼女に気づかれないように、息を整えようと静かに深呼吸をしていると、後ろからベッドの軋む音が聞こえてくる。
「もし良かったら、一緒に寝ても良い…?」
「ぇ…。あぁ、いいよ」
「ありがと。じゃあ、プルちゃんにはあっちで寝てもらうとして…ふふっ、お邪魔します」
自分から提案してきたにも関わらず、悪魔と寝るのは嫌だったようで、自分が寝ていた方のベッドへ摘まみ出していた。
それはともかく、一緒のベッドで寝たりしたら、余計寝るどころではなくなってしまいそうな気がする一方で、淡い期待を抱いたのも確かだ。
そんな下心も知って知らずか、彼女が横になれるだけの幅を空ける為に少しずれると、薄布を纏っただけでほとんど肌を晒した状態のサリーがやってきた。
真っ暗だと思っていたが、暗闇に目が慣れてきたおかげで、少しは色の強弱が分かる。
二人分の荷重が掛かり、ギシィと鈍い音を立てたベッドの上で寝返りを打つと、彼女がこちらを向いて優しい顔をしているのが窺えた。
「身体の方は、どう? なんともない?」
「あ、あぁ…。問題ないよ」
「ホント? それなら良いんだけど、クロムくんちょっと遠慮がちなとこあるみたいだから、実は我慢してるんじゃないかって心配してたの」
「そう言われると、否定はできないんだけど…身体の方なら、ホントに大丈夫だから」
「そう、良かった」
薄暗闇の中で動く彼女の手が重ねられると、スベスベのしなやかな肌から温もりを感じられた。
この温もり、そしてこのしなやかな身体には覚えがある。
それはつい昨日のことであり、彼女と肌を重ねたのだと改めて思い返してしまう。
「……ん? ねぇ、何か聞こえない?」
より例の部屋に近づいたことで、彼女にもさっきの女の声が聞こえてしまったのかもしれない。
ようやく落ち着いてきたのに、また早く脈打ってうるさいほど高鳴っている俺の鼓動と、どちらが聞こえた方がマシだったのかと思うものの、どちらでもマズいものはマズい。
「え…? そ、そう…? 気のせいじゃない?」
「んぅ…、そうかなぁ…?」
耳を澄ませてその音を聞こうとする彼女の妨害をしたいところだが、かといって大声を出すわけにもいかず、無慈悲に時が過ぎるばかりで、俺の祈りは神に届くことなどなかった。
しかし、それは当然ともいえる。悪魔と契約した人間に、慈悲などある筈もない。
「あっ…、もしかして……」
彼女もついに同じ結論へ至ったらしく、音の出所に気づくと、重ねられた手がギュッと握られた。
「……」
「……」
何とも言い難い無言の時間が続くものの、その間に静寂が訪れるわけでもなく、隣からの艶声がひっそりと響き渡るばかりだった。
「ねぇ、クロムくん…。本当に、我慢してない…?」
「ほ、ホントだって。どこも痛いとこは無いし、意識が朦朧としてるわけでも無いから…」
「うん…。でもさ、ほら…私と二人旅になって…、あ…プルちゃんもいるけど、その…発散させるタイミングが無くて…溜まってたことは、もう知ってるから……」
「な、なにを…」
「男の人って、定期的に発散させないと…溜まっちゃって大変だって聞いたことあるよ…?」
「まぁ、そりゃあ…そうかもしれないけど……」
「私、前にも言ったけど、クロムくんの為なら…お手伝いしても良いからね?」
「うっ…、さ、サリー」
「ねぇ、クロムくん? 本当に、我慢してない? 私なら、クロムくんの溜まってるもの、ぜぇんぶ発散させるまでお手伝いしてあげるよ…?」
いつの間にか、重ねられた手の指で輪っかを作って、俺の人差し指と中指をその中に通して上下に動かしていた。
まるで、何かを案じているようなその行いから、卑猥な連想をしてしまい、彼女の誘いが余計生々しく感じられていく。
「クロムくん、遠慮しないで…。私なら、平気だから……」
「ごくり……。それじゃあ、またお願いしても良いかな…?」
「うん…。一緒に気持ち良くなろ?」
意を決して返事をすると、半裸の彼女が寄り添ってきて、肌と肌が触れ合い、昨夜のような温もりを再び感じられた。
「クロムくん…、ちゅっ…ちゅぅぅ……」
「うっ…、ぁぁ…、サリー、っ!」
彼女から唇を奪われ、完全にその気にさせられてしまうと、徐に彼女の身体へ手を伸ばした。
「んぁっ、あっ…クロムくん…。そうだよ、遠慮しないで…いいから……んぁ、んふっ…いっぱい、しようね……」
壁越しに聞こえる声よりも、余程魅惑的なその声に魅了され、彼女と再び肌を重ねることになり、劣情はさらに燃え上がる。
天使の様にキレイで整った容姿を持つ彼女の身体は、悪魔の様に男を虜にして止まなかったのだ。




